第31弁論・解説
[1] 私は思っていたのです、おお評議会の皆さん、ピロンが厚顔無恥のあまりに、資格審査を受けるためにあなたがたの前に出頭するまでに至るなどということは、まさかあるまいと。だが、彼が厚顔無恥であるのは、何か一つのことにかぎったことではなく、多くの点でもそうであり、しかも私は、国家にとって最善のことを評議すると宣誓した上で評議会議場に列席しているのであり、また、抽籤の候補者たちのうち、誰が評議員になる資格がないか知っている場合に、 [2] それを宣明することも宣誓の中に含まれているので、私はこのピロンに対する告発を為すつもりである。しかしながら、何ら私的な敵意に駆り立てられてではなく、あなたがたの間で語るに有能にして慣れていることで思い上がってでもなく、彼の過ちの多さを信じているからであり、また、自分の誓った宣誓を遵守することを重視するからである。 [3] ところで、あなたがたは認識されることになろうが、私がこの男をいかなる人物であるか糾明せんとする目論見と、この男が邪悪な人間であることを企ててきた目論見と、その目論見の数は同等ではない。 [4] にもかかわらず、私が告発の言葉において何らかの点で至らぬところがあっても、だからと言って、この男が得をするというのは義しいことではないであろう。いや、むしろ、何でも充分に私が説明できること、これに基づいて失格審査するべきである。なぜなら、私の述べるところは、この男によって為されたすべてのことには無経験なために欠けるところがあるが、彼の悪行のゆえに充分であろう。そこで、あなたがたにも要望するのである。――私よりも語るに有能な人たちは、彼の過ちがより大きいことを判明させるように、そして、私が言い残したことからも、彼らが知っている事柄について、再度ピロンを告発するようにと。なぜなら、私によって語られる事柄だけから、あなたがたは彼について、いかなる人物か考察する必要はないからである。 [5] すなわち、私の主張では、私たちについて評議するのが義しいのは、他でもない、市民であることに加えて、それ〔評議〕を欲している人たちにほかならない。なぜなら、この人たちにとっては、この国家をよく為すことと、不都合に為すこととが大違いであるのは、善きことにも参加するのと同様、恐るべきことに部分的に参加することは、自分たち自身にとって必然的であると考えるからである。 [6] これに反して、生まれつきは市民であるが、生活の都合のあるところ、その土地がすべて自分たちの祖国だというような考えを持っているかぎりの、この連中は、明らかに、国家共通の善を無視してでも、自分たちの私的な利得の追求に向かうが、それは、国家ではなくて財産が自分たちの祖国だと考えるからである。 [7] そこで、私が判明させようとしているのは、このピロンは私的な安全性の方を国家共通の危険性よりも重視し、自分が危険なく人生を過ごす方が、他の市民たちと等しく危険を冒して国家を救済することよりも勝っていると考えているということである。 [8] すなわち、この男は、おお評議会の皆さん、国難が生じた時(これについて私は、やむを得ざるものだけ言及するにとどめるが)、「三十人」によって市民たちの他の大部分といっしょに市から追放宣告され、しばらくは田舎に住んでいたが、ピュレ派の人たちがペイライエウスに帰還し、田舎からの人たちばかりか、国境外からの人たちも、或る者は市に向け、或る者はペイライエウスに向けて結集し、各人ができるかみり、力相応に祖国を助けていた時に、彼は他のあらゆる市民たちとは正反対のことをしたのである。 [9] すなわち、自分のものを取り纏めて当地から国境外に移住し、オロポスで居留民税を払って保護を受けて住んだのである。あの人たちのもとで居留することの方を、私たちといっしょに市民であることよりも望んで。その上、市民たちの中の何人かの人たちと違って、ピュレ派の人たちの作戦行動において幸運に恵まれたのを目にしても変心せず、こういった幸運に何らかの点で参加しようともしなかったのである。つまり、事が成就した後に帰国することの方を、共通の国家体制に寄与することを何か達成してからいっしょに帰還することよりも望んだ。