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back.gif語録集6「12人の隠修者たちの観想について」

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata) 7

誘惑に関する長老たちの問答
(Quaestiones et responsa senum de tentationibus)



[底本]

TLG 2742
APOPHTHEGMATA
Apophthegmata patrum
(Varia)

7 1
2742 007
Quaestiones et responsa senum de tentationibus, ed. J.-C. Guy, "Un
dialogue monastique inédit," Revue d'ascétique et de mystique
33 (1957) 177-182.
5
(Cod: 1,645: Dialog., Eccl., Gnom.)


"T"
諸々の想念に関する長老たち相互の対話

(1.)
問:修道者は修屋の中でどうあるべきですか?
答:〔必要なのは〕人間どもの知から隠遁すること、想念が働くとき、の知がその中に定住するためである。

(2.)
問:修道者がありたいのは何ですか?
答:修道者はハトである。というのは、どうやら、ハトは自分の好機に大気圏に出かけ、自分の羽をふるい落とし、そうして、自分の寝床の外でぐずぐずしていると、粗暴な翼に撃たれて、自分の器量のよさを失うらしい。修道者も同様である。自分の諸々の想念を振り払うべく集会の好機に出かけ、自分の修屋の外でぐずぐずしていると、ダイモーンたちによって撃たれて、その諸々の想念が暗くされる。

(3.)
問:いかなる想念によって、悪魔は修道者をその修屋から追い出すのですか?
答:悪魔は呪術師である。というのは、あたかも、呪術師は単純な言葉によって獣をその巣穴から引きずり出し、これをつかまえ、これを人間どもの嘲弄にゆだねるため、これを都市の大通りにさらす、そうして、これを嘲りたおした後で、これを火で焼き尽くすなりこれを溺死させるなりするのである。修道者も同様で同じ仕方をこうむるのである、諸々の想念に引っ張られて、自分の修屋を置き去りにするときは。

(4.)
問:兄弟が奉仕(diakoniva)に出向き、道中で女が彼に遭遇出したなら、どうすれば淫行の戦いをまぬがれることができますか?
答:戦いをまぬがれることはできぬが、遭遇した間沈黙していれば、行為を避けることはできる。というのは、火打ち石は、硫黄と撃ちあわされると、火を発するように、そのように人の冗舌も、女と撃ちあわされると罪を仕上げるのだから。

(5.)
問:いかなる想念によって、淫行は人間の中にやって来るのですか?
答:ひとつの道も、二つの道も、5つの道も、10の道も、淫行に充分ということはない。なぜなら、悪魔の想念はみな、隠された淫行を有しているからである。

(6.)
問:外衣を2着所有することは美しいのですか?
答:2着の外衣を所有するも、身体全体を汚す悪を所有するなかれ。というのは、魂は悪の必要性を持たぬが、身体は防護の必要性を有する。というのは、われわれは必需品や自足品を持つことで、それに満足するであろうから。

(7.)
問:詩篇の勤行と断食の程度をいかに遂行すべきですか?,br. 答:われらに定められた以上に何ひとつ実行するな。なぜなら、多くの者たちは過剰に望んで、ついには少しも仕遂げる力がないからである。

(8.)
問:兄弟が一杯の葡萄酒を飲むことをわたしに無理強いし、自分の修屋に帰ることは美しいですか?
答:飲酒をさけよ、そうしてカモシカのように罠から救え〔箴言6:5〕。多くの者たちはその〔飲酒の?〕必要性から諸々の想念の陥穽に陥ったからである。

(9.)
問:何ゆえ兄弟たちと住むことができないのですか?
答:あなたがを恐れないからである。ソドムにおいてロートは有罪判決を下して誰一人助けなかったと書かれていることを思い出すなら〔創世記13:19〕、あなたも獣たちの真ん中で住むよう自分自身を投げこんだだろう。

(10.)
問:もし兄弟が意図的にわたしを躓かせるなら、わたしは彼に悔い改めをもたらすべきですか?
答:彼に悔い改めを投げよ、そうして彼をあなたから切り離せ。わたしたちは、こう言った師父アルセニオスを持っているからである。《万物に愛を持て。だが、万物を遠ざけよ》」。

(11)
問:教会に感謝の捧げ物を捧げるとは、人間にとって何ですか?
答:このことは、の御前に財宝としてあること、あなたが投げるものを上方に   

(12)
問:悪口の罪とは何ですか?
答:悪口の罪は、人間がの御前にゆくことを断じて許さない。なぜなら、こう書かれているからである。《ひそかにその隣人を謗る者、これをわたしは追い出した》〔詩篇101[100]:5〕」。

