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back.gifエジプト修道者史(2/7)


原始キリスト教世界

エジプト修道者史(3/7)








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第2話 尊師オールについて

 [1] テーバイ州においてもうひとりの驚嘆すべき人物にわたしたちは面会した。彼の名は尊師オールといい、1000人の兄弟たちを擁するいくつかの修道院の師父で、天使の姿をし、およそ90歳、胸まで届く真っ白い髭をたくわえ、顔は輝き、そのため、彼を見ただけで、人は畏怖したほどである。

 [2] この人物は、はるか以前、沙漠の奥深くで独自に修行し、その後、近くの沙漠に修道院を建設し、みずからの手で沼沢地 — その場所にはもともと野生の樹木があった — に植樹した。そのおかげで、かなり多くの材木が沙漠に産するようになった。[3] というのは、彼につきそっている師父たちがわたしたちにこう言ったからである。「ここには若枝ひとつなかった。この方が沙漠からやってくるまでは」。彼がそれを植えたのは、自分の同行の兄弟たちが、何か必需品のためにうろつきまわらなくてもいいように、むしろ、神に祈って、自分たちの救いのために競い合って、自分たちの心配をすべてを神の祈りとして、必要なものに何ら欠けるところなく、怠惰の口実のようなものが生じないためである。

 [4] この人物は、最初、沙漠で過ごしたとき、野草や甘い根のようなものを食し、見つかったときだけ水を飲み、すべての時間を祈りと讃歌の中にすごした。やがて完全な老齢に達したとき、沙漠にいた彼に夢の中で天使が現れ、こう言う。「そなたは大いなる民族になり、多くの民に信じられよう。そしてそなたによって救われる者らは10万人であろう。ここにおいてそなたが獲得するかぎりの者ら、それを未来永遠にそなたは支配するであろう。また、遅疑することなかれ」と、その天使は彼に向かって続けて謂う。「最期のときまで、必要なものがそなたに欠けることは決してあるまい、神を呼ばわりさえすれば」。[5] これを聞いて、初めに独修していたところから〔町に〕近い沙漠に出かけて、自分のために小さな隠棲所(kalu/bion )をひとつこしらえ、野菜のサラダだけで満足した、それも1週間に一度摂ることもしばしばであった。最初、文盲であったが、沙漠から人の住まいする地に出てきてからは、恩寵が神から彼に与えられ、書物を暗誦した。じっさい、兄弟たちから彼に聖書が贈られたとき、その書に精通しているかのように、残りを読んだのである。[6] さらに、ダイモーンを祓うという別の恩寵も彼は得ていて、難儀に遭遇している多数の、望まない者たちまでが、かよってきたほどである。彼の行住坐臥を大声で叫びながら。他の癒し〔の霊能〕をも顕し続けてやめず、その結果、至る所から修道者たちが彼のもとに集まり、何千人にも集まったのである。

 [7] さて、この人士はわたしたちを見て喜び、歓迎して〔わたしたちのために〕祈ってくれた。わたしたちの脚をみずからの手で洗いまでして、教えの場に向かわせた。そして、書物の数々の要点を説き、正統な信仰を伝え、祈りへと督励した。[8] というのは、魂に霊的な食料 — それはすなわちクリストスの聖体ということだが — を伝えないうちは、肉に食料を摂らせないという、偉大な人たちの習慣であった。

 さて、それ〔聖体〕を拝領し、感謝の祈りをした〔わたしたち〕を食卓に向かわせて、彼自身は何くれとなく真面目なことを想起させては、座ったままわたしたちにこう言った。[9] 「わたしは沙漠にいたひとりの人を知っている。彼は地上的な食べ物を3年間味わうことなく、天使が3日ごとに天上の食べ物を彼に運び、彼の口に投げ入れ、それが彼の食料と飲み物の代わりとなったのである。こういう人についてわしの知っているのは、ダイモーンたちが幻の中で彼のもとに現れ、天使たちの軍団を示して見せ、火の戦車や数多の槍持ち隊を〔示して見せ〕、王が遠征して彼に言う。『そなたは万事を修徳した、おお人間よ。われを拝せよ、さすればエーリアスのごとくにそなたを引き上げよう』。[10] そこで修道者は自分の心の中で言った。『まいにちわたしはわたしの王にして救主を拝している。とすると、これがあの方なら、わたしにこんなことを要求はなさらない』。そして、相手に心に思ったことを、つまり、『わたしはわたしの王としてクリストスを持ち、この方をいつも拝しています。しかしあなたはわたしの王ではありません』と云うやいなや、たちまち相手は消えた、ということじゃ。

