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[人物] [底本] 11,1. (168) 第55章 カタルケーの教えについてもし汝が、文字とか別の何らかの学問を学び始めるカタルケーを見出したいと望むなら、月をして水星と星位を同じくせしめ、両者をして悪行する星にならぬようなさしめよ。しかし、双児宮あるいは処女宮をしてアセンダントにあらしめよ。しかし水星をば東と北に昇らしめて、邪魔するものたらしめてはならず、もとより固有の失墜にあらしめてもならず、障弊されたるものとしてもならぬ。さらにまた水星の宿主をも同様にさせ、月は南に下降せしめたり光量の点で減少させてもならない。なぜなら、かかる状態では、学び怠惰を植えこむからである。だが月が善をうけられるようさせることができなければ、これ〔月〕とこれに障りをなす星をして基本方位を通過したものとなさしめよ。 汝が何を質問せんとしているか知ることについて汝がその質問を知りたければ、見よ、生まれるか、質問が夜間に行われ、幸運籤が第12トポスにあり、太陽と月が第6トポスにあり、それらの区界の支配星が固有の宿にもおらず、昂揚にもあらず、三合にもあらず、区界にもないとき、その質問は男奴隷か女奴隷に関してである。しかし、月が幸運籤といっしょにあるか第6トポスか 第12 (169)〔トポス〕かにあり、土星と火星との星位にあるとき、その質問は病人か魔法をかけられた者についてである。だが、木星ないし金星との星位にあるときは、病から解放されるであろう。 他の方法ところで、ドーロテオスは謂う。「幸運の籤を見よ、そしてこれがアセンダントにあるのを見出したら、自分自身か、おのれの故国か、自分にとってふさわしい行事について質問せよ。しかし、幸運の籤を第2トポスに見出したら、行事か、田畑か、公事か、契約か、疑問について質問せよ。だが、第3トポスに見出したら、兄弟か、愛友か、親族か、義理の兄弟について、あるいは夢か、王者の行いか、出郷について質問せよ。しかし第4トポスになら、不動の土台、例えば、家や家財について質問せよ。しかし第5トポスになら、生子や、富や、変化について、あるいは女の賜物について質問せよ。しかし第6トポスになら、自分の身体における何らかの病について、あるいは奴隷たちについて、あるいは強壮について、あるいはダイモーンに憑かれた者とか、魔術をかけられた者とか、海難者、場所から場所への移動について〔質問せよ〕。しかし、第7トポスになら、結婚についてか、女たちについてか、物の紛失とか、死とか、出郷とか、女たちの愛勝とかについて〔質問せよ〕。しかし第8トポスになら、相続とか、病弱とか、何らかの昔の行いとか、愛勝とか、奴隷たちについて〔質問せよ〕。しかし第9〔トポス〕になら、出郷とか文字とか昔の行いとか書物とか夢とかについて、あるいは星占いの基礎についてとか、王者たちについて〔質問せよ〕。もし第10〔トポス〕になら、栄光と行為と覚知と名誉ある行いについてとか、女たちや生子たちとか、権力者について〔質問せよ〕。もし第11〔トポス〕になら、愛友たちと支配者たちとの交際について質問せよ。もし第12〔トポス〕になら、最近陥った何らかの行いについて、あるいは不運とか、盗難とか、あるいは出郷とか損害とかについて、あるいは (170) 奴隷たちについてとか、棄教したいと望んでいるある者についてとか、四足動物について〔質問せよ〕」。 万一幸運籤が男性型の宮にあるとしたら質問は男たちに関係する。しかし女性型〔宮〕にあるなら、女たちに関係する。しかし幸運籤が第3トポスにあり、縁起の悪いものがこれと同在するなら、愛者の友たちはその敵となり、その宮が二重身型なら、その敵意は古く、間違いなく屠られてしまっていることだろう。 他の方法ある人たちが云った。「月の第12番目の区界がどの宮に落ちるかを見よ、そしてそれを四足型宮に見出したら、質問は四足獣に関してである、その区界の主が四足型宮にある場合には特にそうである。しかし人間形をまとう宮に落ちる場合は、ある人間たちとその行いについて質問せよ。