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犬儒派作品集成

アナカルシス書簡集






[解説]

 スキュティアの王子アナカルシスは、前6世紀初め、知恵を求めてギリシアを訪れた。「高貴な野蛮人」の典型として、彼はギリシア人の想像力をとらえ、二者択一的に、ギリシアのあらゆる文物の愛者にして、スパルタを除く全ギリシアの軽蔑者とみなされた。後者の見解が優勢になった。

 このアナカルシスに帰せられる10通の書簡は、確実に疑わしい。伝統的な見解では、現在の形式での成立年代は、ローマ帝政の初期以降、あるいは、キケロが(前45年に書いた)Tusc. 5, 90に書簡第5を翻訳しているので、前1世紀の初め以前で、ヒッポクラテースやディオゲネースに帰せられる書簡類の幾つかとともに、現存する犬儒派書簡集の最初期のものとされる。U. von Wilamowitz-Moellendorffは、キケロが第5書簡を知っていたことをも加味した議論で、この書簡の成立年代を、前3世紀を導き出している。最近ではF. H. Reutersが、書簡はみな(第10書簡は除くが)、異なった作者によって、前3世紀に書かれたと主張している。

 書簡成立年代に関するReutersの決定は、用語と文体に依拠している。彼は書簡1-9がアッティカ語よりはむしろコイネーで書かれていることを発見し、しかも、それらが多く前3世紀以前には現れない言葉であることを確認する。他方、これらの書簡にアッティカ主義の足跡はない。それゆえ、前2世紀以前、アシア主義への反動としてアッティカ主義の盛行を下限として書かれたに違いない。Reutersにとってとりわけ重要であったのは、書簡1にでてくるsoloikivzeinが、文法的な間違いよりはむしろ不明瞭な物言いの意味で使われていることである。この言葉は、この意味では前250年以降には見出されず、最初の9通の書簡のterminus ante quemと解される。こうしてReutersは可能な成立年代として前300-250年と決定する。

 これらの書簡は、一般的に、犬儒派の傾向性を示しているとみなされている。犬儒派は、文化・文明を批判したが、ギリシア的基準からいって非文明人であるアナカルシスをして、彼らの教説の伝道者に仕立てあげた。もしもこれらの書簡が本当に前3世紀を下限とするなら、当時犬儒主義が存在したことの価値ある証言となり、帝政初期に復活するまで、すたれていたという理論と矛盾する。これらは、前200年ころ流布したディオゲネースに帰せられる書簡の源泉と並行することになるが、これは伝存していない。

 書簡10はディオゲネース・ライエルティオスによって伝えられており、これのみは彼も知っていた。写本の伝承から、この書簡が別個に流布したことは明らかである。かてて加えて、その用語、イオーニア語の試みが、最初の9通の作者と異なることを示している。コイネーと接触しておらず、Reutersはいくぶんためらいながらも、これの成立年代を前5世紀ないし4世紀としている。彼はこれも犬儒派と考えたがっている。

(Abraham J. Malherbe)




[底本]
TLG 0037
ANACHARSIDIS EPISTULAE
(Incertum)
1 1
0037 001
Epistulae, ed. R. Hercher, Epistolographi Graeci. Paris: Didot,
1873 (repr. Amsterdam: Hakkert, 1965): 102-105.
(Cod: 1,388: Epist.)





書簡集(Epistulae)