 [11] さて、こういうことを他人事のようにわたしたちに語ったのは、自分の行住坐臥を隠すことを望んだからである。彼とともに暮らしている師父たちは、そのことを見たのは彼本人だと言っていた。とにかく、他の数多の師父たちの中でこの人物はかくのごとくに有名であったので、多くの修道者たちが彼のもとに到来したので、ある日のこと、居合わせた者全員を呼び集めて、自分たちのために僧坊を作った。或る者は粘土を手渡し、或る者は焼き煉瓦を、或る者は水を汲み、別の者は材木を切って。こうして自分たちの僧坊ができあがると、彼は新参者たちに必要品を援助した。

 [12] この人物は、ひとりのにせ兄弟が彼のもとにやってきて、〔予備の外衣をもらうため〕自分の外衣を隠したとき、全員の前でこれを咎め、真ん中にその姿を表させた。その結果、それほどの徳の恩寵を有する彼の前で、もはや誰ひとり虚言しようとする者はいなくなった。この恩寵は数多の美しき行住坐臥を通して彼に凝縮したものである。また、教会では、彼にしたがう多数の修道者たちを目にすることができた。それはあたかも、白衣に包まれ、やむことなき讃美歌によって神を栄唱する義しい人たちの聖歌隊のごとくであった。


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第3話 アムモーンについて

 [1] テーバイ州では、わたしたちは別の人にも面会した。名をアムモーンといい、修道者たち3000人の師父である。彼ら〔修道者たち〕のことを〔人々は〕タベンネーシス人とも名づけていた。彼らは〔神の国の〕大いなる行住坐臥を保ち、羊の毛皮を身にまとい、食事をするときは顔を覆い隠し、下をうつむいていた。他の人を見ないためである。しかも大いなる沈黙を修行していたので、荒野にいるように思われたほどである。〔食事の時も〕各人は自分の行住坐臥をひそかに実践し、ただ恰好だけは食卓について、食事をしていると思われるようにし、お互いに気づかれないようにつとめていた。というのは、彼らのある人たちは、1度か2度、口に手をもっていって、パンやオリーブや、供されたものの何かに手を出すだけ、またそれぞれの副食物には1度だけ味わって、その食べ物で満足した。[2] 他の人たちは、パンをゆっくり噛んで、その他のものには手を出さず、そういうふうにして堅忍した。また他の人たちは、煮汁を〔匙に〕3杯だけ味わい、その他のものは拒んだ。これらすべてのことに真に〔言葉(lo/goj )にしたがって〕驚嘆して、この話から得られる益をわたしは看過できなかったのである。


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第4話 尊師ベーについて

 [1] 他にも長老にわたしたちは会った。柔和さの点であらゆる人間を凌駕した人で、名を尊師ベーといった。彼のまわりの兄弟たちは、彼はいまだかつて誓約したこともなく、かつて虚言したこともなく、誰かに対して腹を立てたこともなく、いまだかつて何らかの言葉で叱りつけたこともないと確言した。なぜなら、彼の人生は静寂にして、その性格は寛大、彼は天使のような状態を保っていたからである。[2] さらにまた、ことのほか謙虚にして、みずからをへりくだらせた。例えば、わたしたちが、わたしたちに対して強く迫るような言葉を述べてくれるよう彼にしきりに頼んだとき、柔和さについてわたしたちにわずかな話をすることだけを、しぶしぶ承知してくれたのである。

 [3] この人物は、カバが近くの土地を荒らし、百姓たちに頼まれて、その場所に立って、その獣を見て、途方のなく大きかったが、柔和な声でこれに命じて言った。「イエースウス・クリストスの名において、そなたに告げる、もう二度とこの地を荒らしてはならん」。その〔カバ〕は、天使によって追い立てられるように、その場所からまったく姿を消したのである。このようにして、他の時には、ワニも追い払ったのである。


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第5話 オクシュリュンコスについて

 [1] テーバイ州の一都市オクシュリュンコスにもわたしたちは行った。この町の驚嘆すべきさまは、正当に云うことができない。というのは、そこには修道院が満ち満ち、城壁は彼ら修道者たちによって反響しているほどだった。さらに、外側も別の修道院群によって取り囲まれて、この都市のそばに、別の都市がその外側にあるようなものであった。[2] 神殿群や、修道者たちの館群が町に満ち、修道者たちが町の隅々にまで住んでいた。[3] というのは、この町は大きかったので、町の中に12の修道院があり、そこに群衆が参集した。というのは、修道者たちはそれぞれの修道院ごとに礼拝堂(eu)kth/rion )をもっていたからである。また、修道者たちは、在俗の市民たちよりも圧倒的に大多数であったので、都市の入り口や、市門の塔にまで居を構えていた。[4] というのは、言われていたところでは、内には5000人の修道者たちがおり、他にも同じほどが外側から町を取り囲み、昼といわず夜といわず、刻限を問わず、神に対する礼拝の諸行事を執り行わざるときなしといった具合であった。いやそれどころか、町の住民に異端者はもちろん、異教徒さえおらず、全員が等しく信実で教理教授された市民たちであったので、監督は大通りで民人に平安〔の祝福〕を与えることができたほどである。

