偽ルゥキアーノス作品集成
偽ルゥキアーノス作品集成
偽ソフィスト、あるいは、語法誤用者
(YeudosofisthvV h] SoloikisthvV)
(Soloecista)
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[解説]
この対話編が、多数の権威によって、ルゥキアーノス的でないとして拒否された根拠は、ルゥキアーノスの才能にふさわしくないということ、そして、ルゥキアーノス自身の語法の多くが批判の対象になっているということであった。Harmonはこの見解に同意し、エジプトに在住している(cf. c. 5)、Lexiphanesを読んだ(cf. c. 11)無名の学校教師の作品であることを示唆した。この見解は正しいかも知れぬ。しかしながら、わたしの論文Classical Quarterly, 1956を見よ。そこでわたしが議論しているのは、この対話編はルゥキアーノスの真作であり、意地の悪いもので、当時、彼のギリシア語を批判・攻撃した個人的な敵に対する偽善的反撃である、ということである。
魅力的な二者択一的解釈はReitzの示唆で、Solecistがルゥキアーノスの作品なら、ルゥキアーノスとソクラテスの貢献は、当時ますます突飛もないものになったアッティカ至上主義者たちの活動に対する皮肉と、"reductio ad absurdum"〔帰謬法〕の構成である、といった。この見解は、最近、J. Bompaire (Lucien Écrivain)と、B. Baldwin (Classical Review, 1962)によって支持され、ルゥキアーノスと同時代のビテュニアのPhrycichus、あるいはMoeris(年代不明)のような人物が当てこすったのかも知れないと示唆している。この見解は、対話編を評判のよい当てこすりとし、ルゥキアーノスの語法に対する非難をも勘定に入れている利点があるが、おそらくは器用すぎよう。
ルゥキアーノスは言語上の些細な点に大いに関心を有し、それについて長々と書く能力を有していた、例えばSlip of the Tongue (Vol. 6, pp. 171 ff.)の中で。これはほとんど"reductio ad absurdum"〔帰謬法〕ではありえず、批評家に対してよりはパトロンに宛てたものであろう。ルゥキアーノスの表明はすべて真面目であるらしく、ソクラテスの見解は肯定的に引用されている。さらに、一般的に、それらは、ソクラテスがプラトンの用法を推奨するように、ひとがルゥキアーノスに期待するような見解にほかならないが(cf. Lexiphanes c. 22, F. W. Householder, Literary Quotation and Allusion in Lucian, p. 44)、すでに廃れた用法に異を唱えることによって、均整のとれた感覚を示唆している。ルゥキアーノスの用語法のいくつかがこの対話編において批判されているとしたら、われわれの心に留めるべきは、ルゥキアーノスは多作な作家であり、当時、自分の個人的な確執の中で偽善者たりえた不注意な作家であったこと、また、c. 5でのエジプトへの言及は、おそらくルゥキアーノスの力が衰えた後期を示唆しているということである。
この対話編の適切な翻訳を生み出すことが不可能なのは、故意の間違いのいくつかはとんでもなく大きい一方、他の間違いは粗探しする者を攻撃するために可能なものだからである。わたしは英語の明らかなしくじりを紹介することで満足したが、英語では故意の間違いであるようにみえるところでは、しかしながらギリシア語では些細な間違いにすぎない。英語のいかなるしくじりも、ギリシア語の間違いと一致するのでないことを指摘するのはほとんど不可能である。ギリシア語のしくじりの本質は、関連する脚注の中で説明されている。
M. D. Macleod
15."t".1
偽ソフィスト、あるいは、語法誤用者
15.1.1
ルゥキアーノス
15.1.1
語法間違いを知るに恐るべき人、この人は、語法間違いしないよう守ることも可能ですね。
15.1.2
ソフィスト
わしには〔そう〕思われる。
15.1.3
ルゥキアーノス
しかるに、守ることの〔でき〕ない人は、本当にそうである人を知ることも〔でき〕ないですね。
15.1.5
ソフィスト
