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back.gif第35弁論・解説


Lysias弁論集



第35弁論

恋情






[1]
 私の事については、あなたはご存知だし、また、事が成就すれば、私たちのためになると私が信じていることも、既にお聞きになったとおりである。だが、私がたまたまあなたの愛者ではないからといって、そのために私が要求している事を得損なうべきではない、と私は断言する。そのわけは、彼ら〔愛者たち〕には、欲情をやめるやいなや、自分たちが良くしてきた親切を後悔する時というものがある。ところが、他方の人々〔恋していない人々〕には、後悔するのがふさわしいような時はないのである。なぜなら、〔後者は〕強制によってではなく、自発的に、したがって、みずからの事について最善を思案することができるような仕方で、自分たちの力相応に良くしてやるからである。

[2]
 さらにまた、恋をしている人々は、自分の事の中で何を恋が原因で悪く取り扱ったか、また、どんなことを善くしてやってきたかを考察し、そのうえ、自分の払った労苦をも付け加えて、相応の謝礼はとっくの昔に恋人に支払い終えていると考える。ところが、恋をしていない人々には、みずからの事に対する等閑に対して、それを口実にすることも、今までの労苦を計算に入れることも、また親類に対する仲違いを引き合いに出すこともできない。それゆえ、これほど多くの害悪が取り除かれているのだから、残るところは、実行すれば相手に懇ろにすることになると思うことを、何でも熱心に実行すること以外にはないのである。

[3]
 さらにまた、恋をしている人々を大事にするに値する理由として、「自分たちこそ恋する相手を最も深く愛しているのだ」と彼らが主張していることや、また、言葉により行動によって、他人に嫌悪されてでも、恋する相手に懇ろにする用意があることなどをあげるなら、次のことは容易である。――もし彼らが真実を言っているなら、彼らは後に恋する限りの相手を、今の相手以上に大事にするであろうし、したがって、明らかに、新しいひとの気に入りさえすれば、先の相手をさえ虐待するであろうということである。

[4]
 実際のところ、こういう貴重なもの〔童貞〕を、災禍の持ち主に委ねることが、どうして当然なことであろうか。その災禍たるや、経験者なら、思いとどまらせようなどとは誰ひとり試みさえもしないような、そんな災禍の持ち主に。それというのも、彼ら自身、正気ではなくて、むしろ病気であるということを、つまり、悪く思慮していると知っていながら、自分に克つことができずにいるのだということに、同意しているのである。それゆえ、良く思慮するようになってから、そういう情態にあって思案していたこと、これが美しい状態にあったなどと、どうして考えることができようか。

[5]
 それどころか、恋をしている人々の中から最も善い者を選ぶとすれば、あなたの選択は少数の中からであろう。ところが、その他の人々の中から、あなたに最もふさわしい人を選ぶとすれば、大勢の中からである。それゆえ、大勢の中には、あなたの友愛に値する人が居合わすだろうという、はるかに大きな望みがあるわけである。

[ 6]
 さらに、あなたが現行の法習を気にして、世間の人が聞き知った場合、あなたに汚名を着せられはしまいかと恐れているのであれば、当然、恋をしている人々の方は、自分たちがお互い同士で羨まれているように、その他の人々によってもまた羨まれるであろうと思って、得意になって語り、また、名誉を愛しているから、自分たちの労苦が無駄ではなかったことを、すべての人に見せびらかすであろう。ところが、恋をしていない人々の方は、克己心が強いから、世間の評判よりは、最も善きことを選ぶであろう。

[7]
 さらにまた、恋をしている人々は、その恋人について歩き、そのことを仕事にしているのを、多くの人たちが見聞きするのは必然であり、それゆえ、互いに対話しているのを目にする場合には、欲情がすでに遂げられたか、或はまさに遂げられようとしているので、彼らは一緒にいるのだと思うが、しかし、恋をしていない人々に対しては、一緒にいるからといって、決して咎めようともしない。――人は、友愛もしくは他の何らかの快楽のために、他人と対話する必要があるということを知っているからである。

[8]
 それどころか、友愛の永続は難しく、他のことで仲違いが生ずる場合には、双方に共通の災禍が降りかかるし、あなたが最も大事にしているものを委ねた場合には、大損害があなたに生ずるであろうと考えて、恐れの念があなたに兆しているのなら、当然ながら、恋をしている人々をこそむしろ恐るべきであろう。なぜなら、彼らを苦しめる事は数多く、また、一切の事が自分たちを害さんがために起こるのだと彼らは信じているからである。実にこのために、彼らは自分の恋人と他人との交際を妨害するのである。――財の上で自分たちを凌駕しはしないかと財産家を恐れ、また、識見の上で優りはしないかと教養ある人たちを恐れて。また、他のなんらかの善を所有している人たち各々の力を警戒する。かくして、彼らは、これらの人々を嫌悪するようにあなたを説得して、友人のない寂しい気持ちに落とし入れ、これに反して、あなたが自分のことを考察して、彼らより良く思慮すれば、あなたは彼らと仲違いに陥るであろう。ところが、恋することによって目的を遂げたのではなく、むしろ徳によってその要求していた事を実現した人たちは、〔恋人の〕交際仲間に対して嫉妬しないで、むしろ〔恋人と〕交わろうとしない人たちを憎むであろう。――後者からは蔑まれたが、しかし交際仲間からは利を受けたと考えるからである。したがって、この事態〔恋なき求愛〕からは、敵意よりはむしろ友愛が起こってくる、はるかに大きな望みがあるわけである。

