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back.gif第25弁論


Lysias弁論集



第26弁論

エウアンドロスの資格審査について






[解説]



 アテナイの暦は太陰暦である。一年は夏至から始まり、平均12か月で、大の月6か月、小の月6か月である。これだと、1年が 354日になるので、第3年目、第5年目、第八年目に閏の大の月を第6月(Poseideon「ポセイドンの月」の意。現在の12/1月)の次に入れ、8年サイクルでもとにもどるようにした。

 第26弁論は、年度替わりになって、それも残すところ後1日となった日の、執政官職の立候補者エウアンドロスに対する資格審査である。

 執政官の資格審査は、評議会と民衆法廷と、二段階の審査を必要とする。本弁論は、第一段階の評議会における審査である。しかも、翌日には、救主ゼウスのための祭礼が行われる予定である。これは、1年の最後の日に、執政官以下の役人と評議会員が出席して、来たるべき年の幸をゼウスに祈念する祭である。この祭礼のため、法廷は開かれない。したがって、次年度の執政官を年度内に決定することは不可能な状況にある。

 この資格審査がこれほどまでに押し詰まったのは、初めの立候補者レオダマスが、アテナイ政界に勢力を張っていたコリュットス区のトラシュブウロスの横やりで失格審査され、代わってエウアンドロスが、同じトラシュブウロスの後押しで立候補した。これに異義申し立てをしたのが、第26弁論の内容である。

 エウアンドロスの失格理由として、弁者は次の三点を挙げる、
  (1)「三十人」政権下での騎兵隊勤務
  (2)同政権下での評議員
  (3)同政権下での暴政加担

 しかし、「三十人」政変からすでに20年以上も経っており、弁者の申し立ては、もはや聴衆の心を動かせるほどの材料ではなかったようである。加えて、立候補者の背後には有力者トラシュブウロスが控えている。

 このトラシュブウロスは、あの有名なステイリア区のトラシュブウロスとは同名異人であるが、やはり民主派の指導者で、「三十人」政権を打倒して帰還した人物なため、区別しにくい。しかし、前者が終始アルキビアデスの支持者であったのに対して、彼はBC 406年のノティオン海戦の敗北を理由に、アルキビアデスの将軍職罷免を民会に説得し、政界に名を馳せた。BC 388/387年、作戦行動上の失敗で弾劾裁判にかけられたが、免れている。

 今や政界の重鎮たるトラシュブウロスの弁護によって、エウアンドロスはめでたく合格審査され、BC 382/381の執政官となったのである。

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