第101章-110章
第111章 [1]その後で、友たちの会合を召集して戦闘について評議した。しかし、存亡をかけて決戦するには場所が不都合だと皆がみな言うので、夕刻、翌朝の屍体の収容に関して伝令使を急派した。そして都市の群衆は、第1夜警時のころ送り出し、自分は真夜中ごろ進発した。裸兵およそ2000を残置してである。[2]この者たちには、夜通し火を燃やすよう、そして、都市内にとどまっているかのようにカルケドン人たちに思わせるために騒ぎ声をあげるよう下知されていた。こうして、この者たちは、日がすでにさしはじめるころ、ディオニュシオス隊のもとに進発し、対してカルケドン勢が、何が起こったかに感づいて、都市に陣を移して家屋に取り残されたものを掠奪しまわった。[3]他方、ディオニュシオスの方は、カマリナに到着すると、そこの者たちを生子や女たちともどもシュラクウサイへと退去させた。しかし、恐怖が何らの猶予も与えなかったので、ある人たちは銀や金や、容易に運び得るものを荷造りし、ある人たちは両親と幼い生子を連れて逃げ、財産は何ひとつ顧みなかった。またある人たちは、すでに老齢の人たちや病気の重篤な人たちは、親類や友もないために放置された。カルケドン人たちがすぐそこまで来ていると想像したからである。というのは、セリヌウスやヒメラや、さらにはアクラガスに降りかかった災禍が、人々を驚倒させ、万人がカルケドンの恐ろしさをまさしく肉眼でとらえた。というのは、捕らえられた者たちが彼らの間にはふんだんにいて、不運に遭遇したこの者たちのうち、何の同情心もなく、ある者たちは磔にし、ある者たちには堪えがたい暴虐を働いたのである。[5]それどころか、二つの都市が放逐されたために、領土は女たちや子どもたちやその他の群衆に満ちた。これを目の当たりにして将兵たちは、一方ではディオニュシオスに対する怒りを持ち、他方では無産者たちの運命を憐れんだ。[6]なぜなら、自由人の子どもたちや適齢期の乙女たちが、その年齢にふさわしくなく、でたらめに道を進んでいるのを眼にして、その気高さや他者に対する敬意を危機が奪っていたからである。同様にまた、老年者たちにも彼らは憐憫した。自然に反して、盛りにある者たちと同時に急かされているのに目を留めたからである。 第112章 [1]こういう事情で、ディオニュシオスに対する憎悪が燃え上がった。というのも、彼がこんなことをしたのは作為的であって、カルケドンの恐怖を利用して他の諸都市を安全に権力下に置くためだと彼らは受けとめた。[2]というのは、彼らは列挙したのである――〔ゲラに対する〕救援の遅れ、傭兵たちのうち一人として斃れた者がいないこと、何ひとつ強烈な突撃も喰らっていないにもかかわらずわけもなく敗走したこと、しかし、最も重要なのは、敵の誰ひとり追跡しなかったこと、を。いずれにせよ、かねてから造反の好機をとらえたいと欲していた者たちにとっては、あたかも神々のご意向のごとく、万事が専制解体に奉仕していたのである。[3]かくして、イタリア人たちは彼を置き去りにして、島中央部を通って家郷へと行軍し、シュラクウサイの騎兵たちは、初めは、途中でこの僭主を抹殺できるならばと狙っていたが、傭兵たちが彼を見捨てないのを見て、いっせいにシュラクウサイへと騎し去った。[4]そうして、船渠で〔守備していた〕者たちが、ゲラでのことを何も知らないのをとらえて、何の妨害もなしに押し入り、ディオニュシオスの邸宅――銀や金やその他あらゆる高価さに満たされていた――を掠奪し、その妻を捕らえて、この僭主でさえ確実に怒りに駆られるような、それほど酷い目に遭わせた。彼女に対する報復が最大であれば、〔僭主が自分たちを〕攻撃するさいに、お互いどうしに対する共同の保証になると信じたからである。