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back.gif砂漠の師父の言葉(Ω)

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata) 2

砂漠の師父の言葉(Anomy1)
(1/6)



[底本]
TLG 2742
APOPHTHEGMATA
Apophthegmata (collectio anonyma) (e cod. Coislin. 126)

10
2742 002
Gnom., Eccl.
F. Nau, "Histoires des solitaires égyptiens," Revue de l'Orient Chrétien 12-14, 17-18 (12:1907; 13:1908; 14:1909; 17:1912; 18:1913): 12:48-68, 171-181, 393-404; 13:47-57, 266-283; 14:357-379; 17:204-211, 294-301; 18:137-146.




(t.)

聖なる老師たちの言葉
師父よ、祝福したまえ

(1.)
 われらの聖なる師父、アレクサンドレイアの司教アタナシオスが、どのように息子は父に等しいのか、と尋ねられた。そこで答えた。「2つの眼の視覚のように」。〔主題別10-17〕

(2.)
 われらの聖なる師父、神-言論者(qeolovgoV)グレーゴリオスが尋ねられた。「息子と聖霊とはいかに父に等しいのですか」。そこで答えた。「おたがいに3つある太陽におけるように、神性は光の1なる混合である」。

(3.)
 同じ人が云った。— 神が洗礼を受けたすべての人に要求したもうのは次の3つである。魂からのまっすぐな信仰、舌の真実さ、そして身体の慎み。〔神-言論者グレーゴリオス1、主題別1-3〕

(4.)
 本当の兄弟二人がスケーティスに坐していたが、一人が病気になってしまった。そこでその兄弟が教会に赴いて、司祭に彼への奉献祭儀を要請したので、司祭は聞いて兄弟たちに言う。「行こう、兄弟を見舞おう」。そこで彼らは出かけて行って祈りを上げたうえで帰っていった。ところが今度は別の主日に、兄弟はどうかと司祭が彼に尋ねた。すると相手が謂う。「彼のために祈ってください」。そこで司祭は再び兄弟たちを連れて、彼らといっしょに病気の兄弟のところに向かった。さて、彼らがやって来て、坐したところ、件の者が永眠しそうになった。すると兄弟たちは論争しだした、つまり、或る者たちは執り成しが必要だと言い、他の者たちはそれについて怪しんだとき、彼らを見てその兄弟が、彼らに謂った。「何を互いに言い争っているのですか。誰が力を持っておられるか知る気があるのですか?」。そうして自分の兄弟の方に向き直り、これに向かって謂った。「あなたは下がろうとしている、わが兄弟よ」。病人の方が謂った。「然り、さあ、おれのために祈ってくれ」。相手が彼に向かって謂った。「もちろん、わが兄弟よ、わたしの前にあなたが逝去することは許しません」。そうして坐していた兄弟たちの方に向き直って謂った。「どうかわたしに敷布と枕を与えてください」。そうして受け取ると頭をもたれさせ、先に魂を引き渡し、次いで病人が。そこで兄弟たちはすぐに両者を弔い、出棺して、〔二人が〕可考的な光を後に残したことに歓びを持って埋葬したのであった。

(5.)
 二人の兄弟がいっしょに砂漠に住んでいた。彼らの中の一人は、神の審判を想起するたびに、遍歴するために何度も砂漠に脱出した。もう一人の方は、彼を捜すために彼の後を追いかけた。そうしていろいろ苦労したあげく、彼を見つけて、これに言う。「どうしてこんなに抜け出すのか、この世の罪を犯したのは、おまえ一人なのか?」。これに兄弟が言う。「わたしの諸々の罪が不足しているかどうかわたしが知らないと思うのか。しかり、わたしの罪を神が赦してくださることをわたしは知ってはいるが、わたしがこの辛労を為すのは、審判の日に裁かれる者たちを眺める者となるためなのだ」。

(6.)
 二人の兄弟が互いに隣り合っており、そのうちの一人は、もっているものは何でも、貨幣であれ食べ物一切れであれ、隠して、自分の近くにあるものの中に入れるを常とした。しかしもう一人の方は知らず、彼のものがいっぱいなのに驚いていた。さて、ある日のこと、彼がそんなことをしているところに思いがけず行き合い、彼と喧嘩になった、いわく。— おまえの肉的な行いで、おれの霊的な〔行いを〕支えている、と。彼がこの言葉を思いついたのは、もはやそれをしないためであるが、そうやって彼を赦したのであった。

(7.)
 ある兄弟が合い鍵を作り、老師たちの一人の修屋を開け、その小銭を取った。老師はといえば、紙に書いた、いわく。「兄弟殿、ひとあらば、施しをなせ、半分を小生の用に残したまえ」。そうして小銭を2つに分け、紙片を置いた。ところが、相手は再び入りこみ、紙片を破って全部を取った。それから2年後、彼は命終しかかったが、その魂は出て行かなかった。このとき老師を呼んで言う。「わたしのために祈ってください、師父よ。わたしはあなたの小銭を盗んだ者です」。すると老師が云った。「どうしてすぐに云わなかったのか?」。とはいえ彼が祈ると、彼は〔魂を〕引き渡したのだった。

(8.)
 兄弟が老師をもっていたが、死体の弔いの仕方が驚くほどであるのを見て、彼に云った。「わたしが死んでもそういうふうに弔ってくれるのですか?」。すると相手が彼に云った。「そなたはこういうふうに弔おう、そなたが『充分です』と云うまで」。久しからずしてその弟子が死んで、言葉が現実となった。すなわち、彼を敬虔に弔った上で、皆の前で彼に向かって謂った。「美しく弔われたか、おお、わが子よ、それともまだ少し足らないか?」。すると若僧が声を発したのである。「美しくです、おお、師父よ、あなたは約束を果たされたのですから」。

(9.)
 師父ビサリオーンは言うを常とした — 世俗を棄てようとしている或る者がいた、彼は妻とともに、受洗志願者(まだキリスト信者ではなかった)娘をもっていた。そこで自分の財産を3分割した。ところが、その最中に受洗志願者の娘が命終したので、父親は彼女の持ち分を物乞いたちに与え、なおそのうえに自分の妻の分も、自分自身の分も与えた。そして彼女の件で神を責めることをやめなかった。すると礼拝する彼に声が聞こえてきた、— そなたの娘は受洗した、心配するな、と。しかし彼は信じなかった。すると再び彼に目に見えぬ声が言う。「彼女を見出せるかどうか、彼女の墓を掘るがよい」。そこで彼がその墓に行って、掘ったが彼女を見出せなかったので、信念を変えたのであった。

(10.)
 老師が云った。「その声は、いまわの際までひとに向かって叫んでいた、今日、回心せよ、と」。

(11.)
 師父テオドトスが云った。「そなたが慎み深い人間であったとしても、淫行者を裁いてはならない、なぜなら、そなたは律法に背いているも同然だからである。というのは、汝姦淫するなと云われた方は、そなたは裁いてはならないとも云われたのであるから」。〔主題別9-15〕

(12.)
 あるとき、ある人がダイモーンに憑かれてスケーティスにやって来て、長らくたっても治癒しなかった。そこで、老師たちの一人が同情して、ダイモーンに憑かれた〔働き〕を封印し、彼を治癒させた。そこでダイモーンが興奮して老師に云った。「見よ、おまえは俺を追い出した、おまえに襲いかかってやる」。これに老師が言う。「ゼウスよ、よろこんで」。かくて老師は12年間を過ごした、ダイモーンを持ち、これを叩き潰しつつ、日にナツメヤシ12個の核を食しつつ。ついにダイモーンは跳び出し、彼から出て行った。相手が自分から出て行くのを見て老師が、相手に云った。「どうして逃げるのか? もっととどまるがよい」。するとダイモーンが答えて彼に云った。「神がおまえを絶やすだろう、自分ひとりでおまえに対しえないときは???」。

(13.)
 ある人について言い伝えられている — アイギュプトスの修道院に坐していたが、一人の兄弟と一人の処女が彼を訪問する習慣を持っていた。さて、ある日のこと、二人が老師のところでいっしょに出会った。そうして晩になったので、敷物を置き、彼らの真ん中に寝た。しかし兄弟が戦いを仕掛けられ、処女の上に乗って、罪を犯してしまった。老師は気づいたが、彼らには何もいわなかった。そして夜明けになって、老師は陰気さひとつ見せず彼らを送り出した。そこで彼らは道を進みつつ、互いに言い合った、「老師は気づいていたのか否か」と。そこで彼らは老師のもとに引き返した、彼の前にひれ伏し、いわく。「師父よ、サターンがわたしたちをどう嘲笑したかお気づきでなかったのですか?」。すると彼らに言う。「しかり」。そこで彼らは彼に言う。「あなたの想念はあの時どこにあったのですか?」。すると彼らに言う。「わしの想念は、クリストスが十字架にかけられたところ、そこにあの刻立ち、泣いておった」。かくて老師から悔い改めを得て、立ち去り、選びの器〔行伝9:15〕となったのであった。

(14.)
 タミアテオース人の司祭・師父ゾーイロスが云った、自分の父・師父ナタエールが別の人たちに云うのを聞いたことがある、と。7人の元老院議員が、アルセニオスを慕い、スケーティスで独住することを渇望し、親族一同に別れを告げて、3/7を取って、安物の土器を使った、いわく。「偉大な神がごらんになって、同情して、われわれの罪をわれわれのために消してくださるように」。

(15.)
 師父アルセニオスについて言い伝えられている — 彼の行住坐臥(politeiva)の作法をひとは理解できなかった、と。〔主題別15-9〕

(16.)
 師父・大マカリオスについて言い伝えられている、— 彼はかつて4ヶ月を1期として、毎日スケーティスの兄弟を訪問したが、一度として彼が暇にしているのを目にしたことがなかった。そこで再度訪問しなおし、戸口の外に立っていると、彼が哀号しながら言っているのが聞こえた。「主よ、あなたに向けてのわたしの叫び声があなたの耳に響かないのでしたら、わたしの罪ゆえにわたしを憐れんでください、わたしは疲れることもなくあなたにお願いいたします」。〔Cf.マカリオス3〕

(17.)
 昔の人で、出離しようとする或る人がいて、老師に言う。「修道者になろうと思います」。老師が言う。「できまい」。件の人が言う。「できます」。これに老師が言う。「その気なら、下がって出離するがよい、行ってそなたの修屋に坐せ」。そこで去って、自分のために貯めて持っていた100文を与え、老師のもとに赴いた。すると老師が彼に向かって。「下がって、そなたの修屋に坐せ」。相手は去って、坐した。しかし彼が坐していると、諸々の想念が云った。「戸が古い、取り換えられたがっている」。そこで出かけて行って、老師に言う。「諸々の想念が言います、『戸が古い、取り換えられたがっている』と」。これに老師が言う。「出離しとらん、出離するため下がれ、そしてそこに坐せ」。しかし相手は立ち去って、90文を与え、おのれのために10文を隠したうえで、行って老師に言う。「見よ、わたしは出離しました」。これに老師が言う。「下がれ、そなたの修屋に坐せ」。相手は去って坐した。しかし、彼が坐していると、諸々の想念が言う。「屋根が古い、取り換えられるだろう」。そこで去って、老師に言う。「わたしの諸想念が言います、『屋根が古い、取り換えられたがっている』と」。老師が言う。「下がって、出離するがよい」。相手は立ち去って、10文をも与え、出かけて行って老師に言う。「見よ、わたしは出離しました」。そうして、彼が坐していると、諸想念が彼に言う。「ここにあるすべてが古い、そしてライオンがやって来て、わたしを貪るだろう」。そこで老師にその諸想念を言うと、これに老師が言う。「わしはすべてがわしの上に襲来し、ライオンがやって来てわしを喰うことを期待する、わしが出離するためにじゃ。下がれ、そなたの修屋に坐せ、神に祈れ」。

