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ルゥキアーノスとその作品

祖国讃歌

PatrivdoV =Egkwvmion
(Patriae Encomium)





[解説]
 この作品がルゥキアーノス作品群の中に伝存していなかったとしたら、これがルゥキアーノスの作品と考えた者はいなかったろう。(A. M. Harmon)


"t".1
祖国讃歌


1.1
 祖国ほど甘美なるものなし〔Od. ix, 34〕とは、すでに人口に膾炙している。しからば、はたして、より快適なものは何もなく、より高貴にして神的なものがほかにあるのか。然り、高貴にして神的なものと人間どもがみなすかぎりのもの、祖国はその原因にして教師、生み、育て、教育したのが祖国である。たしかに、国〔都市〕の大きさ、輝かしさ、設備のすばらしさを多衆は賛嘆するのだが、祖国を愛するのは万人である。目の快楽に完璧に屈服させられてしまった者たちでさえ、他国の有り余るほどの驚異のせいでに、〔自分の〕祖国を忘れてしまうほどまでに欺かれる者は、ひとりとしていないのである。 
2.1
 されば、幸福な国〔都市〕の市民だと自慢する者は誰しも、わたしの思うに、祖国にいかなる敬意を払うべきかに無知なのであって、かかる人こそ、ほどほどの祖国という外れ籤を引くと、立腹すること明らかな者であろう。わたしにとってより快適なのは、祖国の名前を尊敬することそのことである。何となれば、国〔都市〕を比較しようとする者にとっては、大きさや美しさや商品の豊かさを調査することがふさわしい。が、国〔都市〕の選択は、祖国をそっちのけにして、より輝かしい〔国〕を選ぶ者は誰もなく、祖国も幸福な諸国に近しいことを願いはするが、いかなる国であれ祖国を選択するであろう。
3.1
 まさしくこれと同じことを、子どもたちの義しい者たちも、父親たちの有為な者たちも、するのである。つまり、美にして善なる若者は、父親に先んじて他人に敬意を払うことはなく、父親は、わが子を疎んじて他人の子を愛することもない。じっさい、父親たちが子どもたちに負けて熱愛する程度たるや、自分たちにとって子どもたちが最美でもあり、最大でもあり、あらゆる点で最善なものらによって飾られているように思われるほどである。こういう判者として息子に対することなき者は、父親の眼を持っているとはわたしには思われないのである。

4.1
 さて、第一に、祖国の名は、何にもまして最も親しいものである。何であれ父親より親しいものはないからである。そこで、法も自然も命じているとおり、人あって父親に義しい敬意を払うならば、当然ながら祖国に先に敬意を払うであろう。というのも、父親自身は祖国の所有物であり、父の父も、また彼らより前代の親族全員もそうで、名前をたどれば、父祖伝来の神々にまでさかのぼるのであるから。
5.1
 神々でさえ祖国を喜びたまい、どうやら、人間どもの〔居所〕すべてを見そなわすらしいのは、全地と海をご自身の所有物とされるからであるが、神々のそれぞれがお生まれになったところを、他のどの国よりも先に尊ばれる。国〔都市〕も、神々の祖国はより尊く、島嶼も、神々の誕生が讃美されているところはより神的である。じっさい、同じ神事でも、神々に嘉されるのは、親しい場所場所に各人がやってきて、神事を執り行う場合なのだ。されば、祖国の名前が神々にとって尊いものならば、どうして人間どもにとってはるかにそれ以上でないことがあろうか。
6.1
 というのも、各人は太陽を最初に祖国で見た。その結果、この神が、共有されるものではあっても、それでもやはり、その土地で最初に目にしたゆえに、父祖伝来のものとみなされることになるのである。さらに、〔各人は〕そこで声を出し始め、土地のことばで最初にしゃべり方を学んで、神々を知ることになった。高等教育を受けるために他国へ赴かねばならないような、そんな祖国を籤引いたとしても、それでもやはり、それらの教え育まれたことへの感謝の気持ちを祖国に対して持たしめよ。祖国をとおして国〔都市〕があるということを学ばなければ、国家という名辞すら知らなかったであろうから。

