title.gifBarbaroi!
back.gifアポマサル/神秘について(第3巻)

ギリシア占星術文書目録4361_008

誕生天宮図の転換について(1/4)





[底本]
TLG 4361.008
De revolutionibus nativitatum
Astrol.

Date of Greek version = A.D. 10
D. Pingree, Albumasaris de revolutionibus nativitatum, Leipzig: Teubner, 1968: 1-239.
Cross Reference



(1)

<年の切り替えについて>

第1部は9章を含む
 第1章 誕生天宮図の切り替えについて
 第2章 これを受け入れないものらへの反論
 第3章 年数の切り替えから生じる益は何か
 第4章 切り替えにおける星々の構成について
 第5章 切り替えの図形について
 第6章 人間と残りのものらの年齢について
 第7章 効験する前に精通者が予知すべきかぎりの事柄

第2部は13章を含む
 第1章 年を象徴するものらの数について
 第2章 魂の象徴〔について〕も
 第3章 身体の諸象徴〔について〕も
 第4章 獣帯星座の切り替え(そこにおいて時間が遭遇するところの)〔について〕も
 第5章 サルカース?つまり年の主星やその徴について、また、これとアスペクトにある星々が明らかにするもらについて
 第6章 時間の交代時にサルコダエース?が内在するトポスの徴について
 第7章 年のホーロスコポス、その主星、切り替えが遭遇するトポスとサルカデーとの、さらには別のものとの間に有する共通性について

(2)第3部は10章を含む
 第1章 年と、部分的トポスと、分配的〔トポス〕と、これに共通する〔トポス〕の読み上げについて
 第2章 区界と光線において善行する星々、悪行する〔星々〕、共通する〔星々〕が分配を象徴するものらについて
 第3章 1年と別の年との分配についても
 第4章 星々のひとつが寿命を付加し、もうひとつがこれに共通するときの星々の徴について
 第5章 時の支配者、付加者、<そして>ホーロスコポスの徴について
 第6章 ヌゥペウクレス??について、また、象徴する善きものらや悪しきものらについてインドイ人たちが云った事柄について

第4部は7章を含む
 第1章 いわゆるパルタリアの7星の周期について
 第2章 昇交点と降交点についても

第5部は9章を含む
 第1章 時間の切り替えの際の固有のトポスての回帰と、それらの相互の入座の星々の〔回帰〕について

第6部は6章を含む
 第1章 周期の主星の徴について
 第2章 諸々の宿の順行のと、諸々の区界の順行について
 第3章 時間が遭遇する獣帯星座の徴について
 第4章 ある〔星〕がたまたま諸々の確定的宿に属するとき、ホーロスコポスの切り替え〔について〕も
(3) 第5章 切り替え時に各1つの宿において、7星と昇交点と降交点の徴について
 第6章 時間が、そこにおいて獣帯星座に<入る>ときの確定的な星の徴について
 第7章 諸々の星の相互に対する、またそれらの発出時の同じ形について

第7部
 第1章 諸々の星や昇交点や降交点の、それぞれひとつの宿における変化について

第8部 5章を含む
 第1章 星々が固有の宿や他所の〔宿〕に見出されるとき、また、雲状トポスや獣帯星座の自余のトポスに遇在するときの星々の徴について 

第9部は9章を含む
 第1章 諸々の暦月や、その切り替えの徴について、また、星々の構成や、第4トポス<にある>徴について、また、季節や日々について、また、クリマの支配星の時間について、また、1年のうちにある固有の調査について

(4) もし、この書の中でこのような諸構成をわれわれが作りあげ、知者たちの言を通してこれらを明確にすることあまりに速いなら、その有用性や切り替えの効験においてこの術知に与る者たちに多大な困難があるだろう:それゆえ別の書で、困難とわれわれが判断したことをはっきりさせる事例によって説明しよう。


<第1巻>

<第1章>.誕生天宮図の切り替えについて

 誕生の時に太陽が或るトポスにあり、獣帯星座内を動き、360度を通過し、365日と度数の間を回帰するとき、生まれる者にとって1年が生じ、第2年目が始まる:第2の回帰において第3年目が始まり、以下同様である。そこで、1年の切り替え時にホーロスコポスを立て、12トポスをつくり、星々の元期を設定しなければならない。なぜなら、ホーロスコポスは時間の切り替え時につれて切り替わり、星々の元期もそうだからである。そして第1年は、<ホーロスコポスと> (5) 固定的星々が明らかにし、次いで第2年は第2トポスが明らかにするが、第3〔年〕は第3〔トポス〕が、第4〔年〕は第4〔トポス〕が、そして以下同様である。切り替えの獣帯星座と切り替えのホーロスコポスと星々のトポスは変化するのであるから、それゆえ人間どもに結果する事柄に違いが起こるのである。

