エジプト修道者史(1/7)
1."t" [2] ひとりの軍司令官(strathlath/j )も、シュエーネー この都市はテーバイ州の始まりである のアイティオピア人たち(当時、殺到し、この都市の周辺地域を荒廃させていた)を征討すべきかどうか、彼に尋ねようと、彼にもとにやってきたとき、イオーアンネースはこれにこう云った。「出陣して、かれらを捕らえ、征服し、支配下におけば、王たちから褒められるであろう」。まさにそのとおりのことがなされ、事態はそのとおりの結果になった〔ことほどさように、彼の予言は的中したのである〕。また〔イオーアンネースは〕こうも〔云った〕。「最高のキリスト教徒の王テオドシオスは、みずからの死〔寿命〕によって命終するであろう」。 [3] さらにまた、この人物は預言の極致〔の才〕を持っていた。これについては、彼の傍にいた師父たち その人生が本物であることは、かの地の全員に認められていた からもわたしたちは聞いたし、この人物について彼らが手本に示してくれたことは、〔わたしたちを〕喜ばせるためのものではなく、むしろ控えめなものであった。 [4] 例えば、ある護民官が彼のもとにやってきて、自分の配偶者も彼のところに来るのを許してくれるよう嘆願した。彼女は、シュエーネーに下向することになり、彼と面会することを大いに渇仰したからである。まずは自分のために祈り、自分を祝福して去らせてもらうためである。[5] しかし彼は、洞穴のなかですでに40年間、女を眼にしたことはなく、齢およそ90歳、自分がどこかに出て行くことも、女が自分の眼にとまることも容認しなかったので、その自由人の女に面会することを断った。じつをいうと、男子でさえ、いまだかつて彼のところに入ってきたことはなかった。すなわち、ただ窓を通してのみ祝福し、訪問者たちと挨拶し、自分の関心について各人と対話するのが常だったのである。 [6] ところが、この護民官は、自分の自由人の妻がやって来るよう命じてほしい なぜなら、この人物〔イオーアンネース〕は都市から5里程離れた山の中で暮らしていたので と懇願しつづけたけれど、彼は承知せず、それはできないと言って、夫を落胆させたまま送り返した。しかし自由人の女は、毎日せっつくことをやめず、預言者と面会しないかぎり、けっして下向しないと誓って言った。[7] かくして、浄福のイオーアンネースに、女の夫から誓いが報告された。そこで彼女の信仰を見抜いて、護民官に謂った。「今夜、夢のなかで彼女に顕現することにしよう。そうしたら、わたしの顔をもうそれ以上肉の中で見ることもあるまい」。そこで師父の言葉を夫は妻に告げた。[8] こうしてじっさいに、夢のなかで、女は預言者が自分のところにやって来るのを見た。彼女に向かって謂う。「わしとそなたと何の係わりがあるか、女よ。わしを見たいのは何ゆえか。わしは預言者であるよりは、義人の持ち場を堅持しているにすぎぬ。わしは罪ある人間で、そなたらと同じような感情を持ったものである。とはいえ、そなたと、そなたの夫の家のために祈ろう。そなたらの信仰どおりのことがそなたらに起こり、平安のうちに歩むように」。そしてそう言って立ち去った。 [9] すると彼女は目覚めて、預言者のいったことを夫に告げ、さらにはその姿をも語り、感謝の祈りの声を、夫を通じて彼に送って寄越した。そこで、再び彼〔夫〕を見て、浄福のイオーアンネースは先に察してこれに云った。「見よ、そなたの願いをかなえた。というのは、彼女に会ったので、もはやわしを見たいということなく、平安のうちに歩むことを成就したのだから」。 [10] また、他の高官の妻が妊娠していた。あまつさえ、〔夫の〕不在中、彼女の夫が師父イオーアンネースに対面しているまさにそのときに出産したが、彼女は失神して危篤に瀕した。そこで聖人は、吉報を告げて彼に言う。「もしあなたが神の賜物のことを知るなら、つまり、今日、そなたに息子が産まれたということを〔知るなら〕、神を称えるであろう。しかしながら、その〔息子の〕母親はすんでのところで危機に瀕しておる。だから帰れば、子は〔生後〕7日なのを見つけ、これにイオーアンネースという名をつけるであろう。