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back.gif砂漠の師父の言葉(Anomy1)3/6

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata) 2

砂漠の師父の言葉(Anomy1)4/6






(T254-255.)

何びとをも裁かないということを守らねばならないこと

(254.)
 ある隠修者のもとに、管区の司祭が訪れた、彼に聖なる秘儀の奉献祭儀をするためである。ところがある人が隠修者のところに行って、司祭に任じた。だから、司祭がいつもどおり奉献祭儀をするため着いたとき、隠修者は気を悪くして戸を開けなかった、そこで司祭は引き上げた、すると見よ、隠修者にこう言う声がきこえた。。「人間たちがわたしから裁きを取り上げた」。そこで忘我状態のようになり、黄金の井戸と黄金の綱、そして黄金の水桶、非常に美しい水を見た。また、ひとりの癩病患者が水を汲み上げて移し替えるのを見、飲みたいと思ったが飲めなかった、汲んだのが癩患者だったからである。すると、見よ、再びこう言う声が彼に聞こえた。「何ゆえ水を飲まないのか? 汲んだ癩患者に何の意味があるのか? 彼はただ汲み上げ、移しただけだ」。隠修者はわれに返り、幻視の力を分別し、司祭を呼んで、従前通り、自分に奉献祭儀するように彼にさせたのである。〔主題別9-16〕

(255.)
 共住修道院に二人の偉大な兄弟がいて、めいめいが、その兄弟のうえに、の恩寵のようなものを見るにふさわしい者とみなされていた。ところが、あるとき、彼らのひとりが準備の日〔金曜日〕に共住修道院から外に出て行くことがあり、夜明けから食べている者を見て、これに云った。「準備の日のこんな刻限に食べているのか?」。そしてその後、いつもどおり祈祷会がもたれた。しかし、彼の兄弟が凝視して、彼から恩寵が離れているのを見て悲しんだ、そして修屋に着くや彼に言う。「何をしたのか、兄弟よ、というのは、以前のようには、あなたの上にの恩寵が見えないのだ」。相手が答えて彼に云った。「わたしは行為においても想念においても、自分自身に何か邪悪なことがあるのを自覚できないのです」。これにその兄弟が言う。「何かの言葉も口にしませんでしたか?」。すると答えて云った。「昨日、共住修道院の外で、明け方、食っている者を見ました、それでこれに云いました。『準備の日のこの刻限に食べるのか?』と。それこそがわたしの罪です、さあ、二週間わたしのためにいっしょに労苦してください、わたしを赦してくださるように祈念しよう」。彼らはそのとおりに実行し、そして二週間後、兄弟はその兄弟の上にの恩寵が降るのを見た、そして彼らは願いをかなえられ、に感謝したのであった。〔主題別9-18〕


(T256-263.)

見せびらかしのために何ごともなさず、貪欲を避けることについて

(256.)
 あるとき、ケッリアで祝祭が催され、兄弟たちが教会で食事をしていた。そこに、煮物を食べない兄弟がいた。すると、兄弟たちの一人が給仕係に言う。「兄弟何某が食べるのは煮物ではなく、塩だ」。このとき、別の助祭が皆の前で兄弟に声をかけた、いわく。「兄弟何某は煮物を食べない、彼に塩を持って行け」。すると老師たちの一人が立ち上がって、彼に云った。「今日、そなたの修屋で肉を喰っても、同信の前でこの声を聞かない方がそなたにとって益とせよ」。〔主題別8-26〕

(257.)
 パンを食べない修行者の兄弟がいて、ある偉大な老師を訪ねたが、そこには他にも異邦の客人たちが居合わせ、老師は彼らのためにわずかな煮物をつくり、喰うために坐したのであるが、修行者は浸したヒヨコ豆を自身のためだけに供し、食べた、そうして〔皆が〕喰いおわって立ち上がったとき、老師は彼を個人的に呼びとめて、彼に云った。「兄弟よ、誰かを訪ねたときには、そなたの行住坐臥を表明してはならぬ、そなたの行住坐臥に固執したければ、そなたの修屋に坐せ、けっして出てくるな」。相手は老子の言葉に教育されて、兄弟たちと出会うときには共通の振る舞いをする者となった。 〔主題別8-27〕

