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原始キリスト教世界

エジプト修道者史(5/7)








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第9話 アムゥーンについて

 [1] さて、わたしたちが、真っ昼間、沙漠を進んでいるとき、突然、巨大な大蛇の這った跡を見つけた。それは、丸太が砂地を引っぱられたようなものであった。これを眼にして、わたしたちは多大な恐怖の念にとらわれた。しかし、わたしたちを道案内してくれていた兄弟たちは、恐れることのないよう、むしろ勇んで、大蛇の跡について行くよう促した。「なぜなら」と彼は謂う、「これを征服するわたしたちの信仰をあなたがたは目撃するであろうから。というのは」と彼は謂う、「大蛇もコブラもツノヘビも、多くのものをわたしたちは手ずから殺戮してきたし、やつらについてこう書かれていることが成就されたのです。『ヘビたちやサソリたちを踏みつけ、敵対者のありとあらゆる権能を〔踏みつける〕権威(e)cousi/a )をわたしはあなたがたに与えた』〔ルカ10_19〕」。[2] しかしわたしたちは不信をいだき、よりいっそう恐怖の念をいだいて、大蛇の足跡ではなく、まっすぐ歩くよう彼らに懇請したのである。すると、彼らの中のひとりの兄弟が、大いなる熱望から、わたしたちを沙漠に残して、獣の足跡を追って飛び出した。そうして、遠くないところに巣窟を発見して、大蛇が洞窟にいると、わたしたちを大声で呼び、何が起こるか見に自分の方に来るよう命じ、他の兄弟たちも、恐れないようわたしたちに迫った。

 [3] そこで、わたしたちが多大な恐怖をいだきながらも、獣を見ようと行きかかると、突然、ひとりの兄弟が立ちはだかり、こう謂いながら、自分の僧院へと手を引いていった。 — わたしたちは獣の突進を持ちこたえることはできない、とりわけ、こういったことをわたしたちがまだ見たことがないのだから、と。なぜなら、と彼は言った、この獣は巨大で、15ペーキュス以上あることをしばしば見てきた、と。[4] だから、その場にとどまるようわたしたちに命じ、くだんの兄弟に巣窟を離れるよう説得するため、彼のもとに出かけていった。もちろん、くだんの人は、大蛇をなきものにするまでは、その場所を離れないといいはった。それでも説得して、わたしたちの信仰の薄きことを非難する彼を、わたしたちのところに連れてきた。

 [5] さて、くだんの兄弟は、およそ1000複歩(mi/lion) 離れたところに修道院を持っており、そこで休息して、わたしたちは生き返った。すると、くだんの人がわたしたちに語ったところでは、自分が住持しているこの場所は、かつて聖なる人がいた、自分はその人の弟子であるが、その人は名をアムゥーンといい、この場所で数々の霊能を行った人である。[6] この人のところに盗賊たちがしばしばやってきて、彼のパンと食べ物を手に入れた。そこで、ある日、沙漠に出て行き、2匹の巨大な大蛇を引き連れて帰り、これらに、その場所にじっとして、戸口を守るよう命じた。[7] やがて人殺したちがいつものように押しかけたが、驚異を目の当たりにして、驚愕のあまりぽかんとして、ひれ伏した。すると〔アムゥーンが〕出てきて、連中がものも云えず、ほとんど半死半生なのを見つけ、彼を立ち上がらせて譴責して言った。「よくみるがよい、そなたたちがこれらの獣よりも、どれほど凶暴であるかを。これらは、神のおかげで、わたしたちの望みを聞き入れる。ところがそなたらは、神を恐れもせず、クリストス教徒たちの敬神をはばかることもないのじゃから」。そして、連中を僧坊に入れて、食卓を設け、生き方を変えるよう訓戒した。彼らは即座に転向し、多くの人たちよりすぐれた者たることを明らかにした。その後久しからずして、彼らも同じ霊験を顕す人たちとみられた。