(18.)
 愛餐を有するが、修道者たちや在俗信者たちと交わりを持つ別の老師に、老師が云った。— 灯火は多くの者たちを現すが、おのれの口〔芯の孔〕を焼く、と。

(19.)
 ある老師について言い伝えられている — 彼は砂漠を遍歴し、見よ、二人の御使いが彼に同道した、一人は右に、一人は左に、そうして行くうち、道に行き倒れ者を見つけ、その臭いに老師は自分の鼻を覆い、御使いたちもそうした。そうして少し行ってから、彼らに老師が云った。「あなたがたもあれを嗅いだのですか?」。すると彼らが云った。「いいや、あなたのせいでわれわれも覆ったのです、われわれはこの世の不浄を嗅ぐことはなく、われわれに近づくこともないが、魂たちは諸々の罪に臭うので、われわれはそれを嗅ぐのだ」。〔主題別20-23〕

(20.)
 ある老師がいて、日毎にビスケット3つを食していた。この人のもとに兄弟が訪れ、彼らが坐しているとき、兄弟にビスケット3つを供した。そして、老師は必要と見て、さらにもう3つを彼に差し出した。しかし、満腹して生き返るや、老師は兄弟を断罪して、彼に言う。「兄弟よ、肉切れに仕えてはならない」。兄弟は老師に対して悔い改めて、出て行った。ところが、次の日、老師が味わう機になると、いつもどおり3つのビスケットを供し、それを喰ったがまだ空腹で、自分で足した。さらにまた他の日に同じことをつづけた。すると、やめられなくなり、自分に神の見捨てが起こったことを老師は知った。そうして、神の前に落涙とともに身を投げだし、生じた見捨てについて祈願し、御使いが彼に言うのを見た。「兄弟を断罪したゆえに、そなたにこれが結果した」。そこで、自制したり、他者に善を為すことが可能な者は、自分の能力によって為すのではなく、神の善性が人間を力づけるのだと知った。〔主題別9-24〕

(21.)
 ある老師について修屋群の中で言い伝えられている — 彼は教会にも行かず閉じこもっていた。ところで、他の修屋に肉親の兄弟を持っていたが、〔自分が〕病気になり、身体から出て行く前に彼に会うため彼のもとに遣わしたが、云った。「出かけることができません、わたしの肉親の兄弟ですから」。もう一度使いを遣った、いわく。「せめて夜、おまえに会いたいから来てくれ」。しかし相手が云った。「できません、わたしの心が神の前に清浄なことを見出さないかぎりは」。かくして彼は永眠し、互いに会うことはなかったのである。

(22.)
 師父たちが語り伝えている — 共住修道院にある師父がいたが、この人の奉仕者(diakonhthvV)は失望して、修道院から出て、他の場所に行くことになった。しかし老師は、翻意するよう懇願するため、彼のもとにほとんど脱走せんばかりであった。しかし相手は拒んだ。しかし、老師は3年間これを為し、ついに奉仕者は口説かれて、もとにもどった。すると老師は彼に、出かけて、ストイベー〔Dsc.IV-12、バラ科の植物。トゲワレモウコウとも。枝には鋭い棘があり、キリストの「茨の冠」のイバラであるとも言われる〕を集めるよういいつけた。奉仕者がまさにそのことをしているとき、サターンの活動により彼は片眼を失った。老師はといえばひどく悲しんで、彼が痛がるのを諭しはじめた、すると奉仕者が言う。「原因はわたしにあります、あなたのためにささげた労苦のせいでこれを受けたのですから」。しばらくして苦痛から解放され、情動が続いていたとき、またもや老師が彼に、出かけてナツメヤシの葉を刈り入れるよういいつけた。そこで働いていると、敵の活動のせいで今度は棒が跳んで、もう一方の眼も失った。そこで修道院に帰って、平静にした、もう何もせずに。師父はといえば再び困って、自分の召命が来ると予知し、兄弟たち全員を呼びに遣り、彼らに言う。「わしの召命は近い、おのれ自身を凝視せよ」。各人が言いはじめる。「師父はわれわれを誰に任せるのですか?」。すると老師は沈黙したが、盲人ひとりを呼び寄せ、これに召命について言う。相手は落涙した、いわく。「この盲人のわたしを誰に任せられるのですか?」。すると老師が言う。「わしが神の御前で気易さを持てるよう祈れ、そうして、主日にそなたが礼拝会を為すことをわしは望む」。そうして彼は永眠したが、わずかな日の後、見えるようになり、共住修道院の師父となった。〔主題別7-60〕

(23.)
 ある家僕が修道者となり、45年間、塩とパンと水に満足して住持した。この人物の主人が、かなり後になって自分も隠遁し、大いなる従順さを持って自分の奴隷の弟子になった。さて、彼の召命の時がやって来て、老師に言う。「師父よ、諸々の権威がわたしにやって来ましたが、あなたの祈願のおかげでまた引き返すのが見えます」。さて、老師の召命もやって来たとき、一人の御使いが右から、もう一人が左に見え、彼にいわく。「師父として逝きたいか、それともわれわれは立ち去ろうか?」。そこで老師は彼らに言う。「よろしければ、とどまって、わたしの魂を受け取ってください」。まさにそのようにして彼は命終した。〔主題別14-31〕

(24.)
 老師が云った。「アリマティア〔アリマタヤ。パレスティナの1都市〕出身のイオーセープは、イエースゥスの遺体を受け取って、これを清浄な亜麻布に包み、新しい墓の中に、つまり、新しい人間の中に納めた〔マルコ15:43〕。されば、各人は罪を犯さぬよう注意深く努めよ、自分と共住する神を侮辱せず、自分の魂から追い立てることのないために。イスラエールには砂漠で喰えるマンナが与えられ、真のイスラエールにはクリストスの身体が与えられたのである」。 〔主題別10-134, 11-82〕

(25.)
 老師が云った。「そなたの剣を鍛えよ」。すると兄弟が云った。「しかし受難はわたしを放しません」。すると老師が言う。「そなたの迫害の日にわしを呼べ、そうすればわしがそなたを助け出し、そなたはわしを栄化しよう。さればあの方を呼べ、そうすればそなたをあらゆる試練から救い出してくださろう」。〔主題別21-51〕

(26.)
 客人となっていた兄弟が、老師に尋ねた、いわく。「私宅に帰りたいのですが」。するとこれに老師が言う。「次のことを知るがよい、兄弟よ、在所からここへやって来て、そなたはそなたを導いてくださる主を持ったが、引き返すなら、もはやそれを持たないであろう、ということを」。〔主題別10-183〕

(27.)
 老師たちの或る者が、自分の弟子を水汲みに遣わした。しかし井戸は彼らの修屋から遠かった。しかも彼は汲み上げる綱を忘れ、井戸まで来てから、持って来ていないのを知り、祈りを上げて、発声した、いわく。「水槽よ、水槽よ、わたしの師父が云われた。『この陶器に水を満たせ』と」。するとたちまち水が上に上ってきた、そこで兄弟が満たすと、水は再びその場所へと下がっていった。〔主題別19-21〕

(28.)
 司教たちの或る者は、毎年スケーティスに師父たちを訪ね、これに出会った兄弟が彼をおのれの修屋に連れて行き、彼にパンと塩を供して、言った。「どうかわたしを許してください、主よ、他にあなたに供すべきものを何も持っていないものですから」。これに司教が言う。「望むらくは、めぐりくる年ごとにやってくることではなく、塩さえも見出さないことを」。〔主題別4-103〕

(29.)
 兄弟たちの或る者が言った。— アイギュプトスの塔頭で論議が起こり、大も小も全員が口を利いた。ただひとり口を利かない者がいた。さて、彼らが出ていった後、ひとりの兄弟が彼に尋ねた、いわく。「どうしてあなたは口を利かなかったのですか?」。相手は、その兄弟に強いられて云った。「どうかわたしを赦してほしい、— わたしはわたしの想念に云ったのです。— わたしの下にある座蒲団が口を利かないかぎり、おまえは口を利くな』と。そういう次第でずっと沈黙したまま、発言しないでいたのです」。〔主題別4-97〕

(30.)
 老師たちの或る者が病気になったが、必需品を持っていなかったので、共住修道院の師父が彼を訪ね、彼を元気づけた。そうして兄弟たちに言った。「少しおのれを強いて、彼を元気づけよう」。ところでその病人は黄金の壺を持っていて、自分の下を掘って、それを隠した。そうして、彼は結局亡くなったが、告白しなかった。さて、彼を埋葬した後、師父は兄弟たちに云った。「この寝床をここから取り去れ」。そうしてそれを引っ繰り返すと、黄金を発見した。すると師父が云った。「彼が生きているとき告白しなかったなら、自分が死んでも云わず、これに触れないよう心内で望んだであろう、行って、彼といっしょにこれを埋葬せよ」。すると天から火が降りてきて、何日も全員の面前で彼の墓の上にとどまった、全員が見て驚嘆したのであった。

(31.)
 或る司祭が或る都市にいたが、悪魔の活動で淫行に墜ちた。ところが、或る日のこと、教会で祈祷会が行われたとき、彼の罪については誰も知らなかったにもかかわらず、自分から会衆全員の前で告白した、いわく。「わたしは淫行に墜ちました」。そうして自分のスカーフ(wjmofovrion)を祭壇の上に置いた、云わく。— もはやあなたがたの司祭であることはできません、と。すると全会衆が悲しみの声をあげた、いわく。「この罪はわたしたちのせいです、どうか司祭職にとどまってください」。すると答えて云った。「よろしければ司祭職にとどまりますが、あなたがたに言うことを実行してください」。そうして、教会の扉が閉められるよういいつけ、一つの側扉の前にうつぶせに身を投げだして云った。「出て行くときわたしを踏まない者は、神を共有するひとではありません」。そこで、彼の言葉どおり実行して、最後の者が出て行ったとき、諸天から声が聞こえた、いわく。「彼の多大な謙遜によって、その罪を赦した」。

