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back.gif第20弁論


Lysias弁論集



第21弁論

収賄罪の弁明 事実無根






[1]
 告発された事柄については、おお裁判官諸君、充分あなたがたに明示された。だが、その他のことについても、あなたがたが耳を傾けることを私は要請する、――あなたがたが票決しようとしている私が、いかなる人物であるのかをあなたがたが知るためにである。つまり、私はテオポンポスが執政の時〔BC 411/410〕に資格審査を受け、悲劇の合唱隊奉仕者に就任して30ムナを出費して、三か月目にタルゲーリア祭の男性合唱で勝利したが、この時に2000ドラクマを、グラウキッポスが執政の時〔BC 410/409〕には、大パンアテナイア祭のピュリック舞踏で800 ドラクマを〔出費した〕。

[2]
 さらにまた、同じ人物が執政の時にディオニュソス祭のための男性合唱隊の奉仕者となって勝利し、鼎の奉納を含めて5000ドラクマを消費し、ディオクレスの時〔BC 409/408〕に小パンアテナイア祭の輪舞に300 ドラクマを〔出費した〕。その間に、七年間三段櫂船奉仕者となって6タラントンを出費した。

[3]
 また、これほどの費用をかけて日ごとにあなたがたのために危険を冒して外地に出かけたが、それにもかかわらず臨時財産税を、一度は30ムナ、もう一度は4000ドラクマ寄付してきた。だが、アレクシオスが執政の時〔BC 405/404〕に下船するや、ただちにプロメテウス祭のために体操場奉仕者(gymnasiarchos)となって勝利したが、12ムナを出費した。

[4]
 その後、幼年合唱隊の合唱隊奉仕者に就任して15ムナ以上を出費した。さらにまた、エウクレイデスが執政の時〔BC 403/402〕に喜劇の合唱隊奉仕者となってケピソドロスに勝ち、衣裳の奉納を含めて16ムナを出費し、また小パンアテナイア祭で髭のないピュリケ舞踏隊の合唱隊奉仕者となって7ムナを出費した。

[5]
 さらに、スニオンでの三段櫂船による競漕で勝利したが、15ムナを出費した。このほかにも、神聖使節やエレポリア行列や他のそういったことにも、このために30ムナ以上が私によって費やされたのである。そして、以上、私が数え上げた費用のうち、もしも法の条文どおりに公共奉仕することを望んでいたとしたら、私は四分の一も出費することはなかったであろう。

[6]
 しかも、私が三段櫂船奉仕者となっていた期間、私の艦船はあらゆる海戦で最善に航行したが、このことの最大の証拠をあなたがたに述べよう。すなわち、先ず第一に、アルキビアデス、――この男が私と同船しないことを願っていたのだが、彼は友でも同族でも同部族でもないのに、私の艦船に乗って航行した。

[7]
 もちろん、あなたがたはご存知だと思うが、彼は将軍であり、何でも望むことができたのだから、最善に航行する船でないかぎりは、決して他の艦船には乗船しなかったであろう。みずから危険に身をさらそうとしていたのだからである。

[8]
 だが、その後、彼らをあなたがたは役職から解き、トゥラシュロスを含む十人を選んだが、この者たちがみな私の船で航行することを望んだため、じつに多くの罵り合いが彼らに起こった結果、プレアッロイ区のアルケストラトスが乗船した。だが、この人がミュティレネで戦死したので、エラシニデスが私といっしょに同船した。しかしながら、このように整備されている三段櫂船がどれほど財産を消費してきたとあなたがたは思うか。あるいは、どれほど敵国人たちに害悪をもたらしたと。あるいは、どれほど国家に善くしてきたと。

[9]
 そこで、このことの最大の証拠がある。すなわち、最後の海戦で艦船が潰滅した時、将軍は誰も私と同船していなかったが(ここで、このことも言及しておこう。あなたがたは生じた災禍のせいで、三段櫂船奉仕者たちにまで怒りをぶつけるのだから)私は自分の船を連れ戻すとともに、パレレウスの子ナウシマコスの船をも救ったのである。

