第22話
一角獣(monokeros)について
詩篇は言う、「一角獣の角のごとく、わたしの〔苦しむ魂が〕救い上げられますように」〔詩篇、第22章21〕。自然窮理家は一角獣について次のような自然本性を持っていると言った。 小さな動物で、若山羊くらいであるが、その気性すこぶる荒い。きわめて強いため、狩人はこれに近づくことかなわぬ。頭の真ん中に、一本の角を持っている。しからば、いかにして捕獲するのか? 聖なる[着衣した]処女をその前に投げ出し、彼女の胸に飛びかからんとするや、処女はその動物に乳をのませる、こうしてこれを王の宮殿に伴い行くのである。
されば、この動物は救主の顔〔姿〕に比せられる。「わたしたちの父の子ダビデの家に角をお建てになり〔聖書の訳では「建てる」だが、原意は「覚醒させる」意〕」〔ルカ、第1章69〕、わたしたちのための救いの角となったからである。天使たちも権力者たちもこれをとどめおくことかなわず、真実聖なる処女[神の母]マリアの胎に宿り、「そして言葉は肉となり、わたしたちの内に宿った」〔ヨハネ、第1章14〕。
註
七十人訳の訳者が一角獣と訳した語は、ヘブライ語の「レエーム」である。この動物が大きくて力強いということは民数記23:22とヨブ記39:11に、2本角を持っていることは申命記33:17に、その激しい性質は詩編22:22に、その従順でない性癖はヨブ記39:9-11に、その幼獣が活発で遊び好きだということは詩編29:6に、それぞれ描かれている。レエームという語は間違いなく野牛のいずれかの種をさしていると考えられる(以上、『聖書動物大事典』)。
インドの一角獣について、ギリシア世界に曖昧な情報を最初に伝えたのはクテーシアス断片45qである。もう少し詳しい情報を伝えたのはメガステネース断片13a, 13bである。しかし、自然究理家の情報源は、そのいずれでもない。
インドにリシュヤシュリンガにまつわる伝説がある。これはじつに複雑多岐にわたる変奏をともないながら、日本にも「一角仙人」の話として伝わり、その影響は歌舞伎の「鳴神」までたどることができる。おそらく、西洋のユニコーン伝説は、リシュヤシュリンガの西欧的変奏にすぎないと考えられる。
リシュヤシュリンガ伝説の骨子は以下のごとくである。
1)ある仙人が漏精した水を飲んだ雌鹿が、人間の男児を産んだ。彼の額には鹿の角が1本(ないし2本)生えていた。
2)くだんの仙人のもとで彼は苦しい修行をして仙術を体得し、リシュヤシュリンガ(鹿角仙人)〔イシシンガ(角仙人)・エーカシュリンガ(一角仙人)とも〕呼ばれるようになった。
3)あるとき国に旱魃がおこった。この災悪からのがれるため、王は王女(あるいは宮女)をリシュヤシュリンガのもとに送る。王女(あるいは宮女)は、工夫を凝らしてリシュヤシュリンガに接近を試みる。
4)二人の交合により雨が降る。
鹿などの動物の異装をして踊る「風流の舞」〔「ふりゅう」とも言われる〕が、雨乞いの儀式に不可欠であった習俗がここにはうかがえる。
リシュヤシュリンガ伝説の最古のテキストの一つ『ラーマーヤナ』には、リシュヤシュリンガと馬祀(祠)祭(a;sva-medha)との関係をうかがわせる。このことは、第34話「両手利きの樹」と一角獣とをつなぐ一本の赤い糸を想定させる。
なお、野人を宮廷の女(正確には神殿娼婦である)が誘惑して王城に連れ来たるというモチーフは、すでに『ギルガメッシュ叙事詩』にある。リシュヤシュリンガ伝説と明らかに関連を有するが、具体的な関連は未解明である。
画像出典、Konrad Gesner『Historiae Animallum』I。