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back.gif神秘について(第2巻)

ギリシア占星術文書目録4361_005

神秘について(第2巻)





[底本]
TLG 4361.005
De mysteriis (lib. 2) (excerpta e cod. Angel. 29, fol. 42v)
Astrol.

Date of manuscript = A.D. 14
F. Cumont and L. Parmentier, Codices Romani [Catalogus Codicum Astrologorum Graecorum 5.1. Brussels: Lamertin, 1904]: 144-155.
Cross Reference



5,1.
(144)

第3章。月が火星と矩をなすとき、旅立ちのカタルケーを為す者は盗賊の手に落ちることについて。

 アポマサルが云った — あるとき、ある同道者たちとともにバグダッドに赴かんとして、レーの、あらゆる占星術に精通したある友のところに投宿したところ、〔その友が〕わたしに質問した。「夜明けに月はどうでしたか?」。そこでわたしは彼に云った — 火性と矩をなしていました、と。すると彼がわたしに云った。「明朝旅立ってはなりませんぞ」。そこでわたしは彼に云った。「信じてください、そういう日にわたしは旅立とうとしたり乗り気になったりなんぞしませんが、わたしの案内人たちはわたしたちのいうことを聞き入れないでしょう」。すると彼が云った。「彼らを試してみよう」。そこでわたしは案内人たちに云った。「諸君、明朝は日が悪い、じっとしていたまえ、わたしは諸君の言葉なきものら〔家畜〕を養おう」。しかし彼らは (145) 聞き入れず、わたしは彼らが出かけるままにし、わたしはその友のもとにじっとしていた。しかし彼らが出立せんとしたとき、わたしは星図を立て、これが金牛宮にあり、火星もここにあったが、月が獅子宮にあって、火星と四合なのを見出した。そこでわたしは彼らに云った。「によって、出立してはならん」。すると彼らはわたしを嘲笑して出かけて行った。そこでわたしはわたしの友本人に云った。「信じてください、これら馬鹿な連中がなさけない」。そこでわたしたちは坐り、喰って、飲んだ。ところが、わたしたちが飲んでいると、何人かの者たちが負傷して、隊商から帰ってきた、というのは、盗賊の手に落ち、彼らのうち何人かは殺され、他の者たちは負傷し、盗賊が運べるかぎりを奪い取られたからである。助かった者らは石と棍棒をもってわたしに向かってきて言った。「こんなことが起こったのは、おまえの言葉を確証するために、おまえがすり替えたからだ」。そうして、助かった代わりに、暴行を受けた、以来、わたしは占星術の知見を私人には適用すまいと誓ったのである。