真実を君は言っている。
15.1.6
ルゥキアーノス
で、あなた自身は、語法間違いをおかすことはないと謂いますか、それとも、あなたについてわれわれはどう言いましょうか。
15.1.8
ソフィスト
もちろんわしは無教育な者ということになるだろうよ、いい歳して 15.1.10 語法間違いをおかすとしたら。
15.1.10
ルゥキアーノス
それでは、別の人がそうしているのを見つけ出し、否定するその人を吟味することもできますね。
15.1.12
ソフィスト
そうだとも。
15.1.13
ルゥキアーノス
それなら、いざ、わたしが語法間違いするのを捉えてください、もう、わたしは語法間違いをおかすでしょう。
15.1.15
ソフィスト
では、云いたまえ。
15.1.16
ルゥキアーノス
でも、わたしとしてはすでに恐るべきことをしでかしたのに、あなたは気づいていないのです。
15.1.18
ソフィスト
君はいつもふざけているのかね。
15.1.19
ルゥキアーノス
15.1.20
神々にかけて〔とんでもありません〕。語法間違いをおかしたのに、あなたは知らないものだから、あなたに気づかれなかったのですから。そこでもう一度調べてみてください。わたしが謂うのは、あなたは洞察することができなかったということです。あなたのご存知のことがあり、あなたのご存知でないことがあるために。
15.1.23
ソフィスト
とにかく云いたまえ。
15.1.24
ルゥキアーノス
いや、今もわたしによって語法間違いおかされてしまったのです。あなたはお気づきでないですが。
15.1.26
ソフィスト
いったい、どういうことかね。君は何も言っていないのに。
15.1.27
ルゥキアーノス
わたしは言い、語法間違いをおかしました。ところがあなたは、それをしているわたしについてこれないのです。願わくば、今度こそ聞き分けられると 15.1.30 いいのですが。
15.1.30
ソフィスト
驚くべきことを君は言うね、わしが誤用を理解できないだろうとは。
15.2.2
ルゥキアーノス
いったいどうやって、ひとつ〔の誤用〕がわかるのですか、3つ〔の誤用〕に無知なのに。
15.2.4
ソフィスト
なに、3つだって?
15.2.5
ルゥキアーノス
どれも生(は)えたてのものらです。
15.2.6
ソフィスト
2.7 わしとしては、君はふざけているように思われるな。
2.7
ルゥキアーノス
わたしとしては、<あなたは>言論の間違いをおかしている者に無知であるように〔思われますね〕。
2.9
ソフィスト
いったいどうやってわかるひとがいるのか、何ひとつ述べられていないのに。
2.10
ルゥキアーノス
すでに4度言われ、誤用されているのです。あなたは気がつかないのですが。ですから、大きな懸賞を達成したことでしょう、あなたが気づいていればね。
2.13
ソフィスト
大きくはないが、同意した者にとっては必要なことだよ。
2.14
ルゥキアーノス
しかし、今もあなたは気づいていません。
2.15
ソフィスト
今って、いつ?
2.16
ルゥキアーノス
懸賞をあなたが達成するとわたしが謂ったとき。
2.17
ソフィスト
わからん、君が何を言っているのか。
2.18
ルゥキアーノス
あなたの謂うのは正しいです。あなたはわかってないのですから。では、さっきのところへ前進。だって、あなたはついてくる気がないのですから。その気になれば、分かり合えるでしょうが。
2.21
ソフィスト
3.1
いや、わしはそうしたい。ところが君が、人々が語法間違いをして言うことがらを何も云わないのだ。
3.2
ルゥキアーノス
それでは、今口にされた小さな悪は、何だとあなたに見えるのですか。やっぱり、もう一度聞き分けてください、何が跳びだしたかあなたはおわかりでなかったのですから。
3.5
ソフィスト
神々にかけて、わしは〔わから〕なかった。
3.6
ルゥキアーノス
とはいえ、たちまち跳び出したウサ公を連れてきました。ほら、いますね。現にウサ公を見ることができます。さもなければ、多くのウサ公たちが、語法間違いに陥っているのにあなたに気づかれないままになるでしょう。
3.10
ソフィスト
気づかれないはずがないだろう。
3.11
ルゥキアーノス
ところが現に気づかれていないのです。
3.12
ソフィスト
君は驚くべきことを言うね。
3.13
ルゥキアーノス