(32.)
 別の或る司祭が或る都市にいたが、誰も彼とわからないほどの病気になってしまった。ところで、そこには女たちの修道院があったが、女院長は、司祭が見当たらないと知って、二人の姉妹を連れて、彼を視察するため出かけた。しかし司祭は彼女と話している際、その足もとに立っていた女弟子たちの一人が、具合がどうか知ろうとして彼の足に触れた。すると彼はその感触に戦いを仕掛けられ、女院長に願った、いわく。「わたしの隣人から奉仕を得られないので、どうかわしにこの姉妹を残してください、わしに奉仕するために」。そこで彼女は、何の悪意も疑わず、彼女を残した。そこで、悪魔に力を与えられて、彼女に言う。「味わうためにわしに少し煮物を作ってくれ」。そこで彼女に云ったとおりに作った。そうして彼が味わった後で、彼女に言う。「わしと寝ろ、そうして罪を生め」。かくて胎に孕むと、聖職者が彼女をつかまえた、いわく。「誰がそなたを孕ませたかわれわれに云え」。しかし彼女は告白を拒んだ。そのとき司祭が言う。「彼女を放すがよい、この罪を犯したのは、わしじゃから」。そうして、病床から起き上がると、教会に入って、自分のスカーフ(wjmofovrion)を祭壇の上に返し、出て行って自分の手に杖を取り、自分の見知らぬ所の修道院に出発した。さて、共住修道院の師父は、千里眼だったので、司祭が修道院にやって来るはずだと知り、門番にいいつけた、いわく。「注意せよ、兄弟よ、今日、司祭が現れるはずだから」。そこで門番は、司祭として文字どおりに現れるのか、それとも、一種の幻として現れるのかと期待していたので、事実に気づかなかった。そこで師父は彼との面会に出て行き、彼に挨拶した、いわく。「美しくやって来られた、司祭さま」。相手は、知られていることに無言となり、別の修道院に逃れようとした。すると師父が彼に言う。— どこに行かれようと、あなたといっしょに行きます、と。かくてさんざん彼に頼んで、彼を僧院に招き入れた。かくて真に悔い改めて、平安のうちに命終した結果、彼の葬儀の際に徴が現れた。

(33.)
 老師たちの中に、ヒエラクスと呼ばれる者がいたが、テーバイの地方におよそ90年間を過ごした。そこで、ダイモーンたちは生涯の長さに彼を懈怠に投げこもうと、日中、彼に襲いかかった、いわく。「どうするつもりか、老いぼれ、もう50年生きられるとしたら」。相手が答えて彼らに言う。「そなたらはわしをひどく苦しめてきた。だがわしは200年の覚悟がある」。連中は悲鳴をあげて彼から離れていった。

(34.)
 イオルダノス地方に、充分な歳月格闘した或る隠修者がいた。この人物が、自分が敵から攻撃を受けないという恩寵を祈願した結果、益のおかげで、自分に思いつくありとあらゆる悪罵を悪魔に投げつけ、無だ、自分の同類を見つけなければ、格闘者たちに何もできないと言って、罪に隷従するあの汚れた連中を打ちのめしていた、神の助けに保護されていて、そのおかげで相手から戦いを受けないのだということを感知しなかったのである。ところが、或る日、神の承認のもと、悪魔が面と向かって彼に現れ、彼に謂う。「おれはおまえに何を持っていようか、師父よ、どうしておれを面罵で洗うのか? いまだかつて何かでおまえにたかったことはあるまい?」。すると再び相手がこれに唾をはきかけ、同じ文句を浴びせかけた。「わしの後ろに下がれ、サターンよ、おまえはクリストスの僕たちに何もできないのだから」。ところが相手は次のような声を放った。「しかり、しかり、しかしおまえは40年生きられるが、それだけの歳月、おまえを保護していたことを一瞬たりと見ることができないのか?」。そうして罠を投げ出して消えてしまった。相手はすぐに、諸々の想念に取り憑かれていった。「わしはこれほどの歳ここで月辛い目をしてきたが、まだもう40年、神はわしを生かすおつもりだろうか? 出て行って、世俗に行き、わしと異なる者たちを見よう、彼らと何年間か交わって、再びわしの修行を繰り返そう。???」。しかし遠くまで行かぬうちに、彼を助けるために主の御使いが遣わされ、彼に謂う。「どこに行くのか、師父よ」。相手が謂った。「都市に」。するとこれに言う。「そなたの修屋に引き返せ、そうしてそなたにもサターンにも何もないが、おのれが彼にからかわれたとみなせ」。そこで我に返って、自分の修屋に引き返した。そうして3日たって、彼は命終した。

(35.)
 「何でこんなにおまえはわしを攻め立てるのだ、サターンよ」と云うある偉大な隠修者に、サタンが聞きつけて言う。「おまえこそ大いにわしを攻め立てるのだ」。

(36.)
 ある隠修者が、ダイモーンが別のダイモーンに対して、坐している修道者に立ち向かい、寝入らせるよう励ましているのを目にした。すると別の〔ダイモーン〕が言っているのを聞いた。「おれはそれを実行できない、というのは、かつてやつを寝入らせようとしたところ、立ち上がって、詩篇朗唱し礼拝しておれを焼きつくしたことがあるのだ」。〔主題別12-19〕


(T37-54.)

執政官(magistrianovV)たちについて

(37.)
或る人が語り伝えている — 姿形のすこぶる美しい、或る若き収税吏が、執政官として王宮の答書職に仕えていた。そして諸都市の一つに、貴顕階級の或る者で、若い妻を持った者を友に持っていた。されば、〔執政官が〕そこに赴くときは、〔その貴顕が〕彼を迎え、〔執政官は〕その邸宅に滞在し、その妻とともに食事し、〔その貴顕は〕彼に対する愛ゆえに我慢していた。ところが、しばしば彼らと交わるうちに、その女が彼に対する諸想念をつのらせた、彼〔執政官〕は気づかなかったのだが。しかし彼女は賢かったので、そのようなそぶりも彼にみせず、受苦を我慢していた。ところが彼が、いつもどおり旅することになり、件の女は諸想念から弱って、病臥した。そこで彼女の夫が彼女のもとに医者たちを差し向けると、彼女を診察したうえで、その夫に言う。「おそらくは何か魂の苦を持っているのであろう、身体的には何ら悪いところがないのだから」。そこで彼女の夫は傍に座って、しきりに彼女に懇願して、いわく。「どうしたのか、どうかわたしに云っておくれ」。件の女は畏れ赤面して、理由を告白しなかった。しかし後になって告白した、いわく。「あなたはご存知です、旦那様、愛からにせよ、単純さからにせよ、そそのかされるものだと、あなたは若い殿方をここにお連れになり、わたしは女としてあの執政官に心を奪われてしまったのです」。しかし、彼女の夫はこれを聞いたが平静を保ち、数日後、その執政官が帰ってくると、出かけて行って、彼より先に挨拶し、彼に言う。「君は知っているね、我が兄弟よ、ぼくがいかに君を愛し、愛ゆえに君を歓迎してきたか、またぼくの妻と食事を共にしてきたかを」。相手が言う。「そのとおりだよ、君」。そこでこれに言う。「見よ、我が妻が君への想いにとらわれた」。しかし相手はこれを聞いても、彼女への想いをいだかなかったばかりか、ひどく悲しみ、愛に動かされて彼に言う。「君が苦しむことはない、神が助けてくださるにちがいない」。そこで帰って、おのれの髪を刈り、金属片を取って、頭と貌を傷つけた、そのすべてを、眉そのものまでも焼きつくした。あの美貌をすべて奪い取り、昔の癩者のように見えた。そこで頭巾(fakiovlion)を被り、〔彼女のところに〕参上し、彼女が横になり、彼女の夫がその傍に座っているのを見出し、〔頭巾を〕脱いで、頭と貌を彼らに示し、言いはじめた — 主はぼくにこのようになさった、と。すると件の女は、あのような器量からこのような不器量になった彼を見るや、驚いた。そして髪は、彼の業を見て、彼女からその戦いを取り去り、〔彼女は〕あの諸想念すべてをかなぐり捨てて、すぐに立ち上がった。このとき、執政官は彼女の夫を傍に迎え、彼に言う。「見よ、神によって君の妻は何の悪も受けず、もはやぼくの顔を見つめることはない」。見よ、これが、愛のために自分の魂を捧げる〔ヨハネ15:13〕ということであり、善に対して善を報いるということだ。

(38.)
 師父たちの或る者が言うを常とした、— 或る執政官が、皇帝の答書のために派遣された。そして道中、裸で横たわっている或る物乞いの死体を見つけた。そうして同情して、自分の僕童に言う。「馬を引け、少し先に行け」。そうして下馬して、自分の麻のシャツを1枚脱ぎ、横たわった死体に掛け、立ち去った。
 数日後、同じ執政官が再び回答のために派遣された。ところが、彼が都市から出て行くと、馬から落ち、自分の足が砕けた。そこで僕童は彼を自分の家に連れもどり、医者たちが彼の手当てをした。しかし医者たちは、彼の足が黒変しているのを見て、この足は切断しなければならない、〔さもなければ〕全身が腐敗して、このひとが死ぬ、と互いにうなずき合った。そこで彼らが彼に言う。「われわれは夜明けに来ます、そうしてあなたを治療しましょう」。すると病人は、自分の僕童に合図して、医者たちの後から出て行き、彼らがどういうつもりか聞かせた。するとこれに彼らが言う。「おまえの主人の足は黒変した、切断しなければあの人は死ぬ、われわれは明朝来よう、そうして神のおぼし召しをわれわれは行おう」。そこで奴隷は泣きながら自分の主人のもとに入っていった、いわく。— これがあなたについての彼らの計画です、と。相手は聞いて悲しみ、失意のあまり眠れなかった。ところが灯火が現れた。そうして夜中頃、ひとが窓を通して降りてきて、彼のところにやって来て、彼に言うのが見えた。「なぜ泣くのか? なぜ悲しむのか?」。相手が言う。「主よ、どうして泣き悲しまないでいられましょう、わたしが泣いたのは、医者たちがこれこれのことを計画しているからです」。すると彼に幻が言う。「わたしにそなたの足を見せなさい」。そうして彼に油を注いで言う。「さあ、立って、歩いてみよ」。すると病人が言う。「砕けたのです、できません」。するとこれに言う。「わたしにもたれかかるがよい」。そこでもたれかかり、びっこをひきながら歩いた。するとこれに幻が言う。「まだびっこを引いているな、もう一度腰をおろせ」。それからもう一度彼の両足に等しく彼に油を注いだ。そうして彼に言う。「さあ、立ち上がれ、歩け」。そうして立ち上がり、健全に歩きまわった。すると彼に言う。「腰をおろしてじっとするがいい」。そうして、憐れみについていくつかの言葉を彼に云った、— 主は云われた。『憐れむ者たちは浄福である、彼らこそ憐れまれよう』〔マタイ5:7〕、しかし『憐れみを行わなかった者にとって、裁きは無慈悲である』〔ヤコブ2:13〕等々、と。そうして彼に言う。「救え」。執政官が言う。「行かれるのですか?」。これに言う。「健康になったのに、いったい何が望みか?」。これに執政官が言う。「あなたを遣わされた神を、誰なのかどうかわたしに云ってください」。これに言う。「わしをよく見よ。この麻布がしかとわかろうな」。これに言う。「はい、主よ、わたしのです」。すると彼に件の者が言う。「わしはそなたが見た、道に投げ捨てられ、この麻のシャツをわしに掛けてくれた死人だ。そして、神がそなたを治すためわしを遣わされた。されば、いつも神に感謝せよ」。そうして、降りてきた窓を通ってまた上っていった。そうして健康になり、あらゆる善の原因たる神を栄化した。