(258.)
 あるひとが老師に、私用に金銭を受け取るよう頼んだが、自分の手仕事で充分だからとことわった。しかし、少なくとも必要なものの用立てにそれを受け取るよう頼みこむので、老師が答えた。「醜行は二重じゃ、— わし〔にとって〕は、必要のないのに受け取ることで、〔そなたにとっては〕関係のないものを提供することで、わしが虚栄に陥ることじゃ」。 〔主題別6-21〕

(259.)
 ある重要人物が、異国から大枚の黄金を携えてスケーティスにやって来て、兄弟たちに与えるよう長老に願った。しかし、これに長老が云った。「兄弟たちは必要としていない」。しかし彼にとやかく無理強いしたあげく、教会の戸口に籠を置いた。そこで長老は云った。「必要とする者は取れ」。しかしこれに近づく者はなく、心を向ける者たちさえなかった。そこで彼に長老が言う。「あなたの施しはが受け取られた、行け、そしてこれを物乞いたちに与えよ」。彼は大いに益されて、立ち去ったのであった。〔主題別6-23〕

(260.)
 ある人が老師に金銭を寄進した、いわく。「あなたの消費のために受け取ってください、老いて、病弱なのですから」。たしかに〔老師は〕身体障害者であった。しかし相手は答えて云った。「あなたは60年経ってわたしの糧を取り上げるつもりか? 見よ、これだけの年数、わたしはわたしの病弱の内にあり、何ものも必要としてこなかった、が供給して、わたしを養ってくださったからじゃ」。そうして受け取ることを固辞した。〔主題別6-24〕

(261.)
 老師たちがある園丁について語り伝えている — 彼は辛労し、自分の労苦のすべてを施しに捧げ、自分の消費分のみを取り置いていた。しかし彼を想念がそそのかした、いわく。「おまえ自身のために小銭を少し貯めよ、老いたり、具合が悪くなったり、消費の必要があったりしないように」。かくて貯めて、財布を小銭で満たした。さて、彼が病気になって、その足が腐敗することになり、治療のために小銭を使ったが、何の益もなかった。その後、経験ゆたかなある医者が、やって来て彼に言う —。「そなたの足を切除しなければ、あなたの身体全体が腐ることになろう」と。そこで自分の足を引ききるのがよいと思われた。しかしその夜、正気になって、自分のしてきたことを悔い改め、嘆息して云った。「思い出してください、主よ、働いて兄弟たちにもたらすためにわたしが為してきたわたしの業を」。そうして彼がこれを云うと、主の御使いが立ち、彼に云った。「そなたが貯めた小銭はどこにあるか? そなたが積んできた希望はいったいどこにあるか?」。このとき、悟って云った。「わたしは罪を犯しました、主よ、どうかわたしをお許しください、今からはもうそういうことはいたしません」。このとき、御使いが彼の足に触れると、ただちに治った。そうして、早朝から起き上がり、畑に働きに出かけた。ところで医者は、約束どおり手術道具を持って、彼の足を引ききるためにやって来た。すると〔家族が〕彼に言う。「早朝から畑に働きに出かけました」。このとき、医者は仰天して、彼が働いている畑に出かけた。そうして、彼が大地を耕しているのを目にして、彼に健康を授けたを栄化したのであった。〔主題別6-25〕

(262.)
 兄弟がある老師に尋ねた、いわく。「よろしければ、身体的な病気のために、貨幣2枚を自身に取り置きましょうか」。老師は、取り置きたいという彼の想念を見て、彼に言う。「よろしい」。そこで兄弟は自分の修屋に下がり、諸々の想念とせめぎあった、いわく。「はたして、老師はわたしに真実を云ったのか、否か?」。そこで立ち上がって、もう一度老師のもとに赴き、彼の前にひれ伏して言う。「主にかけて、どうかわたしに真を云ってください、2オロコティノス〔=デーナリオン〕のせいで諸々の想念に苛まれていますので」。これに老師が言う。「そなたがそれを取り置きたがっていると見たので、それゆえそなたに云ったのじゃ。ただし、身体に必要以上に取り置くことは美しいことではない。されば、2オロコティノスを、そなたが取り置けば、そなたの希望はそこに見出され、それに喪失が結果しても、もはやはわれわれを気にかけてくださらぬ。されば、われわれの気遣いは主にお任せしよう、われわれに関する気遣いはあの方にあるのだから」。〔主題別6-26〕

