7界の期間
ギリシア占星術文書目録4350_155
ローマの星占い師についての証明
|
[底本]
TLG 4350 155
Testimonia de astrologis Romanis (excerpta e cod. Paris. suppl. gr. 607 A, fol. 43)
Astrol.
Date of manuscript = A.D. 10
F. Cumont, Codices Parisini [Catalogus Codicum Astrologorum Graecorum 8.4. Brussels: Lamertin, 1921]: 99-101.
8.
(99)
占星術師の元老院議員ニギディウス・ピグゥロスが、アウグゥストス〔ローマ初代皇帝。在位前27-後14年〕の父親オクタビオスに、なぜ遅刻してきた理由を尋ねた。そこで相手が、自分の息子が生まれたのだ、と答えた。すると彼は叫んだ。「おお、何てことをしでかしたのだ。われわれの主人を生んだとは」。そこで相手は信じて、混乱し、それを亡き者にすることを望んだ。しかしニギディウスは彼に向かって謂う。「それはできぬ、それをすることは許されていないから」。
ティベレイオス・アウグゥストスの教師トラシュッロスについて
トラシュッロスが星学を修得した程度たるや、あるときティベレイオス〔ローマ皇帝。在位後14-37年〕が彼に腹を立てて、ローマ(そこで暮らしていたから)の城壁から彼を突き落とすことを望んだとき、トラシュッロスは嘆息・悲嘆したので、ティベレイオスにその理由を尋ねられた。すると彼はこう答えた、「最大の難局がわたしに近づいていることを察知します」。そこでティベレイオスは彼に驚嘆して、彼を放免した。
(100) 他の第2。ティベレイオスがローマからはるか遠くの浜辺に着座していたとき、船が彼のもとに到着した。そこでトラシュッロスに船の荷を尋ねた。そこで彼が謂った、〔船の荷は〕アウグゥストスで、彼にローマへ帰るよう頼むその母からの書簡を携えている、と。
ティベレイオスについて
星々に関する事柄についてトラシュッロスに益される程度たるや、かつてガルバに出会った者が、こう云ったほどであるということ、「君もいつか嚮導権を味わうことだろう」と。
他の第2。かつて、ゲルマーニコスの子ガイオス〔カリグラ〕とティベレイオスの子ティベレイオスとが実戦訓練をしていたとき、ガイオスに向かってティベレイオスが謂った。「どうして本気になるのか? 君もこいつを殺し、他の者も君を〔殺すのに〕」。
他の第3。ポイニクス人がアイギュプトスに現れたとき、トラシュッロスは、ティベリオスの死を明らかにするだろうと言った。しかしそのことを彼には隠していた。ただ、さらに10年生きるだろうと彼には言った、その後望むことを為し、殺人や財産の剥奪について無頓着でいられるように。
ネローンについて
彼の帝政の終わりに、魔術師たちや占星術師たちに腹を立てて、公布を出し、彼らが所定の日以内にイタリア全土から出てゆくようこれを公示した。
ほぼ次のような事も、古人たちが言っているのに、わたしは信じない、とりわけベスパシアノス〔=ウェスパシアーヌス。ローマ皇帝(在位69-79)。フラーウィウス朝の創始者〕に関して、盲人や別の不具者の類を、何らかの夢見によって治癒させたということを。
第1。ドメティアノス〔=ドミティアーヌス(在位81-96年)フラーウィウス朝最後の皇帝〕について言われている超自然的なことををどうして信じえよう。つまり言われているところでは、ゲルマニア・デーモシア??の星占い師にして魔術師プロクロスは、〔帝が〕殺される日を予言したという。それ故にこそ縛られてローマに護送され、ドメティアノスのもとに連行されたが、〔帝が〕命終するはずの当の日を当人の目前で云った。そこで相手はこれを牢に幽閉されるよう命じたが、それは、咎人が自分の目前で亡き者にされる (101) ためであった。しかし相手が、「わしを殺すことはない、わしの定めではないからじゃ」と云っている最中に、ドーメティアノスは亡くなったという。
第2。星占い師アスクレーピオスがドメティアノスに謁見した、曰く、次の日、その日の第5刻限前に彼がきっと暗殺されるだろう、と。すると相手が笑って云った、おまえは必ずやすぐに犬どもに食いちぎられよう、と。そして彼が嘘つきであることを証明せんと望んで、十字架に括りつけて焚殺されるよう命じた。かくて火が燃えあがるや、猛烈な豪雨が襲来して、火が消えてしまった。しかも雨の激しさ故に、番人たちが逃げ出したため、犬どもが襲ってきて彼を食いちぎった。まさにこのことを知ってドメティアノスは、自分についても真実でないはずがあろうかと恐怖に陥った。そしてそのとおりになった。
2018.06.01. 訳了
[ニギディウス・フィグルス]
Publius Nigidius FigulusPhigOlos. (前98頃〜前45) ローマ共和政末期の博識な学者。キケローの友人で、当時ウァッローに次いで博学な人物と目された。前58年に法務官を務めたが、内乱時にボンペイユスを積極的に支持したため、パルサーロスの 敗北(前48)後、カエサルに追放されて流謫の地に没した。ピュータゴラース派哲学を熱心に信奉し、占星術や魔法を自ら行ない、オクタ一ウィアーヌス(のちアウグストゥス)誕生の時には出産時刻を聞いて「世界の支配者が生まれた!」と予言したという。文法学書Commentarii Grammatici、天文学書Sphaera、宗教学書De Diisの他、 魔術、占星学、動物学、等々、多岐にわたる豊富な著作があっ たがことごとく散逸。エトルーリアの卜占術の影響を受 けた前兆に関する論文の断簡などが残るに過ぎない。超自然現象に通じたオカルト学者として名声を博した。
[トラシュッロス]
Tiberius Claudius Thrasyllus メンデースの(アレクサンドレイアの)(?〜後36)ティべリウス帝側近の占星術師。アウグストゥス帝の治下、不遇のティべリウスがロドス島に隠栖中(前6〜後2)、その登極を予言して 信任を得て以来、常にティべリウスに随伴し、毎日彼のた めに占いを立てて重用された。晩年のティべリウスが恐怖政治を布いて大勢の名門人士を死に追いやった時、トラシュッロスが「陛下には、なお10年の聖寿を保たれることでしょうゆえ」と処刑を急がぬよう説得しなかったならば、さらに多くの人々が殺されていたであろう、といわれている。哲学者・文献学者としても知られ、ブラトーンの著作を4部作集に編集、ローマ市民権を授与され、一族はその後いわば帝室専属の占星学者として活 躍した。彼の息子バルビッルスはネロー帝誕生の折に「この児は政権を掌握するでしょう。さりながら母親を殺すことになるでしょう」と正しく予言したという。
なお、トラシュッロスがティべリウスの信頼をかち得たのは、初めて招聘された折に、ティべリウスの未来ばかりではなく自分自身の運命を的確に予言することができたからであるとされている。すなわち、当時ロドスの城館の塔に1人で閉じこもって占星術に耽っていたティべリウス は、占星術師を呼び寄せては自らの隠し事を打ち明けた後で必ず相手を崖下の海に突き落として抹殺していたのだが、トラシュッロスだけが「汝自身の今日の運勢を知っているか」と問われて、星位を計算したとたん、恐怖と驚愕にとらわれて顔面蒼白となり、我が身に迫る危険を察知し得たからであるという。
(『西洋古典学事典』)
|