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[26] それでは、論証部の特徴も歴然とするように、この部分のために言われた内容をも指摘してみよう。要するに、個人的な説得立証の方は、もはや多言を要しないとして、証人たちそのものによって確証し、ほかならぬ次のことを言うのみである。「それでは、先ず第一に、このことの証人として、どうか、あなたがたが登壇してください」と。他方、訴訟相手の義しさの方は二つに、――一つは、相手が取得したことに同意して、孤児たちの養育のために費消したと追及されること、一つは、取得したことを否認して、そうすることで反駁される、というふうに――分け、その両者について弁じ立て、相手が言明した出費がなかったことを言って、その矛盾点に説得立証を割り当てているのである。 [27] それでは、私は要請します、裁判官諸君、計算に心を傾注するよう、――災禍の大きさゆえに青年たちをあなたがたが憐れみ、この男を全市民にとって怒りに価するとあなたがたが考えるためにである。なぜなら、ディオゲイトンは万人を相互に対する猜疑に陥らせ、生者たちも死者たちも、最も親密な者たちを最も敵意ある者たちにも増して信じられなくなるまでにさせたのだから。彼は、あることは敢えて否認したが、結局、あるものは取得したことに同意して、二人の子どもと妹のための収支は、八年間に銀7タラントン7000ドラクマにのぼると敢えて明示した。そして、厚顔無恥のあまりに、金品の使途を持たないから、食い物のためには二人の子どもと妹のために日に5オボロスを請求し、履き物のためや洗い張り屋や散髪屋のためには、月々彼によって書かれたものはなく一年ごとも書かれず、期間全体で総計銀1タラントン以上を請求した。さらに、父親の墓標のためには5000ドラクマのうち25ムナも出費していないのに、半分は自分の付けにして、半分は彼らに請求したのである。さらに、ディオニュソス祭のためには、裁判官諸君、(これについても言及するのは奇妙なことではないと私に思われるから)小羊が16ドラクマで購入されたと報告したが、そのうち8ドラクマを子どもたちに請求したのである。このことに私たちは怒らないわけにはいかなかったのである。このように、裁判官諸君、大きな損害の中では、時として、小さなことが不正される者たちを劣らずに苦しめるものである。不正者たちの邪悪さをあまりに公然と見せつけるからである。さらに、その他の祝祭や犠牲のためにも、支出された4000ドラクマ以上を彼らに請求したのみならず、他の支出も全額、合計に加えていっしょに請求したのである。あたかも、幼子たちの後見人として託された所以は、金品の代わりに数字を彼らに明示し、富裕者の代わりに極貧者とならせるため、または、もし父の敵が誰かいても、彼には気づかず、後見人に父祖のものを奪い取られて戦うためであるかのように。しかるに、もし彼が子どもたちに関して義しい人であることを望むなら、彼には法習どおりにできたはずである、――孤児たちに関して、後見の不能な者たちにも可能な者たちにも施行されている法習どおりに、多くの面倒から解放されるために家を賃貸するとか、あるいは、土地を購入して、その収入によって子どもたちを養育するとかが。そのいずれをしたとしても、彼らはアテナイ人たちのうち誰にも劣らず富裕であったろう。ところが実際は、私に思われるところでは、彼が考えついたのは、家産を目に見える財産に確立しようとすることでは決してなく、自分が彼らのものを取得しようとすることであったのだ、――自分の邪悪さこそが死者の金品の相続人であるに違いないと考えて。だが、何よりも恐るべきことは次のことである、裁判官諸君。すなわち、この男はアリストディコスの子アレクシスと三段櫂船共同奉仕者となって、50ムナに2ムナ足りないだけを彼と共同出資すると称して、その半分を孤児であるこれらの者に請求したのである、――孤児に対して、国家は、子どもである間は非課税としたのみならず、資格審査された後も、一年間はあらゆる公共奉仕から免除しているのにである。しかるに、この男は、祖父でありながら法習に反して、自分の三段櫂船奉仕費用の半分を、娘の子どもたちから徴収したのである。さらに、アドリア海に2タラントンの貨物を派遣し、送り出す時には、彼らの母親に、危険は子どもたちのものであると言っていたのに、無事に着いて値が倍増した時は、自分の貿易品だと主張した。しかしながら、損害は彼らのものとして明示し、金品の安全であったものは自分が取得する場合は、どこに金品を費したかは、明細表に記載するのは難しくなく、他人のもので自分が富裕となるのは容易であろう。ところが、一つずつ、裁判官諸君、あなたがたに向かって計算するのは大変な仕事であろう。だが、何とか彼から書類を受け取ったので、証人たちを伴ってアレクシスの兄弟アリストディコス(本人はたまたま死んでしまっていたので)に私は質問したのである、――三段櫂船奉仕の任務が彼にあるのかどうか。すると、彼はあると主張した。そこで、私たちは、家へ行って、ディオゲイトンが三段櫂船奉仕のために24ムナを彼と共同出資しているのを発見したのである。しかるに、この男は50ムナに2ムナだけ足りない額を出費したと明示し、その結果、自分に生じた費用の全額を彼らに請求していたのである。そうなると、誰も彼のことを知らず、自分だけが企てたことについて、彼が何をしてきたとあなたがたは思うか。