(263.)
 ヘッラス人〔=異教徒〕の幾人かが、施しをするためオストラキネーにやって来たが、彼らは家令たちを連れて来た、必需品の必要の或る者たちがいたら、自分たちに示すためである、そうして彼ら〔家令たち〕は彼らある不具となった者のところに連れて行き、これに与えようとした。しかし相手は断った、いわく。「見よ、これらわずかなナツメヤシの葉で勤労して編んで、わたしのパンを食べている」。そうして今度は彼らを子持ちのある寡婦の小屋に連れて行き、戸を叩くと、その娘が聞きつけて、戸の蔭から(というのは、裸だったから)、また彼女の母親は仕事に行って不在であった(洗濯女だったからである)。そうして、彼女に上衣と小銭を差し出した。しかし彼女は受け取ることを断った、いわく。— わたしの母は出かけているし、わたしにいつも云っています — 元気をお出し、がはからってくださっているおかげで、今日も仕事が見つかり、わたしたちの糧を得られる、と。そこに彼女の母親が帰ってきたので、彼らは彼女に願ったが、断った、いわく。「わたしはわたしの配慮をしてくださるを持っています、あなたがたときたら、わたしからあの方を取り上げるおつもりですか?」。彼らは彼女の信仰を聞いて、を栄化した。〔主題別6-22〕


(T264-280.)

常に素面であるべきことについて

(264.)
 老師が云った。「修道者は、夕ごと朝ごとに自分自身に言葉をかけて言わねばならない。『われわれはが望まれないことを何か行わかったか、また、が望まれたことを何か行ったか』と。そしてそういうふうにして悔い改め〔なければならない〕。修道者はそういうふうであらねばならない。そのように生きられたのが、師父アルセニオスであった」。〔ニステローオス5、主題別11-91〕

(265.)
 老師が云った。「ひとが金ないし銀を失っても、それの代わりを見つけることができるが、好機を失うひとは、他のものを見つけることはできない」。〔主題別11-92〕

(266.)
 老師たちの或る者が、あるとき、他の老師のもとを訪ね、彼らが話している時、ひとりが言った。「わたしはこの世に死んだ〔〕」。他の老師が言う。「おのれを恃んではいけない、兄弟よ、身体から出離するまではね、というのは、たとえ君がわたしは死んだと言っても、サタンは死んではいないのだから」。〔主題別11-81〕

(267.)
 老師が云った。「将兵や狩人が、競争を開始すれば、他者が負傷したり他者が救われるかどうかを気にすることはなく、各人は自分のためにのみ競うように、修道者もそうあるべきである」。〔主題別11-94〕

(268.)
 老師が云った。「何びとも王の近くにいる者に不正できないように、サタンもわれわれの魂がの近くにいるとわれわれに何かを実行することができない、『汝らわが近くにあれ』と謂う、『そうすれば、我もまた汝らの近くにあらん』〔ヤコブ4:8〕、しかるにわれわれはいつもぐらついているので、敵はわれわれの惨めな魂を易々と不名誉の情態へと引っさらうのである」。〔主題別11-95〕

(269.)
 老師が云った — 夜明けに起き上がって、そなた自身に言え。『身体よ、栄養を摂るために働け、魂よ、遺産相続するために素面でいよ』と」。〔主題別11-99〕

(270.)
 兄弟がある老師に云った。「戦いは何ひとつわが心の内に見えません」。これに老師が言う。「そなたは四方門、望む者がそなたを通って入ったり出たりするが、そなたは気づかない、しかしそなたが扉を持っていてこれを閉ざし、悪し諸々の想念がこれを通って入ることを許さなければ、そのときそなたはそれらが外に立って、戦いを仕掛けるのを目にしよう」。〔Anony57, 主題別11-101〕

(271.)
 ある老師について言い伝えられている、— 諸々の想念が彼に、「今日はゆっくりして、明日、悔い改めればいい」と言ったとき、それらに反論した、いわく。「否、今日悔い改め、明日の意思をして知らしめられよ」。〔主題別11-102〕