第2章.1年を受け入れない者らへの反論と、これ〔1年〕と暦月と日々の証明

 一部の人々は、太陽年に関する昔の人々の言説に馴染めず、1年を性格づけるのに太陽の回帰する動きを以てし、対座する〔動き〕ないし何か別のトポスによってしなかったのか、と彼らは云った。また彼らは別の〔言説〕を云った:時間が12ヶ月であるとき、何ゆえ太陽のみを年の切り替えに採り、親らのカタルケーのトポスへの月の回帰を12周期で〔採〕らなかったのか? そして第1の〔言説〕に対して言及すべきことは、1年が区別されるのは、春・夏・秋・冬という4季であるということである。されば、これらの時季が満たされれば、1年は第1区分に回帰し、このような時季の幾ばくかが足らないと、1年も欠ける。だから〔4〕季節は12獣帯星座における太陽の進行によって成就される:つまり、それが初めのトポスに回帰するとき、〔4〕季節も回帰するのである。同じことが (6) 第2の回帰においても起こる:月ないし別の星の<回帰においては>何かこういうことが起こることはなく、もちろん時機が回帰することもない。それゆえ太陽の動きやその回帰によって年を性格づけることもない。そうして諸々の時機は時間の部分となり、12暦月は12の獣帯星座によって分割される。さらには、1年は4季に分割されるが、各季は初め・中・終わりを有し、4倍すると12になる各季に3つの獣帯星座を有する。さらには各1年ごとに、太陽は12で割られると30〔度〕になる360度で分割するから、太陽の暦月は30度となる。それ故われわれは言うのである、太陽は、あるトポスから動きはじめ、30度2分1/2秒超過する時に季節をつくる:だが度を成就するときは、日をつくる:だが30〔日〕を〔つくる〕ときは、月をつくる:だが360〔日〕をつくるときは時間をつくる。同様に、ある刻限・日々・月々が、別の刻限・日々・暦月に切り替わるのは、太陽の動きの違いのせいである。

(7)
第3章.年の切り替えへの反論に対して

 星学に反対する一部の者たちは、年の切り替えは無用であると云い、このような主張を2つの証拠によって説得するべき手がけた:1つは、人間どもの事柄を明らかにするのは誕生天宮図と、根源的ホーロスコポスであって、年の切り替えは空虚だ、ということ:もうひとつは、誕生天宮図の徴候は切り替えよりも強力である、ということである。たしかに、もし或る星が人間が或る年に危機を約束されていることを明らかにするなら、その年を切り替え、その星が出来事を明らかにしないとするなら、はたしてその危機は空疎であるか、それとも空疎でないか? そしてもし「空疎である」と云うなら、誕生天宮図の徴候が時間の切り替えの徴候よりも強力であると言う者たちは自己矛盾を来しているのである。だがもし「空疎でない」と云うなら、(8) 年の切り替えは余分で有るとわたしたちは彼らに謂おう。わたしたちが彼らに反論するのは、まさに3つの論拠による。