 [8] 「他の時には」と彼が謂う、「1匹の巨大な大蛇が、近隣地方を荒らし、多数の動物を殺したので、沙漠の近くの住民たち全員がいっしょになってこの師父のところにやってきて、自分たちの地方からその獣がいなくなるよう懇願した。しかし彼は、苦しんでいる彼らの役に立つことが何もできないからと、彼らを引き返させた。[9] しかしながら、未明に起きだし、その獣の通り道に出かけていった。そして、膝を折って祈祷すること3回、獣が彼の方に猛烈な突進でやってきて、恐ろしいぜーぜー息を噴き出し、ふくらみ、シューシューいって、悪い息を吹きかけた。しかし彼は何ら恐れるところなく、大蛇の方に向き直って、云った。「おまえを打ちくだかれるであろう、生ける神の息子クリストス、巨大な海獣(kh~tos )を打ちくだく注12)はずの方が」。すると、それを云うや、大蛇はすぐに破裂し、口から血の混じった毒をことごとく吐きもどした。こうして数日後、百姓たちが出かけていって、大いなる驚異を目の当たりにしたが、その臭いに堪えられず、多量の砂をその生き物の上に積み上げた。師父がその場で彼らに付き添っている中で。大蛇は屍体となっていたが、敢えて近づくことのできる者がいなかったからである。

 [11] また子どもが」と彼が謂う、「家畜番をしていたが、その大蛇がまだ生きているときで、いきなり眼にして、呆然となり、失神してしまった。そういうわけで、その子は沙漠のそばの土地に1日中、息もなく横たわっていた。夕方になって、家族の者たちがそれを見つけたが、かすかに息をしながらも、茫然自失したためすっかり膨張していた。これに何が起こったのか原因もわからぬまま、これを師父のところに連れて行く。すると彼は祈り、これにオリーブ油を塗ると、子どもは目撃したことを語った。とりわけこのことに動かされて、あの人は大蛇退治に向かったのであった」。


10."t"
第10話 コプレースについて

 [1] また、そこの近くの沙漠に修道院を持っているひとりの長老がいた。コプレースと言われる人物である。聖人で、年齢はほとんど90歳。50人の兄弟たちの指導者であった。この人は自分でも数々の霊能をなし、諸々の病気の手当てをし、癒し〔の霊能〕を顕し、ダイモーンたちを祓い、多数の驚異をやりとげた。じっさい、そのいくつかはわたしたちの眼の前でも〔行われたのである〕。[2] さて、わたしたちを看ると、挨拶し、〔わたしたちのための〕祈りをささげ、わたしたちの足を洗い、世の中で起こっていることをわたしたちに尋ねた。しかしわたしたちは、むしろ彼に懇請した。みずからの行住坐臥の諸徳をわたしたちに手引きとして示すよう、そして、いかにしてその賜物を神が彼に恵まれたのか、また、いかなる方法によってその恵みを授かったのかを〔手引きとして示すように〕と。しかし彼は何ら傲り高ぶることなく、わたしたちに自分自身の生活のみならず、自分の偉大な先達たちや、自分よりもはるかに偉大となった〔先達たち〕 — この人たちの行住坐臥を彼自身が模倣した — の〔生活〕を手引きとして示してくれたのである。「なにひとつ」と彼は謂う、「驚嘆するほどののことはないのじゃよ、おお、わが子たちよ、わしの業などは。わしたちの師父たちの〔神の国の行住坐臥の〕行跡(poli/teuma )に比べればな。

10."16t"
<パテルムゥティオスについて>

 [3] 例えば、わたしたちの〔世代の〕前に、ひとりの師父がいた。名はパテルムゥティオス。この人物はこの場所の修道者たちの最初の人となり、初めてこの修道者の衣服を考案した人である。この人は、初めは盗賊の頭であると同時にヘッラス人たちの墓堀人で、悪行において世に聞こえた人であったが、次のような救いのきっかけを見つけた。[4] すなわち、あるとき、夜のことだが、ある尼僧院を襲い、この修道院を掠奪しようと欲した。そうして、何とか工夫して屋根の上にいた。ところが、奥の部屋に侵入する手だても、あるいはまた引き上げる手だても見つからず、明くる日まで屋根の上で思案にくれていた。