[9 ]
 いや、それどころか、恋をしている人々の多くは、相手の性格を知り、またその個人的事情に通ずる前に、肉体を欲するものである。したがって、彼らには、欲情をやめた時に、それでもなお友であることを望むかどうかは、不明である。ところが、恋をしていない人々は、以前にもお互いに友人であって、それを実現したのであるから、良い思いをしたとしても、当然、そのことが彼らの友愛を減じさせるようなことはなく、むしろ、それは将来のことに対する保証として記憶に残るであろう。

[10]
 それどころか、あなたは愛者よりは私に聴従して、より善い人に設るべきである。なぜなら、彼らは最も善き事に反してでも、あなたの言行を称賛するのである。――あるいは嫌悪されはしないかと恐れ、あるいは欲情のために自分も認識を誤って。そういうふうに見えるように恋がするのである。その失敗者には、他人には苦痛を引き起こさないようなことでも、つらく思わせ、成功者には、快楽に価しないことでも、その称賛を受けるよう彼らを強いるのである。したがって、恋される人々にとっては、彼らを羨むよりは、むしろ憫れむ方がふさわしいのである。これに反して、私にあなたが聴従するならば、第一に、私はたんに現在の快楽ばかりではなく、将来の利益にも奉仕して、あなたと交わるであろう。――恋に負けず、自分に打ち克ち、小さなことでひどい敵意を抱くようなことはせず、大きなことではゆっくりいささか怒り、心ならずもした事は容赦し、わざとした事は思いとどまらせるように努めて。これこそ友愛の久しく続くことの証拠である。

[11]
 しかし、もしあなたに、強い愛は恋しない場合には起こり得ないような、そんな気がするのなら、次のことに思いを致すべきである。――〔そうだとすれば〕ひとは息子も父も母も大事にしないであろうし、また信ずべき友を所有しもしないであろう。これらの人々は、そういう欲望からではなく、他の生活態度からそうなっているのであるから。

[12 ]
 さらにまた、最も多く要求する人々に懇ろにすべきだとするならば、他の場合においても、最も善き人たちに対してではなく、むしろ最も困却している者たちに対して良くしてやるのがふさわしいことになる。なぜなら、この者たちは最大の害悪から解放されたわけだから、彼ら〔懇ろにしてくれた相手〕に対して最も深く恩義を感じるであろうから。いや、それどころか、私的な宴会においても、友人をではなく、むしろ強請む者たちや、飽食を要求する者たちを招待するのが至当となる。なぜなら、この連中は歓愛し、付きまとい、玄関にやってきて、最高に快ぶであろうし、決して恩義を感じないはずはないであろうし、多くの善きことを彼ら〔招待者〕のために祈ってくれるであろうから。しかしながら、おそらく、懇ろにするのがふさわしいのは、激しく要求する者たちにではなく、むしろ最も多く謝礼を支払うことの可能な人たちにである。また、たんに強請むだけの者たちにではなく、むしろそのものに値する人たちに。また、あなたの花時を享楽しようとする者たちにではなく、あなたが年を取っても、自分たち自身の善を頒け与えてくれるような人たちに。また、目的を達すれば他の人たちに向かって自慢するような者たちにではなく、恥ずかしがって誰にも黙っているような人たちに。また、暫くの間梅をあげる者たちにではなく、終生同じように友であるような人たちに。また、欲情をやめたとたんに敵意の口実を探すような者たちにではなく、あなたの花時が終わったそのときに、自身の徳を示すような人たちに〔懇ろにすべきであろう〕。

[13]
 そこで、あなたは上述のことをよく記憶するとともに、次のことにも思いを致すべきである。すなわち、恋をしている人々に対しては、その友人たちは、その生活態度が悪いといって注意する。ところが、恋をしていない人々に対しては、親類の誰ひとりとして、未だかつて、このことのために自身のことについて悪く思慮しているといって、非難した者はないということに。

[14 ]
 ところで、おそらく、あなたは私に訊くであろう。――恋をしていない人々すべてに懇ろにするようにと、あなたに勧めているのかどうか、と。だが、私の考えでは、恋をしている人でさえ、恋をしている人々すべてに対してそんな考えを持つようにと、あなたに命じてはいないのである。なぜなら、受け取る側にとっても、有難さは同じではないし、あなたの方も、その他の人たちには知られまいと望んでも、同じようにできるわけはないからである。ところが、そのことからは、何ら害は生じないで、双方に利益こそが生じなければならないのである。

[15]
 さて、私としては、私にとって充分述べられたと信ずる。けれども、何かまだ言い残されていると考えて、あなたが不足におもうなら、訊いてください。
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