第11章-20章
第21章 [1]とにかく、アテナイの民衆はおのれの愚かさにふさわしい報いを、先ずは第一に神々から、次いではわれわれ不正された者たちから受けたのである。[2]なぜなら、不正な戦争を開始した者たちや、おのれの優位さを維持できぬ者たちを、予期せぬ災禍で覆い尽くすというのが、神性の善さだからである。[3]いったい、誰が予期しえたであろうか――アテナイ人たちが、1万タラントンをデロスから調達して、三段櫂船200、戦闘者4万以上をシケリアに送り込みながら、かくも多大な災禍に陥るなどと? というのは、これほどの戦備の中から、艦船も兵員も何ひとつもどって来ず、そのため、この災禍を自分たちに報告する者さえ残らなかったほどなのだから。[4]だから、ご存知のとおり、シュラクウサイ人諸君、神々からも人間たちからも憎まれたことが明らかとなった者たちに対しては、運命に跪いて、人間的所行以上のことは何もしてはならないのだ。いったい、すでに投降した者を殺害して何の自慢になろうか? 報復を見舞うことが何の名声であろうか? 不運に見舞われた者たちに対して変わらぬ野蛮さを持ち続ける者は、人間どもに共通の弱さに不正するのだ。[5]なぜなら、運よりも強いような、それほどの知者は誰ひとりおらず、運命は、その自然本性からして人間の災禍を喜び、幸福の絶頂を反転させるのだからだ。おそらく尋ねる者たちがいよう、――やつらは不正した、だから、われわれはやつらに対して報復する権利を有する、と。[6]だが、あなたがたは〔アテナイの〕民衆には多種多様な報復を受けさせ、捕虜たちには充分な懲罰を与えてきたのではなかったか? つまり、彼らが武器とともにわが身を引き渡したのは、勝者の思いやりに信を置いたからである。だからこそ、彼らがわれわれの人道主義に欺かれるのは、あるべからざることである。[7]とにかく、変わらぬ敵意を持ち続けていた者たちは戦って最期を遂げたが、わが身をわれわれの手中に委ねた者たちは、敵ではなくて嘆願者となったのだ。なぜなら、戦闘において身柄を相手の手中に委ねた者たちは、救いの望みを持ってそれをなしているのである。しかるに、信を置いているのに、過度の報復を受ければ、為される者たちはその災禍を受け入れるであろうが、為す者たちは冷血漢と呼ばれることになろう。[8]しかし、〔シケリアの〕嚮導権を旗印とする者たちが、おお、シュラクウサイ人諸君、性格のうえでみずからを適正なものとして提示するほどに、武力のうえでみずからを強力なものに形成してはならないのだ。 第22章 [1]なぜなら、征服された者たちは、恐怖によって覇権を握った相手に対しては、憎しみゆえに好機を狙って自衛するであろうが、人道主義によって嚮導する相手に対しては、確固として歓愛し、その嚮導権をつねに拡張しようとするであろうから。[2]メディア人たちの支配を打倒したのは何か? 低位者たちに対する野蛮さである。というのは、ペルシア人たちが離反したとき、民族の大多数もいっしょになって攻めかかったからである。いったい、どうして、キュロス*は、一私人の出ながら、〔小〕アジア全体を王支配できたのか? 敗者に対する思いやりによってである。例えば、クロイソス王を捕虜として捕らえながら、不正しなかったばかりか、善行さえ施した。さらには、その他の王たちや民衆にも、同様の振る舞いをしたのである。[3]とにもかくにも、隅々まで温情が行き届いたので、〔小〕アジアの人々はみながわれ先に王の同盟者になろうとした。[4]場所も時代も遠く隔たったことをわしが言うのはなぜか? つまりは、われわれの都市において、ゲロン**が、一私人の出ながら、シケリア全土の嚮導者となり、諸都市がすすんで彼の随意になったのは、遠い昔ではないからだ。すなわち、この人物の公正さが人々みなを味方につけたのは、不運に見舞われた相手に対する同情心を味方にしたからである。[5]かくて、その時代以降、この都市はシケリアにおける嚮導権を旗印にしてきたのだから、われわれは先祖に由来する栄誉を貶めてはならず、まして、人間的な不運に対して残忍・無慈悲な振る舞いをしてはならない。なぜなら、われわれに対して、われわれの振るまいが善運にふさわしからずとの言いがかりを嫉妬者につけさせるのはふさわしくないからである。というのも、運が逆転したときに同情者を得、逆に、順境のときに喜ぶ者を得るのは美しいことだからである。[6]要は、武力における有利さは、しばしば運や好機によって判定されるに過ぎないが、うまくいっているときの優しさは、善運を得た者たちの徳性に固有の徴表である。