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back.gif砂漠の師父の言葉(Anomy1)1/6

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata) 2

砂漠の師父の言葉(Anomy1)
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(T133-143.)

静寂(hJsuciva)と痛悔(katavnuxiV)とを欣求すべきこと

(133.)
 老師が言った。「修道者は、たとえ身体を損ねることになろうとも、軽んずることで、おのれの静寂を贖うべきである」。〔主題別2-28〕

(134.)
 ある人が語った。— 敬愛すべき愛労者が3人いて、一人は、「平和を作る人たちは浄福である」〔マタイ5:9〕ということばどおり、争う者たちを平和に暮らさせることを選び、二番目の人は、病者たちを世話することを〔選んだ〕。しかし第三の人は静寂にすべく荒野に隠棲した。ところが、一番目の人は人間どもの争いに疲れ果て、誰をも癒やすことができず、懈怠に陥り、病者たちに仕えている者のところにやってきたが、彼もまた失望して、戒めを成就するに至っていないのを見いだした。そこで両人は意を同じくして、静寂を保っている者に逢いに出かけ、彼に自分たちの悩みを語り、何を矯正すべきか自分たちに言ってくれるよう相手に頼んだ。するとしばし沈黙してから、水を碗に入れて、「水をごらんなさい」といったが、水は混濁していた。すると少し経ってから、再び彼らに言う、「今は水はどうなっているかごらんなさい」。そこで水を注視すると、鏡のように自分たちの顔が見えたので、彼らに言った。「人間どもの中にある人もまたこのように、その混濁からおのれの罪が見えないのですが、静寂を、とりわけ荒野で保つと、そのときこそおのれの欠点が見えるのです」。〔主題別2-29〕

(135.)
 老師が語った、— ある兄弟が隠遁しようとしたが、自分の母親が妨げた。しかし彼は、「わたしの魂を救います」と言って、所期の目的を捨てなかった。そこで〔母親は〕あれこれ努めたが、彼を引きとどめることができず、ついに彼に許可を与えた。そこで隠遁して修道者になったものの、自身の生をいたずらに浪費した。さて、彼の母親が亡くなり、またしばらくして彼が大病を患い、意識朦朧として、審判に引き上げられるということが起こり、自分の母親が審判を受ける者たちといっしょなのを見つけた。すると、彼女は彼を目にするや、驚倒して云った。「これは何としたことか、わが子よ、おまえまでこんなところで裁かれるとは! 『わたしの魂を救うつもりです』と言ったおまえの言葉は、いったいどこに」。そこで、聞いたことに恥じ入って、彼女に答えるすべもなく、彼は苦痛に立ちつくしていた。すると、再びこういう声が聞こえた、「この者をここから連れ去れ、おまえたちを遣わしたのは、共住修道院の、この者と同名の別の修道者のところじゃ」。さて、幻視が終わるや、我に返り、居合わせた者たちに以上のことを語った。そこで言われたことの確証と信頼のために、聞いた共住修道院に人を訪れさせ、耳にした当の兄弟が永眠したかどうか見させた。そこで使いの者が訪れて、そのとおりなのを見いだした。さて、快復するや、奮起して、みずからを閉じ込めて、自分の救いを心がけて座った。以前はいたずらに行っていたことを後悔し、嘆きつつ。しかし彼の痛悔があまりに激しいので、度外れた哀号のせいで何か害さえ受けるのではないかと、少し緩めるよう多くの人たちが彼に忠告した。だが、彼はこう言って勧告を拒んだ。「わが母の誹りに堪えなければ、どうして審判の日に、クリストスと聖なる天使たちの面前での羞恥に堪えられようか」。〔主題別3-38〕

(136.)
 老師が云った。— 復活後クリストスが臨在なさるときに、人間どもの魂たちが恐怖から逝去することが許されるなら、世界は戦慄と驚愕(ejkstavsiV)から死ぬことだろう。いったい何を目にすることができようか。諸々の天が裂け、怒りと憤怒をもってが現れ、数限りない御使いたちの軍勢と、同時にまた、人間性の全体を眺める際に。それゆえ、われわれは生きるべきである、自分たちの生き方について、日々に釈明を求められているものとして。 〔主題別3-39〕

(137.)
 兄弟が老師に尋ねた、いわく。「どうすれば、神に対する畏怖が魂の中に入ってくるのでしょうか」。すると老師が云った。「人間が謙遜と無所有と、裁かないことを有するなら、神に対する畏怖が彼にやってこよう」。 〔主題別1-29、エウプレピオス5〕

(138.)
 兄弟が老師を訪問し、これに尋ねた、いわく。「師父よ、どうしてわたしの心は頑なで、神を恐れないのでしょうか?」。これに老師が言う。「わしがおもうに、もしひとが自分の心中に吟味(e[legcoV)を掌握するなら、彼は神に対する畏怖を掌握するだろう」。これに兄弟が言う。「吟味とは何ですか?」。そこで彼に老師が云った。「人間があらゆる事柄において、魂にこう言っておのれの魂を吟味するためじゃ。『おまえは神に対面しなければならんということを記憶せよ』。そしてまた次のことをも言わねばならん。『わたしは人間といっしょに何をするつもりか』と。もしもひとがこのような事態にとどまるなら、神に対する畏怖が彼に到来するとわしは思量する」。〔主題別3-40〕

(139.)
 或る老師が、或る人が笑っているのを目にして、これに言う。「天と地の前で、われらの人生すべてについて釈明しなければならない時でも、おまえは笑っているとは!」。〔主題別3-41〕

(140.)
 老師が云った。「いつもおもれの悪行を連れているごとく、どこに居ようと、哀泣も痛悔も、おのれに伴わねばならない」。 〔主題別3-42、Cf. 21-43〕

(141.)
 兄弟が老師に尋ねた、いわく。「何をなすべきでしょうか?」。するとこれに云った。「われわれはいつも涙すべきである。というのは、あるとき、師父たちの或る者が永眠し、長時間の後に、再び我に返るということが起こった、そこでわれわれは彼に尋ねた、いわく。『かしこで何を目にされましたか、師父よ』。すると彼は哀号しながらわれわれに語った。『かしこで間断なく、「悲しいかな我、悲しいかな我!」と言うひとたちの哀号の声を聞きました』と。われわれもまたいつもそういうふうに言わねばならないのじゃ」。 〔主題別3-44〕

(142.)
 兄弟が或る老師に尋ねた、いわく。「老師たちに聞くとおり、わたしの魂は涙を欲しているのに、それは出てこず、わたしの魂が悩ましいのはどうしてでしょうか?」。するとこれに老師が云った。「イスラエールの息子たちは40年をかけて約束の地に入った、もしそなたがその地に帰還するなら、もはや敵を恐れることはあるまい。実際、そういうふうに、魂が悩むことを神が求められるのは、あの地に入ることをいつでも欲しておられるためである」。 〔主題別3-45〕

(143.)
 兄弟が老師に尋ねた。「どうすればわたしは救われるのでしょうか?」。すると相手は僧衣(lebhvtwn)をかなぐり捨て、腰に帯をしめ、自身の両手を天にさしのべて云った。「修道者はかくあるべし。人生の財からは裸になり、十字架にかけられて。格闘技において競技者は拳闘する、想念の中では、両手を天に向けて十字架にかけ、修道者は神を呼ばう、競技者は格闘するとき裸で競技場に立つ、修道者は裸にして無一文となって、オリーヴを塗布され、監督によって、いかに格闘すべきかを教えられる、そういうふうにして神はわたしたちに勝利を授けてくださるのである」。 〔主題別6-20〕


(T144-162.)