他の人たちによって実行されたこと、また、それについて聞き知ること困難でないことに関して、虚言してでも24ムナを自分の娘の子どもたちに損害を与えたような男が。それでは、どうぞ、あなたがたがこのことの証人として登壇してください。 証人たちからお聞きになったとおりである、裁判官諸君。だが私としては、彼が最終的に取得したと自分で同意したかぎりの金銭、7タラントン40ムナを、以上の根拠に基づいて彼に請求しよう、――収入は何一つ勘定に入れず、元手から出費して、それも、未だかつて国内の誰も出費したことのない額、――二人の子どもと妹のために家庭教師も奉公女も毎年1000ドラクマ、日に3ドラクマに少し足らぬ額の出費したとしてである。その額は八年間に8000ドラクマになり……残高は7タラントンのうち6タラントンと、40ムナのうち20ムナである。むろん、盗賊団に破滅させられてしまったとも、損害を受けたとも、債権者たちに支払ってしまったとも彼は明示できないであろう…… [28] 法廷弁論においては、この人物は以上のごとくであるが、演示的弁論においてはやや手ぬるいこと、私が言明したとおりである。すなわち、より高尚・高邁たらんと望み、確かに、自分と同時代あるいは前の時代に盛りをむかえた弁論家たちの中では、誰にも後れをとらぬように見受けられる。だが、聞き手を奮い立たせる点では、イソクラテスやデモステネスのようにはいかないのである。そこで、これの事例をもお目にかけよう。 [29] これは彼による一種の祝祭弁論であって、この中で彼は、オリュムピアで大祭が開催された時、ヘラス人たちに向かって、僣主ディオニュシオスを支配から追い出してシケリアを自由にするよう、また、ただちに開戦して、金と真珠、他にも多くの宝石によって飾られた僣主の宮殿を襲撃するよう説得している。というのは、このディオニュシオスは、大祭のために神に犠牲を捧げる使節団を送りこんだが、その使節たちのために、神域の中に豪壮高価な宿舎が立てられたが、それは僣主がヘラスにもっと驚嘆されるためであった。このことを前提にして、彼は論を次のように始めている。 [30] 他の多くの美しい業績もさることながら、諸君、ヘラクレスに言及する価値があるのは、この競技会をヘラスに対する好意ゆえに初めに招集したからでもある。すなわち、それまでは国々がお互いばらばらであった。だが彼が僣主たちを止めさせ、暴慢な者たちを阻止した後で、ヘラスの最美な当地で、身体の競争、富に対する名誉愛、知識の見せびらかしをさせたのである、――これらすべてのために我らが同じ地に集い来たって、あるいは見、あるいは聞かんがために。というのは、当地での集会がヘラス人たちにとって相互の友愛の初めとなると考えたからである。そこで彼はこのことを教導し、私はやって来たが、それは名称について詮索せんがためではなく、名称について争わんがためでもない。なぜなら、そのようなことは、ほとんど無為にして、甚だ生命に欠くる学者たちのやることであって、善き男にして大いに価値ある市民のやることは、最大事に関して評議することだと私は考える、――ヘラスがかくも恥ずべき状態にあり、その多くのことが異邦人たちの支配下にあり、多くの国々が僣主たちによって離反しているのを見るからである。しかもこれが、われわれの弱さゆえの受難なら、運命に忍従するのが必然であったろう。だが、内乱と相互に対する勝利愛が原因であるからには、前者を止め、後者を妨げることが、どうして価値ないことであろうか、――勝利愛は善く為す者たちのやることだが、最善を判断することは、その反対のものたちのやることだと承知して。というのは、私たちは大きな危険が、それも大きなのが到る所から取り囲んでいるのを目にしているのである。つまり、周知のとおり、支配権は海を制する者たちにあり、財貨の分配者は〔ペルシア大〕王、ヘラス人たちの身命はこれを費やすに有能なものたちの手にあり、多く艦船を主人は所有しているが、多くの艦船を所有しているのはシケリアの僣主である。かくして、価値があるのは相互に対する戦争を終息させ、同じ考えを持って救済を確保することであり、また過去に関しては恥じ、未来に関しては恐れることであり、また先祖たちと競うことである、――異邦人たちに対しては、他所の土地を欲求したがために、自分たち自身の土地を失うはめに陥らせ、僣主に対しては、追放して万人に共通の自由を樹立した先祖たちと。そこで驚かされるのは、何にもましてラケダイモン人たちである、――いったい、いかなる考えを持って、ヘラスの革新を彼らは看過しているのであろうか、――彼らは、ヘラス人たちのうち、生まれ付きの卓越性によっても、戦争に関する知識によっても、間違いなく先導者でありながら、自分たちだけは城壁がなくても掠奪されず、党争もなく不敗にして、いつも同じ仕方を用いて暮らしているのである。それゆえに、彼らは自由を不死なものとして所有し、また過去の危難に際してヘラスの救主となったゆえに、未来に関して予見するという希望を持っている。だが、未来は現在よりもより善い好機ではない。なぜなら、破滅した者たちの災禍を他人事とではなく、みずからのことと看做すべきであり、また両者の権力が私たち自身に向かって攻撃して来るまで待機していてもならず、まだできるうちに、彼らの暴慢を妨げるべきだからである。いったい、誰が憤慨しないであろうか、――お互いに戦争している間に、彼らが尊大となるのを見て。それは恥ずべきことであるばかりでなく恐るべきことでもあるから、大きな過ちを犯した者たちには、為されたことに放任があり、ヘラス人たちには、これ対する何らの報復もない…… |