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プルタルコス

女たちの勇徳

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〔第11話〕ミレートス*女たち

 かつて、ミレートス人たちの乙女たちに、恐ろしくも異様な受難が取りついたことがあるが、その原因といったようなものは、まったく不明である。最もよくなされている憶測では、大気が異常・有毒な気象状態となったため、彼女たちに変化と精神錯乱の作用を及ぼしたというのである。いずれにせよ、突如、すべての女性に死の欲求と縊死への気ちがいじみた衝動が突発し、多くの女たちが人知れず縊死したのである。言葉も両親の涙も友たちの諫めも何の効もなく、彼女たちの自死を見張っている人たちのありとあらゆる着想や術策の裏をかくのであった。そのため、この悪弊は精霊的であって、人間的な助けを打ち負かすものと思われたが、ついに、心ある人の意見によって、縊死した女たちは、裸体のまま市場の中を通って〔埋葬に〕運び出されるべしという議案が起草された。そしてこれが施行されるや、乙女たちが自殺するのを抑止したばかりか、完全に終息させたのである。されば、生まれつきの良さと徳性との大きな証拠とは、不評判に対する用心、つまりは、この世に存在するものの中で最も恐るべきもの――死や苦痛――を前にしても、恥じらいの気持ちに怯むことのない女たちでさえ、死後に受けるであろう恥辱には堪えられず、我慢もしない、ということである。
 *カリア湾のほとりにあるイオーニアの商業都市。向かいがマイアンドロス河口。




〔第12話〕キオス*女たち

 キオス人たちの乙女たちには、公共の神殿にいっしょに参詣し、お互いに一日を過ごすという習慣があった。他方、求婚者たちの方は、彼女たちが遊んだり合唱舞踏したりするのを見物することになっていた。そして、夕方になると、彼女たちはそれぞれの家に順番に訪れて、お互いの両親や兄弟のために、足をも洗うまでの勤めをするのである。しかし求婚者たちは、一人の女に二人以上が恋をすることしばしばであったが、その恋は非常に秩序正しく、かつ、しきたりどおりのものであって、処女がひとたび結婚するや、その他の求婚者たちはすぐに〔恋を〕やめてしまうのであった。女たちに対するこの秩序正しさの神髄は、この700年間、彼らのもとでは非公認の姦通も不義密通も記憶されていないということである。
 *Kios(第3話のキオスChiosと綴りの違うことに注意)。プロポンティス海のほとり、ビテュニアの南西にある海港都市。現在のゲムリッキ。




〔第13話〕ポーキス女たち

 ポーキスの僭主たちがデルポイを占領し、これに対して、テーバイ人たちがいわゆる神聖戦争を仕掛けたとき、ディオニュソスを信奉する女たち――これを彼らはテュイアスたちと名づけている――が憑依状態になり、夜間、さまよいまわって、われ知らずアムピッサ*にたどりついた。しかし彼女たちはくたくたで、いまだ正気にもどっていなかったので、市場のあちらこちらに身を投げ出して、横たわって眠りはじめた。アムピッサ人たちの女たちは、自国がポーキス人たちの同盟者であり、しかも、僭主たちのおびただしい将兵が駐留していたので、テュイアスたちが不当な目に遭うのではないかと恐れて、全員が市場に繰り出して、黙ったままぐるりを囲んで立ち、彼女〔テュイアス〕たちがまどろんでいる間はそれに近づくこともせず、起きあがると、思い思いの相手に近づき、世話をやき、食事を提供した。最後には、男たちを説得して彼女たちに付き添い、〔テュイアスたちは〕国境まで安全に見送られたのであった。
 *ポーキスとの国境に近いロクリスの都市。




〔第14話〕ウウアレリアとクロイリア

 タルキュニオス・スウペルボス*――ローミュロス〔ローマ名Romulus〕から数えて7代目の、ローマ人たちを王支配した――を追放したのは、ルウクレーティアの高慢と徳であって、この女性は、輝かしい男性にして、王族の生まれに属する相手と結婚した。というのは、タルキュニオスの子どもたちの一人で、彼女の家に客遇されていた男に暴行されたのである。しかし彼女は、その受難を友たちや家族たちに訴えたうえ、すぐさまみずからの喉かき切った。そこでタルキュニオスは支配の座を追われたけれども、他の多くの人たちを敵に回して、主導権を取り戻そうとし、ついには、テュレーノイ人たちを支配していたポルシナス**を説得して、大軍勢でもってローマに向けて出征させた。この戦争と同時にまた、飢饉までもローマ人たちに降りかかったが、ポルシナスは戦闘者であるばかりか、公正で雅量の人でもあると聞き知り、〔ローマ人たちは〕この人物に、タルキュニオスに対する裁判官になってもらいたいと望んだ。ところがタルキュニオスは強情を張って、ポルシナスといえども、確固たる同盟者にとどまらないかぎりは、義しい裁定者にさえなり得まいと主張したが、ポルシナスはこれを解任し、ローマ人たちの友にもどるよう努め、テュレーノイ人たちが割譲しただけの土地をも捕虜たちをも返還した。こういう次第で、男の子10人、女の子10人(この中に護民官ポプリコラの娘ウウアレリア〔ローマ名Valeria〕が含まれていた)の人質が彼〔ポルシナス〕に引き渡されるや、彼はすぐさますべての戦争の備えを解いたのであった。まだ同意は発効していなかったにもかかわらずである。
 *ローマ名Tarquinius Superbus。ローマの最後の王、前534-510年。
 **Lars Porsena。エトルリアのClusiumの王、前6世紀末?

