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back.gifさまざまな抜粋

ギリシア占星術文書目録4350_112

摂理・定めからの解放・運命について





[底本]
TLG 4350 112
De providentia, libero arbitrio, fato
(excerptum e cod. Arundel. 528, fol. 11v)
Astrol.

Date of manuscript = A.D. 15
S. Weinstock, Codices Britannici [Catalogus Codicum Astrologorum Graecorum 9.2. Brussels: Lamertin, 1953]: 111-114.



9.
(111)
 獣帯軌道内にある12宮は以下のものらである:白羊宮、金牛宮、双児宮、巨蟹宮、獅子宮、処女宮、天秤宮、天蝎宮、人馬宮、磨羯宮、宝瓶宮、双魚宮。これらの宮の内を、太陽と月と自余の5惑星が、われわれに対して等しく公転しながら、何らかの成就を示すことは、モーゥセースが、《がこれらを天蓋に定めたもうたのは、徴のため、季節のため、年のためである》〔Gen.1,14.〕と云ったとおりである。しかしながら愛美者なる聖バシレイオスも神言論者グレーゴリオスも、完全な愛美ぶりを発揮して愛美的な書を愛美し、その中で、の天的な書がある、(112) と謂い、将来する万事についてと各々1つについてとのの御意思はすべて神秘的な文字で書かれており、これをの天使たちは神秘的な仕方で見て思惟し、遺漏なく履行するのだが、人間どもはそれ〔天の書〕から究極の真理を確知することができない。それゆえ刻限の度や度の1/60や、太陽、月、自余の5惑星のうえに、地平、中天と上昇点と下降点と地平下を公転する昇交点と降交点、これらはすべて無量であって、昼間の星学者たちは見出すことができないものである。だからこそ、真理そのものについて彼らは絶えず過つのである、人生においてもほとんどすべての事柄をこの術知で言い終えた彼らではあるが。「我々が部分的に知り、部分的に理解する」〔コリントI、13:9〕のは、何ごとかを大雑把に把握するからだとは、聖パウロスの言っているとおりである。

 12ある宮は、前述したものらである。さらに各宮は、全部で360度である(これらは円環とも言われる)からして、30度を有す。とにかく太陽は毎日、24時間の間に1度ずつ、月は1時間の間に1度、公転する。そこで、今日、太陽がどの宮のどの度にその星位を占めているかを見出したければ、158日を取り、次いで、セプテムブリオス月の初めから今日までの日々を加え、全体を合算したうえで、白羊宮から始めて、各宮に各30度を与えよ、そうすれば、日々の多さの数が欠けるところ、その宮と度に太陽が星位をなす、つまり、公転していると言え。ところで、月がどの宮のどの度に星位をしめるか、つまり、その走路を見出したければ、その数がいかほどの日々に属するかを掴み、次いでこれを12倍し、太陽が今日公転している星位から同様に始め、諸々の宮に30<度>ずつの比率で与えよ、そうすればその数が尽きるところ、そこが今日月が公転しているところ、つまり、その星位をなすところと言え。

 知るべきは、星々は可視的であるが、我々に関わる事柄に対して生産的であるとか活動的であつとかいうことはない、それは、我々は上界においてから自律しているからであり、それは神言論において偉大なグレーゴリオスが謂うとおり、 (113) 「引きずられる者の善は、種子をもたらす者以上ではないため」である。しかし我々に関する事柄が生起する前に、星々によって象徴され、明示されようとも、驚くべきことではない。なぜなら既に述べられているからである、将来する事柄や各々一つずつのことについても、はご自身の天にある書に刻銘なさっている、と。そして、書き込まれた、だからえ生じる(なぜならそれは我々の自由意思の選択だから)というのではなく、人間どもの全員と各個が固有の選択によってそういうふうにまたそのことを実行するだろうが、は予見して、予知者として天なる〔書〕にあらかじめ書き記すのみならず、将来する事柄について預言者たちにあらかじめ明かされた、ということである。我々のクリストスとについて,いかにして処女からベトレエムに生まれ、ナザレトで成人し、自分の弟子によって伝承され,その他の事柄も順次経過したのか、後に我々に明るみに出た<かぎりの事柄>、そればかりか王たちについて、ダニエールとナブゥコドノソルに幻視されたかぎりの事柄も、果てはアンティ・クリストスについても、今は個々のことを部分的に言うことのできない事柄についても、生起する前に予告された事柄が数限りなく無数にあるのだから。そこで、生起する事柄や将来する事柄は、そういう結果になるよう、天にある文字によって知っている者たちに部分的に示されるのである。ここから、先にも述べたように、多くの事柄をほとんど実現しないことないし実現困難なこととして、たいてい把握するだろう、月の軌道が自余のすべての星々の下方にあり、より地上に近いから、明らかに、船乗りたちや農夫たちのもとでも嵐や好天について象徴する。それはもパリサイ人たちにおっしゃったとおりである —《天の諸々の徴を判断することをあなたがたは知っている、夕方になると、天が曇っても赤いから、好天を象徴する》〔マタイ16章2-3〕云々。

 そこで知らなくてはならないのは、月がその固有の星位を、それぞれ[固有]の宮のうちにつくるなら、地上の各人に何らか固有の多彩・多様な、万事に関する善き贈り物として、の摂理が明らかにされる。或る場合には、旅する者たちや出航する者たちに、或る場合には故地に帰る寄留者たちに、或る場合には結婚する者たちに、或る場合には盗人たちや (114) 支配されている者たちや、多分なにかを産む者たちに、万事を宰領し運営するの摂理が、将来する万事<について>前兆が示される。だから、我々にすぐに到来せんとする恐るべきことどもを、我々は免れることを望むことが可能なのである、我々は自立してもいるのだから。というのは、はあなたがたに次のように告げておられるからだ、曰く、《将来の事が生じるときに逃れる資格があると認められるよう祈れ》〔ルカ21章36〕と。あなたは知っている、以上すべての思われ言われる将来の事は祈りによって解かれ、その結果から起こるのではなく、高きロゴスによって将来すると言われているということを。選択の自由はわたしたちに存するのではない。故に、選択する万人にとって善はが共働したもうことであり、したがって、総てがわれわれに存するのでも、全体がに由来するのでもなく、われわれの側からは、自由意思の選択によって望み、祈りによって善を始めることがあらねばならない。われわれがかかる情態にあるときにこそ、万事が敬虔なこととしてに嘉されるだろう???    、これにおいて彼〔神〕がわれわれの共働者となってくださり、父とし、息子とし、善き霊として、神聖のひとつの意思と力として手助けしてくださる故に。

2018.11.26. 訳了



 

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