エジプト修道者史(3/7)
8."t" [2] さて、わたしたちはこの人物を会った。沙漠の山の麓に、修道院を有し、修道者500人の師父であった。彼はテーバイ州において名高く、彼には多いなる業があり、彼を通して主は数々の霊能を行い、様々な霊験を顕された。じっさい、この人物は子どもの時から多くの修業を実証し、寿命の終わりには次のような恩寵を得ていた。すなわち、80歳のとき、完徳に達した500という大きな修道院を自分で組織した。彼らはほとんど全員が霊験を顕すことのできる人たちであった。 [3] この人物は15歳のときこの世から隠遁し、40年間、沙漠で過ごし、すべての徳を厳密に修練し、後に、神が彼にこう言う声を聞いたと思われている。「アポッローよ、アポッローよ、汝を通してアイギュプトスの賢人たちの知恵を滅ぼし、賢き族民の知識をわれは隠さん。そして、彼らもろとも、汝はバビュローンの知者たちをもわたしのために滅ぼし、ありとあらゆるダイモーン崇拝を消滅させるであろう。今こそひとの住まいする地へ進め。美しき業を熱望する特選の民を汝はわたしに生じさせるのだから」。[4] そこで彼は答えた。「わたしから取り除いてください、ご主人、自慢の心を、兄弟団に対して威張って、あらゆる善を失うことのけっしてないように」。すると再び神的な声が彼に向かって云った。「汝の手を汝の首に当て、それ〔自慢の心〕をつかまえ、砂の中に埋めよ」。そこで彼はすぐに手を首に当て、小さなアイティオピア人を引きずり出して、これを沙漠に監禁した、叫び声を上げてこう言いうやつを。「わしは高慢のダイモーンだ」。すると再び彼に向かって声が起こって、こう言った。「行け、汝が要求するものは何なりと神から得られるであろうから」。そこで彼は聞いて、まっすぐひとの住まいする地に出て行った、 僭主イウゥリアノスの時代〔361-3〕、しばらく沙漠の近くに逗留した。[5] 小さな洞穴に居を占め、山の麓のここに居留した。彼の仕事はといえば、全日、祈りを神に捧げることで、100回は夜に、同じだけ昼に膝を屈した。また、彼の食べ物は、はじめと同様、最後まで、不思議なことに、神から供された。[6] すなわち、沙漠で天使によって食べ物が運ばれたのである。彼の着物は、袖無し外套(lebi/twn ) これをkolobionと命名している人たちもいる と、彼の頭に巻いた小さなタオル(le/ntion )であった。これらが、沙漠にいる間彼にとって古くなることはなかったのである。 [7] とにかく、人の住まいする地に隣接する沙漠で、霊の力のうちにすごし、霊験と驚嘆すべき癒し〔の霊能〕を顕したが、驚嘆の度をすぎているので、これを言い表すことができないと、彼と知己の長老たち 自らも完徳者にして、多数の兄弟団を指導している からわたしたちはそう聞いた。 [8] さて、このひとは、新しい預言者、わたしたちの世代に使徒が出現するとすればかくやと世に知れわたった。そして彼に関する多くの噂が広まったので、周囲に散らばって住持する修道者たちはみなひっきりなしに彼のもとに急いだ。あたかも真正の父親のように自分たちの魂を贈り物として差し出すために。彼は或る者たちを観想へと励まし、或る者たちを実践的徳行にたずさわるよう強請し、まず言葉によってのように行動によって実践するよう示し、彼らに訓戒した。[9] じっさい、しばしば彼らに修行を示して見せ、主の日だけは彼らと会食したが、自分だけは大地から勝手に生えた野菜のほかは摂らず、このときはパンを〔摂ら〕ず、豆類を〔摂ら〕ず、植物に成る果物類は常食とせず、火を通す必要のあるものも〔摂ら〕なかった。 [10] さて、あるとき、イウゥリアノスの時代だが、兄弟が軍隊にとられ、囚人として牢につながれていると聞いたので、兄弟団といっしょに彼のもとに赴いた。この辛労にひたすら専念するよう、彼に降りかかった危難を見下すよう、彼を励まし訓戒するためである。『なぜなら』と彼は謂う、『今こそ、彼にとっての戦いの好機である。彼の覚悟が誘惑者たちの攻撃によって審査されるのだから』。