 [5] そして少しうとうととしたとき、王のごときひとりの人物が彼に言うのを夢の中で見る。「まだこんな小さな盗みに一生懸命になって、墓を見張ることをやめよ。むしろ、徳について生き方を変え、天使の部隊を引き受けることを望むなら、その権限(e)cousi/a )をわしから得られよう」。そこで彼が喜んで引き受けると、修道者たちの部隊を彼に指し示し、これを指揮するよう言いつけた。そうして目が覚めて、この人は処女が自分のそばに立って、言うのを眼にする。「あなたは、おお、あなた、どこからおいでになったのですか、あるいは、身分は何者ですか」。彼は、何も知らないと彼女に謂って、自分に教会〔への道〕を指し示してくれるよう促した。そうして、彼女が指し示すや、長老たちの足許に身を投げ出し、クリストス教徒になること、改悛の機会を見つけられるよう懇請した。[6] しかし、長老たちは彼を認めるや驚嘆したが、ついに訓戒し、もはや人殺しにならぬよう教えた。すると、詩篇を聞かせてくれるよう彼ら〔長老たち〕に懇請し、詩篇第1の3行のみを聞くと、学びにはさしあたりそれで満足だと謂った。そうして、3日間、彼らのもとに逗留し、すぐに出て行き、沙漠へと出発した。こうして、3年間を沙漠ですごし、日がな1日、祈りと涙のうちに日を暮らし、食べ物としては野生の草で満足した。

 [7] それから教会にもどり、学びが有効なことを報告した。というのは、聖書をそらで暗誦するという恩寵が、神から彼に与えられたと彼は言ったのである。さらにまた長老たちは彼が極端な修行に専念しているのに驚嘆し、彼を照らし〔=洗礼を施し〕、いっしょにすごすよう促した。[8] しかし彼は彼らのもとに7日間とどまった後、再び沙漠に出かけ、さらに7年間、またもや大沙漠ですごし、この人物は多大な恩寵にあたいする者となった。というのは、パンは、主の日に、祈る彼の枕元にあり、次の主の日まで、これを摂って満足したのである。

 [9] 再び沙漠からもどってきた。修行を実証し、自分の行住坐臥〔を倣って〕従事する者を激励するためである。するとひとりの若者が彼に近づいてきて、弟子になることを望んだ。彼はすぐにこれに袖無し外套を着せ、あたまに鉢巻きを巻き、修行へと向かわせた。彼の方に羊皮を掛け、彼の腰に亜麻布を巻いて。じっさい、ひたすら彼につきしたがってきたクリストス教徒のひとりが命終したときも、いつものとおり徹夜で葬った。[10] 彼が死者たちを驚いた仕方で葬っているのを眼にして、弟子が彼に向かって云った。「わたしが死んでも、こういうふうに葬ってくださるのですか、師よ」。すると彼はこれに向かって謂った。「そなたをこういうふうに葬ろう、そなたが『充分です』と云うまでな」。[11] そして、程なくこの若者が死んで、言葉が現実となった。というのは、これを敬虔に葬りながら、これに向かって、全員の前で述べる。「美しく葬られた、おお、わが子よ、それとも、まだ少し足りないか」。すると若者は、全員が聞いている前で、声を発した。「充分です、おお師父よ、約束を果たされましたから」。それで、異常な驚きが居合わせた人々を捕らえ、彼のことで神を讃えた。しかし彼は、栄光を避けて、沙漠へと引きこもった。

 [12] さらにまた、あるとき、兄弟たちを訪問するため、沙漠から下ってきたことがある。〔その兄弟たちは〕彼のもとで弟子だった者で、病気にかかっていた。彼らのひとりが命終せんとする時、そのことを神が彼に啓示したためである。[13] しかし夕方がすでに近づき、村ははるかに遠かった。しかし、彼は夜間に村にはいることを望まなかった。時宜を失するのを避けたのと、救主の教訓 — あなた達のところに光のあるうちに歩め、光の中を歩む者はけっして転ぶことがない — を気づかったからである。そういう次第で、やがて太陽が沈もうとするときに、これに向かって声を放って言った。「主イエースゥス・クリストスの名において、いま少し汝の道のそこにとどまれ、わたしが村にたどりつくまで」。するとそれ〔太陽〕は、半分沈んだところでとまり、くだんの人がその地にやってくるまで、沈まなかった。そのため、土地の人々にそのことが明らかになった。彼らは太陽を見物するために駆け集まり、長い時刻、それが沈まないのを眺めて驚嘆した。そして、師父パテルムゥティオスが沙漠からやってくるのを眼にして、太陽のこの徴はいったい何なのかと彼に尋ねた。すると彼は彼らに向かって謂う。[14] 「救主の声が言うのを思い出さないのか。芥子の粒ほどでも信仰を持っているなら、あなたがたはこれよりも大きな霊験さえなすであろうという」。すると、すぐに恐怖が彼らをとらえ、そのうちの何人かは彼のもとにとどまって弟子となった。