しかし土型〔宮〕になら、地上のものらや家や建物について質問せよ。しかし水型〔宮〕になら、水や船や、水路を使って帰還するものらについて質問せよ。 第111章。禦者について、誰が勝利するかもし汝が誰かから御者について、いかなる者が勝利するかと質問され、しかし質問者が走る馬たちの中に馬を有しており、質問者が護民官であるか御者であるか馬を世話するなら、通過する〔刻限を支配する〕星を見よ、そしてもし〔それが〕ホーロスコポス星なら、彼の馬が勝利するだろう:だがもし天中にあるなら、二等になるだろう:第11トポスと第3トポスにある場合も同様である。だがもし第9〔トポス〕にある場合は、中等を行くだろう。だがもし第4〔トポス〕になるなら、その後ろに別の馬はいない。だがもし通過する〔星〕が固有の失墜位にあるなら、騎乗した御者はその走路に (171) 怯んで転落するだろう。だがもしまた通過する〔星〕が固有の失墜位に諸々の悪行する星があるのを右に見るなら、通過する〔星〕が所属する獣帯星座に君臨する星の身体の部分を負傷するだろう。だがもしこういう通過する〔星〕が、第8トポスにおいて固有の宿から四合ないし合ないし対座にあるのを右から見るなら、走者はその馬から落ちて死ぬだろう。しかも、通過する〔星〕が属する獣帯星座の主星なら、こういうことがより悪く、月の場合も、悪行されるだろう。 第112章.誰が勝利するか、言葉なきもの〔馬〕をもたぬ質問者について。[別の巻における残りの要点をも探究せよ]。これについて質問されたら、ホーロスコポスの主星、つまり、通過する〔星〕を見よ、またもしホーロスコポスにあるか、あるいは、星々のどれかがホーロスコポスにあるか、中天にあるか、アガトダイモーン〔第11トポス〕にあるなら、その星の色を有する当人が勝利するだろう。またもし勝利を明らかにする星が、固有の高揚ないし宿ないし区界ないし第2トポスにあるなら、その馬は高名にして世に喧しいものに属するだろう:だがもしそうでないなら、みすぼらしい。 第60章.マッサリアの左からのアスペクトの行道は、プトレマイオスの左からのアスペクトよりも精確だということ、また、等しい度の左からのアスペクトは、昼夜平分時の軌道を宿にする星々にふさわしいということ。サダーン〔?〕は云った:いわゆる左からの角距離は、いかなる行道で真実なのか? 彼が云った:プトレマイオスの行道によって:だがより精確のはマッサリアの行道であり、これはわたしが使ってもいる。だがわたしはアポマサルに云った、つまり、ある人たちが左からの角距離を等しい度数でとり、これらに関する行道を使わないのか、と、すると彼が云った:あなたが言うのは真実であり (172) 虚偽でもある。なぜなら、等しい軌道を宿にしている〔星々〕に関してはあなたの言うのは真実であり、左からの角距離を同じ度数で取らなければならない:しかしより昼の長い地域においては、左からの角距離の行道を調和的に用い〔なければならない〕からだ、と。 第162章.星のおのおのが、善行する星ないし悪行する星から、時間の転換時に、似た星位になることによって何を象徴するかについて。月が土星と。もし時間の転換時にそのような形になるなら、黒胆汁的病や弛緩的病、鳥類の墜落、降雪、霜を象徴する:また旅人の多くが雪に塞がれるだろう。だがもし土星が対座になれば、第10トポスから或る人の年に転換が起こり、権力者たちからの害、危険な出郷、牢、王たちからの恐怖を象徴する。だがもし転換時に土星と合になれば、策略、悪行、建物への欲求を象徴する。 月が木星と。もしも宇宙年の転換期に月が木星と同道するなら、善を、さらにまた教会の再建や文字の世話や祝祭をも象徴する。もしもこれを月が四合にとるなら、信念や思念や同類のことに関する争いと反論を象徴する。もしも第10トポスから右にアスペクトをとるなら、裁判官たちや神官長への告訴や、思想や等しい事柄の先慮を象徴する:もしも三合ないし六合からこれと等しい形になるなら、思想の穿鑿や書物における行き詰まりの解決を象徴する。 (173) 月が火星と。もしも宇宙時間の転換の時期に月が火星と同道するなら、諸々の戦争や流血や虚偽や捏造を象徴する。もしも人間の誕生時に月が白羊宮において火星と同道するなら、これを善行する星が右にアスペクトをとらぬかぎり、生まれるものは短命であることを象徴する。もしもこれを第10トポスから月が右にアスペクトをとるなら、諸々の権力や不正や暴力を象徴する。もしも三合ないし六合からこれと同じ形をとるなら、さらなる所有や婚姻に関して競合を象徴する。 月が金星と。もしも月が金星と同道するなら、女たちの争い、暴力的な婚姻、逸脱、偽証を象徴する。もしも四合の形からこれと同じ形になるなら、女たちとの秘密の交合を象徴する。もしも第10トポスから同じ形になるなら、秘密の交合が露顕することを明らかにし、 月が水星と。もしも月が水星と同道するなら、知の探求と知識の隠された事の質問を、第7トポスないし地平下に遇在する場合にはとくに、象徴する。もしも第10トポスないしホーロスコポスに遇在する場合には、苦労や困難を伴うことなしに知が明らかとなるだろう。もしも三合ないし六合からこれと同じ形になるなら、知は扱いやすいものになり、またもし善行する星と出会うなら、完全に善となろうが、悪行する星となら、正反対になろう。 太陽が水星と。また次のこともわたしは云った、つまり、太陽と水星の同道は神秘を隠し、知恵や学問を不分明なものとなし、書物や発言をもかくす。もしも太陽と水星が誰かの誕生時にたまたま同道すれば、こういう誕生を有する者は、魔術に仕返しするだろう。もしも第2〔トポス〕に遇在するなら、(174) 黄金造りの着手を象徴する。もしも第3トポスになら、放蕩や小年を堕落させることを象徴する。もしも第4トポスになら、両親や親類からの苦痛を象徴する。 水星が木星と。もしも誰かの誕生時に水星が木星と同道するなら、知や知恵の、さらには雄弁や対話的対話術への衝動や、秘密事の知を象徴する。もしも水星が木星と、三合ないし六合の形によって合になるなら、規定を心がける者やそのために愛勝する者を象徴する。 水星が火星と。もしも水星が火星とたまたま同道するなら、盗人や盗賊や贋金造りや捏造者たちを象徴する。もしも水星が火星と三合になるか六合になるなら、黄金造りや、火による製作の術知の大いなる心得を象徴する。 水星が金星と。もしも水星が金星と同道するなら、評判や書物や女たちの秘儀、子どもたち、合唱を明らかにするが、降雨の時期に多雨をもつくる。 金星が太陽と。金星と太陽との同道は、難産、流産、夫に対する妻の苦汁、またしばしば離別をも。 金星が土星と。金星とこの神との同道は、女たちの慎みと健在、香料、真珠、貴石への欲求を象徴する。 金星が火星と。金星と火星との同道は、淫蕩、貫通、女たちの害を象徴する。もしも第10トポスに遇在するなら、女たちが使いものにならなくされるあまり、王たちからさえ観劇されるまでになる???。 太陽が土星と。太陽と土星との同道は、疫病人やエウロビア(?)や不詳、罠、不正行為を象徴する。もしもこういう形が第10トポスに遇在するなら、大いなる必然が権力者たちから聴従させられることを象徴する。もしも第7トポスに遇在するなら、(175) 人間どもや争いをめぐっての二律背反や愛勝があるだろう。 太陽が木星と。太陽と木星の同道は、不正、正義の消滅、裁判の害、不信を象徴する。もしも第10トポスに遇在するなら、服従に対する王たちの不正を象徴し、不正を正義のごとくに考えるだろう。また満足も生じるだろう。だがもし第7トポスにあるなら、格闘、殺戮、暫増する敵が生ずるだろう。 土星が木星と。土星と木星の同道が象徴するのは、人間どもをめぐる大いなる、多数の致命的な競合や、愛称や争いである。また第4トポスに遇在するなら、みずからの思念を真実であるかのごとくに人間どもに呼びかける一部の偽預言者たちが現れるだろうが、さまざまな離反も生じるだろう。もしも第10トポスに遇在するなら、人間どもが権力者たちから諸々の必然や苦痛や出郷や恐怖や処罰に服せられるだろう。 第165章.