第5章。予言者を自称する者が真実を言っているのか虚言しているのかを知ることについて

 アポマサルが云った —。友たちのひとりがわたしに云った — わしはマムゥン王のもとに参内し、多数の識者たちも陪席していたが、奇跡を行うことができると言う者も自分の傍に居合わせた。するとその者のせいでマムゥンが判定者たちを召し寄せた。マムゥンが天文学者たちに云った。「刻限を把握せよ、そして星相によって、この者がはたして真実をいっているか虚言しているかを見よ」。識者たちは星相を観察した。星相ではたまたま太陽と月が度と分において互いに同道し、幸運の箭とダイモーンの箭とが星相の1分のなかに作用し、磨羯宮がアセンダントにあった。また木星は処女宮にあって、これ〔磨羯宮?〕と合にあり、さらに金星も水星も (146) 〔合であった〕。識者たちは皆、「申し立てるかぎりにことにおいて彼は真実をいう」と云った。しかし、識者たちの中でわたしは独り黙っていた。すると王がわたしに云った。「そなたは述べないのか?」。そこでわたしは云った —「このひとは奇蹟をいうに必要な性愛術とヘルメース術とを持っておりません、奇跡を行うことは皆無でしょう」。するとわたしに王が云った。「どうしてそんなことを云うのは、あるいは何ゆえに?」。わたしは彼に云った —「今ざっと星相を見ても、真実の問題を象徴するのは木星ですが、その反対が出ております」。わたしに王が云った。「がそなたを祝福なさろう」。そして〔王は〕われわれに云った。「汝らはこの者を知っているか?」。わたしたちは云った、「いいえ」。そこでわたしたちに王が云った。「この者は予言者だと自称しておる」。そこでわたしは王に云った。「いかなる徴を実行できるのか彼に尋ねてください」。そこで彼に王が尋ねた。「いかなる徴を実行することができるのか、そなたが予言者であることをわれわれが信じるために」。すると当人が答えた、いわく —「???な指輪を所持し、これを身につけ、変わることはありませんが、他人が身につけると、とめどなく笑い、たとえ望まなくても、この指輪をその手から外すまで、笑い止むことはありません。またわたしは関節を持っており、その気になればこれで描けますが、他の人がこれで描くことを望んでも、描くことはできず、その手は痺れるのです」。そこでわたしは王に云った。「この施術は、ひとつは性愛術、もうひとつはヘルメース術ですが、この人は12宮から天球図を得る書の中でこのような行道を獲得したのでしょう」。するとその人はそれらしいことを認め、自分を予言者と名づけることを放棄した。すると彼に王は1040〔タラント?〕を下賜された。さて、われわれが王宮から退去した後、わたしはこのような男と交わり、彼がいかなる識者たちよりも厳密にして科学的な人物であるのを見出した。この人物はバグダッドで写字生たちの護符を作った。そこで、アポマサルが云った。「もしわしがそのとき識者たちといっしょに居合わせたら、あの人たちが気づかなかったことを言ったろう、つまり — こういう男が自分を予言者と名乗るのは、転換宮のホロスコープを手に入れたからであり、木星がたまたま固有の反対にあり、月がその下にあり、さらにまた水星と金星が、処女宮にほかならぬ創造的宮にたまたまあった故だ、と」。

第7章。予言者崇拝が、天秤宮以外から徴づけられたのが学者たちの誰か、わたしは知らないことについて

 アポサイトが云った — わたしはアポマサルにこう云った、と — コラスミアトのモーセオースの子ムゥクゥメトがわたしに云ったのです —「わしは退去して (147) われらの予言者が生まれた日の夕刻の奇跡を行ったが、天秤宮以外にこのような随意を明かす星相を見出せなんだ」。するとアポマサルが云った —「わしもそのようなものを探し求めたが、そのような崇拝を明かす天秤宮よりほかの星相を見出せなんだ」。

(147)

第8章。このような崇拝をやめる者のあるをわたしは知らないことについて

 アポマサルが云った — わしはテオドーロスの息子ムゥクゥメトがこう云っているのを耳にした、と。 — つまり、「彼は天文学の秘事に遭遇したのだが、それは、ヘルメースが、たまさか地上で誰かの誕生時に居合わせて、将来の前兆を示した。ところが、ヘルメース〔水星〕は、偽預言者の誕生時に、永遠の規範の数価にしたがって、たまさか天蝎宮10度にい合わせ、それゆえまた同類と友たちがこれに出会した」と。そこでアポマサルが云った — 彼の誕生時にたまさかいたのは、天蝎宮の金星と、アセンダントの「麦の穂」である。しかし、先んじて生じた土星と木星との合は天蝎宮にあり、太陽もまた天蝎宮にあった。しかし火星は巨蟹宮にあった。そこでこの人は云った — 彼の王国は、その後継者たちの代に220年間盛んとなるが、次には衰えるだろう、と。さらに彼はこうも云った — 彼の代における彼の王国は、彼の死後、330年間続くだろう、と。そこでわたしはアポマサルに云った、「この信仰がいったいいつ別の信仰へと変わるのか、はたしてあなたは知っておられるのですか」と。すると彼がわたしに答えた、「いいや」と。ただし彼がこう云ったのは別である — 大戦争が起こり、サラケーノイ人たちの天下は征服されるであろう、と。