 [15] さて、病気になった兄弟たちのひとりの家に入っていって、彼がすでに死んでいるのを見つけたが、寝椅子に近づくと、彼のために祈りを捧げ、接吻して、むしろ神のもとに去りゆくことを望むのか、それともなお肉のうちに生きることを〔望むの〕かとこれに質問した。[16] すると相手が座り直して彼に云った。「入寂してクリストスと共にある方がよい。肉のうちに生きることは、わたしにとって必要ではありません」。「それでは眠れ」と彼が謂う、「平安のうちに、おお、わが子よ、わたしのために神に執り成すために」。すると相手はすぐもとどおりに横になって永眠した。そこで、居合わせた人々全員が仰天して言った。「これぞ、真実、神の人だ」。すると彼は、いつもどおりに彼〔弟子〕を葬り、一晩中讃美歌を歌ってすごした。

 [17] また、病気になった別の兄弟を訪問したときは、彼が恐ろしく良心に呵責されて、最期を遂げがたいのを見るや、相手に向かって言った。「神のもとに身罷る用意がないのは、そなたの怠慢の行状の思念を、弾劾者として連れているゆえじゃ」。すると相手が彼に、自分のために神に執り成してくれるよう懇願し嘆願した。自分の生命にいま少し猶予をもらえるよう、そうしたら矯正するつもりだと。そこで彼が相手に向かって謂う。[18] 「そなたの生命が満たされた今、まだ改悛の機会を求めるのか。一生の間、何をしてきたのか。そなた自身の傷を手当てすることができなかったのみならず、別の傷を付け加える気か」。それでも相手が嘆願し続けるので、これに向かって答えた。「そなたの生命に別の悪を付け加えないなら、真実改悛する気なら、そなたのためにクリストスにお願いしよう。善にして寛容な方なのだから、なお少し生命をそなたに恵んでくださろう、そなたがすべてを報いるようにと」。そうして、祈って彼に云った。「見よ、この生命に3年を神はそなたに恵んでくださった。ひたすら魂から悔い改めよ」。[19] そうして、彼の手を取って、立ち上がらせ、即座に、これを沙漠へと連れて行った。そうして3年が満ちたとき、再びその場所に連れてきて、人間としてではなく天使としてクリストスにそなえたので、ひとみな彼の力能(e)cou/sia)に驚嘆した。かくして、兄弟たちが彼のところに集まり、彼を真ん中に据え、夜を徹して彼らに教えの言葉を与えた。そうして、兄弟がうとうととし、あまつさえ、そのまま眠りに落ち、完全に永眠した。そこで彼のために祈りを捧げ、理にかなった仕方で弔い、埋葬のために送り出したのであった。

 [20] また、人々の謂うところでは、彼はしばしば河の水の上さえ歩き、膝まで浸かってネイロス河を渡ったという。また他の時には、空を飛んで兄弟たちのところの屋根の上にいるところが見つけられた。門は閉まっているのにである。また、どこでものぞむところにたちどころに見いだされること、しばしばであった。また、あるとき、沙漠からもどって兄弟たちに物語ったところでは、彼は幻の中で諸天に引き上げられ、真実の修道者たちを待ち設けている善きものらを見たが、いかなる言葉もそれを言い表すことができないという。[21] また、自分は肉を持ったまま、と彼は謂った、楽園に連れ行かれ、多数の聖人たちを眼にしたという。そして彼は、彼の言ったのには、楽園の木の実を摂り、事実の証拠に示した。すなわち、選びぬかれた大いなる芳香に満ちた大きな1個のイチジクで、自分の弟子たちのもとに運んで、自分から言われたことが真実であることを彼らに示して見せた。まさしくこのイチジクを、わたしたちにこのことを物語ってくれた長老コプレースは、まだ若いころ、彼〔パテルムゥティオス〕の弟子たちの手の中に見、接吻し、その香りに驚嘆したのだった。[22] 「なぜなら、長年のあいだ」と彼は謂う、「そのかたの弟子たちのもとにあり、展示するために守られ続けたからじゃ。たしかに大きかった。たしかに、苦しんでいる者たちも、これを嗅ぐだけで、すぐに病から免れおった」。