(39.)
 別の或る執政官が、パライスティネーからコーンスタンティヌゥポリスに帰還しようとして、テュロス地方で、道中、誰も案内人を持たないある盲人に出くわした。とにかく、馬丁の叱声を耳にしたこの者は、路傍に少し避け、両手をさしのべて、窮状と貧困を訴えて、相手から施しを得ようとした。しかし相手は見下していたので、彼をやり過ごしたが、少し離れてから思い返して、馬を止め、自分の財布を取って、1トレーミス貨を取り出し、自分で物乞いのところに引き返して、そのトレーミス貨を彼に差し出した。件の者は受け取ると彼のために祈った、いわく。「わしは神を信じております。この戒めがあなた様を試練からお救いになると」。執政官は満足心とともにその祈りを受けとり、都市へと帰って行き、そこで都督と、彼によって船出することを願い、強請している何人かの全格闘者を見つけた。すると、全格闘者たちは執政官を見つけると、この都市から出郷する船を都督が自分たちに与えるよう彼〔執政官〕が要請してくれるよう頼んだ。そこで彼らの願いに口説かれて、都督のもとに赴き、駅馬について彼に与えられると彼に云い、全格闘者たちについても要請した。すると全格闘者たちに都督が冗談で言う。「おまえたちに許可することを望むなら、執政官がおまえたちと同行するよう説得するがよい、そうしたらすぐに許可しよう」。すると彼らはこれを聞いて、執政官に自分たちとの同行を我慢するようしきりに頼みつづけた。ついに彼が了承したので、都督は彼らに船を与えた。そこで執政官と全格闘者たちとはともに船出した、順風を得たからである。だが、その夜、執政官は、自分の胃にたかられて、用足しに起き上がることになり、船の舷側に赴いたところ、帆桁に叩かれて、海中に転落した。そこで、船乗りたちが彼の転落を聞きつけたが、夜間で、しかも順風だったので、彼を引き上げることができなかった。かくして執政官は、死を予期しつつ水上を運ばれたが、翌日、神のおぼし召しで、通りがかった船を見つけ、その船の乗組員たちは彼を見つけて、彼を引き上げ、都市に入城した、この都市には全格闘者たちもやって来ていたのだが。そこで両方の船の乗組員たちは、陸上に降り立ち、とある酒場にやって来た。そして、執政官が転落した船の乗組員たちの或る者が、彼を認めて、嘆息して云うことになった。「いったい、あの執政官に何が起こったのか」。これを聞いて、別の船の乗組員たちが、執政官のどんなことについて嘆息したのか問いただし、出来事を知って、彼らに云った — われわれが彼を救った、そうして自分たちといっしょにやって来たのだ、と。そこであの者たちは歓び、やって来て彼をつかまえた。そこで執政官は彼らに語った、道中でトレーミス貨を与えた盲が、水上を歩いてきてみずからわたしを渡してくれた、と。これを聞いて、救主と神を彼らは栄化したのであった。
 されば、このことから学び知ろう、— 態度に表れた憐れみは、無駄にはならず、神が、必然的な好機に、憐れみを報われる、ということを。されば神的な書どおり、わたしたちの手が助けることができるときは、必要なひとに善行することを避けてはならない。

(40.)
 クリストスを愛する者たちの一人で、憐れみの恩寵を有する者が言うを常とした、— 憐れみを提供する者のなすべきは、その人が受け取ると同様に提供するということである。このような憐れみは神に近い〔vgl.2 Kor 9,7〕」。

(41.)
 二人の或る兄弟たちが、殉教に引きずりこまれ、拷問されて、いったん牢獄に投げこまれた。そこでこもごも悲しみにくれた。すると一人が兄弟の前にひれ伏した、いわく。「わたしたちは、明日、命終することになる、されば、お互いに対する敵意を解き、愛を為そう」。しかし他方は納得しなかった。さて、翌日、再び連れられ、拷問され、悔い改めを受け容れなかった方は、最初から攻撃に負け、これに長官が言う。「昨日はこれほど拷問されてもわしに聴従しなかったのはなぜか?」。相手が答えて云った — わたしの兄弟に遺恨があって、彼に愛をもたなかった、それゆえわたしの神の励ましを盗まれたのだ、と。

(42.)
 また別の或る人は、自分の女奴隷によって殉教へと売り渡されて、命終へと立ち去るとき、自分を売り渡した自分の女奴隷を見た。すると身につけていた黄金の指輪を取って、彼女に与えた、いわく。「おまえに感謝する、このような善事のわたしの客遇者となったのだから」。

(43.)
 ある兄弟がアイギュプトスの修屋に、大いなる謙遜に照り耀きながら、坐していた。しかし彼には、都市で売淫し、数多くの魂たちに破滅をふるまっている妹がいた。されば老師たちは、兄弟が彼女に会いに行って、いいきかせて諭したなら、彼女によって生じる罪をやめるよう説得できるのではないかと、何度も兄弟を煩わせた。そこでその場所にたどりつくや、知己たち〔娼婦〕の或る者が彼を見て、先回りして彼女に告げた、いわく。「見よ、あんたの兄弟が戸の前に」。すると彼女は、感動に衝きうごかされて、仕えていた愛者たちをほったらかしに、被り物も被らず、兄弟に会うため走り出た。そして彼女が彼を抱擁しようとすると、彼女に云う。「わたしの血のかよった妹よ、おまえの魂はごめんだ、おまえのせいで多くの者たちが滅びているのだから。いったいどうして、永遠のひどい業苦をおまえが持ち堪えることができようか」。すると彼女が身震いしながら彼に言う。「今からでもわたしに救いがあることをご存知なのですか?」。相手が彼女に言う。「望めば、救いはある」。すると彼女は、兄弟の足もとに身を投げだし、彼とともに砂漠に自分を受け入れてくれるよう、彼に頼んだ。そこで彼が彼女に言う。「おまえの外衣をおまえの頭上に置け、そしてわたしについておいで」。件の女が彼に言う。「連れ立って行きましょう、被り物も被らず不格好なのが、今なお無法の作業場に入って行くことよりも、わたしには有益なのですから」。こうして道々、彼は彼女を悔い改めへと訓戒した。さて、何人かの者たちが彼らに出くわしそうになったのを見て、彼女に言う。「おまえがわたしの妹だということをみなが知っているわけではないから、彼らが行き過ぎるまで、少し道を避けよう。その後、彼女に言う。「われわれの道を行こう、妹よ」。だが彼に答えなかったので、振り向いて、彼女が死んでいるのを見出した。さらに、その足跡も流血しているのを見た、彼女は裸足だったのだ。
 兄弟が出来事を老師たちに報告すると、お互いに議論が起こった。しかし神は、一人の老師に彼女について啓示なさった。— 何らの肉にも心を労することなく、これほどの打撃に呻吟することなく、自分の身体さえ軽蔑したゆえ、このゆえに彼女の悔い改めを受け入れたのだ、と。

(44.)
 老師たちの或る者が弟子を持っていたが、その兄弟は邪淫に戦いを仕掛けられ、これを老師が励ます、いわく。「我慢せよ、わが子よ、敵との戦闘だから」。相手がこれに言う。「もはや辛抱できません、師父よ、事を為さないかぎりは」。そこで老師がふりをして、彼に言う。「わしも戦っておるのじゃ、わが子よ、さぁ、いっしょに戦い、事を為そう、そうしてわれわれの修屋にもどろう」。そこで老師は金貨1枚を持ち、これを携えて、その場に出かけると、老師は自分の弟子に言う。「外で待っておれ、すまんが、先ずわしが入ろう、その後で今度はそなたが」。そうして老師が入り、娼婦に金貨を与え、「この兄弟を汚すな」と言って娼婦に頼んだ。すると娼婦が、兄弟を汚さぬと老師に約束した。そこで老師が出て行って、入るよう兄弟に言う。そうして兄弟が入ると同時に、これに娼婦が言う。「とどまりなさい、兄弟よ、たとえわたしは罪ある女であろうとも、わたしたちには決まりがあり、わたしたちは先ずそれをしなければならないのです」。そうして、日毎立ちつくして、50回の悔い改めをするよう彼に命じ、自分も日毎同様にした。かくして、兄弟は20ないし30回の悔い改めした後で、痛悔して心中に言う。「どうして神に祈れようか、こんな不潔なことをすることを期待して」。そうしてすぐに、汚されぬまま出て行った、そこで神は老師の労苦を見て、兄弟から戦いを取り去り、彼らは神を栄化しつつ修屋にもどった。

(45.)
 ある老師が、自分の〔作った〕小箱を売りに出かけた。これにダイモーンが出くわし、それを見えなくさせた。そこで老師は祈りに専心して言った。「御身に感謝いたします、神よ、わたしを試みから解放してくださったのですから」。そこでダイモーンが老師の哲学に耐えられず叫んだ、いわく。「おまえの小箱を見るがよい、悪爺め」。老師はそれを取って売ったのであった。

(46.)
 師父たちの或る者が語り伝えている — テウゥポリス出身の或る敬虔な学者が、或る隠遁者のもとに馳せ参じ、自分を受け容れて修道者にしてくれるよう彼に願った。これに老師が言う。「そなたを受け容れることを望むなら、主の戒めどおり、『下がって、そなたの持ち物を売り払って、物乞いたちに与えよ』〔マタイ19:21〕、そうすればそなたを受け容れよう」。そこで立ち去って、そのとおりにした。その後、再び彼に言う。「口を利かないという別の戒めを守れるか」。相手が約束し、五年間を過ごしたが、口を利かなかった。そこで、一部の人たちが彼を栄化しはじめたが、彼の師父が彼に言う、「ここでは益されない、アイギュプトスの共住修道院にそなたを遣わそう」、そうして彼を派遣した。しかし、彼を遣わす際、口を利いてよいとか口を利くなとか彼に云わなかった。それで本人は誡めを守り、口を利かないままでいた。そこで彼を受け容れた師父が、彼がもの言わずなのか否か、試練によって彼を吟味しようとして、川の増水しているときに、彼を返答に遣わした、渡ることができませんと云わざるをえないようにである、そうして、彼がどうするか見るため、その後から兄弟を遣わした。ところが、川にやって来ると、渡ることができないので、跪いた、すると、見よ、鰐がやって来て、おのれに乗せて、対岸に渡し、返答をすませて、川のほとりにやって来ると、またもや鰐が彼を対岸に渡した。そこで、彼の後から遣わされた兄弟はやって来て、それを見て、師父と兄弟たちに報告し、彼らは驚倒した。
 ところが、しばらくして彼は永眠してしまい、師父は彼を遣わした者にひとを遣わした、いわく。「貴殿がわれわれに遣わされたのは口の利けない者どころか、神の御使いであったのかどうか」。このとき、隠遁者が遣わした、いわく。— 彼は口が利けないのではなく、初めに拙者が彼に与えた誡めを守って、口を利かないでいたのである、と。そうしてみなの者が驚嘆し、神を栄化した。〔主題別14-32〕

(47.)
 或る人が云った — アレクサンドレイアにある富裕者がいたが、病気になって、死に臆し、黄金30リトラを取って、これを物乞いたちに供した。ところが彼が健康になると、自分のしたことを後悔しはじめた。ところで、彼はある敬虔な友を持っていた、そこでこれに「わたしは自分のしたことを後悔している」と打ち明けた。すると相手が彼に云った。— それを差し出したのは、むしろクリストスに喜ばれるという益を得たのだ、と。しかし相手は納得しなかった。彼に言う。「見よ、30リトラある(というのは、彼もまた富裕者だったからだが)。聖者メーナースのところに行け、そして云え、『戒めを実修したのはわたしではなく、この者です』と、そうしてこれを取るがいい」。そこで聖者メーナースのところに赴き、そのとおりに云い、30リトラを受けとったが、彼が戸口を出て行く際に、死んだ。そこで〔人々は〕金貨の持ち主に言う。「あなたのものを受け取るがよい」。しかし彼は云った。「主からわたしのものになりましたが、これをクリストスにささげたのですから、あの方のものです」、しかし彼らは物乞いたちに与えた。そして出来事を聞いた者たちは畏れ、この人物の企てに、神を栄化した。

