マネトーン断片集

諸書



"t76-81".1

聖なる書(IERA BIBLOS)

76.1
Eusebius, Praeparatio Evangelica, II Prooem., p. 44C(Gifford).:
 さて、アイギュプトス全史、とりわけ彼らの神学に関することは、アイギュプトス人マネトースが、彼の書いた『聖なる書』や彼のその他の著書の中で、ヘッラス語で個別に詳説している。

Cf. Theodoretus, Curatio, II, p. 61 (Räder):
 マネトースは、イシス、オシリス、アピス、サラピス、その他のアイギュプトスの神々について神話している。

77.1
Plutarch. De Is. et Osir., 9:
 さらにまた、多くの人たちは、ゼウスの名であるアムゥン(これをわれわれは変形してアムモーンと言う)はエジプト語の固有名詞だと信じているが、セベンニュトス人マネトースは、この語によって、隠されたもの(kekrummevnon)とか隠れること(kruvyiV)が意味されていると考えている。

78.1
Plutarch, De Is. et Orir., 49:
 一部の人たちは、ベボーンはテュポーンの仲間の一人だったと言うが、マネトースは、当のテュポーンこそがベボーンとも呼ばれていたという。また、この〔ベボーンという〕名前は、阻止(kavqexiV)とが妨害(kwvlusiV)を意味すること、あたかも、物事が道順を踏んで進み、必要なものをめざして進んでいるところへ、テュポーンの力が立ちはだかるごとくである。

79.1
Plutarch, De Is. et Osir., 62:
 アイギュプトス人たちの習慣も以上の説に似ている。すなわち、〔アイギュプトス人たちは〕イシスをアテーナという名で呼ぶことしばしばで、〔この名は〕、「わたしはわたし自身からやって来た(h\lqon ajp= ejmauth:V)」というロゴスを表現し、まさしく自己運動に基づく運行を意味するものである。また、テュポーンは、すでに述べられたとおり、セート、ベボーン、スミュと名づけられ、これらの名が表現しょうとしているのは、力づくでじゃまする一種の抑止作用や対抗または転回である。
 さらに、磁鉄鉱をホーロスの骨、鉄をテユポーンの骨、と呼ぶことは、マネトースが記録しているとおりである。というのは、鉄はしばしば、石〔磁石〕の方へ引っ張られ追従するものと同類であり、また、しばしば逆方向へ背き去り反発する。そしてそれとおなじように、宇宙の運動はぶじに保存するもの、善であり理法を持ったものであり、時には、強情でテュポーン風な運動を、説得しながら向きを正し、引き寄せ、一段と柔軟にさせ、つぎにはふたたび自分のなかへ引き止めて転向させ、行き詰まりのなかへ沈めるのである。

80.1
Pultarch, De Is. et Osir., 28:
 プトレマイオス・ソーテール〔前283/2没〕は、シノーペーにあるプルゥトーンの巨像を夢に見たが、それ以前に、この像がどんな姿・形〈をしていたか〉についての知識もなく目に見たこともなかった。しかも、巨像が自分を至急アレクサンドレイア市へ運ぶよう命じた。
 しかし、当人には像がどこに鎮坐しているかわからず途方にくれ、友の者たちに夢に見た光景を説明すると、ひとりの男が見つかった。ソーシビオスという名で、放浪の旅を重ねていたが、この人が、王が夢に見たと思われるのとおなじような巨像をシノーペーで見たことがある、といった。そこで、王はソーテレース、ディオニュシオス両名を派遣し、二人は長い間かかってやっとこれを盗み出して持ち帰ったが、これには神の配慮も加わっていた。
 像が運ばれて来たのを見ると、(神の書)解釈役のティモテオスとセベンニュスのマネトーンとその一派の人びとが、これをプルゥトーン神像だと推定する。そして、ケルベロス犬と巨蛇を基に結論して、王に向かい、神々のなかでもセラピス以外にどんな神の像でもない、と説く。すなわち、この像は、あちらの市から来た時すでに今日の名がついていたのでなく、こちらの市へ運ばれた後、エジプト民の間でプルゥトーンにあたる神の名として、サラピスの名をもらった。