そして知識(e)pisth/mh )においてこれを精進させ、7歳になったら、沙漠の修道者たちのもとに派遣せよ」。 [11] こういった驚異は、外国からの来訪者たちの前でも示して見せた。彼の〔神の国の〕同市民たち 自分たちの必要から常住不断に彼のところにやってくる には、あからさまにしたり予知したりした。近々起こることや、当人には隠れて為された事柄、またネイロス河〔の増水・減水〕に関しても、〔年々の〕豊穣に関しても、彼らに予告した。さらに、彼らに到来する神の威嚇のようなものも同様にあらかじめ告知し、その責任者を咎めた。 [12] そして、浄福のイオーアンネース本人は、癒し〔の霊能〕を公に顕したことはなかったが、オリーブ油を与えて、病者たちの大多数の手当をした。例えば、ある元老院議員の妻が、視力を失い、瞳孔が白濁したため、彼のところに連れて行ってくれるよう夫に懇請した。そこで彼〔=夫〕が、彼〔=イオーアンネース〕はいまだかつて女と対面したことがないと言ったところ、彼に説明して、自分のために祈りをあげてくれるようにだけ促した。そこで彼〔=イオーアンネース〕はそのとおりにし、あまつさえオリーブ油を送り届けたので、3日間だけ両眼に塗油したところ、3日後には視力を取りもどし、神への感謝の祭儀を公に執り行ったのである。 [13] いったい、わたしたちがこの眼でみたこと以外に、彼の他の所業について言う必要があろうか。すなわち、彼のところに参上したのは、わたしたち7人、みな外国人であった。すると、彼は晴れやかな笑顔でわたしたちに挨拶し、ひとりひとりを歓迎してくれたので、わたしたちは、先ずわたしたちのために祈りをあげてくれるよう、すぐに懇請した。それがアイギュプトスにいる師父たちの習慣だからである。[14] ところが彼は、いったい、わたしたちの中に誰か聖職者はいないのかと訊ねた。そこでわたしたちがみな、いないと謂ったところ、全員を見回して、誰が隠し事をしているか知った。はたして、わたしたちの中に、助祭(diakoni/a )の資格の或る者がひとりおり、当人とともにこのことを知っている兄弟がひとりだけいたが、誰にも謂わぬようこれに固く口止めしていた。謙遜のためと、このような聖者たちに比べれば、自分は〔助祭の〕資格がないのはもちろん、ほとんどクリストス教徒の名にもあたいしないと考えたからである。ところが、〔イオーアンネースは〕彼を手で示し、再び言った。「このかたが助祭である」。[15] なおも彼が繰り返し否認し、気づかれまいとしたところ、窓越しにその手を取って接吻し、訓戒し促して、こう言った。「神の恩寵を無にしてはならぬ、わが子よ、またクリストスの賜物を否認して、虚言してはならぬ。なぜなら、虚言は、小さな行為においても大きな行為においても、よそよそしいものじゃ。たとえ、有用さから生じても、やはり称賛すべきものではない。救主がこう云っておられるからじゃ、『虚言は邪悪からくる』〔マタイ5_37, ヨハネ8_44〕と」。彼は咎められて静寂を保った〔=沈黙した〕。彼の穏やかな叱責を受け容れたからである。 [16] それから、わたしたちは祈り、祈りを成就したとき、わたしたちの中のひとりの兄弟が、すでに3日間熱病にかかっていたので、手当を懇請した。すると師父は彼に向かって、病は信仰の少なさゆえに彼に生じたが、さしあたって彼に有益であると云って、やはりオリーブ油を授け、塗油するよう彼に命じた。そこで彼が塗油すると、腹の中にあったものをすべて口から吐きもどし、熱病から免れて、客室まで自分の足で退きさがった。 [17] ところで、彼〔=イオーアンネース〕はすでに齢90歳に達していると見えた。身体はすっかり消耗しきり、その結果、修行のせいで顔に髯も生えていなかった。果物以外に他のものは何も食べす、しかも、日没後は、老齢であるにもかかわらず、数々の前修行を先にやり、穀物に手を出すこともなく、火を通す必要のあるものにも〔手を出さ〕なかったからである。 [18] さて、座るよう彼がわたしたちに命じたので、わたしたちは彼との対面を〔感謝して〕神に感謝の祈りを捧げた。