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偽ルゥキアーノス作品集成

驢馬

LouvkioV h] !OnoV
(Asinus)




[解説]

 『驢馬』と、アプレイウスの『変身』〔邦訳題名は黄金の驢馬〕と、失われた『MetamorfwvseiV』(パトラのLuciusによって書かれたとPhotiusによって考えられた)の作者問題の最も有益な説明は、B. E. Perryの「The Metamorphoses ascribed to Lucius of Patrae」と、P. Valletteのアプレイウスの『変身』のBudé校訂本の序説の中に見出される。

 Photiusの証言(Bibl. Cod. 129, Migne)は以下の通りである。

 わたしはパトラのLuciusの数巻本の作品『変身』を読んだ。彼の文体は透明であり、純粋であり、ひとを惹きつける。彼は言語の革新を避けているにもかかわらず、かれは驚異譚に尋常ならざる関心を持っており、ひとは彼のことをもうひとりのルゥキアーノスと呼ぶことができるほどである。とにかく、Luciusの最初の2巻は、多かれ少なかれ、ルゥキアーノスの『Lucius』あるいは『驢馬』という題名の作品から彼によって模写されたものである。あるいは、ルゥキアーノスがLuciusの巻本からその作品を模倣したのである。二者択一の後者がより可能性が高いのは、わたしが推測をほしいままにするならばである。というのは、〔Luciusの作品が〕より早かったとは、今までのところわれわれはいうことができないからである。というのは、ルゥキアーノスは、Luciusのいずれも浩瀚な巻本に、いわば、磨きをかけ、自分自身の特別な意図からして適切と考えられないところを削除し、原本の言い廻しや構成を用いつつも、1巻本に残った事柄を集め整えたのだが、その出典から奪ったものを『Lucius』ないしの『驢馬』と呼んだのだ。この二人の作家の作品は、架空の話と恥ずべき卑猥さに満ちている。しかしながら、ルゥキアーノスは、この書の構成に際し、自分の他の作品と同様、ギリシア人たちの俗信を嘲り笑いものにした。これに対しLuciusの方は、真面目であり、ひとりの人間から他の人間へ、また動物から人間へ、またその立ち返り、また、その他の古い物語のあらゆるばかげた戯言を信じていた。だから、彼はそのすべてを自分の話の織物に織りこんだのである。

 一般的に同意されていることであるが、『驢馬』とアプレイウスの『変身』のいずれもが、失われた作品から派生したというのは、以下の理由による:
 (1)『驢馬』とアプレイウスとの物語は、輪郭が同じであるばかりでなく、無数の言語上の並行を有している。(アプレイウスの改作が異なるのは、盛りだくさんの本題から外れた数多くの他の話を語ること、また、自伝的要素を持ちこんでいる点と、最後の数章で、イシスとオシリスへの好意を示していることである)。
 (2)アプレイウスはわれわれに告げている(1.1)、「Fabulam Graecanicam incipimus()」(この最初のギリシア語版もアプレイウスによって書かれたと示そうとする試みは、説得的でないことを証している)。
 (3)アプレイウスの版が、『驢馬』を水増ししたものでありえない所以は、『驢馬』24、36、38章を比較すればよい。これと並行するアプレイウスの節は、『驢馬』が概要の版でなければならないこと、それゆえ、アプレイウスと同じ"fabula Graecanica"から採られたに違いないことを示している。

 アプレイウスの中に見られる付加の話についての疑問は、困難なもののひとつである。何人かの学者は、いかなる独創性も彼に認めていない。ただし、彼の作品の最後を除けばである。もっとも、さらに人気のある見解は、追加の資料はすべてアプレイウスに由来するというものであるが。多分、最善の解決は、A. Lesky(Hermes, 1941, pp. 43 ff.)によって与えられている。彼の示唆では、余分の物語のいくつかは失われた原本に由来するというものである。

 『驢馬』のギリシア語はあまりに多くルゥキアーノスらしくないというので、たいていの校訂者はこれをルゥキアーノスの作品でないとして除外している。しかしながら、KnautとNeukammは、『驢馬』における格別にルゥキアーノス的な用法の厖大な一覧を集積した。Rohdeは、ルゥキアーノス的要素と非ルゥキアーノス的要素との連携を説明し、パトラのLuciusは、あるものから驢馬への変身について真面目に書いたこと、また、ルゥキアーノスはこの作品を要約し、パロディーを書いた、その際、末尾で、驢馬-人間に、自分はルゥキアーノスの敵パトラのLuciusであると告げるところだけ変えたことを示唆した。この独創的な理論が割り引いて考えられる所以は、(Photiusが何を言っているにせよ)失われた原本はおそらく真面目ではない(どちらの複製も徹底的にふざけた筆致を示している)、そして、ルゥキアーノスのパロディーは、たしかに、創始者としての悪意ある妨害の権利に満たされている。

 最も説得的な解説は、Perryのそれで、彼はPaulyの、原本の『変身』はルゥキアーノス本人によって書かれたが、その概要は他の人によってつくられた、という示唆を発展させた。もしも『変身』が、馬鹿正直で好奇心に満ちたふざけた諷刺だとしたら、これの作者として、『嘘好き』『本当の話』『シリアの女神』の作者つまりルゥキアーノス、とりわけ、Photiusが『変身』の文体について言っていることの見地からみて、以上に可能などんな作者がいようか? この理論は年代論的に可能である。とりわけアプレイウスの『変身』が彼の『Apologia』より後とみなされる場合には。主たる異論は、Photiusの証言の部分と矛盾するところにあるが、これが割り引いて考えられる所以は、失われた作品はおそらく信じやすく真面目なものではなく、その著者もパトラのLuciusではなく、著者は、自分が一時期驢馬であったと告白するようなあまり自尊心のない者らしい(「驢馬」には、ギリシア人にとって、われわれにとってと同じような、諺的な含意がある)。じっさい、Photiusは、c. 55中に与えられる驢馬-人間の名前が、著者の名前でもある、あるいは、題名がパトラのLucius「によって書かれた変身」(「……によって体験された」というよりは)を意味すると推測した際に、誤りをおかしたことも充分ありうるのである。

 しかしながら、数多くの現代の権威者たちは、Photiusは正しい二者択一を選んだこと、また、パトラのLuciusは、その年代については不一致であるにしても、ルゥキアーノスよりも前代の作家であると信じている。もしも彼らが正しいとするなら、『驢馬』はおそらく偽ルゥキアーノスの作品とみなさるべきであろう。その所以は、ギリシア語がルゥキアーノス本人にふさわしくないからではなく(ルゥキアーノスは、原本あるいはジャンルの俗悪なギリシア語を模倣することができると考えられている)、ひとはルゥキアーノスを単なる梗概作者として、あるいは、パロディーを書くときにこんな抑制を示すとして、あるいは、じっさい、剽窃者として(『Prometheus In Words』における剽窃の責任否認は、とりわけ彼の対話篇に言及する)、想像することがほとんどできないからである。しかしながら、『驢馬』の作者は、言い廻しの信じがたいルゥキアーノス的転換をしばしば示す。だから、ひとは彼〔この作者〕を比類ない才能を持った模倣者とみなすことができる。しかし全体的に見てもっと可能な二者択一は、『驢馬』の構成にはルゥキアーノス自身の手がいくぶんかは入っていること、そして、パトラのLuciusが作者であったという理論は、除外されるべきだということである。

 しかしながら、驢馬-人間の物語とその婦人の愛人という物語は、ルゥキアーノス以前に存在した。それはJuvenal(Satires, 6.334)に知られており、Cataudella(La Novella Graeca, pp. 152 ff.)は、最初期のミレトス物語に現れると推測している。それゆえ、われわれは、Perryの理論を受け入れるとはいえ、ルゥキアーノスの『変身』は完全な原本ではなく、初期の資料の改作の相当量を含み、これに彼が統一性と大いなる文学形式を与えたのだと考えるべきである。しかしながら、アリステイデースとかパトラのLucius(実在すればだが)といった先達に対する彼の負債は、おそらく、風刺的な対話篇におけるメニッポスに対する負債ほどに大きくはなかったであろう。

(M. D. Macleod)




"t1"
ルゥキオス、あるいは、驢馬

1.1
 かつて、わたしはテッサリアに赴いたことがある。かの地に、わたしの父から受け継いだある取引が、在地の人との間にあったのだ。馬はわたしと旅荷物を運び、下男のひとりが付き従った。こうしてわたしは予定の道を進んだ。たまたま、他にもテッサリアのヒュパタ市に赴く人たちがいた、その地の住人だったのだ。そして、わたしたちは塩を共有〔するほどに親しくなって〕、そういうふうにしてあの難儀な道をかせぎ、すでに市の近くにたどり着き、わたしはテッサリア人たちに、ヒュパタに住んでいる、1.10 名をヒッパルコスという人を知っているかどうか尋ねた。彼宛ての手紙を家から携行しているので、彼のもとに住めることになっていた。彼らは、そのヒッパルコスを知っている、市のこれこれに住んでいる、と言った。そして、たっぷりの銀子を持っているということ、ひとりの下女と、自分の妻をひとりだけ養っているということも。というのは、恐ろしいほどのけちだからである。さて、わたしたちが市に近くなったとき、ある菜園があり、その中に我慢できるほどの小宅があり、そこにヒッパルコスは住んでいた。

2.1
 さて、彼らはわたしに別れを告げ、わたしは扉に近づいて叩いた、するとやっとのことで、それもしぶしぶではあるが、とにかく女が聞きつけて、それからのろのろ出てきた。わたしは、ヒッパルコスは在宅かどうか尋ねた。
 「なかにいます」と彼女が謂った。「で、あなたは何者で、要件は何?」。
 パトラの知者デクリアノスから彼宛ての手紙をわたしは持ってきている。
 「ここで」と彼女は謂った、「わたしをお待ちなさい」。
 そして扉を閉めると、再び内に引っ込んだ。そして、やっとのことで出てくると、2.10 わたしたちに入るように命じた。そこでわたしも内に通って、彼に挨拶し、手紙を手渡した。たまたま、彼は夕食を始めようとして、狭い寝椅子に横になり、妻は彼の近くに坐っており、何もない食卓が側にあった。彼は、手紙を読むと、「いや、このデクリアノスはわしの親友で」と謂った、「ギリシア人の中でとびきりよくしてくれ、大胆にも自分の仲間をわたしのところに寄越してくれる。しかし、拙宅がいかに小さいか、おお、ルゥキオスよ、ごらんのとおりだが、住む者が提供できればありがたい。2.20 しかし、あなたが我慢して住んでくれたら、これを大邸宅にしてくれよう」。そして女中を呼んで、「おお、ヤワラ、予備の寝室を与え、何か旅荷物をもっておられたら、受け取って〔寝室に〕置け、次いでこの方を風呂に送れ。非常な道を来られたのだから」。

