第3弁論
[解説]第3弁論が、愛童をめぐる争いであったのに対して、本弁論は、一人の女性(それも、おそらくは、奴隷身分の女性)をめぐって、ついに傷害事件にまで発展した訴訟である。ただし、弁論の前半部(陳述部)が欠落しているばかりか、当事者間の言い分がことごとく対立しているため、真相は薮の中というほかない。 原告の主張では、被告はかねてより原告に対して敵意をいだき、これを晴らさんものと計画、原告に重傷を負わせるに至ったという。そして、被告が原告に対して敵意をいだいていた証拠として、原告は、被告がかつて原告に対して財産交換を申し入れたという事実を挙げている模様である。 われわれが現在考えるような税金という考えを持たなかったアテナイにおいて、国庫は富裕者層の公共奉仕(leitourgia)や臨時財産税(eisphora)に依存していた。ところで、公共奉仕には興味深い抜け道があって、自分より適任と思われる市民を指名し、指名された市民はその公共奉仕を負担するか、あるいは、指名者と財産を交換するかしなければならないという制度があった。これが「財産交換(antidosis) 」と呼ばれる制度である。当然、これがそんなに円滑にゆくはずもなく、争訟の種子となっていたのである。 さて、原告の言い分に対して、被告の論理構成はこうである。――先ず、被告は原告に対して敵意をいだいていなかった。なぜなら、二人は友人たちの取り成しで和解し、いったん成立した財産交換ももとにもどしたし、原告がディオニュソス祭の審査員になるよう応援もしてやったではないか。たとえ、百歩を譲って、敵意をいだいていたとしても、計画的な行為でなかったことは、現場の状況そのものが証明している。さらに百歩を譲って、傷害に及んだとしても、それには充分な理由があった。つまり、二人は金を出し合って一人の女を身受けし、これを共有するはずであったのに、原告はこれを私有し、被告に半金を払おうともしなかった、というのである。 ここで、問題は、一人の女が二人の男の共有であったのか否か、に集約するとともに、混迷の極に達する。女は、自由人であっても、法廷に立つことはできない。まして身分のはっきりしない女である。それゆえ、被告は彼女を拷問にかけるよう主張する。なぜなら、奴隷の言うことは、拷問を通してしか証言として採用されないというのが、アテナイの法の定めだったからである。だが原告は、女は自由人であると称してこれを拒否する。また、奴隷の拷問は、所有者の同意なくしては行えない決まりでもあった。被告は、原告が拷問を拒否したというこの一点に、追及をしぼる戦術を採用する。 |