コリントスのデーメートリオス
[略伝](出典:Wikipedia「Agathobulus」) 彼の生涯についてはほとんど知られていない。ヒエロニュモスの『年代記』の中では、アガトブゥロスは、ハドリアヌス帝在位3年目(119 AD)に盛年にある主要な哲学者の一人とし、プルゥタルコス、セクストス、オイノマオスと列記されている。ルゥキアーノスによれば、彼はデーモーナクスの師であり〔『デーモーナクス』3〕、またペレグリーノス・プローテウスは、アレクサンドリアでその指導により、犬儒派の生活法を研究したという。 これにつづいて三度目にアガトブゥ口スを訪れるべくエジプトへの旅。そこで彼は頭の半分を剃り、顔には泥を塗り、大勢の見物人のいる前で恥部をおっ立て、このいわゆる「無関心 (aijdoi:on)」を示し、次には葦の茎で尻を打ったり打たれたり、その外多くのもっとばかばかしい、むちゃな、いかさまをやって、かの驚歎すべき浄身苦業を行ったのだ。 この説明は真面目にとられる必要はない。ルゥキアーノスは犬儒派が嫌いだったし、とりわけペレグリーノスが嫌いだったからである。 |