 さて、〔人質となった〕乙女たちは、水浴をしようとするかのように、陣営から少し離れたところにある河に降りていった。そして、その中の、名をクロイリア〔ローマ名Cloelia〕という一人の女の使嗾によって、着物(chitoniskos)を頭に結わえ付け、激流と逆巻く渦巻きの中に飛び込んで泳ぎ、悪戦苦闘のすえ、やっとのことで対岸に渡りきった。しかし、次のように言う人たちもいる――クロイリアは馬をたくさん持っていたので、彼女自身はこれにうち乗り、そろそろと渡りきり、他の女たちには指図して、泳ぐのを励まし、手助けした、と。この証拠として彼らが挙げるものを、少し後でわれわれは述べよう。

 さて、ローマ人たちは助かった女たちを眼にし、その勇徳と大胆さには驚嘆したが、帰還を歓愛せず、まして、信念の点で自分たちが男一人にも劣るのが我慢ならなかった。そこで、もう一度もとに戻るよう処女たちに命じ、彼女たちに引率者たちをつけて送り出したが、タルキュニオスはこれが河を渡ったところに伏兵を差し向け、すんでのことで乙女たちをわがものにするところであった。しかし、護民官ポプリコラの娘ウウアレリアは、その前に3人の家僕たちといっしょにポルシナスの陣地まで脱出して、その他の女たちは、ポルシナスの息子アッルウスがすみやかに救援に駆けつけて、敵方から奪い返した。

 さて、彼女たちが連れてこられたとき、これを眼にしてポルシナスは、誰が使嗾してこの策略を主導したのか申し述べるよう命じた。しかし、他の女たちはクロイリアを恐れて黙っていた。ところがクロイリア本人が自分だと申し出たので、ポルシナスは驚き、命令して、みごとに飾り立てられた馬を引き出させ、クロイリアに贈与したうえ、全員を好意的・人道的に送り返したのであった。このことを、多くの人たちは、クロイリアは馬で河を渡ったということの証拠としているのである。だが、否定する人たちもいて、彼女の強さと大胆さに対して、女に勝るとして、戦闘者に匹敵する贈り物を〔ポルシナスは〕認めたと〔主張する〕。いずれにせよ、いわゆる聖道のほとりに、女の乗馬像が建てられているが、これをある人々はクロイリアの〔像〕だと言い、ある人々はウウアレリアの〔像〕だと言っている。




〔第15話〕ミッカとメギストー

 アリストティモスはエリス人たちの僭主に成り上がり、王アンティゴノス*の後ろ盾を得て強大となったが、その権力をいいことにはもちろん、並のことにさえ使わなかった。というのも、彼自身が生まれつき獰猛な男であったし、支配とわが身を守備してくれている混血の異邦人たちを恐れて隷従し、多くの暴行、多くの非道を市民たちが連中から被るのを黙認していたのである。ピロデーモスの受難もその一例であった。すなわち、彼は名をミッカという美しい娘を持っていたが、僭主の傭兵隊長たちの一人で、名をレウキオスという者が、恋情によってよりはむしろ暴慢によって情を交わそうと企てた。そして人を遣ってその乙女を呼びつけた。そこで両親は、どうしようもないと見て赴くよう命じた。しかし彼女は、高貴・高雅な娘子であったので、父親にすがりついて、醜く違法に処女を奪われるよりは、むしろ自殺するのを見逃して欲しいと哀訴した。かくてぐずぐずしていたため、レウキオスは欲情と酔いに満たされ、飲酒の最中に突如衝動に駆り立てられた。そして、ミッカが父親の両膝に頭をつけているのを眼にして、自分といっしょについてくるよう命じた。しかし望まなかったので、着物(chiton)を引き剥ぎ、裸身を鞭打ったが、彼女はその苦痛に黙って堪えた。他方、父親と母親は、哀願し涙を流すも何の効もないため、自分たちが恐るべきこと・違法なことを被っていることの証人として、神々や人間たちに呼びかけるという手段に訴えた。しかしその異邦人は、憤怒と酩酊とにすっかりとり憑かれてしまっていて、乙女の喉をかき切ってしまった。父親の懐に顔を埋めたままだったからである。
 *マケドニアの王、アンティゴノス2世ゴナタス、在位BC.277-239年。