(272.)
 老師が云った。「われわれの内なる人が素面でないなら、外なる〔人〕を守ることはできない」。 〔主題別11-103〕

(273.)
 老師たちは言うを常とした。— サタンの力は、忘却、不注意、欲望の3つで、これらがあらゆる罪を先導する、つまり、忘却が起これば、不注意を生む、不注意からは欲望が登場する、欲望によって人は転落するのである。しかし理性が忘却から素面であれば、不注意には墜ちず、不注意でないなら、欲望に進むことはなく、欲望しなければ、そのときこそクリストスの恩寵によって転落することがないのである、と。 〔主題別11-104〕

(274.)
 老師が云った。「沈黙を修せ、何ものも気にするな、汝の修證(melevth)に傾注せよ、への畏れを持って就寝し起床して、そうすれば、不敬虔な者たちの突撃を恐れることはない」。〔主題別11-105〕

(275.)
 老師がある兄弟に云った。「悪魔は敵であり、そなたは家である、そうとすると、敵は、何でも見つけたものをそなたの家の中に投げこんで、あらゆる不浄を注ぎこんでやめない。そしてゆだんなく外に投げ出すのはそなたの役目である。しかし油断すれば、家はあらゆる不浄で満たされ、そなたはもはやそこに入ることができなくなる。しかし、最初にやつが投げこんだものを、少しずつ放り出せ、そうすればそなたの家はクリストスの恩寵によって清浄でありつづけるのである」。〔主題別11-107〕

(276.)
 老師たちの或る者が云った。「牛の両眼を覆えば、そのとき〔粉碾き〕機会の周りをめぐるが、覆わなければ、周りをめぐることはない、悪魔も同様で、人の両眼を覆うことが先行すれば、これをどんな罪にでも落とせるが、その両眼が照らされていれば、やつから逃れることは容易にできる」。〔主題別11-108〕

(277.)
 言い伝えられている — 師父アントーニオスの山に7名が坐していたが、ナツメヤシの時期に、鳥どもを追い払うために一人が守った。ところでそこに老人がいて、彼の日に守ったとき、泣きだした、いわく。「内なる邪悪な想念どもは下がれ、外なる鳥どもも」。〔主題別11-110〕

(278.)
 ある兄弟が、修屋で、自分のナツメヤシの枝を浸し、編むために坐したとき、彼に想念が言う。「下がれ、これこれの老師を訪ねよ」、そしてさらに心中で思量する、いわく。— 数日先に下がることにしよう、と。さらに言う。「もし彼が死んだら、おまえはどうするのか? すぐにでも話すがよい、夏だから」。さらに内心で言う。「いや、好機ではない」。ところがさらに思量する、いわく。「いや、藺草を切ったら、好機になる」。相手が謂った。「茎を仕上げよう、それから出かけるとしよう」。ところがまたもや心中に言う。「いや、今日は天気が美しい」、そうして立ち上がって、その浸した茎を放置して、自分の毛皮外套を取って出かけた。しかし彼の隣人の老師の或る者は明視者であった。そうして彼が走っているのを見て、呼びかけた、いわく。「捕虜よ、捕虜よ、こっちへ来い」。そうしてやって来ると、老師がこれに言う。「おまえの修屋にもどれ」。そこで兄弟は彼に戦いを物語り、修屋に入り、ひれ伏した、するとダイモーンたちが大声をあげた、いわく。「汝らはわれらに勝てり、おお、修道者たちよ」。すると彼の下に敷いた敷物が火によってのように燃えつき、連中も煙のようになって消えたのである。〔主題別11-111〕

(279.)
 ある老師について言い伝えられている — スケーティスで亡くなりかけた、兄弟たちが彼の寝椅子を取り巻き、彼の恰好を整え、泣きだした。するとその両眼を開いて笑い、次いでまた笑い、三度目にもまた笑った。そこで兄弟たちが彼に願った、いわく。「どうかわたしたちに云ってください、師父よ、わたしたちが泣いているのに、どうしてあなたは笑うのですか?」。彼らに言う。「わしが笑ったのは、皆が死を恐れている故じゃ、二度目に笑ったのは、そなたらが用意できていないからじゃ。三度目に笑ったのは、わしは労苦から平安へと下がれる故じゃ」そうしてすぐに老師は永眠した。〔主題別11-115〕

(280.)
 兄弟たちが語り伝えている、いわく。— あるとき、われわれは老師たちを訪ね、仕来りどおり、祈りが上げられ、互いに挨拶を交わして坐し、話しをした後、引き上げようとして、祈りを上げることを要請した。すると老師たちの或る者がわれわれに云った。「いったいどういうことか、あなたがたは祈ったのではないのか?」。そこでわれわれは彼に云った。「入って来たとき、師父よ、祈りが上げられましたが、今までわれわれは会話していました」。老師が言う。「赦してくだされ、兄弟たちよ、ある兄弟があなたたちと坐して会話していて、300回祈りを上げたものだから」。彼がこれを云ったとたん、〔その者は〕祈りを上げ、われわれに暇乞いをしたのであった。〔主題別12-18〕


(T281-289.)