 [23] また、沙漠での彼〔パテルムゥティオス〕の隠遁の当初は、彼は5週間、食事せず、その沙漠で、パンと水を運んでくる人間を彼は見つけたと人々は謂っている。その人間は、彼に摂るよう説得して立ち去った。また他の時には、ダイモーンが、パラオの純金の入った宝庫を彼に示したと〔いう〕。これに向かってあの方は謂う。「おまえの金は、おまえもろとも、失せてしまえ」〔行伝8_20〕。

 [24] 「こういったことを、そして他にも多くの大きなことを」と彼〔コプレース〕は謂う、「わたしたちの師父パテルムゥティオスは修徳し、霊験と奇跡を行われた。他にも同様の人たちが、わしたちよりも前〔の世代〕におり、この世はその方たちにふさわしいところではなかった。だから、どうして驚くことがあろうか、わしたちのような小さき者が、こんな小さなことをなしたとて — 足萎えたちや盲人たちを手当てしたとて、そんなことは、医者たちもその術を使って活動していることじゃ」。

 [25] そして、師父コプレースがまだそんなことをわたしたちに物語っているとき、わたしたちの中のひとりの兄弟が、言われていることに不信の念をいだき、居眠りをしていたところ、あの方の手の中に驚嘆すべき書 — 黄金の文字で書かれたのがあり、ひとりの灰色の髪をした人がそばに立って、威嚇して自分にこう言っているのを見た。「朗読を心を傾けて聞くことをせず、居眠りするのか」。そこで彼は混乱して、すぐに、彼〔コプレース〕に傾聴していたわたしたちに、見たことをローマ語で口走った。

 [26] なおもこの人がわたしたちに向かってこのことをしゃべっているとき、ひとりの百姓が入ってきた。砂のいっぱい入ったひしゃくを持ち、そばに立って、彼が話し終わるのを待っていた。そこでわたしたちは、師父ご自身に、百姓が砂を持っていったいどうするつもりか尋ねた。すると師父はわたしたちに向かって答えて言った。[27] 「わが子たちよ、あなたがたに自慢すべきではなかった、わたしたちの師父たちの修徳を言うべきでもなかった。それは、心中に思いあがって、報酬を失わないためにじゃ。しかしながら、あなたがたの熱心さと益のために、これほど遠くからわたしたちのもとにやってこられたのじゃから、あなたがたの益を惜しまず、兄弟たちのいる前で、神がわたしたちを通して差配なさったことを語ろう。

 [28] わたしたちの近辺の土地は収穫がなく、これを所有している百姓たちは、穀物を蒔いても、やっとのことで2倍の種を収穫するだけであった。というのは、ウジ虫が穂にわき、作物全体をだめにしたからじゃ。そこで、わたしたちから教理教育されてクリストス教徒となった農夫たちは、収穫を祈るようわたしたちに懇請した。そこで彼らに向かってわしは云うた。「神に対する信仰を持っておるなら、沙漠のこの砂でさえ、そなたたちに実りをもたらすであろう」。[29] そこで彼らは何らの猶予もおかず、自分たち自身のふところに、わたしたちに踏みつけられているこの砂をみたし、運んできて祝福するよう懇請した。そこでわしは、彼らの信仰に応じただけのことが彼らに起こるように祈り、彼らはこれを穀物といっしょに畑に蒔いたところ、突如、この土地はアイギュプトス全域でも豊穣となったのじゃ。以来、これをなすことが習慣となり、毎年、われわれに厄介をかけておるのじゃ。