81.1
Aelian, De Natura Animalium, X, 16 (Hercher):
 アイギュプトス人マネトーン — 知恵の極致に達した人物も、次のように云ったのをわたしは聞いている、つまり、豚の乳を味わった者は白癩やレプラに感染すると。じっさい、アシア人たちはみなこの病気を嫌っている。アイギュプトス人たちも、豚は太陽にも月にも嫌悪されるものだと信じている。だから、アイギュプトス人たちは月の祝祭を催す場合、これに豚を供儀するのは1年に一回のみで、他の時にはこれ〔月〕にも、他の神がみのいずれにもこの生き物を供儀することはない。汚れているからである。

"t82-83".1

自然学説要約(TWN FUSIKWN EPITOMH)

82.1
Diogenes Laertius, Prooem, §10 (Hicks, L.C.L.):
 また、太陽や月も神であると〔アイギュプトス人たちはいう〕。前者はオシリス、後者はイシスと呼ばれると。そしてこれら〔神々〕を、黄金虫、大蛇、鷹、その他のものらによって暗示したと、マネトーンが『自然学説要約』の中で謂っている。

83.1
Eusebius, Praepar. Evang., III, 2, p.87d (Gifford):
 〔彼ら=アイギュプトス人たち〕の言い伝えでは、イシスとオシリスは太陽と月であり、ゼウスは万物に行き渡る霊、ヘーパイストスは火、デーメーテールは地と添え名されたという。アイギュプトス人たちの間では、湿はオーケアノス、彼らの間における河はネイロスとみなされ、神々の誕生はこの〔ネイロス〕に帰せられたという。また、彼らの言い伝えでは、大気をば彼らはアテーナと命名したという。そしてこれら5神 — 大気湿のことをわたしは言っているのだが――は、人の住まいする全世界をめぐりゆき、時と所によって姿を変え、人間どもの姿やありとあらゆる種類の動物に姿形を変える。そしてアイギュプトス人たち自身の間では、5神と同名の死すべき人間たちが、ヘーリオス、クロノス、レアー、なおそのうえにゼウス、ヘーラ、ヘーパイストス、ヘスティアと添え名される者たちが生まれたという。これらのことに関することは、マネトースが長々と、ディオドーロスが簡潔に記した。
 〔Cf. Theodoreteus, Curatio, III, p. 80 (RÚder). 〕

"t84a-84b".1

祭について(PERI EORTWN)

"84a".1
Joannes Lydus, De Mensibus, IV, 87(Wünsch):
 こう理解すべきである、マネトーンは『祭について』の中で、日食は、人間どもの頭と胃に、悪しき流出をもたらすと言っていると。

"84b".1
Athenaeus XI, 478, A:
 ニコマコスは、『エジプトの祭について』第1巻の中で謂う。
 「コンデュ(kovndu)とはペルシアの〔酒杯〕で、もともとは、占星術者ヘルミッポスが、これによって神々の驚異と稔りが大地に生じるとした世界(kovsmoV)のことである。それゆえ、〔神々への〕献酒はこれによってなされる」。

"85-86".1

古代の祭式と敬神について(PERI ARCAISMOU KAI EUCEBEIAS)

85.1
Poryphyrius, De abstinentia, II, 55(Nauck):
 さらにまた、アイギュプトスのヘーリオポリスにおける人間供儀の法を廃止したのもアモーシスであったと、マネトーンが『古代の祭式と敬神について』の中で証言している。彼らが供儀されたのはヘーラーに対してであった。そして、清浄な小牛が求められ押印されるように、検査された。そして日に3人が供儀されるのが常であった。これら〔生け贄〕の代わりに、アモーシスは同じ数の蝋人形を奉納するよう命じた。
 〔Eusebius, Praepar. Evang., IV, 16, p. 155d(Gifford) : Theodoretus, Curatio, VII, p. 192(Räder).〕