ところがあなたは、教養が過ぎてだめになって、語法間違いをおかしている当のことさえ洞察できないのです。[誰がそうなのかということが、御自身にはわかっていないのですから]。
3.16
ソフィスト
4.1
それだよ、君が何を言っているのかわからないのは。わしはすでに多くの人たちが語法間違いをおかしているのを洞察してきたのだ。
4.2
ルゥキアーノス
それなら、わたしもそうなのだということがいつかおわかりなるでしょう。乳母たちの乳を吸う幼児たちの一人として生まれて、あなたが飲むときに。今、語法間違いをおかしているわたしに気づかずんば、幼児が育てあがったとしても、何も知らないせいで、語法間違いをするでしょう。
4.6
ソフィスト
真実を君は言っている。
4.7
ルゥキアーノス
しかるに、それらのことにわたしたちが無知だとすれば、わたしたちは彼ら自身のことを何も知っていないことになるでしょう。こんな語法間違いされたことさえあなたから 4.10 逃れられているとしたら。だから、もう言わないこと。語法間違いをしている者を見抜くのは充分だとか、自分は語法間違いをしていないとか。
5.1
わたしとしては、事情はこのとおりです。だが、モプソス出身のソークラテース、わたしはこの人とアイギュプトスでいっしょだったのですが、こういった事柄を面倒くさがらずに発言し、過ちをおかしている人を吟味しなかったものです。
しかしながら、出かけようとしている彼に「何時か」尋ねた人には、「いったい誰が」と彼は謂いました、「出かけようとしているときに、今日について君に<ものを謂う>だろうか」。
また別の人が、「わたしは相続財産を充分持っている」と謂ったとき、「君は何を謂っているのか」と彼は云いました、「ということは、君の父君は死んだのかね」。
さらに他のひとが、「彼は私の同郷人だ」と言ったとき、「すると、君はわれわれに気づかれなかったわけだ」と彼は謂いました、「君が異邦人だということを」。また他の人が、5.10「何某は恐るべき酔っ払いの子だ」と云ったとき、「酔っ払いは母君なのか」と彼は云いました、「それとも、何を君は言っているのか」。
また別の人が「ライオンを<……〔欠損〕」と言ったとき>、「君はライオンを」と彼は謂いました、「二つ折りにしている」。
またある人が、「自分には財がそなわっている」と、2つのμを使って云ったとき、「それでは」と彼は謂いました、「才は残っていないだろうね、もしも財が彼にそなわっているのなら」。
また別の人が、「わが友おてんば青年がやってくる」と云ったとき、「どうしてなんだ」と彼は謂いました、「男の友なのに、君が悪くいうのは」。
また、「やつには恐れ入って逃げだした」と云った人に向かっては、「君は」と彼は謂いました、「誰かに用心するときにも、追いかけるのだろうよ」。
また他の人が、「友の中のいちばん天辺の友」と云ったとき、「美しきかな」5.20 と彼は謂いました、「ものを頭頂の上にするとは」。
さらにまた、「わたしはおんでた」とある人が云ったとき、「いったい誰なんだ」と彼は云いました、「君が追い出した相手とは」。
また、「天辺から」とある人が云ったとき、「天辺側からだ」と彼は云いました、「樽からと同様」。
また、ある人が、「わたしを配置に就けた」と言ったとき、「部隊をも」と彼は謂いました、「クセノポーンは配置に就けた」。
また他の人が、「わたしは彼に気づかれないようまわりに立った」と云ったとき、「驚いた」と彼は謂いました、「一人なのに一人のまわりに立つとは」。
また別の人が、「自分に引き比べた」と言ったとき、「そして完全にこきおろされた」と彼が云いました。
6.1
さらにまた、アッティカ語の語法間違いをおかす人たちに向かっても、彼は面倒がらずにからかうのが常でした。例えば、「われら両者の心にこれはよいと思われる」と云った人に向かって、「君は」と彼は謂いました、「両者の心にまで、われわれが間違っていると述べている」。
また別の人が、地方に伝わる伝説の一つを熱心に説明して、「彼女はヘーラクレースと交わった」と云ったとき、「もしかして」と彼が謂いました、「ヘーラクレースが彼女と交わったのじゃないかね」。
またある人が、髪が刈られる必要があると云ったとき、「いったいどうして」と彼は謂いました、「君にとって恐るべき、不名誉なことがしでかされるのだい」。