節制(ejgkrateivaV)について

(144.)
 あるとき、スケーティスで催し事があり、老師に葡萄酒の器を与えられようとしたことがあったが、彼はこれを断って云った。「この死をわしから取り除いてくれい」。すると、彼といっしょに食していた残りの人たちもこれを見て、自分たちも受け取らなかった。〔主題別4-63〕

(145.)
 兄弟たちの或る者が、明け方から空腹になったが、第3時になるまでは食うまいと、想念と戦った。そうして第3時になったが、第9時になるまではと、おのれに強要した。、パンを浸して食おうとして座ったが、想念に「第9時まではこのままでいよう」と言って立ち上がった。そうして第9時になり、祈りを挙げていると、手仕事から活動が煙のように立ちのぼるのを眼にし、空腹が自分からなくなったのである。〔主題別4-71〕

(146.)
 或る弟子が、自分の師父について語った — まる20年間、脇腹を下に横になったことなく、自分の座(そこで仕事をした)に坐ったまま眠った。食事を摂ったのは、2日おきか、4日おきか、5日おきで、20年間そうであった。しかも食事するときには、自分の一方の手は祈りのために差し伸べ、もう一方の手で食事を摂り、そこでわたしが彼に、「それは何ですか? なぜそんなふうになさるのですか、師父よ」と云うと、わたしに向かって答えた。「の裁きをわしの眼前においておる、わしはじっとしておれんのじゃ」。さて、われわれの祈祷集会がもたれたとき、わたしはど忘れし、詩篇の語を思い出せなかったことがある、すると祈祷集会を終えるや、老師が答えて云った。「わしが祈祷集会を執り行っていたら、わしの下から火が燃えあがっているように思われ、わしの想念は右とか左に傾くこともできなかった。われらが祈祷会を持っているとき、そなたの想念はどこにあったのか、詩篇の言葉がそなたに忘れられたのはなぜなのか? そなたはわかっているのではないか、そなたがの目前に立ち、に話しかけていることが」。
 あるときには、老師は、夜、出かけて行き、わたしが修屋の中庭で眠っているのを見つけ、老師はわたしのことを嘆きつつ立っていた、そうして泣きながら言った。「いったいこやつの想念はどこにあるのか、こんなにのんきに眠っているとは」。〔主題別20-11〕

(147.)
 兄弟が、徳望高い老師に出会った、そこで彼に言う。「わたしはうんざりしています」。するとこれに老師が云った。「あなたの修屋に座りなされ、そうすれば、があなたに安らぎをくださる」。

(148.)
 葡萄酒の器が初穂として修屋群にもたらされたのは、飲用に兄弟たちに与えられたからである。すると兄弟のひとりが逃れようとして丸屋根にのぼったとき、丸屋根が崩落した、その轟音に逃げ出した者たちは、彼が投げ出されているのを目にして、こう言って彼を非難しはじめた。「見栄っ張りめ、おまえにはお似合いだ」。すると師父がこう言って彼を助け起こした。「わが息子を放せ、美しい業をしたのじゃ、まさに主は生きておられる、わしの時代にこの丸屋根が建てられることは決してない、酒の器のせいで丸屋根が修屋群に崩落したということを、世間が知るために」。〔主題別4-64〕

(149.)
 老師たちのひとりが別の老師を訪れ、その弟子に云った。「われらのためにレンズ豆を少々作ってくだされ」、そこで彼が作ってやると、「われらのためにパンを浸してくだされ」、そこで浸してやった。そうして、次の日の第6時まで、霊的な事柄について話しつづけた。するとその弟子に再び言う。「われらのためにレンズ豆を少々作ってくだされ、わが子よ」。そこで言う。「昨日作りました」。まさにそういう次第で彼らは喰ったのである。〔主題別4-69〕

(150.)
 老師たちの別のひとりが、師父たちのひとりを訪れた。後者はレンズ豆少々を煮ていたので、前者に云った、「少し礼拝をしよう」。そうしてひとりが詩篇全編を終わり、兄弟は二人の大予言者を暗唱した。夜が明けると、来訪した老師は帰って行き、彼らは食事を忘れていた。〔主題別4-70〕

(151.)
 老師たちのひとりが病気になり、何日も食事を受けつけられず、彼が野菜を少し摂るよう、自分の弟子に勧められた。で、〔弟子は〕出かけて行って作り、喰うよう彼に持ってきたが、そこには、わずかな蜂蜜の入った容器と、亜麻の種子油の入った別の容器がぶらさがり、灯火用の悪臭が漂っていた。しかし兄弟は気づかず、蜂蜜の代わりに、老師の食べ物の上にそれをかけた。しかし老師は味わい、何も喋らず黙って喰った。そこで〔弟子は〕彼に三杯目をも与えた。しかし〔老師は〕こう言って喰うことを断った。「ほんとうに喰うことができぬのじゃ、わが子よ」。そこで彼を元気づけようとして言う。「よろしい、師父よ、見よ、わたしもあなたといっしょに食べましょう」。で、味わってみて、自分が何をしたかがわかり、こう言って彼の前にひれ伏した、「ああ、師父よ、わたしはあなたを殺し、あなたはその罪をわたしに犯させるところでした、何もおっしゃらないのですから」。老師が言う。「わが子よ、気に病むことはない、わしが蜂蜜を喰うことをもしもがお望みなら、そなたは蜂蜜をかけることができたじゃろうから」。〔主題別4-72〕

(152.)
 ある老師について語られている — あるとき彼は小無花果を欲し、これを自分の眼前にぶら下げたが、その欲望に負かされなかったので、単に欲望しただけで自分を服従させたことを後悔した。〔主題別4-73〕

(153.)
 ある兄弟が、修道院にいる自分の妹が病気になったので見舞うため出かけたが、彼女は信仰心きわめて篤く、男と会うことばかりか、自分の兄弟が彼女を口実に女たちの中に入ることをも承知せず、彼にこう言って説明した。「お行きなさい、兄弟よ、わたしのために祈りつつ、そうして、クリストスの恩寵で、諸天の王国であなたにお目にかかりましょう」。〔主題別4-74〕

(154.)
 修道者が道中で修道院女たちに行き会わせ、道を迂回しようとした。すると嚮導していた修道女が彼の方に向かって云った。「あなたが完全な修道者なら、わたしたちが女だということに気づかなかっでしょうに」。〔主題別4-75〕

(155.)
 兄弟が自分自身の新しいパン塊を修屋群に運び、老師たちを一席に呼んだが、各人は2塊当て喰ったところで止めた。そこで兄弟は、彼らの修行の労苦を知っていたので、ひれ伏した、いわく。「主のために、今日は満腹するまで喰ってください」。すると彼らは他に10個のビスケットをさらに食った。されば、見よ、真の修行者たちの食事が、どれほど必要性以下であるかを。〔主題別4-77〕