彼の方は、自分の真正なわが子を長い期間を経て迎えるように〔迎え〕、笑顔をわたしたちに向けて次のような言葉を発した。「いずこから、おお、わが子たちよ、いかなる地方から、低き人間のもとにおいでなすったのか」。[19] そこでわたしたちは祖国を云い、さらにまた、「魂の益のために、ヒエロソリュマからあなたがたのところにやってきました。耳で聞いたその同じことを、眼で見るためです なぜなら、耳は眼よりも信じられないものですから 、また、聴覚にはしばしば一種の忘却が伴いますが、視覚の記憶はわたしたちにとって消えず、画像(i9stori/a )が刻み込まれるように精神に〔刻み込まれるでしょうから〕」。 [20] すると、わたしたちに向かって浄福のイオーアンネースが云った。「何という驚異であろうか、おお、親愛このうえない子どもたちよ、眼にみるために、これほどの道のりと辛労を経てこられたとは。低くつまらぬ人間たち、観想はもとより驚異にも何らあたいしない者たちなのに、これを見たいと欲して。しかし、驚異と称賛にあたいする人たちはどこにでもいるのです。神の預言者たちとか、使徒たちとか、諸々の教会で読み上げられているような人たちは。彼らを模倣すべきです。[21] いやはや、わたしは驚嘆の至りです」と彼は謂う、「あなたがたの熱意には。これほどの危難には目もくれず、益のためにわたしたちのところにどうしておいでなすったのか。わたしたちは、億劫ゆえに、この洞穴から出かけることさえ望まないのに。 [22] とはいえ、もちろん」と彼は謂う、「あなたがたの行為は称賛すべきものがあるとはいえ、何か美しいことを修めればそれで充分だなどと思ってはなりませんぞ、むしろ、わたしたちの師父たちが励行しておられる諸徳を模倣しなされ。そして、あらゆる〔諸徳〕を所有した そんなことは稀じゃが としても、だからといって自分に信を置いてはならぬ。なぜなら、そういうふうに自信を持ち、諸徳のまさしく高みに達した幾人もが、ついには高所から転落してきたからじゃ。[23] むしろ、気をつけなされ、あなたがたにとって祈祷は善き情態にあるかどうか、あなたがたの精神の清浄は汚されていないかどうか、あなたがたの理性は、祈りによって神のそばに立っていながら、何か動揺をこうむっていはいないかどうか。別の思念のようなものが忍びこんで、理性を何か他の方向に逸らせていないか、不都合な思いつきの記憶のようなものが、精神をかき乱していないか。気をつけなされ、神の真理にしたがってこの世の持ち場を離脱しているかどうか、わたしたちの自由を狙っているかのようにわたしたちは入りこんでいないかどうか、虚栄を求めてわたしたちの諸徳を追求する それはまさしく、見せびらかしのように、わたしたちの業を模倣する者と人々に明らかになるために していないかどうか。[25] 気をつけなされ、苦(paqo/j )があなたがたをかき乱していないか、名誉や栄光や人間的な称賛が〔あなたがたをかき乱して〕いないか、祭司職や自己愛のふりが〔あなたがたをかき乱して〕いないか、義人であるとの思いなしが〔あなたがたをかき乱して〕いないか、精神の内で祈っているひとの同族の記憶が〔あなたがたをかき乱して〕いないか、羽振りのよさとか他の何らかの暮らし向きの、ましてこの世全体の、記憶が〔あなたがたをかき乱して〕いないか〔気をつけなされ〕。さもなければ、所行は無意味となるであろう、主人と会話しているひとが、逆の思念によって引きずり降ろされる場合には。 [26] また、精神のこの滑落をこうむるのは、完全にはこの世を否認せず、自分の喜びを追求する者ひとりひとりである。なぜなら、諸々の気遣いは、身体的であり地上的であるので、多くのことを手がけることで、自分の精神を分散させ、やがて、諸々の情念とあらそうようになり、神を看ることができなくなるからである。いやそれどころか、この〔神を知る〕覚知(gnw~sij )をどこかに厳密に観察することをのぞむ者は誰もおらず、そういうものを所有するにあたいしないにもかかわらず、その資格ありとして、何か小さなもので全体をつかんだと信じ、完全に破滅へと転落するのである。