3.1
 こう云うと、小女のヤワラ嬢はわたしを案内し、わたしに最美な部屋を示した。そして、「あなたは」と彼女は謂った、「この寝台でお休みください、あなたの僕には、ここに藁布団を並べ敷き、枕を付けましょう」。こう云うので、わたしたちは入浴に出かけた、馬のために秣の代金を彼女に与えてから。すると彼女は受け取ってすべてを内に運んで収めた。わたしたちは入浴してから内に引き返し、すぐに通った。3.10 するとヒッパルコスはわたしと握手し、自分といっしょに横になるよう勧めた。夕食はそれほど粗末なものではなかった。ぶどう酒は甘く、古かった。夕食がすむと、客遇の夕食にふさわしいような飲酒と語らいがあり、じつにそのようにあの夕べを飲酒に与えて、わたしたちはやすんだ。次の日、ヒッパルコスは、今回のわたしの旅が何か、また、すべての日を自分につきあうつもりがあるのかどうか、わたしに尋ねた。わたしは謂った、「ラリッサに出向くのです、ここではどうやら3日ないし5日間すごせるようです」。

4.1
 しかしこれは表向きのことであった。じつは、わたしはここにとどまって、魔法を知っている婦女の誰かを見つけ出し、何か意想外なこと――鳥人間とか石人間とか――を見物することをはなはだ渇望していたのだ。この見物を恋い慕い、わたしは都市を歩きまわることにわが身を委ねたが、探求の端緒に行き詰まったまま、それでもやはり歩きまわっていた。そんなおりに、一人の女が近づいてくるのをわたしは目にした。まだ若い、道で出くわしただけで、裕福そうな女である。というのは、華やかな長衣、4.10 おびただしい召し使い、黄金を身につけていたからである。いよいよわたしが近くなったとき、女はわたしに挨拶し、同様に彼女に挨拶を返した。すると彼女が謂う、「わたしはアブロイア、あなたの母親のお友だちとお聞きかどうか。でも、彼女から生まれたあなたがたを、自分の産んだ子のように愛してます。それなのに、どうしてわたしのところで泊まらないの、おお、わが子よ」。
 「でも、あなたには」とわたしは謂った、「大いに感謝しますが、友なる人に何の落ち度もないのに、その人の家を避けるのは恥です。とはいえ、心で、このうえなく愛しい人よ、あなたのところに泊まります」。
4.20
 「それで、どこに行って」と彼女が謂った、「お泊まりなの」。
 「ヒッパルコスのところに」。
 「愛銭家のところですって」と彼女が謂った。
 「けっして」とわたしは云った、「そんなことを云ってはなりません。わたしには華美で非常に高価でした、だから人は贅沢のかどで告発するぐらいです」。
 すると彼女は微笑して、わたしの手をとって離れたところに連れて行き、わたしに向かって言う、「どうか用心してくださいね」と彼女は謂った、「ヒッパルコスの妻に対して、あらゆる手をつくして。というのは、彼女は恐るべき、淫らな魔法使いで、あらゆる若者たちに4.30 色目を使うのです。そして彼女のいうことを聞かなければ、これに術で報復し、こうやって多数の者たちを動物に変身させ、ある者たちは完全に破滅させたのです。あなたはまだ若い、わが子よ、そして、すぐに女を満足させられるほどに美しい、しかも、軽蔑されやすい存在の外国人です」。

5.1
 わたしはといえば、前々からわたしの探し求めていたものが、家に、わたしのもとにあることを聞き知って、もはや彼女には何の関心もなかった。それで、別れるや、宿に引き上げた。道々、自分に向かってこうしゃべりかけながら。「いざ、おまえ、あの意想外な見物を欲すると謂っていたおまえよ、わたしのために目を覚ませ、そして、おまえが恋する事柄を射とめられる賢い術知を見つけ出せ、そして、下女のヤワラ嬢めざして――というのは、宿主の妻や友からは離れていなければならぬから――すぐに脱衣せよ。そして彼女めざして前転し、5.10 稽古して、彼女と組み合えば、いいか、やすやすと知ることができよう。というのは、奴隷たちは、美しいことも醜いことも知悉しているのだから」。
 こういったことを自分に言い聞かせながら、家に入った。すると、家にヒッパルコスはおらず、彼の妻もおらず、ヤワラ嬢が竈のそばに坐っていた。われわれの夕食を準備していたのだ。

6.1
 そこでわたしはこういう件から取り上げ、「何とリズミカルに」とわたしは謂った、「おお、美しきヤワラちゃん、尻と料理鍋とを振り振りして傾けることか。腰がぼくたちのために滑らかに揺れ動く。そこに浸りきれるものは浄福かな」。
 すると彼女は――ひどく尻軽で愛嬌たっぷりの小娘だったので――、「逃げ出すことでしょうよ」と云った、「分別を持って生きながらえたいならね。ぎょうさんな火と煙でいっぱいなんだから。ここに触れるだけで、6.10 炎症の傷を受けて、ここのわたしのそばにへたり込んで、あんたの世話のできる者は誰もいない、医神でさえね。いえ、あんたに火を点けたわたしだけ。そして意想外なことだろうけれど、あたしはあんたがますます焦がれるようにさせ、世話から来る苦悩に水をやり、いつも堪え、石をぶつけられても、甘い苦悩から逃れられないでしょう。何がおかしいの。あんたが見ているのは厳格な人肉料理人。あたしがこしらえているのは、このつまらぬ食事だけではなく、この大きくて美しいもの、つまり人間を、あたしはわかっているの、屠殺し、皮を剥ぎ、切り刻み、6.20 その内臓と心臓を嬉々として掴むの」。
 「そりゃ、正しいよ」とわたしは謂った、「おまえの言うのは。というのは、ぼくは遠く離れていて、近づきもしてないのだから、ゼウスにかけて、火傷じゃなくて、大火事にぼくを遭わせたのだ。そしてぼくの眼を通しておまえの目に見えぬ火を、下へ、ぼくの内臓へ投げ込み、これをも燃えあがらせたのだ。何も不正していないのに。だから、神々にかけて、ぼくを癒しておくれ。おまえが自分で言うきつい快適な世話というやつで。そしてすでに屠殺されたぼくをとって、皮を剥いでくれ。6.30 おまえの望みどおりに」。
 すると彼女は、これに大きく、快く高笑いして、以後はわたしのものとなり、わたしたちの間で次のように手筈がととのった。主人たちを寝かしつけたら、内に、わたしのところにやって来て、いっしょに過ごすと。

7.1
 やがてヒッパルコスが帰宅したので、わたしたちは沐浴し、夕食をとり、われわれは語らいながら、しこたま飲んだ。次いで、寝入ったふりをして、起き上がると、事実、7.5 寄留しているところに引き上げた。内にあるものはすべて整えられていた。僕童には外に寝床がしつらえられており、食卓は寝椅子に寄せられて、飲み物を持っていた。そこに酒が入れられ、水は、冷たいのも熱いのも用意されていた。これはすべてヤワラの支度であった。7.10 敷布には、数多くのバラがまかれ、あるものはそのままむき出しだったが、あるものはむしられ、あるものは花冠に編み込まれていた。わたしは酒宴の用意を見出して、のみ友だちを待った。

8.1
 彼女は、女主人を床に就かせると、急いでわたしのもとにやってきた。わたしたちは酒と接吻を飲み交わして、陽気であった。飲酒によって、夜に向かって自分たちをよく準備した時、わたしに向かってヤワラが言う。「このことを、是非ともあんたに銘記してもらわねばなりません、おお、お若い方、あんたが転落したのはヤワラの中だってこと、だから、あんたは、今、演武してみせなければならない。あんたが威勢のいい壮丁(e[fhboV)のひとりなのかどうか、そうして、数多のヤワラの技をいつか学んだことがあるのかどうかを」。
 8.10
 「いや、ぼくがその吟味から逃げだすのを見ることはできまいよ。だから、脱ぎたまえ、そして、すぐにヤワラの試合をしよう」。
 彼女は、「こういうふうに」と謂った、「あたしが望む通りに、あたしに演武を見せてちょうだい。あたしが、師範や監督のしきたりにしたがって、ヤワラの技の好きなのを見つけて名前をいうから、あんたは聞き分けて、何でも命じられたことを実行するよう心掛けなさい」。
 「さあ、号令をかけたまえ」とわたしは謂った、「ヤワラの技〔の演武〕において、いかに造作もなく、またなめらかに、そして張り切っているか、心してみたまえ」。

9.1
 彼女は衣裳を脱ぐと、全裸になって立ち、それから号令をかけ始めた。「おお、お若い方、脱ぐ。それから香油を塗りこめて対戦相手と組み合う。〔先ず〕両腿の〔間〕から引きこみ、仰向けに倒す。次いで、両腿越しに相手の上になって押さえ込み、割って入って、持ち上げる。上で両脚を張る。そうやって緩めて、確保しておいて、そこに密着させる。挿入して、狙い撃つ。そして前に押し出して突き刺す。もうあらゆる方向に、おまえが〔相手が?〕疲れはてるまで。そして腰にものをいわす。次いで、引き出して、9.10 股の付け根の平たい部分に咬みつく。そして再び城壁に押し寄せる。次いで突く。そして弛んだのを目にしたら、そのときはもう組み付き〔a{mma、いわゆるクリンチ(clinch)〕で攻めて腰を繋いで揉み合う。しかし急がないよう努める。いや、暫くじっと辛抱して、〔相手のペースに〕合わせる。すでに試技は終了している」。

10.1
 わたしは、易々と聞き従い、わたしたちの柔の技を最後までし終えたので、ヤワラ嬢に向かって同時に笑いながら言う。「おお、お師匠さん、いかに手軽に、聞き分けよく、あんたのために柔の稽古をしたかは、あんたの見るとおりだ。けれど、気をつけたまえ、世間にない柔の技で挑発したのでないか。いや、というのは、あんたは次から次へと号令をかけるのだから」。
 すると彼女は、わたしの横っ面を殴って、「何ておしゃべりを」と彼女は謂った、「弟子に採ったことか。でも、気をつけなさい。号令をかけられたのでない〔技〕で柔をして、10.10 もっと殴打を喰らわないように」。
 そして、こう云うと、起き上がり、自分の身の始末をしたうえで、「さあ」と彼女は謂った、「あんたが若くて張り切った柔術家なのかどうか、そして、柔の仕方と股間のわざを知っているかどうか、みせてちょうだい」。
 そして寝台の上に跪き、「いざ、柔術家さん、あんたの真ん中のものが〔ここに〕ある。だから、鋭い〔武器〕を奮い立たせ、突き出す。ずぶりと刺す。ご覧、ここにある抜き身のもの、これを使うのよ。先ずは、理の当然だけど、組み付き(a{mma)のようにしがみつく。次に、反り返らせて突入する。10.20 揉み合う。隙間をつくらない。もし〔相手が〕弛んだら、前屈みになって、もっと速く、いきり立たせ、上へ上へと移動させ、叩く。しかし、命令されるよりも早く引き抜かないよう気をつける。いやむしろ、大きく背を丸めてあれを引き抜く。そして、今度は下で足がらみ(parembolhv)を仕掛けて、揉み合う。掻きまわす。次には、あれに暇をやってよい。だって、もはや倒れ伏し、ぐったり萎えてしまっていて、あんたの対戦相手も、びしょ濡れなんだもの」。
 わたしはもう大笑いして、「ぼくも」とわたしは謂った、「おお、お師匠さん、自分も少し柔の技のようなものを号令したい。今度はあんたが聞き従わねばならない。起き直って、10.30 座る。次に、手を洗うために残りを与える。拭う。そしてぼくを、ヘーラクレースにかけて、抱いて、もう寝させてくれ」。