さらにまた、ある人が、夫婦喧嘩していると言ったときも、「国家の敵と」6.10 と彼は云いました、「喧嘩しているのか」。
また別の人が、自分の子供が病に責められていると云ったとき、「何の咎で」と彼は謂いました、「それとも、拷問しているやつは何を望んでいるのか」。
またある人が、「学問が進んでいる」と云ったとき、「プラトーンは」と彼は謂いました、「それをおまけと呼んでいる」。またある人が、何某が修練しているかどうか尋ねたとき、「ところで、どうしてなんだ」と彼は謂いました、わしに、わしが修練するかどうか尋ねたうえで、何某はと君が言うのは」。
7.1
ある人がアッティカ語めかして、「彼は死んでいるだろう」と3人称で云ったとき、「もっといいのは」と彼は謂いました、「呪うのなら、この世でもアッティカぶるのはやめるのが」。
さらにまた、「わたしはひとを赦す」という代わりに、「わたしはひとを大目にみる」と云ったひとに向かって、「まさか」と彼は謂いました、「狙ってしくじったのじゃあるまいね」。
またあるひとが「放す」と云い、また別の人が「放つ」と云ったとき、「これらは」と彼は謂いました、「われ関知せず」。
また、「さもあらずんば」と言うひとに向かっては、「これは」と彼は謂いました、「二重のご親切だ」。
さらにまた、ある人が「用いること」と云ったとき、「この言い廻しは」と彼は謂いました、「偽アッティカ語だ」。
また、「爾来」と言う 7.10 ひとには、「美しいのは」と彼は謂いました、「1年以上前(ejkpevrusi)と云うことだ。なぜなら、プラトーンが「その時まで(ejV tovte)」と言っているから」。
また、ある人が「見ろ」の代わりに「見よ」を使ったとき、「それぞれ別のことを」と彼は謂いました、「君は表している」。
またある人が「わたしは理解する」の代わりに「わたしは把握する」と言ったとき、「驚く」と彼は謂いました、「発言者を求めながら、求めているということをどうして君が否定するのか」。
また、ある人が「どんくさい」と云ったとき、「すばやいと同じではない」と彼は謂いました。
またある人が「重くする」と云ったとき、「君が思いなしている『重くする』という意味ではない」と彼は謂いました。
また〔ある人が〕「わたしは気づかなかった」を「われ気づかず」と言ったとき、「まれだ」と彼は謂いました、「その人たちの間で過たれている」。
7.20
また、数多くの人たちが、「飛ぶ」の代わりに「飛行する」と言ったとき、「名詞は飛翔に由来することを、われわれははっきり知っている」。
またある人が、「雄ドバト」をまさしくアッティカ語として云ったとき、「雄モリバトともいうことにしよう」と彼は謂いました。
またある人が、「レンズ豆を食した」と云ったとき、「いったいどうして」と彼は謂いました、「パコスをぱくつく者がいようか」。
以上が、ソークラテースにまつわる話です。
8.1
そこで、よろしければ、先ほどの力試しに立ち返りましょう。わたしが最善の〔言葉〕が総て行進するよう召喚し、あなたが判断してください。というのは、わたしの思うに、これだけ多くのことが次々と言われたのですから、これにあなたが耳を傾けて、今はもうできるでしょうから。
8.5
ソフィスト
おそらくは、今もできないだろうよ、君が言ってもね。ともかく云いたまえ。
8.7
いったい、どういうことですか。できないだろうとあなたが謂うのは。なぜなら、それらの判断の扉は、あなたのためにほとんど開けたあるのですから。
8.9
ソフィスト
8.10
それでは云いたまえ。
8.10
ルゥキアーノス
いや、もう云いました。
8.11
ソフィスト
なんにも〔いっちゃ〕いない。だからわしはわからない。
8.12
ルゥキアーノス
いったい、「開けたある」があなたはわからなかったのですか。
8.13
ソフィスト
わからなんだ。
8.14
ルゥキアーノス
はたして、わたしたちはどういうことになるのだろう、言われていることをあなたは今も聞き分けようとしないとしたら。じっさいのところ、あなたによって初めに口にされた事柄に対しては、騎兵を平地に呼び出した注1)とわたしは思ったのに。あなたはその騎兵を洞察しましたか。いや、どうやら、あなたはこの議論を気にかけていないらしい。とりわけ、8.20 わたしたちが今、彼ら自身に対して述べた言葉に対して。
8.20
ソフィスト