[27] むしろ、常に程よく、かつ、敬虔に〔=用心深く〕神に近づかねばならない。各人ができる仕方で、人間どもに届く範囲で、理性において前進して。だから、神を当てにする人たちの覚悟(gnow/mh )は、その他の一切に関わることをやめよ。なぜなら、いうをやめよ」と彼は謂う、「そして、われこそ神であるということを汝ら知れ〔詩篇46_11〕。[28] だから、神の覚知(gnw~sij )に部分的にあたいする者 全知を受け容れることは何びとにもできないのだから は、その他のすべての知(gnw~sij )をも得るし、これに神が示す〔神の〕秘儀を看るし、将来起こることを予見するし、聖人たちがしたように黙示を観想するし、諸々の霊能を顕し、神の友となり、あらゆる要望を神からもたらされるのじゃ」。 [29] 他にも、修行について多くのことを云ったが、こうも〔云った〕。「善き生への遷化を待ち設けるように、死を待ち設けるべきであって、身体的脆弱さを予見してはならず、ごくありふれたものによってであっても、胃袋を満たしてはならない なぜなら、満腹する者は」と彼は謂う、「贅沢三昧にふける者たちと同じたくらみをこうむるからである 。むしろ、修行を通して、諸々の情欲からの無心を獲得す〔べきである〕。そして、何びとも、〔他の人によって〕備えられているものや安楽を当てにしてはならず、むしろ、現に今を強くし、苦難に遭うべきである。それは、クリストスの王国の広大さを受け継ぐためである。[30] なぜなら、わたしたちが」と彼が謂う、「〔神の〕王国に入るには、数多の苦難を経なければならない。というのは」と彼が謂う、「命に通じる門は狭く、その道は細く、これを見出す者たちは少数だからである。これに反し、滅びに通じる門は大きく、その道は広く、ここから入ってゆく者たちは多数である。はたして」と彼が謂う、「わたしたちがこの生に気弱になる必要がどうしてあろうか。少し後には、永遠の休息にたどりつくのに」。[31] また、こうも〔謂う〕、「人は自分の修徳を威張ってはならない。むしろいつも低くし、より辺境の沙漠を求めるべきである。自分が高ぶっていると感知したときには。なぜなら、地方の近くでの暮らしは、しばしば完徳者たちをさえ損なうからである。だからこそ、ダビデもそういった受難に遭って〔詩篇に〕歌っている。『見よ、わたしは遠く逃れ去り、沙漠に野宿した。弱気から、また嵐から、わたしを救ってくださる神を待ち望んだ』。さらにまた、わたしたちの兄弟たちの多くが、そういった受難に遭い、自慢のせいで目標を得損なってきた。 [32] 例えば、ひとりの修道者がいた」と彼は謂う、「近くの沙漠の洞穴の中に暮らし、ありとあらゆる修行を実証し、みずからの手で日々の自分のパンを手に入れていた。しかし、祈願に従事し、諸徳の点で向上したので、ついには自分に信を置くにいたり、〔神の国の〕美しき行住坐臥を確信した。[33] すると誘惑者が、イオーブの〔引き渡しを要求した〕ように彼の引き渡しを要求し、あまつさえ、夕方、彼に幻を送った。それは、沙漠で道に迷った美形の女の〔幻である〕。この女は、扉が開いているのを見つけると、洞穴に跳びこみ、かの人物の膝に身を投げ出して、休息を彼に乞うた。夕闇が自分にふりかかったからと。そこで彼は彼女を憐れみ、そうすべきではなかったのだが、彼女を洞穴に受けいれ、あまつさえ、道に迷った次第を彼女に訊ねた。そこで彼女はその次第を告げながら、媚びと欺瞞の言葉を綯い交ぜに彼に植えつけ、彼との会話を長々と長引かせ、恋情が起こるまで何かとやさしく彼をたきつけ、ついにはかれら相互の間に数多くの言葉が、笑いが、微笑がうまれた。[34] そして、数多の会話によって彼を惑わし、そこからついには手に、髭に、首に触れ、とうとうその修行者を虜にしてしまった。こうして、彼はといえば、心内の思念に転向させられたので、すでに事態を手中にしていたので、快楽を遂げる好機と許可を思い、とうとう精神に押し入り、あまつさえ彼女と同衾しようとした。すでに正気を失い、雌狂い馬となっていたのである。