1."t"
アテーナイ人諸君に
1.1
 諸君はわたしの発音を、ヘッラス語を明瞭に言っていないという理由で、嘲笑する。アテーナイ人たちの見解では、アナカルシスは訛っているが、スキュティア人たち見解では、アテーナイ人諸君こそが〔訛っている〕。人間どもが、語るにあたいする者たちであることに関して、人間どもに抜きん出ているのは、発音によってではなく、ヘッラス人がヘッラス人に〔抜きん出ている〕ごとく、知見によってである。スパルタ人たちはアッティカ語を話すことでは明瞭でないが、行動において輝かしく、勇名を馳せている。スキュティア人たちは、必要な物事を表明する言葉を咎めないのはもちろん、必要なものを言い当てないような〔言葉〕を称讃することもない。諸君も、音節のない発音に意を払うことなく、1.10 多くの事柄を管理している。医者はアイギュプトス人たちを導入し、舵手はポイニクス人たちを使い、ヘッラス語をしゃべる者たちに価格以上のものを払うことなく市場で買い物をし、適正に売るなら、ためらうことなく非ヘッラス人からでも入手する。ペルシア人たちの王たちとその友たちは、慢心して、ヘッラス人たちの使節団とヘッラス語〔発音〕で発声したいと望むとき、訛らざるをえないが、諸君は彼らの意図も所行も非難することはない。言葉が悪とならないのは、意図が善であり、美しき所行が言説に付き従う場合である。これに反し、スキュティア人たちが 1.20 低劣な言葉だと判断するのは、思惟(dialogismovV)〔複数〕が低劣な場合である。諸君が非ヘッラス人たちの発音を嫌悪し、それゆえまた、言われている事柄を受け入れないなら、諸君は多くの事柄に後れをとることになろう。なぜなら、諸君にとって有益な事柄を導入することに、多大な躊躇を持つからだ。諸君は非ヘッラス産の織物を尊重するくせに、非ヘッラスの発音を是認しないのは何故か? 笛吹きたちや歌い手たちの音声は韻律にかなったのを求めるくせに、韻律にかなった詩作をする詩人たちに対しては、ヘッラス語で韻律を満たさないかぎり、言葉尻をつかまえるのだ。むしろ諸君は、発言者たちによって言われている当のことを観察せよ。なぜなら、それの目的は利得にあるからである。1.30 そして諸君が非ヘッラス人たちに傾聴するなら、諸君が訛っている場合に、女子どもが諸君に意を払わぬということを許すことはないであろう。なぜなら、訛っている者たちに聴従して救われることの方が、アッティカ語を明瞭に話す者たちに聞き従って大きな害を受けるよりも、すぐれているからである。以上が、無教育で美に疎い連中のすることなのだ、アテーナイ人諸君。慎慮深い者であって、以上のことを思惟せぬ者は一人もいないからである。

2."t"
ソローンに
2.1
 ヘッラス人たちは賢明ですが、しかし非ヘッラス人たちより賢明なわけではけっしてありません。なぜなら、美を知り方を知識することを、神々は非ヘッラス人たちから取り上げたわけではないのですから。だから、精査して、われわれが美しいものらを知慮しているかどうか経験すること、われわれの言説と行動とが一致しているかどうか、善く生きている人たちにわれわれが等しいかどうか、吟味することができるのです。だから、身体の着物や飾りが、正しい〔まっすぐな〕判断の障害になることはありません。なぜなら、各人は各様に、父祖伝来の諸々の法習にしたがって、諸々の身体を飾っているからです。物わかりのわるさ(ajsunesiva)の徴は、非ヘッラス人にとってもヘッラス人にとっても同じであり、2.10 物わかりのよさ(sunevsiV)の〔徴〕も同様です。ところがあなたは、あなたの客になりたくてあなたの扉の前にやって来たのがアナカルシスであるので、断って、みずからの地で客友関係を結ぶべきだと答えられた。しかし、誰かがスパルタ犬をあなたに贈り物とする場合、その犬を、あなたに贈るために、スパルタに連れて来るようにとその人に頼むことはないでしょう。めいめいが同じロゴスを交わす場合、お互い別人であるわれわれがお互いの客友になるのは、一体いつなんでしょう。わたしには、これが美しい状態にあるようには思われないのです、ソローンよ、アテーナイ人の賢人よ、だから心(qumovV)が、もう一度あなたの扉の前に赴くようわたしに命じるのです。先ほどのことを求めるためではなく、2.20 客友関係についてあなたが表明なさった当のことがどういうことであるのかを訊くために。

3."t"
〔僭主〕ヒッパルコスに
3.1
 水で割られない多量の酒は、諸々のふさわしい行為(ta; kaqhvkonta)を美しく取りはからうことと無縁です。なぜなら、心 — この中で人間どもにとって思慮すること(to; logivzesqai)が確立する — を混乱させ、大事を渇望する人が、着手しようとすることを美しく実行することが、素面で用心深い生を植えこまないかぎり、容易でないからです。だから、骰子と酩酊を棄て、あなたが支配する所以のことへと向かいなさい。あなた御自身の父の善行の仕方に従って、友たちや乞食たちに善く為して。さもなければ、醜さに加えて、御自身の身に危険が迫るでしょう。その時には、あなたの友たちが思い出させてくれるでしょう。3.10 スキュティア人アナカルシスを。

4."t"
メードコスに
4.1
 妬み(fqovnoV)と怯え(ptovhsiV)は、つまらぬ魂の大いなる証拠です。なぜなら、妬みには、友たちや同市民たちの善行(eujpragiva)に対する苦痛が伴い、怯えには、空虚な言説の希望が〔伴う〕からです。スキュティア人たちは、そういう人々を受け入れず、善く為す人たちを喜び、自分たちが手に入れることを祝福するものらを求める。しかし、憎しみ、妬み、あらゆる難儀な情動は、これを敵のごとく、力を尽くしてどこまでも追放するのです。