 [30] ところで、わしには、と彼が謂う、ひとつ大きな驚異を、多くの人たちがいる前で、神がわたしにしてくださった。すなわち、あるとき、都市に下向したとき、マニカイオスとかいう者注13)が、民衆を惑わしているのを眼にした。しかし、彼を公然と説得できなかったので、大衆に向き直って云った。「大きな火を大通りに起こせ、そしたら、われら両人とも、炎の中に入ってゆこう」。そうして、われらのうち炎に巻かれずにすんだもの、この者が美しい信仰を持っているのだ」。[31] そこで、そうすることになり、群衆は熱心に火をおこし、わたし自身とともに相手を火の方に引っぱっていった。すると相手が謂う。「わしらのうちひとりずつがひとりで入ってゆくことにしよう」と彼が謂う、「最初におまえが入ってゆくべきだ。自分が下知したのだから」。そこで、クリストスの名において十字を切って入っていったところ、炎はあちらとこちらに分かれて、わしを苦しめることなく、半刻もその中ですごした。[32] すると群衆はこの驚異を眼にして叫び声を上げ、今度は相手方に、火の中に入るよう強要した。すると彼は、恐ろしくなって拒否したので、民衆はこれを捕まえて、〔炎の〕中央に押しこんだ。そのため彼は全身炎に包まれので、〔人びとは〕市民権を剥奪して国から追放した。民衆がこう叫ぶ中をである。「惑わせた命を焼き尽くせ」。他方、群衆はわたしを担ぎ上げ、歓呼しつつ、教会へ送り届けた。  [33] また、他の時には、わたしがとある神域に通りがかったとき、異教徒の幾人かが自分たちの偶像に供儀をしていた。そこで彼らに云った。「ロゴスを持ちながら、まだロゴスなきものに供儀をしているのか。とすると、そなたたちはこれら〔偶像〕よりもロゴスなきものじゃ」。すると彼らは、云っていることは美しいと考え、すぐにわたしについてきた。救主を信仰して。

 [34] また、かつて、近辺の土地にわしの菜園があった。わしたちのところにやってくる兄弟たちのためじゃ。ひとりの貧しい男がこれを耕していた。〔ところが〕ひとりのヘッラス人〔異教徒〕が侵入して、野菜を奪った。しかし、奪って帰宅したものの、3刻たってもこれを煮ることができず、鍋の中に、とってきたまま残り、水さえぜんぜん熱くならなかった。[35] そこで我に返って、この男は野菜をつかむと、わしらのところに持ってきて、自分の罪悪を許してくれるよう、そしてクリスト教徒になれるよう頼んだ。まさしくそういうことが起こった。すると、ちょうどその刻限に、わたしたちのところにやってきた外国の兄弟たちがいた。だから、その野菜は彼らのためにわたしたちによって格段にふさわしく提供された。こうしてそれを摂って、わたしたちは神への感謝の祈りを捧げた。人間の救済と兄弟たちの休息と、二重の祝福を授かったので」。


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第11話 尊師スゥルゥスについて

 [1] 「あるとき、尊師スゥルゥスと」と彼〔コプレース〕が謂う、「ヘーサイアスとパウロスと、これら敬虔で修行をきわめた人たちが、河のところに同時について、思いがけずお互いに出会ったことがあった。偉大な告白者・尊師アヌゥプを訪問しようとしていたためだ。〔アヌゥプは〕距離にして彼らから3宿離れていた。そこで彼らはお互いに謂いあった。『自分の行住坐臥と、この生において神からいかに重んじられているかを、わたしたちのおのおのが示して見せることにしよう』。[2] すると尊師スゥルゥスが彼らに向かって謂った。『わたしたちが霊の力によって目的地へ苦労なく到着することを贈り物としてくださるよう神にお願いします』。すると、彼が祈るか祈らないうちに、たちまち準備の整った船と、程よい風が起こり、一瞬にして、流れをのぼって、目的地に着いた。

 [3] するとヘーサイアスが彼らに向かって謂う。『何と驚嘆すべきことか、おお友たちよ、もしもあの方がわたしたちを出迎えたときに、各人の行住坐臥を言明したとしら』。

 [4] さらにパウロスが彼らに向かって謂う。『神がわたしたちに啓示なさったのであろうか、3日後にあの人を引き上げるということを』。そうして、その場所から少し進むと、あの方が彼らを出迎えて挨拶する。そこでパウロスが彼に向かって謂う。『あなたの修徳をわたしたちに謂ってください。明後日には、神の御許に身罷られるのですから』。

 [5] すると、尊師アヌゥプが彼らに向かって云った。『神は、ほむべきかな。わたしにも同じことを知らしめたもうた〔神〕、あなたがたの来訪も行住坐臥も』。そうして、各人の修徳と、なおまた自身の〔修徳〕をも語って言う。『この地上で救主の名前を告白してよりこのかた、わしの口から嘘の出たことはない。地上的なものを何ひとつ常食としたことはない。天使が天上の食べ物を毎日わたしに届けてくれたからじゃ。神より他のものに対する欲望がわしの心に浮かんだことはない。[6] 神が地上のことを、わたしに知らせずに、何か隠されたこともない。光がわしの両眼から消えたことはない。昼に眠ったことなく、夜には神を探し求めてやまず、天使はいつもわしといっしょにいて、この世の霊能を示して見せくれた。わしの精神の光は消えたことがない。どんな願いでもわしの神からすぐに得ることができた。[7] わしはしばしば見た、何万という天使たちが神の側に立っているのを。わしは見た、義人たちの合唱隊を。わしは見た、殉教者たちの集団を。わしは見た、修道者たちの市民共同体を。わしは見た、神を歓呼するあらゆる人たちの業を。わしは見た、サタンが火に引き渡されるのを。わしは見た、その〔サタンの〕天使たちが懲罰を受けるのを。わしは見た、義人たちが永遠に愉楽するのを』。