[11] さて、こういった言葉で彼の魂を激励していたところ、千卒長(xili/archoj )がやってきて、悪意の衝動に駆られて 彼〔アポッロー〕についてこれに告げ口した者がいたので 、牢の扉に閂をかけ、彼〔アポッロー〕と彼についてきた修道者たち全員を閉じこめてしまった。軍隊の補充になると考えたのである。そうして、充分な数の衛兵をこれに配備して、自分の館に引き上げた。彼らに呼びかけられても耳も貸さずに。 [12] しかし、夜半に、松明を持った天使が衛兵たちに現れ、建物にいた全員の眼を光でくらませたので、衛兵たちは驚愕のあまりぽかんとしていた。彼らはどうにか立ち上がると彼らに懇請した、 扉は彼らのために開いているから、全員が引き取ってくれるよう、というのは、無道に捕らえられた人たちに神から下った自由を無視するよりも、彼ら〔を放免した〕せいで自分たちが死ぬことに同意する方がましだから、と。[13] さらに千卒長はといえば、夜明けに、役人たちを伴って牢にやってきて、この者たちを都市から追放するよう急かした。というのは、彼が謂ったのには、彼の館が地震で倒壊し、彼の最善の召使いたちが押しつぶされてしまったというのである。そこで彼ら〔兄弟たち〕はこれを聞いて、神への感謝の祈りの言葉を歌いつつ、沙漠に引き上げ、それからは全員がいっしょに、使徒の言葉にしたがって、心と魂をひとつに保った。 [14] この彼らに〔アポッローが〕教えるのを常としたのは、諸徳において異彩を放つこと、そして、思念のうちに含まれる悪魔の策略を、その始めにすぐに叩き出せということであった。というのは、ヘビの頭が打ち砕かれたとき以来、身体はすべて屍体なのだから。「というのは」と彼は謂う、「ヘビの頭を見張るよう、神はわたしたちにいましめておられるからじゃ。これこそが、劣悪・不都合な思念が最初に心に浮かぶことさえ受け容れてはならない所以だ。まして、わたしたちの理性の恥ずべき幻影をぬぐい去らねばならないのはいうまでもない。だから、諸々の徳においてお互いに凌駕しあうよう努めよ、そのような審査において他者よりも劣っていると見られてはならぬ。[15] そこで、あなたがたにとっては」と彼は謂う、「諸徳の進歩ぶりの証拠は、無心(a)pa/qeia )と無欲(a)norecia )を獲得した場合としなさい。これこそが神の賜物の第一なのだから。そして驚異を示して見せるまでに神から得た人がいたら、それで充分だと威張ってはならず、他の人たちからかなり重んじられているなどという思念で思いあがってもならず、このような賜物を得ていると万人に示して見せるようなことがあってもならない。さもなければ、自己欺瞞におちいって、分別を剥ぎ取られ、賜物を喪失するであろう」。 [16] さて、わたしたちが言葉で受けたのは、こういった大いなる教えであった。わたしたちも後に、彼〔の口〕からしばしば聞いた内容である。しかし行動では、彼はもっと大いなることを顕した。というのは、彼が要望すると、どんな要望もすぐに神から与えられるのであった。さらにまた、彼はいくつかの啓示を目の当たりにした。例えば、自分の年長の兄弟を見た。〔この兄は〕沙漠でひとり命終し、彼〔アポッロー〕よりも大いなる行住坐臥を実証した人物で、彼〔アポッロー〕もこれと長期間、沙漠でいっしょに生活した相手だった。[17] さて、その相手が、夢の中で、使徒たちと同座し 諸徳の相続を彼〔アポッロー〕に遺贈し、彼〔アポッロー〕のために神に執り成しているかのように、彼〔アポッロー〕のすみやかなる遷化と、自分〔兄〕といっしょに諸天で休息できるよう嘆願していた。その彼に向かって救主が云った、 彼は、完徳のためになお少しの間、地上ですごすことが彼の務めである。彼の生活の渇望者が多数となるまで。というのは、修道者たちの大いなる民が彼を信ずることになっているから。これを敬虔な一種の軍隊として、つまり、辛労にあたいする信望として優れた方〔神〕から受けるために。[18] これが彼が見たことであり、現に起こった事柄でもあった。多数の修道者たちが、評判を聞いて、あらゆるところから彼のところに参集し、彼の教えと行状(a)nastrofh/ )によって、大多数の者たちがこの世の持ち場を完全に離脱したのであるから。 