知識の諸徴候について。星学の徴候は二重である、 第176章.星々の性悪さについて。星々はさまざまな仕方で悪行されると知れ。それら〔星々〕の第1の逆境は、太陽の15度以内にあるとき、次いで、それらの失墜に遇在するとき、次いで、悪行する星に同道し、その光線の下にあるとき、次いで、基本方位を過ぎ去ったとき、次いで、それらの対座に遇在するとき、次いで、燃えあがった帯層に見出されるときである。ところで、燃えあがった帯層とは、天秤宮の初端から天蝎宮の (177) 末端までである。また、太陽は金星と月を最大に害すると知れ:なぜなら、両方とも水っぽく、太陽は色の点でそれらと異なるから:というのは、〔太陽は〕黄色く熱いのだから。土星の方は、おそらく寒の点で太陽と異なるが、乾の点ではこれと協和する。だが木星は熱さの点で太陽と協和するが、湿の点でこれと不協和となる。また、太陽は、白羊宮に見出されるときにとくに有力なものとなるが、それはこれの高揚だからである。また、このような宮にあるとき、正義愛にして恐るべき王と等しいが、天秤宮にあるときは、その失墜にあり、太陽は天秤宮から人馬宮まで悪行される:なぜなら、中間の宮は失墜中の失墜と名づけられ、太陽がそれらの宮に下降し、大地に接近する故である。また星々の或るものが太陽から悪行される場合、多くの逆境を被ることがないのは、このようなトポスにある太陽が不能だからである。だがもし星々のあるものが白羊宮にある太陽から悪行されるなら、それによってひどく悪行される。だが星が太陽と同道し、火星から悪行される場合は、火から助けられるひとや、ライオンに取り囲まれたひとに等しい。だがもし星が太陽の光線から脱出し、土星から悪行されるなら、大きな必然から助かったものや穴蔵に転落したひとに等しい。だがもし星が太陽の15度以上になって木星の反対側になれば、蛇に咬まれて、呪文によって癒されるか、医者たちによって助けられるひとに等しい。だがもしその星が太陽の光線から助かり、金星によって形をとられるなら、惨めなひとや貧しいもの、多くの心配を持ったひとに等しく、このひとはあの食べ物や飲み物や着物や、陽気な行事のあの苦労やをもったひとである。 第49章.星の数について。星々は一種の有理数を有しており、これらは (178) パルタリオイと言われるが、これについてここで簡単に説明しよう、ただし、これの起因は別の巻に書いた。そこで、太陽のパルタリオンの数は10年、金星のパルタリオンは8年、水星の13年、月の9年、土星の11年、木星の12年、火星の7年、降交点の3年、昇交点の2年:合計75年である。これらの年数は4重に解される。すなわち、最大年、大年、中年、小年である。そして太陽の最大年は1461年、金星の1151〔年〕、水星の480〔年〕、月の1152〔年〕、土星の256〔年〕、木星の427〔年〕、火星の283〔年〕。太陽の大年は120〔年〕、金星の42〔年〕、水星の76〔年〕、月の……、土星の……、木星の……、火星の……、これらの中年は:太陽の39〔年〕6〔ヶ月〕、金星の45〔年〕、水星の48〔年〕、月の39〔年〕6〔ヶ月〕、土星の43〔年〕、木星の45〔年〕、火星の40〔年〕。これらの小年は:太陽の19〔年〕、金星の8〔年〕、水星の20〔年〕、月の25〔年〕、土星の30〔年〕、木星の12〔年〕、火星の15〔年〕である。 第50章.星々の固有性について土星の気質と固有性は寒にして乾、黒胆汁的で、陰鬱、粗雑、鈍重、不潔である。また大食らいをも友愛を守る人間たちをもつくる。また農事や不動の土台の世話、農作業や家事や水利つまり水源や川の、また畑の配分や富や追加収入や近傍地の心配をも象徴する。だが土星が悪行されていると、(179) 吝嗇、恐るべき貧しさ、日傭い労働者、海路による出郷、長い出郷、無益なものらを象徴する。さらにまた逃亡者たち、邪悪な者ら、遺恨をもつ者ら、陰謀者たち、欺瞞者たち、有害な者たち、孤独好き、人間どもとの交際を憎むことをも象徴すす。さらには、虚勢や荒廃をもたらす。また、王たちや支配者たちに悪しき働きとなる人間どもや、誣告者たちを象徴する。