 しかるに、こういったことにさえ、僭主は反省することもなく、多くの人たちを抹殺し、それよりもっと多くを追放刑に処した。とにかく、800人にのぼる人々が、アイトーリア人たちの庇護を求め、自分たちの妻女や幼い生子を僭主のもとから救出することを願ったと言われている。しばらくして彼は、夫のもとに退去することを望む女たちは、女の財産の中から好きなだけ携行して退去するよう布令を出した。そして、みなが悦んでこの布令を受け入れたのを知るや(その数600人以上にのぼったから)、あたかも自分が安全を提供しようとしているかのように、所定の日に一団となって集合するよう命じた。そして、その日になったので、女たちは城門のたもとに集結した、――財貨を荷造りし、生子たちのあるものは腕に抱き、あるものは荷馬車に乗せて、こもごも待機していた。すると、突然、僭主の手下の多くが襲いかかってきたのである。まだ遠くから、そこにとどまっているよう叫びながら。そして、近くに来ると、女たちには後ろに下がるよう命じておいて、軛の家畜と荷馬車をひっくり返し、女たちの方に突進させ、その真ん中を容赦なく突破した。ついてゆくことも留まることもさせず、幼子たちが亡き者となる(あるものは荷馬車から投げ出され、あるものは踏みにじられて潰滅する)のを助ける猶予も与えず、傭兵たちは罵声と鞭とで家畜のように追い立てたので、〔女たちは〕お互いにつまずき倒れ、ついには、全員が牢獄に投げ込まれ、財貨の方はアリストティモスのもとに運び去られたのであった。

 さすがにエリス人たちもこの所行には腹を立て、ディオニュソスを信奉する聖なる女たち――これを彼らは「16人」と呼んでいた――が、神から下された嘆願の枝と髪紐(stemma)を奉じて、広場の近くでアリストティモスに拝謁しようとし、槍持ちたちも畏敬の念から道をあけたので、初めは、〔女神官たちは〕黙って恭しく嘆願の枝を奉持して立っていた。ところが、彼女たちの要求と、女たちのために〔僭主の〕怒りを逸らせようとしていることがはっきりわかるや、槍持ちたちに対して激怒し、彼女たちが〔自分のところに〕来るのを容認したと言ってがなりたて、〔女神官たちの〕あるものは押し出させ、あるものは市場から突き出させたうえ、彼女たち一人ひとりに2タラントンの罰金を科したのである。

 こういったことが起こっている間に、この都市では、ヘッラニコスが僭主打倒の挙に出た。この人物はすでに老齢で、2人の生子を死なせていたので、何かしでかしそうにはないと、僭主に見落とされていた人物であった。かくて、アイトーリアから越えてきた亡命者たちは、この領地の防衛戦の要衝アミュモーネーを占拠し、エリスから馳せ参じたおびただしい数の市民たちを迎え入れた。この事態に恐れをなしたアリストティモスは、〔牢獄の〕女たちのもとに赴いて、優しさによってよりはむしろ恐怖を与えることでうまく行くと信じて、男たちがこの地を立ち去るよう、彼女たちが男たちに使いを送り手紙を書くよう言いつけた。さもなければ、女たち全員を拷問にかけ、子どもたちを先に抹殺したうえで、皆殺しにしてやると脅した。ところが、他の女たちは、相手が長い間立っていて、自分の言いつけをちょっとでも実行するのかどうか言うよう命じたのであるが、これには答えず、お互いに黙って見つめ合い、頷き交わしていたが、それは、恐れはしないこと、まして、脅しには驚かないことを同意し合うものであった。しかし、ティモレオンの妻メギストーは、その夫ゆえに、また、その徳ゆえに、嚮導者の立場にあったが、立ち上がる必要も認めず、他の女たちにもそれを許さなかった。だから座ったまま彼に答えた。「もしもそなたが分別のある男なら、男たちのことで女たちと話し合いはせず、あの人たちはわたしたちの主人なのだから、あの人たちのもとに使いを遣ったことであろう。そなたがわたしたちを騙すために口にした言葉よりは、もっとましな言葉を見つけてね。だが、そなたがあの人たちを説得することに絶望して、わたしたちを利用して惑わせようとしているのなら、望みは持たぬがよい――もう一度わたしたちを騙せるだろうということにも、あの人たちが悪く分別して、子どもたちや女たちを哀惜するあまりに、祖国の自由をゆるがせにするだろうということにも。なぜなら、あの人たちにとって今もそばにはいないわたしたちを失う程度の悪は、そなたの暴虐と暴慢から市民たちを奪い返すほどの善には及ばないのだから」。

 こうメギストーが言ったので、アリストティモスは自制できず、彼女の子を眼の前で殺そうとして、連れてくるよう命じた。そこで、その他の子どもたちが遊んだり相撲を取ったりしている中に、その子が混じっていたのを手下たちが探していると、この母親は名前で呼びかけて、「こちらにいらっしゃい」と言った、「坊や、感じたり理解したりする前に、むごい僭主制から解放されるのよ。おまえが不相応に隷従するのを見るのは、おまえが死ぬのを眼にするよりわたしには辛いのだから」。

 アリストティモスは、彼女本人に向かって戦刀を抜いて、怒りのあまり襲いかかろうとしたとき、名をキュッロンといって、彼の知己の一人で、忠臣と思われていたが、じっさいは憎悪していて、ヘッラニコス派の結社に参加していたのが立ちはだかり、懇願し、〔こんな行為は〕下品で女々しいことであって、指導的立場の者や、事の処し方を学んできた男のすることではないと言って、気を逸らせようとした。そのおかげで、アリストティモスはどうにかこうにか正気にもどって立ち去ったのであった。