11.1
 こういった快楽と戯れによって柔の技の競い合いをして、わたしたちは夜の競い合いに花冠をかちとり、ここには多大な愉しみがあった。そのため、ラリッサへの旅のことなどまったく忘れてしまった。そんなとき、わたしがやってきた目的のことを学ぶということがわたしの脳裡にうかび、わたしは彼女にむかって謂う、「おお、ヤワラちゃん、女主人が魔法を使うなり変身するところをわたしに見せとくれよ。その意想外な見物に前々からあこがれていたんだ。それよりももっといいのは、11.10 おまえが何か知っているなら、自分で魔法を使って、あるものから他のものの姿をわたしにみせてくれ。おまえもその術知に無経験ではないと思うのだ。これは他人から学んだことではなく、ぼく自身の魂から得たこととわかっている。というのは、ぼくのことを、以前から、金剛不壊の男と、女たちはそう言ってきたのだが、この眼はいかなる女にも恋情的に向けられることはなかったのに、おまえがこの術知によって捕まえて、虜として持っているのだから。恋の戦争による霊魂導師となってね」。
 しかしヤワラ嬢は、「やめて」と謂う、「冗談をいうのは。11.20 いったい、どんな呪いが、恋に魔法をかけられるというの。〔恋は〕術知の支配者だというのに。わたしは、おお、最愛のひと、そんなことは、あなたの頭とこの浄福の寝床にかけて、何も知らないの。文字さえ習ってないのだから、また女主人も、自分の術知についてはけちなんですもの。でも、わたしに好機が向いたら、持てる姿を変身するところをあなたに提供するようやってみるわ」。
 このときは、こういう次第で、わたしたちは眠った。

12.1
 その後、多日を経ずして、ヤワラ嬢がわたしに向かって報告する。自分の女主人が、小鳥になって、恋人のもとに飛んでゆこうとしていると。
 そこでわたしは、「今こそ」と謂った、「おお、ヤワラちゃん、わたしに恩恵を施す好機だ。それによっておまえ自身に対する嘆願者に、多年にわたる願望を終わらせることがおまえはできるのだよ」。
 「大丈夫」と彼女は謂った。
 それは夕方であった。彼女はわたしを連れて、12.10 あの人たちがやすむことにしている寝室の扉へと案内する。そして、扉の細い裂け目のようなものに近づき、中で何が起こるか気をつけているようわたしに命じる。なるほど、女が脱衣しているのをわたしは目にする。次いで、女は燭台に近づき、乳香を二粒取って燭台の火にくべ、立ったまま、燭台の前で長々とつぶやいた。次いで、どでかい櫃を開き、その中には非常にたくさんの小箱が入っていたが、そこからひとつを取りあげ、取り出した。彼女は、中に入っているものを取った。それが何かわたしは知らないが、彼女の様子からして、12.20 それは油であるように思われた。それを取って、下の爪から始めて、全身に塗りこめた。すると、突然彼女の両脇から翼が生え、鼻は角のように、禿鷲となり、その他の部分もすべて、鳥たちの持ち物や徴を持った。そして彼女は、自分に翼が生えたのを見ると、あの鴉たちのように恐ろしい声でガアガア鳴きながら、飛び立ち、窓を抜けて飛び去った。

13.1
 わたしはといえば、これは夢を見ているのだと思って、指で自分の眉に触れてみた。何を見ているのかということも、目覚めているのかということも、自分の眼が信じられなかったのだ。やっとのことで、遅まきながら、寝ているのではないと確信できたので、このときヤワラ嬢にわたしも翼がほしい、あの薬を塗りこめて、わたしが飛べるようにしてくれと頼んだ。というのは、人間から変身したら、魂も鳥になるのかどうか、体験によって知りたかったのだ。すると彼女は、部屋〔の扉〕を13.10 そっと開け、小箱を持って来た。わたしは急いですぐに脱衣して、自分の全身に塗りこめる、すると、不運にも鳥にはならず、わたしの後ろから尻尾が出てきて、ゆびはすべてどこか知らぬところに消え失せた。爪は全部で4つ、これらはほかでもない蹄となり、わたしの手と足は家畜の足となり、耳は長く、顔は大きくなった。ぐるりと見まわして、自分が驢馬なのを見たが、人間の声でヤワラ嬢を非難することはもはやできなかった。それでも13.20 唇を下に伸ばし、仕草そのもので驢馬のように横目に睨んで、鳥の代わりに驢馬になったことを、力のかぎり、彼女を責めた。

14.1
 彼女は両手で14.2〔自分の〕顔を叩いて、「なさけなや」と云った、「わたしは、大きな悪をしでかした。急いだために、小箱の等しさに誤り、翼を生やすのでない別の〔小箱〕を取ってしまった。でも、わたしのために元気を出してちょうだい、最愛のひとよ。これの手当てはたやすいのだから。というのは、薔薇を食べるだけで、たちどころに家畜〔の皮〕を脱ぎ、もう一度わたしにわたしの恋人にもどれるのだから。でも、わたしに、最愛のひとよ、この一夜の間、14.10 驢馬のままとどまって、夜明けになったら、わたしは走っていって、あなたのために薔薇を持ってこよう、そうすれば食べて直るでしょう」。彼女はこう云った。わたしの耳とほかの皮膚を愛撫しながら。

15.1
 わたしはといえば、他の部分は驢馬だったが、心と理性は、声を除けば、人間、あのルゥキオスだった。だから、この過ちにヤワラ嬢を、心中くどくどなじり、唇を噛みながら、わたしの馬や他の、ヒッパルコスのまことの驢馬が留め置かれているのをわたしが知っているところに赴いた。やつらは、わたしが中に入ってきたのを知って、自分たち共有の飼い葉をわたしが割り込んでくるのではないかと恐れ、耳を伏せ、脚で胃袋を防衛する15.10 構えを見せた。わたしもそれと悟って、飼い葉桶から遠く離れたところに立って、笑っていたが、わたしの笑いは、いななきであった。そこでこういうことを、わたしは心中に思いを致していた。「おお、この好奇心()periergivaの、何と時機を逸していることよ。一体どうなるんだ、もしも狼が入りこんできたら、あるいは、何かほかの獣が。わたしにとって危険なことだ、わたしは何も悪いことをしていないのに」。こういったことに思いを致していたが、不幸にも、将来する災悪をわたしは知らなかった。

16.1
 というのは、夜が更け、沈黙と甘い眠りが行き渡ったとき、囲壁が外側から、堀抜かれているような音を立てた。然り、掘り抜かれたのだ。やがて、人ひとり通れるぐらいの穴ができ、すぐさま人がこれを通り抜け、他の者も同様にして、多数の者たちが中に入り、しかも全員が剣を持っていた。次いで内に入り、それぞれの部屋の中にいたヒッパルコス、ヤワラ嬢、わたしの家僕を縛りあげ、もはや平然と、金銭、16.10 着物、調度類を外に運び出して、屋敷を空にした。こうして、内には他に何も残らなくなると、〔わたしと〕もう一頭の驢馬と馬とを取って鞍を置き、それから運び出したかぎりをわたしたちの背に結わえつけた。かくも大きな荷駄を運ぶわれわれを、棒で撲って駆りたてた。知られざる道によって山に逃れようとしているらしかった。さて、他の家畜たちがどんな目に遭ったか云うべきことを持たぬが、わたしはといえば、裸足で出かけ、鋭い岩の上を歩くことに慣れず、これほどの調度類を運んだので、破滅するところであった。そしてしばしば躓き、しかも倒れることを許されず、16.20 すぐさま他の者が後ろから太腿を棒で撲るのであった。だから、しばしば、「おお、皇帝陛下」と叫びたかったが、いななく声以外には何もなく、「おお」は非常に大きく発音も非常に明瞭に叫ぶのだが、「皇帝陛下」が続いて出なかった。いや、それどころか、まさにこのせいで、いななきによって彼らを密告しているとして、またしてもわたしは突かれた。だから、叫ぶのは無駄だとわかり、黙って前進し、撲られないのが得だと悟った。

17.1
 そうこうするうちに、すでに日も明け、われわれもまた数多くの山を踏破したが、わたしたちの口は口輪を装着されていた。道中草を食みまわって、食事のために〔時間を〕浪費しないためである。そのため、この日もまたわたしは驢馬のままであった。まさしく正午になったとき、われわれはとある農家でくつろいだ。行われていることから観察したかぎりでは、彼らの知己のものらしい。というのも、お互いに接吻をもって挨拶しあい、農家の家人たちは、彼らにくつろぐよう命じ、17.10 朝食を供し、われわれ家畜たちにも大麦を投げ与えたからである。そして彼ら〔家畜たち〕は朝食をとったが、わたしは、たしかにひどく飢えていた。とはいえ、大麦を生で食したことがなかったので、何であれ食い尽くせるものを捜した。すると、そこの中庭の背後に菜園を目にした。〔その菜園は〕数多くの美しい野菜を有し、その上に薔薇が見えた。そこでわたしは、内で朝食に忙しい連中のことをみな忘れて、菜園に赴いた。ひとつには、生の野菜で満腹しようとし、ひとつには、薔薇のためである。というのは、17.20 その花を喰えば、それ以後は人間になれると推測したからである。次いで、菜園に侵入して、レタスや、ダイコンや、セロリや、人間が生で食せるかぎりのもので満腹したが、あの薔薇は真の薔薇ではなく、野生の月桂樹から生えたものであった。これを人間どもは夾竹桃(Nerium Oleander〔Dsc.IV-82〕と呼び、これはあらゆる驢馬や馬にとって悪い食べ物となるものであった。というのは、喰ったものはたちどころに死ぬと謂われているからである。

18.1
 そのうち、園丁が気づいて、棍棒をひっつかむと、菜園に踏みこみ、敵である野菜荒らしを目にすると、悪党を憎む権力者が盗人をつかまえたように、そのようにわたしを、脇腹といわず太腿といわず所嫌わず棍棒でぶちのめし、あまつさえ、わたしの耳を張り飛ばし、顔を滅多打ちした。わたしはもはやたまらず、両脚で蹴飛ばし、野菜の上に仰向けに蹴り倒すと、18.10 山の上に逃れた。相手は、〔わたしが〕駈け去るのを見ると、大声で、犬たちをわたしにけしかけて解き放った。犬たちは、数も多く、大きさも大きく、熊たちと戦うに足るものたちであった。やつらはわたしをつかまえ、本当に引き裂くだろう、とわたしは悟り、しばし走りまわった後、諺にいう「悪く走るよりは駈けもどるがまし」というとおりの判断をくだした。だから後方に引き返して、もういちど農家に入った。彼らは、犬たちが駆け足で突進してくるのを待ち構え、繋ぎとめ、わたしを撲りつけ、苦痛のあまり、18.20 野菜をすべて下から上に吐き出すまで放さなかった。