[5]対して、ディオニュシオスの方は、行軍の途上、何が起こったかを察し、騎兵たちと陸兵たちの中で最も信頼に足る者たちを選抜し、これを帯同して、余すところなき全速力で都市へと急行した。急がなければ、他に騎兵たちを制圧できる可能性はないと思量したからである。彼はこれを実行した。あの連中の予想に反して到達を実現できれば、策謀を制すること容易だと予想したからである。まさにそのとおりのことが起こった。すなわち、騎兵たちは、ディオニュシオスはまだやっても来ないだろうし、陣にとどまってもいないだろうと受けとめていたのである。そのため、策謀はもはやものにしたと信じて、彼らは主張した――彼は、ゲラから逃げ出したのはポイニキア勢であるかのようなふりをしたが、今ごろ、真実には、逃げ出したのはシュラクウサイ勢だったのだ、と。 第113章 [1]しかし、ディオニュシオスはおよそ400スタディオンを走破して、真夜中ごろ、アクラディネ門に、騎兵100と陸兵600とともに到達した。ここが閉められているのに遭遇して、湿地から運んできた葦――シュラクウサイ人たちが漆喰の接合にいつも使うやつ――を積み上げた。そして門が焼け落ちるまでの間に、遅参者たちを加えて編入した。[2]こうして火が門を焼くつくすや、この男は追随者たちを帯同してアクラディネ門を通って押し入り、騎兵のうちで最も影響力の強い者たちは、何が起こったかを耳にしたものの、たいていは踏みとどまることをせず、ごくごく少数の者(市場周辺にいた)だけがすぐに救援に駆けつけたが、全員が傭兵たちに取り囲まれ、投げ槍で撃ち倒された。[3]ディオニュシオスの方は、都市を巡回して、散発的に救援せんとする連中を殲滅するとともに、不審な連中の家宅に踏み込んで、そのある者は殺害し、ある者は都市から放逐した。しかし、残りの多数の騎兵は都市から脱出して、今でいうアイトネを占拠した。[4]かくして夜明けと同時に、多数の傭兵たちとシケリア勢の軍隊がシュラクウサイに帰り着いたが、ゲラ人たちとカマリナ人たちとは、デュオニュシオスと不仲となったので、レオンティノイに立ち去っていった。 第114章 [1]〔……欠損。おそらくは、疫病がカルタゴ陣に蔓延し、大打撃を与えたことが記されていたと考えられる。〕そのため、かかる事態にやむを得ず、イミルカスはシュラクウサイに伝令使を派遣し、敗北者として休戦を呼びかけた。そこでディオニュシオスは悦んで聞き入れ、以下の条件で和平を締結した。すなわち、初めからの植民市とともに、エリュミアおよびシカニアはカルケドンのものたること、セリヌウス人たちとアクラガス人たち、なおその上にヒメラ人たち、これらに加えてゲラ人たちならびにカマリナ人たちは城壁なき都市に居住してもよいが、カルケドンに貢納を納めること、さらに、レオンティノイ、メッセニア、シケリアは、みな自治独立たること、シュラクウサイはディオニュシオスに治められ、捕虜ならびに艦船は、これを保有する者たちが、これを失った者たちに返還すること。[2]こういった約定が取り交わされて、カルケドン勢はリビアに出航したが、将兵たちの半分以上を病気によって失った。しかも、リビアでもこれに劣らず疫病が続いたため、カルケドン人たち自身のみならず、さらには同盟者たちのおびただしい数が破滅したのであった。 [3]さて、わたしたちは戦争――ヘラスではペロポンネソス戦争の、シケリアではカルケドンとディオニュシオスとの最初に起こった戦争の――終わりに到達したことで、課題〔第1章3節〕は達成されたから、続きの事跡は次の巻に編纂すべきと考える。 1999.8.29. 訳了 |