テレース作品集(2/8)
[底本] TLG 1699 TELES Phil. (3 B.C.: fort. Megarensis) 3 1 1699 003 Peri_ fugh~j, ed. O. Hense, Teletis reliquiae, 2nd edn. Tübingen: Mohr, 1909 (repr. Hildesheim: Olms, 1969): 21-32. (Q: 1,315: Phil.) 『亡命について』 21."1t" 21.2 あなたは何と言いますか、と彼〔スティルポーン〕が謂う、そもそも、亡命は何々を、あるいは、どんな善きものらを奪うでしょうか? 魂に関することとか、身体に関することとか、あるいは外的なものらを〔奪うでしょうか〕? 慎重さ(eu)logisti/a)、品行方正さ(o)rqopragi/a)、徳行(eu)pragi/a)を、亡命は奪うでしょうか? とんでもない。 むろん、勇敢さとか義しさとか何か他の徳を〔奪うことも〕ないですね? それもありません。 むろん、身体に関する善きものらを何か〔奪うことも〕ないですね? それとも、同様に、外国にある人は、健康であり、強壮であり、鋭く見、鋭く聞くことができ、時には、自分の故郷にとどまる人よりもすぐれているのではありませんか? たしかに。 むろん、外的なものらを亡命が奪うことはないですね? それとも、こういった人たちの財産は、亡命者になったとき、事実は多くの人たちの眼に明らかとなるのではありませんか? それとも、ポイニクスは、アミュントールによってドロピアから追われて、テッタリアに亡命するのではありませんか? わたしはペーレウスのもとにたどりついた、 すると彼はわたしを物持ちにして、たくさんな部民をわたしにつけてくれた。〔Il. IX_479, 480, 483〕 あのテミストクレースは、「おお、わが子よ」と謂う、「破滅する〔=亡命する〕のでなければ、破滅するだろう」。―― 最近は、こういった例がやたらと多い。すると、亡命はどのような善きものらを奪うのか、あるいは、何か悪いことの原因であるのか? というのは、わたしは眼にすることがないから。いや、わたしたちは、亡命するにせよ、自分の故郷にとどまるにせよ、あちこちに自分自身を埋めているのです。 〔亡命者たちは〕支配することはない、と人々は謂う、信用することがない、直言することがない、と。ところが中には、王たちのもとで都市を守備もするし、族民を信用もし、大きな賜物や貢ぎ物を受け取る者もいる。あのリュキノスは、わたしたちのところで守備することなく、イタリアからの亡命者となり、アンティゴノスに信用され、わたしたちは自分の故郷にいながら、リュキノスにいいつけられたことを実行しているのではないか? ラケダイモーン人のヒッポメドーンは、今はトラキアでプトレマイオス〔2世〕に信任され、アテーナイ人のクレモーニデース〔前270-240活動〕とグラウコーンとは、補佐役にして忠告者ではないか? 昔のはなしではなく、わたしたちの時代のはなしをあなたにすればだが。結局のところ、これほどの作戦に派遣されているのではないか、使用したいと望むどおりのそれほどの金銭を信用され、気儘(e)xousi/a)をつくして? いや、少なくとも自分の故郷では、亡命者たちが支配することはない。 24.1 しかし、自分の故郷に入ってゆく権利も持たないであろう。 今だって、わたしはテスモポリア祭に〔入ってゆく〕権利(e)xousi/a)を持っていないし、女たちはエニュアリオスの神殿に〔入ってゆく権利を持って〕いないし、足を踏み入れてはならないところに〔入ってゆく権利は〕誰も[わたしたちは持って]いないのだ。むしろ、このことで立腹する人がいたら、子どもじみているのではないか? 時には、わたしは体育場に〔入る〕権利を持たないこともあるが、風呂場に引き下がって、以前に体育場で〔使った〕のと同じ角力用〔オリーブ油〕を塗油することができる。ここでも、自分の〔故郷〕を足を踏み入れられないところと考えて、住み替えて、他所に住む、別の船から別の船に〔乗り移る〕ように住み替えれば、同様によき航海ができるように、別の都市から別の都市に〔住み替えれば〕同様に幸福であることが〔できる〕。とにかく、邪悪な者らと住まないかぎりは、何らかの不遇や非難はわたしのものではない。それとも、非難はわたしのものであろうか、むしろ、適法で義しいわたしを追放する者たちのものではないのか。ピレーモーンは不愉快なやつではなかった。というのは、かつて彼が争訟して、雅やかに無罪をかちとったとき、出会った連中が、「幸運だったな」と謂った、「ピレーモーンよ」。