嬉々として憐れみ客遇しなければならないこと

(281.)
 ある老師が、兄弟と共住して坐していた。この老師は憐れみ深い人であった。そうして、飢饉が起こったとき、何人かの者たちが施しを受けようと彼の門口にやって来はじめた。老師は来た者たち全員に施しを提供した。他方の兄弟が、行われていることを見て、老師に言う。「おれのパンの分け前をくれ、そうしたら、おまえの分はおまえの好きにするがいい」。老師はパンを分け、自分の分で憐れみを実修した。多衆は老師のもとに駈け集まった、誰にでも提供すると聞いたからである。そこでは、誰にでも提供するのを見て、彼のパンを祝福した。他方の兄弟は、自分の小切れを喰い尽くして、老師に言う。「他に少し小切れを持っておくから、師父よ、もう一度おれを共住者にしてくれ」。するとこれに老師が云った。「あんたの好きなようにしよう」。かくて彼らは再び共住者として坐した。ところが食糧不足〔?〕が起こり、施しを受ける必要のある人たちが再びやって来た。そんなある日、兄弟が入ると、パンが不足しているのを見た。すると物乞いがやって来て、老師が兄弟にその施しをするよう云った。相手が云った。「もうありません、師父よ」。老師が言う。「入って、捜せ」。兄弟が入ると、パン箱がパンで満たされているのを見出した。これを目にして、恐れ、取って物乞いに与えた。そうして老師の信仰と徳を知って、を栄化したのであった。〔主題別13-15〕

(282.)
 老師が云った — 数多くの美しい事どもを実修しているある人がいたが、邪悪な者〔ダイモーン〕が彼に、極端に小さなことに対する口喧しさを投げこんだ、彼が働いて得たあらゆる善きものらの報酬を喪失させるためである。実際、わしがオクシュリュンコスで、数多くの憐れみを実習するある長老のもとに坐していたとき、寡婦がこれに穀物を懇願してやって来た。すると彼女に言う。「袋を持って来るがよい、そなたに量ってやろう」。そこで彼女が持ってきて、〔彼は〕手で袋を確かめながら、云った。「大きいな」、そうして寡婦を赤面させたのである。これにわしが云った。「師父よ、その穀物は売ったのですか?」。彼が言う。「いいや、施しで彼女に与えたのだ」。そこでわしが彼に云った。「全部彼女に施しで与えたのなら、どうして量を確かめて、彼女を赤面させることがありましょう」。〔主題別13-16〕

(283.)
 兄弟がある隠修者を訪ねたが、帰りがけに彼に云った。「どうかわたしをお許しください、師父よ、あなたの規則からあなたを奪ってしまいました」。相手が答えて彼に云った。「わしの規則は、そなたに平安を得させ、平和の裡に見送ることじゃ」。〔主題別11-8〕

(284.)
 隠修者が共住修道院の近くに坐し、数多くの行住坐臥を実修していた。さて、何人かの者たちが共住修道院を訪問することがあり、彼は刻限外に喰わざるをえなくなった。その後で、兄弟たちが彼に言う。「いま、呵責なさっているのではありませんか、師父よ」。相手が謂った。「わしの呵責があるのは、わしの意思を実行するならな」。〔主題別13-9〕