山の中の彼のもとでいっしょになった兄弟たちの集団(sunoi/kia )は500人にまでなった。彼らは生活を共同にし、食卓をひとつにしてすごした。[19] じっさい、彼らは真実に一種の天使の軍隊 白衣を着た者たちの完全な秩序に整えられた に見え、聖書が次のように言っていることは彼らにおいて成就されていた。『乾いた沙漠よ、喜べ〔イザヤ35_1〕。陣痛をしたことのない女よ、声を放って叫べ。独り身の女のわが子は、夫をもつ女〔のわが子〕より多い、と〔イザヤ54_1〕』。[20] もちろん、この預言の言葉は、〔ユダヤ人から見ての〕異教徒の教会においても成就されていたのである。[20] まして、アイギュプトスが神に捧げたわが子たちの数は、人の住まいする地よりも多くが、アイギュプトスの沙漠におさめられた。いったい、アイギュプトスの独り身の女たちが神に捧げた修道者たちの群と同じくらい、救われた者たちの群のいる都市がどこにあろうか。この世の民人たちの数と同じだけが、沙漠の修道者たちなのだから。 じっさい、使徒が次のように言っている言辞は、彼らにおいてやはり成就されているようにわたしには思える。『罪の増し加わったところに、恩寵もますます満ちあふれた』〔ロマ5_20〕。[21] というのは、かつて、アイギュプトスでは、相当多数の不敬な偶像礼拝が増し加わっていた。それはいかなる族民〔=異教徒〕にも例を見ないほどであった。すなわち、イヌたちやサルたちや何か他のものらを〔彼らアイギュプトス人たちは〕崇拝し、ニンニクや、タマネギや、安っぽい野菜の多くを神と信じていた。これは、聖なる師父アポッロー本人が、彼らについて物語り、昔の多神教の原因を告げたのを、わたしが聞いたところである。[22] 「例えば、ウシを」と彼は謂う、「外来者として先にわたしたちのそばに住んでいたヘッラス人〔異教徒〕たちが神としたのは、それによって農業〔の実〕を顕して食べ物を授かったからである。またナイル河の水を〔神としたのは〕、土地のすべてを潅漑するからである。さらにまた大地を崇めたのは、その他の地方に比べて肥沃だからである。[23] その他のいまわしいものら イヌたちやサルたちや、その他、動物や野菜のあらゆる不都合なものを崇拝したのは、そういったものらに人々が耽溺する必要があったから。パラオの時代には 彼がイスラエールを迫害して海に沈められたときには 、彼らの救いの口実になったからにほかならない。つまり、各人は、パラオに従わずに、自分のいそしむもの、それを神として言った。「今日、これがわたしの神となった。これのおかげで、パラオといっしょに滅びないですんだのだから」。以上が、聖アポッローが言葉においていった内容である。 [24] しかし、言説よりも前に、行動において彼が獲得していることを書かねばならない。というのは、当時、当地の全体にわたって、ヘッラス人〔異教徒〕の移住者たちが彼のそばに住んでいた。とりわけ彼の近隣の村々は、ダイモーン的な偶像崇拝にふけっていた。[25] そして、村々のひとつに、最大の神殿があり、そこには高名このうえない偶像があった。といっても、それは木製の像にすぎなかったが。しかし、神官たちは、大衆ともども、神憑りとなって、これを担いで行列をつくって村々を練り歩いたが、それはまさしく、〔ネイロス〕河の水のための儀式を意味していた。[26] 折りも折り、アポッローは少数の兄弟たちといっしょにその場に通りがかることになった。このとき、この地方の大衆が突然ダイモーンに憑かれたようになっているのを眼にするや、膝を折って、救主に祈祷をささげ、突如、ヘッラス人たち全員を動けなくしてしまった。そのため、誰かが誰かを押しても、その場所から進むことができなくなったので、1日中炎熱に焼かれが、どうして自分たちにこんなこと起こったのか、困惑してしまった。このとき、彼らの神官たちが謂った、 自分たちの界隈にクリストス教徒なる者がいる、沙漠に滞在しているが、こんな活動力をあらわすのは彼 彼ら〔神官たち〕はアポッローのことを言っているのだ をおいてない、だから彼に嘆願すべきだ。