また時にはロゴスにおける真理や、諸々の経験や、熟慮、説得、深み、内密を象徴する。 さらに苦行者たちをも修道者たちをも世捨て人たちをも象徴する。 第51章.木星について。木星の気質は熱にして湿、大気的、対称的である。象徴するのは栄養的力能をも、さらには生命的〔力能〕、身体そのもの、子どもら、出産、その先の生子、さらには (180) 第52章.火星について。火星は気質的に熱にして黄色、火性的である。黄色と苦い副食物を支配しはするが、象徴するのは若い年齢、力能、良稟、不順な暑さ、火、焼却、上界に生ずるあらゆること、さらには僭主的な王たち、将軍たち、将兵たち、暴力行為、戦争、殺人、勇ましさ、忍耐、名誉愛、圧迫することの (181) 欲望、遺恨、確信、カタルケー、案内、別離、略奪、 第53章.太陽について。太陽の気質は熱にして乾、支配するのは生命力と光と燈火、思慮、知、思念、人生の中間の年代である。象徴するのは王たち、執政職、支配者たち、将軍たち、分別のある者たち、生まれ良き者たち、諸々の力能、諸々の欲望、輝かしさ、名誉、名誉愛、高慢、受容力のなさ、多衆からの称賛、名誉欲や富の欲求、黄金愛、遭遇の多さ、熱心さ、悪に悪を仕返すこと、近くを憎むが、遠くを心にかけること。また時には太陽は益するが、時には害し、時には(182) 暴力的だが、時には引き上げ、時には引き下ろす。象徴するのは信念に属する事柄や両親や兄弟や中間に関する事柄。象徴するのはまた黄色や青白さや乱交や、敵どもに対してや不正者たちに対して力能を有する故である。 第54章.金星について。金星の気質は湿にして粘液質、ただし湿性は程よい。また善行する星でもある。象徴するのは女たち、母親たち、妹たち、スパストラ??、美飾、黄金の飾り、銀細工、友たちへの真っ直ぐな態度、さらにまた蔑視、養い、諸々の快楽、楽器の演奏、教育、笑い、歓喜、陽気、合唱舞踏、ザマラ??、楽器の動き、結婚、韻律、聴衆を喜ばせる律動のある声、西洋将棋??、祝祭、怠惰、政治的言説、さらには姦通女たち、淫蕩、姦通男たち、多数の誓い、葡萄酒、蜂蜜、強い酒、多重婚、少年愛、娼婦、愛友愛、万人に信愛されること、寛大さ、親切、気立ての良さ、若さ、快適な情態、恋情、体力、だが魂の無能さ、万人への欲望、欲望。象徴するのは清浄な術知、例えば黄金精錬術、肖像術、抒情施術、さらには正義、交易術、香料製造術。 (183) 第55章.水星について。水星の気質は以下のように、これと合になる星がそれであるような、そういう〔気質〕である。象徴するのは諸学や未来の予知の開始、ロゴス的諸知識、 第56章.月について。月は夜間の光もたらすものであるが、その気質は冷にして湿、粘液質である。光による熱の付加を象徴するが、これは太陽から受け取るものである。また〔月は〕軽くてよく動く。象徴するのは快楽を愛する、姿良く、称賛を愛する人間どもであるが、また象徴するのは、諸行事のカタルケーや王たちや生まれ良き者たちや人生に関する運や幸運や、希望する事柄の成就や、教義的対話、天空の知、驚異的術知、魔術、(184) 憂慮、地理学、大地や河川の知識、さらには算定をも。象徴するのは生まれ良き女たち、結婚、妊娠した女、養育、母親たち、女神たち、年長のきょうだい、年寄りたち、世評、逃亡者たち、虚偽、誣告をも。だが,王たちといっしょなら王の知己となる人間をつくるが、奴隷たちといっしょなら奴隷の知己を〔つくる〕。また象徴するのは忘れっぽい者、臆病者、清浄な心臓を持った者、万事に対して率直にふるまう者、万人から尊敬される者、固有の秘密を隠さない者である。また病の多さ、優賞牌に関する快楽を象徴する。また性愛に関してわずかしか動かされない者たちをもつくる。 第65章.アポマサルの、12トポスの籤について。 第1トポス。 生命の籤。このホーロスコポスは3つの籤を有し、その第1が生命に関する籤。取られるのは昼は木星から土星までと、ホーロスコポスからの等分、夜はその逆である。