[10]
 これも、偶然にではなく、私の準備によってできたことである。というのは、いつも操舵手として、ヘラス人たちの中で最善と思われていたパンティアンを金で説得して持っていたのである。さらに、彼に対応する乗組員も他の補充員も彼に追随する者を私は装備していたのである。これも真実を私が言っているということを、あなたがたはみなご存知である、――かしこでまさに兵士の一員であった人たちなら。しかし、ナウシマコスをも呼んでいただきたい。

証言


[11]
 さて、艦船のうち救われたのは十二隻であった。だが私はあなたがたに二隻を連れ戻したのである、――自分の三段櫂船とナウシマコスのとを。
 じつに、こういうふうに、多くの危険をあなたがたのために冒してきたのに、そして、これほど善きことを国家にもたらしたのに、今、私がお願いしているのは、他の人たちのように、これらの代償に贈物をあなたがたから受け取ることではなく、私のものを奪わないようにということである。それは、私が本意にしても不本意にしても、その私から取るのはあなたがたにとっても恥ずべきことだと考えるからである。しかし、私が財産を失わねばならないかどうかは、私はそれほど気にならない。

[12]
 むしろ、私は凌辱を受け入れることができないであろうし、公共奉仕をすり抜けた者たちの身に起こること、つまり、私にはあなたがたのために出費してきたものが報われないのに、彼らの方は、あなたがたのために自分たち自身のものを何も捧げないよう忠告してきたことで正当であったと思われる、というようなことも〔受け入れることはできないであろう〕。そこで、あなたがたが私に聴従するなら、あなたがたは義しいことを票決し、あなたがた自身に益することを選択すべきである。

[13]
 なぜなら、ご覧のとおりである、おお裁判官諸君、国家の歳入がいかに少ないか、しかも、当局者たちによっていかにひったくられているかは。したがって、国家にとって最も確実な歳入の途は、進んで公共奉仕する人たちの財産、これだと考えるのが有意義である。だから、あなたがたが善く評議しようとするなら、あなたがた自身の私的な財産に劣らず、私たちの財産をあなたがたは配慮するはずである。

[14]
 それは、私たちのものをすべて、以前と同様に、あなたがたが利用できるだろうということを知っているからである。そうすれば、あなたがたはみなご存知と私は思うが、私はあなたがたにとって、あなたがたのために国家のものを差配する人たちよりも、私のもののはるかにより善き差配者となるであろう。だから、もしもあなたがたが私を貧乏にするなら、あなたがたはあなたがた自身にも不正することになろう。なぜなら、これをも、その他のものと同様に、別の人たちは分け合うであろうから。

[15]
 さらに、思いを致すべきは、あなたがたにとってはるかにもっとふさわしいということである、――私のもののことで私と論争するよりも、むしろ、あなたがたのものの中から私に与えることの方が、また、富裕な人たちに嫉妬することよりも、むしろ、貧乏になった者を哀れむことの方が、そして、他の人たちが次のような市民になるよう神々に祈願することが、である。つまり、彼らがあなたがたのものを欲求するのではなく、自分たちの自身のものをあなたがたのために出費しますようにと。

[16]
 そこで私は思うのだが、おお裁判官諸君(あなたがたのうち誰も立腹しないであろう)、あなたがたが真相究明委員会によって私のものを取得したかどで公訴されるのがはるかに義しい、私が公の金品を取得したとして、今、危険にさらされているよりも。なぜなら、次のような人物として私は自分を国家に提示しているのだから。つまり、私的には大いに節約し、公的には喜んで公共奉仕をし、自慢は手持ちの財産ではなく、

[17]
 あなたがたのための出費である。それは、後者の手柄は自分にあるが、財産は別の人たちが私に残したにすぎないと考えるからであり、また、前者によっては敵たちに不正に誣告されるが、後者によってはあなたがたのおかげで義しくも救われると考えるからである。したがって、当然ながら、他の人たちが私をあなたがたから返還要求することはなく、私の友たちの中の誰かがこのような争いを引き起こした場合も、あなたがたが私に恩恵を施すよう私は要望できようし、また、他の場面で私が危険に陥った場合も、あなたがたが私のための請願者となることをも〔要望できよう〕。

