幻日について
[底本] 11,2. (178) 月の諸々の徴について もし月が第3日ないし第4日で、照り輝く光を有すると、好天の徴である。しかしもし火色で黄色い光を有する場合は、風の動きを明らかにする。しかしもし黒くて暗い光を有する場合は、嵐と雨を象徴する。ところで月光そのものはまったく受動的ではなく、いつもそれだけで照っている。というのは、星々に影響を与えるというのは奇妙だからである。ところが、われわれの周りにあるこの大気は、共感性を有し、そういうものとして (179) その光を示す。なぜなら、乾燥した風が吹こうとするとき、生じた乾に与って大気は火となって乾燥するからである。というのは、乾は常に可燃的で火的だからである。そしてこのような大気が発生すると、われわれの視角を散乱させ、かくして月の光を視させ、乾燥した風の徴となるからである。逆に、湿った風が吹こうとするときは、今度は大気は発生した湿に与って、湿から粗くなって、より暗くなってそういうものとしてわれわれに月の光を黒く暗いものとして示す、清浄な風であるのに、あたかも黒雲や雨の暗い原因であるとわれわれが謂うように。 流れ星たちについて。アイテールはすこぶる火のようである。だから"ai[qw"つまり「燃えあがる」意でアイテール(aijqhvrと名づけられたのだ。そして、大地から乾燥した蒸発を受けると、みずからも乾燥して火のようであるので、濃密になってあるものらを火花のように発射するのだが、これをわれわれは星々の軌道と想定している(というのは、星々が動くのではなく、アイテールが火のような煌めきを放っているからである)。だから駆け抜ける煌めきは火花のようにほとんど静止しているのである。その結果、アイテールには密度がある。そして夜には、星々が変化するとき、密に放射する。ここからこれらの軌道が光って見え、出てくる風も期待しなければならない、例えば、北風から突進を作れば、(180)北風を吹かせるように。また、南からだと、南風が。だがもし異なった部分から流れ〔星〕が動けば、異なった風の突進を明らかにする。どこにも雲がなく、星々の光がぼんやりしている場合は、嵐の中に変化を見上げる。眩光のような星々が消えて乱れるように思われると、大風がやって来ることを象徴するのである。星々の駆け抜けが多く密になると、僅かな日数のうちに大水が流出することを象徴する。 諸々の雲について。もし一種の空気のような雲が山裾にできるが、それが山の端に清浄なままとどまれば、好天の徴である。また雲が海洋に現れ、高みにはないが、その海洋の近くに平板に広がり、この雲が平板のようにやや前のめりに海にかかり、????、好天の徴である。もし西から雲が昇ると、嵐である。雲の一部が分離してとどまっているように思えず、これがその上にかかると…… 霧雲がもし大地の上に降りて降り注ぐと、第3刻限までは、好天を象徴するが、それ以上になると、快晴の〔徴である〕。そして大洋は北風をも持つだろう。 2018.12.30. 訳了 [月/天/流れ星/雲] 大地を囲む領域すなわち月下界の現象は、4元素〔火、空気、水、土〕と、その性質〔熱と冷、乾と湿〕という二対の対立原理との組み合わせによって生ずる、とアリストテレースは考えた。4元素はそれぞれに固有の自然的場所を持ち、そこへ向かって直線的に進み、そこに至れば静止する。しかし天体の運動によって動かされるので休むことができず、そのため月下界におけるさまざまの現象を引き起こすことになる。これに対して,「万物の運動の始まり」をなす天体は永遠に円環的な運動であり、完全である。 アリストテレースの考える天界の元素〔第1=第5元素〕と、月下界の4元素の関係を示せば左図のごとくである。 月は天界の最も下に位置する。天界は月下界と接続し、その運動によって熱を月下界に送りこむ。ところで、月下界における4元素の配置は図のように厳密ではなく、つねに相互変化するが、図で示されたものは各元素の自然的な固有の位置である。 大地の近くでは「蒸発」があり、これに2種ある。1つは湿った蒸発で、これによって霧(ajtmivV)ができる。もうひとつは乾いた蒸発(ajnaqumivasiV)で、「大気(ajhvr)」は両者の混合物から成ので、空気の中には「より火的なもの」と「より水的なもの」とが考えられることになる。アリストテレースは気象的諸現象を扱う際に、蒸発(ajnaqumivasiVまたは e[krisiV=分離)という地球自体の活動を取り上げ、これを天体の運動との緊密な連関のもとで考察しようとしたのである。 月下界のなかでも最も高い上の場所、つまり、諸星の運行する場所に最も近い場所で起こる現象が、アリストテレースによれば、流星や彗星や光象(=オーロラ)や銀河の現象である。 (『気象論』泉治典訳註による) |