 [8] こういったことどもを、3日間、他にも数多く説明して、彼はその魂を引き渡した。するとすぐにこれを天使たちが受け取り、殉教者たちの合唱隊が天上へと運んだ。彼らが見、その讃美歌を耳にしているなかを」。


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第12話 尊師ヘッレーについて

 [1] 「もうひとり別の師父は、尊師ヘッレーと呼ばれ、子どものころからひたすら修行に専念し、自分の近くの兄弟たちのために、火を懐に入れて運んでやることしばしばであった。彼らが霊験の実証に上達するよう鼓舞するためである。だから彼らにこう言う。『もし、真実に修行するなら、なおもっと徳の霊験を示して見せよ』。

 [2] 他のときには、彼は沙漠に自分ひとりになって、ハチミツに対する欲望が生じた。そしてすぐに、石の下にミツバチの巣を見つけて。『わしから去れ』と彼は謂う、『放縦な欲望め。〔聖書に〕書かれているからだ。『御霊によって歩きなさい、そうすれば、あなたは肉の欲望をけっして満たすことはあるまい』〔ガラ5_16〕。そうして、それを置き去りにして、彼はまぬがれたのである。また、彼がすでに沙漠で3週間断食していたとき、果物がうち捨てられているのを見つけた。そこで云った。『けっして喰うまい。これのひとつに触れることもけっしてすまい。わしの兄弟 — それはすなわち魂のことだが — を背教させないために。〔聖書に〕書かれているからだ。「ひとはパンのみにて生くるにあらず」〔マタイ4_4、ルカ4_4〕』。

 [3] さらに、もう1週間断食して、その後うとうととした。すると夢のなかで天使がやってきて、彼に向かって謂う。『立て、見つけたものをとれ、喰え』。そして彼は目覚め、ぐるりと見回して、やわらかい野菜がぐるりに生えた泉を眼にし、飲み物と野菜の食べ物を摂った。これ以上に快いものをいまだかつて味わったことがないことを確信した。

 [4] そして、そこに小さな洞穴を見つけ、食べ物もないままそこにとどまった。しかし、またもや食べ物が必要になったとき、膝を屈して祈った。するとすぐに、食べられるもののすべてが彼の前に供された、 — あたたかいパン、ハチミツ、さまざまな果物。

 [5] また、あるとき自分の兄弟たちを訪問した。彼らにじつに数多くの訓戒を与え、沙漠へと急いだ。必要品のいくつかを運んで。すると、何頭かの野ロバが草をはでいるのを眼にして、これに謂う。「クリストスの名において、おまえたちの中から1頭きて、わたしの荷物を運んでくれ」。するとすぐに1頭が彼のもとに突進してきた。そこで荷をこれに載せ、〔彼も〕乗ると、その日のうちに洞穴にたどりついた。そうして、彼がパンや果物を太陽の下に広げると、獣たちがいつも泉にやってくるようにそれに近づいてきた。しかし、パンに触れただけで息絶えてしまった。

 [6] また、あるとき、主の日に、幾人かの修道者たちのもとにおもむき、これに向かって言った。『いったい、どうして、今日、集会を執り行わないのか』。すると彼らが、対岸から長老が来てくれないのだと謂うと、彼らに向かって言った。『わしが行って、彼を呼んでこよう』。すると彼らが謂った、この渡しは深くて渡れない、いやそれどころか、この場所には非常に大きなワニという獣がいて、多数の人間を食い尽くしたのだと。