すなわち、彼が帰ったのはペイライエウスではなく、自分の配置をあなたがたに申し出た事実もどこにもないのである。 [10] ところで、私たちが幸運に恵まれるの目にしても敢えて売り渡したような者が、私たちが望みどおりに事を運ばないようにと実践したのは、いったい何であったあろうか。もちろん、私的な災禍のせいで、あの時に国家に生じた危難に参加できなかったかぎりの人たちは、何らかの容赦に与かる権利がある。誰にとっても不運事は何ら本意ではないからである。 [11] だが、主義主張でそれを為したかぎりの者たちは、何らの容赦にも価しない。不運によってではなく、策謀によってそれを為したのだからである。したがって、一種の習慣ようなものが確立していて、同じ不正行為でも、いくらでも不正しないことが可能な者たちにはひどく怒るが、貧乏人たちや身体的に不能な者たちには、彼らは心ならずも過ちを犯すのだと考えられるから、容赦するのが万人にとって義しいということになっているのである。 [12] それゆえ、この男は何らの容赦にも与かる資格がないのである。なぜなら、あなたがたもご覧のとおり、労苦することが身体的に不能なわけでもなく、私が明示するとおり、財産的に公共奉仕するに困窮しているわけでもないからである。そこで、利益をあげることに有能であっただけ、それだけ悪漢であったような者が、どうしてあなたがた皆さんに憎まれてしかるべきでないことがあろうか。 [13] いや、それどころか、この男を失格審査しても、あなたがたは市民たちのうち誰にも憎まれることはないはずである。この男は何らかの点で一派をではなく両派を裏切ったこと明らかで、したがって、彼が友であるのがふさわしいのは、市内に生まれた人たちでもなく(この人たちが危険を冒しているところに帰ることを断わったのだから)、またペイライエウスを占領した人たちでもない。この人たちといっしょに帰還することも彼は拒んだのである。それも、自分自身も亡命者になったのにである。 [14] しかしながら、市民たちの中に、この男と同じ事態に与かったという部分がおられるなら、その者たちといっしょに、いつか国家を手に入れたら(そんなことは生じまいが)、評議員になりたければなるがいい。 さて、オロポスで保護を受けて暮らし、充分な財産を所有し、しかも、ペイライエウスでも市内でも武器を執らなかったというふうに、これが先ず真実を私が言っていることをあなたがたが知るために、証人たちに耳を傾けていただきたい。 [15] さて、彼に残されているのは、身体的には何か後天的な虚弱さのせいでペイライエウスに救援に赴くのは不可能であったが、手持ちのものによってみずから約束して、金品をあなたがた大衆のために寄付するなり、自分の同区民たちの何人かに重装歩兵の装備をさせたりしたと、あたかも他にも市民たちの多くが自分の身体で公共奉仕することが可能でないかのように発言することである。 [16] そこで、彼の虚言で騙されるようなことが起こらないために、このことに関してももっと正確にあなたがたに明示しておこう、――後になったら、私がここに進み出て、彼を糾明することはできまいから。それでは、どうか、呼んでください、――アカルナイ区民ディオティモスと、彼といっしょに選ばれ、寄付された金品で重装歩兵の装備をしたという同区民たちを。 [17] さて、この男は、こういう時局とこういう事態に際して、国家を益しようとは考えなかったばかりか、あなたがたの災禍から何か利得しようともくろんだのである。すなわち、オロポスから進発して、ある時は自分一人が、ある時はあなたがたの不運事を幸運事と考えた者たちの先頭にたって、 [18] 田舎方面を徘徊し、市民たちの中で最も老齢の人たちに遭遇し、――この人たちは必需品のわずかな、しかしどうしても必要なものを持って区に残留し、大衆に好意的ではあるが、高齢のせいで救援に赴くこと不可能な人たちであったが、この人たちから持ち物を取り上げたのである、――自分が少しのものでも利得することの方を、あの人たちに何も不正しないことよりも重視して。