第26弁論・解説
[1] ……長い時間が経過した後になって、今、この資格審査を彼らが厳密に為すであろうとは考えもしていない。というのは、あなたは彼らに対して多くの恐るべき過ちを犯してきたと自覚しているが、彼らの中にはこれを忘れ、また思い出しさえしない人たちもいるとあなたは信じているからである。これこそ私の憤懣やるかたないところである、――こんな希望を信じて、彼があなたがたの前にやってきているというのが。あたかも、不正されたのは誰か他の人たちであり、これを票決に付さんとする人たちも別人であって、被害者も聴衆も両方を同じ人がするのではないかのように。 [2] だが、この責任はあなたがたにある。なぜなら、あなたがたは思いを致していないからである、――この連中は、国家がラケダイモン人たちに支配された時、同じ奴隷状態にさえあなたがたを参加させることを拒み、国家からさえ追放したが、あなたがたはこれを自由にして、彼らをも、自由のみならず、裁判にも国家公共事に関する民会にも参加させた。その結果、彼らは当然のごとく、これをお人好しとして、あなたがたに有罪判決を下している、ということに。 [3] その連中の一人がこの男であるが、自分がそういったことに参加するのを認める人が誰かいても歓ばず、あの所業の償いをする前に、国家を再び支配することを要求しさえするのである。今も、私が彼から聞いたのは、自分の告発に対しては手短に弁明し、事実をいい加減にして、告発を弁明によって丸めこまんとして、こう言おうとしているということである。つまり、国家のために多くのものを出費してきたし、名誉を愛して公共奉仕もしてきたし、民主制下において多くの美しい勝利を勝ちとってきたと。また、みずからは規律正しい人間であり、別な人たちが当地で敢行するようなことを自分が為すのを目撃されたことはなく、自分のことを為すのみと主張する、と。 [4] だが、これらの言説に対して反論するのは困難でないと私は思う。公共奉仕に関しては、公共奉仕をしなかった彼の父の方が、自分のものをこれだけ出費した彼よりも勝れていた。なぜなら、彼はこれによって民衆に信じられて民主制を解体したのであり、その結果、その所業は彼の公共奉仕による捧げ物よりも永遠に記憶されているのである。 [5] また、この男の平静さに関しては、彼が思慮深いかどうかを今は尋問する必要はなく、――というのは、彼は不埒であることができないのだから、考察すべきは、どちらでも望みのままに生きることができるのに、違法に為政することを選んだあの時である。というのは、今何ら過ちを犯さないのは、妨害者たちが原因であって、かつての出来事は、この男の仕方とこの男に委ねることを主張した連中が原因なのだから。したがって、もし以上の理由で資格審査されることを主張するなら、次のことを前提とすべきである、――あなたがたが彼にお人好しと思われるのではないかということを。 [6] ところで、彼らが次のような議論に向かおうとして、時間的に他の人を抽選する余裕がなく、彼を失格審査したら、父祖伝来の神事が疎かにされるのが必然であるというなら、あなたがたは次のことに、つまり、時間はとっくの昔に過ぎてしまったということに思いを致すべきである。なぜなら、一年のうち、残っているのは明日だけであり、明日には救い主ゼウスに犠牲が捧げられ、法習に反して法廷が開かれることはできないからである。 [7] だが、もし、そういったことすべてが結果するよう、この男がまんまとやってのけたのなら、資格審査された彼が何を為すだろうと期待すべきであろうか、――任期満了の執政官が、彼のために違法するよう説得していたとしたら。いったい、そういったわずかなことを、年内に達成しようとするであろうか。私としては、そうは思わないのである。 [8] また、あなたがたが考察すべきは、このことのみにとどまらず、執政官になろうとするための神事で、今までのしきたりどおりに捧げる犠牲がより敬神的なのは、バシレウスや同僚執政官たちが執り行うことか、それとも、両手が清浄でもないと知っている人たちが、そう証言している相手までもが〔執り行うこと〕か、また、あなたがたが宣誓したのは、無審査の者を執政職に就けることなのか、それとも、資格審査した上で執政職に価する者に花冠をかぶせることなのか。 [9] これが、すなわち、あなたがたの考察すべきことである。