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原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata)6

12人の隠修者たちの観想について
De meditationibus duodecim anachoretarum



[底本]

TLG 2742
APOPHTHEGMATA
Apophthegmata patrum
(Varia)

6 1
2742 006
De meditationibus duodecim anachoretarum, ed. J.-C. Guy, "La collation
des douze anachorètes," Analecta Bollandiana 76 (1958) 422-427.
(Cod: 1,058: Eccl., Gnom.)


"T"
12人の隠修者たちについて

"PROI"
 あるとき、知恵深い霊的な隠修者たち、数にして12人が、同じところに集い、自分の修屋において実修した功績と、霊的徳のいかなる修行を修したか、各人が云うことをお互いに要請しあった。

(1)
 そこで、最初に、彼らの中でより年長でもある〔隠修者〕が云った。
 「わしは、兄弟たちよ、寂静を守りはじめてこのかた、外なる出来事にわし自身をそっくり十字架にかけた、書かれていることを思いついたからじゃ、《われらは彼らの枷を打ち毀し、彼らの絆を解き捨てるであろう》〔詩篇2:3〕。そうして、わしの魂と身体的行事の間に壁をつくるように、わしの心(dianoiva)の中でこう云った、壁の内なる者が、外に立っている者を見ないように、そのようにおまえも外なる行事を見ようとせず、の希望を受け容れて、おまえ自身に傾注せよ。そういうふうにして、わしは邪悪なる諸々の欲望をヘビやマムシの裔として有している。しかし、わしの心(kardiva)の内にそれらがきざすことを感知した場合は、脅迫を以てそれらに傾注し、それらを干あがらせる。そうして、かつてわたしはわたしの身体と魂に怒りをやめたことはない、それら〔欲望?〕が何ら劣悪なことを行わないためじゃ」。

(2)
 二番目の〔隠修者〕が云った。
 「わしは、この地を捨てて以来、わし自身にこう云ったものじゃ。— 今日おまえは生まれた、今日に隷従しはじめよう、今日ここに滞在しはじめよう。そういうふうにして日々、異邦人のごとく、明日は去る者のごとくあれ、と。これこそ、日々、わしがわし自身に勧めることじゃ」。

(3)
 3番目の〔隠修者〕が云った。
 「わしは、明け方、わしの主のもとに上り、これに跪拝し、御前に身を投げだす、わが過ちを告白するためじゃ。そうして、そういうふうにして下りてきて、の聖なる天使たちを跪拝し、わしのため、あらゆる被造物のために願ってくれるよう彼らに懇願する。そうしてこれを仕遂げると、底なしの深淵に降りてゆく。そうして、ユダヤ人たちが立ち去った後、ずたずたにされ、自分たちの父親たちの災禍に涙するように、そのようにわしも下方に、固有の死体が運ばれるのを観想し、声を上げて泣きますのじゃ」。

(4)
 4番目の〔隠修者〕が謂った。
 「わしは、オリーブの山に、主とその使徒たちといっしょに住持する者のごとくでありますが、わし自身に云いました。— 今からは肉のことは何ひとつ知らず、この人たちとともに常に、この人たちの思慕者にして、その行住坐臥の模倣者たれ、マリアが主の足許に坐り、あの方が言われる言葉を聞くがごとくに。天にあるわれらの父のごとく、汝ら慈しみ深くあれ〔ルカ6:36〕、そうして、わしから学べ、わたしは柔和にして、心(kardiva)において謙遜である、と」。

(5)
 5番目の〔隠修者〕が云った。
 「わしはあらゆる瞬間ごとに天使たちが上ってゆき、また、魂たちの招きのために下りてくるのを観想する、そうしていつもわしの最期を待ちつつ言うのじゃ、《わが心(kardiva)は定まりました、よ、わが心は定まりました》〔詩篇57[56]:7[8]、108[107]:2〕」。

(6)
 6番目の〔隠修者〕が言う。
 「わしは、日々、次の言葉を主から聞いていると考える。『わたしのために労苦せよ、そうすればわたしが汝らを休息させよう、少し闘え、そうすればわが救いとわが栄光を見るだろう。汝らわが子なら、勧告する父のように恥じ入れ。わが兄弟なら、汝らのためにさんざんに耐え忍ぶ者としてわたしを崇拝せよ。わが羊ならば、羊飼いの声を聞け。わが僕ならば、主人の受難に付き随え』」。

(7)
 7番目の〔隠修者〕が云った。
 「わしは不断に努め、気を散らすことなく、信仰、希望、愛、この3つをわし自身に言いきかせている、希望によっては喜び、信仰によって強固となり、愛によって誰をも決して苦しめないためじゃ」。

