〈ピュータゴラース〉『占星術断片集』2
ギリシア占星術文書目録0653_002
アラートス『断片』
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[人物]
ソロイのアラートス。前315/310頃〜前240頃。ヘレニズム時代のギリシアの詩人。キリキア一のソロイ市出身。アテーナイへ赴 いてゼーノーンのストアー哲学を学び、年少の詩人カッリマコスと知り合う。前276年頃マケドニア一王アンティゴノス2世ゴナ夕一スの都ベッラに迎えられ、王 のケルト人に対する勝利(前277)や王とシュリア一王セレウコス1世の娘ピラーとの結婚を祝賀する頌詩を作った。この地において彼の詩名を高からしめた代表作 『パイノメナPhainomena (星辰譜)』(1154行)を執筆(前276 /274)。エウドクソスの天文学書に基づいたこの教訓叙事詩は、「アラートスの星座詩」とも呼ばれ、星辰への変身物語など神話伝説を巧妙に配しながら47の星座を組織的に記述、洗練された表現と機知に富んだ感性のゆえに、発表当初から絶讃を博した。伝承によれば、アンティゴノス2世の要請に応じて、医学の知識はあるが天文学には門外漢のアラートスがこの『バイノメナ』を書き、片や天文学に造詣が深くても医学には全くの素人だったコロボー ンのニーカンドロスが薬学・医術の詩を書いて、出来映えを競ったという。次いでアラートスは、前274年頃からシュリア一王アンティオコス1世の宮廷に身を寄せ て『オデュッセイア』の校訂本を完成し、ホメーロス研究の分野に業績を上げたが、『イーリアス』の校訂をも望
んだ王の期待には応えず、再びマケドニア一のアンティゴノス2世のもとへ戻り、王都ベッラで没した。
現存する唯一の作品『パイノメナ』は、古代末期に至るまで広く愛読され、その天文学上の誤りを批判したヒッパ ルコスを含めて多くの注釈者(名前の確認される者だけで27名)が現われた。ストアー派の汎神論的世界観を示す本書は、ローマ人にも大層好まれ、キケロ一やゲルマ一 ニクスらの著名人士により相次いでラテン語アラテーア Arateaに翻訳されている。なお『パイノメナ』の後半部は、 『ディオセーメイアイDiosemeiai (天象)』という別の表題を冠せられることもある。
ヒュギーヌス、(アイト一リア一の)アレクサンドロス、 アウィエーヌス
Cic. De Or. 1-16 (69), Nat. D. 2-41, Div. 2-5, Acad. 2-20/ Diog. Laert. 2-133, 7-167, 9-113/ Quint. 10-1/ Paus. 1-2/ Strab. 14-671/ etc.(松原國師『西洋古典学事典』)
[底本]
TLG 0653
ARATUS Astron., Epic.
4-3 B.C.
Soleus
TLG 0653.002
Fragmentum (e cod. Vat. gr. 2130)
Astrol.
S. Weinstock, Codices Romani [Catalogus Codicum Astrologorum Graecorum 5.4. Brussels: Lamertin, 1940]: 165-166.
Cross References
5,4..
(165)
アラートスから。各月に太陽が宮から宮へと下るのはいつか。
研究すべきは、マルティオス月〔3月〕第21日に白羊宮が太陽を受け入れるということである。そうして、宮から宮へと太陽が変わるのはいつかを汝が知りたければ、マルティオス第21日から各宮に30日を加算せよ、そうすれば、各宮の何日に太陽があるかを汝は見出すだろう。
〔太陽が〕どの宮に上昇し、どれだけの宮が昼間、どれだけ〔の宮〕が夜間上るを見出したいなら、次のようにせよ。太陽がある宮において、30日の残り〔の日数〕を見出し、それぞれの日に上昇するのも見出したなら???、その宮に1と2、その次の宮に3と4、そういうふうにして次々と、12になるまで各宮に2時間を加えよ。例えば。太陽が双児宮 (166) 上昇するなら、<双児宮に1と2を加え>、巨蟹宮に3と4とを、獅子宮に5と6とを、処女宮に7と8とを、9と10とは<天秤宮に、11と12とを天蝎宮に〔加えよ〕>。そして今度は夜間の1と2とを人馬宮に3と4とを磨羯宮に、5と6とを宝瓶宮に、7と8とを双魚宮に、9と10とを>白羊宮に、11と12とを金牛宮に〔加えよ〕、すると双子宮に上昇することになる。
また、7つの〔惑〕星の宿も同様にして見出される。太陽の宿は獅子宮、月のは巨蟹宮、以下、残りの宿も7層の順に汝は見出すであろう。つまり、天蝎宮と宝瓶宮とのは土星の宿、双魚宮と人馬宮とのは木星、白羊宮と天蝎宮とは火星の〔宿〕、金牛宮と天秤宮とは金星の〔宿〕、双児宮と処女宮とは水星の〔宿〕である。
右の宮は6つ。〔すなわち〕白羊宮、金牛宮、双児宮、巨蟹宮、獅子宮、処女宮である。左の〔宮〕は6つ。〔すなわち〕双魚宮、宝瓶宮、天蝎宮、人馬宮、天蝎宮、天秤宮である。
諸元素について
火、大地〔土〕、天〔空気〕、水〔海〕。
4つの風。火による西風。大地による北風。天による南風。海による東風。
火による白羊宮、獅子宮、人馬宮。大地による金牛宮、処女宮、磨羯宮。大気による双児宮、天秤宮、宝瓶宮。水による巨蟹宮、天蝎宮、双魚宮。
2017.05.. 訳了
[4元素と獣帯12宮]
12宮を4元素で割ると、各元素に3宮ずつの割り当てになる。ここから、三角宮(トリゴーヌ、120度視角座)を思うつくことは難しくないが、妙案ではある。
第1三角宮〔火による〕:白羊宮・獅子宮・人馬宮。
第2三角宮〔土による〕:金牛宮・天蝎宮・磨羯宮。
第3三角宮〔空気による〕:双子宮・天秤宮・宝瓶宮。
第4三角宮〔水による〕:巨蟹宮・天蝎宮・双魚宮。
しかし、それぞれの組み合わせを4元素と対応させるには、少なくとも2つの前提があることを認めなければならない。ひとつは、アリストテレースの4元素論と気象論、もうひとつは当時の地理観である。
(1)アリストテレースは、蒸気には湿と乾の2種類があるとし、湿の蒸気が凝集して降下するのが雨であり、乾の蒸気が凝集して流下するのが風であると考えた(『気象論』第2巻)。また風のうちで最も主要なのは、大熊座直下の地点から吹く寒風のBoreas(Aparktiasとも言う)、および太陽が南中する地点から吹く暖風のNotosである。Notosは太陽に最も近いから、湿はもっとも蒸発してまった空気の動きとなる。
(2)エラトステネース、ヒッパルコス……綺羅星のごとく輝く当時の天文学者たちが基準とした子午線は、ロードス島(東経28度00分)を通るものであった。エラトステネースが、現在でも驚かれるほど正確な地球の円周を実測したのも、この子午線によってである。
この、ロードス島とアレクサンドリアを通る子午線を基準にすると、東の海とは=Eruqra; qavlaasa(原意は「紅海」であるが、この時代に「紅海」と呼ばれたのは「今日の紅海のみならず印度洋迄も含んだ広い海域であつた」(村川堅太郎訳註『エリュトゥラー海案内記』)であろう。対して西方は、リビア砂漠からサハラ砂漠に続く砂漠地帯である。アラートスがここに「火」を当てたのも理解できよう。
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