 [7] しかし彼は気にすることなく、すぐに立って、渡し場に突進した。するとその獣が彼を背に乗せて、向こう岸に降ろした。そしてその地に長老を見つけると、兄弟団を見捨てないよう促した。するとくだんの〔長老〕は彼がつぎはぎだらけの襤褸をまとっているのを眼にして、いったいその襤褸はどこで手に入れたのかと訊ねて、こう言いかけた。「魂の最美の外衣です、兄弟よ」。[8] 〔長老は〕相手のへりくだりとみすぼらしさに驚嘆したのである。こうして、河に帰る彼についていった。ところが渡し船を見つけられなかったので、尊師ヘッレーは声を発し、ワニを呼び寄せた。するとそれはすぐに彼に聴従し、やってきて下に敷かれるよう背を向けた。そして、自分と同乗するよう長老に懇請した。[9] しかしくだんの〔長老〕は、獣を見ると恐怖の念をいだき、後ずさりしてしまった。そこで、彼〔長老〕と対岸に住んでいる兄弟たちとが、彼〔ヘッレー〕が獣とともに渡しを渡りきるのをみて驚きがとらえるなか、陸地に帰り着くと、その獣を引っ張り上げ、これに言う、死んで、殺戮された魂たちの償いをするのが得になると。するとその〔獣〕はたちまちひっくり返って、絶命した。

 [10] さらに滞在し、兄弟たちのもとに3日間住持した。〔この間〕彼らに誡めを教え、各人のひそやかな臆念をあからさまに告げ、或る者は情欲に悩まされていると言い、或る者は虚栄に、他の者は高ぶりに、他の者は怒りに〔悩まされていると言った〕。そうして、これこれの者はおとなしいと、これこれの者は和平的だと表明し、或る者たちについては悪徳を、或る者たちについては諸徳を吟味した。[11] そして、これを聞いた者たちは、真実そのとおりだと言って驚嘆した。すると彼らに云った。「私たちのために野菜を用意しなさい。今日、もっと数多くの兄弟たちがわたしたちのところにやってくるのだから」。そこで彼らがまだ食卓の支度をしているときに、兄弟たちが立ち現れて、互いに挨拶を交わした。

 [12] さて、兄弟たちのひとりが、救われることを望み、沙漠で彼とともにすごすことを懇請した。すると彼が、彼はダイモーンたちの試みに堪えられないと言ったが、くだんの人は大いに張り合って、どんなことにでも堪えてみせると公言した。そういう次第で、これを受け容れて、別の洞穴に住むよう勧めた。[13] すると、夜になって、ダイモーンたちが立ち現れ、先ずは恥ずべき思念で惑乱させた上で、彼を窒息させようと企てた。そこでくだんの人は〔洞穴から〕走り出て、出来事を尊師ヘッレーに告げた。するとかの人はその場所に十字の印をつけ、これからは、恐れずとどまるよう彼に命じた。

 [14] また、あるとき、彼らにパンが足らなくなったとき、洞穴に兄弟の姿をした天使が立ち現れ、彼らに食べ物を運んだ。また他の時には、彼を当てにしていた兄弟たち — その数10人 — が、沙漠で道に迷い、すでに7日間、食物もなくすごしていた。[15] しかし、彼らを〔尊師ヘッレーが〕見つけ、洞穴の中で休息するよう命じた。しかし彼らが、どうすごしていたかに言い及ぶや、くだんの人は供すべきものを何も持っていないにもかかわらず、彼らに向かって言った。『神は荒野に宴を設けることがおできになる』。するとすぐに、戸口の前でひとりの若くて美しい童僕が、彼らが祈っている間、戸を叩き続けた。そこで開けてみると、若者がパンとオリーブのいっぱい詰まった大きな籠を持っていた。そこでそれを受け取って、主に感謝の祈りを捧げたうえで、いただいた。童僕はすぐに消えていなくなった」。

 [16] 以上のことを、また他にもっと多くの驚異を、師父コプレースは手本として示してくれ、いつものようにわたしたちを親切にもてなして、自分の菜園に案内し、ナツメヤシその他の果物を示した。これらは、田野人たちの信念に示唆されて、自分で沙漠に植えたものだった。つまり彼は彼らに向かって云ったのである、 — 神に対する信仰を持つ者たちには、沙漠でさえ果実をもたらすことができるのだと。「というのは、わたしは眼にしたことがあるからです」と彼は謂う、「彼らが砂を蒔いて、その土地に果実を実らせたのを、そこでわたしも、同じことを手がけて、成功したのです」。

forward.gifエジプト修道者史(6/7)