19.1
 あまつさえ、道を進む刻限になったとき、彼らは盗品の中から最も重く最も多くをわたしの背に載せた。このとき、そこからはこのようにしてわたしたちは出発した。しかし、撲られ、重荷を載せられ、道のせいで蹄はすり減ってもはや疲弊してしまったので、わたしは決心した。ここで倒れてやろう、まさかわたしの喉を掻き切ることはあるまいから、殴打されても決して立ちあがるまい、と。これには目論見があって、わたしにとって大きな益があると期待したのである。すなわち、わたしは思ったのである。彼らが完全に負けて、19.10 わたしの調度類を馬と騾馬に分配し、その場でわたしを狼たちのために置いてけぼりにするだろうと。しかるに、いまいましいダイモーンめが、わたしの目論見を見抜き、逆に正反対の事態に到らせた。というのは、別の驢馬が、おそらくわたしと同じことを考えて、道に倒れた。連中は、はじめは棒で撲って、この哀れなやつに立ちあがるよう命令していたが、殴打にちっとも聞き従おうとしないので、ある者はそいつの耳をつかみ、ある者は尻尾を〔つかんで〕、起きあがらせようとした。しかし何の効果もなく、そいつは道に転がっている石のように疲弊しきって横たわっていたので、連中は19.20 こもごも、死んだ驢馬につきあうのは無駄な労苦であり、逃走に時間を費やすことに決め、そいつが運んでいた調度類はすべて、わたしと馬に分配し、虜の荷駄運びの協働者であるその惨めなやつはつかまえて、腿の付け根から剣でぶった切り、まだあえいでいるのを、崖から突き落とした。やつは、死の舞踏をしながら、落下していった。

20.1
 わたしはといえば、わたしの企ての最後を道連れの中に見て、足もとに横たわっていることに気高く耐え、熱心に歩もうと決心した。いつか必ず薔薇に行き合って、これによって自分自身に立ち返れるという希望をもったからである。しかも、盗賊たちから聞いた。道程の残りはもう多くはない、そこにとどまり、休めるだろうと。そのため、わたしたちはそれらすべてを駆け足で運び、夕方前に隠れ家にたどりついた。中には老女が20.10 坐っていて、火を多くの燃やしていた。連中は、あの、わたしたちが運んで来たばかりのものをすべて中に納めた。次いで、老女に尋ねた、「何でそういうふうに坐っているのか、朝飯の支度をしないのか」。「いや、みんな」と老女は云った、「あんたらのために整っている。たくさんのパン、古い酒の甕、20.16 おまけに野獣の肉も調理しといた」。彼らは老女を褒め、火の前で脱衣すると塗油し、大鍋の中に熱湯の入っている、そこから汲んで注ぎかけて、間に合わせの沐浴を使った。

21.1
 次いで、少し経つと、多数の若者たちが非常にたくさんの調度類を運んでやって来た。〔調度類の中には〕金・銀、着物、それに女や男用の多数の飾り物で〔満たされていた〕。この者たちはお互いに協力し合っていた。そして、それらを内に仕舞いこむと、この者たちも同じように沐浴した。それからその後で、人殺したちの酒宴の中で、多量の食事と多数語らいがあった。他方、老女は、わたしと馬に大麦を供してくれた。いや、やつ〔馬〕ときたら、大急ぎで大麦を呑みこんだ。21.10 尤もなことであるが、わたしが食事を共にすることを恐れたのである。わたしはといえば、老女が出て行くのを目にすると、内にあるパンを食した。翌日には、老女のために若者をひとり残して、残りの連中はみな外向きの仕事に出かけた。わたしは、自分自身と厳重な監視に溜め息をついた。というのは、老女なら、わたしにとって問題ではなく、彼女の目を逃れることは可能であった。しかし若者の方は大きく、みるからに恐ろしく、しかも常時剣を携え、常時扉を閉ざしていたのである。

22.1
 さて、3日後の、ほとんど真夜中ごろ、盗賊たちがもどってきたが、運んできたのは、黄金はもとより、銀も他に何もなく、ただ若々しくすこぶる美しい処女のみであった。彼女は泣きじゃくり、衣裳と飾りは引きちぎられてぼろぼろであった。連中はこれを内の藁布団の上に据えると、元気を出せと命じ、老婆にも、いつも内にいてこの少女を見張っているよう命じた。少女は何かを食べようとも飲もうともせず、22.10 いつまでも泣きつづけ、自分の髪の毛をかきむしっていた。だから、わたし自身も、飼い葉桶の傍近くに立ったまま、その美しい処女といっしょに泣いた。その間に、盗賊たちは外の門前で食事をとっていた。日が明けるころ、諸々の道を見張る役に当籤した者たちの一人が、報告にやって来た。見知らぬやつがここに近づこうとしている、多量の富を運んでいると。すると連中は間髪を入れず立ちあがり、武装すると、わたしにも馬にも鞍をつけて出発した。わたしは、不運にも、戦いや戦争に進発するのだと知って、22.20 ぐずぐずと前進した。そのため、駆り立てんとする連中に棒で撲られつづけた。さて、見知らぬ者が入ろうとしている道にわれわれがやってくると、盗賊たちは荷駄に襲いかかり、彼と彼の下男たちを殺害し、高価このうえない物をみな奪い取って、馬とわたしの上に載せ、調度類の別のものらは、そこの樹の中に隠した。次いで、そうやってわたしたちを後ろから駆り立てた。ところがわたしは、急かされ、棒で突かれるために、鋭い岩に蹄をぶつけ、この打撃でわたしにひどい傷ができた。22.30 そこでびっこを引きひき、そこから残りの道をわたしは歩いた。連中はお互いに言い合った、「いったい、この驢馬はいつも倒れてばっかりやのに、養うのがいいとわしらに思われとるんは、なんでや。こいつは縁起がよくないから、崖から棄てようぜ」。「そうじゃ」と〔別のひとりが〕謂う、「こいつを棄てよう。軍団の浄めになるやろ」。そして連中は、わたしに対する攻撃準備に入ろうとした。わたしは、これを聞いて、それから先は、傷を他人事のように踏んで歩いた。死の恐怖が、痛みに対してわたしを無感覚にしたのだ。

23.1
 さて、〔日のある〕うちに、わたしたちは宿泊地にたどりつくと、わたしたちの肩の調度類は剥ぎ取って入念に仕舞い込み、自分たちは席について食事をした。そして夜になってから、残りの調度類を救出するため引き返した。「この情けない驢馬を」と、彼らのひとりが謂った、「蹄がいかれた役立たずを、何でわしらは連れて行くんや。調度類は、一部はわしらが運ぼうぜ。残りは馬が」。そして、連中は馬を率いて立ち去った。その夜は月のおかげで最高に明るかった。こときわたしは、23.10 自分自身に向かって云った。「情けないやつよ、おまえはどうしてなおもここにとどまっているのか。禿鷹や禿鷹の子どもらがおまえを食べることだろう。やつらがおまえについてどんなことを企んでいるか聞こえないのか。崖に墜落したいのか。今は夜、月は明るい。連中は立ち去ってしまった。逃走して、人殺しの主人たちからおまえ自身を救え」。
 こういったことを心中に思いを致していて、わたしが誰にも縛られてもおらず、道々わたしを牽く革紐が、傍にぶらさがっているのを目にした。このことがわたしを、可能なかぎりの逃走へとさらに刺激し、わたしは駆け足で跳びだして立ち去った。老女は23.20 走り去るつもりなのを見ると、わたしの尻尾をつかんで、取りすがった。しかしわたしは、老女に取り押さえられるぐらいなら、崖や他のものらによる死の方がましだと〔心中に〕言いつつ、彼女を引きずった、彼女は、内にいる捕虜の処女を大声で呼んだ。彼女〔処女〕はといえば、出てきて、老女ディルケーがすがりついているのを目にすると、死にものぐるいの若者にふさわしい高貴な敢行に打って出た。すなわち、わたしに跳びつき、わたしの上にちゃんと座ると、走らせたのである。わたしもまた、逃走への恋と、乙女への熱情とによって、馬の走りで逃走した。老女の方は、後ろに23.30 置き去りにされた。処女はといえば、逃走によってわれを救いたまえと神々に祈った。わたしに向かっては、「もしもわたしを」と彼女は謂った、「父親のもとに運んでくれたら、おお、美しきおまえ、おまえを自由なものとしてあらゆる仕事から解き放ち、毎日の朝食に、大麦1メディムノスがおまえのものになるでしょう」。
 わたしとしては、自分自身の殺し屋たちも逃れられるし、救出されるはずの乙女からわたしへの多くの援助と世話も期待して、傷も気にせず走りに走った。

24.1
 だが、道が三つに分かれているところにたどりついたとき、もどってきた敵どもがわたしたちに追いつき、月〔光の〕おかげで遠くからすぐに、不運な捕虜たちだと認め、走り寄ってわたしをつかまえて言う、「おお、きれいで善良な処女(むすめ)さんよ、おまえさんはこんなにおそくにどこに行くの、あばずれめ。お化けたちも怖くないのか。さあ、こっちへ、わしらのところにおいで、わしらがおまえさんをお家に帰してやろう」。連中は嘲るように笑いながら言った。そしてわたしを方向転換させると24.10 後ろに従えて引っぱっていった。わたしは足と傷のことを思い出して、びっこを引きだした。連中は、「そうや」と謂った、「逃げるのを取り押さえられたとき、びっこだったか。うんにゃ、逃走するのがよいとおまえに思われたとき、おまえは健康で、馬よりも速く、飛ぶようだったよな」。こういった言葉に棒がつづき、その間、懲戒を受けてわたしは太腿に傷を受けた。わたしたちが再び内にもどったとき、老女が紐で岩から吊されているのを見出した。それは、処女の逃亡の責めを負い、尤もなことであるが、主人たちを恐れ、自分で首をくくって24.20 吊したのであった。連中は、老女の明敏さに驚嘆し、彼女〔老女〕の方は放免することにして、縛めをつけたまま崖から下に解き放ち、処女の方は、内に緊縛し、次いで食事をとり、長々と酒盛りをした。

25.1
 その間にも、すぐに乙女についてお互いに話し合った。「どうしたものか」と彼らのひとりが謂った、「逃亡嬢を」。「他に何があろうか」別の者が云った、「あの婆さんに続けて、あいつを突き落とすよりほかに。わしらから可能なかぎりの多くの財貨を奪い取り、わしら一味全体を裏切ったのやから。というのは、ええか、おお、友たちよ、あいつが家の連中にすがりついていたら、わしらの誰ひとり生きながらえられた者はいなかったろう全員が取り押さえられていたろう。敵の連中が支度をしてわしらに攻め寄せていたらな。25.10 そういうふうにして、わしらは敵意の報復を受けるわけや。いいや、そう易々と石の上に落ちて死なせてはならん。あいつには、最も苦痛で最も長びく死を — どんな死であれ、時間と責め苦のうちに見守り続け、しかる後にあれを亡き者にするのを、見つけてやろう」。
 次いで、彼らは死〔殺し方〕を詮議し、ある者が云った。「わしは巧みな思いつきをおぬしらが褒めてくれるだろうと思う。この驢馬を亡き者にせねばならん。怠け者であり、今はまた偽ってびっこのふりをしている、かててくわえて、処女の逃亡の下役にして家来となったのやから。だから夜が明けたらこいつの25.20 喉を掻き切って、胃の腑を切り開こう。そして、内臓はみな外に放り出し、この善い25.22処女をば、驢馬の中に居させよう。頭は驢馬の外に出してだ。そうすれば、すぐには窒息しないですむだろう。しかしその他の身体全体は内に隠される。そうすれば、横になったあれを厳重に縫いくるめて、これら両方を禿鷹たちのために外に放り出すことができる。これこそ新しくこしらえられた食べ物としてな。考えてもみよ、おお、友どち、責め苦の恐るべき様を。先ず第一に、驢馬の死体と同居すること、次に、夏の季節に、灼熱の太陽に25.30 家畜の〔死体の〕中で煮えたぎらされること、徐々に殺す飢えによって殺されること、しかも、自分では息をとめることもできないこと。というのは、腐敗してゆく驢馬の臭気と蛆虫に彼女がどれほどまみれるかという他のことは、わしは言うのを省こう。最後には、禿鷹たちが驢馬を通して内側まで入りこみ、あれをも、まだ生きながらえていても、おそらくはやつ同様にずたずたに引きちぎるだろうよ」。