 やがて、彼に大きな兆候(うらかた)が現れた。というのは、昼間、妻といっしょに休んでいた。夕食の支度が整えられていたとき、天空のわしが館の上で旋回しているのが見えていたが、そのうち、わざと狙いすましたかのように、かなり大きな石を屋根――そこは、寝室のある部分で、その中でたまたまアリストティモスが横になっていた――の上に放した。それと同時に、上方からは大音響が、外部からはその鳥を見ていた人たちの叫び声が起こったので、〔アリストティモスは〕驚倒し、何が起こったのかを聞き知ると、いつも市場で神託を受けてきた占い師を呼びにやり、この兆候について尋ねた。不安に駆られたからである。すると、彼〔占い師〕は、彼には、ゼウスが彼を奮い立たせ、援助するのだと励ましたが、市民たちの中の忠実な者たちには、裁きが頭上を空中浮遊しながら、今にも僭主に落ちかからんばかりであると告げた。このため、ヘッラニコス派の人たちにも、猶予を与えず、次の日に攻めかかるのがよいように思われた。

 しかも、その夜、ヘッラニコスは夢の中で、死んだ息子の一人が、彼を励まして言っているように思われた。「どうしてなのですか、おお、父よ、眠っているのは? 明日は、あなたは国の将軍にならなければなりません」と。じつにこの光景のおかげで、この人物は心丈夫になり、同志たちを励ましたが、またアリストティモスも、クラテロス*が自分を救援するため、大軍勢を引き具してオリュムピアに宿営していると伝え聞いて、大いに勇み立ち、そのため、槍持ちたちを連れずに、キュッロンを引き具して市場へと前進した。そこで、ヘッラニコスは好機と見て、事を企てんとする人々と自分との間で取り決められていた合図を送るのではなく、はっきりとした声で、と同時に両手を前に突き出しながら、「何をためらっているのか」と彼は叫んだ、「善勇の士たちよ。美しいかな、祖国のただ中のこの舞台で〔武勇くらべの〕競演するは」。そこで最初にキュッロンが、両刃剣を抜いて、アリストティモスに随行していた一人を一撃した。が、しかし、トラシュブウロスとラムピスとが反対側から〔キュッロンに〕突進してきたので、アリストティモスは一瞬早くゼウス神殿に避難した。そのため、その場で彼〔アリストティモス〕を彼らは殺害し、その身を市場に曝して、市民たちに自由を呼びかけた。むろん、彼らは女たちにそれほど先んじていたわけではない。なぜなら、〔女たちは〕すぐに喜びと歓声でもって繰り出し、男たちを取り巻き、髪紐を結び、冠をかぶせたのである。それから、大衆が僭主の館に押しかけると、その妻は寝室を閉ざしてみずから縊れはてた。彼には二人の娘がいて、まだ乙女であったが、見目はこのうえなく美しく、すでに結婚する年ごろであった。これを捕らえて外に引きずり出した。もちろん抹殺するにしても、その前に拷問にかけて凌辱することに決したからである。ここにメギストーが他の女たちと行き合わせて叫んだ、――あなたたちは恐るべきことをしようとしている、民主的人間であることを重んじていながら、こんな、僭主たちと同じことを敢行し、不埒を働くとは! 多くの人々は、直言し涙を流しているこの女性の声望を畏敬していたので、暴虐はやめにして、彼女たちが自力で死ぬことを容認することに決めた。
 *アレクサンドロス大王麾下のすぐれた将軍。

 そこで、内に連れもどすと、すぐに、乙女たちに死ぬよう命じると、年上のミュローが、帯を解いて輪奈結びをつくり、妹に別れを告げて、自分がこれから何をするかを見て、そのことに心を注いで〔自分も同じことを〕実行するよう励ました。「そうすれば」と彼女は言った、「わたしたちの破滅が卑屈なものになることはなく、まして、わたしたちに不相応なものになることもないでしょうから」。すると妹が姉に、〔自分が〕先に死ぬまでそばにいてほしいと懇願し、帯を奪い取ろうとすると、「他のことで、今まで一度だって」と姉が言った、「あなたの願いを拒んだことはありません。だから、この親切も受け取りなさい。わたしは留まって、死よりも辛いこと――あなたが、最愛の妹よ、先に死ぬのを見ることに堪え忍びましょう」。こういう次第で、妹には、首に輪奈結びをどう巻きつけるかをみずから教え、次いで〔妹が〕死んでしまったのを察知すると、引き下ろして覆いをかぶせた。そうして、自分はメギストーに、面倒を見てくれるよう、そして、死んだ後で、醜く扱われるのを見過ごしにしないよう頼んだ。そのため、居合わせた人々の中に、あまりにむごい人間であるために、あるいはまた僭主を憎悪するあまりに、この乙女たちの生まれつきの良さに涙することなく、哀れみもしないような人は、一人もいなかったのである。


 さて、女たちによって共同で実行された事例は、その数無量であるが、事例としては以上で充分である。そこで、一人ひとりの女の勇徳については、思いつくまま順不同にわたしたちは言及することにしよう。目下の物語に、時間的順序は必要ないと思うから。




