語録1・目次
原始キリスト教世界
語録集(Apophthegmata)1
砂漠の師父の言葉(アルファベット順)
(1/24)
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[底本]
TLG 2742
APOPHTHEGMATA
Apophthegmata patrum
(Varia)
1 1
2742 001
Apophthegmata patrum (collectio alphabetica), MPG 65: 72-440.
(Cod: 71,562: Eccl., Gnom.)
邦訳は、G・ヴァンヌッチ編/須賀敦子訳『荒野の師父らのことば』(中央出版社、1962年)
ミーニュ・ギリシア教父全集第65巻/古谷功訳『砂漠の師父の言葉』(あかし書房、1986年)
同/谷隆一郎・岩倉さやか訳『砂漠の師父の言葉』(知泉書館、2004年)
師父の言葉(アルファベット順に編集されたる)
Apophthegmata patrum (collectio alphabetica)
72."1t"
師父の言葉
72."2t"
………………
72."3t"
浄福なる師父たちの修行の〔書の序〕
72.1
この書に書き記されているのは、有徳な修行と、生の驚嘆すべき過ごし方と、聖にして浄福なる師父たちの言辞、つまり、天上的行住坐臥を成功させんとし、諸天の王国への道を歩むことを望んだ人々の、熱心さと訓育とまねびが対象である。そこで、知るべきは、聖なる師父たち、つまり、修道者たちのこの浄福なる生活の熱求者にして教導者となった者たちは、いったん神的で73.1天上的な恋情に火を点けられるや、人間界における美しきもの価値あるものらのすべてを無と思量し、何よりも見せびらかしのために何ごとをも行わぬことを事とした。そこで彼らは、長所の大部分をも忘れて、謙遜の極みによって隠して、そのようにしてクリストスに尽きる道を全うしたのである。そういう次第で、何びともこの人たちの有徳な生をわれわれのために正確に叙述することはできなかった。ただし、彼らの言葉とか業とかによって達成されたことのうち、短い幾ばくかのことは、これについてひどく骨折りをした人たちが、73.10書き伝えてきたが、それは自分たちにとって何か喜ばしいからではなかったが、彼らのことを熱心に問い求めた人々は、聖なる師父たちの透徹した言葉とわざとを若干書き残したが、それはむろん自分のためにではなく、後世の人々を熱意へ覚醒させようと真剣になったからである。こうして、聖なる老師たちのこれらの説話(rJhvmatav)と達成は、たいていが様々な機会に、かなり単純で飾り気のない言葉によって、叙述の形で伝えられたのである。そしてそれはひとえに、多くの人々を益すること、これだけを目指していたのである。ところが、多くの人たちの話は混乱し、まとまりに欠けるもので、読者の理解にかなりの困難を来すものであったので、73.20書物にばらばらに植え込まれている理を、記憶に留めるに充分ではなかった、それゆえにわれわれは要点のこの陳列を思いついたのである、等しい言葉を有する言説の順序と包含よっての順序とこれを順序づけることによって、書物から魂の益を求める人々に対して、できるだけ明快で確かに把握し得るアルファベット順の書物を提供するよう促されたのである。かくして、師父アントーニオス、アルセニオス、アガトーンなど、名前がAで[始まる人々について]の事柄は〔A巻にあり、次いで〕バシレイオス、ビサリオーン、ベニアミンについてはB巻にあり、以下同様に、Ω巻にまで至る。