[35] ところが、とつぜん彼女は大声をあげ、彼の手から消えてしまった。影か何ぞのようにすり抜けて。ただ空中に数多の笑い声が聞こえた。欺瞞によって邪道に導いたダイモーンたちが彼をなじり、大声で彼に向かって叫んでいた。『おおよそ、自分を高くする者は低くされる。おまえはといえば、天まで高くされながら、底なしの深淵まで低くされた』。 [36] 早朝、そこから起きあがり、前夜の悲惨を引きずりながら、日がな1日嘆きのうちにすごした。自分の救済に自暴自棄となり、そうすべきではなかったのだが、再びこの世に出もどってしまった。これこそが邪悪なる者の所行なのである。誰かを投げ倒すと、これを無思慮へと陥らせ、ついにもはや再起できなくさせるというのが。 それゆえ、おお、子どもたちよ、地方の近くに居住すること、まして女たちとの出会いは、わたしたちには思いもよらない。眼と会話によって招来する記憶は消え去らぬからじゃ。しかし、自暴自棄となること、自分が絶望に陥ることもやってはなぬ。なぜなら、多数の者たちが、絶望者たちでさえ、憐れみ深い神からの人間愛を奪われることはないからである。 [37] 例えば、別のある若者がいた」と彼が謂う、「都市で多くの悪事を働き、手に負えない罪人であった。彼は、神の御意(neuma/ )で、数多の罪に〔悔恨の情で〕刺し貫かれ、墓場に居を占め、自分のそれまでの人生を嘆き、うつぶせになって、声を発しようとせず、神の名をとなえようとも、嘆願しようともしなかった。自分は生命そのものの価値さえないと考えたからである。そして、死ぬまで墓場の中に自分を閉じこめ、自分の生を口にし、地に伏して心の底から呻吟するのみであった。 [38] こうして彼にとって1週間が過ぎたとき、夜、以前彼の生命を占領していたダイモーンたちが彼の前に現れ、泣いて言った。『あのけがらわしいやつはどこにいるのか。好色にすっかり満腹しきったやつが、われわれにとっては不都合にも、突如慎み深く美しい者となって立ち現れた。そして、もはや不可能なのに、クリストス教徒にして端正な者になりたがっている。いったい、やつにどんな美しいことがまだ期待できるというのか。われわれの悪事に通じているというのに。[39] 立って、すぐにここから出て行かないのか。われわれといっしょにいつものことをしに行かないか。淫売たちと居酒屋の亭主たちがおまえを待ち受けているぞ。行って、欲望を享受しないのか。おまえにとってほかの希望はすべて消え失せたのだから。そんなふうにして自分をなきものにしたら、たちまち裁きがおまえにやってこよう。いったい、どうして罰を受けることに熱心なのだ、おお惨めなやつ。いったいどうして、おまえの償いをすることを競って急ぐのだ』。他にも多くのことを言った。『おまえはわれわれのものだ。われわれといっしょに持ち場につけ。ありとあらゆる無法を行じ、われわれみんなの服従者となったのに、敢えて逃げ去るつもりか。答えないのか。賛同しないのか。いっしょに出て行かないのか』。[40] しかしくだんの人物はいつまでも泣き悲しむばかりで、彼らに耳も貸さず、彼らに一言も答えなかった。長い間、ダイモーンたちは彼にまとわりついていたけれど。そして、同じことを何度も言い、彼を引き離そうとしたけれど、何ら得るところがなかったので、邪悪なダイモーンたちはこっぴどい拷問にかけ、彼の身体全体をけば立たせ、彼を手に負えぬくらい責め苛み、半死半生のままにして立ち去っていった。 [41] しかし彼は依然として動かず、彼を置き去りにしたその場所で、正気に返ると、またもや呻きながら横たわっていた。[42] ところで、彼の家族は、彼の足跡を探しまわっていたのだが、これを見つけ、身体の惨状の理由を彼から教えられ、彼を家へ連れ帰りたいと懇請した。しかし彼は、〔家族が〕何度強要しても、頑固に抵抗した。すると次の夜、ダイモーンたちが再び、前回よりもひどく彼を同じ目に遭わせた。そこで、親戚の者たちが、この場を離れるよう説得したが、やはりだめであった。人生のこのような汚れのうちに生きるよりは、死んだ方がましだと言うのである。 [43] 第3夜は、ダイモーンたちによってすんでのところでこの人を完全に片づけてしまうところだった。無慈悲にも〔ダイモーンたちが〕拷問具でもって彼に襲いかかり、最後の息まで虐待したからである。しかし、降参しないのを見ると、引き上げた。しかしながら、この人物を息絶え絶えのまま後に残して。ただし、立ち去るとき、叫んで言った。「汝が勝てり、汝が勝てり、汝が勝てり」。かくして、もはや何らの恐るべきことも彼に遭遇することはなく、生あるかぎり、清浄な者として墓場に清浄に住み、清浄な徳を修行した。こうして、神にも重んじられる者となり、驚異を実際に示して見せ、その結果、多数の人たちに、美しき生活態度(e)pithdeu/mata )に対する驚嘆をも憧れをももたらしたのであった。[44] こういう次第で、自分自身に激しく絶望した者たちの大多数が、美しき行為を励行し、修徳し、かくして聖書が言っていることが彼らに生じたのである。『みずからを低くする者は高くされる』。だから、何よりも先に、おお、わが子たちよ、謙遜を修行しよう。あらゆる諸徳の第一の基礎なのだから。そして、遠く隔たった沙漠は、わたしたちの修行のために完全に有益なのである。 [45] 例えば、もうひとり別の修道者がいた。はるか遠い沙漠に居を定め、多年にわたって諸徳を修めた。やがて老齢になってから、ダイモーンたちのたくらみに遭遇して試された。すなわち、この修行者は静寂(h(suxi/a)の格別な敬愛者であって、祈りと讃美歌と数々の観想のうちに、日がな1日をすごし、神的な明瞭な異象を、あるものは覚醒時に、あるものは夢の中でも、観想するを常としていた。[46] そして、身体なき命の足跡を獲得するばかりであった。大地に植えることなく、暮らしに気遣いすることもなく、必要とする身体に何を提供するかを植物に求めることもなく、若草に〔求めること〕もなく、鳥類の狩りも何か他のものの〔狩り〕もすることなく、人の住まいする地から彼処に移って以来、ただ神に対する信頼に満たされ、いかにすれば自分の身体が養われ続けるかということになんらの思い(lo/goj )も致すことなく、万事を忘れて、まったき渇仰によって自身を神のみもとに引き上げ、これを堅持し、この世から〔天国への〕遷化を待ち設けて、たいていは、まだ見ていない事実や希望している事柄に対する歓喜によって養われていた。そして、彼の身体は〔そういう生活の〕継続に疲弊することもなく、魂が意気阻喪することもなく、むしろ、厳粛な生活習慣の中に美しい状態を保っていた。 [47] ただし、神が彼を重んじていたので、2ないし3日ごとの定まったときに、パンが食卓に現れ、実在し、用いられるように与えた。そこで、くだんの人は、身体が必要としていると感じたときは、洞穴に入って行き、食べ物を見つけ、礼拝して、御馳走になったうえで、再び讃美歌へともどってゆき、ひたすら祈りと観想に専念した結果、日毎に花開き、今ある徳と将来の希望に付け加わって、いつもより大きく前進した。そして、自分自身のより善い後継〔=楽園〕について、これをすでに手中にしたと、ほとんど確信するに至った。これこそが彼の身に起こったことで、その後彼に襲いかかる試みによって、すんでのところで転落するところであった。いったい、彼がもう少しで転倒するところだったことを、わたしたちが言わない理由があろうか。すなわち、そういう気(fronh/ma )になったので、自分でも気づかぬうちに、自分は他の人たちよりも偉い、他の人間たちに比べてすでにかなり大きなものを所有していると考え、そういう者として、ついに自分自身に信を置いたのである。[49] こうして、久しからずして、先ずは彼に小さな無頓着(r(aqumi/a ) 無頓着とさえ思われないくらいの ようなものが生じた。次いで、より大きな無関心(a)me/leia )が生じた。次いで、それが感じられるくらいになった。というのも、眠りから起きあがって讃美歌に向かうのがますます億劫となり、祈りの勤めもすでにぞんざいとなり、讃美歌はそんなに延長することなく、理性はうつむき、諸々の思念はあれこれ煩いをこうむり、きっと、何らかの不都合事が〔心の〕隠れ家でもくろまれていたことであろう。 