 ひとつは、将来の行事をわれわれが証拠立てるのは、星の1つの位相に依ってではなく、2つあるいはまたそれ以上の〔位相〕に依ってである、ということである。されば、或る年に次のようになると誕生時に星が明らかにするときは、その行事の実質をわれわれが精確に判別するよう、その年のその星の位相をもわれわれは知らなければならない。もうひとつの証明が先行することは以下のごとく、根源的に何が善いかあるいは悪いかを星が明らかにするのは、その〔星の〕量が出生から判断するのではなく、質が精確に〔判断するの〕でもない、ということである。すなわち善というものは大善・中善・小善がある:悪も同様である。なぜなら、各々のものの大きさや削減が判定されるのは、星の位相が切り替えの時機に考察されるときである。実際、善い位相にある星の位相がカタルケーや時間の支配星の交替時に同道するなら、その善さは最大であろう:だがもしカタルケーが時間の支配星の交替時の〔善さ〕と不一致なら、その善さは最少であろう:なぜなら、もし星が生まれる者に何か善いことがあるということを根源的に明らかにするが、しかしその年に何か善きことがあることを明らかにしないなら、その善さを完全には適時とせず、かなり最少のものとし、その切り替えによる根源的徴候が適時でないときに、(9) その星の活動が現れるだろうからである。たとえば、もし星々が各々の好機に異なった位相をもたなかったなら、時間の切り替えをわれわれが必要とすることはないであろう。第3の論拠で成功するには、星は過去・現在・未来を象徴するというにする。そうして、現在を象徴するのはあの好機だが、過去と未来を明らかにするのは、現在と過去ないし未来との混合によってである。そうしてわれわれは相互を混合し、より精確な行事を証言し、かくして時間の切り替えが行きすぎることはないのである。

 さらに一部の人々は、時間の切り替えに反論して次のようにも言う、すなわち、それ故に、徴候的星々や諸トポスが、善行する〔星々〕や悪行する〔星々〕と合になる時間をわれわれが判別するように、われわれは順行をつくる、と:それ故にこそ、時間の切り替えは無益だ、と。だがこういう人たちは、このような反論に関して躓く:なぜなら、

(12)
第4章.年の切り替えが諸々の位相の判断に寄与する事柄について、あるいは、年々の切り替えに起因する有益さについて

 人間界における諸行事と諸々の位相の、年々の切り替えに基づく徳は周知のことである。なぜなら、諸々の族民はすべて、バビュローニオイ族もペルサイ族もインドイ族もアイギュプティオイ族も、またこれら〔族民〕の王たちも私人たちも、何らかの<年>内に何らかの行事に着手するより前に、その誕生の時間の切り替えを見るからである。そうしてもし、その時間を善きものとして見出したなら、その仕事に着手する:だがもし逆なら、同じことを忌避するのである。されば王たちは、軍の主権を握る頭たちの出生天宮図をも見て、その時間の切り替えを観察するをならいとした。そしてもし、彼らの或る時間の切り替えが、敵勢に対する力と勝利を明らかにしたら、彼らを派遣するをならいとした:さもなければ、放棄するをならいとしたのである。また、これらのことの出生天宮図のみならず、その使節たちのをも、彼らの時間の切り替えが順調さを明らかにするかどうか、観察するをならいとしたのである。そうしてもし順調の徴を見出したら、彼らを派遣するをならいとした:だがもし正反対なら (13) その者たちではなく、時間の切り替えが順調さを明らかにした別の者たちに下命したのである。同じく王たちは、何らかの時間に、彼らの出生天宮図の中に何らかの行為における障害を見つけると、これ〔行為〕に着手することはなかった。同様に自身と私人たちは、年々の切り替えから、自分たちに有益な治療、食べ物、飲み物、売り立て、購買、それらのあらゆるカタルケーを観察し、これらを用いて、その年内に害した事柄は無視したのである。諸々の行事によって証言されるのは、親らの出生誕生図や他人の誕生天宮図によってである:なぜなら夫たちは、子どもをもうけることを望む前に、親らの年のみならず、女の〔年〕をも観察するからである。そうして、もし2つの誕生天宮図が子どもをもうけることを明らかにしたら、彼女たちと結ばれた:さもなければ、その誕生天宮図が子どもをもうけることを明らかにする別の女に求婚し、その結果、諸々の時間の切り替えは大いに有利・有益となったのである。

第5章.年の切り替えと、これによって登録されるものらとの、準備と図形の作成について

 年の切り替えの図形をば、これに書き込まれるものらとともに作成し、これを仕上げることを望むなら、円ないし四角形の (14) 図形を作成し、これを、われわれの仲間が今しがた天球図を作成するように12に分割せよ。次いで、年のホーロスコポス、その度と分を知り、12宿を、その度と分とともに順次書き上げよ、その際、時間の刻限や垂直球に昇った〔星々〕によってこれらを制作する:そうして、このような天宮図に、切り替えの時間における星々のエポケー、その高揚、失墜、逆行する〔星々〕、光線の放出、同様に諸々の宿の区界の1/12、諸々の籤、昇交点と降交点をも、また宿内にある各々のものらもすべて書き上げよ。次いで、このような天宮図に、固定的な星々、その諸位相、光線の放出、1/12、宿の1/12、諸々の籤、昇交点と降交点、これら固定的なすべてのものらを書け。次いで、固定的ホーロスコポスのトポスをも、(15) 固定的な運の箭を欠いたトポスをも、切り替えがカタルケーよりも優勢なトポスを欠いている諸トポスと同様に書き上げよ。次いで、割り当てられた〔星〕や割り当てる〔星〕が遭遇したトポスを書け。