第20章。ヘッラス人たちの不敬な考えによれば、
(147)
が祈る者たちに耳を傾けたまうのはいったいいつかということについて

 アポマサルが云った。— ヘッラス人たちの王たちが、何らかの理由でを勧請せんとして、昇交点を木星を伴った中天に、あるいはまた、それ〔木星〕に見守られたのを無難な形につくった。また月を木星に接するか、あるいは、それ〔木星〕を失い、このホロスコープの主人を木星に接するかさせ、そのうえさらに、友愛の形として昇交点にも〔接しさせ〕、自分たちのこれだけの要求を聞き入れるよう???

(148)

第26章。井戸(frevata)の中では、縁起の善いものらの力が鈍るということについて

 アポマサルが云った —。「秘儀を行う者たちのいわゆる井戸とは天文学の〔用語〕だが、これに関する言説は一致しない。ただし、多数派が言うのは、縁起の善いものがこの中にあるときは、その力は鈍らせる、ということを別にすればである。しかし、他の人たちは、縁起の善いものがその中にたまたまあると、善運を与えるが、後には不運を与える、と言う。

第32章。いかなる信仰が最初に、いかなる信仰が二番目に天文学を発見したのかということについて

 アポマサルが云った — 天文学を発見したのはカルデア人たちが最初、次いでインドイ人たち、次いでアイギュプトス人たち、次いでペルサイ人たち、次いでローマ人たち、次いでシュリア人たち、次いでサラケーノイ人たちである、と。

(148)

第40章。休息日について

 アポサイトが云った —。わたしはアポマサルに云った。「わたしは学び知りました — あなたは休息日についてお書きになりましたが、そのような言葉の中に、ムゥスゥルの息子イオーアンネースの考えをお書きにならなかったのはもちろん、ザクムの息子ムゥクゥメトの考えも、ピジュレーの考えも、(149) 幸福のアラビア出身の知者の考えも〔お書きになりませんでした〕」。彼がわたしに答えた —「わしは、休息日に関する古の識者たちの言葉を思い返した。しかし、そなたが適切にも言う彼らは、識者として若く、幸福のアラビアの王たちは、昔の人びとの行道を知らずに彼らの行道を用いたのじゃ」。そこでわたしはアポマサルに云った。「その若い人たちの考えをわたしが身につけ、あなたと対話しているとしても、けっしてお怒りにならないでしょうね」。彼が云った。「然り」。ところで、わたしが彼に云ったのは、12のトポスがたまたま男性宮にあり、太陽が男性性を二重に持ち……云々

第54章。ある人といっしょの女が、生粋か、それとも余所者かを知ることについて

 かつて、アポマサルの傍に座っているとき、或る人から或る女について、はたして妾として男といっしょにいるのか、それとも、彼の正妻なのか、と質問された。すると彼〔アポマサル〕がわたしに云った。「星相を掴め、そして星相が何か見よ」。かくしてホロスコープを双児宮に見出した。すると彼〔アポマサル〕がわたしに云った。「木星と金星との間の区界を取れ、そしてこれをホーロスコープから差し引け」。そうすると、しかじかの箭が処女宮に当たった。また、水星の下の友愛の形に望まれた。アポマサルが云った — 彼の正妻である、と。しかし彼はさらにわたしに云った。「火星と金星との間の区界を抽籤せよ、そうしてこれをホロスコープから差し引け」。そこでそのとおりのことをした、すると箭は天秤宮に落ちた。すると彼がわたしに尋ねた、「もしやこのホロスコープの主がこの箭を見張っていたのか?」。そこでわたしが彼に云った、「いいえ」。すると彼が云った。「最初の箭は、最初の契約が合法であることを象徴しているが、二番目の箭は、2回目の契約が違法であることを象徴している」。