ただし、以前からあった習慣が、あの慣性からくる一種の力のように、どうにかまだこの修行者を導き、さしあたって救っていたのではあるが。[50] ついに、あるとき、いつもの祈りの後、夕方になって、〔洞穴に〕入ってゆくと、神から彼に供されたパンが食卓の上にあるのを見つけ、元気を回復した。しかしこのとき、〔祈りの〕短縮を拒まず、その無視が熱意を害するとは思いもつかず、その悪の治癒にも向かわず、むしろ、必要なことを少しばかりしくじっただけの小事だと考えていた。[51] まさしくそのために、欲望に対する恋情が彼を掠し、諸々の思念(logismo/i )によってこの世に導いたのである。とはいえ、やはり、さしあたり次の日まで自制し、いつもの修行に向かい、祈り、讃美歌を歌い、洞穴に入ると、パンが置かれているのを見出した。それほど丹誠こめた清浄なものではなく、すでにいくぶん汚れていたが。それでも驚嘆し、いくぶんはがっかりして、それでもやはり摂取して、元気を回復した。 [52] 第3夜になり、悪さは3倍に増えた。というのも、というのも、彼の理性はますますすみやかに思念に転落し、彼の記憶は、あたかも女が寄り添い添い寝しているかのごとくに想像をめぐらせ、その事態を眼に見、それを実行しているかのようにやり通したのである。それでも、3日目も同じように仕事と祈りと讃美歌のために出て行ったが、もはや内省は清浄でなく、苦痛に代わり、眼は宙をさまよい、あちらこちらを目視した。というのは、内省の記憶が彼の美しき仕事を中断したからである。[53] やがて、夕方になってもどってきた。パンがほしかったからである。そして、食卓にそれを見つけたが、ネズミかイヌに食われたように、残っていたのはひからびた外側だけであった。このとき、彼が呻き落涙するさまといったら、充分〔ありうる〕ほどでないのはもちろん、間違い(atopi/a )を避けられる程度でもなかった。そして、ほしいだけ食べられなかったので、休むことさえできなかった。[54] かくして、諸々の思念が彼に襲いかかった。至る所から群れをなして彼を取り囲み、彼の精神に戦端を開き、すぐさま捕虜としてこの世に連れもどす。そこで立ち上がると、沙漠を抜けて人の住まいする地に行くため、夜立ちをした。 やがて〔朝〕日が彼に射したとき、人の住まいする地はまだはるか遠く、炎熱が彼を苦しめたので彼は疲弊した。そこで、思いついて、自分のまわりをぐるっと見渡した。どこかに修道院があって、入っていって休息できるかと。[55] そのとおりのことが起こった。敬虔で信実な兄弟たちが彼を迎え入れ、彼らは真正の師父のようにながめて、彼の顔と足を洗い、祈って、食卓を設け、見つくろったものを摂取するよう愛をもって懇請した。こうして元気を回復すると、兄弟たちは救済の言葉を自分たちに言ってくれるよう彼に懇請した。どんな方法で悪魔の罠から救われることができるのか、また、いかにすれば恥ずべき思念を乗り越えられるのかと。[56] そこで彼は彼らにわが子に訓戒する父親のように、忠告した。いたすら辛労に専念するよう、少し後には、大いなる休息に至れるのだからと。そして、修行について多くのほかのことを彼らと対話し、大いに裨益した。 そして訓戒が終わると、少し思いに沈み、他の人たちを訓戒しながら、自分はいかに訓戒も受けないままであったか思案した。[57] そして自分の欠点を自覚し、再び沙漠に駆けもどり、自分自身を嘆いて言う。『主がわたしを助けてくださらなかったら、わたしの魂はとっくに冥府に住んでいたろう〔詩篇94_17〕、もう少しで、まったき悪に陥るところだった〔箴言5_14〕。彼らはこの地においてほとんどわたしを滅ぼした〔詩篇119_87〕』。じっさい、彼について述べられたものがある。『兄弟に助けられる兄弟は、都市のごとく堅固にして、城壁のごとく不倒である』。[58] こうして、そのときから以降は、全生涯を嘆いて暮らし、神からの食卓を喪失し、自分のパンは辛労して稼いだ。