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[21] ディオドトスは、ペロポンネソス戦争の際に、トラシュロス麾下の〔兵籍名簿に〕登録された人たちの一人であるが、グラウキッポスが執政の時〔BC 410/409〕に、アジアに出征することになったが、幼い子どもを持っていたので、取り決めを結び、彼らに後見人として自分の弟のディオゲイトン、すなわち子どもたちの叔父にして母方の祖父を残した。ところが、本人はエペソスで戦死した〔BC 409〕。すると、ディオゲイトンは孤児たちの全財産を手中にしながら、きわめて多くの財産は何もないと彼らに提示したので、青年たちの一人が〔成人の〕資格審査を受けた時に、まだ健在であったので、悪しき後見の罪で告発された。かくして、彼に対するこの私訴を語っているのは、あの者の孫娘――つまり青年たちの妹――の夫である。 [22] この梗概を最初に採り上げたのは、ほどよくふさわしい言い出し方をしているかどうかが、より歴然となるからである。 [23] もしも相違点が大きなものでなかったなら、裁判官諸君、あなたがたのところにこの者たちが出頭するのを私は決して許さなかったであろう、――家族同士の仲違いは最も醜いことと信じ、また、不正者たちはより劣悪な者とあなたがたに思われるばかりか、親類によって篭絡されるような者たちは我慢ならないと承知しているからである。しかしながら、裁判官諸君、多くの金品を奪い取られ、多くの恐るべきことを、決してあってはならない相手から蒙って、姻戚者である私のところに逃げこんできたので、彼らのために述べざるを得ない必然が私に生じたのである。しかも、彼らの妹、つまりはディオゲイトンの孫娘を私は妻にしているので、じつにあれこれと懇願して先ず両者の友たちに仲裁を任せるよう説得したのである、――彼らのことを他の人たちは誰も知っていないのを重視して。しかるに、ディオゲイトンは、取得したことを公然と糾明されたもの、これに関して自分の友の誰にも敢えて聴従しようとせず、むしろ私訴の被告になることや、権利のないことの原告になることや、極端な危険を甘受することの方を、義しいことを為してこの者たちとの間の訴訟沙汰から解放されることよりも望んだので、私はあなたがたにお願いする、――この者たちが祖父に後見された醜態ぶりときたら、この国において何ら親類でもない人たちによって未だかつて誰も受けたことのないほどのものであるということを私が立証したら、彼らを助けて正義を得させるよう、だが、もしもそうでない場合は、あらゆる点でこの者を信じ、私たちを将来にわたって劣悪な者と考えるよう。それでは、初めから、彼らに関してあなたがたに説明してみよう。 [24] この序論は、序論が持つべき諸々の卓越性をすべてそなえている。つまり、技術論の挙げる諸規準は、この序論と対応させてみれば明白であろう。いうまでもなく、技術論を体系化した人たちが誰しも推奨しているのは、身内の者たちとの争訟が起こった場合、告発者の側が邪悪に思われないよう、また面倒好きと思われないよう考察すべし、ということである。また、〔技術論を体系化した人たちの〕命ずるところは、先ず第一に、告訴も争訟も、その責任を訴訟相手に転嫁して、こう言うようにということである、――その不正事は大きく、これをほどほどに我慢することはできなかったということ、そして、この争いは肉親の登場人物のためであり、自分は孤立無援であるが、だからといって軽んじられてよいことにはならない、彼らが助からなければ、悪人と見られるのだから、と。また、訴訟相手に仲裁を呼びかけ、友人たちに事を委ね、可能な譲歩をするよう待ったが、ほどほどのことには何も得ることができなかった、と。こういったことは、弁論術著述家たちが実行するよう勧めていることだが、それは、発言者の人柄がより適正〔善良〕だと思われるためである。