(13)
問:わたしはを通して証言したい。
答:激昂しているときにひとが隣人にこだわるなら、三人の子に関する火炉と同じことである。

(14.)
問:何ゆえ、わたしが礼拝するために立っているとき、想念がわたしを忙しくさせるのですか?
答:悪魔は万物のに礼拝する気ははじめからなく、諸天から弾きとばされ、の王国の余所者となっているからである。そうしてそれゆえ、わたしたちの内でも同じ仕方をつくり出そうと望んで、わたしたちを忙しくさせて祈りから遠ざけるのである。

(15.)
問:どこから食物の快楽をわたしにもたらして、諸々の想念はわたしを断食から無効にするのですか?
答:アダムをも食べることのせいで躓かせた、それゆえわたしたちの内でも同じ仕方で活動しているということだ。

(16.)
問:何ゆえ淫行はかくも人間を悩ますのですか?
答:悪魔は、淫行がわれわれを聖霊のあかの他人にするということを知っているからだ。というのは、主の言われることを聞け。《わたしの霊はこれら人間どもの中に長くとどまらない、彼らは肉である故に》〔創世記6:3〕」。

(17.)
問:どこから悪魔はかくもわたしを気晴らしの方へと引き寄せ、わたしを忙しくさせて、わたしの手仕事から遠ざけるのですか?
答:サターンは知っているからだ、慈悲の実りは、手仕事から生じる、それゆえわれわれを気晴らしへと引きつけるのである、われわれを手仕事で暇なしとし?、慈悲をわれわれから切り捨てることを望んで。

(18.)
問:どうすれば人間はダイモーンたちの企みを根絶することができるのですか?
答:あたかも、魚は、猟師が釣り針を海に垂らさぬよう阻止することができないが、もし釣り針の災悪を知っていれば、そっぽを向いて救われ、漁師は仕事がなくなる。人間も同様である。

(19.)
問:されば、人間が罪を有するのは、思いつき(ejnquvmhsiV)のせいですか?
答:決して浪が岩に不正することはない、剣の刃(prosbolhv)も同様無関係であり、決して人間に不正することはない。なぜなら、《どんな罪も熟さなければ、罪にあらず》〔Cf. ヤコブ1:15〕と書かれているからである」。

(20.)
問:《ひとが芥子種一粒ほどの信仰を持つならば》〔マタイ17:20、ルカ17:6〕と書かれているのは、どういう意味ですか。
答:あたかも、農夫が大地を耕し、種を播き、そうして穀粒が広い畑を見つけて、その地に根を張り、上に茎を生えさせ、その結果、天空の有翼類がそこに宿るようなものである。人間も同様で、おのれの心を清浄にしての言葉を求め、そこ〔心〕の中に美しい想念を芽生えさせるなら、その結果、の諸々の誡めが彼の内に宿る。

(21.)
問:荒野に住むことは美しいですか?
答:イスラエールの息子たちがエジプトの気晴らしを止め、天幕に住む場合、そのときどうを恐れるべきか彼らに悟られる。というのも、海のただ中で嵐に遭遇する船は無縁だからである。しかし港に入った場合は、そのとき交易をなす。人間も同様で、ひとつの場所に堅忍しないなら、決して真理の悟りを得ることはない。というのも、あらゆる諸徳に先んじては静寂を選ばれたからである。こう書かれているからである、《わたしが顧みるのは、ほかでもない、柔和で、静かで、の言葉におそれおののく人である》〔イザヤ66:2〕」。

(22.)
問:兄弟たちの抗弁を仲介するのは美しいですか?
答:そういったことを避けよ。というのは、こう書かれているからである、《自分の耳をふさいで、血の裁きを聞くことなく、眼を閉じて不正を見ることなかれ》〔イザヤ33:15〕」。

(23.)
問:どうすれば人間は単独者として住むことができますか?
答:競技者が人間どもと拳闘しないなら、勝利の術を学ぶことができないのは、そういうふうにすれば相手と一騎打ち(monomach:sai)できるからである。修道者も同様である。初めに兄弟たちといっしょに教育されて、諸々の想念の術を学ばなければ、単独者として住み、諸々の想念に抵抗することはできない。