 [5] また、彼らの執政たち(strathgoi/ )や支配者たちは、民衆に気前のよさ(filotimi/a )を示し、門や入り口に監視人を立たせ、何ともみすぼらしい外国人が現れたら、自分たちのところへ連れて来させるようにした。〔その外国人が〕慰めになる品物を受け取るためである。わたしたち外国人が市場に通りがかるのを眼にすると、あたかも天使に近づくようにわたしたちに近寄ってくるこの民衆の敬神ぶりを、いったいひとは何と云うことができようか。男子修道者たちや処女〔女子修道者〕たちの多さをひとは何と言表できようか。その数は無数なのだから。[6] ただし、かの地の聖なる監督に確かめたことなら明言できる。〔その監督は〕男子修道者は1万人、処女〔女子修道者〕たちは2万人を擁しているという。しかし、彼らの接待(filo/xenia )と愛(aga/ph )がどのようなものであるか、わたしは言表することができない。なぜなら、わたしたちを自分たちのもとに引っぱろうとする人たちから、わたしたちのめいめいはその外套を引きちぎったのだから。

 [7] また、この地でわたしたちは多数の大いなる尊師たちを知った。彼らはさまざまな — ある人たちは言葉において、ある人たちは行状において、ある人たちは霊能(du/namij )と霊験(shmei=on )において — 賜物(xari/sma )を持ていた。


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第6話 テオーンについて

 [1] この都市〔オクシュリュンコス〕から遠くない沙漠で、他の〔尊師〕をもわたしたちは見た。名をテオーンといい、聖者で、庵室に一人きりでとじこもり、30年間、沈黙を修行した。この人物は数多くの霊能(du/namij )を顕し、彼らの間では預言者と信じられていた。というのは、病弱者たちの多数が、日々、彼のもとに出かけ、窓越しに、彼らに手を当てて、願いをかなえて健康者として立ち去らせたからである。じっさい、彼が天使の顔 — 眼によって喜ばせ、全体に数多の恩寵(xa/ris )に満たされた — を持っているのを眼にすることができた。

 [2] この人物は、それほど遠くない過去、盗賊たちが、夜、彼に襲いかかり、これを亡き者にしようとしたとき、彼は祈り、〔盗賊たちは〕彼に戸口に、夜明けまで、動けないままでいた。そうして、夜明けになって、群衆が彼のもとにやってきて、連中を火刑にすることを決めたとき、やむをえずに、彼らに一言発言した。「この者たちを無傷で立ち去らせてやりなされ。さもなければ、癒しの恩寵はわたしから去る」。彼らは彼のいうことを聞き入れた。反対する理由などなかったからである。すると、盗賊たちはすぐに近くの修道院に入り、修道者たちに加わって性格を変え、為されてきたことについて改心した。

 [3] ところで、この人物は、語学に3重の恩寵を有し、ヘッラス語、ローメー語、アイギュプトス語の読み物で教育された。このことは、多くの人たちからも、また本人自身からもわたしたちは聞き知ったところである。というのは、わたしたちが外国人なのを知って、石板に書いて、わたしたちのために神への感謝の祈りを捧げてくれたからである。

 [4] 種子のあるものは、調理されないものを食べた。また、言い伝えでは、夜になると僧坊から出て行き、野生の獣たちと群遊し、自分が持っている水をこれらに飲ませたという。じっさい、レイヨウや野ロバやアンテロープや、その他の動物たちの足跡を彼の僧庵のまわりに眼にすることができた。彼はいつも動物たちを喜んだ。


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第7話 エーリアスについて

 [1] テーバイ州の母市アンティノエーの沙漠で、わたしたちはまた別の老人にも会った。名をエーリアスといい、今は100歳になろう。彼の上には、預言者エーリアスの霊が安らっていると〔人々は〕言っていた。というのは、この人物はあの恐ろしい沙漠で、70年間をすごした人として世に知られていたからである。じっさい、山のなかにあるあの荒涼たる沙漠を言葉で願いどおりに説明することはできない。この人物はそこに住持し、人の住まいする地に降りてきたことがなかった。

 [2] また、彼のところに通じる通路は狭いのがひとつあるきりで、景仰者たちは、荒々しい岩がこちらとあちらに聳え立つなか、足跡をたどるのがやっとというありさまであった。彼はとある岩山の下の洞穴に住持していたので、彼を眼にするのもあまりに恐ろしいことであった。その他の点では、老齢に堪えかねて、全身がふるえていた。しかし、日々、数々の霊験を顕し、病人たちを癒してやめなかった。

 [3] この人物については、彼がこの山に登ってきたのがいつか記憶している者は誰もいないと、師父たちが言っていた。また、老齢のため、夕方にパン3ウゥンキアとオリーブ3個を食した。若いころには、いつも1週間に一度だけの食事を続けたという。

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