第81章-90章
第91章 [1]さて、イミルカスはこの都市を8ヶ月間攻囲し、冬至の少し前にこれをわがものにしたが、すぐには徹底破壊しなかったのは、軍勢が家屋の中で冬越しできるためである。他方、アクラガスの災禍が知れ渡ると、この島に恐怖が取りついたあまりに、シケリア人たちのある者はシュラクウサイへ移住し、ある者はイタリアへ生子や女やその他の所有物を送り出したほどである。[2]虜囚を逃れたアクラガス人たちはといえば、シュラクウサイに到着すると、将軍団を告発した。祖国が滅びたのは彼らの裏切りのせいだと称してである。さらには、その他のシケリア人たちからも、シュラクウサイ人たちは非難を受けることになった。シケリア全島が破滅の危険に瀕する起因をなしたような連中を、指導者として選んだという理由である。[3]しかしながら、シュラクウサイで民会が開催され、大きな恐怖が身に迫っているにもかかわらず、誰ひとり戦争についてあえて進言しようとする者がいなかった。こうしてみなが行き詰まっているとき、ヘルモクラテスの子ディオニュシオスが進み出て、カルケドン人たちに事態を売り渡したとして将軍団を告発し、彼らへの加罰の方へと大衆の憤激を煽り、法習に則っての手続きを躊躇すべからず、むしろ、これからただちに裁きに付すべしと呼びかけた。[4]そこで執政官たちが、法習に則って、騒ぎを起こした廉でディオニュシオスに罰金を科したところ、ピリストス――後に『〔シケリアの〕歴史』の編纂者で、莫大な家産を有していた――が、その罰金を支払い、ディオニュシオスには、目論見をみな発言するよう頼んだ。そして、彼らが罰金を科すつもりなら、その金を一日中、彼のために払ってやると言いつのったので、それからは大胆になって、大衆を扇動して、民会を騒ぎに巻き込み、将軍団を非難した。金品に説得されて、アクラガス人たちの救済をなおざりにしたと言って。さらには、その他の名だたる市民たちをもいっしょに告発し、彼らは寡頭制の親派であると挑発した。[5]こういう次第で、彼が進言したのは、将軍には最も有力な者たちではなく、最も好感のもてる者たちやむしろ民衆派の者たちを選ぶこと、であった。なぜなら、やつらは主人風を吹かせて市民たちを支配して多衆を軽蔑している、そうして、祖国の災禍を個人的な儲けと考えている、これに反してより普通の者たちは、そういったことは何ひとつしない、自分たちの弱さを知っているからである、と。 第92章 [1]こうして、万事、聴衆の目論見と自分の企みとに合わせて大衆演説をして、彼は民会出席者の激情を並々ならずかき立てた。というのは、民衆は、戦争の指導ぶりが悪いと思われる理由で前々から将軍団を憎んでいたのに、このとき言葉で刺激されたので、即決、一部をその職から罷免し、他の者たちを将軍に選んだが、この中にディオニュシオスも含まれていた。彼はカルケドン人たちとの戦争のさいに、男らしさの点で抜きんでていたように思われており、シュラクウサイ人たちの間で注目されていたのである。[2]こういう次第で、彼は希望に陶酔して、祖国の僭主になることを目標に万事画策し始めた。例えば、権職を引き継いだ後、将軍たちと同席することもせず、交際することも全くなかった。こういうことをする一方で、彼らは敵と通じているとの噂を広めた。こうしていちばんに望んだことは、彼らからは権利を剥奪し、自分にだけ将軍職が転がり込むであった。[3]市民たちの中の最も優美な人たちは事態を憂慮し、あらゆる集まりの機会をとらえて、彼をそしった。が、民衆の群衆は、企みには気づかず、国はやっとのことで確実な指導者を見つけだしたと称讃し主張していた。[4]とはいえ、戦争準備についてしばしば民会が召集され、シュラクウサイ人たちが戦争の恐怖に打ちのめされているのを目の当たりにして、彼は亡命者たちを帰還させるよう進言した。