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Dionysios
of
Halicarnassos



Lysias

(3/7)




[11]
 したがって、このような能力を、それがはたして何であるか、言葉によって教えられることを願う人がいるなら、その人は他にも多くの美しい事柄――言葉で説明を求めても、いわく言いがたい事柄――についても、すぐさま説明を求めようとするにちがいない。言うところの意味は、身体の美しい人々については、いったい、われわれが盛りと呼ぶところのもの、これは何ぞや、また、律動の動きや声調の組み合わせについては、調子の良さと言われるものは何か、また、音節の割合については、配列とは何であり、律動のよさとは何であるのか、――要するに、ありとあらゆる働きと事柄について、言われるところの適宜(kairos)とは何であり、程よさはいずれにあるのか。つまり、これらの各々が理解されるのは、感覚によってであって、言葉によってではないのである。したがって、まさしく音楽家たちが弟子たちに勧めて、厳密に調べ(harmonia)を聞き取るよう、そうして、中間の音程に極微の半音さえ識別せざるところなきよう、聴覚を慣らし、これ以外には、これ以上に厳密な規準として他に何も求めないように、という所以、――この点を私もリュシアスの読者たちに――つまり、彼における魅力とは何かを学びたいと望んでいる人たちに修練するよう勧めたい。つまり、多大な時間と長い研究と言葉なき感情とによって、言葉なき感覚を訓練するようにということである。ところで、これ〔魅力〕こそはリュシアスの修辞法の最も重要な、最も特徴的な卓越性だと私としては規定するのである。それを自然の賜と呼ぶべきにしろ、労苦と技術との結実であると呼ぶべきにしろ、その両方の融合による情態ないしは能力と呼ぶべきにしろ。これ〔魅力さ〕の点で彼は残りの弁論家たちすべてを凌駕しているのである。だから、彼に帰せられる弁論のどれかに行き詰まり果てて、他の例証によっては真実を見出すのが私にとって容易ならざる時はいつも、私はこの卓越性を極めつけの一票として助けを求めるのである。そうして、修辞法の諸々の魅力が文章を飾りたてているように私に思われるなら、これをリュシアスの魂の作品と私は規定し、これ以上に考察すべきことは何もないと私は主張するのである。これに反して、快適さを何一つもたず、麗しさ(aphrodite)さえもその修辞法の特徴がもっていない場合は、私はがっかりし、絶対リュシアスの弁論ではあるまいと懐疑し、それ以上はもはや言葉なき感覚を強制しない。他の点ではきわめて恐るべき〔堪能な〕もの、出来映えはすばらしいようにその弁論が私に思われたとしても、である。というのは、修辞法のある種の分野、他の固有な特徴(それは多種であるから)においては、うまく書くことは多くの人たちにも可能であるが、快適に、魅力的に、麗しく書くことは、リュシアスのものだからである。