ただしかし、多くのことを語りかつ実践した人々の中で、その名が知られていない聖なる師父たちの他の一言行もあるので、それらについてはアルファベット順の各々の系列を記し終わった後に、章ごとに配列することにした。また、多くの書き物を探索し吟味した結果、発見した限りのものを章の終わりに並べた。それは、われわれが、これらすべてから魂の益になるものを取り集め、蜜よりも甘美な師父たちの言葉を享受することによって、主から呼びかけられた召命に相応しい生活を送り、ひいては主の国に与る者となるためである。アメーン。
"6t"
聖なる老師たちの言葉
76."7t"
字母Αの初め。
76."8t"
師父アントーニオスについて
76.9
1 聖なる師父アントーニオスは、かつて砂漠に住持していたとき、倦怠(ajkhdiva)と想念の大きな闇とに捉われた。そこで、神に向かって言った、「主よ、わたしは救われたいのに、諸々の想念がわたしを放しません。わたしの患難の中で何を為すべきでしょうか、どうすれば救われるでしょうか」。しばらくして外に出てみると、アントーニオスは自分にそっくりの男を見た。その男はそこに座り、働き、次いでその仕事をやめて立ち上がっては、祈った。そして改めて座っては縄を編み、さらにはまた、祈るために立ち上がるのであった。が、それは主の天使で、アントーニオスの改善(diovrqwsiV)と安全(ajsfavleia)のために遣わされたのであった。アントーニオスは、その天使がこう言うのを耳にした。「このようにするがよい。そうすれば救われるであろう」。そこで彼はこれを聞いて、大きな喜び(carav)と元気(qavrsoV)とを得、そういうふうに実行して救われたのである。〔主題別7-1〕
76.24
2 同じ師父アントーニオスは、神の裁き(krivma)の深さを凝視して責めた、いわく。「主よ、どうしてある人たちは短命にして死ぬのに、ある人たちは長生きするのですか。また、なぜある人たちは貧しいのに、他の人たちは富んでいるのですか。いったいどうして、不正な人々は富んでいるのに、義しい人々は貧しいのですか?」。すると、彼に声が聞こえてきた、いわく。「アントーニオスよ、自分自身に心を注ぐがよい。なぜなら、そのようなことは神の裁くところであり、それらを学び知ることは、そなたに何も益しないからである」。〔主題別15-1〕
76.33
3 ある人が師父アントーニオスに尋ねてこう言う。「何を守れば、神の御心に適うことになるのでしょうか」。すると老師が答えて言った。「わたしがそなたに指令することを守るがよい。どこに行こうとも、そなたの眼前につねに神を思い浮かべるがよい。また何を為そうとも、聖なる書の証言に従え。また、どんな場所に住もうとも、たやすく動かぬがよい。これら三つのことを守れ、そうすれば救われるであろう」。〔主題別1-1〕
77.1
4 師父アントーニオスが師父ポイメーンに云った。「人間の偉大な働きとは、自分の躓きを神の前でおのれの上に投げかけ、最後の息を引き取るまで試練(peirasmovV)を覚悟していること、これである」。〔主題別15-2〕
5 同じ人が云った。「試練を受けない人は誰も、諸天の王国に入ることはできないだろう。なぜなら」と彼は謂う、「諸々の試練を取り除いてみよ、そうすれば、何人も救われる者はいないであろうから」。
77.10
6 師父パムポーが師父アントーニオスに尋ねた。「わたしは何を為すべきでしょうか」。これに老師は言う。「自分の義しさを過信せず、過ぎ去ったことを悔やまず、自らの舌と腹とを制するがよい」。〔アントーニオス6〕
7 師父アントーニオスが云った。「わたしは地上に満ち満ちたあらゆる敵の罠を見た。そして、呻きながら云った。『いったい誰がこれら〔の罠〕をやり過ごせようか』。すると、声が次のように言うのが聞こえてきた。『謙遜(tapeinofrosuvnh)こそが』」。
8 さらに謂った。「自分の身体を苦行に精進させながら、自身が分別を持たなかったために、神から遠い者となってしまった者たちがいる」。〔主題別10-1〕