イタリアやペロポンネソスといった、異人たちのところからは救援を呼び寄せながら、自国の危難に市民たちをいっしょに受け容れるのを望まないというのは、奇妙なことである――〔その市民たちとは〕敵たちが、従軍するならと、多大な贈り物を約束しているにもかかわらず、祖国に対して何かよそよそしいことを企むぐらいなら、むしろ異国の地にとらわれて死ぬ心づもりをしている人たちである。[6]というのも、彼らは国の過去の党争のせいで亡命者となっているのであって、少なくとも今、この善行を受けたら、よくしてくれた相手に謝礼をしようと、熱心に戦うであろうから、というのである。この提案に対しては、現状に即した多くの議論がなされたが、彼はシュラクウサイ人たちの可決を勝ち取った。というのは、同僚執政官たちの誰ひとり敢えてこれに反対する者もいなかったからである。大衆の怒りゆえに、また、自分には敵意が降りかかるのに、彼には、善行を受けた連中からの感謝が降りかかるのを目の当たりしたゆえに。[7]ところで、ディオニュシオスがこういうことを実行したのは、亡命者たちを私物化したいと望んだためである――変革を欲する者たち、僭主制の樹立に好意的な連中をである。というのは、彼らは仇敵の殺害者たち、〔仇敵の〕財産の没収者たち、自分たちの財産を返還してくれるのを悦んで見ている用意があった。こうして、結局、亡命者たちに関する議案が可決されるや、すぐにこの連中が祖国に帰還したのである。 第93章 [1]こうして、ゲラから、もっと多くの将兵たちを急派してくれるよう文書が届けられたとき、ディオニュシオスは自分の目論見にかなった手段を手に入れた。すなわち、陸兵2000、騎兵400の将兵とを帯同して急派されるや、ゲラの都市に急行した。このとき、この都市を守備していたのはラケダイモン人デクシッポスで、シュラクウサイ人たちに問責されていた。そこでディオニュシオスは、最富裕階級が民衆と党争しているのをとらえて、前者を民会で告発し、有罪判決を下し、これを死刑にし、その家産を没収、その金品の中から、都市を守備している者たち――これを嚮導していたのがデクシッポスである――には滞納していた報酬を支払った。他方、自分といっしょにシュラクウサイからやって来た者たちには、報酬を国が定めた額の2倍にすると公約した。[3]こういうやり方で、ゲラの将兵たちや麾下の者たちを、好意によって私物にこしらえあげていった。さらには、ゲラの民衆によっても、自分たちの自由の起因となった者として称讃された。というのは、〔民衆は〕最有力者たちを妬んでいたのだが、自分たちの主人としての彼らの優位を、自分たちで奪回したからである。こういうわけで、称讃の使節団をシュラクウサイに派遣し、また、〔この使節団に〕決議を持たせたが、そこには大きな恩典でもって彼の栄誉をたたえていた。他方、ディオニュシオスは、自分の企みに共同するようデクシッポスを説得しようと企てた。が、結託しようとしなかったので、私物化した将兵たちを帯同してシュラクウサイに引き揚げるつもりでいた。しかしゲラ人たちが、カルケドン勢が全軍を帯同して真っ先にゲラに出征しようとしているのを伝え聞いて、ディオニュシオスに駐留するよう、自分たちがアクラガス人たちと同じ目に遭うのを見過ごしにしないよう要請した。この者たちに、ディオニュシオスはもっと多くの軍勢を帯同して急行してくると公約した上で、自分の将兵たちを帯同してゲラを進発した。 第94章 [1]シュラクウサイでは、観劇があり、劇場から出てきた人たちが立ち去ろうとしていたちょうどその時に、〔ディオニュシオスは〕国に着いた。そこで群衆が彼の方に駆け寄り、カルケドン勢について尋ねようとすると、あなたがたは知らないのだ、と彼が言った、外部の者たちよりも、共同体内部の指導者たちを最も敵対的な者として持っているということを。市民たちはこの連中に信を置いて崇めまつっているが、連中は公金を掠めて、将兵たちを無報酬のままにしてきた、そして、敵は戦備を前代未聞の規模にして、シュラクウサイに向けて軍を引率しようとしているのに、こういったことには何ひとつ意を用いない連中を、と。[2]いかなる理由でこういったことをするのか、以前からも知っていたが、今にしてもっとはっきりわかった、と。