〔第16話〕ピエリア

 ミレートスに到達したイオーニア人たちのうち、一部の者たちはネイレウス*の子どもたちと党争し、ミュウウス**に退去して、そこに定住したが、ミレートス人たちから多くの害悪を被った。〔ミレートス人たちが〕〔彼らミュウウス人たちの〕離反を口実に戦争を仕掛けたからである。むろん、この戦争は、布告なく、交渉もなかったが、ある祭礼のとき、女たちはミュウウスからミレートスに出かけていった。また、彼らの間では周知のピュテースという人物がいたが、イアピュギアという妻と、ピエリアという娘とを持っていた。そうして、アルテミスのための祭礼と、ミレートス人たちの捧げる供犠――これを彼らはネーレウス祭と添え名していた――とがあったとき、彼〔ピュテース〕は妻と娘とを遣わした。その祭礼に彼女たちが参加するよう要請されたからである。しかし、ネイレウスの子どもたちの中で、名をプリュギオスという最も影響力のあったのが、ピエリアに恋をし、彼女と懇ろになるには、自分としては、何をするのが一番いいか思案した。すると、彼女が、「わたしのために、当地に何度でも、多くの人たちといっしょにやって来られるようにしてくださるなら」と言ったので、プリュギオスは、市民たちのために友好と和平を要請しているのだと解して、戦争を停止した。だから、両都市には、ピエリアの評判と敬意とがゆきわたっており、したがって、ミレートスの女たちは今に至るもなお、プリュギオスがピエリアに恋したように、男たちが自分たちに恋しますように、と祈るのである。
 *またはネイレオス。ネーレウスとも言う。アテナイの最後の王コドロスの子。彼はアッティカからのイオーニア人とヘーラクレイダイに追われたメッセーネー人を率いてイオーニアのミレートス市を創建したと言われる。
 **マイアンドロス河の南、カリア北西にあるイオーニア人都市。




〔第17話〕ポリュクリテー

 ナクソス*人たちとミレートス人たちとの間に戦争が起こったのは、ミレートス人ヒュプシクレオンの妻ネアイラのせいであった。つまり、この女は、ナクソス人プロメドンに恋し、船でいっしょに出奔したが、この男はヒュプシクレオンの客友であったのだが、恋に落ちたネアイラと駆け落ちし、夫を恐れる彼女をナクソスに連れて行き、ヘスティアに対する女嘆願者に据えた。しかしナクソス人たちは、プロメドンのためを思って――ほかの口実をつくってではあるが――その嘆願を公認しなかったので、戦争が起こった。そして、ミレートス人たちと共闘したのは、他の多くのイオーニア人たちであったが、中でもとりわけ熱心であったのがエリュトライ人たちであった。しかし、この戦争は長引き、多大な災禍をもたらした。やがて、停戦になったが、その原因は、姦通によって起こったのと同様、女の勇徳によってであった。
 *キュクラデス諸島中最大の島。

 すなわち、エリュトライ人たちの将軍ディオグネトスは、ナクソス人たちの国での防衛戦にかけて最も信頼あつく、生まれつきもよく、策に富んだ人物で、ナクソス人たちから多くの戦利品を奪い取り、また女たち――自由人の乙女たち――をも略取した。その中の一人であったポリュクリテーに恋をし、槍の穂先にかけられた者としてではなく、結婚相手の女性という身分で彼女を娶った。しかし、出征の最中にミレートス人たちの祭日になって、みなが飲酒と社交会に向かったとき、ディオグネトスにポリュクリテーが、〔祭礼用の〕焼き菓子を自分の兄弟たちに送り届けることに何か支障がないかと尋ねた。すると彼が、容認し命じたので、鉛の書板を平菓子(plakous)の中に入れ、届けてくれる者に、自分の送ったものを兄弟が自分たちだけで食べ尽くすよう、兄弟に伝えるよう命じた。かくして、彼らは鉛板を見つけ、ポリュクリテーの手紙を読んで、祭りの酩酊で全員が不用心であるから、今夜、敵を襲撃するよう命じていたので、将軍たちに報告し、自分たちといっしょに出陣するよう急き立てた。かくて、領地は攻略され、多くの者たちが潰滅したとき、ポリュクリテーは市民たちにディオグネトスの身柄引き渡しを要請して助命した。しかし、彼女が城門のところにやってきて、市民たちが彼女に会いにやってきて、感謝と花冠で歓待し讃歎するのを眺めていたが、感謝の大きさに堪えられなくて、城門のそばで自殺して果て、そこに葬られ、〔その墓は〕羨望〔されし〕者の墓と呼ばれている。あたかも、ポリュクリテーは何か羨望者のような運命に妬まれて、名誉を享受できなかったかのようにである。

 以上は、ナクソス人たちの歴史編纂者の記録するところである。ところがアリストテレスの主張では〔断片511〕、掠奪されたのはポリュクリテーではなく、何らか他の仕方でディオグネトスが〔彼女を〕眼にして恋をし、何でも与え実行する気になった。すると彼女は、たった一つのことが得られるなら彼のもとに行くことに同意した。この哲学者の主張では、その誓約をディオグネトスに要求したという。そこで彼が立誓すると、デーリオン(その土地はデーリオンと呼ばれていた)を自分にくれるよう要求し、さもなければ、いっしょにはならないと主張した。彼は、欲情ゆえに、また立誓ゆえに、我を忘れてその土地をポリュクリテーに譲渡し、彼女がさらに市民たちに〔譲渡した〕。こういう次第で、彼らはふたたび平等の立場になり、望んでいた条件でミレートス人たちと和解した。