(285.)
 ある老師について言い伝えられている — 彼はシュリアに、砂漠への途中に従事していたが、彼の為業はこうであった。修道者が砂漠からやって来るようなときに、善き確信を持ってこれに平安を実修するを常としたのである。さて、あるとき、ある隠修者がやって来たので、これに平安を実修しようとした。しかし相手は受けることを断った、いわく — わたしは断食している、と、そこで悲しんで彼に云った。「あなたの子を等閑にしてはいけません。あなたにお願いです、わたしを無視しないでください、さぁ、こちらで祈りましょう、見よ、ここに樹木があります、膝をついて祈る〔わたしたちの〕どちらに曲がっても、その者のいうことに従うにことにしましょう」。そこで隠修者が祈るためにうなだれたが、何事も起こらなかった。しかし客遇者がうなだれると、彼につれて樹木もうなだれた。そこで彼らは確信を持って、に感謝したのであった。〔主題別13-10〕

(286.)
 ある修道者が、物乞いの在俗の兄弟を持っていて、何かと働いて得ては、これにあてがっていたが、これにあてがえばあてがうほど、ますます物乞いするのであった。そこで兄弟は出かけて行って、ある老師に事の次第を報告した。するとこれに老師が云った。「わしのいうことを聞く気があるなら、もはや彼に何も与えるな、むしろ彼に云え。『おれは持てるものをおまえにあてがってきた、さればおまえも、働いて手に入れたものから都合のつくものをわたしに持ってこい』と、そうして、何か持ってきたら彼から受けとり、異邦人や老人の物乞いと知り合ったときに、これを与え、彼のために祈りを上げるよう願うがよい」。そこで兄弟は帰り、そのとおりにした、つまり、彼の俗人の兄弟がやって来ると、老師が云ったとおりに彼に話し、〔相手は〕悲しみつつ帰ったが、見よ、1日目に、自分の菜園から小さな野菜を取って、彼のところに持って来た。そこで兄弟はそれを受け取って、老人〔?〕たちに与え、彼のために祈るよう彼らに頼んだ、そうして〔在俗の兄弟は〕祝福されると、自分の家に帰って行った。同様にしてまた、今度は野菜とパン3つを持ってきた、そこで彼の兄弟は受け取って、初めのようにした。そうして祝福されて再び帰って行った。さらに三度目にやって来て、数々の消耗品と葡萄酒と魚を持ってきた、彼の兄弟は見て驚き、物乞いたちを呼んで、彼らを休養させた。それから自分の兄弟に云った。「パンが少し必要なのではないか?」。相手が謂った。「いいや、主よ、おまえからものを受け取っていたとき、火のようにおれの家に入りこんで、それを焼きつくしたものだ。しかし、おまえから受け取らなくなって以来、はおれを祝福してくださる」。そこで兄弟は帰って、老師に出来事をすべて報告した、すると老師が彼に言う。「修道者の業は火で、入りこんだところのものを燃えあがらせるということを知らないか? 自分の労苦で施しをし、聖人たちから祈りを受けることの方が、より多く彼を益し、じつにそうやって祝福されるのじゃ」。 〔主題別13-14〕

(287.)
 テーバイ人のある修道者は、調達(diakoniva)の恩寵をから得ていた、当てにしてくる人たちのめいめいに必要なものを手配するためである。さて、あるとき、ある村で彼が施しをすることがあったが、見よ、古い着物を着たある女が施しを受けようと彼のところにやって来た。そうして、彼女が古い着物を着ているのを見て、彼女に多くを与えようと自分の手を広げたが、彼の手は縮かんで、わずかを配給したが、見よ、美しく着こんだ別の女が彼のもとにやって来た。すると、その着物を見て、彼女にはわずかに広げたのに、彼の手は広がって、多くを配給したのである。そこで両者のことについて尋ねた、そこでわしは云った。— 美服を着た女は、語るに足る身分の出身であるのに物乞いになったが、評判(uJpolhvyiV)のために美しい着物を用いている。だが他方の女は、得るために古い着物を着ているのじゃ」。〔Anony13-13〕

(288.)
 あるとき、二人の兄弟がある老師を訪ねたが、毎日食事することはその老師の習慣ではなかったのだが、兄弟たちを見るや、喜んで、云った。— 断食は報酬を有す、他方、施しを食する者は2つの誡めを満たす、つまり、自分の意思を捨て、誡めを成就することじゃ」、そうして兄弟たちを休養させたのであった。〔主題別13-11〕