というのは、イミルコンが自分のところに伝令官を寄越した、捕虜のためというのは口実で、呼びかけてきたのだ――〔自分=イミルコンは、ディオニュシオスの〕同僚指揮官の多くを、事態に干渉しないようにさせることに成功してきたが、〔おまえ=ディオニュシオスは〕共犯者になる目論見を持たないからには、少なくとも逆らうことだけはしないでくれ、と。[3]だから、もはや将軍職にとどまることは望まず、この職を辞してここにいる、と。なぜなら、耐え難いことだからだ、他の者たちが祖国を売っているのに、自分ひとりが市民たちと危険を冒し、同時にまた〔後世になって〕売国に連座していたと思われるのは、と。[4]〔大衆は〕この話に刺激され、この言葉は軍中に広まったが、その時は各人ひとりひとり不安に駆られながら家に帰った。そして翌日、民会が召集され、ここで指揮官たちを長々と告発して、並々ならぬ好評を博する一方、民衆を将軍団弾劾に刺激した。[5]最後には、出席者の何人かが、叫んだ――彼を全権将軍に据えるべし、敵が城壁に突入してくる時まで待っているべきではない。なぜなら、戦争の大きさが、事態にじゅうぶん融通の利くような、こういう将軍を必要としているのだから。しかし、売国者たちの件は別の民会で評議すべし。現時点にそぐわないから。以前にも、カルケドンの30万の軍勢にヒメラ近辺で勝利したゲロンも全権将軍だった、と。 第95章 [1]こうして多衆は、いつものことながら、すぐにより悪い方へ傾いたので、ディオニュシオスは全権将軍と宣言された。こうして事態は彼の思い通りに運んだので、報酬は2倍たるとの議案を起草した。なぜなら、と彼は主張した、これが成立すれば、全員が戦いにもっと熱心になるであろうし、金銭のことは、と彼は呼びかけた、何も憂慮することはない。これを調達法は簡単であろうから、と。 [2]こうして民会は閉会したが、シュラクウサイ人たちの少なからざる人たちが、あたかも、それを可決したのは自分たちではないかのように、なされたことを告発した。なぜなら、彼らは我に返って、思慮を働かせてみて、将来の専制を見通したからである。つまりは、これらの人たちは、自由を確実なものにしたいと望んで、我知らず祖国の主人を任命したのである。[3]対してディオニュシオスの方は、群衆の心変わりの機先を制したいと望んで、わが身の守護を頼める手段を探し求めていた。これが同意されることで、僭主制を易々とわがものにしようとしたのである。そこですぐに下知をまわした。40歳までの兵役年齢にある者たちは全員、30日分の糧秣を持して、武装してレオンティノイに出頭すべし、と。この都市は、当時、シュラクウサイの前哨で、亡命者たちや外国人たちに満ちあふれていた。というのは、変革を欲しているこの連中を味方として持ち、しかしシュラクウサイの大多数はレオンティノイにやって来ようともしないだろうと彼は予想していたのである。[4]そうは言いながら、夜、地方で宿営しているときに、策謀されたふりをして、私的な家僕たちに悲鳴と騒ぎを起こさせた。こうしておいてから、アクロポリスに逃げ込み、火を点じ、将兵たちの中の最も気心の知れた者たちを呼び寄せて、夜明かしをした。[5]そして夜明けと同時に、レオンティノイに大衆が集結させられると、策謀の根拠について長々と証拠立てて述べたて、将兵600――誰でも彼の目論んでいる者――を、彼の親衛隊として与えるよう群衆を説得した。ディオニュシオスがこんなことをしたのは、アテナイ人ペイシストラトスを真似たからだと言われている。というのも、彼〔ペイシストラトス〕は、言い伝えでは、自分で自分を傷つけて、民会に進み出て、策謀されたと称し、これによって市民たちから親衛隊を勝ち取り、これを使って僭主制を手に入れたというのである。このときもディオニュシオスは似たような手段で大衆を騙して僭主体制を実現した。 