ゆえに、あなたがたは、武器によってのみならず、人道主義によっても、アテナイ人たちに勝利したという評判が、全人類から祖国にもたらされる機会を逸してはならないのである。[7]というのは、優しさの点で他の人々を凌駕していると自負する者たちは、われわれからの思いやりによって畏敬されていることが明らかとなろうし、憐憫の祭壇を最初に設置する者たちも、それをシュラクウサイ人たちの都市に見出すであろうから。[8]こういったことから、あの者たちがつまずいたのは義しく、われわれが善運を得たのは当然であるということが万人に明らかとなるのである――いやしくも、前者は敵対者たちに対してさえ思いやりを持った人々に不正しようと企てたのに反し、われわれは、最も敵対的な戦争相手にさえ憐れみを分かち与える人々に策謀せんとした者たちに勝利したのだから。それゆえ、アテナイ人たちは余人の告発を受けるばかりか、みずからが自身に対して有罪判決を下すであろう――そういった者たちに不正することに手を染めたからには。 第23章 [1]美しいのは、おお、シュラクウサイ人諸君、友好を唱道すること、不運に遭った者たちに対する憐憫によって、仲違いを終結させることである。なぜなら、友たちに対する好意は不死なるもの、敵対者たちに対する敵意は死すべきものとみなすべきだからである。かくすれば、同盟者たちはより多く、敵はより少なくなることになろうから。[2]これに反し、仲違いを永続させて、子どもたちの子どもたちに相続することは、思いやりでもなければ安全でもない。なぜなら、優越していると思われている者たちが、その絶頂期に、それまでに投降した者たちよりもより脆弱な者になることは、よくあることだからである。[3]これを証拠だてるものこそ、今時の戦争である。なぜなら、攻囲を目的に来着しながら、優勢さによってこの都市に遮断壁を築いた者たちが、反転、捕虜となったことは、あなたがたのご覧のとおりである。だから、美しいのは、他人の不運に際して恩情を示し、何か人間的なことが結果した場合に、あらゆる人たちから憐憫を得られるようにしておくことである。なぜなら、人生は多くの予期せざることに満ちており、政治的党争、掠奪、戦争……こういったことの危険をのがれることは、人間であるかぎり容易ではないからである。[4]だからこそ、すでに投降した者たちに対する憐憫を切り捨てるとするなら、未来永劫にわたって、自分たちに過酷な法を定めることになろう。なぜなら、他者を非情に遇する者たち自身が、いつの日にか、他者から人道的扱いを得ること、まして、恐るべきことを実行しながら、思いやりを受けるとか、ヘラス人たちのしきたりに反してこれほどの者たちを殺害しながら、人生につきものの反転のさいに、万人に共有の掟を唱えることは不可能だからである。[5]というのは、ヘラス人たちの中にいたであろうか――わが身を委ね、勝者の思いやりに信を置いた相手に、無慈悲な報復を要求した者が? あるいは、野蛮さよりは憐憫に、性急さよりは用心深さに欠けた者が? 第24章 [1]誰しもが、向かってくる相手に対しては突き進み、投降者たちに対しては身を退き、前者の向こう見ずは挫き、後者の不運には同情する。それは、われわれの激情が砕かれるからである――それまで敵であった者が、反転によって嘆願者となり、何でも勝者たちの思いのままのことを被ることを覚悟したときには。[2]つまり、わしが思うに、わしたちの兵士たちの魂が最もよく憐憫にとらわれるのは、おそらくは、自然本性に共通の同情心が原因であろう。例えば、アテナイ人たちがペロポンネソス戦争のときに、スパクテリア島にラケダイモン勢の多数を閉じこめ、捕虜として捕らえながら、スパルタ人たちのために身代金を取って解放した。[3]今度は、ラケダイモン人たちが、アテナイ人たちとその同盟者たちの多数を捕虜としながら、同じような扱いをした。そして、そうしたのは両者とも美しい行為であった。なぜなら、ヘラス人たちにとっては、敵意は勝利に至るまでのものであって、懲罰も敵対者たちを制圧するまでのものであるべきだからである。[4]つまり、投降し、勝者の思いやりに庇護を求めている相手に、よりいっそうの報復をしようとする者は、もはや敵を懲らしめているのではなく、むしろ、人間的な弱さに対して、より甚だしく不正を働く者である。[5]というのは、こういう者の頑迷さに対しては、古の知者たちの箴言をひとは言うことができようから。