第7弁論
[解説]日本には、古来、「講」という民衆の自発的な組織があった。これは、本来、信仰を共にする者たちの地域的・職域的な団体であった。成員は、日常的には、日を決めて相つどい、定法にしたがって勤行をつとめ、説教を聴聞し、最後には神仏を前に共飲・共食することを常とした。また、年に何度かは本山への参詣者を順番に送りだし、大祭のおりには代表を派遣し、信心のあかしとして奉加・寄進することを目的ともしていた。この信者集団は、生活領域をも共有していたので、仲間の難儀を救う一種の共済組合的機能をも果たすようになる。これが自己目的化したものが、金銭の融資や貯蓄を目的とした無尽講や頼母子講といったものにほかならなかった。 神々の偏在する古代アテナイにあって、日本の「講」と同じような組織が発達したとしても、何の不思議もない。ただし、日本の「講」が自然発生的なのに対して、祭政一致の特質をいまだ色濃く残していた古代ギリシアのそれは、祭事を共同で分担する公共奉仕から発展したものと考えられる。彼らの「講」仲間は、成員どうしの借金その他の貸借関係において、連体責任をおったらしいことが、第8弁論からうかがえ る。 「私」は、ポリュクレスなる者に12ムナ貸した。彼は担保として馬をよこした。それが病馬だということに気づいて、「私」は貸借関係を破棄しようとした。ところが、講仲間のディオドロスが保証人に立つと言うので、貸借関係をそのまま続行した。そのうち馬が死んだ。すると債務者とその仲間は、「私」が馬を受け取ったのだから、それが死んでしまった今は、損をしたとあきらめるべきだと言いだしたのである。事件は調停に持ちこまれた。そこで明らかとなったのは、かねてから講仲間がお互いが悪言し合っており、その結果が、今回のような事件を招来したということであった。ことほど左様に、講仲間の悪意は我慢ならないものである。そこで、「私」は仲間を悪言のかどで訴えるとともに、このような講はそのうち分裂解体するであろうから、それ以前に脱退したい……。 弁論の内容に不明な点が多く、はっきりしたことは何も言えない。珍しい内容のこの弁論は、しかし、内容から見て、リュシアスの時代よりも後、だが、そんなに遠くない時代のものだと考えられている。 |