(48.)
或る都市に、度量衡庁のある役人がいたが、その都市の或る者が、自分の金貨50枚の印章を携えてやって来て、彼に言う。「この印章を受け取ってくれ、そうして、わたしが必要としたとき、少しずつわたしに与えてくれ」、しかし、彼に印章を与えたとき、そこにはひとがいなかった。ところが、この都市の貴顕のひとりが、度量衡庁の役人の外を往き来していて、彼に印章を与えたのを聞き、かつ見ていた。彼が聞いていたのを役人は知らなかった。さて数日後、印象を与えた者がやって来て、役人に言う。「印章からわたしに与えてくれ、必要になったので」。しかし件の者は大胆にも、自分に印象を与えたときひとが陪席しなかったことをいいことに、断った、いわく。「何かわたしに与えたことなどない」。そこで混乱してそこから出て行くと、これにあの貴顕が出くわし、これに言う。「どうしたのか?」。そこで相手は彼に出来事を云った。するとこれに言う。「確かに君は彼に与えたのか?」。これに言う。「はい」。件の人が彼に言う。「彼に云ってやりなさい。『こっちへ来て、聖アンドレアースの前でわたしに確言してくれ』と、そうすれば君に満足できよう」。確かに、そこには聖アンドレアースの礼拝堂があった。そこで誓約しようとしたとき、件の貴顕は自分の子を連れ、聖アンドレアースの〔礼拝堂〕に参詣し、自分の子に言う。「なにか徴をしても、狼狽することなく、じっとしていろ」。そうして礼拝堂に入って行き、自分の上衣を脱いで、おのれがダイモーンに憑かれたふりをしはじめた、法外もない声で叫んで。そうして、彼らが入って来たときに言った。「聖アンドレアースは言う。『見よ、この悪人は、このひとの金50枚を取って、わしに偽証しようとしている』。そこで行って、彼の首を絞めた、いわく。「聖アンドレアースは言う。『このひとの金50枚を与えよ』と」。件の者は狼狽し、恐れて、告白した、いわく。「それを持ってきます」。相手が彼に言う。「今それを持ってこい」。そこですぐに帰って、それを持ってきた、するといかにもダイモーンにそそのかされたかのような人が、金貨の持ち主に言う。「聖アンドレアースが言う。『金貨6枚を卓上に置け』」。相手は喜んで置いた。さて、彼らが帰って行くと、自分の上衣を取ってきちんとまとい、いつもどおり、再び度量衡庁を往ったり来たりするために出て行った。彼を見て役人は、彼をあれこれもてなした。するとこれにかの貴顕が言う。「どうしてわたしをもてなすか、友よ。信じなさい、クリストスの恩寵によって、わたしはダイモーンを持っているのではなく、あの者が君に印章を与えたとき、わたしは外で往き来していて、聞き、はっきりと目撃し、君の魂を破滅させ、ひとが自分の財産を不正に害されないようにということだったのだ」。 

(49.)
 兄弟が自分の師父によって奉仕に遣わされ、水の流れる或る場所に来かかったところ、そこに着物を洗っている女を見つけた。で、戦いを仕掛けられ、彼女と寝るために彼女に云いかけた。これにその女が言う。「あなたのいうことを聞くのは簡単ですが、数多くの呵責の因があなたに生ずるでしょう」。彼女に言う。「どんな?」。その女が答えた。「事を為した後、あなたの良心(suneivdhsiV)があなたを打擲し、あなたは自分に失望したり、今あなたが持っておられる地位に至るために数多くの労苦があなたに〔生ずるでしょう〕。されば、その傷をあなたが受けるよりは、平安のうちにあなたの道をお進みなさい」。相手は聞いて驚倒し、神と彼女の知慮に感謝し、自分の師父のもとに赴き、これに報告した。事実と、彼女に驚嘆した〔ことを〕。そうして、兄弟は、以後、修道院を出て行かぬことを願い、死ぬまで出て行くことなく、じつにそういうふうにして、修道院にとどまったのである。

(50.)
 兄弟が川に水汲みに出かけたが、着物を洗っている女を見つけ、彼はこれと堕落する結果になった。で、罪を犯した後、水を持って自分の修屋に帰った。だがダイモーンたちが諸々の想念を通して跳びかかり、彼を呵責した、いわく。「これからおまえの下がるところがあるか? もはやおまえに救いはない。いったい何のために世俗を邪慳にするのか?」。兄弟は、連中が自分を完全に破滅させようとしていると悟って、諸々の想念に言う。「おまえたちはどこからでも攻めこむのか、おれを呵責するのか、おれ自身を失望させるために。おれは罪を犯さなかった」。そこで自分の修屋に帰り、昨日一昨日までのように静寂を保った。そこで主が、彼の隣人なる一人の老師に、兄弟何某が堕落したが勝利したと啓示した。そこで彼のもとに行って、老師が彼に言う。「兄弟よ、いかがですか?」。相手が言う。「美しくあります、師父よ」。これに老師が言う。「この数日、あなたは何も呵責していませんか?」。これに言う。「何も」。老師が言う。「神がわたしに啓示されました、あなたは堕落したけれども勝利した、と」。このとき兄弟は自分に起こったことすべてを彼に物語った。老師が彼に云った。「まこと、兄弟よ、あなたの分別が敵の力を粉砕したのです」。〔主題別5-47〕

(51.)
或る若輩者が出離することを求めたが、諸々の想念が、もろもろの事情で彼を絡めとって、彼が出て行くことを何度も覆した、富裕でもあったからである。ところが、或る日、彼が出かけたとき、〔諸事情が〕彼を取り囲み、おびただしい塵埃が、もう一度彼を引き返させるように巻き起こった。すると彼は、突然、脱衣して、自分の上衣をかなぐり捨て、裸のまま修道院に馳せ参じた。すると主が一人の老師に啓示した —。立て、わたしの闘技者を示そう、と。そこで老師は立って、彼に面会し、事情を聞き知って、驚嘆し、彼に僧服を投げ与えた。かくて、老師のところで、あらゆる種類の想念について尋ね始める者がいると、彼らに答えるのが常だった。「出離についてなら」と言った、「この兄弟に尋ねるがよい」。

(52)
或る人が語り伝えている — 共住修道院に住持していた兄弟が、共住修道院の返事のために派遣された。ところで、ある敬虔な俗人がある村にいて、彼が村に来るたび、彼を信用して迎え入れた。ところがこの俗人には、夫と2年間過ごした後、寡婦となったばかりの娘がひとりいた。そういう次第で、兄弟は入ったり出たりしているうち、彼女のせいで戦いを仕掛けられた。彼女の方は賢明だったので、気がついて、彼の前に出ないよう自分を守っていた。ところがある日、彼女の父親が、ある用で、近くの都市に出かけてしまい、彼女をひとり家に放置した。さて、いつもどおり兄弟がやって来て、彼女が一人なのを見出して、彼女に言う。「あなたの父親はどこですか?」。これに言う。「都市に出かけました」。すると兄弟は、戦いに心乱されはじめた、彼女と交わりたくなったのである。これに、件の女が気づいて言う。「わたしの父が帰ってくるまで、あなたは心乱されてはいけません。ここにわたしたちは二人です。でもわたしは知っています、あなたがた修道者は、祈りなくして何もなさらないと。ですから起って、神に祈ってください、そうして、もし何かあなたの心に浮かんだら、それを実行しましょう」。しかし相手は断り、ますます戦いに心乱された。これに言う。「いったいあなたは本当に女を知っておいでなのですか?」。彼女に言う。「いいえ、むしろだからこそ、何であるかを知りたいのです」。これに言う。「それでは、あなたが心乱される所以は、惨めな女たちの悪臭をご存知ないからですね」。そうして、彼の情動を鎮めようとして言った — わたしはわたしの月経期間中にあり、誰一人わたしに近づくことも、悪臭のあまりわたしを嗅ぐこともできないのです、と。彼女から以上のことや、他にもそういったことを聞いて、嫌になり、我に返って、落涙した。また件の女は、彼が我に返ったのを見て、これに言う。「見よ、あなたに口説かれたからには、わたしたちはすでに罪を犯してしまったのです。されば、どの面さげて、これからわたしの父を直視できましょう、むしろあなたの修道院に帰って、あの聖なる詩篇の群に耳を傾ける以外に。されば、あなたにお勧めします、これから素面となって、あなたが持っておられるこれほどの労苦を、卑小な快楽のせいで捨て去り、永遠の善きものらを失うことを拒まれることを」。これらのことばを聞いて、彼女から受苦した兄弟は、物語っているわたしに言ったのだ、彼女の賢明さと慎みによって、最終的に彼に堕落を許されなかった神に感謝しつつ。

(53.)
 ある老師が、自分の買われた弟子を持っていたが、これを支配しようとして、これが完全に従順さを持つよう口説いて、これに老師が云うまでになった。「下がって、竈が激しく燃えているときに、時課祈祷の折に朗読される書を取って、竈の中に投げこめ」。相手は立ち去って、分別なく実行したが、〔聖〕書が投げこまれると、竈は鎮火した、それは、従順は美しいということをわれわれが知るためである。なぜなら、それは諸天の王国に至る梯子だからである。

(54.)
 或るひとが、或る若輩の修道者が笑っているのを見た、そこで彼に言う。「笑ってはならぬ、兄弟よ、神への畏れをそなたから追い払うことになるゆえ」。〔主題別3-51〕


(T55-132.)