さもなければ、〔自分たちは〕危険に瀕している、と。 [27] さらに、遠くの住民たちも、諸々の声やつぶやきを聞いたので、〔彼らのもとに〕出向いていって、尋ねた。「あなたがたに突然、何が起こったのですか、どうしてこんなことになったのですか」。しかし彼らは、わからない、ただし、ひとりの人物について疑っている、と謂って、彼を宥めなければならないと言った。すると彼らは、彼が通り過ぎるのに会ったと、はっきり証言した。[28] すると、自分たちにすみやかな助けが得られるよう彼らに懇請したので、ウシたちを引っぱってきて、偶像を移動させようとした。しかしながらそれ〔偶像〕は、当の神官たちともども、びくとも動かず、他に何ひとつ方策も思いつかなかったので、隣の村人たちを介して、ここから解放されたら、邪道から離反するという遣いを、アポッローのところに遣わした。 [29] さて、このことがくだんの人に明らかにされるや、神の人はできるかぎり速く彼らのところに祈祷をあげて、全員の呪縛を解いた。すると彼らは、全員が心を一にして彼の方に駆け出し、全一の救主と奇跡を行う神を信仰し、すぐに偶像に火をかけた。この人たち全員に教理教育して、教会〔の会衆〕に加えた。また、彼らの多くは、今までに修道院で暮らしている。こうして、彼の評判は至る所に流布し、多数の者たちが主を信じ、彼の界隈では、ヘッラス人〔異教徒〕と名づけられる者はもはやいないほどである。 [30] また、久しからずして、2つの村が畑地をめぐって争い、お互いに戦いを始めた。そのことがこの人物に報告されると、彼らを平和裡に和解させるため、彼らのもとに降りていった。[31] しかし彼らは敵意から説得されず、彼に反対した。戦いにかけて最も高貴なひとりの盗賊の頭のいうことを聞いたからである。そこで、その男が反対しているのを見て、アポッローは彼に向かって云った。「わしのいうことを聞けば、おお友よ、そなたの罪が許されるようわたしの主人に頼んでやろう」。すると彼は聞き入れて、何の逡巡もすることなく、武器を捨て、彼の両膝にすがって嘆願した。こうして、平和の仲裁者となって、私人たちを自分の持ち物にもどらせた。 [32] こうして両派の者たちが和平を結び、引き上げた時、彼らの有名な掩護者(pro/maxos)は、そのままかの人物についていった。約束を果たすよう要求して。浄福のアポッローはこれを近くの沙漠に伴い行き、訓戒し、辛抱強く待つよう促した。神は彼にそれをかなえることがおできになるといって。[33] そして夜になり、あまつさえ両者は夢の中でいきなり天のクリストスの裁きの座のそばに立っていた。そして、二人とも天使たちが義人たちといっしょに神を礼拝しているのを観想した。そこでこの者たちがいっしょにうつぶせになって、救主を礼拝すると、こう言う神の声が彼らに向かって言った。『光は闇と何の係わりがあるか。あるいは、信と不信と何の交わりがあるか。このような観想にあたいしない人殺しが、義人といっしょにそばにいるのはなぜか。さあ、そなた、おまえは離れてあれ。この後生まれの依頼人はそなたのために恵まれたのであるから』。[34] 他にも多くの驚異を〔両人は〕眼にしかつ耳にしたが、それは言葉でも謂いえず耳も聞きえないが、目が覚めて、彼らは連れに報告しあった。二人が〔同じ〕一つの異象を物語ったので、とんでもない驚異だと万人が思った。こうして、もはや人殺しでない者は修行者たちとといっしょにどまり、最期まで、自分の生き方をまっすぐにしとおした。オオカミから無邪気な雄ヒツジに変身したかのように。[35] さらには、次のように言っていたエーサイアの預言は彼において成就したのである。『オオカミたちとヒツジたちとがいっしょに草をはみ、ライオンとウシとがいっしょに籾殻を喰らう』。すなわち、そこではアイティオピア人たちが修道者たちといっしょに修行し、多数の者たちが諸徳に秀で、次のように言っている聖書が彼らにおいてまっとうされていた。『アイティオピアは先にその手を神にさしのべるであろう』。 [36] また他の時には、が、自分たちの耕地をめぐってクリストス教徒と争うヘッラス人〔異教徒〕の村人たちがいた。双方の大衆は武装した。アポッローは和平をもたらすために彼らのもとにやってきた。しかしヘッラス人たちの掩護者が彼に反抗した。かなり手強い、粗野な男で、死ぬまで手を結ぶことはないと断言して言った。すると彼〔アポッロー〕は彼に向かって謂う。「それなら、選んだとおりになるがいい。ただし、そなた以外に他に誰ひとり〔相手を〕亡き者にする者はいまい。そして、そなたが死んでも、大地は墓とならず、野獣たちとハゲタカたちの胃袋がおまえによって満たされることであろう」。[37] じっさい、言葉はすぐに現実となった。その援護者を除いては、誰ひとり別の派の者を亡き者にする者はいなかったのだ。〔人々は〕これを砂の中に埋めたが、翌朝、ハゲワシたちやハイエナたちにばらばらに引き裂かれているのを発見した。こうして彼らは驚異と、〔アポッローの〕言葉の結果を眼にしたので、全員が救主を信じ、彼を預言者と触れまわった。 [38] また、これより前に、聖アポッローは、山の洞穴にいた。5人ぐらいの兄弟たちといっしょにである。この兄弟たちは、最近彼が沙漠から出てきた時、最初に彼のもとで弟子になった者たちである。過越の祝祭がやってきて、神に神仕え〔礼拝〕を執り行おうとして、何でも在り合わせのものですごしていた。このとき、ひからびたパンと野菜サラダが少しあった。[39] そこで彼らに向かってアポッローが謂った。「われわらが信仰者であるなら、おお、わが子たちよ、そしてクリストスの真正の子どもたちであるなら、わたしたちのおのおのが、摂食のために何が御心にかなうのか、神にお願いしよう」。[40] すると彼らは、自分たちはそのような恩寵にあたいしないと考えて、すべてを彼に一任したので、彼が晴れやかな顔をして祈り、全員が「アメーン」と述べた時、すぐに、夜間、数人の男が洞穴の前に立った。まったく見知らぬ者たちで、自分たちは遠くからやってきたと謂い、どれもこれも、彼ら〔修道者たち〕の耳にしたこともない、アイギュプトスには存在しないものを運んできていた。ありとあらゆる楽園の果物、ブドウ、ザクロ、イチジク、クルミ、どれもが時節はずれのもの、蜂房のようなもの、新しいミルクの壺、巨大なナツメヤシ、清浄でほかほかのパンは、外地から彼らのために運ばれてきたものであった。[41] そして、これらを運んできた者たちは、ある偉大な人から遣わされたといっただけで、渡すとすぐに急いで引き上げた。そこで、これら供されたものを五旬節まで摂食し、彼らは驚嘆し、こう言った。「真実、これを神から遣わされたのだ」。 [42] すると、ひとりの修道者が、何か恩寵にあたいする者たるよう、自分のためにお願いしてほしいと、だしぬけに師父に懇請した。そこで彼が祈ると、謙遜と穏和の恩寵が彼に与えられたので、彼が穏和さの極致を獲得したことに全員が驚嘆した。[43] また、彼をとりまく師父たちも、彼のこのような霊能をわたしたちに物語ってくれ、多数の兄弟たちも同じことを証言した。 [44] 例えば、かつて、それほど久しくない以前、テーバイ州に飢饉が起こったとき、当地に住んでいた民人は、彼をとりまく修道者たちが、しばしば不思議に養われていると聞いて、妻子ともども心を一にして彼のもとにやってきた。祝福〔の賜物〕(eu)logi/ai)と同時に食べ物を要請したのである。すると彼は、食い物がほとんどないことも何ら恐れず、1日に足分を来訪者の全員のひとりひとりに与えた。[45] しかし、パンの入った3つの大きな籠しかあらず、飢饉は続いていたので、修道者たちがその日に食べるはずになっていたその籠を真ん中に運ぶよう下命し、そして、修道者たちも群衆もみなが聞いている前で云った。「主の手はこれを増やす力をお持ちでないことがあろうか。じっさい、聖なる霊はこう言っている。『全員が新しい穀物に満腹するまで、これらの籠のパンが足りなくなることは決してない』」。[46] そうして、このとき、パンは4ヶ月間、全員に足りたと、居合わせた人たち全員が断言している。