あの人たちが誰も今この男を訴追できないのは、あの時も国家を救援することが不可能であった、まさに同じ理由によるのである。 [19] しかしながら、少なくともこの男は、あの人たちの不能のおかげで二度益されるようなことがあってはならない、――あの時は、彼らの持ち物を取り上げ、今は、あなたがたによって合格審査されて。むしろ、不正された人たちの中で、どなたか居合わせるなら、それを大事と考えるべきであり、そうして、他の人たちなら、その人たちの困窮を気の毒がって、自分たちのものを与える気になるような、そういう相手から手持ちのものを敢えて取り上げたような、この男を憎悪すべきである。それでは、どうか、証人たちを呼んでください。 [20] さて、私としては、あなたがたがこの男に関して下す判断と、親しい人たちが下す判断と、何か違っている必要があるか、わからない。なぜなら、これこそ、他に何の過ちも彼になかったとしても、これ一つで失格審査されるのが義しいほどのものだからである。そこで、彼の母親が生前どんなことで彼を告発しているかは、省こう。だが、彼女が生を終える際にやってのけたことに基づいて、これを証拠に、彼が彼女に関してどのような人物であったか判断するのは、あなたがたにとって容易である。 [21] すなわち、彼女は自分が死んでこの男に身を委ねることに不信をいだき、アンティパネスとは何の縁故もなかったけれど、信じていたので自分の埋葬のために金3ムナを与えたのであった、――自分にこの息子がいるのも構わず。はたして、明らかに、彼女はこの男が自分の縁故者であっても、必要なことをしてくれないと知っていたのであろうか。 [22] 言うまでもなく、母親というものは、自分の子どもたちによって不正されても、大いに我慢し、成り行きを糾明によってよりは、むしろ好意によって審査するがゆえに、わずかな利益を得ても大きな利益を取得したと考えるように生まれついているのに、この男は死んだ自分からでも掠奪するだろうと信じていたとすれば、あなたがたは彼に関してどんな考えを持つべきであろうか。 [23] いったい、誰でも自分の血縁者たちに関してさえこのような過ちを働くような者が、少なくとも他人に対してなら何を為すであろうか。そこで、これも真実であるということを、金を受け取って彼女を埋葬した本人から聞いていただきたい。 [24] それでは、あなたがたが望んでこの男を合格審査するとしたら、それはなぜであろうか。いったい、過ちを犯したことがないからか。いや、祖国に関する最大の不正をしてきたのだ。それとも、より善い人物になるからか。しからば、国家に関して先により善くなって、しかる後に評議員となるよう主張させるがよい、――かつて悪を為したと同じく何か明らかな善いことを為した上で。なぜなら、御礼は仕事の後で支払うのが思慮分別のあるやり方であるから。すなわち、私には恐るべきことであるように思われるからである、――もしも、今まで過ちを犯してきた事柄に対しては決して報復したことがなく、これから善く為そうとする事柄にはすでに報いられているとしたら。 [25] あるいはさらに、市民たちがみな等しく報いられるのを目にしてより善い者となるため、そのために彼が合格審査さるべきであるのか。いや、危険なのは、有為の士たちまでもが、邪悪な者と等しく報いられるのを感知した場合に、悪人たちを称揚するのも、善人たちを記憶しないのも、同じ人物のやることだと考えて、有為の行状をやめることである。 [26] さらに、次のこといも思いを致すべきである。つまり、人が見張り台のようなものとか艦船とか軍陣のようなものとか、市民たちのある部分がたまたま身をおいたところを売り渡したなら、極刑で処罰されるであろうが、この男は国家全体を売り渡したのに報復されないばかりか、称揚される用意さえあるということである。もちろん、義しいのは、誰でもこの男と同じく公然と自由を売り渡した者は、評議員になることではなく、隷従と最大の報復を賭して争訟することであろう。 [27] さらに、彼がこう言っているのを私は聞いた、――あの時局に居合わせなかったということが、何らか不正であるとするなら、そのことに関して法が成文化していよう、他の不正行為に関してと同様にと。