修道者たちの聖なる恰好について

(55.)
 老師たちは言うを常とした — 頭巾付き外套(koukouvlion)は純真さの徴である。肩衣(ajnavlaboV)は十字架の〔徴〕。帯は勇敢さの〔徴〕である、と。さればわれわれの恰好にふさわしく行住坐臥しよう、万事真剣に実修しつつ、無縁な恰好を身にまとっていることが明らかとならぬように。〔主題別10-192〕

(56.)
 或る老師について言い伝えられている — 彼が修屋に坐しているとき、夜、兄弟が彼を訪ねてやって来たが、彼が中で戦ってこう言っているのを聞いた。「おお、美しいかな、いつまでか、もう下がれ、わしのところにやって来い、友よ」。そこで兄弟が入っていって、彼に云った。「師父よ、誰としゃべっていたのか?」。すると彼が言う。「わたしの邪悪な想念どもを追い出し、善き〔想念たち〕を呼んでいたのだ」。

(57.)
 兄弟がある老師に云った。「戦いは何ひとつわが心の内に見えません」。これに老師が言う。「そなたは四方門、望む者がそなたを通って入ったり出たりするが、そなたは気づかない、しかしそなたが扉を持っていてこれを閉ざし、悪し諸々の想念がこれを通って入ることを許さなければ、そのときそなたはそれらが外に立って、戦いを仕掛けるのを目にしよう」。〔Anony270, 主題別11-101〕

(58.)
 老師が云った。— 紡錘を垂らそう、死をわが眼前に置き、その前にこれを身に負おう、と。 〔主題別3-53; vgl. 3-52〕

(59.)
 わたしはある老師について聞いたことがある — クリュシュマにある神殿に坐していたが、需要のある仕事はせず、誰かが彼にいいつけてもしなかった。むしろ、引き綱の〔需要のある〕好機に麻屑をこしらえ、引き綱を求められるときに、麻をこしらえた、自分の理性が仕事に乱されないためであった、と。〔主題別10-190〕

(60.)
 あるとき、受難祭の時にケッリアの教会で兄弟たちが食事しているとき、兄弟に葡萄酒の杯を与え、飲むよう彼に無理強いした。すると相手が彼らに言う。「どうかわたしを赦してください、師父たちよ、昨年もあまりにわたしにこういうふうにしたので、わたしは長い間悩まされたのですから」。〔主題別4-91〕

(61.)
 下流地域で、ある老師について言い伝えられている。— 静寂を保って坐し、ひとりの世俗の信者が彼に仕えていた。ところが、その俗人の息子が病気になった。そこで老師にさんざん願って、子どものために出向いて祈りを上げてくれるよう要請した。そこで老師は立って、彼とともに出かけて行った。そこで俗人は走って、自分の家の中に入た、いわく。「ここへ、隠修者の前に来い」。すると老師は、彼らが灯火を持って出てくるのを遠くから見ると、自分の上衣を脱いで、川の中に投げ入れ、裸で立ったまま、洗い始めた。彼の奉仕者の方は見て恥じ、人々に願った、いわく。「引き返してくれ、老師が吃驚なさったから」。そうして彼のもとに行って、彼に云った。「師父よ、どうしてそんなことをなさるのですか?」。老師がダイモーンに憑かれたと、みなが言っています」。相手が彼に言う。「わしもそれを聞きたかったのじゃ」。

(62.)
 ある隠修者は野牛を放牧していたが、神に祈った、いわく。「主よ、わたしはどうして二流なのか、わたしに教えてください」。すると彼に声が聞こえてきた、いわく。「これこれの共住修道院に下がって、そなたにいいつけられることを何でも為すがよい」。そこで出て行って共住修道院にとどまったが、兄弟たちへの奉仕を知らなかった。すると若輩の修道者たちが兄弟たちの奉仕を彼に教えはじめ、彼に言った。「これを為せ、素人め、あれを為せ、馬鹿爺め」。かくて虐められたので、神に祈った、いわく。「主よ、人間たちの奉仕がわかりません、もう一度野牛たちのところにわたしを遣わしてください」。そうして神から許されて、野牛たちを牧するため、もう一度地方に去った。〔1516a〕

(63.)
 ある隠修者を世俗信徒たちが訪ねた。すると彼らを喜んで迎え入れた、云わく —。「主があなたがたを遣わされたのは、わたしを埋葬するためです、その召命が届いたからです。そこで、あなたがた聞く者たちの益のために、わたしの人生をもあなたがたに物語ろう。わたしは、兄弟たちよ、身体において童貞ですが、魂においては、敵によって姦淫の内にあるまでに非人間的に戦っています。見よ、あなたがたに話そう、天使たちもわたしの魂を受け取るため待機し、ここにはサターンも立っていて、姦淫の諸想念をわたしに投げこんでいるのが見えます」。そう云うと、身を伸ばして、彼は命終した。そして彼の死体の整形をしつつ、在俗信徒たちは、まこと彼が童貞であったことを見出したのであった。 ある隠修者を俗人たちが尋ねたところ、彼らを見て、喜んで彼らを迎え入れた、云わく。— 主があなたがたを寄越された、わたしを埋葬するために。わたしのお召しが到来したが、そなたたちや聞く者たちの益のために、わたしの人生をそなたたちに話そう。わたしは、兄弟たちよ、身体は童貞ですが、魂は、今に至るまで、邪淫と非人間的に戦ってきました。見よ、わたしはあなたがたに話していますが、御使いたちがわたしの魂を取ろうと待ち構え、サターンもここに立って、わたしの邪淫の想念を狙っているのを見ます、と。そうしてこれだけ云って、身を伸ばして、命終した。そこで俗人たちは彼の恰好を整えていて、真実彼が童貞であったのを見出したのであった。〔主題別5-49〕

(64.)
 ある修道者が、久しきにわたって邪淫のダイモーンに戦いを仕掛けられ、時課祈祷のおりにおのれが戦いを挑まれているのを感知し、ついに落胆して、兄弟たちの前でおのれを裸にし、サターンの活動を引き出した、云わく。「わたしのために祈ってください、14年間、戦いを仕掛けられること、かくのごとくでした」。そうして彼の謙遜ゆえに、闘いはやんだのであった。

(65.)
 老師が云った。「物忘れはあらゆる諸悪の根である」。

(66.)
 ケッリアの或る司祭は、千里眼の持ち主であったので、あるとき、時課祈祷を執り行うため教会に行く途中、兄弟たちの1つの修屋の外で、一団の或るダイモーンたちが、女に変装し、みだらなことを言い、他の連中は若衆に〔変装して〕侮辱し、あるいは、他の連中は踊り、さらに別の連中はさまざまな姿に変身しているのを目にした。そこで老師は嘆息して云った。「まったくこの兄弟は等閑に過ごしている、だから邪悪な霊が、かくも猥りに彼の修屋を取り巻いているのだ」。さて、日課時?を執り行い、引き返す時、その兄弟の修屋に入って行き、彼に言う。「わたしは苛まれている、兄弟よ、しかしわしはあなたに信を置いている、そこでわたしのために祈ってくれるなら、確実に神はわたしの心を呵責から軽くしてくださるだろう」。すると兄弟は宥恕を請うた、いわく。「師父よ、わたしはあなたのために祈る資格はありません」。しかし老師は頼み言いつづけた。「わたしは立ち去らない、毎夜わたしのために一つの祈りをすると、わたしに言葉をくれないかぎりは」。ついに兄弟は老師のいいつけにしたがった。老師がこんなことをしたのは、彼が夜な夜な祈る理由のきっかけを彼にもたらそうとしたからである。さて、兄弟は夜間に起き上がり、老師のために祈りを上げた。ところが、祈りを満たすや、痛悔にとらわれ、心中に言った。「惨めな魂よ、老師のために祈りながら、自身のために祈らないとは」。そこで自身のためにも一つの祈りを上げた」。こういうふうにして1週間を過ごし、毎夜2つの祈り — 一つは老師のために、ひとつは自身のために — を挙げて。かくて主日に、老師は教会に行きがてら、兄弟の修屋の外にダイモーンたちが立っているのを再び見たが、連中は呻吟していた、それで老師は知った、兄弟が祈ることで、ダイモーンたちが呻吟しているのを。そこで大喜びして、兄弟のところに入って行った、いわく。「恩恵を施し、毎夜わたしのためにもうひとつの祈りを上げてもらいたい」。そこで老師のために2つの祈りを上げたが、またもや痛悔の念にとらわれ、心中に言った。「おお、悲惨な者よ、おまえ自身のためにももうひとつ祈りを加えるがよい」。かくて、まる1週間そのとおりにした、毎夜、4つの祈りを全うした。すると再び老師がやって来て、ダイモーンたちが呻吟し、沈黙しているのを見て、神に感謝し、再び兄弟のところに入って行って、自分のためにもうひとつの祈りを付け加えるよう彼に頼んだ。そこで兄弟は自身のためにも付け加え、夜毎、6つの祈りを上げた。かくして再び老師が兄弟のところにやって来た時、ダイモーンたちは兄弟の救いの件で憤慨して、老師に怒った。すると老師は神を栄化し、その修屋に入って行って、ゆるがせにするのではなく間断なく祈るよう彼に勧告し、彼のもとを立ち去った。ダイモーンたちはといえば、祈りに対する彼の持続と断食を見、神の恩寵により退散した。〔主題別18-14〕

(67.)
 老師が云った。— ある老師が砂漠に坐していた、長年神に隷従しこう言って。「主よ、わたしが御身に嘉せられたなら、わたしに確信させてください」。すると、御使いが彼に言うのが見えた。「某所の野菜作り〔人〕にはまだ及ばぬ」。老師が驚いて、心中に云った。「彼がつくったものがいったい何か、わしのこれほどの為業と労苦を凌駕するほどなのか、彼を見るため都市に出かけよう」。それで老師は出かけ、御使いから聞いた場所に赴くと、坐って野菜を売っている人を見つけた。そこで、その日の残り、彼といっしょに坐し、その人が終了すると、これに老師が言う。「兄弟よ、今夜あなたの修屋にわたしを迎えてくれませんか?」。その人は歓んで、彼を迎え入れた。さて、修屋に行って、その人が老師の平安のためのことをもてなしていると、これに老師が言う。「お願いです、兄弟よ、どうかわたしにあなたの行住坐臥を云ってください」。しかしその人は披瀝することを拒んだので、老師はしつこく頼みつづけた。するとその人は不機嫌になって云った — わしは夕方だけ食事し、終わると、わしの食い扶持だけ取って、残りは必要とする者らに差し出し、神の僕たちのうち誰かを迎えるなら、その者たちにそれを消費する。そうして、明け方起き上がるや、手仕事に坐す前に、言うのじゃ — この都市が、小から大まで、その義によって王国に入り、わたしのみは、わたしの罪によって罰を受け継ぎますように、と。そうして、再び夕方、わしが眠る前に、同じ言葉を言うのじゃ」。
 これを聞いて老師が彼に云った。「その為業は美しいですが、これほどの歳月のわたしの労苦を凌駕する価値はありません」。さて、彼らが食事をしようとしたとき、老師は道で何人かの連中が歌をうたうのを耳にした、野菜作り〔人〕の修屋は悪名高い場所にあったからである。そこで彼に老師が言う。「兄弟よ、こういうふうに神に従って生きることを望んでいるのですか? どうしてこんな場所にとどまっているのですか、今、これらの歌をうたうのを聞いて乱されないのですか?」。その人が云う。「あなたに言おう、師父よ、わたしはいまだかつて乱されたことも躓いたこともありません」。これを聞いて老師が言う。「それでは、これを聞いたとき、あなたの心中に何を思量するのですか?」。相手が言う — すべて王国に至ると、と。これを聞いて老師は、驚いて云った。— これこそ、これほどの年月にわたるわたしの労苦を凌駕する為業です、と。そうしてひれ伏して云った。「どうかわたしを赦してください、兄弟よ、この境位にわたしはまだ達していません」。そうして食事もせず、再び砂漠に帰っていった。〔主題別20-22〕

(68.)
 或る人が語り伝えている、いわく。— スケーティスで聖職者たちが奉献祭儀をしているとき、鷹のように供え物の上に舞い降りたが、聖職者たち以外、彼らの誰ひとり見えなかった。そこで、或る日、ある兄弟がいったい何だったのかと奉仕者に請うたが、これに言う。「今は暇がない」。そこで彼らが供犠にのぼったとき、いつもどおりに鷹の似像を取り除けず、司祭が奉仕者に云った。「これはどういうことか、いつもどおり鷹がそのままなのは、この違反はわしのせいか、それともおまえのせいだ。そこで、わしから離れよ、そうして舞い降りれば、おまえのせいで舞い降りたのでないことがわかるだろう」。そこで奉仕者が離れると、すぐに鷹が舞い降りた。そうして集会が終了すると、司祭が奉仕者に云った。「どうかわしに云ってくれ、何をしたのか?」。そこで彼を満足させるために言った。「自分が罪を犯しているという自覚はない、ただし、兄弟がやって来て、わたしにこれを要請したので、『暇がない』と彼に答えたのです」。すると司祭が云った。「では、おまえのせいで舞い降りたのではなく、兄弟がおまえに苦しめられたからだ」。そこで奉仕者は行って、その兄弟に悔い改めた。〔主題別18-32〕

