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Dionysios
of
Halicarnassos



Lysias

(7/7)




[31]
 もう一つの例証として、評議会用弁論のそれをお目にかけるようとするのは、弁論のこの種の特徴もはっきりするためにである。

[32]
 つまり、「アテナイにおいて父祖伝来の体制を解体してはならないことについて」という主題を彼は書き上げたことがある。すなわち、民主派がペイライエウスから帰還して、市内に留まっていた者たちと和解して、出来事の何をも根に持ってはならぬとする決議をなしたが、大衆が富裕層に対して再び以前の気ままを取り戻して、再び暴行するのではないかという恐れがあり、またこれについて多くの議論が生じた時に、民主派といっしょに帰還した人たちの中でポルミシオスなる者が、亡命者たちを帰還させ、国家体制を全員にではなく、土地所有者たちに引き渡すという動議を提起し、そうなることをラケダイモン人たちも望んだのである。だが、この決議が通れば、アテナイ人たちのうちのほとんど五千人が国政から閉め出されることになる。そこで、そんなことが起こらないために、著名人や市民である人たちの一部のために、リュシアスが次の演説を起草した。はたして、これがその時述べられたかどうかは、不明である。とにかく論争に対していかにも適切に構成されている。次のものがそれである。

[33]
 時あたかも、おおアテナイ人諸君、生じた災禍が国家にとって充分な記憶を残し、そのおかげで、生まれ来る子孫たちも別な国家体制を欲求することもあるまいとわれわれは信じていた、まさにかかる時に、この連中は悪く蒙った人たちや、両方の国家体制を経験した人たちを、以前にもすでに二度投じたと同じ票でもって、騙す方策をめぐらせているのである。しかしながら、私が驚くのはこの連中ではなく、連中に耳を傾けているあなたがたに対してである。あなたがたが万事につけてあまりに忘れっぽいこと、ないしは、このような連中に悪く為される用意のあること、あまりに甚だしいからである。連中がペイライエウスでの事件に参加したのは成り行きであって、思想の上では、市内派の者たちの一員にすぎない。そもそも、亡命者たちが帰還する必要がどこにあったのか、――挙手採決して、あなたがた自身を奴隷化しようとしているのであれば。もちろん、私は、おおアテイ人諸君、財産の点でも生まれの点でも、除け者にされる存在ではなく、どちらの点でも反対論者たちを凌駕する者であるが、国家にとって唯一の救済は、全アテナイ人たちが国家体制に参加すること、これであると考えている。というのは、われわれが城壁や艦船や財貨や同盟者たちを所有していた時も、誰かアテナイ人を追い出すようにわれわれは考えたことはなく、エウボイア人たちとも通婚したのである。しかるに今は、身内である市民たちをも排除しようとするのか。いや、あなたがたが私に聴従するなら、城壁とともに次のものまでも私たち自身から剥ぎ取られることもあるまい、――つまり、多くの重装歩兵たちと、騎兵たちと、弓兵たちとであるが、これらのものをしっかりと堅持してこそ、あなたがたは民主制支配できるのであり、さらに、敵たちをより多く制圧し、また、同盟者たちにより益する者となりうるのである。なぜなら、ご存知のとおり、私たちの時代に生じた寡頭制においては、国家を所持したのは土地所有者たちではなく、彼らの多くは刑死し、多くは国を脱出したのである。この者たちを民主派は呼び戻して、あなたがたにはあなたがたの国家体制を引き継ぎ、みずからはそれに敢えて参加しなかった。かくして、なたがたが私に聴従するなら、功労者たちから、できるかぎり、祖国を奪い取るはずはなく、言葉を行いよりも信ずべきものとも、未来を過去よりも信ずべきものとも看做さないであろう。特に、寡頭制のために闘った連中、――言葉の上では民主派と敵対しながら、行動の上ではあなたがたの財産を欲求していた連中のことを思い起こすならば。連中はまさにこれを所有しようとしているのである、――あなたがたが同盟者たちから孤立無援だと見て取るや。
 しからば、現状かくのごとき時に、彼らが私たちに質問して、国にいかなる救いがあるのか、――もしもラケダイモン人たちが命ずることをわれわれが実行しなかったら、と聞いたらどうか。これに対して、私は彼らに言いたい。大衆に何が結果するのか、――もしもあいつらが下命することをわれわれが実行したら、と。さもなければ、戦って死ぬ方がはるかに美しいのだ、――私たち自身に公然と死刑の有罪票決することよりも。なぜなら、私は考えるのである、――もしも、どちらも危険は共通であると私が説得できるなら……さらに、アルゴス人たちもマンティネイア人たちも同じ考えを持って自分たちの国を治めているのを私は目にするのである。前者はラケダイモン人たちに境を接し、後者はすぐ近くに住んでいる。また、前者はわれわれより多くはなく、後者は三千人もいない。すなわち、あの者たちは知っているのである、――幾度彼らの国に侵入しても、そのたびに彼らは武器を執ってあの者たちに立ち向かうであろう、その結果、危険を冒すのは美しくないとあの者たちに思われるのである、――勝ったとしても、この人たちを奴隷化できまいし、負ければ、自分たち自身が今ある善きものを奪い取られるだろうと。つまり、より善く為そうとすればするほど、それだけますます冒険を欲求しないというわけである。それゆえ、私たちも、おおアテナイ人諸君、ヘレネ人たちを支配した時、その考えを持ったのである。そうして、土地の割譲は見過ごし、それのために戦い抜くべきだとは認めなかったのは、美しく評議したと思われたのである。なぜなら、重要なのは、少善は気にせず、多善を大事にすることであったのだから。ところが今は、あのようなすべてを闘いで奪われ、祖国だけがわれわれに残されたのだから、この危険だけが唯一救いの希望を持っていることをわれわれは知っている。実際のところ、今までにも不正された他人をも助けて異国の地に敵国人たちに対する多くの勝利牌を建てたことがあるのを思い起こして、祖国とわれわれ自身のために善き戦士たちが生まれねばならないのである、――神々を信じ、さらに、正義は不正される者たちの側にあるだろうことを希望する者たちが。というのは、恐るべきことであろうから、おおアテナイ人諸君、もしも、われわれが亡命した時には、帰還するためにラケダイモン人たちと闘ったのに、帰還してからは闘わないために亡命するようなことになれば。それゆえ、恥ずべきことではないか、――もし、われわれが不徳に陥ったあまりに、先祖たちは他の人たちの自由のためにさえ身に危険を引き受けたのに、われわれは自分たち自身の自由のためにさえ敢えて戦おうとしないほどだとするなら。……

[34]
 さて、残りの弁論家たちについても、わたしたちが同じ仕方で対話をするためには、事例はもはや充分である。そこで、時順から言って、この弁論家に続くのはイソクラテスである。しかし、この人については、次に稿を改めた箇所で語られるべきである。
                        1996.12.12.
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