9 さらに謂った。「生も死も隣人から来る。というのは、われわれが兄弟を獲得するならば、神を獲得するのである。だが、兄弟を躓かせるならば、クリストに対して罪を犯すことになるからである」。〔主題別17-2〕
10 さらに彼は云った。「魚が乾いたところに長い間いると死んでしまうように、隠修士も、修屋の外をうろついたり、世俗の人々と過ごしたりしていると、静寂の緊張をゆるめてしまう。だからわれわれも、魚が海に戻るように、直ちに修屋に戻らねばならない。外をうろついて、内なる見張りを忘れることがないためである」。〔主題別2-1〕
11 さらに云った。「砂漠に住持し、静寂を守る者は、聞くこと、喋ること、見ることという3つの闘いから解放されている。ただ一つを加えるのみである。邪淫との〔闘い〕を」。〔主題別2-2〕
12 何人かの兄弟たちが師父アントーニオスのところにやって来て、自分たちの見た幻を彼に報告した、それが真実のものか、それともダイモーンたちの仕業か、学び知るためである。彼らは驢馬を連れていたが、道中で死んでしまった。それで、老師のもとに到り着いたとき、先取りして彼らに云った。「なぜ子驢馬は道中で死んだのか」。彼らが彼に言う、「なぜそのことをご存じなのですか、師父よ」。するとアントーニオスが云った。「ダイモーンどもがわたしに示したのだ」。そこで彼に言う。「わたしたちがあなたに尋ねるためにやって来た所以は、わたしたちが幻を見て、真実なものだとしばしば思い込んで、惑わされないためなのです」。そこで老師は、驢馬の例によって、ダイモーンの仕業であることを、彼らに確信させたのである。〔主題別10-2〕
13 砂漠で野生の動物を狩っている者がいたが、師父アントーニオスが、兄弟たちと懇ろにしているのを目にした。老師は、時には兄弟たち〔の境位〕に降りてゆくことも必要だということを、その男に納得させようとして、彼に言う。「そなたの弓に矢をつがえて引き絞れ」。そこで相手がそのとおりにした。「さらに引き絞れ」。そこで引き絞った。するとさらに言う。「引き絞れ」。猟師が彼に言う、「度を超えて引き絞ると、弓が折れてしまいます」。老師は彼に言う。「神に仕えるわざも同様である。兄弟たちに対して度を超えて張りつめさせると、すぐに駄目になってしまう。それゆえに、ときどきは兄弟たち〔の境位〕に降りてゆく必要があるのだ」。これを聞いて猟師は合点し、老師から大いに益せられて、立ち去った。また、兄弟たちも奮起して、自分たちの場所へと戻っていった。〔主題別10-3〕
14 師父アントーニオスは、ある若い隠修士が道中で印をなした、ということを耳にした。その者は、旅をして道中疲れてしまった老師たちを見て、驢馬たちに、行って、アントーニオスのもとまで、老師たちを運ぶよういいつけたのである。そこで老師たちは、師父アントーニオスにこのことを報告した。すると、彼は彼らにこう言う。「その隠修士は、財宝を一杯に積んだ船に似ているようにわたしに思われる。しかし、港に着くかどうかは知らない」。そして、しばらくすると、師父アントーニオスは突然泣き出し、自分の髪を掻きむしって嘆き始めた。彼の弟子たちが彼に言う、「なぜお泣きになるのですか、師父よ」。すると老師は云った。「教会の大きな柱がたった今倒れた(これは、その若い隠修士のことを言ったのである)。さあ、彼のところに行け」と彼は謂う、「そして起こったことを見よ」。そこで弟子たちは行って、隠修士が蓆の上に座り、自分の犯した罪を泣いているのを見出した。老師の弟子たちを見て言う。「老師にお伝えください。あと十日だけわたしに与えてくださることを、神に執り成してくださるようにと。そうすれば、弁明できる希望が持てるでしょう」。しかし、彼は五日目に命終した。〔主題別8-1〕