(69.)
 師父たちの何人かが言うを常としている — アレクサンドレイアの主教聖ペトロスが命終せんとしたとき、或る永遠の処女の幻視が見え、「ペトロスは使徒たちの初め、ペトロスは殉教者たちの完成」と言う声が聞こえた、と。

(70.)
 ある修道院長が、アレクサンドレイアの教皇(pavpaV)・われらのキュリッロスに尋ねた、いわく。「行住坐臥においてより偉大なのはどちらですか、おのれのもとに兄弟たちを有するわれわれですか、それとも、砂漠でおのれひとりを救う人たちですか?」。教皇は答えて云った。「エーリアとモーゥセースとの真ん中は区別できない、どちらも神に嘉せられたのだから」。〔主題別10-178〕

(71.)
 兄弟が老師父に尋ねた、いわく。「どうすればひとは主のために愚者となれるのですか?」。これに老師が言う。「共住修道院に子どもがいたが、これを引き上げ、神への畏れを教えるために、美しい老師に預けられた。そこでこれに老師が言った。「ひとがそなたを侮辱したら、彼を祝福せよ、そうして、食卓に就いたら、腐ったものを喰って、美しいものを放置せよ、そうして着物を選ぶことを定められても、美しいものは放置して、腐ったものを取れ」。これに子どもが言う。「わたしに言われるようなことを実行したら、わたしは愚か者になります」。老師が言う。「そういうことをするようそなたに言う所以は、主がそなたを賢くするためなのだ」。見よ、老師が示したのは、どうすればひとは主のために愚者となれるかということなのだ。

(72.)
 俗人の出で、自分の息子を自分で連れた或る人が共住修道院にいた。そこで師父が彼を吟味しようとして、彼に言う。「そなたの息子と口を利いてはならぬ、彼を余所者とみなせ」。相手が云った。「あなたのおことばどおりそのようにします」。そうして長年にわたって実修し、彼と口を利かなかった。さて、自分の息子の召命がやって来て、もはや亡くなりかかったとき、師父がその父親に言う。「これから出かけて、そなたの息子と口をきくがよい」。すると彼に言う。「命じられるなら、最後まで誡めを守りましょう」。そうして彼が永眠したが、彼と口を利くことはなかった。歓んで戒めを受け容れ、これを成就したことに、万人が驚嘆したのであった。

(73.)
 かつて、老師がスケーティスに下っていったとき、ある兄弟がこれに同道した。そうしてお互いに別れて行きかけたとき、老師が彼に言う。「いっしょに食事しよう、兄弟よ」。そこで食事した。しかし刻限前で、週の初めであった。そこで土曜の朝早く起き、兄弟のもとに赴いて彼に言う。「はたして空腹なのですか、兄弟よ、いっしょに喰ったとき以来?」。するとこれに言う。「いいえ。わたしは毎日食べていて、空腹ではありません」。これに老師が謂った。「わたしは、まこと、わが子よ、あの時以来喰っていないので、空腹です」。これを聞いて兄弟は驚愕し、益されたのであった。〔主題別4-96〕

(74.)
 非常に敬虔かつ神を愛するある修道者が、或る隠修者を自分の愛人としていた。その隠修者が命終し、彼の修道院に入っていった兄弟は、貨幣50枚を見つけ、驚きかつ落涙しだした、財貨のためにその隠修者が神と衝突したのではないかと危惧したからである。そこで、この件に関して長い間神に懇願したので、主の御使いが彼に言うのを見た。「どうしてそれほど隠修者について落胆するのか? そなたが求めていることは、神の人間愛にのこしておくがよい」。じつにそういうふうにして、隠修者が許しにあたいするということに兄弟は満足して、好機嫌となり、心の底から神を栄化したのであった。

(75.)
 老師が云った。「神の律法に従って生きようとするなら、おお、人間よ、汝は立法者を庇護者として見出すであろう」。

(76.)
 さらに云った。「神の諸々の戒めに故意に耳を貸さないなら、悪魔をそなたの墜落の協働者として見出すであろう」。

(77.)
 二人の肉親の兄弟がいたが、悪魔が彼らを互いに離間させるためやって来た。或る日、弟が灯火を点けたが、ダイモーンが活動して、燭台を引っ繰り返し、灯火もひっくり返り、兄が怒って彼を殴った〔ので〕、ひれ伏した、いわく。「大目に見てください、わが兄よ、もう一度点けます」。すると、見よ、主の力が出て行き、夜明けまでダイモーンを拷問した。そうしてダイモーンがやって来て、その頭に出来事を報告した。するとヘッラス人たち〔異教徒〕の神官がダイモーンの話を聞いて、出て行って、修道者となり、最初から謙遜を保持した。そうして言った — 謙遜は敵のあらゆる力を解体する、自分もやつから聞いたところでは、— 修道者たちを乱れさせようとして、その一人が転倒し、ひれ伏した、するとわしの力を無効させた、と。〔主題別15-112〕

(78.)
 姦淫の想念について老師が云った。「われわれがこれをこうむるのは不注意からである、なぜなら、もしも、神がわれわれの内に住みたもうということをわれわれが確信しているなら、無縁の用具をおのれに付け加えようとするなどということは決してあるまい。なぜなら、主人としてクリストスが同居し臨在し、われわれの生を観ておられるのだから。故にわれわれも、あの方をまとい観想して、ゆるがせにするべきではなく、あの方が聖であるようにおのれを聖めるべきである」。〔主題別5-20〕

(79.)
 さらに云った。「岩の上に立とう、そうして川をして流れ下らせしめよ、臆するな、またそなたを下方に投げ落とすな、平静に詩篇朗誦せよ、いわく。『主に信頼する者たちはシオーンのごとし。永遠に揺るがされることなく、ヒエールゥサレームに住む』〔詩篇124:1-2〕と」。〔主題別5-21〕

(80.)
 さらに云った。「敵が救主に言う。『おれのものをあんたのものに送ろう、あんたのものを転覆させるために。たとえあんたの選ばれた者たちに悪行することができなくとも、少なくとも夜は連中を惑わしてやろう』。これに向かって救主が言う。「自分の父祖伝来のものが月足らずのものとして受け継がれるなら、それこそ、わたしの選ばれた者たちにとって罪に数えられよう」。

(81.)
 さらに云った。「そなたのためにクリストスは生まれたもうたのだ、人間よ。神の息子がやって来られた所以は、そなたが救われるためである。子として生まれ、神でありながら、人間とならた。あるとき、朗読者が〔いた〕。それで、教会堂で〔聖〕書を取って朗読した、いわく。「主の御霊がわが上にあり、われに油そそぎたもうたゆえに」〔ルカ4:18、イザヤ61:1〕。副助祭が〔いた〕、彼は縄で打梭(うちおさ)を作っていたが、羊も牛も、その他のものらをも神殿から追い出した。助祭が〔いた〕、彼は亜麻布を巻いて、自分の弟子たちの足を洗った、兄弟たちの足を洗うよう彼らにいいつけるためである。長老が、長老たちの中に坐していたが、民に教えた。司教が、パンを取って祝福したうえで、自分の弟子たちに与えた。彼はあなたのために鞭打たれたが、あなたは彼のために侮辱にさえ我慢しない。彼は埋葬され、神として復活し、万事をあなたがたのために秩序と的確さのとおりに整えたのは、あなたがたを救うためである。断食しよう、目覚めよう、祈りに専心しよう、最善のことどもを彼のために実践しよう」。

(82.)
 偉大な老師の弟子が、姦淫に戦いを仕掛けられ、世俗に還って婚約した。老師は悲しんで神に祈った、いわく。「主イエースゥス・クリストス、あなたの僕が汚れることを許さないでください」。すると、女といっしょに閉じこめられるや、その霊を汚されないまま引き渡したのであった。

(83.)
 悪行なす諸想念について彼は答えた、いわく。「わたしは願う、兄弟たちよ、諸々の行いをやめよう、諸々の思いめぐらしもやめよう、われわれは塵は塵から〔Cf. 伝道の書3:20〕以外の何であろうか」。〔主題別10-126〕

(84.)
 師父たちの或る者が語り伝えている — 二人の商人がいた、朋友のアパメイア人で、外国と商売をしていた。一人は富裕、他は並みであった。ところで、富裕な方は、とびきり美人で、事実が示すとおり慎み深い妻を持っていた。というのは、彼女の夫が亡くなり、他方の〔商人〕はその健気さを知り、彼女を自分の妻に娶りたいとおもったが、彼女が耳をかさないのではないかと、彼女に云うことを用心した。しかし彼女は聡明であったので、気づいて彼に言う。「シュメオーン様(そう言われておいでなので)、あなたが諸想念を持っておられるとお見受けするのですが、あなたが持っておられることをどうかわたしに云ってください、そうすればあなたを確信させられるでしょう」。相手は、初めは云うことを用心したが、ついに彼女に告白し、彼女を自分の妻にすることを彼女に頼んだ。これに言う。「あなたに課することを実行してくださるなら、お受けしましょう」。彼女に言う。「何でもわたしに課してくだされば、わたしは実行しよう」。これに件の女が言う。「あなたはあなたの作業場に下がって、わたしがあなたをお呼びするまで断食してくださいますか、あなたをお呼びするまで、わたしは真に何も食べませんが」。相手は決心したが、〔彼女は〕いつ彼を呼ぶかという期限を彼に与えなかったが、件の〔商人は〕、その日のうちに自分を呼ぶものと思っていた。ところが1日過ぎ、2日、3日〔過ぎた〕が、彼女に対する渇望のせいであれ、神がこれを定められ、いつ自分を呼ぶつもりか知ることの我慢を提供されたにせよ、彼は持ちこたえた、つまり、それによって彼は「選びの器」〔行伝9:15〕となったのである。とにかく件の者はほとんど見捨てられ、衰弱から足でのぼることができず、背負われてのぼった。しかしついに、件の女が、食卓を用意し、寝椅子を敷いて、彼に言う。「見よ、食卓と寝椅子です、あなたの命じられるところに発ちましょう」。彼女に言う。「あなたにお願いです、わたしを憐れんで、どうかわたしに喰いものを少しください、わたしは死にかけているものですから、女性がいたとしても、わたしをとらえた衰弱のせいで、想いをかけられないのですから」。このとき彼に件の女が言う。「見よ、あなたは飢えて、わたしよりも、どんな女や快楽よりも、食べることを優先しているのです。されば、このような諸想念を持った場合は、この薬を使い、あらゆる場違いな想念に別離するがよいのです。というのは、どうかわたしを信じてください、わたしの夫の後、わたしはあなたにも他の人とも接することはなく、クリストスの保護のもと、このとおり寡婦のままとどまることを望みます」。このとき、彼は痛悔し、彼女の見識と慎みに驚嘆して、彼女に言う。「主は、あなたの見識のおかげでわたしを救うことを顧みることを嘉されているのですから、何を為すことをあなたはわたしに忠告してくださいますか?」。しかし件の女はその若さと美しさに安心することなく、機会があれば自分も何かそういうことを受難するのではないかと用心して、彼に言う。「これからは、神ゆえに、貴男は何びとをもわたくし以上に愛することはないと思ってよろしいですね?」。彼女に言う。「そのとおりです」。すると彼に云った。「わたくしも、神にしたがって、真に貴男を愛しますが、こう言う主の声が聞こえます、『わたしのもとに来たりて、自分の父と母、また妻や子どもたちや兄弟たち、なおまたおのれの魂〔生命〕さえ憎むことなくんば、わたしの弟子たること、かなわず』と、ですから、神ゆえにお互いに遠ざかりましょう、主が貴男にも、神ゆえにあなたの妻に別れを告げたと思量なさり、わたしにも、わたしの夫に別れを告げられたと〔思量なさる〕ように。されば、見よ、アパメイアのこの地に、わたしたち世捨て人の修道院があり、完全に救われることを渇望なさるなら、そこに出離なさいまし、そうすれば真に神に喜ばれるでしょう」。そこでただちにおのれを諸事から解き放ち、その修道院へと出発し、永眠するまでそこにとどまった。そして有名な者となり、清浄な理性を保ち、役立つ事を凝視し、これを霊的に観照した。以上のすべては、師父シュメオーネース本人が、今語り伝えている者に語ったことである。