(156.)
 ある老師が重病に罹り、内なる血を多量に吐いた。兄弟たちの一人が乾燥したナツメヤシの実を持ち合わせ、粥を作って、それを下に入れ、老師のところに持って行き、彼に味わうよう願った、いわく。「願わくは、喰べてください、きっと効くにちがいありません。しかし老師は長い間彼をじっと見て云った。「まこと、がこの病によって、もう30年間、わしを許してくださることを望む」。このような重病においてさえ老師はわずかな粥を喰うことも受け容れなかったので、兄弟はとって自身の修屋に帰っていった。 〔主題別4-78、イサアーク10〕

(157.)
 他の老師が、遠く離れた砂漠に住持していた。たまたま兄弟が彼を訪ねることになり、彼が病気なのを見出した、そこで〔面倒を〕引き受け、彼を洗い、持って行った必要品の中から少しの煮物をつくり、彼に喰うよう差し出した。すると老師が答えて、云った。「まこと、兄弟よ、人間どもがこんな安らぎを持っていようとは、わしは忘れておった」。そこで彼にぶどう酒の容器をも差し出すと、これを見て、こう言って泣きだした。「死ぬまでぶどう酒を飲むことを期待したことはなかったのに」。〔主題別4-79〕

(158.)
 老師が40日間不飲の修行をしていたが、暑くなると水差しを濯ぎ、これに水を満たし、これを自分の前にぶら下げ、どうしてそんなことをするのかと兄弟から尋ねられると、答えた。「渇きでわしをますます苦しめて、からより多くの報酬を得るためじゃ」。〔主題別4-82〕

(159.)
 兄弟が自分の母親(老女であった)を連れ立って旅していた、そうして河にやって来たが、老女は渡ることができなかった、そこで彼女の息子は自分の頭巾をとって自身の両手に巻きつけて、自分の母親の身体に触れないようにして、そうやって彼女を運んで、対岸に渡した。そこで彼の母親が彼に言う。「わが子よ、何ゆえそなたの両手を包んだのか?」。すると彼が謂った。「女の身体は火で、そこから他の〔女たちの〕記憶がよみがえります、だからこそ、そうしたのです」。〔主題別4-83〕

(160.)
 師父たちのひとりが云った。「復活祭の1週間、修屋で断食していた兄弟を知っている、そうして夕方、人々が集まるや、教会で喰わないために逃げ出し、煮られたフダンソウを少しつくり、パン抜きで喰った。〔主題別4-84〕

(161.)
 あるとき、スケーティスの長老が、アレクサンドレイアの大主教、浄福なテオピロスのもとにやって来たが、スケーティスに帰る時、兄弟たちが彼に尋ねた。「都市はいかがですか?」。すると彼が彼らに云った。「まこと、兄弟たちよ、ひとり大主教以外には、わしは人間の顔を見なかった」。彼らはこれを聞いて、こう言って混乱した。「いったい、滅び去ったのですか、師父よ」。すると彼が云った。「そうではなく、何事かを見るという想念がわたしに勝たなかったということじゃ」。そこで彼らは聞いて驚嘆し、彼の言葉から、自分たちの眼をぐらつきから守るよう強くされたのであった。〔イシドーロス8〕

(162.)
 かつて、師父たちがアレクサンドレイアに出かけたことがある、大司教である浄福なテオピロスに呼ばれ、祈りを上げ、域を占領するためであるが、彼らが彼と食事しているとき、仔牛の肉を供せられ、何の分別もなく彼らは食したが、大司教は一切れをとって、こう言いながら自分の傍にいた老師に与えた。「見よ、これは美しい一切れです、お食べなされ、師父よ」。彼らは答えて云った。「わたしたちは、今の今まで野菜を食べていました、もし肉なら、わたしたちは食べません」。そうして、もはや彼らの誰ひとりそれを味わうことはなかった。〔大主教テオピロス3、主題別4-76〕


(T163-191.)

邪淫(porneiva)からわれわれに反抗する戦いに寄せて

(163.)
 ある兄弟が邪淫に闘いを挑まれたが、その闘いは、夜昼となく、彼の心の中で火と燃えた。しかし兄弟は想念を認めることさえないほど競合した。そうして長い時間かかって、この闘いは兄弟の忍耐のおかげで、何の力を得ることもなく去り、彼の心の中にすぐに光が射したのである。〔主題別5-15〕

(164.)
 他の兄弟が邪淫に闘いを挑まれ、夜間に起きあがり、ある老師のもとに出かけ、彼に想念を告げた、そうして老師が彼を励まし、益せられて、自分の修屋に帰った、しかし見よ、再び闘いが彼を見舞った。そこで彼は再び老師のもとに出かけ、そういうふうに何度もしたが、老師は彼を苦にすることなく、益あることを彼に話してきかせ、そうして彼に言った。「遠慮するな、むしろ何度でも、ダイモーンがそなたに闘いを仕掛けるたびにやって来て、自分を吟味せよ、そうして、そういうふうに吟味されれば、撤退するであろう。なぜなら、やつの為業を暴露するぐらい邪淫のダイモーンを嫌悪させるものはなく、その想念を包み隠すぐらいやつを喜ばせるものもないのじゃから」。〔主題別5-16〕

(165.)
 兄弟が邪淫に闘いを仕掛けられたが、競合した、ますます苦行を激しくし、欲望に屈することのないよう想念を見張って。後に、教会へ行き、大衆全員に事件を明かし、そうして誡めが与えられ、全員が1週間、彼についてに祈る労をとり、かくて闘いは止んだ。〔主題別5-17〕

(166.)
 邪淫の想念について、老師たちの中のある砂漠の修行者が云った。「永眠後、救われたいとおもうか? 行って労せよ、行って労苦せよ、行って探求せよ、そうすれば見出すであろう、目覚めてあれ、叩け、そうすれば汝のために開かれん、この世にまったき浄福者たちあり、数多くの打擲を受け、もちこたえ、張り切ることで、花冠を受け、しばしば一人で二人から打擲されても、その殴打に張り切り、打擲者たちに打ち勝った。あらゆる張り切りが肉の益得であることを知ったか? されば、そなたももちこたえ張り切れ、そうすればがそなたのために敵と闘ってくださる。〔主題別5-18〕

(167.)
 同じ想念について別の老師が云った。「以下のことはわれわれが等閑からこうむることである。すなわち、がわれわれの内に住みたもうことにわれわれが満足していれば、無縁の品をおのれに付け加えることはなかろう。なぜなら、主人であるクリストスがわれわれの内に住み、われわれとともにいまし、われわれの生をみそなわすからである。ここから、われわれも、あのかたを身にまとい、観て、等閑にしてはならない、むしろ、あのかたが聖なる者であるごとくに、おのれ自身を聖化すべきである。岩の上に立とう、そして邪悪な者をして粉砕されしめよ。臆するな、断じてそなたを害するな。力強く詩篇朗誦せよ、いわく。『主に信頼する者らはシオーンの山のごとく、ヒエルゥサレームに定住する者は、永遠に揺るがされることがない』〔詩篇124:1〕」〔主題別5-19〕