[18]
 というのは、少なくとも次のことを言える人はいないであろうから。つまり、私が多くの公職に就いてあなたがたのものから利得したとか、あるいは、恥ずべき訴訟を起こされたとか、あるいは、何か恥ずべきことの犯人であるとか、あるいは、国家の災禍を嬉々として見ていたとか。そこで、私的なことも公的なこともすべてのために、私の市民生活がどんなふうであったかは、あなたがたもご存知と思うので、それについて私は何ら弁明する必要もないほどである。

[19]
 それゆえ、あなたがたにお願いするのは、おお裁判官諸君、今、私についてこれまでと同じ見解を持ち、公的奉仕のことを思い起こすばかりでなく、私的な所業にも思いを致すようにということである。それは、公共奉仕が至って辛いのは、次の点にあるとあなたがたが考えるからである。つまり、最後までいつも規律正しく思慮深い人物であり、快楽に負けることも、利得に目を晦まされることもなく、市民たちの中に非難する者も敢えて訴訟を引き起こした者もいない、そういう人物として自分を提示する点にあると。

[20]
 だから、価値がないのである、おお裁判官諸君、このような告発者たちに聴従して私に有罪票決しようとすることは。彼らは 神に関しては係争してこれほどの年齢になってしまったが、自分たちの過ちのためには弁明できない時に、敢えて他の人たちを告発するのである。もちろんこの中には、キネシアスのように、周知のザマながら多くの兵役に従事してきた者もいるが、この連中は国家のことに憤懣を抱いているのである。そして、国家が幸福になる所以を、彼らは忠告せずして、善くしてきた人たちにあなたがたが怒りを起こすようにと万事を仕組むのである。

[21]
 もしかすると、この連中は、おお裁判官諸君、民会において自分たち自身の手柄をあなたがたに宣伝できるかもしれない。なぜなら、彼らに祈願しても、これより大きな害悪を私は持ち得ないからである。とにかく、私はあなたがたにお願いし嘆願し懇願する、――収賄の罪で私に有罪判決を下さないように、また、私が国家にとって何か悪いことが生じるのを望むことができるような、それほどの財産があるとは考えないように。

[22]
 というのは、私は発狂するであろう、おお裁判官諸君、もしも、父祖伝来の財産を名誉愛からあなたがたのために出費しているのに、国家の害悪を求めて他人から収賄しているとしたら。たしかに、私は、おお裁判官諸君、あなたがたでなければ誰が私の裁判官となるのを望めばいいのかわからないのである、――いやしくも、善く蒙った人たちが善く為してきた人たちについて投票を為すよう祈願しなければならないとしたら。

[23]
 それどころではない、おお裁判官諸君(このことも言及したいのだが)、あなたがたのために公共奉仕する必要のある時に、私の心にあったのは、子どもたちをこれほど貧乏にして後に残すことになるかもしれないということでは決してなく、むしろ、もっと切実に、下命されたことを熱心に果たせないようになるかもしれないということであった。

[24]
 また、かつて海戦において危険に挺身しようとした場合でさえ、哀れんだことも涙したことも、妻のことも自分の子どもたちのことも心に留めたこともなく、また、恐るべきことだと私が考えたのは、祖国のために生を終えて、孤児として、また、父を奪い去られた者として彼らを残すことになるかもしれないということではなく、むしろ、もっと切実に、醜く救われて、自分自身にも彼らにも非難を招来することになるかもしれないということであったのだ。

[25]
 こういったことの代償に、今、私はあなたがたに恩恵を返還要求し、また要望するのである、――危機にあって私はあなたがたに関してこのような見解を有していたのだから、安心できる状態にある今、あなたがたが私とこれらの子どもたちを大事にすることを。それは、私たちにとっては恐るべきこと、あなたがたにとっては恥ずべきことだと考えるからである、――もしも、このような罪状によって私たちが市民権喪失者となったり、あるいは、現有物を奪われれて貧乏人になり、多くのものを欠いた者として、私たち自身には価せず、またあなたがたのために奉仕された内容にも価しない状態を蒙って、さすらったりするよう強いられることになれば。断じてあってはならないことである、おお裁判官諸君。むしろ、無罪放免して、以前にもそうであったような、そういう市民として私たちを用いるべきである。
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