さらに、オリーブも、穀物も同様にしたので、サタンがやってきて、彼に云った。「おまえはエーリアスではないか、または預言者たちや使徒たちとは別人である。そんなことを敢行するのだから」。[47] すると彼はこれに向かって謂った。「いったいどうして。わたしたちにこういうことをするよう任された聖なる預言者や使徒たちは人間ではなかったのか。それとも、かつては神がいらっしゃったが、今は外遊しておられるのか。神はいつでもこういうことをなすことができ、あの方にできないことはない。だから、もしも神が善いものであるなら、おまえは何ゆえ邪悪なのか」。わたしたちが目撃したことも、 パンを運びこんだ人々は、兄弟たちの食卓に満杯の籠を持ちこみ、そして500人の兄弟たちが食べると、コルまで満杯のこれを再び持ち去ったのだということを、言ってはならない理由がどうしてあろうか。 [48] さらにまた別の驚異を見て、わたしたちは度肝を抜かれたと云うのは義しい。というのは、わたしたち3人の兄弟が彼のところに行ったとき、わたしたちは兄弟たちによってはるか遠くから視認された。わたしたちが彼のもとに到着することを、彼からあらかじめ聞いていた兄弟たちによって見られたからである。彼らは、一生懸命に駆け寄ると、詩篇を唱和しながら、わたしたちを出迎えた。それが、どんな兄弟たちに対してもする彼らの習慣である。そして、地上にひれ伏して礼拝し、わたしたちと互いに接吻しあい、わたしたちを指し示してこう言った。「見よ、3日前に師父がわたしたちにこう言って予告した兄弟たちがやってきた。『3日後、わたしたちのところに3人の兄弟たちがやってこよう。ヒエロソリュマからやってくる〔兄弟たち〕が』」。[49] そうして、或る者たちはわたしたちを先導し、或る者たちは後ろからついてきた。詩篇を唱和しながら、彼の近くにつくまで。すると、師父アポッローは詩篇を唱和する者たちの声を聞いて、わたしたちを出迎えた。どんな兄弟に対してもする彼の習慣どおりに。そして、わたしたちを見ると、最初に大地に身をのばして礼拝し、立ち上がると接吻し、中に導いて、〔わたしたちの〕ために祈り、みずからの手でわたしたちの足を洗い、休息するよう迫った。これも、彼のもとに来訪する兄弟たち誰でもにしたことであった。[50] じっさい、彼と共なる兄弟たちは、クリストスへの感謝の祈り(eu)xaristi/a)を共有するまでは、食べ物に手をつけなかった。これも、毎日第9刻限にすることになっていた。次いで、そういうふうにすごした後で、座って、彼がありとあらゆるいましめを教えるのを聞いた。第1睡〔初夜直=午後8-12時〕までである。それから、彼らのうちの或る者たちは沙漠に下がり、夜通し聖書を暗誦し、或る者たちはその場でひたすらやむことなき讃美歌に専念し、夜明けまで神を歓呼しつづけた。彼らが夕方から讃美歌を始めて、翌朝までその歌をやめなかったのを、わたし自身この眼で見た。[51] ところが、彼らの多くは、第9時に山から下りてくるだけで、感謝の祈り(eu)xaristi/a)にあずかると、再び上っていった。霊的な食べ物だけで、次の第9刻限まで満足して。これもまた彼らの多くが多くの日々にしていることであった。[52] それなのに、彼らが沙漠で歓喜しているのを眼にすることができた。このような歓喜はもちろん、身体的な喜びさえこの地上では眼にできる人はいないぐらいに。というのは、彼らには憂いとか悩みとかもなく、たとえ憂いの或る者がいたとしても、すぐに師父アポッローが彼からその理由を訊いて、各人の隠された心の状態を告げたのである。[53] 彼は言うのを常としていた。「諸天の王国を嗣がんとする者たちが、救いを憂えてはならぬ。憂えるのは」と彼は謂う、「ヘッラス人たちであり、泣き悲しむのはイウゥダイオイ人たちであり、苦しむのは罪人たちである。これに反し義しい人たちは喜ぶであろう。また、地上のことを心にかける者たちは地上のことを喜ぶ、しかしあなたがた、これほどの希望にあたいする者たちが、使徒がわたしたちにいつも機嫌よくするよう駆り立てておられるのに、どうして始終喜び、不断に礼拝し、どんなことにも感謝の祈りを捧げることをしないことがあろうか」。