(85.)
 師父たちの或る者が語り伝えている — 修道者たちにおいて大事なのは3つのことであり、われわれは恐れと戦慄と霊的な歓びをもってこれに従事しなければならない、つまり、聖なる秘儀の共有、兄弟たちの食卓、彼らの水盤、である。さらには次のような模範を保持せよ、いわく。— 老師たちの或る者は偉大な千里眼であったが、たくさんの兄弟たちとたまたまいっしょになることがあり、彼らが食事している際に、老師は食卓に坐しながら霊に傾注し、或る者たちは蜂蜜を食し、或る者たちはパンを、或る者たちは糞を〔食しているの〕を目にした。そうして心中に驚き、神に懇願した、いわく。「主よ、どうかわたしにこの秘密を啓示してください、全員の食卓に同じ食べ物が供されていながら、食する際にはこういうふうに変わって見え、或る者は蜂蜜を食し、或る者はパンを、或る者は糞を〔食する〕ということの」。すると上方から彼に声が聞こえた、いわく。— 蜂蜜を食する者たち、これは恐れと戦慄と霊的な歓びをもって食卓に坐し、間断なく礼拝する者たちで、彼らの祈りは薫香として神のもとに立ちのぼり、それゆえまた蜂蜜を食する。パンを食する者たち、これは神によって授けられたものらに与ったことに感謝する者たち。糞を食する者たち、これは不平を鳴らしてこう言う連中である。『これは美しいが、あれは腐っている』。それは思量すべきことではなく、むしろ神を祝福し、これに讃歌を献ずべきことである、次のことばを満たすために。『食べるにせよ、飲むにせよ、何かを為すにせよ、一切を神の栄光のために為すがよい』〔1コリント10:31〕」。〔主題別18-42〕

(86.)
 ある修道者が殉教者の日に働いたが、他の修道者がこれを見て、彼に言う。「今日働くことができるのか?」。相手がこれに云った。「今日は、神の僕が証言をはじめ、拷問された、わたしも今日、働きにおいて少し労苦すべきではないか?」。〔主題別10-114〕

(87.)
 老師が言うを常とした。— 執事がしばしば言う。「お互いに敬意を払いあえ、兄弟たちの口に聖霊を見た」。〔主題別18-37〕

(88.)
 かつて、あるひとが悔い改めて静寂を保った。ところが彼はやすやすと岩の上に落ち、足を打って、おびただしい血を流し、気絶してその魂〔生命〕を失う結果になった。そこで、ダイモーンたちが襲いかかり、彼の魂を取ろうとしたが、天使たちが連中に言う。「岩に傾注せよ、そうして主のために流した彼の血を観よ」。そうして天使たちがこれを云っている時、その魂は自由になったのである。〔主題別18-47〕

(89.)
 「修道者はいかなる者でなければならないのでしょうか?」と老師が尋ねられて云った。「わしに対して、単独者が単独者に対してのように」。〔主題別21-4〕

(90.)
 老師が尋ねられた。「砂漠をさまよっていると、わたしが畏怖に満たされるのはどうしてですか?」。すると彼が答えた。「そなたはまだ生きておるのじゃ」。〔主題別21-5〕

(91.)
 老師が尋ねられた。「何をして〔ひとびとは〕救われるべきですか?」。しかし彼は縄をないながら、その仕事をやめることなく、答えた。「見よ、そなたは目にしている」。〔主題別21-6〕

(92.)
 老師が尋ねられた。「わたしがいつまでも軽視する〔不注意である〕のはなぜでしょうか?」。すると彼が答えた。「そなたははまだミリオン〔ローマの1マイル=1000歩〕を見たことがないからじゃ」。〔主題別21-8〕

(93.)
 老師が尋ねられた。「修道者の仕事とは何ですか?」。すると彼が答えた。「分別」。〔主題別21-9〕

(94.)
 老師が尋ねられた。「邪淫への誘惑はどこからわたしにおこるのですか?」。すると彼が答えた。「多食し眠るゆえに」。〔主題別21-10〕

(95.)
 老師が尋ねられた。「修道者がなすべきことは何ですか?」。すると彼が答えた。「あらゆる善の行いとあらゆる悪の忌避」。〔主題別21-11〕

(96.)
 老師たちは言うを常としていた。「祈りは修道者の鏡」。〔主題別21-12〕

(97.)
 老師たちは言うを常としていた。「裁くことほど悪しきことなし」。〔主題別21-13,14〕

(98.)
 老師たちは言うを常としていた。「謙遜は修道者の花冠」。〔Anony98、オール9、主題別21-15〕

(99.)
 老師たちは言うを常とした。「そなたに襲いかかるあらゆる想念に言え、『汝はわれらのものか、それとも、敵対者たちのものか?』。そうすれば、完全に白状するだろう」。〔主題別21-16〕

(100.)
 老師たちは言うを常とした — 魂は泉である、掘れば澄むが、溜めれば消える、と。〔主題別21-17〕

(101.)
 老師が云った。「神は牢屋から釈放したり、牢屋に投獄したりできるが、不正者ではないとわしは信じる」。〔主題別21-18〕

(102.)
 老師が云った。「自分自身が万事に強制されること、それが神の道である」。〔主題別21-19〕

(103.)
 汝の為そうとすることが神のためであるのかどうか、汝の心を調べるよりも前に、何かを為してはならない」。〔主題別21-22〕

(104.)
 老師が云った。「修道者が祈りのために立ったときにのみ祈るなら、こういう者は全然祈っているのではない」。〔主題別21-23〕

(105.)
 老師が云った。— 20年間、わしが想念と戦いつづけてきたのは、あらゆる人間をひとりとみるためじゃ。〔主題別21-24〕

(106.)
 老師が云った。— 分別はいかなる徳よりも偉大である、と。〔主題別21-25〕

(107.)
 老師が尋ねられた。— 魂が謙遜を得るのはどこからですか?と。すると彼は答えた。「ただひとり自分自身の諸悪を気遣うときに」。〔主題別21-26〕

(108.)
 老師が云った。「大地が下に落ちることなどないように、自身をへりくだる者も〔下に落ちることは〕ない」。〔主題別21-28〕

(109.)
 老師が云った。「わしがつかみ得たかぎりのことを、わしは二度としなかった」。〔主題別21-29〕

(110.)
 老師が云った。— 羞恥は修道者のものである、もしも神のために自分のことは放置して余所者としてすごし、しかる後に懲罰へと赴くならば、と。〔主題別21-30〕

(111.)
 老師たちは言うを常とした。「若者が自分の意思で天に昇ろうとしているのを見たら、その足を掴んで、彼を下へ投げ落とせ、彼のためになるからである」。〔主題別10-173、244〕

(112.)
 老師が云った。「この世代が求めるのは今日ではなく、明日である」。〔主題別21-31〕

(113.)
 老師が云った。— われわれの業は、材木を焼くことである、と。〔主題別21-32, vgl. 21-63〕

(114.)
 老師が云った。「蔑ろにされざる者になろうとするな」。〔主題別21-33〕

(115.)
 老師が云った。「謙遜は怒らず、誰かを怒らせることもない」。〔主題別21-34〕

(116.)
 さらに云った。「修屋に坐すことは、修道者を諸善で美しく満たす」。〔主題別21-35〕

(117.)
 老師が云った。「哀しいかな、人間、名前がその仕業より大きいとは」。〔主題別21-36〕

(118.)
 老師が云った。「気安さと笑いは、炉の中に据えられた火に似ている」。〔主題別21-37〕

(119.)
 老師が云った。「神ゆえにおのれを強制される者は、告白者たる人に等しい」。〔主題別21-38〕

(120.)
 主のせいで愚者となった者は、主がこれをわきまえさせてくださる。〔主題別21-39〕

(121.)
 老師が云った。「いかなる瞬間も死を眼前に有する人は、小心に勝利する」。〔主題別21-40〕

(122.)
 老師が云った。「神が人間にお求めになるのは以下のものである、すなわち、理性とロゴスと行為」。〔主題別21-41〕

(123.)
 同じ人が云った。「人間が必要とするのは以下のものである。神の審判を恐れること、罪を憎むこと、徳を愛すること、いつも神に嘆願すること」。〔主題別21-42〕

(124.)
 老師が云った。「対話の際に愛勝する人間から常に離れていよ」。〔主題別11-63〕

(125.)
 老師が云った。「支配者と友愛を結ぶな、女ともやりもらいするな、若輩者に親切にすることをするな」。 〔主題別10-124〕

(126.)
 老師が云った。「泣こう、兄弟たちよ、そうすればわたしたちの眼が涙を導き降るであろう、われわれの涙がわれわれの身体を焼きつくすところにわれわれが立ち去る前に」。 〔マカリオス34後半、主題別3-20〕

(127.)
 老師が云った。「無憂(ajmerimniva)と沈黙と、そうして隠れた気遣いが純潔を産む」。〔主題別5-29〕

(128.)
 ある老師について言われている。— 兄弟たちと住んでいて、一度、彼らに用事をするよう言ったことがある、しかし彼らがしなかったところ、老師は立ち上がって、怒りをいだくことなくそれをした。

(129.)
 兄弟が老師に尋ねた、いわく。「隣人に対して美しい態度(eJciV)を持つべきでしょうか?」。これに老師が言う。「そのような諸々の態度は、小籠kimovn???を裂く力を持たない。そなたはそなたの兄弟に対する態度を〔現に〕持っている、態度を持つ気があるなら、もっと情動に対して持つがよい」。

(130.)
 兄弟が老師に祈りを懇請した、都市に急いでいたからである。しかし老師は彼に向かって云った。「都市に急ぐことなかれ、むしろ都市を逃れるべく急げ、そうすればそなたは救われる」。

(131.)
 老師が云った。「〔俗界を〕逃れた人間は熟れた葡萄に似ているが、俗人の中にいる人間は、熟れていない葡萄のごとし」。〔N131、モーゥセース7、主題別2-20〕

(132.)
 老師が云った。「わしが誰かに反対の想念を持っているのをそなたが見たら、そなたもわしに対して同じ〔想念〕を持っておるのじゃ」。〔N132、オール5〕

2016.04.26.

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