15 ある隠修士が、師父アントーニオスの前で兄弟たちから称讃された。そこで彼〔アントーニオス〕は、出くわして彼を、不名誉に耐え得るかどうかを試した。そして、持ちこたえられないと見るや、彼に云った。「そなたは村に似ている、正面は飾り立てられているが、裏側は盗賊どもに荒らされているところの」。〔主題別8-2〕
16 兄弟が師父アントーニオスに云った。「わたしのために祈ってください」。これに老師は言う。「わたしがそなたを憐れむことはなく、神も然り。そなた自身が真剣になり、神に依り頼むことがないかぎりは」。〔主題別10-4〕
17 ある日、老師たちが師父アントーニオスのところを訪れたが、師父イオーセーフもまた彼らに同行していた。そうして、老師は彼らを吟味しようとして、〔聖〕書からある説話(rJh:ma)を引き、その説話(rJh:ma)が何を意味するか、若輩から順に尋ね始めた。そこで、それぞれ自分の力に応じて言った。しかし老師は、各々に言った。「そなたはまだわかっておらぬ」。みんなの最後に師父イオーセーフに言う。「そなたはこの言葉についてどのように言うか」。答える。「わたしは知りません」。すると、師父アントーニオスが言う。「『わたしは知りません』と言ったことで、師父イオーセーフは完全に道を見出したのだ」。〔主題別15-4〕
18 兄弟たちが、スケーティス[001]からアントーニオスのところに寄り合おうと、彼のところに行くため舟に乗に込んだとき、老師が自分もそこへ行こうとするのを見つけた。しかし、兄弟たちは彼のことを知らなかった。そうして、船中に座り、師父の言葉や、〔聖〕書からのそれ、さらには自分たちの手仕事についてお喋りをした。しかし、老師は沈黙を守っていた。しかし、彼らが船着場に着いてみると、その老師も師父アントーニオスの所に行こうとしているのが分かった。さて、彼〔アントーニオス〕のもとにやって来ると、彼らに言う。「そなたたちは、この老師をよき道連れとして得たものだな」。そして、かの老師にも云った。「善き兄弟たちをあなたの道連れに見出されましたな、師父よ」。すると老師が言う。「たしかに美しい人たちだが、彼らの住まいには扉がない。だから、望む者は誰でも家畜小屋に入りこんで、驢馬を放つ」。このようなことを言ったのは、自分たちの口にのぼったことを喋っていたいたからである。〔主題別4-1〕
19 兄弟たちが師父アントーニオスのところに寄り合って、彼に言う。「どうすれば救われるか、わたしたちにお言葉をください」。彼らに老師が言う。「〔聖〕書に聞くがよい。そなたたちにとって美しい」。だが彼らは云った。「あなたからも聞きたいのです、師父よ」。そこで彼らに老師は云った。「福音書は言う、『汝の右の頬を打つ者あらば、彼に他の頬をも向けよ』〔Mat 5:39〕」。彼に言う。「そんなことはできませんよ」。彼らに老師は言う、「他の頬をも向けることができないのであれば、せめて片頬を堪え忍べ」。彼に言う、「それもできませんよ」。老師が言う、「それもできないのであれば、そなたらが受けた害の仕返しをしてはならない」。すると彼らは云った、「それもできません」。そこで老師は自分の弟子に言う、「この人たちに、わずかばかりの粥を作ってやるがよい。弱っているのだから。〔そして兄弟たちに向かっては〕そなたたちがこれをなし得ず、またあれを望みもしないなら、そなたらのためにわしは何ができようか。祈りが必要だ」。〔主題別16-2〕