そこで、こういう籤が美しい情態にあると、長生き、身体の良好、魂の上機嫌を象徴する:しかし損傷されると、短命、大いなる疲弊、苦痛、懈怠を象徴する。 第2トポス。 第1籤:富の〔籤〕。第2トポスは3つの籤を有する、このうち昼間と夜間に採りあげられるのは、第2トポスの主星から、第2トポスの度までと、ホーロスコポスからの等分である。そこでこういう籤は利得や利益を象徴する。そこで美しい情態にあると、富や数多の利得だが、損傷されると貧乏や不利益な出費を象徴する。 第3トポス。 <第1>籤:兄弟たちの〔籤〕。 第4トポス。 第1籤:両親の〔籤〕。 第5トポス。 第1籤:子どもたちの〔籤〕。 第6トポス。 第1籤:疲弊と病状の〔籤〕。第6トポスは4つの籤を有する、このうち第1は疲弊と病状の〔籤〕である。採りあげられるのは昼間は土星から火星まで、夜間はその逆と、ホーロスコポスから等しい度数である、さればこういう籤とその主星が悪行されると、生まれる子は病弱であることを象徴するが、善行されると虚弱さは少ないことを。 第7トポス。第1籤:男たちの結婚の〔籤〕。第7トポスは16の籤を有する、このうち第1は男たちの結婚の籤で、採りあげられるのは昼間と夜間の土星から金星までと、ホーロスコポスからの等しい度数であるが、こういう籤が象徴するのは男たちの結婚に関することである。されはこの籤が美しい情態なら男にとって美しい結婚をもたらし、とびきり美しい女と結ばれ、彼女によって益されるだろう:だがもし悪い情態なら、その逆である。 第8トポス。 第1籤:死の〔籤〕。第8トポスは5つの籤を有する、そのうち第1籤は死の〔籤〕である。採りあげられるのは昼間と夜間に月から第8トポスの度数までと、土星の度数からの等しい度数。さればもしこういう籤とその主星が悪行され、善行する星によってアスペクトをとらないと、横死が約束されるだろう:だがもし善行する星によってアスペクトをとられるなら、平和な死を遂げるだろう。 第9トポス。 第1籤:出郷の〔籤〕。第9トポスは5つの籤を有する、このうち第1は出郷の〔籤〕であるが、採りあげられるのは昼間と夜間は第9トポスの主星から第9トポスの度数までと、ホーロスコポスからの等しい度数であり、出郷に関する事柄を象徴する。 第10トポス。 第1籤:生まれの良さの〔籤〕。第10トポスは12の籤を有する、そのうち第1は生まれの良さの〔籤〕である:採りあげられるのは太陽の度数からその高揚の度数まで、つまり、白羊宮の19度まで、夜間は月の度数からその高揚の度数まで、つまり、金牛宮の3度までと、ホーロスコポスからの等しい度数までである。さればこういう籤が美しい情態なら、生まれる子は生まれが良いことを明らかにするが、悪いと、生まれが悪いことを。 第11トポス。 <第1>籤:幸運の〔籤〕。第12トポスは11の籤を有し、このうち第1籤は運に関する〔籤〕で、採りあげられるのは昼間は運の籤からダイモーンの籤まで,夜間はその逆と、ホーロスコポスから等しい度数である。さればこの籤が美しい情態にあると幸運を象徴するが、悪いと不運を。 第12トポス。 第1籤:敵の〔籤〕。第12トポスは3つの籤を有し、このうち第1は敵に関する〔籤〕であるが、採りあげられるのは昼間と夜間に土星から火星までと、ホーロスコポスから等しい度数である。さればこれが美しい情態にあると、敵は少なく、それらからの害も少ないことを象徴するが、悪いと、その逆を。 第66章.7惑星にも第11トポスにも帰せられることなき籤について。 第1籤は始点の〔籤〕であるが、採りあげられるのは、かりに出生が合に属するなら、先に生じた合の度数から月までである:だがもしその誕生が満月なら、満月の度数から月までと、ホーロスコポスから等しい度数である。だがこういうトポスは大きな力能を有し、それゆえまたその馴行をもたらす。また善行〔星〕に遭遇するときは、善を明らかにするが、悪行〔星〕に〔遭遇する〕ときは、危地を見舞う。なぜなら、こういう籤が見出される前に、大きな危地が生じるが、その原因を古の人々は見出せなかった:だが見出されたとき以降、人間どもはあらゆる危地の原因を知ることになったからである。 