86.1
Plutarch, De Is. et Osir., 73:
 また大方の説では、当のテュボンの魂がこれらの動物のなかへ配分されたというが、この神話が謎めかして示しているところは思うにおそらく、理性を持たない動物並みの自然は、全体として悪いダイモンの部類に属している、という点にあり、人びとはこのダイモンをなだめ慰めながら、これらの動物を大事に扱い世話を尽す。そして、もしも大規模で厳しい干ばつが生じて、危険な流行病やそのほか思いもよらない異常な災難を、法外な調子で引き起すと、祭司たちは特典を受けている神獣を何頭か、暗がりへ黙ったまま穏かに連れ去ると、最初は脅してり恐れさせる。しかし、干ばつが依然つづけば供犠して喉を斬る。
 これは、まさしくこの処置がダイモンに対する一種の懲らしめか、そうでなければ最も重要な出来ごとについての重要な浄め式であるか、のようである。
 古代の人間供犠エイレイテュイアス・ポリス内でも、マネトの史書での報告によると、人間たちをテユボンの徒と呼んで生きたまま焼き尽し、その灰を箕に乗せてあおり立てて跡形もなく撒き散らす。しかもこれは、公然と一定の時期内のシリウス星の出る日々に執り行われていた。
 また、特典を受ける神獣の供犠は秘密のうちに執り行われ、事変が起きるのに応じて、時期を定めず一般人には知られないように行われる。例外は(アビスの)葬儀を行う際と、そのほかの神獣のなかから何頭かを公示して、大衆が立ち合うなかで一度に(墓穴へ)投げこむ際で、後者のばあい人びとは、テュボンに仕返しを行い相手が喜ぶものを摘み取る行為だ、と思っている。すなわち、アビスはこのほかの何種類かの動物を含めてオシリスの神獣だと思われているが、ほとんどの動物はテュボンに配されている。
 そして、この説がもしも真実ならばわたしが思うには、本論での探求の対象が、エジプト民の誰もが同意し共通して特典を捧げる動物となる(べき)ことを示している。それは例えばとき鳥、鷹、マントヒヒ、当のアビスであり……(欠)……。すなわち住民はメンデスの雄山羊をこの名で呼ぶ。

"t87"."t"

キュピ香の調製について(PERI KATASKEUHS KUFIWN)

87.1
Plutarch, De Is. et Osir., 80:
 また、キュピ香は16種の成分を組み合わせた混合香で、成分は蜂蜜、葡萄酒、乾し葡萄〔Dsc. I-4〕、ハマスゲ〔Dsc, I-4〕、松やに〔Dsc, I-92〕、 瀝青〔Dsc. I-99〕、灯芯草、ラパトン〔Dsc, II-140〕、さらには両方のアルケウティス(ひとつは大アルケウティス、もうひとつは小アルケウティスと呼ばれる)〔Dsc. I-103〕、カルダモン〔Dsc. I-5〕、アシ〔Dsc. I-114〕が入る。
point.gifキュピ香については、ディオスコーリデス『薬物誌』I-24参照。

"t88a-88b".1

[ヘーロドトス批判(TA PROS HRODOTON)]

"t88a".1
Etymologicum Magnym (Gaisford), LeontokovmoV〔ライオン飼い〕の項:
 levwn〔ライオン〕という語はlavw〔わたしは見る〕に由来する。たしかに、この獣は鋭い視力を持っている、マネトーンが『ヘーロドトス批評』の中で謂っているところでは、ライオンはけっして眠らないという。しかし、これはありそうにないことである……

"t88b".1
Eustathius on Homer, Iliad, XI, 480:
 (ある人たちが言うには)levwn同様、livV〔雌のライオン〕も、lavw〔わたしは見る〕に由来するのは、文法学者オーロスによれば、鋭い視力のゆえだという、また、マネトーンが『ヘーロドトス批判』の中で謂っているように、ありそうにないことだが、ライオンは眠らないと……。

2009.07.19. 訳了。


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