〔第18話〕ラムプサケー

 コドリダイ*の生まれである双子の兄弟ポクソスとブレプソスとはポーキスの出身であった。このうちポクソスは「白岩(Leukas petre)」**から海に乗り出した最初の人物だと、ラムプサコス人カローン****は記録している。さて、〔ポクソスは〕権力と王位継承権を有していて、個人的な事業のために、パリオン****に航行した。そして、ベブリュクス人たち*****――別名ピテュオエッタ人たちと呼ばれていた――の王マンドロンの愛友にして客友となり、彼らが近隣の住民に悩まされているのを助け、戦争協力した。そこで、マンドロンは、他にも多大な親愛の情をポクソスに示すとともに、彼が出航するときには、ポーキス人たちを植民者として引き具してピテュオエッサにやって来たいと望むなら、領土と都市との一部を与えようと約束した。そこで、ポクソスは市民たちを説得して、弟を植民者たちの引率者として派遣した。そして、彼らの期待どおり、マンドロンからの贈り物は彼らの意のままになった。その一方で、近隣の異邦人たちから大きな利益と戦利品を取得したので、初めは妬みの対象となり、次いではベブリュクス人たちの恐怖の対象となった。そこで、〔ベブリュクス人たちは〕彼らから離れることを欲したが、マンドロンは、ヘラス人たちに対して雅量のある義しい人であったので、説得されず、そこで彼が在郷しないときに、ポーキス人たちをだまし討ちにして潰滅させる準備に取りかかった。しかし、マンドロンの娘ラムプサケーは、乙女であったが、その策謀を予知し、先ずは友たちや家族たちを思いとどまらせようと努め、着手しようとしていることは恐るべき不敬な行動である、善行者にして同盟者たち、しかも今は市民でもある人たちを殺そうとするのは、と諭した。しかし説得できなかったので、ヘラス人たちに、何が起ころうとしているかをひそかに告げ、用心するよう警告した。そこで彼ら〔ポーキス人たち〕は、ある供犠と饗宴を準備し、ピテュオエッサ人たちを市外に招いた。一方、自分たちを二手に分け、一方によって城壁を押さえ、他方によって人々を抹殺した。こうしておいてからその都市を占拠し、マンドロンを呼びにやって、自分たち一統を王支配するよう命じた。また、ラムプサケーが衰弱によって死ぬと、これを市内に盛大に埋葬し、彼女にちなんでその都市をラムプサコスと添え名した。しかし、マンドロンは裏切りの嫌疑を逃れるために、彼らといっしょに住むことを謝絶し、しかし、殺害された者たちの子どもや女たちを連れて行くことは要請し、これも彼らは熱心に、何の不正もせずに送り出し、そして、初めはラムプサケーを女傑として名誉を授けていたが、後には女神として供犠することを決議し、そういうふうに供犠し続けているのである。
 *アテナイの最後の王コドロスの子孫。
 **アカルナニアの西端からイオーニア海に突き出た半島ないし島(現在のレフカス島)の南端にある岩礁。
 ***前5世紀頃の歴史家。
 ****ヘレスポントス沿岸にあるミュシアの都市。
 *****小アジアの北西ビテュニアの住民。




〔第19話〕アレタピラ

 また、キュレーネー女のアレタピラは、生まれたのは昔のことではなく、ミトリダテース*の時世であるが、その勇徳と行動は、女傑たちのそれに匹敵することを示した。彼女はアイグラノールの娘であり、パイディモスの妻であったが、両者ともよく知られた人物である。また、彼女は見目美しい女性で、思慮深さは並々でなく、政治的手腕にも無縁でないと評判されていた。その彼女を世に知られるようにしたのは、祖国共同体の悲運であった。
 *ミトリダテース・クティステス、ポントスの独立した君主の開祖。

 すなわち、ニコクラテースがキュレーネー人たちの僭主に成り上がり、他の多くの市民たちを殺害したばかりか、アポロンの神官メラニッポスまでもおのが手で抹殺して、神権を手にした。さらには、アレタピラの夫パイディモスをも抹殺して、アレタピラは心ならずもであったけれど、〔ニコクラテースは〕これと結婚した。その他無量の違法行為に加えて、守備隊を城門のたもとに設置し、連中は、葬送途中の死体に、両刃剣〔の切っ先〕を突き刺したり焼き鏝を押しあてたりと、狼藉を働いた。市民の誰ひとり、死体を装ってひそかに運び出されることのないようにするためである。