第7章.何について質問しようとしているのかを、訊かれた者が幸運籤から知ることについて。それぞれのカタルケーのために、運の籤を取れ、そうして、ホーロスコポスの何番目のトポスにあるかを考察せよ、そうしてもしホーロスコポス上に運の籤を見出したら、相手は生命と時間の土台と心魂的気息と先祖について質問しようとしていると言え。だがもし第2〔トポス〕にあるなら、人生の判断と女の絡み合い、あるいはまた死体の行事や贈り物の受け取り、交わり、契約に関係する。だがもし第3〔トポス〕にあるなら、兄弟姉妹とか愛友たちとか客人とか親族とか女の神々とか男の〔神々〕とか夢とか宗儀とかに、時には権力にも誰かの逃亡にも関係する:彼の籤がもし逆なら、愛友に対する敵意を有し、だがもし二重身宮にあれば、既に生まれた〔女児〕や今度は生まれるだろう〔女児〕に。だが第4〔トポス〕にあるなら、土地や何かに先立つ秘密や宝物に関係するが、特にその宮が王的なら、所有とか家とか、また両親や宝物や墓や何か見えないものらや、場所や都市や老人たちの顔や家のことの変化に関係する。だが第5〔トポス〕にあるなら、子どもたちや金銭や解法奴隷たちあるいは女あるいは都市あるいは何か善きことの導入に関係する。第6〔トポス〕にあるなら、災禍あるいは受苦あるいは何らかの外国旅行、あるいは奴隷たち(これは女性宮に属する時とせよ)、あるいは罰、あるいは何らかのアクロテーリアスモス???、あるいは不正、あるいは四足動物に関係し、女性の顔によって敵意、策謀、反乱を〔???〕。第7〔トポス〕にあるなら、結婚、あるいは何か女性的な顔、あるいは何か不明なまま生ずる害、あるいは病弱さ、あるいは (203) 移住、あるいはし、あるいは外国旅行、あるいは女の交わりに関係する。第8〔トポス〕にあるなら、死、あるいは相続、あるいは屍体の行事、あるいは明白なことに関係する。第9〔トポス〕にあるなら、外国旅行、あるいは命終、あるいは秘儀、あるいは夢、あるいは法習、あるいは決まり、あるいは告発、あるいは星学に関係するが、それは男性〔宮〕に属する時とせよ。第10〔トポス〕になら、行為、あるいは初め、あるいは評判、あるいは価値、明白な行事、何か新規のこと、あるいは子どもたち、あるいは進歩、あるいは女に関係する。第11〔トポス〕になら、現有する友たち、情態、評判に関係し、男性宮にあれば男たちに、女性〔宮〕にあれば女たちに関係する。象徴するのは子どもたち、あるいは金銭、あるいは解法奴隷たちや贈り物に関しても:第12〔トポス〕になら、恐怖とか危険や掠奪される行事や、盗難、罰、敵ども、裁判、奴隷、服従、外国旅行、病弱あるいは四足動物に関係する。だがもし運の籤が第3宮に落ちるが、その主星が反対になると、友に対して敵意を有し、運の籤の主星は諸々の顔を明らかにするだろう。 (266)第54章.諸々のカタルケーについてもし、何らかの行事を始めることを望むなら、ホーロスコポスとその主星、月、月の宿の主星、月の宿の主星の宿の主星に善行し、悪行しないものにして、諸々の善行する星によってアスペクトを形成するものたらしめよ。だがもし、そうすることを望まないなら、ホーロスコポスと月とに善行し、善行する星を基本方位にあるものとせよ、そしてこれらの基本方位上に悪行する星が見出されてはならない。また、カタルケーにおける月の悪行を (267) 避け、そうして、可能なかぎり、月に善行し、これをホーロスコポスに置いてはならない:厄除け〔星〕だからである。月と、ホーロスコポスの主星とを、固有のトポスをアスペクトにするものたらしめよ。だがもしホーロスコポスの主星が悪行する星なら、三合ないし六合の形からこれをホーロスコポスとしてアスペクトをとらせよ。だがもしホーロスコポスの主星と月の宿の主星が悪行する星なら、 第55章.カタルケーの教えについてもし文字ないし何か別の学問を学ぶためのカタルケーを見出すことを望むなら、月と水星が、どちらも無悪星となるよう、同じ形にならせ、双児宮ないし処女宮をしてホーロスコポスたらしめよ。