(289.)
 アイギュプトスの砂漠地帯に住む聖者たちに或る者がいたが、他にも彼から遠く隔たってマニ教徒がいて、彼もまた(彼らの間で長老と言われる者たちに属する)長老であった。さて、彼が自分の同族の或る者を訪問すべく出かけたが、正統派の聖人がいるところで夕刻が彼をとらえた、それで葛藤し、自分が入って眠ることを怖れた、自分がマニ教徒であることを知っていて、けっして自分を迎え入れてくれるはずがないとわかっていたからである、しかしながら、せんかたなく、戸を叩くと、老師が開き、彼を認めて、喜んで彼を迎え入れ、彼に祈るよう強請し、彼を休養させてやすませた。マニ教徒の方は、夜の間、思い返して云った。「どうしてわしに何の疑いもいだかなかったのか? この人物はほんとうにの人だ」。そうして彼の足許に身を投げだした、いわく。「わたしは今日から正統派です」、じつにそういう次第で彼とともに留まったのであった。〔主題別13-12〕


(T290-297.)

従順(uJoakohv)について

(290.)
 老師たちは言うを常とした、— ひとがある人に信をいだき、その人におのれを委ねるなら、の誡めに心を用いる必要はなく、自分の父に自分の意思をすべて赦すことができ、からの告訴を持つことはない、が新参者に対して求めるものが何もないのは、聴従に苛立つ連中に対するのと同様である。〔→292、主題別14-20-〕

(291.)
 スケーティスの兄弟が、刈り入れのために下ろうとして、偉大な老師を訪ね、彼に云った。「どうかわたしに云ってください、刈り入れのために下るのですが、どうしたらいいのでしょうか?」。これに老師が言う。「もしもそなたにわしが言ったら、わしに聴従するか?」。兄弟が言う。「はい、あなたのいうことを聞きます」。これに老師が言う。「わしに聴従するなら、立って、この刈り入れを放棄せよ、そうしてここへ来い、そうしたらそなたが何をなすべきかそなたに告げよう」。そこで兄弟は去って、刈り入れを断り、老師のもとにやって来た。すると彼に老師が云った。「そなたの修屋に入れ、そうして、日に1度だけそなたのパンを乾いた塩で食事して15日間を過ごせ、そうしたら再び別のことをそなたに告げよう」。そこで立ち去ってそのとおりにして、再び老師のもとにやって来た。すると老師は、彼が働き手であるのを見て、修屋ではどのように坐らなければならないか彼に告げた。そこで兄弟は自分の修屋に立ち去って、の御前に泣きながら、3日間、地に突っ伏した。そしてその後、諸々の想念が、「おまえはあげられた、偉大となった」と彼に言ったとき、当の彼が自分の弱点を自分の面前に持ち出した、いわく。「わたしの過失はいったいどこにあるのか」。そうしてさらに〔諸想念が〕彼に、「おまえは数多くの過失を犯した」とに言うと、当の彼も言った。「さぁ、に小さなお勤めをしよう、そうしたらはわたしに憐れみをかけてくださると信じる」。すると霊たちが負けて彼に現れ、はっきりいわく。「われわれはおまえに悩まされた」。彼らに言う。「何ゆえに?」。彼に言う。「われわれがおまえを高めようとすると、おまえは謙遜のなかに逃げこみ、おまえをへりくだらせようとすると、おまえは高みにのぼる」。〔主題別14-23〕

(292.)
 老師たちは言うを常としていた、— が新参者に対して求めるものが何もないのは、聴従に苛立つ連中に対するのと同様である、と。〔←290〕〔主題別14-24〕

(293.)
 ある老師が、村に住んでいる奉仕者(diakonhthV)を持っていた。ところが、一度、その奉仕者がいつもどおり出席することに遅れ、老師の用を果たせないことがあった。また、彼が遅れたことで、用事はまだしも、自分の修屋で持っていた手仕事どころではなく、何か働くこともできず、食べ物もなく、悩んで、自分の弟子に言う。「村に出かける気はあるか?」。相手が言う。「よろしければ、そうしましょう」。しかし兄弟も、躓きはすまいかと村に近づくことを怖れていたのだが、師父のいいつけに背かないために出かけることを承知した。そこで彼に老師が云った。「下がれ、わしの師父たちのを信じておる、あらゆる試練からそなたを覆ってくださると」。そうして祈りを上げ、彼を送り出した。
 さて、兄弟は村に行って、奉仕者がどこに住んでいるか尋ねまわって、見つけた。ところが、彼とその家族は、その娘一人を除いてみな村外れの墓に出払っているとわかり、彼が戸を叩いたのを、これが聞きつけた。そうして内側から開け、彼を見たとき、彼女の父親について彼女に尋ねた、すると中に入るよう熱心に勧め、引きこむばかりであった。しかし相手は断ったが、長い間強請し、打ち勝って彼を自身の方へ引き寄せた。相手は自分が放逸な欲望に圧倒されて、諸々の想念に押さえつけられかけているのを見て、嘆息してに向かって叫んだ、いわく。「主よ、わたしの師父の祈りによって、この刻にわたしをお救いください」。こう云うや、突然、修道院に行く川のほとりにいる自分を見出した。そうして、害されることなく、おのれの師父のもとにもどっていったのであった。〔主題別14-25〕