すなわち、不正行為の大きさゆえに、いかなる法もそのことに関して成文化しなかったのだと、あなたがたが判断するとは彼は思っていないのである。いったい、市民たちの誰がこれほどの過ちを犯すであろうと、どんな提案者が思いつき、どんな立法者が予期したであろうか。 [28] むろん、国家そのものが危機にあるのではなく、他所の人たちを危機に陥らせている時に、その持ち場を離れる者がいる場合には、大きな不正として法が制定されるであろうが、国家そのものが危機にある時に、国家そのものを離れる者がいる場合には、むろん、制定されないであろう。もちろん、市民たちの誰かが、何かそういったことで、いつか過ちを犯すだろうと人が思った場合は、言うまでもなかろう。 [29] また、当然のことながら、あなたがたを咎めない者が誰かいるであろうか、――もしも、寄留民たちに対しては、自分たちの務めどおりとは違って民衆を助けた理由で、国家にふさわしい仕方であなたがたが報いるが、この連中に対しては、自分の務めに反して国家を売り渡した理由で、他の何かより大きな罰によってではないにしても、少なくとも目下の市民権剥奪によってでさえ、懲罰しなかったとしたら。 [30] そこで、思い返していただきたい、――国家の任務に携わっている善人たちをあなたがたが称揚し、悪人たちを市民権剥奪にするのはなぜなのかを。すなわち、それら両方のことが示されるのは、過去に生まれた人たちのためよりは、むしろ将来生まれてくる人たちのためなのであって、彼らが目論見どおりに善人になることを熱望し、だが悪人〔になること〕はどんな仕方によっても企てないためなのである。 [31] さらにまた、思いを致していただきたい。どのような宣誓を気にするとあなたがたに思われるか。――行いによって父祖伝来の神々を売り渡したこの男が。それとも、国家体制に関して、いかにして何か有用なことを望むと、――祖国が自由になることさえ望まぬこの男が。あるいは、どんな機密を守秘すると、――本務をも実行することを重視せぬこの男が。どうして当然であることができようか、――最後になって危険の去った後にも帰国して来なかったこの男が、大願成就した人たちよりも先にか同じようにか、いっしょに称揚されるということが。嘆かわしいことであろう、――もしも、この男が市民たちみんなを何とも思わず、あなたがたはこの男一人を失格審査しないとしたら。 [32] にもかかわらず、何人かの人たちが、今はこの男を助けようとし、私を説得できなかったものだから、あなたがたにお願いしようともくろんでいるのを私は目にしている。かつて、あなたがたにとっては危険と最大の争いが起こった時、褒賞として国家そのものが賭けられ、評議員になることはもちろんのこと自由を賭して争うことさえも必要であった時には、その時は彼らはあなたがたも国家公共も助けるよう、そして祖国をも評議会をも、――今、彼にはその資格がないにもかかわらず、関与することを要請している評議会をも売り渡さないよう彼にお願いしなかったのである、――他の成就者たちには要求しても。 [33] じつに彼だけは、おお評議会の皆さん、与からなくても憤懣をいだくのは義しくないであろう。なぜなら、あなたがたが今、彼を市民権剥奪にするのではなく、彼自身が自分であの時放棄したのだから、――今抽籤されようとして出頭しているのと同じくらい熱心に、あの時には、評議会に関して争い抜いて、あなたがたといっしょに就任することを断わった、あの時に。 [34] 私によって充分に述べられたと私は信じている、――確かに言い漏らしたことは多いが。いや、私は確信している、――以上のことがなくても、あなたがたは自分で国家に寄与することを判決するであろうと。なぜなら、評議員になる資格がある人々について、あなたがたが証拠として用いるべきは、ほかでもない、あなたがた自身、――国家に関していかなる人物であるか、みずから資格審査されたあなたがただからである。この男の行状は、見本として共通であるが、いかなる民主制とも無縁だからである。 |