(168.)
 兄弟が老師に尋ねた、いわく。「修道者が罪に陥ったら、進歩から退歩に落ちたとして苦悩し、立ち直るまで苦労するでしょう。しかし世俗から出離した者は、初めて出発する者として前進するでしょう」。すると老師が答えて云った。「試練に陥った修道者は、倒れた家のごとくであって、自分の想念に対して完全に素面であり、倒れた家を建て直す気なら、多くの材料、つまり、土台、石、土塁、を見出し、掘ったり土台を打ったりしたこともなく、必要なものを何も持たず、いったいどうすれば完成するのかどうか希望にすがるだけの者よりも、速やかに進歩することができよう。されば、修道者の為業から〔転落した〕者も同様である。試練に陥っても立ち帰るなら、数多くの営業資本、つまり、思慮(melevth)、詩篇朗誦、手仕事 — これらこそ土台である — を有する。入門者が、それらを学んでいる間に、修道者は初めの状態へ到達するのである」。〔主題別5-22〕

(169.)
 兄弟が邪淫にたかられたので、偉大な老師を訪ね、彼に願った、いわく。「願わくは、わたしのために祈ってください、邪淫にたかられているのです」。そこで老師は彼のためにに懇願した。二度目にまたもや老師のもとにやって来て、同じ言葉を言った。老師も同様に、彼のためにに願って等閑にしなかった、いわく。主よ、どうかわたしに、この兄弟の境涯と、この活力がどこから来るのかを闡明してください、あなたにお願いしましたのに、彼はまだ平安を見出せません」。するとが彼に彼〔兄弟〕のことを闡明したのであるが、彼〔兄弟〕が坐しながら、邪淫の霊がその近くにあって、彼がそれと駄弁っているのを見た、しかし救済のために彼に遣わされた天使が傍に立ち、兄弟に対して怒っていた、の方へおのれを捨てず、諸々の想念を喜んで、おのれの理性全体を〔ダイモーンの〕活動に委ねているからであった。こういう次第で、原因が兄弟に起因することを老師は知って、赴いて彼に告げた —。「原因はそなたにある、そなたの諸想念に賛同しているからじゃ」。そしていかにして諸想念に反対するかを彼に教えた。かくて兄弟は素面となり、その教えと老師の祈りとによって平安を見出した。〔主題別5-23〕

(170.)
 ある時、偉大な老師の弟子が邪淫に戦いを仕掛けられた。老師は、彼が苦労しているのを目にして、彼に言う。「よければに願ってやろう、そうすればそなたから戦いを軽くしてくださろう」。相手が云った。「いいえ結構です。確かにわたしは苦労していますが、この苦労からわたしへの果実を目にします。むしろ、次のことをこそあなたの祈りでにお願いしてください、わたしにもちこたえられるだけの忍耐を与えてくださるように、と」。彼の老師が彼に言う。「そなたが進歩のなかにあり、わしを確実に超えていることが、今日わかった」。〔主題別5-24〕

(171.)
 ある老師について言い伝えられている — スケーティスに下った、乳飲み子を持っていたが、〔その子は〕女の何たるかを知らなかった。さて、大人になり、これにダイモーンたちが女たちの姿を示し、〔子は〕自分の父親に告げ、驚いた。さて、ある時、自分の父親と連れ立ってアイギュプトスに上り、女たちを見て、自分の父親に言う。「父さん、この者たちは、スケーティスで、夜、わたしのところにやって来た連中です」。するとこれに彼の父親が言う。「この者たちは、村々の修道者たちじゃよ、わが子よ、この者たちと砂漠の者たちは別々の姿をしておる」。そうして、老師が驚いたのは、ダイモーンたちが砂漠においても女たちの幻をどのように彼に示すかということであった、そうしてすぐに自分たちの修屋に引き返したのであった。〔主題別5-25〕

(172.)
 スケーティスに闘技者のある兄弟がいたが、敵が、このうえなき器量よしのある女の記憶で彼をそそのかし、それが彼をひどく苛んだ。しかし摂理により、他の兄弟がアイギュプトスからスケーティスに下ってきて、彼らが話している時、件の女が死んだと云った。彼女こそ、この闘技者が戦っていた相手だった。彼はこれを聞くや、夜、僧衣(lebhtwn)をとって、〔アイギュプトスに〕上り、彼女の塚を開けて、彼女の体液を自分の僧衣に浸し、これを持って自分の修屋に引き返し、その悪臭を自分の前に押しつけ、想念と戦った、いわく。「見よ、おまえが求めるおまえの欲望、これをおまえは持っている、おのれを満腹させるがいい」。まさにこのようにして、戦いが彼から休止するまで、おのれを悪臭で拷問したのであった。〔主題別5-26〕

(173.)
 あるとき、ある人がスケーティスで修道者になろうとして出離したが、乳離れしたばかりの自分の息子をも自身に連れていた。〔その息子が〕若者になると、敵たちがこれに襲いかかりはじめ、自分に父親に云った。「わたしは世俗に行きます。戦いをもちこたえる力がありませんから」。彼の父親は、彼に呼びかけつづけた。しかし再び若者が言う。「お父さん、わたしには力がありません、わたしに立ち去ることを許してください」。これに彼の父親が言う。「もう1回だけ、わたしのいうことを聞け、わが子よ、そうしてパン40対と、ナツメヤシの枝葉40日分とをおのれに取り、砂漠の奥へ行け、そうしてそこに40日とどまれ、そうしての御心をしてあらしめよ」。そこで自分の父親に聞きしたがい、立ち上がって、砂漠に入り、そこで労苦し、乾燥したナツメヤシの枝葉を編み、乾燥したパンを食べ続けた。そうしてそこで20日間静寂を保ったところ、自分に向かってくる活力を見た。そうして自分の面前に悪臭ふんぷんたるアイティオピア女のように見えたので、その臭いに耐えられなかった。そこで彼女を追い払ったが、〔彼女が〕彼に言う。— わたしは人間どもの心の内で甘美なるものと見えるのに、おまえの従順とおまえの労苦ゆえに、おまえを欺くことをが許さず、おまえにわたしの悪臭を現したのだ」。そこで彼は立ち上がり、に感謝し、自分の父親のもとに行って、これに言う。「もはや世俗に帰る気はありません、父さん、彼女の活動と悪臭を目にしたのです」。そこで彼の父親も彼について満足し、彼に言う。「40日間とどまって、いいつけを守っておれば、もっと大きな観想を見る事ができたものを」。〔主題別5-27〕