第96章 [1]すなわち、金銭の欠乏した、しかし魂は向こう見ずな連中――1000人以上――をすぐに選抜し、高価な武器で武装させるとともに、大きな公約で陶酔させ、傭兵たちを召集し、親愛に満ちた言葉を使って私兵にこしらえあげた。さらには、部署を変更して、最も信頼に足る者たちに嚮導権を引き渡し、ラケダイモン人デクシッポスは解任してヘラスに追い払った。この人物は、好機をとらえて、シュラクウサイ人たちのために自由を奪還するのではないかと邪推したからである。[2]さらまた、ゲラの傭兵たちも呼び寄せ、至るところから亡命者たちや涜神者たちを寄せ集め、これらの連中によって、僭主制が確実この上なく見守られることを期待した。それどころか、シュラクウサイにやってきて、軍港に陣幕を張り、公然とみずからを僭主と宣明した。シュラクウサイ人たちは憤慨したが、おとなしくせざるを得なかった。もはや何も手出しできなかったからである。というのは、都市は外国兵の大楯に充満しているばかりか、圧倒的な軍勢を擁したカルケドン勢を恐れたからである。[3]こうしてディオニュシオスは、すぐに、アテナイに戦勝したヘルモクラテスの娘と結婚し、自分の妹を、ヘルモクラテスの妻の兄弟に与えた。こんなことをしたのは、名だたる家系を姻戚に加え、僭主制を確実にするためであった。そして、この後、民会を召集し、自分の反対者のうち最も有力な者たち――ダプナイオスとデマルコス――を抹殺した。[4]こうしてディオニュシオスは、一介の記録係、つまり、普通の私人から、ヘラス諸都市中最大の都市の僭主に成り上がった。そして、命終するまで専制を維持し続けたのである。40年に残すところ2年の間僭主支配して〔在位、前405-367年〕。しかし、彼の活動と支配の拡大との詳細は、それぞれの時代に詳述しよう。なぜなら、この人物は、歴史上最大の僭主制、しかも、最も長期の僭主制を、自力で獲得したと思われるからである。 [5]他方、カルケドン人たちの方は、都市〔アクラガス〕の陥落後〔18章3、34章4に続く〕、奉納物や人像やその他最も高価なものはカルケドンに移送し、神殿は焼き払い都市を掠奪しながら、その地で冬越しをした。そして春の季節に、あらゆる種類の兵器や飛び道具を装備すると、先ず、ゲラの都市を攻囲することを計画した。 第97章 [1]こういったことが行われているとき、〔79章に続く〕アテナイ人たちは次々と劣敗の憂き目に見舞われたので、寄留民たちや、その他の外国人たちで、ともに闘うことを望む者たちを市民となした。すぐに多くの大衆が市民登録したので、将軍たちは出征に都合のよい者たちを兵籍登録した。そして艦船60艘を準備し、これを金を注ぎ込んで整備してサモスに出航し、ここで他の将軍たちがよその島嶼から三段櫂船80艘を集結させていたのに出くわした。[2]そこでさらにサモス人たちに三段櫂船10艘を追加艤装するよう要求し、全部で150艘になった艦船で船出し、アルギヌウサイ諸島に寄港した。ミテュレネの攻囲の解体を急いでいたのである。[3]他方、ラケダイモンの艦隊指揮官カリクラティダスは、艦船の寄港を伝え聞いて、攻囲のためには陸軍とともにエテオニコスを残し、自分は140艘を艤装して急ぎアルギヌウサイ〔諸島〕の別の海域に船出した。これらの島嶼は、当時、人が住み、アイオリス人の小都市もあって、ミテュレネとキュメの中間に位置し、対岸本土とカニス岬とほんのわずか離れているだけであった。[4]アテナイ人たちの方は、遠からぬところに投錨していたので、敵の寄港をすぐに知ったが、風の大きさのために海戦することは断念し、次の日に海戦のための行動を心づもりし、ラケダイモン勢も同じことをしていたが、それは両軍ともに占卜者たちが禁じたからである。[5]すなわち、ラケダイモン勢にとっては、浅瀬にあった犠牲の首が、波が打つ寄せたとき、消えてなくなった。そのため占卜者は、海戦すれば艦隊指揮官が最期を遂げるからと禁止した。この言辞に、カリクラティダスは言ったという――戦闘で最期を遂げても、スパルタをより不面目にさせることは何もない、と。