また、水星をして夜明けに北に昇らせ、逆行させず、もちろん固有の失墜にも悪行された星にもさせるな。また水星の宿の主星をもそういうふうにさせず、月をして南に降交するか、光が闕けることにも与らせるな:なぜなら、もしそういうふうなら、学において粗雑さを植えつけるからである。だがもしカタルケーにおいて月を善行するものとさせることができなかったら、これと、これに悪行する星とを、下降するものとさせよ。 109章.第9トポスないし第11〔トポス〕に、昼間は太陽を、夜間には月を、有するカタルケーについて。学問ないし別のある学におけるカタルケーを見出すことを望むなら、月と水星とを、両者とが悪行しないものとなるためにも、同じ形を執るものたらしめよ、たし、双子宮ないし処女宮はホーロスコポスにあらしめよ。だが水星は明け方に北に昇るものたらしめ、下降するものたらしめてはならず、固有の失墜にあることも、悪行されているものであることも断じてしてはならない。また、水星の宿の主星もそういうふうにしてはならないが、月は南に下降したり、光が闕けるものたらしめてはならない:なぜなら、もしそういうふうであれば、学問に怠惰を植えこむからである。だがもしカタルケーにおいて月を善行されるものたらしめることが (268) できないなら、これと、これに悪行する星をも下降しているものたらしめよ。 第110章.土星を基にしたカタルケーについて、つまり、支配者がどれほどの期間君臨するか。土星がカタルケーの時期に有力で、善行する星によってアスペクトの関係にたまたまあって、北にも南にも広がりをもたず、これと金星が,さらには月も同じ形をとるときは、非常に有名で有力な行為を象徴し、歓愛され、感謝されるだろう。またこれについてゆく〔星〕が、もし天秤宮にある土星であり、これと金星が同じ形にあるか、2つの光のいずれかであるなら、13ヶ月の間その行為にとどまる。だがもし木星が良き形でこれとアスペクトにあっても、有力であっても、12ヶ月の間その行為にとどまらせる。だがもし金星がホーロスコポスか中天になるなら、たまたま不可能であっても、8ヶ月を (269) あたえる。だがもしだがもし可能なら、8年を与える:だがもし水星が有能なら、たまたまホーロスコポスか中天にあっても、10ヶ月を与えるが、もし月が加えて君臨し、善行する〔星〕によって視られ、ホーロスコポスにあるか、中天になるなら、25年を与える:だがもしそういうふうでないなら、25ヶ月を与える。 第118章.諸々のカタルケーについて(269) 知れ カタルケーにおいて、ホーロスコポスの主星をホーロスコポスを右に観る〔星〕たらしめるよう、汝は観察しなければならないことを:なぜなら、もしこのような形に出会うなら、手がけられたことは汝は短期間のうちに仕上げるだろうから。だがもしこのような形に出会うことができなければ、ホーロスコポスの主星をしてその宿の主星を右に観る星たらしめよ。だが心を傾注せよ、ホーロスコポスの主星がたまたま悪行する星であるときは、何らかの基本方位からホーロスコポスを右に観ることのないように:なぜなら、諸々の障害や掩蔽を象徴するからである。しかしカタルケーの場合には、逆にならないよう、とくに月に心を傾注せよ。というのは、邪魔する星と月が合になるときに生じるカタルケーはすべて、短期間で解体し、月が悪行されるときに生じるカタルケーはすべてより悪い結果になるからである。また、行事を為そうとするとき、また、持続的たらんとするときは、月が固定宮においてカタルケーにあるようにせよ。だがもしカタルケーが圧倒しやすいものとさせたいなら、月を転換宮にあらしめよ。だがもし月が悪行されるときに必然が汝にカタルケーをもたらすことを見舞うなら、ホーロスコポスに善行する星をつくれ:だができなければ、善行する星をして天中にあらしめよ。月が悪行されるときに義ないし愛勝ないし争いのカタルケーをもってはならない:なぜなら、もしこのような事態にたまたま落ちたら、敗北し、圧倒されるだろうからである。 2020.05.21. 訳了 [Circus Maximus] |