 アレタピラにとっては、みずからの災難は耐えがたいものであった。なるほど、この僭主は、恋心ゆえに、彼女に最大限の権力の享受を容認していた(というのは、彼女に惚れ込んだために、ほかの点では残忍・獰猛なふるまいに及んだのに、彼女に対してだけは言いなりになっていた)にしてもである。けれども、もっと彼女を苦しめたのは、祖国が不相応な悲惨を味わっていることであった。というのは、市民たちは次から次へと虐殺されているのに、誰によっても報復してもらえる望みはなかった。というのも、亡命者たちはまったくもって脆弱で、恐れおののき、ちりぢりばらばらであったからである。そこで、アレタピラが、共同体のために希望をつないだのは、おのれ独りの力と、ペライ*女のテーベー**の美しくも音に聞こえた敢行とであったが、状況が彼女〔テーベー〕に提供したような、信頼の置ける同盟者や家族のない独り身なので、毒薬で夫を始末しようと企てた。しかし、手配し、入手し、多くの威力を試していることが気づかれぬはずはなく、密告された。そして吟味を受けたとき、ニコクラテースの母親カルビアは、生まれついての殺人鬼にして無慈悲な女で、すぐに、アレタピラは拷問にかけられたうえ、これを抹殺しなければならない思った。ところが、ニコクラテースの恋心が、その怒りをためらわせ弱める働きをし、また、アレタピラは告発した女たちに猛然と突っかかって自衛し、その受難に対してある口実を持ち出した。つまり、吟味にかけられ、薬の準備を否認しても容れられないと見るや、同意し、しかし、準備したのは致命的な薬ではなかったといった、「そうではなくて、もっと大事なことのためなのです」と彼女は申し立てた、「おお、夫よ、わたしが競い合っているのは、わたしに向けてくださるあなたの好意と評価、それから影響力とを賭してなのですが、わたしはあなたのおかげで多くの悪い女たちの妬みの対象となって、それを奪われかかっていて、その女たちの薬と手練手管とを恐れたあまりなのです、わたしが対抗手段に訴える気になったのは。それは、たぶん、愚かで女々しいことではあっても、死刑に値することではありません。もっとも、恋の手練手管と媚態の罪で、ひとりの女――あなたが望むよりもっと多く愛されることを求めた女を処刑するのが、裁き手であるあなたによいと思われるのでしたら別ですけれども」。
 *テッタリアの東、ボイベイス湖の南の町。イアソン(前378年)以来、僭主制が続いた。
 **イアソンの甥アレクサンドロスの妻。兄弟と謀って、夫を暗殺した。クセノポン『ヘレニカ』第6巻4章35-37参照。

 こういったことをアレタピラは弁明したが、ニコクラテースには、拷問にかけるべきだと思われた。そして、カルビアがそばに立っていたため、残忍・無慈悲に、拷問にかけて尋問した。しかし彼女はその責め苦に挫けることなくみずからを守り通し、ついにカルビアでさえ不承不承あきらめたのである。しかしニコクラテースは、納得して放免し、拷問にかけたことを後悔した。そして多日を経ることなく、ふたたび彼女に対する激情に駆られてやってきて、ふたたび交わりを結んで、敬意と親愛によってその好意を取り戻そうとした。しかし彼女は拷問と苦痛にうち勝ったのだからして、親切さに負けることを拒み、むしろ愛美心に愛勝心が付け加わって、別の手段に取りかかったのである。

 すなわち、彼女には、夫を持つ年頃の見目美しい娘がいた。これを僭主の弟――若年で快楽にとらわれやすい人物――に餌として差し出したのである。この処女のために媚態と薬を駆使して、このアレタピラが手玉にとってその若者の知力を潰滅させたやり方については、多くの伝説がある。ところで、彼はラアンドロスと呼ばれていた。とにかく彼は心を奪われ、兄を急き立てて、首尾よく結婚にこぎつけようとしたとき、その処女は、かつは、母親に教えられたとおりに彼を踏み誤らせて、僭主制のもとでは彼が自由人として生きることも、婚約したりそれを守ったりする決定者たることもできないからと、都市を〔僭主制から〕自由にするよう説得し、かつは、〔彼の〕友人たちはアレタピラの歓心を買おうと、彼の兄に対する中傷や猜疑のようなものを、おりにふれて捏造していった。そして、〔ラアンドロスは〕アレタピラも同じことを計画し、真剣であるのを察知したので、行動を起こし、家僕のダプニスをそそのかして、これによってニコクラテースを殺害した。しかし、それ以降は、もはやアレタピラに意を用いることなく、その実際行動によって、たちまちにして、兄弟殺しであって僭主殺しではなかったと思われるに至った。なぜなら、彼の支配ぶりは気違いじみていて暗愚だったからである。それでもやはり、彼にはアレタピラに対するいささかの敬意があり、また〔アレタピラにも〕影響力もあって、嫌われることなく、まして真っ向から敵対することもなく、わからぬように事態を操っていたのである。すなわち、先ず第一に彼をリビュス人との戦争にいざない――主権者アナブウスなる者を説得して、この領土を侵略してこの都市に接進させてであるが――、次いで、ラアンドロスに向かって〔僭主の〕友たちや将軍たちを非難して、彼らは戦争に熱心でなく、むしろ和平と平安を願っているが、これこそ情勢も僭主制もあなたに渇望しているところのものである、あなたは市民たちを確実に支配したいと望んでおれれるのだから。そこで自分が、と彼女は言った、和解を実現し、アナブウスをあなたとの会談の席に連れ出しましょう、この戦争が何か取り返しのつかないものになってしまう前に、あなたのご命令ならばですが、と。すると、ラアンドロスが命じたので、彼女は前もってそのリビュス人と話し合って、大きな贈り物と財貨とを条件に、僭主が彼との会談の席に現れたら、これを逮捕するよう頼んでおいた。そこでこのリビュス人は説得され、ラアンドロスは気後れしたけれども、アレタピラが自分がそばにいるからと言うのに恥じ入って、丸腰に護衛もなしに進み出た。しかし、近くにやってきて、アナブウスを目にするや、またもや不安になって、槍持ちたちを待つことを望んだ。だが、アレタピラがそばにいて、かつは彼を勇気づけ、かつは臆病をなじった。最後には、いたずらに時間が過ぎるので、まったく無謀にも大胆不敵にも、片手で背を押しながら、その異邦人の前につきだし、引き渡したのである。かくして、すぐさま彼はさらわれ、逮捕され、投獄されて、リビュス人たちに見張られた――〔ラアンドロスの〕友たちが財貨をアレタピラのところに運んでくるまでであるが、他の市民たちもいっしょに到着した。というのは、大多数の人々が、〔事件を〕聞き知るや、召集に応じて繰り出してきたからである。しかし、アレタピラの姿を目にするや、僭主に対する怒りもほとんど忘れんばかりで、彼に対する報復は二義的と考えたのであった。だから、彼らのとった最初の行動とは、つまり自由の享受で、感謝と涙でもって彼女に挨拶するさまたるや、あたかも、神像の前にぬかづくがごとくであった。かくして人々が次から次へと押し掛け、晩になってやっと、ラアンドロスを引き取って、都市に引き上げた。そうして名誉と称讃でアレタピラを満たした後、やっと僭主たちの方に向き直り、カルビアの方は生きながらにして焼き殺し、ラアンドロスの方は、皮袋に縫い込めて海に沈めた。また、アレタピラには最善者たちとともに国制を支配・統治することを要請した。しかし彼女は、何か多彩で役割の多い演劇で花冠を授かるまで競い通した人のように、都市が自由になったのを目にしたとき、すぐさま女部屋に引きこもり、何であれ干渉することから身を引き、友たちや家族たちといっしょに織物をして余生を過ごしたのである。




