Atthis

パノデモス断片集



[底本]
TLG 1583
PHANODEMUS Hist.
(4 B.C.: Atheniensis)
3 1
1583 003
Fragmenta, ed. K. M[u]ller, FHG 1. Paris: Didot, 1841-1870: 366-370.
frr. 1-26.
5
(Q: 1,094: Hist.)





t1-26
アッティス

t1
《第2巻》

断片1
Athen. IX, 11〔392d〕

 それら(ウズラたち)の由来については、パノデモスが『アッティス』の第2巻のなかで主張している、――エリュシクトン(Erysichthon)がデロス島をよく見ると、よい停泊地(euormon)があるため、この生き物の群が海から運ばれて、この島に腰を据えていたことに由来すると。


t2
《第4巻》

断片2
Schol. Aristoph. Av. 873

 コライニス(Kolainis)〔アルテミス・コライニスのこと〕……ヘラニコスの主張では、ヘルメスの子孫コライノス(Kolainos)は、占いにより、コライニスだけの神殿を建設したと言い、パノデモスも第4巻のなかで。


t3-3a
《第5巻》

断片3
Suidas

 パルテノイ(Parthenoi)〔「処女たち」の意〕。エレクテウス(Erechtheus)の娘たちのことをそう言って、崇めた。人数は6人であった。長姉はプロートゲネイア(Protogeneia)。次女はパンドーラ(Pandora)。三女はプロクリス(Prokris)。四女はクレウーサ(Kreousa)。五女はオーレイテュイア(Oreithyia)。六女はクトニア(Chthonia)。彼女たちのうち、プロートゲネイアとパンドーラとが、ボイオティアから遠征軍がやってきたとき、国土のために血祭にするようみずからをさしだした。かくて、スペンドス人たちのためにヒュアキントスと呼ばれる丘で血祭にあげられた。まさにそういうわけで、処女たちはヒュアキンティデスと呼ばれるとは、パノデモスが『アッティス』第4巻のなかで、彼女たちの名誉に言及しつつ、証言しているところである。

断片3a
Natal. Com. Mythol. IX, 10:
(lat.)しかし、パンディオンの子アイゲウスが、祖国の支配に成功したことは、パノデモスが『アッティカ誌』第5巻のなかで次のように書いている(/lat.)
 パンディオーンの息子アイゲウス(Aigeus)は、初め、〔イオンの子〕ホプレースの娘メータ(Meta)を娶ったが、2番目には、レークセーノールの娘カルピオケー(Chalkiope)を〔娶った〕。


t4
《第6巻》

断片4
Suidas 「"Tritopatores"」の項

 ……パノデモスは第6巻のなかで主張している、――アテナイ人たちだけが、結婚しようとするとき、自分たちの子供の誕生を願って供儀し、祈る。また、『オルペウスの自然学』のなかでは、"Tritopatores"はアマルケイデー、プロートクレア、プロートクレオーンと名づけられ、これらは風の門番であり守り手である、と。


t5
《第7巻》

断片5
Athen. III, 30〔114c〕

 エジプト人たちは酸っぱいパンを"kyllastis"と呼ぶ。このパンのことに言及しているのは、アリストパネスが『ダナイスたち(Danaides)』〔ダナオスの50人の娘〕のなかで……これに言及しているのは、ヘカタイオスも、ヘロドトス〔第2巻77〕も、パノデモスも『アッティス』第7巻のなかで。


t6
《第9巻》

断片6
Harpocrat.

 レオーコレイオン神殿は、デモステネスが「コノンを駁す」のなかで。また、レオーコレイオン神殿があったのは、パノデモスが『アッティス』第9巻のなかで主張しているところでは、内ケラメイコス区だという。


t7-26
出典不明断片(FRAGMENTA INCERTAE SEDIS.)

断片7
Proclus in Comment. ad Platon. Timaeum

 アテナイ人たちのことを、カリステネスはといえば、またパノデモスもそうだが、サイス人たちの父祖であると記録している。

断片8
Dionys. Halic. Ant. Rom. I, 61

  テウクロスについては、他の多くの〔歴史記述者たち〕もそうだが、アッティカ古代史を書いたパノデモスも、アッティカからアジアへ移住して、クシュペタイア(Xypetaia)の民を支配したと主張している。そしてこの説には、多くの証拠が提起される。例えば、広大で善い土地、それに土地の民族もあまり多くない土地を制圧し、ダルダノスと彼といっしょにやってきたヘラス部隊とに会見したのは、異邦人たちに対する戦争の同盟関係のためと、土地が荒らされないためであった。

断片9
Schol. Aristoph. Vesp. 1238

 アドメートス(Admetos)の話に、おお同志よ、学んで、善き人たちを愛せ。
 彼(アルテミドーロスArtemidoros)の主張するところでは、パイノデモスが言ったという、――ペライを亡命したアドメートスは、アルケースティスとヒッパソスとの末っ子テーセウスのところに赴き、彼の領地の、彼のもとで暮らしたが、これについては酒歌があるという。

断片10
Etymolog. M.

