テレース作品集(5/8)
[底本] TLG 1699 TELES Phil. (3 B.C.: fort. Megarensis) 6 1 1699 006 Peri_ tou~ ei}nai te_loj h(donh/n, ed. O. Hense, Teletis reliquiae, 2nd edn. Tübingen: Mohr, 1909 (repr. Hildesheim: Olms, 1969): 49-51. 5 (Q: 227: Phil.) 『究極の快楽は存在しないことについて』 49."1t" なぜなら、先ず第一に、全時間の半分は、わたしは眠っているのだから、〔幸・不幸の〕違いはない。次いで、子どもの養育に該当する最初の〔期間〕は、辛い〔期間〕である。幼児が空腹になる、ところが養い親は寝かしつける。喉が渇く、ところが彼女は沐浴させる。眠りたい、ところが彼女はカスタネットをとって鳴らす。 たとえ、その乳母からのがれても、今度は家庭教師が、体育教師が、文法教師が、音楽教師が、絵画教師が引き受ける。年齢が進む。算数学者が、幾何学者が、馬術調教師が付け加わる[これらすべてによって鞭打たれる]。夜明けに目覚めさせられる。暇はない。 壮丁になった。逆に、監督官(kosmhth/j)を、鍛錬教師を、軍事教練士官を、競技奉仕者(gumnasi/arxoj)を恐れる。これら全員によって鞭打たれ、観察され、軛に首を据えられる。 壮丁を過ぎれば、もはやすでに二十歳である。それでもなお、競技奉仕者をも、将軍をも恐れ、観察する。避けねばならないときがあるとすれば、避けるのはこの者たちである。見張って徹夜〔しなければならないときがあるとすれば〕、見張るのはこの者たちである。船舶に乗り組ま〔なければならないときがあるとすれば〕、乗り組むのはこの者たちである。 一人前となり盛りとなる。国のために出征し、使節となり、政治に携わり、将軍となり、公共奉仕し、競技主宰者となる。子ども時代に生きたあの人生を浄福視する。 盛りを過ぎ、老齢となる。今度は、子どもの養育を受け持ち、若さを渇望する。そして |