メニッポス伝
ディオゲネース・ライエルティオス
『ギリシア哲学者列伝』
第6巻9章
メネデーモス伝
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Vitae philosophorum, ed. H. S. Long, Diogenis Laertii vitae, vi. 9.
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メネデーモスは、〔初めは〕ランプサコスの人コーローテースの学徒であった。この人〔メネデーモス〕は、ヒッポボトスが謂っているところによれば、エリーニュス〔血讐の女神〕の恰好をして歩きまわり、自分は犯された罪の見張り人としてハーデースからやって来た、それは、もう一度〔地下の世界に〕降りて行って、それら〔の罪〕をあの世の神霊たちに報告するためだ称するほどに、それほどまでに異様な振舞に及んだという。で、衣裳はこんなふうであったという 足までとどく灰色の長衣、その周りに深紅色の帯、頭上には〔黄道〕十二獣が縫いこまれたアルカディア風フェルト帽子(pi:loV)をいただき、悲劇役者が用いる半長靴、たいへん長いあご髭、手にはトネリコの笏杖……。
[103]
犬儒派に属する人たちそれぞれの生涯は以上である。しかし、彼らに共通する学説も概略的に付言しておこう。この学派もまた〔一つの〕哲学〔を説いているの〕であって、ある人たちの言うように、〔たんに〕人生の生き方(e[nstasiV bivou)〔を示しているだけのもの〕ではないことを、われわれは認めるからである。
すなわち、彼らは、〔ストア派の〕キオスのアリストーンの場合と同様に、言論に関する学や自然学の領域は除外し、ただ倫理学に関することに心を集中することを教義とする。そして、ある人たちがソークラテースについて言っていることを、ディオクレースはディオゲネースについて記し、
まことに館のなかで起りし悪しきこと、善きことの何であれ、
〔Hom. Od. iv. 392〕
探求しなければならないのだとディオゲネースは言っていたと、〔ディオクレースは〕謂っているからである。さらにまた彼らは、世間一般の学問も忌避している。事実、アンティステネースは、慎慮をそなえるに至った者は、余所事によって邪道に陥ることのないようにするために、読み書きを学ぶべからずと謂っていたぐらいである。[104] さらにまた彼らは、幾何学も音楽も、またその種の学問はすべて退けているのである。実際、ディオゲネースは、自分に日時計を見せびらかした人に向かって、「便利な道具だな」と彼は謂った、「食事におくれないためには」と。また、彼に音楽の演奏を見せびらかした人に向かって謂った。
人々の見識によってこそ、都市がよく運営され、
家もよく管理されるのであって、弾き具合や、唸り具合によるのではない。
〔Cf. Eur. Antiope, Frag. 205 Dind.〕
彼らの学説はまた、アンティステネースが『ヘーラクレース』のなかで謂っているように、徳に従って生きることが究極目的であるとする点で、ストア派の場合と同 様である。実際、これら二つの学派の間には、ある共通性があるからである。それゆえにま た、犬儒主義は「徳への捷径」だと言われていたのである。そしてキティオーンのゼーノーン もまた、それにならった生き方をしていたのである。
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さらにまた彼らは、簡素に生きることを教義とし、必要な食べ物と襤褸外套だけで自足し、富も名声も家柄のよさも軽蔑しているのである。事実、彼らのなかのある着たちは、野菜だけを食べ、いつも冷たい水ですませ、またそのときどきに見つけた小屋や甕を住まいとしていたのである。ディオゲネースはこのような生き方をしていたのであるが、この人は、何ひとつ必要としないのが神々の特質であり、また、少ししか欲しがらないのが神々に似た者たちの特質であると言っていたのである。
[105]
さらにまた彼らの教義によれば、アンティステネースが『ヘーラクレース』のなかで謂っているように、徳は教えられうるも のであり、そしてそれはl度獲得されたなら、失われることのないものである、という。また、賢者は愛されるに価する者、誤りを犯すことのない者、自分と似てい る者の友であるということ、さらに、われわれは何ごとも運命にゆだねてはならないというこ とも彼らの学説である。また、徳と悪徳との中間にあるものは、キオスのアリストーンが述べて いるのと同様に、無縁のもの(ajdiavfora)〔ストア派のいう「善でも悪でもないもの」〕であると彼らは主張している。
以上が、犬儒派の人たちであるが、次はストア派に移らなければな らない。その創始者は、クラテースの弟子ゼーノーンである。
(2011.03.07.) |