[6]他方、アテナイの将軍トラシュブウロスの方は、この日、嚮導の役を受け持っていたが、夜、次のような夢を見た。アテナイに劇場が多数あり、自分と他の将軍たち6人とは、エウリピデスの悲劇『ポイニキアの女たち』を演じていたように思われた。これに対し、競争相手たちは『嘆願者たち』を演じたが、自分たちにカドメイアの勝利がもたらされたように思われた、そして、テバイ攻撃に向かった将軍たちの行動を真似て全員が死んだように思われた、と。これを聞いて占卜者は、将軍たち7人が殲滅されると言うことだと解き明かした。しかし、やがて卜兆が勝利〔の予兆〕をもたらしたので、将軍たちは自分たちの破滅については他言を禁じ、犠牲祭の勝利についてだけ全軍に伝達した。 第98章 [1]対して、艦隊指揮官のカリクラティダスの方は、大衆を召集し、ふさわしい言葉で激励した後、最後をこう結んだ。祖国のために危険を冒すことを私自身は欲するのあまり、犠牲祭によってわれわれには勝利が、わたしには死が予兆されていると占卜者が言ったが、わたしは死ぬ心づもりをしているほどである。そこで、嚮導者たちの死んだ後、軍陣が騒動に陥るのは見えているから、わたしが何らかの目に遭った場合のために、今、艦隊指揮官に後任としてクレアルコスを指名しておこう――戦争の作戦行動の試練をくぐり抜けてきた人物を。[2]カリクラティダスはこういうことを言って、少なからざる人々に、彼の勇徳を羨ましがらせ、戦闘へとより熱心にならせた。そして、ラケダイモン人たちはお互いに督励しあいながら、艦船に乗船したのである。対してアテナイ人たちの方は、闘いへと将軍たちに督励されながら、急ぎ三段櫂船を艤装して、全員が持ち場についた。[3]かくて右翼を嚮導したのは、トラシュロスとペリクレス――その権勢のゆえに「オリュムポスの」と添え名されたあのペリクレスの子――であった。また〔彼は〕テラメネスをも右翼に帯同して嚮導の任に配属した。この人物は、このときは私人として従軍していたが、それまでもしばしば軍勢を嚮導したことがあったのである。そして、その他の将軍たちは、密集隊全体に配置し、アルギヌウサイと呼ばれる諸島を戦列で取り囲んだ。ひたすら艦船をできる限り長く伸ばそうとして。[4]対してカリクラティダスは、右翼は自分が受け持って船出したが、左翼はボイオティア人たち――これの嚮導権を執ったのはテバイ人トラソンダスであった――にまかせた。けれども、諸島が広い範囲を占めていたために、戦列を敵勢と等しくすることができず、軍勢を分けて、艦隊を二つにして、2箇所でそれぞれの部分と闘い続けることにした。[5]こうして、見る者たちに非常な驚愕をもたらしたのは、四つの艦隊が海戦をすることになり、その艦船が一か所に集結したとき、300艘を下らぬ多さになったことであった。これが、すなわち、ヘラス人たちに対するヘラス人たちの最大の海戦として記憶されることになったものである。 第99章 [1]すなわち、艦隊指揮官たちが喇叭手たちに合図するよう下知するやいなや、両軍の大衆は交互に雄叫びをあげ、ものすごい叫喚をなした。そして全員が急ぎ荒海を馳せ、お互いに功名心を競い合った。ひたすら、おのおのが真っ先に戦闘を開始せんとして。[2]というのは、大多数の者たちが、この〔ペロポンネソス〕戦争が長引いたために、危険の経験者であったし、最強の者たちが、存亡をかけての戦闘のために集結していたので、比類のない真剣さを発揮しようとしていた。すなわち、この闘いの勝利者たちがこの戦争を終結させられると、皆がみな受けとめていたのである。[3]とりわけ、カリクラティダスは、占卜者から自分の身に起こるはずの最期を耳にしていたので、ひたすら自分にとってめざましい死を成就しようとしていた。それゆえ、真っ先に将軍リュシアスの艦船めがけて攻めかかり、いっしょに航行していた三段櫂船もろとも、一撃で破損させ、撃沈させた。その他の艦船のうちあるものは、衝角攻撃で航行不能にさせ、あるものからは櫂列を撫で切りにして、戦闘に役立たずになり果てさせた。