わしは気にしているんだよ、ところが君は、それを不明瞭に説明するんだ。
8.22
ルゥキアーノス
9.1
実際、「わたしたちの間で」のかわりに「自分たち自身の間で」というのはまったく不明瞭です。いや、それは明らかです。しかし、神々のうちのいずれの神も、あなたが無知であることをやめさせはしないでしょうが、少なくともアポッローンは別です。じっさい、あの〔神〕は、〔神託を〕尋ねる者たちすべてに託宣するのですが、あなたは誰が託宣しているのかも洞察しないのです。
9.5
ソフィスト
神々にかけて、そういうわけじゃない。わしはわからなかったのだよ。
9.6
ルゥキアーノス
すると、一つ一つが順繰りにあなたに気づかれないのですか。
9.7
ソフィスト
どうやら、そうらしい。
9.8
ルゥキアーノス
「一つずつ」はどうやって通過したのですか。
9.9
ソフィスト
9.10
それもわからんかった。
9.10
ルゥキアーノス
自分で結婚を求める人を誰か知っていますか。
9.11
ソフィスト
で、それがどうしたんだ。
9.12
ルゥキアーノス
「自分で求婚する」は語法間違いが必然だってことです。
9.13
ソフィスト
で、わしとの関係は何なんだ、求婚する人が語法間違いしているとして。
9.15
ルゥキアーノス
知っていると主張する人は無知だってことです。そして、これはこれだけのことです。しかし、もし、ひとがあなたのところにやってきて、妻を離縁すると言ったら、はたして、あなたはその人に許可しますか。
9.18
ソフィスト
いったい、どうして許可しないことがあろうか、明らかに不正されているのなら。
9.20
ルゥキアーノス
ところで、明らかに語法間違いをおかしているとしたら、あなたは彼にそれを許可するでしょうか。
9.22
ソフィスト
いいや、わしならしないね。
9.23
ルゥキアーノス
たしかにあなたの言うのは正しい。というのは、友が語法間違いをおかすことを許可してはならず、そういうことにならぬよう教えるべきだからです。そして、今まさに入って来るときに扉をがたがた音を立てたり、出かけるときにノックしたりする者がいたら、どんな目にあなたが遭うとわたしたちは謂うでしょうか。
9.27
ソフィスト
わしはどんな目にも遭わんが、その者は中に入りたがっているか、あるいは、出て行きたがっているのだと〔われわれは謂うだろう〕。
9.29
ルゥキアーノス
9.30
あなたは、ノックする者とがたがた音を立てる者と〔の違い〕に無知なために、無教養な者だから、全然どんな目にも遭わないとわたしたちは思うでしょうか。
9.31
ソフィスト
君は乱暴だよ。
9.32
ルゥキアーノス
何と言われる。わたしが乱暴ですって。今こそわたしはあなたの対話相手となるでしょう。どうやら、わたしは「今こそなるだろう」と語法間違いをおかしたようです、あなたは気づいていませんが。
9.35
ソフィスト
10.1
アテーナーにかけて、やめたまえ。それより、わしにもわかるよう、何かそういったことを云いたまえ。
10.2
ルゥキアーノス
いったいどうすればわかるのですか。
10.3
ソフィスト
どれだけのことを、わしに気づかれずに語法間違いをして君が謂っているか、そして、いかなる点でそれぞれが語法誤用されているか、すべてを君がわしに説明してくれたら。
10.5
ルゥキアーノス
とんでもないことです、おお、最善のひとよ。だって、この対話をわたしたちは長々とすることになるでしょうから。いや、これらについては、その一つひとつを訊くことはあなたに認められていません。今は、よろしければ、別の何かあることに進みましょう。先ず第一に、10.10 「何かあるもの」を有気音ではなく無気音で発音することそのことは、「別のもの」と合わせて口にされることは正しいように見えます。そうでなければ、不合理でしょうから。第二に、乱暴ということですが、わたしが<あなたに>乱暴だとあなたが謂うのは、わたしがそう言うのでなく、あなたに対して謂う場合には、特別な意味になります。
10.14
ソフィスト
わしとしては、云うべきことを持たない。
10.15
ルゥキアーノス