 タウロポロン(Tauropolon)とは、アルテミスのこと。……ある人たちの言うのには、ヘラス人たちがイーピゲネイアをアウリスで亡き者としようとしたとき、アルテミスが鹿を身代わりにしたという。しかしパノデモスによれば、熊を〔身代わりにしたという〕。

断片11
Tzetzes ad Lycophr. 183

 アルテミスは彼女(イーピゲネイア)を憐れんで、歴史家パノデモスによれば、熊に変身させた。

断片12
Suidas

 エペタイが無意思殺人を裁いたアテナイ人たちの法廷、パラディオンについて。アルゴス人たちがイリオンから来航して、パレーロンに接岸したとき、アテナイ人たちによって判決もなしに亡き者にされた。後に、アカマスが世に知られるようになり、パラディオンが見つけ出されたとき、神託によってここに法廷を設立したと、パノデモスが。

断片13
Athenaeus X, 10〔437b-d〕

 水差しの祭礼は、アテナイ人たちによって遂行されるが、パノデモスの主張するところでは、王デーモポーンが、アテナイにやってきたオレステースを歓迎しようとした。しかし、いまだ裁きを受けていなかったので、彼が神事に近づくことを、まして同じ盃で飲むことを望まず、命じて神具には施錠させ、酒の水差しを各人にあてがい、最初に飲み干した者に褒賞として聖菓(plakous)が与えられるようにした。こう申し渡して、かぶっていた花冠はその場に置き、オレステースと同じ屋根の下になるので神具にはかけず、自分の水差しにかぶせ、花冠をリムナイにある境内まで女神官に持参させ、その上で残りの供儀をおこなわせた。以来、この祭礼は水差しの祭礼と呼ばれると。

断片14
Athenaeus XI, 3〔465a〕

 パノデモスの主張では、リムナイにあるディオニュシオスの神殿に、アテナイ人たちはこの神のために瓶から葡萄液を混ぜるために持ってくる、その上で自分たちが味見をし、ディオニュシオスがリムナイオスとも呼ばれるのは、そのとき葡萄液が水に混ぜられて初めて混ぜものが飲まれるからである。泉の妖精たちがディオニュシオスの乳母とも名づけられるのは、水が混ぜられてその葡萄酒が増える〔大きくなる〕からである。

断片15
Athen. IX, 19〔168a〕

 浪費家たちや、自分の資力の範囲内で生活しない連中を、昔はアレイオス・パゴス員たちが召喚して処罰したと、パノデモスとピロコロスが記録している。

断片16
Plutarch. Themistocl. 13

 夜明けと同時に、クセルクセスは高みに座し、部隊と戦闘隊形を視察した、パノデモスの主張では、それはヘラクレス神殿の上、狭い水道でアッティカから島(サラミス島)が隔てられている地点といい、アケストドーロスによれば、メガラの境、いわゆる「角(Kerata)」の上という。

断片17
Idem Cim. 12

 〔ペルシア艦隊は〕敵艦隊の近くに投錨しながら、ヘラス勢と戦闘する気はなく、フェニキア艦隊80がキュプロスから来援するのを待っていた。その機先を制しようと、キモンは出動し、相手が船戦を望まなくとも、〔船戦を〕強要せんと企んだ。相手勢は、初めは、強要されないよう、河口の奥に投錨していたが、アテナイ勢が来襲するや、撃って出、パノデモスの記録するところでは、〔その数〕60艘、エポロスによれば、350艘である。

断片18
Plutarch. Cimon. c.19: Cimon decessit in obsidione Citii

 最期にさいし、側近の者たちに、自分の死を秘したまま、ただちに出航するよう命じた。そしてそのおかげで、敵方にも同盟者たちにも勘づかれることなく、彼らは安全に帰国することができたと、パノデモスは主張している、30日前に死んだキモンの用兵でと。

断片19
Athen. I, 17〔20a〕

 ロクリス人アイオペーテースは、パノデモスの主張では、テバイにやってきて、酒と乳で満たされた膀胱〔の革袋〕を帯にぶら下げ、これを搾っては、口から出ると言っていた。

断片20
Schol. Hesiod. ad Theog. 913

 彼女〔ペルセポネ〕を掠奪したのは、ある人たちはシケリアからといい、バッキュリデスはクレタからと、オルペウスはオケアノス河のあたりからと、パノデモスはアッティカからと、デーマデースは峡谷でと〔主張する〕。

断片21
Eustath. ad Iliad. VI

 まずいことに、パノデモスはアプロディーテーをダレイラ(Dareira)とみなし、デメテルと同一という。

断片22
Harpocratio

 青銅祭(Chalkeia hiera)、ヒュペリデースが『デーメアスの客遇を駁す』の中で。アテナイにおける青銅祭の祭礼は、ピュアネプシオン月の新旧日(ene kai nea)に挙行され、手工職人たちに、とりわけ鍛冶職人たちに共有されると、アカルナイ人アポローニオスが主張している。しかしパノデモスは、この祭礼はアテナのためではなく、ヘパイストスのために挙行されると主張する。

断片23
Hesych.

 ガレオイ(Galeoi)とは、占い師たち。この連中はシケリアに住んでいて、一部族をなすと、パノデモスが主張し、ピントーン(Pinthon)も『タランティオン』で。

断片24
Hesychius s. v. "Tauros"

 ……パノデモス(の主張では)大麦が牡牛(tauros)と渾名されるのは、それが角をもっているからだと。

断片25
Hesychuus

 アカナス(Achanas)というのは、ペルシアの度量である〔1アカナス=45メディムノス〕が、パノデモスによれば、祭り見物に行く人たちや、神々のところへ遣わされる人たちが、食べ物を入れる筺(kiste)のことである。

断片26
Harpocrat.

 ヘカテーの島、リュクウルゴス『メネサイクモス(Menesaichmos)を駁す』。デロス島の前にひとつの小島あり、この小島は一部の人たちによってプサンメーティケー〔Psammetiche〕と呼ばれていると、パノデモスが『デロス島史』首巻の中で。しかし、プサンメーティケーと呼ばれるのは、セーモスが首巻の中で主張するところでは、プサンメートン菓子でこの女神が崇められるからだという。プサンメートン菓子(psammeton)とは聖菓(psaistos)の一種である。


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