[4]最後には、ペリクレスの三段櫂船にもっと強烈な衝角攻撃を見舞い、三段櫂船の〔船体の〕広い範囲に風穴をあけたものの、その口の割れ目に食い込んだために、自分たちの方が漕ぎもどすことができなかったのを、ペリクレスはカリクラティダスの船に「鉄の手」を投げつけ、それが引っかかるや、アテナイ人たちはその艦船を取り囲んで乗り移り、殺到してその艦船搭乗員全員を殺戮した。[5]じつにこのときだと言い伝えられている――カリクラティダスが華々しく闘い、長時間持ちこたえて、最後に、大衆に四方八方から傷つけられて消尽したのは。かくて、艦隊指揮官の敗北がはっきりしたものになると、ペロポンネソス勢は恐れから崩れることになった。しかし、ペロポンネソス勢の右翼は敗走したものの、残り〔左翼〕を受け持っていたボイオティア勢は、しばらくは頑強に闘って持ちこたえていた。なぜなら、自分たちや、ともに危険に挺身しているエウボイア人たち、つまりは、アテナイに離反した全員は、アテナイ人たちが支配権を取り戻したら、離反のゆえをもって自分たちに報復してくるのではないかと用心したのである。しかし、大多数の艦船が傷つき、勝利者たちの多数が自分たちの方に向きを変えたのを眼にしては、敗走せざるを得なかった。こうして、ペロポンネソス勢の一部はキオス(Chios)に、一部はキュメに無事逃れて助かった。 第100章 [1]他方、アテナイ人たちが敗北者たちをたっぷり追撃しているとき、近くの海域はすべて屍体や船の残骸に満たされていた。その後、将軍たちの一部は、最期を遂げた者たちを回収しなければならないと思った。アテナイ人たちは最期を遂げた者たちを埋葬しないまま見過ごすことに腹を立てるからである。しかし一部〔の将軍たち〕は、ミテュレネに航行し、できるかぎり速やかに攻囲を解体すべきだと主張した。[2]しかし、大嵐が突発したために、三段櫂船は揺れに揺れ、将兵たちも、戦いの悲惨と波浪の大きさのために、屍体の回収に反対した。[3]結局は、嵐が強まったために、ミテュレネに航行することも、最期を遂げた者たちを回収することもできず、風に強いられてアルギヌウサイへと寄港した。こうして、この海戦で失われたのは、アテナイは艦船25と、これの搭乗員の大多数、ペロポンネソス勢は、70に加える7艘であった。[7]そのため、これだけの艦船とこれの搭乗員が失われたために、キュメとポカイアの海岸地帯は屍体と船の残骸に満ち満ちた。他方、ミテュレネを攻囲していたエテオニコスは、ペロポンネソス勢敗北をある者から伝え聞き、艦船はキオス(Chios)に派遣し、陸軍は自分が引き連れて、ピュッラ〔レスボス島エウリポス〕の都市――同盟国である――に撤退した。なぜなら、アテナイ勢が艦隊で自分たちに向かって航行してきて、都市から撃って出ては、軍全体を失う危険を冒すことになるのではないかと恐れたからである。[6]しかし、アテナイの将軍たちはミテュレネに航行して、コノンを40艘の艦船とともに加えてサモスに寄港し、ここに投錨して敵の領土を破壊した。[7]その後、アイオリス、イオニア、および、ラケダイモンの同盟諸邦である島嶼の人たちがエペソスに寄り合い、自分たちで評議して、スパルタに急派すること、そして、リュサンドロスを艦隊指揮官として懇請することが決定された。というのは、このリュサンドロスは、艦隊指揮官職にあるときに、多くのことを立て直してきたのみならず、将軍として余人に抜きんでていると思われていたからである。[8]しかし、ラケダイモン人たちは、同一人物を二度派遣しないという法をもっており、父祖伝来のこの習慣を解体することを拒み、艦隊指揮官にはアラコスを選び、リュサンドロスは彼からみて私人として、いっしょに派遣することにし、万事につけこの人物のいうことに耳を傾けるよう言いつけた。これら両人は嚮導の任務にペロポンネソスから送り出されるや、三段櫂船を同盟者たちから可能なかぎり多数かき集めた。 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