5."t"
アンノーンに
5.1
 わたしにとっては、着物は、スキュティアの半外套、履き物は足の皮、寝床は全地、最善の食事は、乳、乾酪、肉。完全なおかずは、空腹。だから、たいていの人たちがそのために忙しくする物事からわたしは暇であるので、あなたがわたしのものを何か必要とするなら、わたしのところへいらっしゃい。あなた方が耽る賜物を、わたしはあなたに贈り返しましょう。ところがあなたはカルケドーン人たちに贈るか、あるいは、あなたの感謝を神々にささげるのです。〔???〕

6."t"
王の息子に
6.1
 あなたには笛と財布、わたしには矢弾と弓。それゆえ、当然ながら、あなたは奴隷、わたしは自由人。また、あなたには数多の敵、わたしには〔敵は〕一人もいない。もしも銀子を棄てて、弓と矢筒を身におび、スキュティア人たちと同市民になることをお望みなら、あなたにも同じものが〔そなわるでしょう〕。

7."t"
〔トラキアの暴君〕テーレウスに
7.1
 善き支配者にして、支配される者たちを破滅させる者は、一人としてなく、善き牧童にして羊を害する者もいません。しかるに、あなたのすべての土地には、支配される者たちは無人で、支配する者たちによって悪く指導されて、あらゆる私人の家は、低く抑えられたあまり、用事に役立ちえなくなっているのです。より善いのは、あなたが主人として〔支配している〕人々を惜しむ〔大切にする〕ことです。というのは、個人的な所有物が、あなたの〔悪しき〕王支配によって増えなくても、少なくとも〔民は〕持続するからです。ところが今は、戦争をするにも男たちに事欠き、あなたの兵士たちと、7.10 一人ひとりの身を義しく観察する人たち〔?〕とを養うべき必要品を、あなたは剥奪しているのです。あなたが充分な食糧を残しておかなければ、彼らは怖れをなして、山中の荒野に逃れ去り、そこに住んで、蜜蜂たちの営みをすることでしょう。

8."t"
トラシュロコスに
8.1
 犬は、魂の美しい、善行を記憶している動物で、善行者たちの家を愛する。好意(eu[noia)を死ぬまで保持するからである。しかるにあなたは、思量(sullogismovV)の点で人間どもに等しくありうる犬の善行にも後れをとっている。だから、わたしのロゴスが探究するのは、あなたが善行者たちに対してライオンの魂を持つとき、あなたがその怒り(qumovV)において義しいのは、誰に対してかということです。ですから、わたしたちがあなたに対して持っているわたしの(sunhvqeia)を救うよう努めなさい。というのも、美しい希望はこういう人にこそあるのですから。〔???〕

9."t"
クロイソスに
9.1
 ヘッラスの詩人たちは、物語(LovgoV)の中で、世界(KovsmoV)をクロノスの子どもである兄弟たちに分割し、一人には天の領分を、もう一人には海の〔領分を〕、三人目には黄泉の暗黒の〔領分を〕あてがいました。これはヘッラス人たちの個人的な関心の追求の結果です。というのは、彼らは物事の共通性を何ら知らず、自分たちの悪を神々に帰したのです。しかしながら大地は除外し、この人たちでさえ、全員に共通のものとして残したのです。

 いざ、この考えがいったいいずこに導くか、熟考しましょう。彼らが望んだのは、あらゆる神々が人間どもからの栄誉を持つこと、そして、あらゆる神々が諸々の善の恵贈者にして、諸々の悪の防除者と9.10 なることでした。ところで、大地は、昔から神々と人間どもとの共通の所有物でしたが、時とともに、全員の共有地を、違法にも神々の私的な区分地と名づけ、その代わりに神々は、争い(e[riV)と快楽(hJdonhv)と卑屈(mikroyuciva)という、ふさわしい賜物を人間どもに贈り返したのです。これらの混合と分離から、あらゆる死すべき者らにあらゆる諸悪が発生しました — 耕作、種蒔き、鉱物、戦争が。例えば、幾倍もの種子を注ぎ込んでも、取り出されるのはわずか、多彩な技術を駆使しても、見出されるのは短命な養いのみ、大地の種々の色〔をした鉱物〕を9.20 探し求めて、奇跡とされ、この僅少なものを最初に発見した人を、浄福きわまりない人とみなすのです。そして、子どもたちのように、自己欺瞞していることに気づきません。というのは、彼らが尊重するのは、労苦によって何ものも出来しないこと、次には、労苦そのものを彼らは賛嘆するからなのです。

