アラートス『断片』
ギリシア占星術文書目録0995_002
生涯と著作
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[人物]
アレクサンドリアの占星術として文献的に最も古いものは、B.C.160年ごろ出たネケプソー(Nechepso)と ぺトシリス(Petosiris)の著作と称せられる占星書で、この本の中には占星術の実施において今日まで用いられている多くの記号が識されてある。ネケプソーはアレクサンドロス大王に征服せられる以前のエジプト王(B.C. 4世紀)、ぺトシリスはこの王に仕えたトト(Thoth)の最高神官で、稀有の賢者として雷名を届かせ、彼の死後1世紀たってギリシア人は彼の墓を探し出し、神格的賢者として崇拝したと伝えられるが、問題の占星書はもちろんベトシリスの著作ではなく、アレクサンドリア時代の占星家が本書を権威づけるために仮托したのであろう。
ネケプソー-ぺトシリスの占星術は、人の一生の運命が誕生時の天体配置によって定まると前提するゲネトリアロギアである。しかしその当時の占星術が必ずしも誕生時とする説に一致していたわけではない。B.C. 1世紀に活動したローマの大建築家ウィトルゥウィウス・ポリオ(Marcus Vitruvius Polio、生没年不明)の報告した文献によれば、ギリシア人で始めて占星術を信じたストア学者バビロニアのディオゲネース(B.C. 240頃〜152)の弟子アキナポロス(Achinapolos) とアンティパトロス(Antipatros)が、人の運命は誕生の時ではなく受胎の時の天体配置から占うべきである、とギリシア人に教えたとあるところからみれば、当時の占星術に誕生説と受胎説のニ説があったことは明らかである。(荒木駿馬『西洋占星術』p.92-93)
ペトシリスは通常、西暦紀元前341年より遅くはあり得ない墓が崇拝の対象となっている神官と同定されており、ネケプソの方は、第25王朝(西暦紀元前663-522年)の支配者のリストの中にある王の名前である。(タムシン・バートン『古代占星術:その歴史と社会的機能』)
[底本]
TLG 0995
[NECHEPSO et PETOSIRIS] Astrol.
a. 2 B.C.
Aegyptius
0995.002
Testimonium (e cod. Vat. gr. 2130)
Test.
F. Jacoby, Die Fragmente der griechischen Historiker (FGrH) #663, Leiden: Brill, 1923-1958 (repr. 1954-1969): 3C:214.
3c,663,T.
(1) SUDA s.v. ペトシリス。アイギュプトス人、哲学者。ヘッラス人たちやアイギュプトス人たちが、神々に関する〔書〕を†著したように、聖なる書からの『抜粋』[星占いの書]を……。また『アイギュプトス人たちのもとにおける秘術について』も。
2017.12.11. 訳了
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