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犬儒派作品集成

犬儒派のデーメートリオス




略伝

コリントスのデーメートリオス(DhmhvtrioV)(後1世紀)。
 ローマのガイスウ〔=カリグラ(AD 12-41〕、ネロ〔AD 54-68〕、ウェスパシア〔AD 69-79〕治下に生きた犬儒派。ストア派哲学者L. Annaeus Seneca〔若い方のセネカ〕と親交が篤かった。おそらく、ネロ治下(AD 66)のときにギリシアに亡命したが、ウェスパシアの時代に帰国した。彼の友人のバレア・ソラヌスが、経歴詐称のかどでC. ムソニウス・ルフスに糾弾されたとき、ストア派哲学者エグナティウス・ケレルを弁護したとして批判された。デーメートリオスは、その後、政権を批判したため、ウェスパシア帝によって島流しになった。

M. Billerbeck, Der Kyniker Demetrius (1979);
J. F. Kindstrand, Pjilol. 1980, 83 ff.;
J. L. Moles, JHS 1983, 103 ff.

(OCD, M. T. G.)

(出典:Wikipedia「Demetrius the Cynic」
 セネカは彼についてしばしば言及し〔Epistles, 20.9, 62.3, 67.14, 91.19.; De Beneficiis, vii. 1-2, 8-11; De Providentia; De Vita Beata〕、彼のことを完全な人物と記している。

私の見るところでは、自然界がこの人をわれらの時代にもたらしたのは、われわれでさえ彼を堕落させることはできず、また彼でさえ〔われわれがあまりにも厚顔無恥であるために〕われわれを戒められないことを示すためであった。彼は — 自分では否定しているが — 完全な英知に達した人であり、自分の志を断固として曲げない意志の持ち主である。さらに、彼の雄弁は、剛毅な論題にふさわしく、飾り立てて言葉の技巧に苦心したものではなく、強い霊感に促されるままに、偉大な精神で自分の議論を押し進めようとするものである。この人は、疑いもなく、神意によってそのような活力とそれほどの弁論の能力を授かったのだが、それというのも、われわれの世代に模範や戒めの声がなくならないようにするためだ。
 (De Beneficiis, vii. 8. 小川正廣訳)

 世間的な富に対する彼の軽蔑は、カリグラが彼を買収しようとして20万セステルティウスを提示したときの彼の返答が示している。すなわち、彼は言った、「皇帝が私を試すつもりだったのなら、帝国全部を与えると言って試すべきだったのだ」と〔De Beneficiis, vii. 11.〕。

 彼はまたThrasea Paetusとも友であり、Thraseaが死を賜ったとき〔66 AD〕、彼もいっしょだった。われわれはウェスパシア帝の御代〔c. 70 AD〕に再び彼のことを耳にする。彼はMusonius Rufusによって罪せられたPublius Celerを弁護している。71 AD、ウェスパシア帝によってローマから追放されている。

 デーメートリオスは、ルゥキアーノスによって言及されているスーニオンのデーメートリオス〔Toxaris〕と同一視されているが、デーメートリオスはローマ世界でよくある名前であり、スーニオンのデーメートリオスとはおそらく異なる(しかし確実ではない)。

デーメートリオスの引用句
 不安がなく、運命に攻めこまれたことのない人生を「死んだ海」と呼ぶ。〔Seneca, Epistles, 67.14.〕
 無知蒙昧な人々の言葉は腹から出る音も同然だ。〔Seneca, Epistles, 91.19.〕

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