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back.gif第21弁論


Lysias弁論集



第22弁論

穀物商たちに対して






[解説]



 当時の世界において、アテナイは、食糧(穀物)を自給できないほとんど唯一の国であった。そのため、穀物輸入のルートを確保すること――これはアテナイにとって国家の存亡に直接かかわる問題であった。したがって、穀物供給問題は、常に主要民会の議題の一つとなっていた(『アテナイ人の国制』第43章)。

 また、穀物の取り引きに対する規制も厳格をきわめ、穀物商人は、
  (1)卸値に1オボロス以上の利潤で売ってはならず、
  (2)50ポルモス以上の買い付けも禁止されていた。
  (3)しかも、穀物監視員(sitophylakes)が特別に設けられ、「第一に市場において加工しない穀物が正当な価格で売られるように、次に粉ひきが大麦の価格に応じて大麦粉を売り、またパン屋が醤麦の価格に応じてパンを売り、かつ彼らの定めた目方のあるパンを売るように監督」していた(『アテナイ人の国制』第51章)。

 しかし、安定供給は、とうてい、無理であった。輸入ルートであるエーゲ海は、制海権をめぐって、戦火が絶えなかった。海賊も横行した。嵐という自然の脅威もあった。そのたびに、穀物の価格は急騰し、餓死者まで出した模様である。

 コリントス戦争〔395-386年〕は、ギリシアの覇権確立の動きを見せたスパルタと、これに対して手を結んだテバイ、アルゴス、コリントス、アテナイとの戦いであったが、一進一退の戦況の中、両陣営とも、ペルシア大王の後援を得ようと躍起となった。しかし、ついにアンタルキダスが大王との和約を取りつけ、ヘレスポントス海峡を制圧するに及んで、アテナイの穀物事情は窮地に陥った。

 第22弁論は、詳細不明な部分も多いが、コリントス戦争末期〔387/6年〕、輸入穀物の競り上げをおさえるために、役人が穀物商人(小売業者)たちに協同購入を勧告した模様である。これを逆手にとって、彼らは一種のカルテルを結び、価格操作を企て(あるいは、企てたと疑われ)、評議会から民衆法廷に付託され、審判を下されることになった。当弁論は、内外の商業取引をめぐる違法行為に対して適用されるphasisと呼ばれる公訴の、民衆法廷における告発弁論であると考えられている。

 告発された穀物商人たちは、みな寄留民であった。いかに流通経済が発達していたといっても、いまだ農業が主要生産手段であったアテナイにおいて、流通経済に携わる者たちは、いまだ軽蔑の対象であった。したがって、これに従事するのは、アテナイに不動産を持つことを許されない寄留民たちであった。弱い立場にある彼らは、当然、自分たちの利害を守るために、手を結んだと考えられる。しかし、そのことがよけいに市民たちの(とりわけ輸入業者たちの)怒りを掻きたてることにもなった。かくして寄留民の穀物商人は裁判にかけられたが、裁判もなしに処刑されなかっただけでも、幸運と思わなければならなかったのである。

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