さらに、次のことにも思いを致すべきである、――立法者は、資格審査に関する法を、とりわけ寡頭制のもとで公職に就いた者たちのために定めたのである、それは、もしも、民主制を解体させた張本人たちが、その〔民主制の〕体制のもとで国家を執政し、法習と、先には彼らが国家を相続してかくも醜く恐ろしく虐待した、その国家の主宰者となるのは、恐るべきことだと考えたからである。したがって、大事なのは、資格審査に関して疎かであることではなく、事を小さいと考えて審査を気にかけないことでもなく、見張って、各人が義しく執政するもとで、国家体制のみならず他にもあなたがた大衆が救われるようにすることである。 [10] そして、評議員になろうとする者が、今、資格審査されて、「三十人」時代に騎兵として、その名前が名簿の中に記載されていたなら、あなたがたは告発者がいなくても彼を失格審査したであろう。ところが今は、騎兵であり評議員でもあったのみならず、大衆に対して過ちを犯したことが判明しているにもかかわらず、もしも、彼について同じ考えを持つことが判明しないなら、あなたがたは奇妙なことをすることになるのではなかろうか。 [11] 確かに、評議員なら、資格審査されて五百人〔の一員〕となり、他の人たちといっしょに一年間だけ評議員となり得たかも知れず、その場合には、その期間、何か過ちを犯したいと望んでも、他の人たちによって容易に妨げられ得るであろう。だが、この執政職を承認されたら、自分独りで執政することになり、また、アレイオス・パゴス評議会にも属して、いつまでも最大事の主宰者となることになるから、 [12] この執政職に関しては、その他の公職に関してよりも厳格に資格審査をすることがあなたがたの責務となるのである。さもなければ、市民たちの大部分がどのような心境になるだろうとあなたがたは思うか、――過ちを犯された相手に償いをするのがふさわしい者、この者があなたがたによってこの執政職に就くよう要請されるのを彼らが感知した場合に。また、アレイオス・パゴス評議会によって判決を下されるべきであった当人が、殺人の判決を下すのを〔感知した場合に〕。また、その上さらに、花冠をかぶせられ、女子相続人たちや孤児たち――そのうちの何人かは、この男自身が孤児の原因となったのに、その主宰者となるのを見た場合に。 [13] いったい、彼らは腹立たしい心境になるだろう、そして、あなたがたをその原因とみなすだろうと、あなたがたは思うのではないか、――自分たちの多くが、牢獄に逮捕連行されて、裁判もないまま、この連中によって破滅させられ、自分たち自身の国家から亡命せざるを得なくされた、あの時代に引き戻された時に。その上また、この同一人物が、レオダマスが失格審査され、この男が合格審査される原因となり、前者に対しては告発者となり、後者のためには、これが国家に対してどのような人物であり、また、国にとってどれほど多くの諸悪の原因となったか、ということに対する弁明をもくろんだ、そのことにも思いを致した時に。 [14] それとも、あなたがたは、聴従したら中傷されることになると、どうして、思う必要があろうか。なぜなら、この前は、あなたがたがレオダマスに怒って失格審査したと彼らは思っていた。ところが、あなたがたがこの男を合格審査したら、あなたがたが彼について義しい判断を下さなかったのだ、ということを彼らは思い知ることになろう。ところで、この者たちにとっては、争いはあなたがたを前にしての争いであるが、あなたがたにとっては、国家全体を前にしての争いである。つまり、今あなたがたが国家についてどんな考えを持つに至るかを、国家自身が観察しているのである。 [15] そして、あなたがたの誰一人、レオダマスがたまたま友だからといって、私が彼に恩恵を施すためにエウアンドロスを告発しているのだと考えてはならない。むしろ、私はあなたがたと国家のために憂慮しているのだと〔考えるべきである〕。だが、このことは事実そのものから容易に学べるのである。なぜなら、この男が合格審査されるのは、レオダマスにとっては得である。というのは、そうすれば、あなたがたが真っ先に中傷され、民主制的な人間の代わりに、寡頭制的な人間を執政職に就けたと思われるだろうからである。だから、この人物を失格審査することは、あなたがたのためなのである。