そうすれば、それを実行することで、〔裁判官たちの〕好意を自分たちのものすることが可能であり、〔これこそ〕そなえの最も勝れた部分である。こういったことがすべて、この序論を通じてそなわっていることを私は眼にする。さらには、聞き手によくわかるようにするため、事実を簡約して述べるよう命じているが、それは、裁判官たちが経緯を――これから言われるはずのことが、いったいどのような内容なのか、わからないということのないためであって、こういうことは、序論といえども初めから前提し、内容の事例をつくって、説得推論によってまっしぐらに始めるよう努めることである。こういったことをもこの序論はそなえている。なお、傾聴させる方法について、どういうふう方法論がうちたてられているかといえば、聞き手たちに傾聴させようとする者は、驚嘆すべきことや意想外なことを言いもし、聞くように裁判官たちにお願いもするということである。明らかに、こういったことも実行しているのがリュシアスである。さらに、以上のことに付け加えられるのは、表現の仕方の滑らかさと道具立ての平明さであるが、これらは身内の者たちのために序論を述べる人たちにとってはとりわけて必要なことである。それでは、陳述部も、彼がいかに処理しているか、習得する価値がある。それは次のごとくである。 [25] 彼らは兄弟だった、裁判官諸君、ディオドトスとディオゲイトンとは、同父・同母の。そして、目に見えない財産〔動産〕は分かち合い、目に見える財産〔不動産〕は共有していた。だが、ディオドトスは貿易に従事して多くの金品を稼いだので、これをディオゲイトンが説得して、自分の娘を妻にさせた。自分の一人娘であったのを。そして、彼には息子二人と娘とが生まれた。ところが、しばらくたって、ディオドトスは重装歩兵に選抜登録されたので、自分の妻(つまりは姪である)と、彼女の父(つまりは自分にとっては義兄弟にして兄弟でもあり、子どもたちにとっては祖父にして叔父でもある)を呼んで、このような血縁関係からして、自分の子どもたちに関して義しさの点でこれ以上ふさわしい人物は誰もおるまいと考えたからであるが、この男に処分権を与え金5タラントンを委託した。さらに、海上貸付金として貸し付けられていた7タラントン40ムナを明示し……、さらに、ケロネソスに投資された2000ムナを。さらに、遺言して、もし何か災難が降りかかったら、1タラントンは妻の持参金につけ、寝室部屋にあるものも与えるよう、1タラントンは娘の持参金にと。さらに、20ムナとキュジコス貨幣30スタテールも妻に残した。そして、以上のことを為し、家に写しも残して、トラシュロスといっしょに出征していったのである。ところが、彼がエペソスで戦死した時、ディオゲイトンはしばらくの間、娘に夫の戦死を隠しておいて、彼が封印したまま残しておいた証書まで取りあげた、――これらの書類によって海上貸付金を回収しなければならないと称してである。それから、間もなく、戦死を彼らに明かし、彼らも定まりの儀式を執り行った後、最初の一年は彼らはペイライエウスで暮らしていた。というのは、生活必需品はすべて彼のところに置き去られていたからである。だが、それらが足りなくなると、彼は子どもたちは市内に送り返し、彼らの母親は5000ドラクマの持参金をつけて嫁がせたが、それは彼女の夫が与えたよりも、1000ドラクマも少ない額であった。だが、その後八年目に青年たちの兄の方が資格審査を受けた時に、ディオゲイトンは彼らを呼んでこう言った、――彼らに父親が残したのは金20ムナと30スタテールだと。「それで、わしは自分の持ち物の中から多くをお前たちの養育のために出費してきた。持っているうちは、ちっとも構わない。だが今はわし自身が困窮している。そこで、お前は、資格審査を受けて一人前となったのだから、どうやって生活費を稼ぐかもう自分で考えよ」。