(16)
第6章,年のホーロスコポスと、切り替えにおける星々の位相とについて

 汝が時間の切り替えの天宮図を作るとき、諸々の固定的宿のホーロスコポスが、基本点からであれ、上昇点からであれ、下降点からであれ、いかなるものか、また、出生の時機にそこに存するのは星々のうちのいずれか、また、光線は何で、籤は何で、1/12は何々に属するか、また、日没時にこれを右に見る〔星〕は何で、これに君臨するのは何々か、これに由来するものがいかなるトポスにあるか、はたして親らの家にあるのか、他所の〔家にあるのか〕どうか、また、その星が有する家は1つなのか2つなのか、また、2つなら1つを先に見るのか、それとも2つともを〔見るの〕か、また先行するのか逆行するのかどうか、また有能な〔星〕なのか無能な〔星〕なのかどうか、またそれの遠地点にあるのか、近地点にあるのか、またどれほどの幅を占めるのか、またそれの高揚にあるのか失墜にあるのかどうか。 (17)

第7章.太陽の判別について

 年々の切り替えの際に先ず第一に区別しなければならないのは、子どもであれ青年であれ、中年であれ老年であれ年寄りであれ、生まれた者の年齢である:なぜなら、7星の各々は、各年齢に自然的な徴を有し、諸々の時間の切り替えの際に同じ仕方を採るのではないからである。というのも子どもは、親らの自然本性のか細さやか弱さ、さらにはまた無知のせいで、その結婚あるいは子づくり、あるいは富をめぐって財産の掻き集めや獲得といった競い合い、あるいは (18) 出郷、あるいは困難な行事への着手について、あるいは不可能な行事を何らかの星が明らかにするとき、このような人は若者たちが有するような忍耐力も知力も管理力も持たないので、星々の活力を受け容れることができない:年寄りや衰えきった老人も同様である、もし星が彼の子づくりや、実行不可能な何か別の事柄を明らかにするときは。だからこそ、それらの場合に効験がどうであるか、生まれた子の年齢を予知することは必須なのである。

 一部の人たちは、こういうロゴスを引っくり返して、云った:われわれは嬰児や新生児が、結婚目的で採りあげられ、これに価値や権力や奴隷たちや駄獣たちが生ずるのを目にする:しばしばは出郷中にも受け入れられ、語る価値のあるほどの富を相続し、不動の余剰分を追加獲得する、ということを。しかしわれわれは言うのだ、こういった事は、子どもが行為するのは自力によってではなく、両親とか他の者たちというような一種のその評議者たちのせいなのだ、と。で、同じ事が彼に付け加わるのであって、或る星がそのような事を明らかにするとき、知とか意思とか判断は何も彼には属していない。そしてその仕方によって、彼はそういう事をするのは不可能だとわれわれは謂う:というのも、交合するのも、子づくりするのも、手がけるのが難しい行事に着手するのも自身の力によってではない。なぜなら、このような年齢のときにこのような事柄に向かうのは不可能だからである。しかし、その人生の或る時期、(19) その星に聴従する年齢にあるときには、その星の徴が大事になるのである。

 で、諸々の星は親らの宮の順序にしたがって、より下方の球から始めて、諸々の年齢を操舵するのだが、或る〔星々〕はその最短の周期と等数の期間操舵し、或る〔星々〕は1/2あるいは、最短周期ないしその中間の周期の1/10〔の期間操舵する〕。そこで第1の4年期を司るのは、自余の星々よりもわれわれにとって近しい月である:というのも、子供の自然本性の脆弱さ、水っぽさ、柔らかさ、栄養の少なさ、意地悪さ、諸行事の無知さ、諸行為の免除?、思考の行き詰まり、生長の速さ、変化の受容が、これの女操舵手が月であることを明らかにする。そうして、分娩の時機からこれは4つの時間を操舵する。しかし養育の期間は、われわれの身体を構成する4つの元素にしたがって4つを前提し、各々1つの元素に1年を配当する:4年だけが月に属すること、子供はこういう年齢を終了して、述べられた位相から別の年齢へと移ることを明らかにする。だが別の人々は云った、月は年の養育を明らかにするが、その中間は39+1/2年であるから、われわれはその1/10を取って、 (20)