あの人物をも義しく失格審査したと思われるであろうから。しかるに、この人物を失格させなければ、あの人物を〔失格させたの〕も義しくなかったことになるのである。 [16] ところが、私の聞くところ、彼が言おうとしているのは、この資格審査が関与するのは自分だけではなく、市内に留まっていた者全員であるとして、誓約と協定をあなたがたが思い起こすようにということであるが、そうやって、市内に留まっていた人たちを、資格審査員として自分の味方につけようとしているのである。だが私は、大衆のために手短に彼に反論しておきたい。――民衆は、市内に留まっていた者全員に関して、同じ考えを持っているのではなく、こういった過ちを犯した者たちに関しては、持つべきだと私が主張しているような考えを持ち、だが、その他の人たちに関しては、反対の考えを持っているのである。 [17] 証拠はこうである。すなわち、国家は、ピュレに向けて進撃し、ペイライエウスを占拠した人たちに劣らず、その人たちの中の多くに報いたのである。当然である。なぜなら、前者は民主制下でのみ、いかなる人物であるかを彼らは知ったのであるが、寡頭制下ではどのような人間になるか、まだ経験したことがなかったからである。これに反して、後者は、どちらの国家体制によっても充分に吟味されたのだから、信じられるのが当然なのである。 [18] しかるに、かつて逮捕されて殺されたのは、少なくともこの連中のせいであり、亡命したのはその他の人々のおかげであると彼らは考えている。というのは、少なくとも皆が同じ考えを持っていたら、亡命も帰還も他の何らの出来事も国家に生起していなかったであろうから。 [19] あるいは、また、一部の人たちからは不合理に思われることだが、いったい、彼らは多人数であったのに、ペイライエウスにいた僅かな者たちに負かされたのがいかにしてかは、ほかならぬこの人たちの思慮以外のどこから生じたのでもないのである。すなわち、この人たちは帰還者たちといっしょに為政することの方を、「三十人」といっしょにラケダイモン人たちに隷属することよりも選んだのである。 [20] じつに、それゆえに、この連中の代わりに、その人たちを民衆は最大の報いで遇したのである。騎兵指揮官や将軍や使節になるよう、自分たちのために選んで。そして彼らは悔いたことがない。そして、現に多くの過ちを犯した者たちのために資格審査があるように票決し、何らそういったことをしなかった者たちのために協定を結んだのである。これだけは、あなたに、私は民衆のために答えておく。 [21] そこで、あなたがたの仕事は、おお評議員諸君、どちらの者に聴従すれば、この資格審査に関してあなたがたがよりよく評議できるか、を考察することである。私にか、それとも、この男の弁明をしようとしているトゥラシュブウロスにか。そこで、私や父や祖先たちについては、民主制嫌いについて言うべき何ものもこの男は持ってはいないであろう。つまり、私が寡頭制に参加したとも(なぜなら、その時代の後に私は成人として資格審査されたのだから)、父がそうとも(なぜなら党争のはるか以前にシケリアで指揮官となって命終したのだから)。また、祖先たちが僣主に臣従したとも。 [22] なぜなら、彼らに対していつも党争を起こし続けたのだから。いや、それどころか、財産を私たちが戦時に所有したとも、国家のために何ら出費しなかったとも、彼は主張できないであろう。なぜなら、正反対に、平和時には私たちの家族は80タラントン所有者となり、国家救済のためには、戦時に、すべてを費消したのである。 [23] これに反し、この人物に関して、私は次のような所業を三つ、――その一つ一つが死罪に価するような大罪を言うことができる。先ず第一に、ボイオティア人たちの国家体制を、金品を受け取って転覆させ、私たちからその同盟を盗み去ったこと。第二に、艦船を引き渡して、国家を救済に関して評議するようにさせたこと。 [24] 第三に、自分が破滅させた捕虜たちから、30ムナを強請り取ったこと。捕虜たちがそれを自分たち自身の財産の中から自分に差し出さなければ、解放されることはないと称してである。そこで、私たちのそれぞれの人生を観察し、その上で、エウアンドロスの資格審査に関して、いずれの者を信ずべきかを評議していただきたい。そうすれば、あなたがたは過ちを犯すことがないであろう。 |