7.1
 思うに、人間どもがあらゆる教養や学識を積むのは、これによって自分を有用なものとして祖国にそなえるためである。また金銭を獲得するのも、祖国の公の支出に寄与する名誉愛のためである。まことに尤もなことだとわたしは思う。最大の恩恵に与った者たちが、恩知らずであってはならないのだから。いや、誰かから良くしてもらった場合に、人は個々の人たちに感謝を返すのが義しいが、そうとすれば、祖国が然るべきもので返報されるのははるかにもっとふさわしいことだ。いうまでもなく、親に対する悪行は、諸都市の法であるが、祖国を万人に共通の母親とみなして,養育と法それ自体の知識に対する感謝の献げ物を報いるのがふさわしい。

8.1
 他国にいるため祖国を気にかけることなく忘れてしまった者は一人としていたためしはなく、むしろ、逆境のうちに外国生活を余儀なくされている人々は、善きものらの中で最大のものは祖国だと、不断に訴え続けているし、また幸福な者たちも、他のことでは善くしていても、祖国に住んでいなくて、外国暮らしをしているというその点で、自分たちには最大のものが欠けているとみなしている。外国暮らしをすることは恥辱なのだから。そして、郷里を離れている間に、あるいは財の獲得によって、あるいは栄職の名声により、あるいは教養の証により、あるいは勇気の称讃によって輝かしい者となった人たちは、みな祖国へと急ぐのを目にすることができる。あたかも、自分の美しきものら見せつけるにもっと善い者たちは他にいないかのように。他国で大物とみなされる者に見られれば見られるほど、各人はそれだけますます祖国に迎え入れられることを求めるのである。

9.1
 もちろん、若者たちによっても祖国は熱望される。すでに歳老いた者たちにとっては、若者たちにとってよりも、より多く知慮に与っているだけに、それだけ多く祖国に対する情念が内生する。とにかくおのおのの老人は、祖国で生涯を終えることを求めもし、祈りもする。それは、自分が生をはじめたところ、そこにおいて、養育してくれた大地にもう一度身体も預け、父祖伝来の墓地を共有するためである。なぜなら、死後であっても国外追放の罪に問われ、よその土地に横たわるのは、各人にとって恐ろしいことと思われるからである。

10.1
 真に嫡出の市民たちにとって、祖国への好意(eujnoiva)に与ることがいかほどのものかは、ひとは土地生え抜きの者たちから学びえよう。外来者は、まるで庶子のように易々として移住を繰り返す。祖国の名を知りもせず、愛しもせず、片や、どこにいても必需品が裕福にあると考え、幸福の尺度を胃袋の快楽に置いているからである。これに反し、祖国が母親でもある者たちにとっては、自分たちが生まれ育った大地を、わずかばかりを持つにすぎなくても、荒れ果てた痩せものであっても、歓愛する。その土地の徳を称讃するに行き詰まっても、祖国のための讃辞に行き詰まることはないであろう。いや、他の人たちが、放置された平地や、雑多な草の伸び放題の牧草地を自慢するのを目にしたとしたら、彼らもまた祖国の讃辞を忘れたわけではなく、馬を飼うことを見下して、人の子を養うことを称讃しているのである。
11.1
 そして、人は祖国に急ぐ — たとえ島の民であっても、他国の人たちの間で幸福であり得るとしても。そして与えられる不死を受け容れまい — 祖国にある墓を重んじるゆえに。そして彼にとって祖国の煙は、他所人たちのもとにおける火よりも輝かしいものとして目にうつるであろう。

12.1
 さればこそ、祖国は万人のもとでかくまでも尊いものであるゆえに、いずこの立法者たちも、追放刑を、最大の不正事に対する最もつらい刑と目してきたことのを見る。そして、立法者はそうだが、将軍術に信を置く者たちは別であるということはなく、配置された兵たちにとって鼓舞激励の最大のものは、「われらにとってこの戦いは祖国のためである」であり、これを聞いて、悪人〔臆病者〕であろうとする者は誰ひとりいない。なぜなら、臆病者を勇敢な者にするものこそ、祖国の名前だからである。

//END
2011.10.30.

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