(174.)
 師父たちの或る者について言い伝えられている — 世俗の人であったが、おのれの妻に戦いを仕掛けられた。そこでこのことを師父たちに話したところ、彼が働き手であり、自分たちが言うこと以上のことを実修することを知っていたので、彼に諸々の行住坐臥(politeiva)を課した結果、その身体は弱り切り、もはや立つこともできないほになった。しかしの摂理により、師父たちの中のある異邦人がスケーティスを訪れようと、彼の修屋にやって来て、それが開いていないのを見たが、どうして自分に会うため誰も出てこないのか驚きつつ通り過ぎた。だが、引き返して、戸を叩いた、いわく。「まさか兄弟は病気ではあるまいが」。そうして戸を叩いて、中に入って、彼が重病なのを見つけた。そこで彼に言う。「どうなさったのですか、師父よ」。すると彼に説明した、いわく。「わたしは世俗の者ですが、目下、敵がわたしの妻を使ってわたしに戦いを仕掛け、師父たちに話し、わたしにさまざまな課業をあてがい、それを実修しおかげで病気になり、敵も増えたのです」。これを聞いて老師は、心痛し、彼に言う。「師父たちは、有能ですから、諸々の行住坐臥をあなたにあてがったのですが、わたしの謙遜を聞くなら、あなたからそれらを捨て去り、わたしのわずかな糧をその好機に摂りなさい、そうしてあなたのわずかな祈祷を実修し、あなたの煩わしさは主に委ねなさい、というのは、あなたの労苦によっては、この事態を凌ぐことはできません、というのも、われわれの身体は上衣のようなものだからです。それを気遣うなら、立ちますが、等閑にすれば、腐敗するのです」。相手は彼に聞いて、そのとおりにし、数日後に敵は彼から離れた。〔主題別5-45〕

(175.)
 ある隠修者が山に坐していた、アンティノエー地方では敬虔さにおいて進歩し、思の言葉と行いにおいて多衆が益された。しかし、この人物がそうであるがゆえに、有徳者すべてに対してと同様、敵が嫉妬し、敬虔さを装った次のような想念で彼をそそのかした。— おまえのなすべきことは、他者に隷従されたり奉仕されたりすることではなく、むしろ、他者に奉仕さるべきではなくて、もっと奉仕するよう心を入れ替えよ、少なくともおのれに隷従せよ。そういうわけで、出かけて行け、おまえの〔葦で編んだ〕手提げ籠を売り、そうしておまえの必要品を買え、そうして再びおまえの隠修所にもどってこい、誰にも負担をかけるな、と。詐欺師がこう助言したのは、彼の静寂と、への祈願の専心と、多衆に対する益に対する嫉妬からであった。というのは、敵はあらゆる面から彼を狩ることに必死だったからである。しかし彼が、善き想念に聴従したかのように、自分の修道院に下って来たが、彼は当時驚嘆されていた人物であったが、待ち伏せするやつの数々の手管に無経験だったのである、目に見える普通の人たちによってはよく知られ著名な人ではあったけれども。さて、長い期間の間に、女に出会い、不注意からよろめいて、人気のない所に行き、これに敵がお伴していたため、川のそばで堕落した。で、敵が自分の堕落を喜んでいることに思いを致して、おのれに絶望しかかった、何よりもの霊を苦しめた、天使たちや聖なる師父たちを〔苦しめたこと〕ことに対してである。その多くは、都市にあってさえ、敵に勝利してきた。彼らの誰にも似ていないので、彼はひどく苦しんだが、は、おのれに真に希望をかける者たちに力を供給してくださるということを思い出さなかったからである。犯した罪の癒しに無感覚となって、川の流れに、死と悪魔の最終的な歓喜に身を投じようとした。かくて、魂の多大な苦痛のあまり、その身体を弱らせ、ついに憐れむが彼を死なないよう助けなかったなら、敵の完全な歓喜のうちに終わったことであろう。しかし、ついに我に返り、堅忍のうちにもっと多くの労苦を引き受けようと思量した。かくて、再び自分の修道院に隠棲し、戸を塞ぎ、死者には哀号しなければならないかのように、に嘆願して哀号した。そして失意のうちに断食し徹宵したので、その身体は衰微した、悔い改めの充足を持たなかったからである。兄弟たちはといえば、自分たちの益目的にしばしば彼のもとを訪ねたが、戸を叩いたとき、自分で開けることができないと言った、「なぜなら」と彼が謂った、「1年間真に悔い改めをすると約束をしたから」と、そして言った。「わしのために祈ってくだされ」と、というのは、彼らの間で非常に尊敬され、偉大な修道者であったので、聞く者たちが躓かないために、どう弁明すればいいか窮したからである。かくて、まる1年が過ぎ、切に悔い改めた結果、受難祭の日の頃、聖なる復活の夜、新しい蝋燭芯を取って用意し、新しい土器に入れて、これを覆ったうえで、夕方から、祈りを上げた、いわく。
 「慈悲深く憐れみ深いよ、蛮族たちをさえ救われて真理の悟りにいたることを望まれる方よ、諸々の魂の救い主たるあなたに庇護を求めます。わたしを憐れんでください、多くのことであなたを憤激させて敵を歓びせたわたしを、そうして、見よ、わたしは死人です、敵に聞きしたがったゆえに。あなたは、主人よ、不敬虔な者たちや無慈悲な者たちをさえ憐れまれ、隣人たちを憐れむよう教えておられる。わたしの謙遜にお慈悲をください、御身に不可能なことは何もないのですから、わたしの魂は塵のように冥府で篩い分けられているのです。憐れみをかけてください、ご自身の被造物にとって有用な方ですから、復活の日に不有の身体をさえ甦らせられるはずの方ですから。わたしに耳を貸してください、主よ、わたしの霊とわたしの惨めな魂がなくなったということに。わたしの、わたしが汚したこの身体さえ溶け、あなたの恐怖にとらわれているので、わたしはもはや生きる力がありません。悔い改めによってわたしに罪が許してもらえるという元気が出ない代わりに、失望は二重です。身体を潰されたわたしを生かしてください、そしてあなたの火によってこの灯芯が点火されるよう火に課命してください、わたしもお赦しのお慈悲から憐れみの元気を得らて、以後、わたしの生きられる時間としてわたしに恵まれた間、あなたの誡めを守ります、そうしてあなたへの恐れを離れず、これまでよりももっと多くあなたに真に隷従します」。
 復活の夜、おびただしい涙とともに以上のことを云ったうえで、灯芯が点火したかどうか見るために立ち上がり、覆いをとったが、点いていないのを見て、再び主の前に平伏して、願った、いわく。「わかっております、主よ、????。さればご容赦ください、主よ、見よ、あなたの善性にわたしの恥を告白します、あなたの御使いたちや義人たち全員の面前で、そうして、また、躓きがなければ、人間たちにも告白しましょう、ですからわたしにお慈悲をください、他の人たちを教育するためにも」。「然り、主よ、わたしを生かしてください」。まさにこのように3度祈って、聞き入れられた、そうして立ち上がって、灯芯が明るく燃えているの見出した。そこで希望に歓喜雀躍して、心の喜びに力づけられ、この恩寵に驚きながらも嬉々として喜んだ、がここでも彼を満足させてくれたからである。そこで彼は言った — わたしはこの世の生に値しないものであるのに、この大いなるより新しい徴によって憐れんでくださった、と。このように彼が告白しつづけていると、曙光が射し、主に好機嫌となった、身体的な養いも忘れて。灯芯の火は、これを彼はその生涯守った、油を注ぎ足し、消えることがないよう上に用意して。かくして的な霊が再び彼の内に宿り、彼は万人に有名な、謙虚な人物となり、告白と恩寵の点で主に明白な者となった。そして、魂をも引き渡そうとするとき、数日前にその啓示を目にしたのであった。〔主題別5-46〕