「人間よ、思い上がることなかれ、汝自身を知れ、運命は万物の勝者たるを見よ」と。いったい、全ヘラス人たちの祖先が、戦争における勝利に際して、石碑によってではなく、ありあわせの木片によって勝利牌を立てるよう指定したのは、何のためであったのか? [6]少し時がたてば、敵意の記念は速やかに消滅するためではなかったのか? 総じて言えば、あなたがたが仲違いを永続化することを望むとするなら、あなたがたは人間的弱さを蔑ろにしていると知るべきである。なぜなら、ひとときの盛時、運命の短い絶頂は、優越者たちを卑しくさせることしばしばだからである。 第25章 [1]尤もなことではあるが、あなたがたが戦争をやめようとするのであれば、今なら、つまずいた者たちに対する人道的扱いを友愛の手だてとできる――その今よりも美しいどんな好機を見つけだすことができようか? なぜなら、アテナイの民衆がシケリアにおけるこの災禍によって完全に弱り切ったと思ってはならないからだ。ヘラスのほぼ全島嶼を制覇しているのみならず、ヨーロッパや〔小〕アジアの沿海地方の覇権を握っている彼らが。[2]というのも、かつて、アイギュプティア近辺で300艘の三段櫂船を乗組員もろとも失ったときも、勝ったと思われた王に屈辱的な条約を締結せざるを得なくさせ、また、今度はクセルクセスによって都市が粉砕されたときも、その後まもなく、これにも勝利して、ヘラスの覇権を獲得したのだから。[3]つまり、この都市は、最大の不運のさなかに、最大の躍進をとげ、未だかつて卑屈な施策は何ひとつ講じたことがないという善さを持っているのだ。だから、美しいのは、その敵意を増大させるのではなく、捕虜たちを免じて彼らを同盟者として持つことなのだ。[4]なぜなら、彼らを殲滅するのは、激情を喜ばせ、実りのない欲望を満ち足りさせるにすぎないが、〔彼らを〕守りことは、善くしてやった相手からは感謝を、その他のすべての人々からは好評を博することができようから。 第26章 [1]とはいえ、もちろん、ヘラス人たちの中には、捕虜を殺戮した者たちもいる。それでは、どうか? その行いによってその人たちに称讃が生じたのなら、われわれもその評判を気にかけてきた者たちの真似をするがよかろう。しかし、最初に告発を受けるのがわしらになるのなら、わかっていて過ちを犯した者たちと同じ所行を、わしらまでが行うことはなかろう。[2]なぜなら、わしらを信頼してわが身を委ねた者たちが、決して取り返しのつかないことを被るのでないかぎりは、義しくも、万人がアテナイの民衆を非難することであろう。ところが、共通の掟に反して捕虜が条約違反の扱いを受けたと耳にすれば、その告発をわれわれに向け直すであろう。というのも、都市に対する敬意が振り向けられ、人間どものためになされた善行に対する感謝を帰するのに値するのは、アテナイを措いてほかにはないからである。[3]というのは、彼らこそ、日々の養い〔=穀物〕に――これを神々から私的な用途に受け取りながら、これを共有のものとして――ヘラス人たちを与らせた最初の人たちである。彼らこそ、法習を発見し、これのおかげで、共通の人生が野性的で不正な生活から穏やかで義しい共同生活へとたどりついたのである。彼らこそ、庇護を求める者たちを救済し、嘆願者に関する法習を全人類の間に強固なものとして備えさせた最初の人たちである。これの創始者であるのだから、これを彼らから取り上げるべきではない。以上は全員に関わることである。しかし、何人かの人たちには、個人的に人道的な態度を思い起こしてもらいたい。 第27章 [1]すなわち、かの都市における言論と教育に与ったことのあるかぎりのあなたがたは、全人類のためにおのが祖国を共通の教場として提供している人たちに憐れみをかけよ。また、神聖きわまりなき〔デメテルの〕秘儀に参加したことのあるかぎりのあなたがたは、保証人となってくれた人たちを救済せよ。人道的行為にすでに与ったことのある人たちは、その善行に対する感謝の念を持って、またこれから参加しようとする人たちは、激情によってその希望を取り上げられないために。[2]いったい、アテナイの都市が滅びたら、外国人が自由な教育に通える場所がどこかあろうか? 過ちが原因の憎しみは短いが、好意によって彼らから受けた業績は大きくまた多い。また、その都市に対する敬意は別にして、捕虜たちを個々に尋問しても、彼らが憐憫に与ることが義しいのをひとは見出し得よう。なぜなら、同盟者たちは支配者たちの優位に強制されて従軍せざるを得なかったのである。