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 とにかく、彼によって言われている事柄は快適さを規準に表現されているということ、――これにまさる証拠は他に何もないということを根拠にして、今まで、彼に帰せられてきた弁論や、完全にリュシアスの真作だと大衆に信じられてきた弁論の多くを、他の点では奇妙さはなくても、リュシアスらしい魅力で迫ってこない、まして、あの修辞法の美声(eustomia)をもっていないとの理由で、懐疑し吟味して、リュシアスのものでないのを見出したのである。これらの〔偽作と判断した〕中に、イピクラテスの肖像についての弁論もある。これを多くの人たちは、あの人の能力の特徴とも規準とも考えてきたことを私は知っている。たしかに、この弁論は、名辞の点でも力強く表現されているように思えるし、発想の点でも有り余るほどの創意にあふれ、他にも多くの卓越性を有しているが、魅力なく、リュシアスらしさを表す口ぶりの点で遠く及ばない。とりわけ、あの弁論家によって書かれたものでないことが私にとって歴然となるのは、その年代に思いをいたすときである。すなわち、リュシアスが80歳で、ニコンあるいはナウシニコスが執政の時に亡くなったことを前提にすれば、この弁論家の死は、この公訴が決議されるまる7年以上も前のものになろう。なぜなら、アルキステネス執政の後、アテナイ人たち、ラケダイモン人たち、〔ペルシア大〕王の三者が誓約を交わした時期〔372/371〕に、軍務を退役してイピクラテスは私人となり、肖像に関する〔決議〕が生じたのはこの時で、リュシアスが亡くなったのは、この公訴よりもすでに7年以上も前であり、イピクラテスのためにこの訴状が作成される前だったのである。この人物の弁明も同様にして、これはリュシアスに帰せられているが、内容の点で奇妙なのでもなく、名辞の点で弱々しいわけでもないが、修辞法の点でリュシアスらしい魅力が咲き誇っていないので、私は疑いをいだいてきた。そして、長い間を過ごして、私が見出したのは、この弁論家の最期からわずか後にではなく、まる20年も後代のものだということである。なぜなら、同盟市戦争の間に、イピクラテスは弾劾裁判を争い、将軍職の執務報告の義務を負った〔356/355〕のだということは、弁論そのものからして歴然としているとおりである。さらに、この戦争が起こったのは、アガトクレスとエルピネスが執政の時である。ところが、肖像と売国に関するこの弁論がいかなる弁論家の弁論であるか、私は確かなことを述べることはできない。だが、両作品が一人のものであることについては、私は多くの証拠を挙げて述べ立てることができる。なぜなら、両作品には同じ流儀と力量がみられるからだが、これについて今は精察するときではない。とにかく、イピクラテスその人の作品であると私は想像している。というのも、戦争についてこの人物は恐るべき〔堪能な〕人であるばかりか、弁論においても侮るべからざる人物であり、さらに両作品におかる修辞法も、多くの大仰さや軍隊用名辞を含み、弁論家的な機知というよりは軍人的な頑固さと空威張りを表明しているからである。しかし、これについては別の場所でもっと多言を費やして明らかにされることになろう。

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 そこで、もとへもどるべきである、――ここまで横道に逸れたもとの地点に。つまり、リュシアスの諸作品において最も重要で最も特徴的な〔卓越性〕は、修辞法を飾り彩る彼の魅力だということ、――この点で凌駕し得た者は後進たちの中に一人もおらず、最高度に模倣し得た者さえいないということであった。また、表現の仕方におけるこの弁論家の善き点は次の諸点である。すなわち、上述の要点をまとめてみよう。――名辞の純正さ(katharon)、しゃべり方の厳密さ(akribeia)、標準的であって外国ふうでない道具立てによって想念を言い表すこと、明解さ、簡潔さ、想念を圧縮し研磨すること、諸感覚に訴えて明白な事柄を導き出すこと、決して生彩のない登場人物を描写せず、また、人柄づくりのない登場人物も描かぬこと、名辞を素人っぽく模倣する構成の快適さ、登場人物たちや情況に相応しく弁論を調和させること、説得力、信頼性、魅力、万事における程よい適宜。以上のことをリュシアスから受け継げば、人は益されるであろう。そして、高尚さや高邁さはリュシアスの修辞法にはなく、まして、神かけて、驚倒・驚嘆させることもなく、辛辣さとか畏敬すべき点とか恐ろしさを表明することもなく、〔聴衆の心の〕魅了や強力な声調もなく、激情や息継ぎに満たされることもなく、説得力は倫理性にあるのだが、感情によって強化するということもなく、喜ばしたり説得したりご機嫌をとったりすることができるほどには、無理強いしたり強制したりするわけでもない。冒険的というよりはむしろ安全であり、〔弁論〕術の強力さを明らかにするところまでゆくよりは、自然の真実性を描くに足る〔修辞法〕なのである。