(176.)
 ある老師が、はるか遠い砂漠に坐していた。この人には女の親族がいて、長年の間、彼に会いたがっていた。そこで、どこで坐しているか騒ぎまわり、砂漠への道にのぼり、駱駝の隊商を見つけ、これといっしょに砂漠に入った。しかし、悪魔に引きずられた。かくて老師の戸口にやって来ると、徴で正体を示し始めた、いわく —。「わたしはあなたの親類です」。そうして彼のそばにとどまった。ところで、ある隠修者が、下の部分に坐していた。そうして、自分の喰う刻に、自分の水差し(baukavlion)を水で満たしているときに、引っ繰り返した。すると、の摂理により、心中に云った。「砂漠に出かけて、老師に報告しよう」。そこで立ち上がって、進んでいった。しかし遅くなり、途中、偶像の神殿で寝た。すると、夜、ダイモーンたちが言っているのを聞いた、いわく。「今夜、あの隠修者を邪淫に投げこんでやろう」。これを聞いて心痛した。そうして老師の近くにやって来て、彼がふさぎこんでいるのを見つけ、彼に言う。「どうしたらいいのでしょうか、師父よ、喰う刻限に水差しに水を満たしているとき、ひっくり返ったのですが」。相手が云った、「わしもわかった」。そこで彼に言う。「どうしておわかりになったのですか?」。すると彼に云った。「わたしが神殿で眠っているとき、ダイモーンたちがあなたについて話しているのを聞いたのです」。すると老師が云った。「見よ、わしも世俗へ出て行く」。相手が彼を励ました、いわく。「いけません、父よ、むしろあなたの場所にとどまってください、女はここから追い出しなさい。これこそ敵の疫病だからです」。相手は彼のいうことを聞いて、涙を流して自分の勤行を引き延ばし、ついに自分の初めの行住坐臥へ達した。〔主題別5-28〕

(177.)
 兄弟がある老師に尋ねた、いわく。「何らかの活動(ejnevrgeia)のせいで人が邪淫に陥ることになったら、躓いた者たちを通して何かが起こるでしょうか?」。すると彼が話した、いわく —。「アイギュプトスの共住修道院にある名高い助祭(diavkonoV)がいた。ところが、ある役人が執政官に訴追されて、自分の家族全員を連れて共住修道院にやって来た。しかし、悪魔の活動によってこの助祭が妻と堕落し、万人にとって恥の的となった。そうして自分の敬愛するある老師のもとに行き、これに事件を打ち明けた。ところで、老師は自分の修屋の中に穴蔵を持っており、助祭は彼に頼んだ、いわく。「わたしをここに生きながら埋めて、ひとに打ち明けないでください」。そうしてその闇の中に入って、しんじつ悔い改めたのであった。
 しかしかなり経って、川の水が上昇しなくなった。そこで皆が連祷していると、聖人たちの或る者に、かくかくの老師のところに隠された助祭が出てきて祈らないかぎり、水は上昇しないと啓示された。これを聞いて彼らは驚き、出かけて行って、彼のいた場所から彼を引き出した。そうして彼が祈ると、水が上昇し、かつて躓いた者たちが、彼の悔い改めによってはるかによく益され、を栄化したのである」。〔主題別5-30〕

(178.)
 老師が云った — 多くの人たちは、身体的快楽に試みられ、諸々の身体に接するのではないけれど、精において姦淫し、身体の処女は守られる間に、魂において姦淫するのである。されば美しいのは、愛する者たちよ、書かれていることを実修し、各人がおのれの心を注意深く見張らなければならないのだ、と。 〔Anony82〕

(179.)
 二人の兄弟が、自分たちの品物を売るため、市場に出かけた。そうして、ひとりがひとりと別れるや、邪淫に陥った。そこで彼の兄弟がやって来て、これに云った。「わたしたちの修屋に行こう、兄弟よ」。相手がこれに答えた、いわく。「わたしは行けない」。そこで彼を励ます、いわく。「どうしてなのだ、わが兄弟よ」。相手が云った。「あなたがわたしと別れた後、わたしは邪淫に陥ったのだ」。すると彼の兄弟は彼に得させようと彼に言いはじめた。「わたしもあなたかと別れるや、わたしに同様のことが起こった、さあ、懸命に悔い改めよう、そうすればがわれわれを許してくださるだろう」。そこで行って、自分たちに起こったことを老師たちに報告した、すると〔老師たちが〕彼らに悔い改めの誡めを与え、ひとりが他の者のために、自分も罪を犯したかのように悔い改めた。するとが彼の愛の労苦を見て、わずかな日のうちに、老師たちのひとりに、罪を犯さなかった方の兄弟の多大な愛ゆえに、罪を犯した方をお許しになったことを明らかにされた。見よ、これこそが、自分の兄弟のために自分の魂を捨てるということである。〔主題別5-31〕

(180.)
 あるとき、兄弟がある老師のもとに行き、彼に云った。— わたしの兄弟があちこちうろついて、わたしを消耗させ、わたしはぼろぼろです、と。すると老師が彼を励ました、いわく。「そなたの兄弟を担え、そうすればはそなたの忍耐の業を見て、彼を運んでくださる、というのは、ひとを運ぶのが容易なのは、頑ななさによってではなく、ダイモーンでさえダイモーンを追い出さないのであって、むしろそなたが彼に耐えるのは善良さによってである、というのも、われわれのも、励ましによって人間どもに耐えておられるのだからである」。
 そうして彼は物語った、いわく。— テーバイに二人の兄弟がいて、一人が邪淫に戦いを仕掛けられたので、他方の者に云った。「わたしは世俗に去ります」。すると他方の者が哀号した、いわく。「君を放さない、わが兄弟よ、君が去るのも、君の労苦と君の童貞を捨てるのも」。しかし他方の者は説得されなかった、いわく。「去らないかぎり坐らない、それともわたしといっしょに行こう、そうすればまた君といっしょに戻ってこよう、それともわたしを放せ、そうすれば世俗にとどまろう」。そこで兄弟は出かけて行って、偉大な老師に以上のことを報告した。すると老師が彼に云った。「彼とともに行け、も、そなたの労苦ゆえに、彼が転落するがままにはなさらない」。そこで彼らは立ち上がって、世俗に還ったが、村に着くやいなや、は彼の労苦を見て、その兄弟から戦いを取り除かれた。すると彼に言う。「もう一度砂漠に行こう、兄弟よ、見よ、わたしは罪を犯し、ここから何も得るところがなかったとみなせ」。そうして彼らは害されることなく、自分たちの修屋に立ち帰ったのであった。〔主題別5-32〕

(181.)
 兄弟が、ダイモーンに挑戦されて、ある老師のもとに出かけて行った、いわく。— あの二人の兄弟がいっしょになっています、と。しかし老師は、彼がダイモーンたちにからかわれていると察知して、ひとを遣って彼らに声をかけた。そうして夕方になったとき、二人の兄弟のために敷物を置き、1枚の敷布で彼らを包んだ、いわく。「の子らは聖である」。そして自分の弟子に云った。「この兄弟を、日々、修屋に閉じこめよ、当人がその情動をおのれの内に持っているのだから」。

(182.)
 兄弟が老師に云った。「どうしたらいいのでしょうか、汚れた想念がわたしを殺しかけているのですが」。これに老師が言う。— 母親がおのれの嬰児に乳離れさせようとすると、自分の乳房にスキッラをつけると、嬰児が習慣によって乳を飲もうとするが、その苦さから止めるという、そなたもスキッラをつけるがよい」。これに兄弟が言う。「スキッラとは何ですか、つけると役立つというのですが」。すると老師が云った。「死と、来たる代の拷問所との記憶のことじゃ」。〔主題別5-35〕