(294.)
 二人の肉親の兄弟が、修道院で住持するために加わった。ひとりは修行者であり、もう一人は大いなる従順さを持っていて、これに師父が言った。「これをせよ」、すると実行した。「あれをせよ」、すると実行した。「夜明けに喰え」、すると食った、その従順さゆえ修道院で栄化されていた。で、彼の修行者の兄弟は苛立って、心内に云った。「従順さを持っているかどうか、あいつを吟味してやろう」、そうして師父の前に進み出て言う。「兄弟をわたしといっしょに遣わしてください、どこかを訪ねるために」、そこで師父は彼を許可した、そこで修行者は彼を試みようと彼を連れ出した、そして川のほとりに行ったが、そこには非常にたくさんの鰐がいた。すると彼に言う。「川に下りていって、渡れ」。そこで下りていった、すると鰐たちがやって来て、彼の身体を舐めたが、彼を害することはなかった。すると修行者が見て、彼に云った。「川から上がってこい」。そうして道を行っていると、道に投げ出された死体を見つけ、修行者が云った。「古着を持っていたら、あの上に掛けてやれるのだが」。すると従順さを持った方が言う。「むしろ祈りましょう、あれが甦りますようにと云って」。そこで彼らは立って祈った、すると彼らが祈っている間に、死体が甦った、すると修行者が自慢した、いわく。— おれの修行のおかげで、死体が甦った、と。しかしは修道院の師父にすべてを、つまり、彼が自分の兄弟を鰐の群の中でいかにして試みたか、いかにして死体が甦ったか、を啓示なさった。そこで修道院に帰るや、師父が修行者に言う。「どうしてそなたの兄弟にそんなふうにしたのか、そして見よ、死体が甦ったのは、彼の従順さの故である」。 〔主題別14-27〕

(295.)
 ある兄弟は、人世にあるとき3人の子どもを持っていたが、これらを都市に放置して、修道院に隠遁した。かくて、3年間修道院に住持したが、諸々の想念が自分の子どもたちの記憶を彼にもたらしはじめ、そのためにひどく苦しめられた。ところで、自分が子どもを持っていることを師父には打ち明けていなかった。それで彼がふさぎこんでいるのを老師が見て、彼に言う。「ふさぎこんでいるが、どうしたのか?」。そこで老師に話した、— 都市に子どもを3人持っている、それを修道院に連れて来たい、と。すると師父が許したので、都市に帰ったが、二人は永眠していたのを見出し、残った子を連れて、修道院にやって来た、そうして師父を捜すと、彼をパン焼き場に見つけたが、彼を見ると師父が彼に挨拶し、子どもを抱きあげ抱きしめて接吻し、その父親に言う。「これを愛しているか?」。相手が謂った。「はい」。するとまた云った。「これをとても愛しているか?」。そこで答えた。「はい」。するとこれを聞いて師父が云った。「取れ、燃えるよう天火の中に投げこめ」。父親は自分の子を取ると、天火のなかに投げこみ、その炎はたちまち露のようになった。かくて、族長アブラアームのように栄光を捧げたのであった。〔主題別14-28〕

(296.)
 老師が云った。「霊的師父に対する従順のうちに住持する者は、砂漠でひとり隠修する者よりも多くの報酬を得る」。〔主題別14-29〕

(297.)
 老師が云った。「われわれが進歩しない所以は、われわれが自分自身の程を知らず、始めた仕事に忍耐を持つこともなく、労せずして徳を所有しようとするからじゃ」。〔主題別7-30〕

2016.03.26.

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