26.1
 極悪非道なこの発案に、偉大な善きことに対するかのように、みなは歓声をあげた。わたしはといえば、長嘆息した。自分が喉を掻き切られて、幸せな死体として横たわることもなく、惨めな処女を迎え入れ、何も不正していない乙女の墓となることに対してである。
 しかし、まだ早暁、突然、多数の兵士が到来して、この血に汚れた連中を急襲し、たちまち全員を捕縛し、この地方の代官のところに連行した。たまたま、26.10 くだんの乙女の婚約者も彼ら〔兵士〕といっしょにやってきていた。というのは、盗賊たちの住み家をも訴えた本人だったからである。こうして、処女を引き取り、わたしの上に座らせ、こうして家郷へと連れて行った。村人たちは、まだ遠くからわたしたちを見るや、わたしがいなないて、彼らに吉報を先に知らせたからだが、〔わたしたちが〕無事と判断して、駆け寄ってきて喜び、内に導き入れたのだった。

27.1
 さて、処女は、わたしのことを大いに重んじてくれた。捕囚を共にし、逃走を共にし、自分と共通のあの死の危険に陥ったわたしに報いるためである。そしてわたしにはその所有者の女性<から>大麦1メディムノスをあてがわれた。しかしわたしは、ヤワラがわたしを魔術によって変身させたのが驢馬であって、犬ではないことを、このときほど激しく呪ったことはない。というのは、犬どもが台所に入りこんで、27.10 多くのものらを、富裕な花嫁花婿の婚礼用のものまでもたらふく食っているのを見出したからである。さて、多日を経ず、婚礼の数日後、女主人が、わたしへの感謝を父親の居るところで謂ったとき、父親もまた当然の返報によってわたしに報いんと欲し、戸外で自由に解き放たれ、雌馬の群とともに放牧されるよう命じた。「というのも、自由人のように」と彼は謂った、「あれは快楽の内に生き、雌馬たちにのしかかるだろうて」。そのとき、これこそは最も義しい返報に思われた。事件が驢馬の裁判員にかかればだが。とにかく、馬丁のひとりを呼んで、27.20 これにわたしを預け、わたしは、もはや重荷を運ばなくていいことに感謝した。こうして、われわれが農場に着くと、牧夫はわたしを雌馬たちに混ぜ、われわれを一群として牧場に連れて行った。

28.1
 ところが、ここでもまた、カンダウレースのような目にあたしも遭わなければならなかった。というのは、馬たちの監督は、自分の妻メガポレーといっしょにわたしを内に残していった。この女は、わたしに挽き臼の軛をつけ、おかげで、小麦も大麦もみな彼女のために挽くことになったが、自分の監督たちのために〔挽き臼を〕ひくのは、感謝の念をいだいている驢馬にとっては、まだしも程ほどの災悪にすぎなかった。この最善の〔女の鑑の〕女は、かの諸農場の他の人たち — その数は非常に多かった — からまで、賃料として麦粉を要求して、わたしの惨めな首を貸し出し、28.10 わたしの朝食のはずの大麦は、炒って、そのためわたしには〔その大麦を〕挽くことを付け加え、全体をケーキに作って、〔自分が〕呑みこんだ。わたしの朝食は糠であった。牧人がわたしを雌馬たちといっしょに駆り出すときはいつも、撲られ、雄馬たちに蹴られ、咬まれ、半死半生の態であった。というのは、いつもわたしのことを、自分たちの妻たちの姦通者だと猜疑して、人目を盗んで両〔後足〕で蹴って追いはらい、おかげでわたしは馬の嫉妬に堪えられなくなったのである。こうして、長い時も経たぬうちに、わたしは痩せて見る影もなくなった。内でも28.20 挽き臼に心楽しまず、戸外で草を食んでいても、いっしょに草を食むものたちによって喧嘩を仕掛けられるからである。

29.1
 かててくわえて、わたしはいつも山の上に遣わされ、肩に材木を運ぶことになっていた。しかしこれこそ、わたしの災悪の頭であった。先ず第一に、高い山に、恐ろしいほど険しい道を、次にはまた、石がちの山を裸足〔蹄鉄なし〕で、登らなければならなかったからである。しかも、わたしといっしょに遣わされたのが驢馬使いが、忌々しい僕童であった。こいつがわたしを新たに、その都度半死半生にした。先ず第一に、わたしが懸命に走っていても、撲りつけた。〔それが〕単なる棒によってではなく、びっしり節のある鋭い〔棒〕であって、それも、いつも腿の同じところを撲るので、29.10 わたしの腿はその部分で棍棒のせいで口を開いた。やつはいつもその傷を撲った。次に、象でさえ運ぶのは困難なほどの荷をこいつはわたしの上に載せた。しかも上からの下りは急であった。しかしやつはここでも撲りつけた。もしも、わたしの荷が片寄って、片側にずり落ちそうなのを見た場合には、薪を取り去って、軽い方に追加して均等にする必要があるのに、こいつはそんなことは決してせず、道から大きな岩石を担ぎ上げて、軽くて上の傾いたところに加えて載せるのだった。29.20 こうして惨めなわたしは、薪と無駄な岩石とをいっしょに運びまわって下るのだった。道中には水の涸れることなき川もあった。やつは履き物を惜しんで、わたしの薪の上に坐ったまま、その川を渡るのだった。

30.1
 もしも、衰弱と重荷のために倒れるような時があれば、その時こそ恐るべき堪えがたい事態となった。というのは、その時こそ手をわたしにかし、わたしを地面から助け起こして、荷を取り去る好機である、にもかかわらず、手をかすどころではなく、〔鞍の〕上から、頭、耳から始めて、わたしを棒で、その殴打がわたしを起きあがらせるまで、打ち据えるのだった。かててくわえて、他にも災悪をわたしに仕掛けてやつは戯れていたが、堪えがたいのは次のものだった。このうえなく鋭い茨の荷を集めて、これを縄で束ねて、30.10 背後から尻尾に吊した。これらの茨は、当然のことながら、道を往くと、吊されているのだから、わたしに襲いかかり、わたしの後ろを所嫌わず突き刺して傷つけた。じっさい、わたしには自衛のすべがなかった。傷つけるものが常時わたしについてきて、わたしにぶら下がっているのだから。というのは、茨の襲撃から身を守るため、そろそろ進むと、棒で半死半生にされ、棒を逃れようとすると、その時は恐るべきものが背後から襲いかかるのだった。要するに、わたしの驢馬使いはわたしを殺すことを仕事としていたのだった。

31.1
 ある時、一度だけ、あまりに多くの災悪をこうむり、もはや堪えられなくて、やつを足で蹴飛ばしたことがあるが、この蹴飛ばしを、やつはいつまでも記憶にとどめていた。そして、あるとき、麻屑を、別の土地から別の土地へ移送するよう命ぜられた。そこで、わたしを連れて行き、多量の麻屑を集め、わたしの上に緊縛した。つまり、苦痛の多い縄でわたしにその荷を厳重に縛りつけた。わたしに大きな悪計を企んでである。で、それから先は前進するという段になって、竈からまだ熱い薪を盗んで、31.10 中庭から遠ざかってから、その薪を麻屑の中に包みこんだ。これに — いったい他に何が起こり得ようか — すぐに火がつき、それから先は、強大な火を運んでいるも同然となった。そこで、たちまちわたしは焼けてしまうとわかったので、道の深いぬかるみに行き合ったので、その最も湿ったところにわが身を投げ出した。次いで、そこに麻屑を転がし、踏みつけ、わが身を転がしもして、あの熱くて、わたしにとってつらい荷を消火して、そうやって、それから先は道程の残りを危険なく歩んだ。というのは、31.20 麻屑が湿った泥にまみれたために、もはやわたしに火をつけることは僕童にはできなかったからである。だが、この件をも、この無謀な僕童は、帰ってから、わたしが通りすがりにわざと火に跳びこんだからと云って、誣告したのである。そして、このとき、望んでもいないのに、わたしは麻屑〔を運ぶ仕事〕からは外れたのである。

32.1
 しかしながら、この忌々しい僕童は、わたしに対してはるかに悪いことを案出した。例えば、わたしを山に連れて行き、わたしの上に薪のどでかい32.4 荷を載せ、これを近くに住んでいる百姓に売りつけ、わたしは裸で薪のないまま家に連れ帰って、自分の主人に向かって、神法に悖る仕業をわたしのせいにして誣告した。「こんな驢馬を、ご主人、わしらがどうして飼っているのか、わかりませんぜ。恐ろしいほどの粗野でのろまなんでがすから。いまにきっと他の事まで32.10 しでかしますぜ。美しくて若い処女の女とか少年とかを見るや、〔わしを〕蹴飛ばして、駆け足でそいつらについてゆくのでがす。人間の男が恋するときのように、恋される女の方に衝きうごかされてね。そして唇の恰好をして咬み、接近するよう強いるのでがす。きっと、これがために、あなたさまに裁判沙汰や面倒をもたらすでがしょう。あらゆるものが暴行され、あらゆるものが引っ繰り返されるんでがすから。というのも、今も薪を運んでいやしたら、農場へと帰る女を見て、薪はみんな振り落として地面に撒き散らし、女を道に引っ繰り返して、合歓しようとしやした。32.20 みんながあちこちから駆け寄って、女を守ったのでがす。こいつの美しき恋情によって引き裂かれないようにな」。

33.1
 彼〔主人〕はこれを耳にして、「ふーむ、歩もうともせず」と彼は謂った、「荷を運ぼうともせず、人間的な恋情で女たちや少年たちにいきりたって恋するなら、やつの喉を掻き切って殺してしまえ、そして内臓は犬どもにくれてやり、肉は百姓たちのためにとっておけ。そして、どうしてやつが死んだのかと問われたら、これを狼のせいにしておけ」
 むろん、この忌々しい僕童、わたしの驢馬飼いは喜び、たちどころにわたしの喉を掻き切って殺そうとした。ところが、そのとき近隣の百姓たちのひとりが、実際たまたまであったのだが、居合わせた。この人が、33.10 恐るべきことをわたしのために助言して、わたしをその死から救ったのだった。
 「絶対に」と彼は謂った、「挽き臼を挽くことも荷運びもできる驢馬の喉を掻き切っちゃ、なんね。じっさい大層なことじゃねえ。というのは、人間どもへの恋と牛虻に憑かれとるだに、やつをつかまえて去勢するがええ。この扇情的な衝動を取り除かれさえすりゃ、じきにおとなしくなって太るじゃろうし、大きな荷を、不平もいわず、運ぶじゃろうて。もしもその治し方の経験があんさん自身にないのなら、二、三日中にここにやってくるさかいに、あんたのために33.20 切除して、こいつを羊よりも慎み深くしてやるべ」。
 こうして、内にいた彼らはみな、その言やよしと、その助言を褒めそやしたのであるが、わたしはといえば、早くも、驢馬の内なる男をたちどころに失うとおもって涙を流し、男女(おとこおんな)になるのだったら、もはや生き甲斐なしと謂ったのだった。それゆえ、わたしは決心したのであった。これからは食を完全に断つか、あるいは、山から身を投げよう。そうすれば、悲惨な死に斃れようとも、なお五体完全で、まぎれもない死体のままで死ねるだろうと。