すなわち、自分を洞穴の中に閉じこめ、粗布と灰をじぶんの下に敷き、地から立ち上がることなく、悲嘆してやめることもない。天使の声が夢の中で彼に向かってこう言うのが聞こえないうちは。『神はそなたの回心を受け容れられ、そなたを憐れまれた。以後は、欺かれないように見よ。そなたを励まし、そなたが訓戒した兄弟たちは自由となり、そなたに祝福〔の賜物〕(eu)logi/ai)を運ぶ。それを受け取り、かれらとともに摂取し、不断に神への感謝の祈りを捧げよ』。 [59] さて、以上のことを、おお、わが子たちよ、あなたがたに手本として示したのは、あなたがたが小さき者たちに属すると思っていようと、大きな者たちに属すると思っていようと、最初に謙遜を修行するためなのだ。 これこそが、『霊における乞食たちは浄福である、諸天の王国は彼らのものである』〔マタイ5_3〕と言った救主の第1のいましめだから 。そしてまた、あなたがたに幻想を引き起こすダイモーンたちに欺かれないためでもある。[60] いや、あなたがたのところにやってくる者がいれば、それが兄弟であれ、友であれ、姉妹であれ、妻であれ父であれ教師であれ母であれ子どもであれ家僕であれ、まず祈りのために手をさしのべよ、そしてもし幻影があれば、あなたがたから追い出しなさい。ダイモーンたちであれ人間たちであれ、あなたがたを欺くときは、あなたがたに媚びへつらい、称揚する。連中に説得されてはならず、精神において自惚れてもならない。[61] というのは、ダイモーンたちはわたしをもそういうふうに夜、しばしば欺いて、わたしが祈ることも休息することも許さなかった。一晩中、幻影をわたしにもたらした。そして、早朝、愚弄しながら、わたしに襲いかかって言った。『わしらを許してくれ、尊師よ、一晩中あなたに面倒をかけたのだから』。そこでわたしは連中に向かって云った。『無法を働く者どもよ、みなわしから離れておれ〔詩篇6_8; マタイ7_23〕。神の奴隷を誘惑することはけっしてできないのだから』。 [62] だから、そういうわけで、あなたがたも、おお、わが子たちよ、静寂を求めよ。観想をめざして常に訓練せよ。それは、清浄な理性を獲得し、神に祈るため。こういう修行者こそが美しい。この世で常住不断に訓練し、諸々の美しき行為にいそしむ人、兄弟愛を示して見せ、客人愛と愛と憐れみを実践し、善行者たちの現在と辛労する人たちを助け、妨害しない人。[63] この人こそ美しい、とりわけて美しい。というのは、いましめの実践者(praktiko/s )であり働き手(e)rga/ths )である。とはいえ、地上的な事にいそしんでいる。いうまでもなく、この人よりもすぐれた偉大なひとは、あの観想的なひと 実践的な事柄から叡智界(noh/sij )に駈けのぼり、それ〔地上的な事柄〕を気遣うことは他の人たちに任せ、さらには、みずからは自分自身を否認し、自分を忘れ、天上の事柄に多忙である。何ものからも自由に神のそばに立ち、いかなる他の気遣いによっても、後ろに引っぱられることがない。こういった人こそ、神とともにすごし、神とともに行住坐臥をし、やむことなき讃美歌で神を讃美する人だからである」。 [64] 以上のこと、ならびに他にもおびただしいことを、浄福者イオーアンネースはわたしたちに手本として示し、3日にわたって、第9刻限まで対話して、わたしたちの魂を手当てした。そして、わたしたちに祝福〔の賜物〕(eu)logi/ai)を与えたうえで、平安のうちに前進するよう下知した。次のような預言もわたしたちに言って。「敬神の念篤き王テオドシオスが僭主エウゲニオスを降伏させた勝利宣言が、今日、アレクサンドレイアに入ってきた」。またこうも。「王は自分の死を終えねばならない」。真実、そのとおりのことが結果したのである。 [65] さて、他にも多数の師父たちにわたしたちが面会していたとき、浄福者イオーアンネースが驚嘆すべき仕方で命終したと、わたしたちに知らせる兄弟たちがやってきた。すなわち、3日間、自分のところに誰も来ることないようにといいつけ、祈祷のために膝を折って、命終して神のもとに立ち去った。このかたに永遠の栄光がありますように、アメーン。 |