[3]それゆえ、企みを持って不正した者たちに報復するのが義しいとするならば、心ならずも過ちをしでかした者たちが、容赦に値するのは当然であろう。ニキアスのことを何と言おうか――シュラクウサイ人たちのためにこの国制を当初より樹立し、シケリア遠征に一人反対し、身を寄せたシュラクウサイ人たちのことをいつも配慮し、保護役(proxenos)として過ごしてきた彼を。[4]だから、妙なことなのである――わしらのためにアテナイで為政してきたニキアスを罰するのは、そして、わしらに対する好意によっては人道的扱いに与れず、公共体への奉仕のせいで無慈悲な報復に見舞われ、シュラクウサイに戦争を仕掛けたアルキビアデスは、わしらからもアテナイからも同時に報復を免れ、アテナイ人たちのうちで最も人道的であったこと周知の人物がふつうの憐憫にさえ与れないというのは。[5]だからこそ、わしとしては、人生の反転を目の当たりにして、その運命を憐れむのである。というのは、まず第一に、ヘラス人たちの中で最高の貴顕階級に属し、その善美さによって浄福きわまりない人と称讃され、あらゆる都市において注目の的であった。[6]それが、今、後ろ手に縛り上げられ、見るもぶざまな姿で、虜囚の悲境を味わっているのである、あたかも、運命がこの人の人生によっておのが力量を見せつけたがっているかのように。その運命の良日にあって、わしらは人間的にふるまうべきであって、民族を同じくする者たちに対して蕃族のごとき野蛮さを示すべきではない」。 第28章 [1]ニコラオスは、シュラクウサイ人たちに向かって、以上のような言説を用いて民会演説を終え、聴衆の共感をそそった。しかし、ラコン人ギュリッポスは、アテナイ人たちに対する無慈悲な憎しみを持ち続けていたので、起って演壇に行き、言説のはじめを以下のところから始めた。[2]「わたしは大いに驚いている、シュラクウサイ人諸君、諸君がかくも速やかに、事実において諸君が酷い目に遭ってきた当の事柄について、言葉によって洗脳されるのを目の当たりにしようとは。いったい、諸君の祖国を打倒するために押しかけてきた連中に対して、これを排撃せんとして危険に身を挺しながら、その諸君が怒りを解くとしたら、何の不正も受けていないにもかかわらず、われわれが奮闘しなければならなかったのは、いたいなぜなのか? [3]どうか、神々にかけて、シュラクウサイ人諸君、わたしが率直に忠告をするのを容赦していただきたい。なぜなら、わたしはスパルタ市民であり、話し方もスパルタ的なのだから。そこで先ず、尋ねるひとがいよう――ニコラオスの老齢を、子なきがゆえに憐れとみなして、どうして彼は、アテナイ人たちを憐れむべしと主張するのか、つまり、喪服に身を包んで、民会に出席して涙を流し、自分の生子たちの殺害者たちのために嘆くべしというのか、と。[4]それは、彼がもはや公正な人物ではないからだ――最も近い身内を亡くした後、これを忘れ、最も憎むべき敵を救うことを選んだこの男は。いったい、民会出席者たちの中に、この戦争で殲滅された息子たちを悼む諸君は、どれだけ居ることであろうか?」。すると、出席者の多数が騒ぎたてた。彼はこれを受けて、「あなたに見えるか」と彼は言った、「この騒ぎによっておのが災禍を表明している人たちが。また、どれだけのあなたたちが、兄弟を、親類を、友人を失って尋ね歩いていることか?」。またも、はるかに多くの人々が賛意を表した。ギュリッポスも、「目の当たりにされたか」と言った、「アテナイ人たちによって不運に見舞われた人たちの数の多さを。この人たちはみな、あの連中に対して何の過ちも犯していないにかかわらず、最も血の濃い身内を奪われ、身内の者たちを愛すれば愛するほど、それだけますますアテナイ人たちを憎むべき負い目を持っているのである。 第29章 [1]だから、どうして奇妙でないことがあろうか、シュラクウサイ人諸君、――命終した者たちは、わたしたちのためにすすんで死を選んだのに、わたしたちはその人たちのために最も憎むべき敵に報復さえしないどころか、共同体の自由のために個人として生を消尽した人たちを称揚しはするが、その人たちの名誉よりは、人殺しどもの救済の方をこそ重視するということが? [2]往生した人たちの墓を公費で荘厳することを諸君は決議した。いったい、あの人たち〔を亡き者にした〕下手人どもを懲らしめるより以上に美しいどんな荘厳を諸君は見つけだせるというのか? ゼウスにかけて、往生した人たちの入魂の勝利牌をなおざりにして、やつらを市民登録者とするというのなら話は別だが。