34.1
 さて、夜が更けて、ひとりの使いが村から農場と農家にやってきた。〔その使いが〕言うには、盗賊たちの手に落ちたことのあるあの花嫁の娘と、彼女の花婿とについて、彼らが夕方おそく連れだって浜辺を散歩していたところ、突然海が氾濫して、彼らを引っさらい、姿を見えなくした、これが彼らの災難と死の顛末であるという。そこで連中は、もはや家は34.10 若い主人たちがいなくなったと同然、もはや奴隷状態にとどまることなく、内にある物をみな掠奪して、逃亡に救いを求めた。馬たちの牧人は、わたしをも引き出し、可能なかぎりのすべてを掻き集めて、わたしと雌馬たちと他の家畜の上に縛りつけたが、わたしとしては、真の驢馬の荷を運ぶのは心外であった。とはいえ、わたしの去勢に対するこの邪魔をわたしは喜んで受けいれた。そして夜通し難路を行き、さらにもう3日間の道程をたどって、わたしたちはマケドニアの34.20 大きくて人口の多い都市ベロイアにたどりついた。

35.1
 わたしたちを引き連れた連中は、自分たちもここに腰を落ち着ける決心をした。そこでまさにこのとき、われわれ家畜の売り立てが行われ、景気のいい競売人が、市場の真ん中に立って、布令した。寄り集まってきた者たちが、わたしたちの口を開いて見ようとし、めいめいの歯によって年齢を見抜き、彼ら〔家畜たち〕の方は各人各様に買っていったが、わたしの方は後に売れ残り、競売人が、もう一度家に連れ帰るよう命じた。「見なせい」と彼が謂った、「こいつだけは主を見つけられなんだ」。だが、多くのものをしばしば引きずり回しては35.10 変換させる女神ネメシスは、わたしにも主人を導きたもうたが、それはわたしが祈願することはありえないような人物であった。というのも、それは年老いた閹人(kivnaidoV)で、シリアの女神〔=AtavrgatiV〕を村々や諸々の農場に運びまわり、この女神に施しを強要する連中のひとりであった。わたしはこの人物に、30ドラクマというきわめて高値で買い取られた。そして溜め息をつきつつ、率いる主人にすぐについていった。

36.1
 さて、ピレーボス — これがわたしの買い主の名前であった — が住んでいる所にたどりつくと、すぐに扉の前で大声で叫んだ、「おーい、娘っ子たち、おまえたちのために美しくてどでかくて、カッパドキア生まれの奴隷を買ってやったぞ」。この娘っ子たちとは、ピレーボスの同業の閹人たちの一群のことであったが、皆がみな拍手喝采した。それというのは、買われたのは本当の人間だと思ったのだ。ところが、奴隷が驢馬なのを見て、そのことをすぐにピレーボスに難詰した、「こいつは36.10 奴隷じゃなくて、おまえさんの花嫁だ。どこから連れて来たんか。この美しき結婚に恵みのあらんことを。おまえさんはわれわれに、こいつのような子馬をじきに産んでくれることだろうよ」。

37.1
 そして彼らは笑った。次の日に、彼らは、自分たちで言うところでは、任務のために配置につき、女神を盛装させてわたしの上に載せた。次いで、われわれは都市から進発し、その地方を巡回した。そしてとある村に侵入すると、女神を運んでいるわたしは立ちつくし、笛吹きが神憑った讃歌を吹き、彼らは神紐(mivtra)をかなぐり捨てて、頭を下方に、首のところでぐるぐる回し、剣で腕を切り、37.10 めいめいが歯の間から舌をつきだしてこれをも切り取り、そのためたちまちあらゆるものが柔らかい者の血で満たされた。わたしはこれを見て、初めは、いつか、この女神に驢馬の血の必要性も生ずるのではないかと、立ったまま戦慄した。こういうふうにして自分たちを切り取ると、まわりに立っていた見物人たちから、オボロス貨幣やドラクマ貨幣を集めた。他の者は干し無花果や酒壺や乾酪、驢馬にメディムノスの小麦や大麦をを施した。彼らは、これらから糧を得、わたしの上に運ばれる女神を世話していたのである。

38.1
 そして、われわれが彼らのとある村に侵攻したとき、背の大きな若者の村人を餌食として、ちょうど宿泊していた中に連れこんだ。それから、この村人から、こういった不敬な閹人たちには馴染みで愛しいかぎりのことを経験した。わたしは、自身の変身に苦悶し、「これほどまでの災悪を許されるとは、おお、残酷なゼウスよ」と叫びたかった。しかしわたしの声はわたしの叫びとならず、喉からは驢馬の声が出、それもわたしは大きくいなないたにすぎなかった。38.10 ところが、このとき、村人たちの幾人かが、たまたま、驢馬を見失い、その見失ったのを捜していたが、わたしが大きく叫んだのを聞きつけて、わたしが彼らのものだと〔思って〕、誰にも何も言わずに内に忍びこんだ。そして、中で言うも憚れる所業に及んでいた閹人たちを取り押さえた。そして、侵入者たちの間から大笑いが起こった。〔村人たちは〕外に走り出ると、聖職者たちのいう淫行の噂を村中に広めた。しかし彼らは、事が露見してしまったことを恐ろしく恥じて、その夜のうちにそこから進発し、そして38.20 道中の人気のないところに到ると腹立たしくなり、彼らの秘儀を漏らしたとしてわたしに怒りを向けた。言葉で悪く〔いわれるのを〕聞くという、この恐るべきことには我慢できたが、その次に起こったことにはもはや我慢ならなかった。というのは、女神をわたしから奪い取り、地面に安置して、わたしの敷物をすべて剥ぎ取ってすっかり裸にし、わたしを大きな樹に縛りつけ、次いで趾骨でつくられたあの鞭で、すんでのところで死ぬほど撲り、以後は無言で女神を運ぶようわたしに命じたのである。あまつさえ、鞭の後で喉を掻き切ることさえ 38.30 彼らは企てたのである。自分たちを多大な暴虐に陥れたゆえ、また、その村での任務遂行しないうちに追い出したゆえというのである。38.32 しかしながら、わたしを殺害しなかったのは、女神が、地面に安置されたまま、道中をつづけるすべがないことを、彼らを恐ろしく恥じ入らせたからである。

39.1
 こうして、鞭打ちの後、そこから女主人を取って、歩き、すでに夕刻ごろ、富裕者の地所についてやすんだ。その人は内にあり、大いに喜んで女神を家に歓迎し、彼女に供儀をささげた。ここで、わたしは大いなる危険に瀕することを知った。というのは、この地所の友たちの一人が、贈り物として主人に野生驢馬の太腿を贈った。これを料理人が調理のために受け取ったが、うっかり失った。多数の犬どもがこっそり忍びこんだためである。39.10 この男は、太腿を失ったせいで、数多の殴打と責め苦を恐れ、みずから首を吊ろうと決意した。ところがこの男の妻が、わたしの定めを越えた災悪であるが、「いいえ、死んではいけないわ」と云った、「おお、最愛のひと、こんな落胆に身を委ねてもいけないわ。というのは、わたしのいうことを聴けば、万事はうまくゆくわ。閹人たちの驢馬を人気のない場所に連れだし、そこでそいつを屠殺して、その部分は太腿として切り取り、ここに運び、調理して御主人に渡すの、そして驢馬のその他の部分はどこかの溝の中に放り投げるの。39.20 きっと、どこかに逃げ去って、いなくなったと思われるわ。どんなにいい肉で、あの野生獣のよりはあらゆる点でいいか、あなたはわかるは」。
 すると料理人は、妻の企みを誉めたたえ、「最善だ」と謂った、「おお、妻よ、おまえのこの〔企み〕は。そしてこの仕業によってのみ、わしは鞭を逃れられる。これはわしによってすでに成就されたも同然だ」。
 こうして、この不敬な男は、わたしの料理人として、わたしの傍に近づいてきたのだが、以上のことを妻と共謀していたのだ。

40.1
 これに対してわたしは、何が出来するかすでに予見していたので、小刀から自分を救出するのが最善と判断し、革紐をぶっちぎると、跳びはねながら、駆け足で跳びだしたが、そこでは閹人たちが地所の主人と食事しているところだった。ここに駆けこみ、跳ねまわって、燭台も食卓も、あらゆるものを引っ繰り返した。わたしとしては、これによってわたしの救いに到る何か賢しらな途を見つけられる、そして、地所の主人が、わたしを疳の強い驢馬として、40.10 どこかに閉じこめて安全に守るよう、すぐに命令してくれると思ったのだ。ところがこの小賢しさは、わたしを危険の極みに陥れた。わたしが狂ったと受け取って、すぐに数多の剣と槍、長い棍棒までを、わたしめがけて抜き放ち、わたしを殺そうとする有様であった。わたしは恐るべき事態の大きさを見て、駆け足で跳びだし、わたしの主人たちが寝るはずのところに駆けこんだ。彼らはこれを見届けてから、扉を外から厳重に閉ざしたのである。

41.1
 すでに夜明けになってから、わたしは女神を再び担ぎ上げ、乞食坊主たちといっしょに立ち去り、わたしたちは別の大きな、人口の多い村に到着したが、ここでまた、彼らは新たな怪異譚を惹き起こした。女神が人間の家にとどまり、あの人たちの間でとりわけて崇拝されている在所のダイモーンの神殿に住むことになったのである。彼ら〔村人たち〕は大変に喜んで、この外国の女神を歓迎し、自分たち自身の女神といっしょに住まわせ、われわれには貧乏な人間たちの家をあてがった。ここで、主人たちは 41.10 何日もつづけて過ごした後、近くの都市に立ち去ろうとして、女神の返還を在所の人たちに頼み、自分たちで境内に入りこんでこれを運び、わたしの上に載せて外に出た。ただし、この不敬な連中は、ちょうどその神域に入りこんだ際、奉納物の黄金の酒杯を盗み、これを女神の中に隠して窃取したのである。ところが村人たちがそれと察知して、ただちに追いかけた。次いで、近くになって、馬から跳び降り、道中で連中を取り押さえ、罰当たり、神殿荒らしと呼んで、41.20 盗まれた奉納物の返還要求し、あらゆるものを探索して、女神の胸腔の中にそれを発見した。そこでこの男女(おとこおんな)たちを縛りあげて後ろに引き連れ、この連中は獄舎に投げこみ、わたしの上に運ばれていた女神は取り上げて、他の神殿に与え、黄金製品は都市の女神に再び返還したのであった。