(183.)
 同じ人が、同じ想念について他の老師に尋ねた。すると彼に老師が言う。「わしはいまだかつてそのようなものに挑戦されたことがない」。そこで兄弟は躓いた。そうして他の老師のところに出かけた、いわく。「見よ、老師何某はこれこれのことをわたしに云いました、それでわたしは、超自然的なことを話されたので、躓きました」。これに老師が言う。「の人は、そなたにこのことを単純に云わなかったのじゃ、これから発って、あの人に跪け、ロゴスの力をそなたに云ってくれるように」。そこで兄弟は立ち上がって、老師のところに行き、彼の前に跪いた、いわく。「どうかわたしをお許しください、師父よ、無思慮に振る舞い、暇乞いもせずに出て行ってしまいました、あなたにお願いです、いまだかつて邪淫に挑戦されたことがないとはどういうことなのか、どうぞわたしに説明してください」。これに老師が言う。「修道者になってこの方、パンに満腹したことなく、水にも、眠りにも〔満ち足りたこと〕なく、これらのことの思い煩いがすっかりわしにたかって、そなたが述べた戦いをわしが感知するのを許してくれなかったのじゃ」。かくて、兄弟は益されて退出したのであった。〔主題別5-36〕

(184.)
 兄弟が師父たちの或る者に尋ねた、いわく。「どうしたらいいのでしょうか、わたしの想念がいつも邪淫に向かい、一刻としてわたしを休ませず、わたしの魂が迫害されるのですが」。相手が彼に云った。「ダイモーンたちが諸々の想念を種蒔くときは、連中と語り合うな。なぜなら、そそのかしこそがいつも連中のすることで、なおざりにしているわけではないが、強制しているわけではない。受け容れるか受け容れないかは、そなた次第である。マディアム族が何をしたか知っているか。自分たちの娘たちを美装させて、〔主題別5-37〕

(185.)
 老師たちが言うを常とした — 邪淫の想念は書物である、されば、われわれの意に適っても、それに説得されなければ、われわれはそれをわれわれから振り捨て、安らかに切り捨てるが、それが現存すると、説得された者のようにそれに甘美さを感じ、転化して鉄となり、切り捨てられがたくなる。されば、この想念においては判別が必要である、これに説得された者たちには救済の望みはなく、これに説得されざる者たちには、花冠が待っているからである、と。〔主題別5-38〕

(186.)
 二人の兄弟が邪淫に挑戦されて立ち去り、妻を娶った。しかしその後互いに云いあった。「天使的状態を放棄し、この不浄に落ちて、何か得るところがあったろうか? 後は永遠の火と懲罰の中に逝去することになろう」。そこで再び砂漠に出離した。出離すると師父たちに、自分たちの行いを告解し、自分たちに悔い改め〔の秘蹟〕を与えてくれるよう願った。そこで老師たちは一年間彼らを閉じこめ、日没時に等量のパンと水を与えた。彼らは姿形の似た者になった。そうして、悔い改めの時機が満たされて出て来たとき、師父たちが見たのは、一人は陰気でひどく青ざめた者、他方は溌剌として輝かしい者だった。そうして、彼らが等量の栄養を摂ったということに驚いた。そこで陰気な者に尋ねた、いわく。「そなたの修屋で諸々の想念と  か?」。相手が謂った。「自分がした悪事と、来たるべき懲罰、『わが骨はわが肉に膠着する』〔詩篇101:6〕という恐怖を、思量しておりました」。また他の者にも尋ねた。そなたもそなたの修屋で何を思量していたのか?」。相手が謂った。「この世の不浄と、来たるべき懲罰からわたしを救い、この天使的な行住坐臥へとわたしを引き上げてくだったことをに感謝しておりました。そうして、を憶えて、わたしは好機嫌だったのです」。そこで老師たちは云った —。「二人の悔い改めはの前に等しいのだ」。〔主題別5-39〕

(187.)
 スケーティスにある老師がいたが、大病にかかり、兄弟たちに世話された。しかし老師は、彼らが疲労しているのを見て言った。「アイギュプトスに下がろう、兄弟たちを困憊させないために」。しかし師父ポイメーンが彼に言う。「立ち去ってはならぬ、そなたは邪淫に陥るはずじゃから」。相手は悲しんで言った —。「わたしの身体を殺せとでも言われるのですか?」。そういう次第でアイギュプトスに去った。すると人々が聞いて、多くのものらを彼に寄進した。また、信仰において処女であるひとりの女が、この老師の世話にやって来た。そうしてしばらくして、健康になったのち、彼女と堕落し、胎に孕み、息子を産んだ。人々が彼女に云った。「これは誰の子か?」。彼女が云った。「老師の」。しかし彼らは彼女を信じなかった。しかし老師が言った。「つくったのはわしだ、しかし生まれてくる児は保護させてくれ」。そこで保護させた。
 かくて幼児が乳離れしたとき、ある日、スケーティスで祝祭が催された、老師は幼児を自分の肩に乗せてくだり、教会に入って、兄弟たちに言う。「この児を見よ。不従順の息子じゃ。されば、おのれ自身を安全に守れ、兄弟たちよ、わしの老年においてこれを為したのじゃから。さあ、わしのために祈ってくれ」。すると全員がこれを目にして泣いた。そして彼は、自分の修屋に帰って、自分の初めの仕業を再開したのであった。〔主題別5-40〕

(188.)
 ある兄弟が邪淫のダイモーンによって烈しく試みられた。事実、4つのダイモーンが、器量よしの女の姿に変身して、20日間、恥ずべき交わりへと彼を引きずりこもうと格闘しつづけた。しかし件の人は男らしく競い合い、負けなかったので、がその美しい戦いに注目したもうて、もはや肉的炎を持たないよう彼に恵みたもうた。〔主題別5-41〕