第58章。活動する星々は、恣意的ではなく自然的だということについて

 アポマサルが云った。われわれがヘルメース・トリスメギストスの著書の中に見出すのは、—「わたしはゼウスに云い、ゼウスはわたしに云った」つまり、われわれがこういうことをいったい何と推測するかということである。— つまり、ヘルメースがこういうことを書いたのは、教師が気楽さから、学ぶ者たちが神の自然本性を知るよう、手本によって手引きするためであったのか。というのは、わたしは知っていて主張するからである — 星々は恣意的なものではない、と。なぜなら、恣意的なものと (150) 自然本性によって活動するものとの間の相違は、これ — 恣意的なものとその反対物とは創造することができないが、自然本性的に活動するものは、造物主によって定められた固有の秩序を逸脱することはできないからである。つまり、星々の動きは同一であり、持続的であり、不変である。自分たちの動きが定められた場から1スピタメーといえども移動することはできないからである。

第61章。幾何学者のエウクレイデースは、木で幾何学の図形をつくって完成させた。彼の従兄弟は、長い時間かかって、自分たちの思いつきに苦労した挙げ句、自分たちの著書を著したということ

 アポマサルが云った。幾何学者エウクレイデースは木で幾何学の図形をつくり、完成させ、彼の従兄弟は、自分たちの思いつきに長い間を費やして会得し、それに関して書を著し、その書と図形をペルサイ人たちの王に献呈した。後者〔王〕は彼に贈り物で応えた。

第69章。彗星は大いなる偶発事を惹き起こすということについて

 わたしはアポマサルに云った。哲学者たちや、当のアリストテレースも言っています — 天の彗星は、火球の内に構成されるのであって、どれひとつとして天の内に生ずることはなく、天は何らのパトスも受け入れない、と。しかし、彼はこのような考えによって完全に躓きました、なぜなら、わたしは親らの眼で、彗星を金星の上方に目撃して知ったのです —「われわれは彗星を木星の上方に、別のは土星の上方に見た」と。ただし、次のことを彼が知っていたのは別です、— 彗星はすべて途方もない邪悪であり、大いなる偶発事を惹き起こし、その偶発事はそれらの大きさによって推測される、ということを。というのは、彗星が大きければ、大きな偶発事を惹き起こし、小さければ、最小なのを〔惹き起こす〕からである。

第84章。月が火星から少し離れているときの寿命の判断について

 アポマサルが云った。ティベリウス帝時代人ウゥマルは、非常な覚知者で、ラケの子イオーアンネースに信従し、次いで (151) パダルに信従し、パダルもまた彼に自分の誕生日を打ち明けて、見出したのは、月がわずかな区界だけ火星から離れ、???

第88章。識者は、固有の義を行じる際、知っているかぎりのことすべてを教えるべきではないということについて

(151) わたしたちがバグダッドにいるとき、わたしはアポマサルに云った。「いったいどうして、このような観想を、自著の中で言及さらなかったのですか、天文学的知識に必須のことですのに」。すると彼はわたしに答えた %#151;「君は驚いたひとだな、わしは知らぬのだ — 識者が、もしも知っているかぎりのことを著したら、彼は自身を空っぽの容器となし、ひとがその有用性さえ持たず、支配的価値を落とし、誰からも顧慮されなくなる、なんてことはな。しかしながら、こういう高尚な観想は、自身のもとにとどめ、これを共有すべきではなく、こういう〔観想〕はもっとも親しい友たちに示すべきなんだよ」。

第96章。アラビア人たちの覇権は衰退するということについて

 わたしはアポマサルに云った。「はたして、アラビア人たちの王国の覇権は希望がありますか?」。すると彼はわたしに云った — アラビア人たちの王国の盛りは、ラシト王までである。それ以降は衰微するからだ。このようなラシトが必然づけられるのは、パケーの離教者たちと歓愛するからである。かくして彼らの栄光は衰退の内にある、と。