つまり、あなたに乱暴だというのは、殴打とか鎖とか、あるいはまた他の仕方によってあなたの身体に〔乱暴だ〕ということですが、あなたに対してというのは、あなたのものの何かに対して乱暴だということです。というのも、あなたの妻に乱暴する者は、あなたに対して 10.20 対して乱暴するのであり、子どもや友に〔乱暴する〕者や、少なくとも家僕に〔乱暴する〕者もそうです。ただし、物事についてあなたにそうであるのは別ですが。というのは、物事に対して乱暴であると言われるのは、例えば諺に対してのように、プラトーンが『酒宴』の中〔174B〕で謂っているとおりです。
10.24
ソフィスト
違いは洞察したよ。
10.25
ルゥキアーノス
それでは、次のことも洞察しますね。「これらを変える(uJpallavttw)」というのは語法誤用だと〔人々は〕呼ぶということも。
10.27
ソフィスト
いや、今にわかるだろう。
10.28
ルゥキアーノス
それはまた「替えること(ejnallavttein)」だと? 10.29
ソフィスト
10.30
わしには同じことを言っているように思われる。
10.30
ルゥキアーノス
いったいどうして、「変える」に「替える」が同じになるでしょうか、一方は別のものから別のものに、正しくないものから正しいものになり、他方は、有らぬものから有るものに〔なる〕のに。
10.34
ソフィスト
「変える」方は、普通の用語法に対して普通でない用語法のことであり、「替える」方は、時には普通の用法、時には普通でない用法とわかりました。
10.38
ルゥキアーノス
もう一度、洞察を麗しくなくはないものにしてください。10.40 で、あることに対して熱心であることは、熱心である人の固有の益を表し、あることに関して〔熱心である〕ことは、有るものに関するその人の〔益〕に熱心なのです。そしてこれらのことは、おそらくは混同されていますが、一部の人々の間では、おそらくは精確に使われているのでしょう。しかし、精確であることは、誰にとってもより善いことです。
10.44
ソフィスト
たしかにあなたの言うのは正しい。
10.45
ルゥキアーノス
11.1
さらに、「坐る」は「据える」と、「坐れ」は「据えていろ」と異なっているのが、はたしてわかりますか。
11.2
ソフィスト
わからん。〔しかし〕「腰を据えていろ」は外来語だとあなたが言っているのを聞いたことがある。
11.4
ルゥキアーノス
いや、あなたが聞いたのは正しいです。しかし、わたしが謂っているのは、「坐れ」が「据えていろ」と異なるということです。
11.6
ソフィスト
いったい、いかなる点で異なっているのですか。
11.7
ルゥキアーノス
前者、「坐れ」は、立っている人に向かって言われているのに、後者は座っている人に向かってである点で。
11.10
「坐っていなさい、お客人よ、われらはまた他の場所なりへ席を見つけよう」〔Od. XVI, 44〕は、「座り続けていなさい」の代用です。そこで、再び、「同じことを変更する」は誤りであると述べられたとしましょう。で、「わたしは座る」は「わたしは腰を据える」と、はたして結構小さな違いだとあなたに思われますか。前者、わたしが言っているのは「坐る」ですが、わたしたちは他の人にもするのですが、後者、「据える」は、わたしたち自身にだけ〔する〕のです。
11.16
ソフィスト
12.1
しかも充分に説明した。せめてはこれぐらい君は叩きこむべきだよ。
12.2
ルゥキアーノス
すると、別なふうに言っていたら、あなたは洞察できかったのですか。著者が何を言っているかあなたはわからないのですか。
ソフィスト
…………………………〔欠損〕
ルゥキアーノス
…………………………〔欠損〕
12.5
ソフィスト
君が同じことを言っているのを聞いて、今は完全にわかった。
12.6
ルゥキアーノス
「奴隷にする」も、おそらくあなたは「隷従する」と同じだとみなしていますが、少なからず異なるとわたしはわかりました。
12.9
ソフィスト
12.10
それはどんな違いですか。
12.10
ルゥキアーノス
前者、「奴隷にする」は別の人に対して、後者は自分自身に対して起こるということです。
12.12
ソフィスト
君は美しく言っている。
12.13
ルゥキアーノス
あなたには、学ぶべきことが他にも数多くあります。知らないのに自分では知っていると思わないならば。
12.15
いや、思いはしないよ。
12.16
ルゥキアーノス
それでは、残りのことはまたの機会に延期しましょう。今は、この対話をやめましょう。
2011.01.31. 訳了。 |