〔第20話〕カムマ

 ガラティア*に、四箇師団長(tetrarches)の中でも最も力があり、お互いに生まれのいささか近いシナトスとシノリクスという二人がいた。このうちシナトスは、カムマという乙女を妻に娶ったが、彼女は姿形といい器量といい、ひときわ目立っていた一方、勇徳によってはさらに驚嘆された女性である。というのは、慎み深く、夫を愛したばかりか、聡明にして雅量あり、好意と優しさゆえに奉公人たちにことのほか慕われていた。しかし、彼女をもっと世に知れるようにしたのは、アルテミスの女神官――これをガラティア人たちは最も崇拝していた――であり、恒例の祭列と供犠に際して、盛大に着飾った彼女が見物されたことによってである。
 *小アジアの内陸部、プリュギアの東の地域。

 そういうわけで、シノリクスが彼女に恋をしたが、夫が生きているかぎり、口説くことも乱暴することもできないので、恐るべき挙に出た。すなわち、だまし討ちでもってシナトスを殺し、多くの日数もたたないうちに、カムマに言い寄ったのである。神殿で時を過ごしているのに、それも、悲嘆にくれたり、意気消沈するのではなく、シノリクスの違法に心を凝らし、好機を待っての心意気をもってである。他方、相手は要求に固執し続け、また、言葉は尤もらしい口実にまったく困らないように思われた――他の点ではシナトスよりもより善い人物であり、相手を抹殺したのはカムマを恋するがゆえであって、何か別の邪念によってではないかのようにふるまったからである。そのため、その婦人の拒絶も初めからそれほどつれないものではなかったのであるが、やがて、少しずつ、軟化しているように思われた。というのも、家族や友人たちが、シノリクスが大きな権力を握っていたものだから、阿諛・追従し、彼女を説得し強要したからである。ついには、彼女も同意し、女神の前で婚約と結納を取り交わすと称して、彼を自分のもとに呼び寄せた。彼がやってくると、愛情をこめて出迎え、祭壇の前に導き、盃(phiale)から献酒すると、一部はみずからが呑み、一部は彼に〔呑むよう〕命じた。しかし、それは毒入りの乳酒であったのだ。そして、飲み干したのを見るや、顔を輝かせて声をあげて、女神の前にぬかづき、「貴女様が証人になってくださいます」と言った、「おお、誉れ高き精霊よ、この日のために、シナトス殺害に死に後れ、これほどの期間、裁きの希望よりほかには、人生の有用さを何ひとつ享受することもなかったということの。それを得た今、わたしの夫のもとへ降って行きます。しかしおまえには、おお、ありとある人間のうちで最も不敬な者よ、新床と婚礼の代わりに、墓所を親戚たちに用意してもらうがよい」。

 これを聞いてそのガラティア人は、すでに毒薬がまわり、身体もふるえていたが、ぐらつきとふらつきに身をゆだねようとするかのように、戦車に乗り込んだ。が、すぐにあきらめて駕籠に乗り換え、その晩方に死んだ。他方、カムマの方は、その夜をもちこたえ、くだんの男が命終したと聞いてから、快活・晴朗にみまかった。

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