(152)

第97章。ステパノスが云ったのと異なり、死は2つではない、ということについて

 アポマサルがわたしに云った。知者ステパノスが躓いたのは、彼が云った観想においてである それはつまり — 死は、長い時間と不可能性による自然的なそれと、病によるそれとの2つである。また病によるそれも2つであり、ひとつは土星によるそれ、もうひとつは火星によるそれである。そうして、土星によるそれは長生きさせるが、火星によるそれはより短命であるが、ひとが火星的なものを12日目まで守りとおせば、その厄は棄てられるだろう — と。しかし、このようなステパノスは知らなかった — 土星と火星との徴が厄に関して連れ立つ場合、一方は病の治癒を妨げるが、火星の方は破滅を獲得して、その人間は命終する、ということを。

第175章。刀身を探し求める人について

 刀身を探し求めている人が、はたして自分に与えられるか否かと尋ねた。そして、月は星位において火星と合になっているのが見出された。しかし火星は中天において無悪であり、火星は鉄に属するものらと武器に属するものらを象徴するので、刀身を得られるだろう、とわたしは云った。

第1節。天上のものらから地上のものらに、いかなる力能が分配されるかということについて

 何らかの力が天界から地上のものらに分配されることは、心得のある者にとっては誰にでも明らかである。というのも、太陽がアセンダントから天頂に至るときに、ほとんどすべての人間はその仕事において活動する。が、天頂から傾くときには、夕刻までその活動が減少する。そして夕刻になると、人間どもだけでなく、言葉なき動物たちも、再び〔太陽が〕上昇するまでおとなしくなる。そして上昇すると、再び同じことが起こるのであるから。そして、太陽のこの働きが現れるのは言葉なき動物に関してのみならず、植物たちに関してもである。なぜなら、スイレンが湖に生ずるのをわれわれが目にするのは、太陽が昇るとき、水中から出てくるのであり、植物は太陽に照らされないかぎり、だめになるからである。また、金属も宝石も真珠も、太陽が満ちるときに、生ずる。また月も、われわれの世界に最大の働きを示し、満ちるときと欠けるときとで、それそれ別々の働きを見せつけるのである。

(153)

第3節。百姓たちも、自分たちにふさわしい事柄において、重要な好機を知っていることについて

 ある百姓たちは、種を播いたり植えたりするのに重要な好機を知っており、私人たちの経験も、専門的知識とは違う多くのことを見知っている。例えば産婆たちは、女が妊娠したか否か、胎児が男か女か、また長子のあと?その女が次に何を産むかを、経験によって知っている。ところで、その女が妊娠したか否かを知るとは — 彼女らは女の胸を見て、その乳房が平板で、自然な形と変わっているのを見て、胎児が女か否かを言う。さらにまた、男の妻が妊娠したか否かは、次の仕方で確かめる。すなわち、彼女の眼を見て、それが清らかで鋭く、眼の白い部分が肥えているのを見れば、妊娠していると言う。しかし、生まれてくるのが男か女かは、次のような仕方で判別する。すなわち、その女の腹を見て、それが丸く、豊かで美しく、かなりの固さをもっているのを目にしたら、孕まれたのは男児と判別する。しかし、その女の腹が楕円形、ぶよぶよ、不格好、さらに彼女の顔にたくさんの???があるのを目にしたら、生まれるのは女と知る。しかし一部の者たちが胸の乳房を見て、それが黒子?の上に被さっているのを目にしたら、孕まれたのは女児だと言う。しかし本当の肌色?に傾いていたら、胎児は男児だと言う。さらにまた一部の人たちは次のようにして証言する。その女の乳を自分の2本の指の間に取り、それが濃くて粘りがあるのを目にしたら、胎児は男児だと言う。しかしそれが薄くてあっさりなのを目にしたら、女児だと言う。また、一部の人たちは乳を鏡の上に取り、これを太陽にさらし、球形になって真珠のようになったら、男児だと言うが、平板になったら、女児だと〔言う〕。