「君たちは」と彼が謂う、「傍観者だからそう思うのだ。ぼくは、つねに善人でありつづけただけさ」。 それでは、どうだ。つまらぬやつらのせいで亡命させられるのは、酔狂じゃないか。 すると、君は望むのか、と彼が謂う、美にして善なるひとたちによって〔そうされたい〕と? それとも、それこそが君の苦情なのじゃないのか? 善き人たちは誰をも無神経・不正に追放することはないのだから。〔そんなことになれば〕義しい人たちはいないことになろうから。 すると、そういう人たちによって、挙手票決であれ投票であれ、凌駕されることは、恥辱ではないのか? 〔恥辱は〕少なくとも君のものではなく、そういう人たちを挙手票決したり票決したりする者たちのものだよ。あたかも、最善の医師を解雇して、薬売りを選んで、これの手に公的な仕事を委ねる場合、どちらであろうか、――この恥辱と不遇を、医師のものだと君は云うか、それとも、選んだ連中のものだと? むろん、後者だ、祖国(これのためにひとは多くのことをしてきた)が劣悪で感謝にあたいしないものであるのを見出すことが、どうして不遇でないことがあろうか? いったい、どうして後者が不遇なのであろうか。ひとが前もって知らないようなことを知っていることを福運と云わねばならないとしたら、別であるが。むしろ、妻が邪悪で策士であることを、前もっては知らなかったけれど、感知した場合は、あなたは感謝するであろうし、家僕が逃亡奴隷であり盗人である〔ことを知った〕場合は、守るために〔感謝するであろう〕。しかし、祖国が劣等で感謝にあたいしないことを感知した場合は、不運だと君は考え、感謝はしないのか? いや、ひとが生まれ育ったその〔国〕にとどまりつづけることは、わたしには、やはり、偉大なことだと思われる。 どちらなのか、君が育ち生まれた家においても[そこにとどまりつづける]のか、〔その家が〕たとえ腐敗し、破滅し、打ち倒されたとしても? また、君が生まれ、子どものときから航海してきた船においても、〔その船が〕たとえ小舟であっても、漕ぐのを放棄せざるを得なくなっても、二十櫓船に安全かつ労なく乗り移ることをせず、[そこに]〔とどまりつづけるのか〕? そうしてひとびとは非難する所以は、キュテーラ人だからとか、ミュコノス人だからとか、ベルビナ人だからといって。それでもやはり、人が生まれ育ったところ、そこで生き通すことが何か偉大なことだとひとびとは謂い、そうして、都市の大多数は言語道断で、住民たちは不敬であるのに、祖国はそれだけで偉大で心地よいと〔ひとびとは謂う〕のか? しかし、寄留民であることを非難して、多くの人たちはこう言う、 汝、寄留民よ、 テーバイの建設者カドモスをも君は讃嘆するが、わたしがその市民でないなら、君は非難するのか? またヘーラクレースをも、最善の男としてわたしたちは称讃するが、寄留民であることが非難すべき点だとわたしたちは考えるのか? むしろ、その生き方に与り、〔真実に〕とどまる者は、外国人であろうと、農奴の出身であろうと、最善者たちと同様にひとびとは尊敬する。だが、〔真実に〕とどまらぬ者は、王本人の子であろうと、農奴に降格させ、こういう者は市民権に与れない。 しかし、少なくとも自分の〔故郷〕で埋葬を許されないことは、恥辱ではないか? いったい、最善者たちにしばしば結果すること、これが恥辱であるなどということがどうしてあろうか? それとも、最悪の者たちに降りかかる当のことに、いかなる名誉があるのか? ひとびとがソークラテースを称讃するのは、彼がアテーナイ人たちを攻撃して、こう言う場合なのだ、――彼らが自己讃美する所以の将軍たちは、国境の外に埋葬され、民主制の恥辱のみが公の墓地に〔埋葬された〕。それなのに、外国に埋葬されることは恥辱、公の墓地に〔埋葬される〕ことは名誉か? 外国に埋葬されることと、自国に〔埋葬されること〕と、いったい、いかなる違いがあると思うのか? というのは、あるアッティカの亡命者の話は不愉快ではない、――ある者が彼を悪罵して、「自国で埋葬されることもなく、不敬なアテーナイ人たちのように、メガラで〔埋葬されるだろう〕」と言ったとき、「たしかに」と〈彼が謂う〉、「メガラの不敬者たちがメガラに〔埋葬される〕ように」と。いったい、どんな違いがあるのか? それとも、どこからであろうと、とアリスティッポスは謂う、冥府の〔館〕への道は同質・同量ではないか? それとも、最初の〔土地〕に埋葬されなければ、君にとって気になることがあるのか? いや、埋葬に関する心配は、ビオーンの謂うところでは、数多くの悲劇をつくってきた。あたかも、ポリュネイケースも言いつけているように。 |