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Lysias弁論集



第31弁論

ピロンに対して 資格審査について






[解説]



 本弁論は、第16弁論と同じく、評議員立候補者に対する評議会における資格審査の際の弁論である。しかし、第16弁論と異なるのは、第16弁論が立候補者の側の反論であるのに対し、本弁論は、失格を申し立てる側の弁論である点である。

 さて、本弁論の立候補者は、ピロンなる人物であるが、失格の根拠に挙げられているのは、

  (1)BC 403年の政争から逃避し、民主制回復の闘いに参加せず、
  (2)その混乱に乗じて窃盗を働いたばかりか、
  (3)性悪にして母親虐待

以上の三点である。

 しかし、申立人は、「窃盗」と「母親虐待」については、付加的に述べただけで、本気になって立証しようとしている様子はない。とすると、申し立ての主たる根拠は、〃政争から逃避し、民主制回復の闘いに参加しなかったことに〃あることになる。この点では、「三十人」政権下のアテナイに留まっていたことを根拠に、公職者の資格審査で失格を申し立てられたとみられる第25弁論と共通している点が注目される。

 ところが、ここで問題になるのが、アテナイの公職者の資格審査は、いったい何を審査したのかということである。すでに第16弁論の解説で述べたとおり、公職者の資格審査は、その役職に対する能力や適性を審査したのではなく、また、人品・人柄を審査したのでもない。要は、市民権を有しているかどうかを審査しただけである。

 BC 403年の和解と誓約により、大赦令が公布され、旧悪は問わずということになった。にもかかわらず、「三十人」政権下に騎兵隊勤務をした者は、公職から排除された。そのようなことを規定した成文法の存在が想像される。そればかりか、「三十人」政権下に市内に留まっていたというだけの者〔第25弁論。おそらくは、ソクラテスもその一人である。ソクラテス崇拝者は、この事実を無視する傾向にある〕、そして本弁論のように、市内にはいなかったが、政争から逃避していた者も槍玉にあげられるようになる。このような情勢の変化は、おそらく、BC 401年のエレウシス攻撃による、寡頭派に対する最終的な切り崩しを画期として現れたものと考えられる。一種の「民主派革命」の進行である。

 ソロンの立法には、党争(stasis)に際して、いずれの側にも与しない者は、市民権剥奪にすべしとの規定があったと伝えられている(プルタク『英雄伝』ソロン、20)。それへの言及がないことは、すでに廃止されていたか、忘れ去られていたものとみえる。

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