(24.)
問:女たちと出会う必然が生じた場合、いかにして彼女たちと会うべきですか?
答:その必然は悪魔のものである。というのも、悪魔は数多くの必然を口実として有するからである。しかし女との出会いに至る必要が生じた場合は、彼女が余計にしゃべることを許すな、またおまえも少しの言葉をしゃべったら、その出会いを満たし、すぐに彼女と別れよ、彼女とぐずぐずしていたら、彼女の悪臭がおまえの想念を引きずり降ろすと知るがよい。

(25.)
問:いかなる想念によって、人間は悪口を止めることができるのですか?
答:あたかも、火を懐に入れた者は火傷をするように、人間どもの出会いを受け容れる者も同様で、決して悪口について無実ではない。

(26.)
問:夜間の幻視は悪魔のものですか?
答:昼間、礼拝に従事する際に、悪魔が余所余所しい想念でわれわれを忙しくするように、そのように夜間も、諸々の幻視でわれわれの理性を唆す、われわれの眠りの中の清潔さを妨げるために。

(27.)
問:人間は、眠る際に自分を肉の嘲弄へと手がける誘惑に対して何をすべきですか?
答:あたかも、人が自分の敵手が眠っているのを見つけ、これを倒したら、倒した人は、自分が倒した相手に対して勝利者として嘲弄することはできない(彼にあるのは勝利ではなくてむしろ咎め(katavgnwsiV)なのだから)。眠りにある人も同様、誘惑は無効である。

(28.)
問:どうすれば人間はを愛することの恩寵を得ることができますか?
答:ひとが自分の兄弟が罪に陥っているのを知り、彼について救いをに呼ばわるなら、いかにを愛すべきかの悟りを得る。

(29.)
問:いかなる諸徳とか誡めを所有すれば、人間は救われることができるのですか?
答:人間にめざされるべき徳は4つである。断食(nhsteiva)、礼拝(proseuchv)、手仕事(ejrgovceiron)、そうして身体の慎み(hJ tou: swvmatoV swfrosuvnh)である。これらの諸徳と抗争して、サタナースはアダムを楽園から放逐した。食べ物の件で彼を躓かせ、恥じ入らせ、隠れて、の面前に出ないよう逃げたのである、アダムがの前に拝跪したとき、これに罪を告白したことはなかったのに。しかし、楽園からアダムが追い出されたとき、悪魔はこの喪失によって別の罪で彼に有罪判決を下し、この失望によって彼が自分にすがりつくことを期待したからである。しかし人間を愛する主人は、悪魔の悪行を見て、《汝が造られたその大地を耕せ》〔Cf. 創世記3:23〕と言って、アダムに仕事をお与えになった、アダムがこの仕事から思慮して、悪魔の悪だくみを払いのけるためである。されば、悪魔が闘うのは、断食に対して、祈りに対して、手仕事に対してである。なぜなら、手仕事は彼の数多くの悪だくみを切り捨てるからである。さらに有徳な慎みに対しても闘う。しかし、ひとがこれら4つの徳の働きに値する場合は、あらゆる徳をも支配するのである。

(30.)
問:何をすれば、人間はこれら諸徳の恩寵を得られますか?
答:ひとが術を学ぼうとするなら、あらゆる思い煩いを捨て、自分自身を貶め、卑下(tapeinwvsiV)を通してこの術の恩寵を得よ。そのように修道者も、人間的な思い煩いをすべて放置し、わたしは誰かより美しいとか、誰かと等しいとか思量することなく、あらゆる人間にまして自分自身を貶めなければ、徳を所有するなどということは決してない。しかし、自分自身を低くし、万事につけて軽蔑するなら、そのとき諸徳は働きを見つけて、自分からやって来る。というのは、あなたがまだしゃべっているとき、述べる、彼は謂う、わたしはここ。

(31.)
問:いかにして人間は、自分の祈りがに嘉されていると知ることができるのですか?
答:人間は、自分の隣人がいかなることにおいても不正されないよう守るとき、そのときは、自分の祈りがに嘉されているのだと元気を出せ。しかし、身体的にであれ魂的にであれ、いかなることにおいてであれひとが自分の隣人に不正している場合には、自分の祈りはいまわしく嘉されない。なぜなら、不正されるひとの嘆息は、彼の祈りがの面前に出ることを決して許さないからである。さらにまた、隣人とすぐに仲直りしないなら、彼の人生の全時間、固有の罪から無実であることは決してない。なぜなら書かれているからである。《あなたがたが地上で縛ることは、諸天にて縛られるであろう》〔マタイ18:18〕」。

2015.02.04. 訳了。

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