(8)
 8番目の〔隠修者〕が謂った。
 「わしは、悪魔が誰を呑みこもうかと探しながら飛んでいるのを観想し、また、立ち去るならどこへかを、内なる眼で観想する。そうして主人であるクリストスに彼のことを懇願するのじゃ、彼が無関係であり、主を恐れる者たちの誰に対しても特に無力であるようにと」。

(9)
 9番目の〔隠修者〕が謂った。
 「わしは、日々、聖なる人たちの教会と、彼らの間にある栄光の主が万物の上に輝いているのを観想する。しかし倦んだときには、諸天に昇ってゆき、天使たちの美しい驚異と、彼らがに献上する讃美歌と合唱を観想する。そうして楽音と音声と歌曲のおかげでわたしは宙につるされ、書かれていることを思いつくのじゃ、《諸々の天はの栄光をあらわす》〔詩篇19[18]:2〕。また、《地にあるすべては灰と塵とわたしはおもっている》〔Cf. ピリピ3:8〕」。

(10)
 10番目の〔隠修者〕が云った。
 「わしはいつも、わしのそばにいる天使がわしの隣に立っているのを観想し、書かれていることを思いついてわし自身を見守っている、《わたしは常に主をわたしの前に置く、〔主が〕わたしの右にいますゆえ、わたしは揺らぐことがない》〔詩篇16[15]:8〕。されば、あの方をばわたしの道を見守るかたとして、のもとに上り、わたしの業と言葉を表明なさるかたとして恐れる」。

(11)
 11番目の〔隠修者〕が謂った。
 「わしは顔を諸徳に向け、例えば節制(ejgkravteia)、慎み(swfrosuvnh)、寛大(makroqumiva)、歓愛(ajgavph)、これらをわし自身の中に立て、わしを取り巻かせた。そうしてわしが立ち去るときどこへかを、わし自身に言う、『おまえの先生はどこにいるか。軽視すべからず、懈怠すべからず。いつもおまえの望むように諸徳と交われ、おまえの死後、おまえのために、おまえの内に休息を見出せるように証言してくれるために』。

(12)
 12番目の〔隠修者〕が謂った。
 「あなたがたは、おお、師父たちよ、天的な行住坐臥を持しながら?、諸天と思慮を所有しておられる。しかし何ら驚くべきことではない。というのは、あなたがたが諸々の業において完成され、上方のことを追求なさっているのを観想するからである。あなたがたが精においても飛翔しておられるのに、わたしに言うべき何がありましょう。あなたがたは力能によって地上から移住なさり、そこから自身を完全に解き放っていらっしゃるのですから。されば、もしわたしが、地上的な天使にして天的な人間であるあなたがたに云うとしても、罪にはならないでしょう。そこでわたしはわたし自身をこういう合唱舞踏隊の一員に値すると判断して、わたしの罪を矯正します。で、わたしが立ち去るところに、それら〔諸々の罪〕がわたしを捕らえるのを眼にし、そうして地下界においてわたし自身に有罪判決を下します、こう言って、『おまえにふさわしいこれらの〔仲間〕とともにあれ。少し後には、これらの連中の中でおまえは有罪判決を受けようから』。されば、わたしはかしこに、師父たちよ、何びとも説明できぬ悲歎と涙を観想するのです、全身で跳びはね、頭の先から足の先まで喜んでいる連中を観想します。そうして、わたし自身を地上に投げ出し、灰をふりかけつつ、わたしはに嘆願するのです、あの災禍でわたしが試みられませんようにと。さらにわたしは、法外に湧き立ち、離散し、火の咆哮は諸天まで届くと人の考えるほどまでに咆える火の海をも目撃します、そうしてその恐ろしい海の中に、無数の人間どもが粗暴な天使たちとその声によって、投げ捨てられ、連中がみなこぞって悲鳴をあげ、大声で叫ぶ、その声は地上で誰一人聞いたことのないような大声で、そうしてすべて薪のように燃え、彼らの諸々の罪ゆえに彼らからそっぽを向かれるの憐れみを  まさにそのとき、人間どもの種をわたしは哀悼する 《わたしの涙は、昼も夜も、わたしのパンであった》〔詩篇42[41]:4[3]〕」。

(13)
 以上が、知恵深く霊的な師父たちの発言である。またわたしたちも、記憶と説明に値する行住坐臥を証示すべきである、それは、わたしたちが非の打ち所なき、完全な、瑕なき者としてに気に入られるためである、栄光は永遠の永遠に至るまであの方のものなのだから、アメーン。

2015.02.02. 訳了。

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