これを聞いて、彼らは動転し涙して、母親のところへ出向き、そして彼女と連れだって私のところへやってきたのである、――受難のために悲嘆にくれ、悲惨な事態に突き落とされて、泣いて私に訴えながら、自分たちが父祖伝来のものを奪い取られるのも、決してあってはならない者たちに凌辱されて乞食身分に陥るのも見過ごさないよう、むしろ、妹のためにも自分たち自身のためにも助けるようにと。私の家が、この時に、どれほどの悲痛に満たされたか、多くを言うことができよう。だが、最後に、彼らの母親は私に、自分の父親と友たちを集めるよう懇願し嘆願して、こう言った、――男たちの中で今まで発言し慣れていないにしても、災禍の大きさが、自分たちの諸悪に関して、私たちの前ですべてを明らかにするよう自分に強いるであろう、と。そこで私は出かけて行って、あの男の娘を妻にしていたヘゲモンに対しては憤慨し、その他の親友たちに対しては説明をして、金品に関してこの男が糾明されるよう要請したのである。だがディオゲイトンは、初めは拒んだが、結局は友たちに強制された。そこで私たちが寄り合うと、婦人は彼に質問した、――いったいどんな魂を持って、子どもたちに関してこのような考えを持っていると言明したのか、「あなたは彼らの父親の兄弟であり、私の父であり、彼らにとっては叔父でも祖父でもあるのに。たとい、人間たちのうち誰にも恥じないにしても、神々をあなたは」と彼女は言った、「恐るべきであったのに。あなたが受け取ったのは、あの夫が外征した時、彼から委託された5タラントンであった。これに関しても、私はこの子どもたちも、後に私に生まれた子どもたちをも証人に並べ立てて、この人が言うならどこででも宣誓するつもりです。もちろん、私は、私の子どもたちに掛けて偽宣して人生を後にするほど、また、父の財産を不正に取り上げようとするほど、そんなに惨めでも、そんなに金品を重んじているわけでもありません」。さらにまた彼女は、彼が7タラントと4000ドラクマを、海上貸付金として回収済みであることを糾明し、それらの書類をも明示した。というのは、転居の際に、コリュトス区からパイドロスの家へ転居した時だが、子どもたちが放置されていた紙を見つけて、彼女に渡しておいたのだということであった。また、彼女が判明させたのは、土地を抵当に高利で貸し付けられていた100 ムナと、他にも2000ドラクマと、多大な価値ある調度類をも彼が回収済みであったことである。さらに、穀物もケロネソスから毎年彼らのために入荷していたことも。「いったい、どうして敢えて言ったのですの」と彼女は言った、「これほどの金品を持っていながら、この者たちの父親は2000ドラクマと30スタテールを残したというのは。それは、あの夫が死んだ時に私に残されていたものとして、私があなたに与えたものですわ。しかも、この者たちは娘の子どもであるのに、自分たちの家からあなたは追い出すと言い渡したのです、――粗衣、裸足のまま、従者も連れず、敷布も持たず、外套もなく、父親が彼らに残していた調度類も持たず、あの人があなたに預けた委託金も持たずに。そして今も私の継母から生まれた子どもたちは多くの金銭の中で幸福であるのに(それもあなたが美しく為して)、私の子どもたちには不正しているのです、市民権もないまま家産から追い出し、富裕者の代わりに乞食と明示することに熱心になって。こういった行いにもかかわらず、神々をも恐れず、事情を知悉した私をも恥じず、兄弟のことも心に留めずに、私たちみなを金品よりも軽視しているのです」。さて、この時は、裁判官諸君、多くの恐るべきことがこの婦人によって陳述される間、この男によって為されたことと彼女の言葉とによって、私たち居合わせた者がみな陥った心境と言えば、子どもたちを、彼らがいかなる目に遭ったかを見、死者を、財産の後見人としていかに価値なき者を後に残したかと思い起こし、自分のものについて信ずべき相手を見出すのはいかに困難かということに思いを致して、そのあげく、裁判官諸君、居合わせた者たちのうち誰も声を出すこともできず、被害者たちに劣らずただ涙して黙って立ち去ったのである。 |