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 したがって、驚きに値するのは、テオパントスが彼のことを、大仰で手の込んだ弁論の探究者の一人であり、真実さよりもむしろ詩的技巧を追求したとみなしたのであるが、それはいったいどういうつもりだったのかということである。とにかく『修辞法について』という書き物の中で、対置法(antithesis)や等長法(parisosis)や等韻法(paromoiosis)や、こういったものに類似の表現形態に関して熱中しているその他の連中に非難を浴びせかけるばかりか、とりわけリュシアスをこの連中の仲間に算入しているのである。アテナイ人たちの将軍ニキアスのための弁論――戦争捕虜となった時にシュラクサイ人たちに向かって申し述べたという――を、この弁論家によって書かれたという前提のもとに。そこで、テオパンテスの『修辞法について』そのものを引用しても、おそらくは何の妨げもないであろう。つまり、それはこういう内容である。「対置法には三とおりしかなく、同じ一つの前節に複数の対立節がつづくか、一つの対立節に同じ複数の節が続くか、複数の対立節に複数の対立節が続くかである。なぜなら、連接の仕方はこれだけしかないからである。このうち、長さをそろえ韻をそろえるのは子供だましで、あたかも詩作品のようなものである。それゆえ、真面目さとは少しも調和しないのである。明らかに、重要事に真面目になっている者が、名辞遊びをして〔聞き手の〕感情を修辞法でぶちこわしにするのは、ふさわしくない。聞き手〔の気持ち〕を突き放すからである。例えば、リュシアスがニキアスの弁明において、同情をひこうと望んだように。『私の嘆くは、ヘラス人たちの、陸戦もなし海戦もなき破滅である……神々への嘆願者として座しているのは私たち自身であり、あなたがたを誓いの裏切り者と判明させたのである……また、召還するは親戚、親切』」。これらを本当にリュシアスが書いたのなら、嬉しくもない時に嬉しがらせられたとして咎められても義しいであろう。だが、誰か他の人の弁論――そのとおりなのだが――だとしたら、非難者の方こそ、ふさわしくなかったという点で、この人物よりも非難さるべきである。いうまでもなく、リュシアスはニキアスのために弁論を書いたことはなく、この書き物が彼の魂にも修辞法にも属するものでないことは、きわめて多くの証拠によって立証可能であるが、目下の行論においてはその時ではない。しかし、私はこの弁論家に関する私的な研究の途上にあり、これによって、その他の点もそうだが、いずれが彼の真作の弁論かが私によって明らかにされるはずだが、その詳細と、この主張については、そこにおいて果たすつもりである。

[15]
 そこで今は、以下の点について、つまり、リュシアスの内容面における特徴は何かを話すことにしよう。修辞法についての論はすでに果たした。それで、まだ残っているのは、この部分だからである。すなわち、事実に内在する弁論――われわれはこれに誰でも気づくことができるのに、誰も気づかない――の発見者こそ、この人物である。だからリュシアスは、弁論が成立する要素を、何一つ決して言い漏らすことがない。登場人物、事実、行為そのもの、方法とその原因、やまば、時間、場所、それらの各々がもつ違いを、極微な断片に至るまで〔言い漏らすこと〕なく、ありとあらゆる観察とありとあらゆる分析とによって、固有の論拠を抽出するのである。彼の創意の恐るべき点をとりわけ明らかにしているのは、証拠なき弁論や意想外な主題によって組み立てられた弁論であり、こういう弁論において、最多・最美な説得推論(enthumema)を語り、他の人たちならまったくの行き詰まりに陥り不可能と思われる事柄を、筋の通ったこと、可能なことにみえるようにするのである。彼は、語るべきことは何か、発見された事実をすべては用いることはできないのは何時か、の判定者であり、さらに、最重要なこと、最も標準的なことの選別者である。――他の弁論家たちよりも格段というわけではないにしても、少なくとも誰にも劣らぬだけの。しかし、彼が使用する事柄の配列法は単純で、たいていは画一的であり、行論の扱い方は平明で手も込んでいない。つまり、罠を仕掛けることも、当てこすりも、分析も、要素の多彩さも、その他そのような技巧を使っているのを見出されることなく、発見された事実を処理するに、てらいなく辛苦なくして、一種自由人的である。だからこそ、彼の読者たちに私は勧めるのである、――説得推論の創意と選別の仕方は〔リュシアスに〕求めるように、しかし、その配置法と扱い方の方は、彼はふさわしさに欠けるところがあるゆえ、継承するのはこの人物からではなく、別の人たち――発見された事実を処理するにもっと優れた人たち(この人たちについては後に述べよう)――から、この要素を受け継ぐようにと。
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