42.1
 次の日には、調度類とわたしとを売却することに決定し、わたしを外国人 — 近隣の村に住み、パンを焼く術を持った者 — に売り渡した。この男は、わたしを買い受け、小麦10メディムノスを購入すると、その小麦をわたしの上に載せ、自分の家へと難路を出発した。そしてわたしたちがたどりつくと、わたしを粉碾き所に案内し、わたしは中におびただしい数の奴隷仲間の家畜を目にした。そして多くの挽き臼があり、皆がみなそれら〔家畜〕によって回転させられていた、そして何もかもが粉まみれ 42.10 であった。このときは、わたしはいわば外国の奴隷のようなもので、またこのうえなく重い荷を担ぎ上げて、難路をたどりついたようなものとして、内で休息するがままにさせたが、次の日には、わたしの目に麻布を垂らし、わたしを挽き臼の長柄を軛にかけられ、次いで出発させた。わたしとしては、どのように挽かねばならないか、しばしばの経験から知っていたが、知らないふりをした。しかし無駄な希望であった。というのは、内にいる多数の連中が、杖を取り、わたし — 目が見えないのだから思いもかけぬ — の周りに立ち、腕力に任せて一斉に撲りかかり、そのせいで、わたしは殴打によって 42.20 突然独楽のように回転したのである。こうして、経験からわたしは知った。奴隷は主人の必要とする事柄を、主人の手を待つことなく、しなければならないのだ、と。

43.1
 こうしてわたしはすっかり痩せ、身体も弱くなったので、わたしを主人は売り払うことに決め、菜園づくりの術を持った人にわたしを売り渡した。つまりこの人は菜園を持っていて、耕作することができたのだ。そしてわたしたちはそれを仕事とした。この主人は、早暁からわたしの上に野菜を載せて、市場に運び、これを購入しようとする人たちに売り払い、再びわたしを菜園へと引いていった。次いで、その人は掘ったり、植えたり、植物に水をやったりし、わたしはといえば、その間 43.10 仕事もなく立ちつくしていた。しかし、わたしにとってはこのときの生活は恐ろしいほどの苦痛であった。先ず第一に、すでに冬になると、あの人も自身のために敷布を購入することもできず、ましてわたしにはいうまでもなく、わたしは裸足で、ぬかるみや、堅くて鋭い氷を踏み歩み、二人のすることは、苦くて堅いレタスを喰うことだけだったのだ。

44.1
 そしてある時、わたしたちが菜園に出かけたとき、兵隊の服をまとった男に行き合い、最初、彼はわたしたちにイタリア人(びと)たちのことばで話しかけ、驢馬のわたしをどこへ連れて行くのか、園丁に尋ねた。だがこちらは、わたしの思うに、発音の心得がないのであろう、何も答えなかった。すると相手は、無視されたと思って怒って、鞭で園丁を殴り、こちらも相手に組みつき、足を引っぱって道に引きずり降ろし、44.10 そうやって倒れたところを、手でも足でも、また道にあった石でも撲りつけた。相手は、初め、抵抗もし、起きあがったら戦刀で殺してやると脅しもした。こちらは、当の相手に咬まれたかのように、最も安全な方法だが、彼の戦刀を抜いて、遠くに放り投げ、次いで、倒れているのを再び撲りつけた。相手は、この災悪にもはや堪えられないと見て、殴打によって死んだようなふりをした。こちらはこれに恐れをなして、相手はそこに倒れたまま置き去りにし、戦刀はわたしに運ばせて町へと逃げ去った。

45.1
 さて、わたしたちが〔町に〕着くと、自分の菜園はある同業者に耕すよう預け、自分は、道々起こる危険を恐れて、わたしといっしょに、街の知己の一人のところに隠れた。次の日、以下のようにするのがよいと彼らに思われた。彼らはわたしの主人の方は櫃の中に匿って、わたしの方は足を〔括って〕担ぎ上げ、梯子を使って、上階の住み家〔屋根裏部屋〕に運びあげ、そこにわたしももろとも上に閉じこめた。他方、兵士の方は、このときやっと道から立ちあがり、噂では、45.10 殴打のせいでよろめきながら、町にたどりつき、自分の仲間の兵士たちにたまたま行き合い、園丁の狂気の沙汰を言う。彼らは彼といっしょに出かけ、われわれが隠れているところを知り、町の執政官たちを連れてくる。彼らは、45.15 下役の一人を内に遣わし、内にいる者全員外に出てくるよう命じる。そこで出てきたところ、園丁はどこにも見当たらなかった。そこで兵士たちは、内に園丁はいない、またやつの驢馬のわたしもいないと謂った。彼ら〔同業者たち〕も、他には何も、人間も驢馬も 45.20 残っていないと言った。そこで、このことをめぐって路地で騒ぎと、大変な叫び声が起こったので、気高くて、万事につけて好奇心旺盛なわたしは、窓を通して、上から下を覗きこんだ。すると彼ら〔兵士たち〕がわたしを見て、すぐに叫び声をあげた。こうして彼ら〔同業者たち〕は、虚言した廉で捕らえられた。そして執政官たちが内に入って、残る隈無く探索して、櫃に入っていたわたしの主人を見つけ出して、つかまえ、こちらは、不逞行為の申し開きをするため、牢屋に送りこみ、わたしの方は下に 45.30 運んで、兵士たちに引き渡した。こうしてひとはみな、上階から露見させ、自分の主人を裏切ったことを、消えもやらぬお笑いぐさとした。以来、「驢馬の覗きこみから」という諺が人間界に広まったのは、わたしを嚆矢とする。

46.1
 さて、次の日、わたしの主人の園丁がどんな目に遭ったか、わたしは知らないが、兵士はわたしを売りに出そうと決心し、わたしをアッティカ貨幣2ドラクマで売り払う。買い取ったのは、マケドニアの〔諸都市の中でも〕最大の都市テッサロニケーの、すこぶる富裕な人の下男であった。この人物は、主人の料理を調理するという、そういう術を持っており、奴隷仲間として、パンを焼き蜜菓子の捏ね方に精通した兄弟をも持っていた。この兄弟はいつも 46.10 お互いに同宿し、同じところに寝み、術知の調度類もまぜこぜにしており、その後はわたしをも寝むところに居させた。そして、この者たちは、主人の食事の後、たくさんの残り物を両人とも内に運びこむのだった。一人は肉や魚を、一人はパンやケーキを。彼らは、これらのものといっしょにわたしを内に閉じこめ、わたしのまわりにこのうえなく甘い見張りを任命して、入浴のために出て行くのだった。そこでわたしは、あてがわれた大麦には永の別れを告げ、主人たちの術知と役得に 46.20 没頭し、久しぶりに人間の食べ物ですっかり満腹した。彼らは内にもどってきて、初めは、傍にあるものの多さに、わたしのつまみ食いに何ら気づかなかった。わたしもまたなお恐怖と遠慮から、食事を盗んでいたからである。だが、しまいには、彼らの無知に付け入って、〔御馳走の〕分け前の最美な分け前や他の多くを平らげるようになった。さすがに、彼らはすぐに損失に気づいたものの、初めのうちは、二人ともお互いに疑いの目を向け合い、それぞれが相手を盗人、共有のものをかすめる者とも、恥知らずとも言って、46.30 それからは、両者とも厳密になり、〔御馳走の〕分け前を数えるようになったのだった。

47.1
 わたしはといえば、快楽と贅沢のうちに生活し、わたしの身体は、習いとなった食べ物のおかげでもとどおり美しくなり、皮膚は花咲く毛で艶々するようになった。で、高貴このうえない人たちは、わたしが大きく肥え太ったのに、大麦が減っておらず、同じ分量であるのを見て、わたしの仕業に疑いをいだき、風呂に出かけるように出て行き、そこで扉をぴったり閉めて、眼を 47.10 扉の穴にひっつけて、内の様子をうかがった。しかしわたしは、このとき奸計のことは何も知らなかったので、食事を始めた。彼らは、初め、信じがたい食事を見て笑った。次には、奴隷仲間をわたしの見物に呼び、大笑いが起こった。そのせいで、彼らの主人も、外で起こった騒々しい笑い声を耳にして、外の連中がこれほど笑っている所以は何かと尋ねた。で、聞いて、酒宴の席から起きあがり、内を覗きこんで、わたしが猪の〔御馳走の〕分け前を呑みくだしているのを目にして、大声で笑いながら、47.20 内に駆けこんだ。わたしはといえば、はなはだ心外だった。主人の居るところで、盗人と同時に食いしん坊として取り押さえられたのだから。ところが彼は、わたしのことを大笑いし、初めに、その人の酒宴の席にわたしを連れこむよう命じ、次いで、わたしの前に食卓を据えるよう云いつけた。そして、その〔食卓の〕上に、他の驢馬なら食いつくすことのできないようなものの多く — 肉、貝、スープ、魚、ソース(ひとつは、魚のペースト(gavroV)とオリーブ油に塩漬けされたもの、ひとつは、辛子にくるまれたもの) — が〔供されて〕あるよう〔云いつけた〕。わたしは、もう柔和な巡り合わせが、わたしに微笑みかけているのを見、わたしを救出するのは 47.30 この戯言のみであると知り、すでに満腹であったにもかかわらず、やはり食卓の傍に立って、食べ始めた。酒宴の席は笑いの嵐に包まれた。するとある者が云った、「この驢馬は酒も呑むぞ。誰かがやつのために割って手渡してやれば」。そこで主人が命じ、わたしは差し出されたものを呑んだ。

48.1
 彼は、尤もなことながら、わたしのことを意想外な家畜と見て、家令たちの一人に、わたしの売り主に、わたしの代価と他にも同じだけを払うよう命じ、わたしを自分の家人たちのある若い解放奴隷にあずけ、わたしが何でもして、彼の生き肝を最高に抜くことができるかぎりのことを調教するようにと云った。彼〔解放奴隷〕にとっては万事はたやすいことであった。というのは、わたしがどんなことでも教えられたことをすぐに聞き分けたからである。先ず初めには、わたしは寝椅子の上に、人間のように肘をついて寝そべるようにさせ、次には、48.10 彼を相手に柔術をすること、かててくわえて、二本〔足〕でまっすぐに立って舞踏すること、また、〔相手の〕声に合わせて肯定し、否定すること、また、学ばなくてもわたしのすることができるかぎりのことみな〔させた〕。そしてこのことが評判となった。主人の驢馬は、酒飲みであり、柔道をし、舞踏をする驢馬だと。しかし最も大きなことは、わたしは声に合わせて時宜を得て肯定し、否定するということであった。さらに、わたしが呑みたいときに、酌人に眼で合図して頼んだ。人々はこのことを意想外なこととして驚嘆したのだが、驢馬の内に 48.20 人間がいることを知らなかったのだ。こうしてわたしは自分の贅沢のために彼らの無知を利用した。かててくわえて、主人を背に載せて歩いたり運んだり、駆け足で走ったりして、乗っている人にも無痛であり感覚もないようにすることをわたしは学んだ。そしてわたしは高価な調度類を与えられ、紫の敷布が打ち掛けられ、鞍は黄金や銀で刺繍されたのを受け入れ、鈴がわたしの肢に括りつけられて、すこぶる音楽的な音色を立てた。

49.1
 われわれの主人メネクレースは、わたしが謂ったように、テッサロニケーから当地にやってきたのだが、それには次のようなわけがあった。男たちが武装してお互いに一騎打ちをするのを見せるという見世物をもたらすことを祖国に約束したのだ。そしてその男たちはすでに戦いの支度も整い、旅立ち〔の日〕がやって来た。そこでわたしたちは、早暁、出発し、道中のでこぼこの地方や、荷車で渡すのが難しい時とかには、わたしが主人を運んだ。かくして、わたしたちがテッサロニケーにくだると、見世物と 49.10 わたしの外観を〔見るために〕押しかけないものはなかった。というのは、わたしの評判は、わたしの舞踏や柔術の技の多彩な表情にしても人間的な所作にしても、遠くから先行していたからである。しかしながら主人は、自分の国人の最も貴顕の人たちには、飲酒の席でわたしを見せ、あの意想外なことを、つまり、わたしにおいては戯れ事を、食事の際に提供するのだった。