[54] しかし、彼の言葉における恩寵を、また彼のその他の諸徳を云えるひとがあろうか。その諸徳は、驚異の極みで、 [55] 修行や行住坐臥についても、多くのことを単独でわたしたちと対話し、兄弟たちの接待についてもしばしば言った。こういうふうに。「来訪する兄弟たちを礼拝しなければならない。なぜなら、あなたが礼拝した相手は、彼らではなく、神なのだから。なぜなら、あなたが眼にしたのは」と彼が謂う、「あなたの兄弟、あなたが眼にしたのは、あなたの神である主なのだから。[56] これも」と彼は謂う、「われわれがアブラアムから受け継いだこと、また、時として兄弟たちを休息するよう強要しなければならないということも、天使たちに強要したロートからわたしたちの学んだことである」。また、こうも。「可能なら、修道者たちは毎日クリストスの秘儀を共有しなければならない。なぜなら、それ〔秘儀〕から遠ざかっている者は、神から遠ざかっているのだから。これに反し、常住不断にそれを行う者は、救主を常住不断に接待しているのである。なぜなら救主の声は謂っているのだから。『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしにとどまりおり、わたしもその人にとどまりおる』〔ヨハネ6_56〕。[57] だからこれは、救主の受難の想起を常住不断に行う修道者たちのためになるのである。いつ何時でも諸天の秘儀の受容にあたいするような、そういう者として日々、自分自身の用意があり備えているということは〔修道者たちのためになるのである〕。そういうふうにしてこそわたしたちは罪の赦しも受ける資格があるのだから。[58] さらに標準的な断食も」と彼が謂う、「あらゆる必然性なしにしてはならない。なぜなら、〔1週間の〕第4日〔=水曜日〕に救主は裏切られ、支度の日〔=金曜日〕に十字架にかけられた。だから、これを破る者は、主を裏切る仲間、十字架にかける仲間である。いや、休息を必要とする兄弟が、断食しているときにわたしたちのところにやってくるなら、これのために食卓を提供せよ。しかしながら、彼が望まぬなら、無理強いはするな。なぜなら、わたしたちは言い伝えを共有しているのだから」。 [59] また、鉄鎖を身につけた者たちや髪をのばした者たちを。彼は事細かく非難した。「なぜなら、この連中は示して見せているのであり」と彼は謂う、「ひとのご機嫌取りを追い求めているのだ。彼らは、むしろ断食によって身体を弱らせ、隠れて美をなすべきであるにもかかわらず。彼らはそうするのではなく、自分を万人の眼につくようにしているのである」。 [60] 彼の教えのすべて 彼の行住坐臥に近似している を云いえる者がいったいいるであろうか。〔その教えは〕書き記すことも、ふさわしい仕方で謂うこともできないのだから。[61] こうして、まる1週間、きわめて多くのことをしばしば単独でわたしたちと対話してくださり、わたしたちを送り出すとき言った。「あなたがた相互に平安がありますように。道中、お互いに離ればなれになりませんように」。また、自分とともにいる兄弟たちに、わたしたちに付き添って、他の師父たちのところまで自発的に送り届けることを望む者が、彼らの中に誰かいるかと云うと、ほとんど全員が、わたしたちに付き添って送り届ける〔任を自分に〕と、熱心に促した。[62] すると聖アポッローは、言葉においても行住坐臥においても充分な、また、ヘッラス語、ローメー語、アイギュプトス語に堪能な者3名を選び、これをいっしょにわたしたちのためにつけて送り出し、わたしたちがすべての師父たちに面会して成就するに充分になるまで、わたしたちから離れぬよう遣わしてくれた。彼ら全員を見ることを望むひとがいれば、生涯を通じても完全に面会するにたらぬであろう。とにかく、わたしたちを祝福して、こう言って送り出してくれた。「主がシオーンからあなたがたを祝福してくださるように、そして、あなたがたの全生涯の日々、ヒエルゥサレームの善きものら〔=繁栄〕をあなたがたが見るように」。 |