(189.)
 アイギュプトスの下地方にある隠修者がいたが、砂漠地帯の独立修屋に坐していることで有名であった。しかし見よ、サターンの活動で、ある猥らな女が、彼について聞いて、若者たちに云った。「わたしに何をくれるつもりか、もしもあんたがたの隠修者をわたしが倒したら?」。彼らは何か目に見えるものを彼女に与えることを約束した。そこで、暮れ方、いかにも道に迷ったかのようにして、彼の修屋に赴いた。そうして彼女が戸を叩くと、出て来て、彼女を見て乱された、いわく。「どうしてここにいるのか?」。彼女が泣きながら云った。「道に迷ってここにやって来たのです」。そこで同情して、彼女を自分の道場に招き入れたうえで、自分の修屋に入って、戸を閉じた。すると見よ、みじめな女は叫んだ、いわく。「師父よ、獣どもがわたしを貪り食うのです」。相手は再び心を乱されたが、やがての審判を恐れもして言った。「わしのこの怒り(ojrghv)はどこから起こるのか?」。そうして戸を開けると、彼女を中へ招き入れた。すると悪魔は彼を彼女へと狙い撃ちはじめた。しかし相手は敵の戦いを思惟して、ひとりごちた。「敵の行道(meqodeiva)は暗黒であるが、の御子は光である」。そこで立ち上がって、燭台に点火した。しかし欲情に燃えあがらされるので言った —。「こういうことをする者たちは懲罰を受ける。されば、ここで汝自身を吟味せよ、永遠の火にもちこたえられるかどうか」。そこで自分の指を灯火の上にかざしてこれを焼いたが、肉の炎上に対する超越のおかげで感じなかった。じつに夜明けまでこういうふうにして、自分の指全部を焼いた。件のみじめな女はといえば、彼のしていることをまのあたりにして、恐怖から石化してしまった。
 さて、明け方、若者たちが隠修者のところにやって来て言った。「夕べ、ここに女がやって来ましたか?」。相手が云った。「うむ。中で寝ている」。そこで連中が入って、彼女が死人となっているのを見つけて、彼に言う。「師父よ、死んでいます」。そのとき、自分の両手を連中に見せた、いわく。「見よ、悪魔の娘がわしに何をしたかを。わしの指を滅ぼしたのじゃ」。そして出来事を連中に話したうえで言った。「〔聖書に〕書かれている。『悪に悪を返すな』〔〕とな」。そうして祈りを上げ、彼女をよみがえらせた。かくて〔女は〕帰って行き、余生は慎み深く生きた。〔主題別5-42〕

(190.)
 兄弟が姦淫へと戦いを仕掛けられた。彼がアイギュプトスのある村に通りがかったことがあった。そうしてヘッラス人〔異教徒〕たちのある官の娘を見て、これを歓愛した。そこで彼女の父親に言う。「彼女をわたしの妻にください」。相手が答えて彼に云った。「そなたに彼女を与えることはできない、わたしのの許しがないかぎり」。そこで彼〔官〕はダイモーンのところに進んで、これに云った。「見よ、ある修道者がわたしの娘を所望してやって来ました。彼女を彼に与えましょうか?」。するとダイモーンが答えて云った。「自分のと洗礼と修道者の約束を否認するかどうか、彼に訊け」。そこで官は行って彼に云った。「そなたのと洗礼と修道者の約束を否認するか?」。相手は約束したが、すぐにその口から鳩が出て行き、高みに飛びあがるのを目にした。かくて殿のダイモーンのところに進むと、官が云った。「見よ、彼は先の3つのことを決心しました」。このとき、悪魔が答えて彼に云った。「彼にそなたの娘を妻に与えてはならぬ。なぜなら、彼のは彼から離れず、まだ彼を助けるからだ」。そこで官は行ってその兄弟に云った。「そなたに彼女を与えることはできぬ。そなたのがまだそなたを助け、そなたから離れないからだ」。これを聞いて兄弟は心中に云った。「これほどの善性をがわたしに示されるのなら、悲惨なわたしが彼と洗礼と修道者の約束を否認したのに、善きは今もなおわたしを助けてくださるのか?」。そうして我に返って素面となり、砂漠の偉大な老師のもとに出離して、これに事態を物語った。すると老師が答えて彼に云った。「わしとともにわしの洞窟で坐せ、3週間連続して断食せよ、わしもそなたのためににお願いしよう」。かくて老師は兄弟のために労苦し、に願った、いわく。「あなたにお願いします、主よ、わたしにこの魂をめぐみたまえ、そしてその悔い改めをお受けください」。するとは彼に耳をかしたもうた。かくて第1週が達成された時、老師は兄弟のところに赴き、彼に尋ねた、いわく。「何か目にしたか?」。すると答えて云った。「はい、上方天の高みから鳩が舞い降りてきてわたしの頭にとまったのが見えました」。そこで老師は答えて彼に云った。「おのれ自身に傾注し、引き続きに願え」。そして第2週目に再び老師が兄弟のもとにやって来て、彼に質問した、いわく。「何が見えたか?」。相手が云った。「鳩がわたしの頭の上にやって来たのが」。そこで彼に云いつけた、いわく。「素面になれ、祈れ」。そうして第3週が満たされたとき、再び老師がやって来て、彼に尋ねた、いわく。「さらに何か見えたか?」。相手が答えて云った。「鳩が見えました、やって来てわたしの頭の上にとまり、これを捕らえるためにわたしの手を延ばしましたが、これは飛び立ってわたしの口の中に入りました」。このとき、老師はに感謝して兄弟に云った。「見よ、はそなたの悔い改めを受け容れられたもうた。今後、そなた自身に傾注せよ。そこで兄弟は答えて彼に云った。「見よ、今からはあなたとともにいます、師父よ、わたしの死ぬときまで」。〔主題別5-43〕

(191.)
 テーバイ人の老師たちの或る者が言うを常とした —。わしは偶像の官の子であった。そういう次第で、幼い頃、殿に坐して、わが父が入っていって、偶像に供犠を執り行うのを観察していた。ところで、一度、その後からこっそり入って、サターンが坐しており、その軍勢がそのまわりに立っているのを目にした。そして見よ、その長が一人やって来て、それに跪拝した。すると悪魔が答えて彼に云った。「おまえはどこから来たのか?」。相手が云った。「わたしはこの村にいて、戦いと多くの混乱を惹起し、諸々の流血を起こしたので、あなた様に報告に来ました」。するとこれに云った。「いかほどの期間でこれを行ったのか?」。相手が云った。「30日間でです」。相手は彼が鞭打たれるよう命じたうえで云った。「それほどの期間をかけてそれを行っただと?」。すると見よ、他の者が彼に跪拝した。するとこれに言う。「どこから来たのか?」。するとダイモーンが答えて云った。「海にいて、地震を起こし、船を沈め、多衆の人間どもを殺して、あなた様にご報告にやって来ました」。相手がこれに云った。「いかほどの期間でそれを為したのか?」。するとダイモーンが答えて云った。「20日間でです」。すると彼も鞭打たるべしと命じた、いわく。「何ゆえそれほどの日数がかかるのか、これをするだけのことで」。すると見よ、第3の〔ダイモーン〕がやって来て彼に跪拝した。するとこれにも云った。「そなたもどこからやって来たのか?」。すると答えて云った。「この村で婚礼が行われましたが、わたしは戦いを惹き起こし、花婿とも花嫁とも多数の流血を起こしたので、あなた様にご報告にやって参りました」。相手が云った。「どれほどの日数でそれをしたのか?」。すると云った。「10日間で」。するとこの〔ダイモーン〕も、時間がかかったとして鞭打たれるよう命じた。さらに第4の〔ダイモーン〕も彼に拝跪するためやって来た。するとこれにも云った。「そなたもどこから来たのか?」。相手が云った。「わたしは砂漠にいましたが、見よ、40年かけて、ある修道者と戦い、今夜、これを姦淫に落とし入れました」。すると相手はこれを聞くや立ち上がり、彼に接吻うぃあびせ、身につけていた花冠を取って、その頭に置き、自分の王座におのれとともに彼を坐らせた、いわく —。でかしたぞ、と。さて、老師が云った —. これを見てわしは云った。「修道者という部類はこれほど偉大なのだ、と。そうして主がわしの救済を嘉したもうたので、わしは出離して修道者になったのじゃ、と。〔主題別5-44〕

2016.03.19.

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