 次いで、第2の年齢を引き継ぐのは水星で、10年つまりその最短の周期の1/2を操舵する。なぜなら、数と大きさとの第1の関係は1/2だからであり、明らかにこれだけの年数によって人間は或る位相から別の位相へと変わるからである。で、このような年齢を、慎重に月の上に就くものとして水星が司るのは、このときに人間の自然本性に現れる良稟、悟性、諸行事の判断、学び始め教育を受け始めることを通してである、そしてこの年齢の終わりは子どもの年齢の終わりである。

(21) 第3の年齢を引き継ぐのは金星で、その最短の周期8年間を司る:そうしてこのような年齢が若者の〔年齢〕の初めである:だがこのように引き継がれる所以は、金星の球が水星の〔球〕の上方にあり、これに付け加わるからである。この故にこの時期に欲求が動き、交合へのその衝動が抑制しがたくなるのである。

 第4の年齢は太陽が、その最短の周期である19年間司る:これの球は金星の〔球〕の上に慎重に就くからである。この年齢の間は、名誉や高位、地位から別のよりまさった地位へ、児戯から真面目な仕事へと変わることを愛する人間、また、諸々の快楽を抑え、遊びと縁を切る〔人間〕をわれわれは見出す。そうして太陽が下方や上方の真ん中にあるごとく、同じ仕方でこの年齢も子ども時代と老人時代の真ん中にある:そしてその終わりは、若年の終わりである。

 次いで、<第5の年齢を<>引き継ぐのは火星で、15年を司る:この年齢の初めも安定的〔年齢〕の初めである:というのも、火星が慎重に年齢の球の (22) 上位に就くからである。それ故、このような年齢の間に人間どもは世界の内で競い合い、諸々の配慮、諸々の労苦、諸々の思い煩い、諸々の苦労、諸々の骨折りでみずからを刺し貫き、歎き、より多くの快楽を後に残すのである。

 次いで、第6の年齢を引き継ぐのは木星で、慎重に火星の上位に就いて、12年を司る:そしてこのよう年齢は年寄り的である。それ故にこそ、人間どもはこの年齢により多くの苦労や労苦や骨折りや競合や、危なっかしい着手は後に残し、美にして善なる行為をこのような年齢のうちに心掛け、この世を心に留め、慈善を心がけるのである。

 次いで、第7の年齢を引き継ぐのは土星で、慎重に木星の上位に就いて、人生の最後までを司る。それ故にこそ、人間どもはこの年齢において盛りを過ぎ、無力になり、身体は冷たく、臆病で、行き詰まり、あたかも自然本性が連行されるときのように小心となり、諸々の希望は打ち拉がれ、諸々の欲望は盗み取られ、諸々の病に圧迫される。

(23)
第8章.出生天宮図における、また時間の支配星の交替における、星々の位相について

 そこで、これら7つの年齢〔段階〕において、それぞれの星は最初からのその位相にしたがい、引き継ぐその期間における年齢の操舵法にしたがって、親らの働きを顕現させる。そこでもし2つの期間に美しい位相にあったなら、数多の有利さを明らかにする:だがもし2つの期間に悪行されたら、数多の害を明らかにする:だがもし、固定的期間と交替的期間という2つの期間が不一致なら、夕益さも夕害さも中間的である。だがもし人間どもの中の誰かが、老齢を理解することなく、その結果星々の年々を通過するなら、年齢を掴んだかの人の星の操舵の期間に???死去するのである。

 一部の人たちが云うには、土星は第7の年齢を30年間操舵する、と:だがもしこれを過ぎると、今度は月によって操舵される:なぜなら、虚弱、湿っぽく、栄養少なく、鈍重になるからである。次いで水星によって、そしてわれわれが上述したように順次〔操舵される〕、ただし、

 だが一部の人たちは諸々の年齢を考察して、各々の年齢を、われわれがパルタリアにつくったように、7星<に>分割した、 だからこそ、生まれた者は、何らかの年齢に星々のいずれかの操舵の裡にあるとき、年齢の自然本性が比例するその星によってのみ操舵されるのである。