 大多数の人間どもに〔ふりかかる〕この悪が、あなたにもふりかかったとわたしは聞きました。自余のことどもが起こるのは、まさしくこの〔悪〕からです。というのは、大いなる富はもちろん、田地田畑も、知恵を購うことはないからです。他人のもので数多満たされている人たちの身体は、諸々の病にも満たされていると謂われ、彼らは、健康であることを恋する人たちに 9.29 できるかぎり早い撤退を命じるからです。いや、9.30 諸々の度はずれた快楽のせいで、あなたは身体の医者たちは持っておられますが、魂の〔医者たちを〕持っておられません。賢明なのは、快楽を投げ棄てることです。あなたに多くの黄金が流れるとき、黄金とともに、黄金の名声(dovxa)、妬み、そして、あなたから黄金を運び去ることを望む連中の欲望(ejpiqumiva)もまた、同時に流れているのです。ですから、この病からご自身を浄化なさっていたなら、あなたは健康であったでしょう。自由人として言いかつ支配するのですから。これこそが、王者として健康であるということです。これさえ内に所有していれば、自余のものらをも所有していても、それほど驚くべきことではありません。ところが、あなたを自制なき者として取り押さえ、責め苛んでいるのが、自由人の代わりに奴隷としている 9.40 この病なのです。いや、善き気性をお持ちなさい — 森の中に発生した火の似像を心に描いて。この〔火〕は、燃え移ったものは灰にしますが、燃えないものは養います。あなたの古くからの諸悪は、あなたと、あなたにしがみついている連中に移住するでしょう。その第二の連中に、諸々の煩いはついてゆくと期待しなさい。そして、わたしの目撃譚をお聞きなさい。

 スキュティア人たちの地を、大きな流れが貫通しています。これこそ、イストロス〔ドナウ川〕と人々が名づけているものです。この中ほどで、商人たちは船を座礁させ、助けることがまったくできなかったので、痛み嘆きつつ去りました。すると海賊たちが、その人たちの災悪を思案することなく、空の船で 9.50 近づき、次いで躊躇することなく、その積み荷を彼らは積みこみ、船の荷を移動させました。受難をも移し替えたことに気づかずに。というのは、一方〔の船〕は、空になったので、浮かびあがって、航海に適したものとなりましたが、他方〔の船〕は、前者の荷を載せたために、他人の財貨の掠奪のせいで、たちまち深みに沈んだのです。

 これが、持てる者にいつも起こりうることです。ところがスキュティア人たちは、こういったことすべての埒外にあります。わたしたちはみな全地を持っています。〔大地が〕自発的に贈り物とするかぎりにものを、わたしたちは受け取り、〔大地が〕隠すかぎりのものには、おさらばします。家畜を野獣たちから救い、代わりに乳と乾酪を受け取ります。わたしたちが武器を持っているのは、他者を攻めるためではなく、9.60 必要とあらば、自分たちを守るためです。ただし、いまだかつて必要となったためしはありませんが。なぜなら、攻め寄せようとする連中の前に、わたしたちは競技者にしてかつ商品として自分を据えるからです。この商品は、しかし、多くの人たちは喜びません。アテーナイ人ソローンも、あなたに同じことを忠告しました — 最期を考察するよう命じ、今結果していることではなく、あなたが美しく命終するときのことをあらかじめ尊重するようにと言って。しかし彼は面と向かっては言いませんでした。なぜなら、彼はスキュティア人でなかったからです。しかしあなたとしては、もしもあなたにとって好ましいなら、わたしの忠告を、キュロスにもあらゆる僭主たちにももたらしなさい。なぜなら、〔わたしの忠告が〕力を発揮するのは、破滅してしまった人たちよりは、覇権を握っている人たちにとってなのですから。

10."t"
クロイソスに
10.1
 わたしが、リュディア人たちの王よ、ヘッラス人たちの地にやって来ましたのは、この人たちの習わしと生活態度(ejpithdeuvmata)とを教えてもらうためです。わたしは黄金は何も必要とせず、わたしがより善き人となってスキュティアにもどれたら満足です。とにかく、サルディスにやって参りましたのは、あなたと知り合いになることを大事と考えたからです。

2011.04.25. 訳了。

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