[3]いや、やつらは敵という名称を改めて、嘆願者になりはてたという。いつから、やつらに対してそんな人道的扱いが合意されたというのか? そもそも、こういうことに関する掟を最初に定めた人たちは、逆境にある者たちには憐れみを、しかし、邪悪さにゆえに不正する者たちには報復を定めたのである。[4]はたして、われわれは捕虜をどちらの側に置くのか? 不運に遭遇した者たちの側にか? いったい、どんな運命が彼らを強制して、先に不正されたわけでもないのに、シュラクウサイ人たちに戦争を仕掛け、万人から称揚される和平を破棄して、諸君の都市の打倒を目的に来着させたというのか? [5]だからこそ、やつらは不正な戦争をみずからすすんで選び取ったのだから、その恐るべき結果にも敢然と服さしめ、そうして、〔やつらが〕勝利者となったあかつきには、やつらは諸君に対する無慈悲な野蛮さを示したことであろうが、実際にはつまずいたからには、嘆願に対する人道的扱いによって報復を差し控えるようなことがあってはならない。[6]つまり、邪悪さや強欲さによってこういう敗者の境遇に陥った連中が吟味される場合には、運命を誹謗させてはならず、まして、嘆願という名で呼ばれてもいけない。なぜなら、その名は、人間のもとでは、魂の清浄な、しかし運命につれなくされた者たちのためにとっておかれるものだからである。[7]しかるに、件の連中は、ありとあらゆる不正行為に人生を満たされているのであって、やつらには憐れみや庇護に与れるいかなる余地も残されてはいないのである。 第30章 [1]いったい、破廉恥きわまりないことで、やつらの企まなかったことが何かあろうか、このうえなく恐るべきことで、やつらの実行しなかったことが何かあろうか? 強欲の特質とは、個人的な善運に満足せずに、遠くにある、〔自分に〕何の資格も有さぬことを欲求することである。こいつらはそれを実行した。というのは、ヘラス人たちの中で幸福きわまりない者でありながら、あたかも重荷であるかのように、その善運を維持しようとはせず、これほど遠く海に隔てられたシケリアを植民化して、住民を奴隷人足に売りはらおうとしたのである。[2]先に不正されたわけではないのに戦争を仕掛けるのは、恐るべきことである。しかるに、こいつらはそれをしでかした。というのは、それまでは友邦であったのに、突如、思いがけず、これほどの軍勢でもって、シュラクウサイ人たちを攻囲したのである。[3]いまだ制覇されたわけでもない人たちの運命を先取りして、その報復を決議するとは傲慢不遜な連中のやることである。これをもやつらはし残しはしなかった。というのは、シケリア上陸の前に、シュラクウサイ人たちならびにセリヌウス人たちは奴隷人足に売り払い、残りの住民たちには貢納を差し出すよう強制するという案を決定したのである。かくのごとく、同一人物に強欲、策謀、傲慢不遜さが具備している場合、心ある人にして誰が、こいつらを憐れむことができようか? [4]というのは、一体全体、アテナイ人たちはミテュレネ人たちをどう扱ったか? すなわち、彼らは何も不正しようと企んだわけではなく、自由を欲しただけなのに、これを制圧して、国中の人たちを殺戮することを決議したのである。[5]その行為は野蛮にして蕃族のやることである。しかも、ヘラス人たちに対して、同盟者たちに対して、何度も善行者となった人たちに対して、過ちを犯したのである。だから今、他の人たちに対してそういったことをしでかしながら、自分たちは相応の報復を身に受けるからといって、不平を言わせてはならない。なぜなら、最も義しいのは、他者に対して定めたと同じ法を適用することに不平を言わないことだからである。[6]また、メロス人たちのことを何と言おう、――やつらが攻め落とし、兵役年齢以上を殺害したその相手を? またスキオナイ人たちを、――〔アテナイ人たちの〕同族でありながら、メロス人たちと同じ運命を共有した人たちのことを? 要するに、これら二つの民衆は、アッティカの怒りに触れたために、命終した人たちの死体を弔う者たちさえ持てなかったのである。[7]これを実行したのはスキュタイ人たちではなく、人道的な振る舞いを装った民衆である。諸都市を徹底的に殲滅することを決議したのは。もはや類推できよう、シュラクウサイ人たちの都市を劫掠した場合に、やつらが何をするであろうかは? なぜなら、親しい者たちをかくも野蛮に扱う連中は、何の血のつながりもない相手にはもっと重い報復手段を見つけだすであろうから。 |