(153)

第5節。羊たちの出産について
羊飼いたちはいかなる徴を持つかということについて

 羊飼いたちも、羊たちの出産の徴(つまり、はたして雄を産むのか雌を産むのか、何を産むのか)を、数多の経験から持っている。他方、医者たちが将来の病を知るのは、大気の状態によってである。しかし、天文学的知識は医術にまさる。なぜなら、医師たちが病気を証言するのは、大気の状態によってだが、知者たちは、天の動きによってだから。さらにまた天文学の前提は天体だが、医術の前提は腐敗する身体だからである。

(154)

第14節。7惑星の自然について

 アレクサンドロス王の王支配の後、名をプトレマイオスという9代の王がアイギュプトスを支配し、その後、クレオパトラも〔王支配し〕て、彼らの王国は275年続いた。彼らは知をもすこぶる保護し、知は発展した。まさにこの時代に、『大系(Megavlh SuvntaciV)』を著したプトレマイオスが生まれた。しかし『四書(TetravbibloV)』については疑わしい。ある人たちは、同じプトレマイオスの作と言い、ある人たちは、別のプトレマイオスの作と〔言う〕。しかし、このようなプトレマイオスが言う — 太陽は熱にして乾、その活動は万物にとって明白である。なぜなら、自余の星辰に比してより有力だからである。なぜなら彼は謂っている — 月が湿なのは、土に近く、そこから元素を受け取るからである、と。また彼が言うには、土星は冷にして乾である、なぜなら冷であるのは、太陽から遠く隔たっているからであり、乾であるのは、大地の元素からはるかに離れているからである、とまた火星は、太陽に近いゆえに熱にして乾である。しかし活動的に見え、その色は赤い。さらにまた木星は、冷と熱という反対同士の2つの星(つまり、土星と火星)の中間にある故に、均衡を保っていると彼は言う。また彼が言うには、金星は熱にして湿、熱なのは太陽に近いゆえ、湿なのは土から立ち昇る元素の故に、と。また彼が言うには、水星は時に乾、時に湿である。乾なのは、太陽から充分には離れていない故、湿なのは、土とその元素に近いからである、と。

 一部の人たちは、プトレマイオスのこのような説明を転倒させた。太陽が熱にして乾だということは万人が受け入れ、万人がこのような考えを受け入れる。しかし、月が湿なのは、土の元素を受け入れる故だと言うことは、万人が面妖だと思量する。なぜなら、大地と月との間の隔たりは、およそ100キリアス・ミロン+28キリアス+94〔ペーキュス〕。ミリオンは3000ペーキュスである。

 太陽の昂揚がつくるのは土星の失墜だが、天秤宮ではその〔土星の〕昂揚である。金牛宮で月の昂揚をつくる所以は、太陽が白羊宮にあるとき、月は金牛宮において位相(favsiV)をつくるからである。しかし天蝎宮においては、金牛宮の衝として、(153) その失墜をつくる。しかし巨蟹宮では木星の昂揚をつくるのは、木星が穏やかな北風の息吹を象徴するからである。すなわち、木星が巨蟹宮にあるとき、北風が増えるということが観察される。それゆえ、巨蟹宮には木星の昂揚が分与されたのである。また磨羯宮に火星の昂揚がつくられるのは、木星の失墜だからで、巨蟹宮には、その昂揚の衝として、その失墜〔がつくられる〕。双魚宮に金星の昂揚がつくられるのは、湿性と同等性の故である。処女宮にその〔金星の〕失墜がつくられるのは、衝の故である。水星の昂揚が処女宮につくられるのは、乾にして、秋の乾に近いからである。しかし水星も乾であるが、同等性故に昂揚は彼女〔金星〕にわれわれは分与するのである。

2018.03.28. 訳了



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