第9章.切り替えを有する〔星〕について、占星術師はいかなる事柄を予知しなければならないかについて

 諸々の時間の切り替えの効験に先立って、以下の4つを知らなければならない。第1、年齢の星の切り替えを有する人が、いかなる年齢にあるか:第2、人間どものうちいかなる地位にあるか:第3、効験の受け容れに関するその人の位相:第4、彼における諸行事のうちいかなる行事を予知するかということ。そして第1には、(146) 生まれた者がどれだけの歳に属するかを知らねばならない:なぜなら、生まれた者がどれだけの歳に属するかも、また、いかなる星によって操舵されるかも、この人に知られるだろうからである。そこでわたしはこう云った、次のようなことも知らねばならない、つまり、労苦する者たちはみな、何らかの学の理解に対して怠惰であるとき、そのひとの自然本性の不能性が確かめられる故ではなく、その学が危険で無用である故だと思えるよう、手を尽くしてその学を軽んじ中傷することを望む:その故にこそ、これ〔学〕を探求する者たちを手を尽くして邪推し中傷することに熱心になる。だからこそ、こういう人たちの一部は、嬰児や年のよった老人の天宮図を提示し、これを星学者たちの誰かに示して、何らかの活動に関して、これこれの年齢が学を中傷するに不適かと質問する:その故にこそ、年を前知することが必須なのである。

 しかしわれわれは、第2の要点に属する事、つまり、人間どもの境遇は4つであるということをも知らなければならない:そして第1は王たちの〔境遇〕、第2は<知己たちの>〔境遇〕、第3は (26) 中間の者たちの〔境遇〕である、ということである。

 だが、第3の要点は、諸々の活動(これの受容体が切り替えを有する〔星〕であるが)を知ることである。しかしそれには、去勢者の出生の切り替えに出くわした者は、子どもらの出産を明らかにし、何かそういったことを効験して滑稽な者と見なされるのはどうしてかに精通する者を知らねばならない。なぜなら、出生のカタルケーは、こういう去勢者子無しを明らかにするものだからである:そこでいかにして (27) カタルケーの形態によってこのようなことを一度きり奪われた者が父親となることはいかなるときに可能なのか? 

 第4の要点は、切り替えを有する〔時〕の事を、その顔にどのように生まれつき、効験はどうなるかを知ることである。なぜなら、富を有さない者について、後得的だろうとわれわれは言うが、〔富を〕有する者については、その富は増加するだろうと〔言う〕。そうして兄弟たちをもっていれば、図形が兄弟たちの誕生を明らかにするときは、兄弟たちに付け足しが起こるとわれわれは言う:だがもしそうでなければ、彼に兄弟たちが生まれるとわれわれは言う。同様にまた土地、(28) 諸々の権力やそういったものらについても、所有物あるいは収入を持たない人については、そのひとの所有物は無効になるだろうとか、そのひとの収入は減るだろうと効験することなどないのである。しかし一部の人々は言う、もし図形が或る人に両親の命終を象徴するが、〔その人が〕両親をもっていないなら、彼の家に何か可笑しいことが成就するだろう:またカタルケーにおいても、そのひとが子どもを産むことはないと諸々の図形が明らかにし、子ども出産の図が付け加わらないときには、子どもを産むことはなく、誰かを息子として認知するだろう:また所有物を持たないのに、図形が所有物の回復を明らかにするなら、そのひとの仲裁によってそれが他の人に起こるだろう:またもし図形が結婚を明らかにするなら、カタルケーが結婚を明らかにしないときは、結婚せずに女と交合するだろう:またもし図形が王たちとの親しさを明らかにするのに、カタルケーが何かそのようなことをかすかに示すなら、支配者たちと交わるだろう。さらにまた???? このことのみならず、彼らにおける事柄も:なぜなら、女たちもしばしば都市を支配するからである。こういったことも彼より先に知らねばならない。なぜなら、もし???? 父親に関する事柄は、たとえ子が亡くなっていても:なぜなら、父と子の第2の関係が死後にあるのは、の誕生を基に判定されごとく、子に対する父親の第2の関係はあたかも、

2020.06.. 訳了



forward.GIFアポマサル/誕生天宮図の切り替えについて 3