50.1
 わたしの監督は、わたしから非常に多くのドラクマの役得を見つけ出した。というのは、わたしを内に閉じこめて、立ったままにさせ、わたしとわたしの意想外な所業を見たいと望む連中に、報酬を取って扉を開けることにしたのである。彼らは各人各様の食べ物を、とりわけ驢馬の胃には有害と思われるものを持ちこんだ。しかしわたしは食べた。おかげで、わずかな日数のうちに、主人や都市の人たちと会食し、わたしはすぐにおそろしいほど大きくなり、かつ肥え太った。
50.10
 そしてあるとき、度を超した財産持ちで、見てくれの美しい異国の婦人が、わたしが食事するところを見るため内にやってきて、わたしに対して熱烈な恋に陥った。ひとつには驢馬の美しさを眼にしたため、ひとつにはわたしの行いの意想外さに、交合の欲望に陥ったせいである。50.15 そこでわたしの監督と話し合って、一夜わたしといっしょにやすむことを彼女に認めてくれるなら、どっさりの報酬を彼に約束した。相手もまた、彼女がわたしから何か得るところがあるのかないのか、何も考えず、その報酬を受け取った。

51.1
 そしてすでに夕方となり、主人がわたしたちを酒宴からさがらせたので、わたしたちは宿泊所にもどり、そして、婦人がわたしの寝床に先ほどからやって来ているのを見出した。彼女のために柔らかい枕が運びこまれ、寝具が外に敷かれ、わたしたちの寝床が準備万端整っていた。次いで、婦人の下男たちは、部屋の前、どこかその近くでやすんでおり、内では彼女が大きな明るいランプに火をつけた。次いで、脱衣すると、全裸となってランプの傍に立ち、51.10 雪花石膏の壺のようなものから香油を空け、これを塗りこめ、わたしにもそれから香油を塗り、とくにわたしの鼻にはたっぷりと塗り、次いでわたしに接吻もし、自分の恋人や人間に対するように話しかけもし、頭絡をとってわたしを臥所に引き寄せた。これにはわたしも催促されるまでもなく、多量の古い葡萄酒をいくぶんの見過ごし、香油の塗布にいきりたって、この小娘がどこもかしこも美しいのを見て、しなだれかかったものの、人間の女にどうやってのしかかったものか、大いに困惑した。51.20 というのも、驢馬となって以来、性交はおろか、驢馬たちのありきたりの交わりに接したこともなく、女の驢馬を用いたこともなかった。かててくわえて、この女は受け容れる余地がなくて、引き裂かれ、そこでわたしは人殺しとして美しき罰を受けることになるのではないかという、このことがわたしを並外れた恐怖に導いた。だが、恐れる必要のないことをわたしは知らなかった。というのは、女は数多の接吻、それも恋情的なそれで励まし、〔わたしが〕抑えられないのを見るや、夫にするように寄り添い、わたしを抱擁し、持ち上げて、すっぽりと内に受け入れた。臆病なわたしは、なおも恐れ、51.30 そっと後ろへ身を引いたが、彼女はわたしの腰にしがみつき、退けないようにし、自分は逃げるものについていった。もはやわたしに、この女の快楽と愉悦にさらに必要なことがはっきり確信したので、それから先は恐れることなく奉仕した。パーシパエーの姦通ほど悪くないと思い致しながら。こうして女は、すっかり性愛に熱中し、性交からくる快楽に飽きることなく、ついに一晩中わたしを貪りつくした。

52.1
 日が明けると同時に、彼女は起き上がり、立ち去った。夜の同じことのために同じ報酬を払うと、わたしの監督と、契約を交わして。彼は、わたしの才でより裕福になると同時に、主人にもわたしの新奇な芸を披露しようと、わたしを女といっしょに閉じこめた。女はわたしを恐ろしいほどこき使った。そしてある時、監督は出かけて行き、主人にこの所業を、自分が仕込んだのだと報告し、わたしが知らぬ間に、すでに夕方になって、わたしたちが休んでいるところに 52.10 彼〔主人〕を案内し、扉の隙間から、中でわたしが若い娘と共寝しているところを見せた。彼はこの見物を喜び、わたしが同じことをすることを公的にも披露したいと欲し、誰にも口外してはならぬと命じた。「そうやって」と彼は謂った、「見世物の日に、こいつを円形演技場に連れこむ。誰か有罪判決を受けた女といっしょにな。そして衆人環視の中でその女にのしかからせるのや」。こうして、獣たちによっての死刑判決を受けた女の一人を、中のわたしのところに案内し、近づいて、わたしを撫でるよう命令した。

53.1
 次いで、わたしの主人が野望をかなえる日がとうとうやってきたとき、彼らはわたしを劇場に連れこむ決心をした。こうしてわたしは次のようにして入場した。大きな寝椅子があった、インドの亀からつくられたものである。黄金が散りばめられ、その上にわたしを横たわらせ、さらにそこに件の女をわたしの傍に横たわらせた。次いで、こういうふうにして、わたしたちを一種の機械仕掛けの上に載せて、円形演技場の中に運びこみ、中央に据えた。そして人々は大きな 53.10 歓声を上げ、わたしに拍手喝采を浴びせた。わたしたちに食卓が供され、その上には、贅沢な人間どもが食事に持つかぎりのたくさんのこしらえものが据えてあった。そして酌人役の美しい僕童たちが、わたしたちの黄金の〔杯〕に給仕しながら、わたしたちの傍に立っていた。ところが、わたしの監督はといえば、後ろに立って、食事をするようわたしに命じた。しかしわたしは、円形演技場の中に寝そべっていることをかつは恥じ、かつは、いつか熊とか獅子とかが跳びかかってくるのではないかと、恐れていた。

54.1
 だがこのとき、花を運ぶ者が通りがかり、その他の花の中に、みずみずしい薔薇の葉もあるのを見て、もはや何もためらうことなく、跳ね起き、臥所から跳び降りた。人々は、わたしが舞踏するために起きあがったと思った。だがわたしは、ひとつからひとつへと突進し、花々の中から薔薇を摘み取り、飲みくだした。人々がわたしの所行になお驚いているなかで、わたしから家畜のあの外観が落ちてなくなり、以前のあの驢馬が 54.10 消えて、わたしの内なるルゥキオスその人が、裸で立っていた。この意想外な、決して予想されざる見物に、あらゆる人たちは度肝を抜かれ、恐るべき騒ぎとなって、劇場は2つの意見に分かれた。すなわち、ある人たちは、〔わたしが〕恐ろしい毒薬に精通していて、何か多くの姿をとれる悪人として、ただちにわたしを火刑にすべしと主張し、ある人たちは、わたしからの弁明もまち、先に判断することも、待ち、次いでそうしたうえで事態について裁くべきだと言った。そこでわたしは属州の執政官 — たまたまこの見物に 54.20臨席していた — のところに駆け寄り、下から言った、テッサリアの女がわたしを、テッサリアの女の奴隷女が魔法の膏薬を塗りこめて、驢馬にしたのだ、と。そして彼に嘆願した。わたしがこうなったことに嘘偽りがないと自分で確信するまで、わたしをつかまえて牢に収容しておくようにと。

55.1
 すると執政官が、「言え」と謂う、「われらにそなたの名前と、そなたの両親、および、生まれにおいて親類筋の者を誰ぞ持っておると謂うなら、親族のそれ、および故国を」。
 そこでわたしが、「父は」と謂った、「……、わたしの〔名〕はルゥキオス、わたしの兄弟の〔名〕はガイオス。残りの二人はいずれも名を共有している。わたしは歴史その他の書の書き手。彼はエレゲイア詩の作者にして善き占い師。われらの故国はアカイアのパトラ」。
55.10
 裁判官はこれを聞くや、「これはしたり」と謂った、「そなたは我が最愛の人たちの息子。わたしを家に迎え入れて客遇し、贈り物でもてなしてくれた人たちの息子。あの人たちの子であることに何ら嘘偽りのなっことを知っておる」。そして席を起って、〔衣服を〕まとわせ、何度も接吻した。そしてわたしを自身の家に案内した。そうこうしているうちにわたしの兄弟も、わたしのために数多の銀やその他のものを携えて到着し、こうしている間にわたしを執政官は、あらゆる聴取から公的に解放する。そしてわたしたちは海に赴き、船を捜して、旅荷を 55.20 積みこんだ。

56.1
 しかしわたしは、驢馬のわたしを恋してくれた女のもとを訪れるのが最善と判断した。今人間になったのだから、彼女にとってより美しいと見えるはずだと〔心に〕言いながら。彼女は嬉々として、思うに、事態の意想外さを喜び、迎え入れてくれ、かつは、自分といっしょに夕食をとり、いっしょに過ごしてほしいと嘆願した。わたしも、驢馬として愛されたのに、人間となった今、傍若無人の贅沢三昧に耽って、恋してくれた女を蔑ろにするのは天罰にあたいすると考え、そう確信した。そして彼女といっしょに夕食をとり、56.10 香油もたっぷり塗りこめて、わたしを人間界に救い出してくれた愛らしさこのうえない薔薇を花冠にいただく。そして今や夜も更け、やすむべき時なので、わたしは起きなおり、あたかも何か大いなる善きことをするかのように脱衣し、裸になって立つ。驢馬と比較すれば、いかにももっと善く満足させるかのように。すると彼女は、わたしがどこもかしこも人間的なのを持っているのを見て、わたしに唾を吐きかけて、「消えていなくなれ」と謂った、「わたしと、わたしの家から。そしてどこか遠くにさがっておやすみ」。
56.19
 「いったい、わたしにどんな過ちがあったというのか、56.20 これほどの仕打ちをうけるとは」とわたしが尋ねると、「わたしが」と彼女が謂った、「かつて恋したのは、ゼウスに誓って、あなたではなく、驢馬のあなたなの。いっしょにすごしたのはそれとであって、あなたではない。今も、あなたは、驢馬のあの大きな徴だけでも助かって、引きずっていればよかったのにと思う。あなたは、あの美しい有為の動物から、猿に変身して、わたしのところにやって来た」。
 そうして、もはやすぐに家僕たちを呼び、背に高々とかつがれて家から運び出されるようわたしに命じ、部屋から外に押し出され、裸で、花冠をかぶり、香油を塗ったまま、裸の大地を 56.30 抱きしめて、これといっしょに過ごしたのであった。かくして、夜明けと同時に、裸のまま船に駈けもどり、兄弟に向かって、自身のお笑いぐさの災難を言う。右方向からの風が吹くと、そこの都市から出帆し、数日にして、わたしの祖国にたどりついた。そこで神々の救いに供儀をささげ、奉納物を納めた。ゼウスに誓って、まさしく諺にある「犬の尻の穴から」ではなく、好奇心(periergia)〔の強い〕驢馬から、きわめて長い間かかって、このようにしてやっと助かって家郷へもどれたからである。

2011.01.01. 訳了。

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