20 ある兄弟が世俗の持ち場を捨て、自分の財産を物乞いたちに施したが、わずかのものを自分のために取っておいて、師父アントーニオスのもとに寄り合った。しかしこれを知って、彼に老師は言う、「もし隠修者になろうとするなら、この村に出かけて行き、肉を買い求め、そなたの裸身にまとって、そうやってここに戻って来なさい」。そこでこの兄弟がそのとおりにすると、犬どもや鳥どもが彼の身体をずたずたに引き裂いてしまった。で、彼が老師に出会うと、勧告したとおりにしたかどうか訊いた。そこであの者が、引き裂かれた身体を示すと、聖アントーニオスは言う、「世俗の持ち場を捨てておきながら、財を持とうとする者たちは、ダイモーンたちに戦いを仕掛けられて、このように引き裂かれるのだ」。
21 師父エリトの共住修道院[002]に住む兄弟に、あるとき、誘惑が結果した。そこでそこから追放され、山中の師父アントーニオスのもとへ身を寄せた。兄弟はしばらく彼のもとにとどまったが、彼が出てきた共住修道院に送り帰した。しかし、彼らは彼を見て、再び追放した。そこで彼は師父アントーニオスのもとに戻って言う、「彼らはわたしを受け容れようとはしませんでした、師父よ」。そこで老師は送り返して言う、「船が海で難破し、積荷を失い、ほうほうの体で陸地に着いて救われた。それなのに、そなたたちは陸地に着いて救われた者を、再び海に沈めようとしているのだ」。彼らは、師父アントーニオスが彼を送り帰したと聞いて、すぐさま彼を迎え入れたのだった。〔主題別9-1〕
22 師父アントーニオスは云った。「思量するに、身体は、おのれにおのずと生じてくる自然の動きを有している。しかし、魂が意志しなければ、それは活動しない。こうしたものは、身体のうちなる情念によらぬ動きのみを示している。他方、身体を食べ物や飲みもので養い温めることによって生じる別の動きもある。それらを通して、血液の熱が身体を活動へと促すのだ。だからこそ使徒は言ったのだ。「酒に酔うな、酒は放縦の基である』〔Ephes 5:18〕。さらにまた、福音書の中で、主は、弟子たちに指令して云った。『二日酔いや酩酊であなたたちの心が鈍らないよう心せよ」〔Luc 21:34〕。また、競う者たちにとっては、悪霊の姦計と嫉妬から生ずる別の動きもある。それゆえ、三つの身体的な動きがあることを知らねばならない。一つは自然的なもの、他の一つは過度の食事からくるもの、三つ目は悪霊から来るものである」。〔主題別5-1〕
23 彼はさらに語った。「神は、古人に対するようには、今の世代にあって戦闘をお許しにならない、というのは、弱く、持ちこたえられないとご存じだからだ」。〔主題別10-5〕
24 師父アントーニオスに、砂漠で、次のように啓示された。「町に、熟達した医師で、おまえに似た者がいる。彼は自分の財産の余分なものを、それを必要とする者たちに施し、日がな一日、天使たちとともに、三聖唱を詠唱している」。〔主題別18-1〕
25 師父アントーニオスは云った。「人々が狂気に陥るときが来る。彼らは狂っていない人を見ると、『おまえは狂っている』と言ってこれに襲いかかる。それは、自分たちと同じではないゆえに」。
26 兄弟たちが師父アントーニオスのもとに寄り集まって、レビ記の説話(rJh:ma)を彼に云った。するとアントーニオスは砂漠の方に出て行ったが、彼の習慣を知っていた師父アムモーナースは、こっそりついて行った。すると、老師は遠く離れたところで、祈りに身を委ね、大声で叫んだ。「神よ、モゥセースを遣わして、わたしにこの説話(rJh:ma)の意味を教えてください」。すると、自分と喋る声が彼に聞こえてきた。ところが、師父アムモーナースは、「彼と話す声は聞いたのだが、その言葉の力〔真の意味〕は分からなかった」と云った。
27 師父の三人が、毎年、浄福なアントーニオスのもとに赴くことを習慣としていた。二人は、想念と魂の救いとについて質問した。が、残りの一人は何も質問せず、終始沈黙を保っていた。長い間経って、師父アントーニオスがこの者に言う。「見よ、そなたがここに来るようになって随分経つが、何もわたしに質問しない」。するとこれに答えて云った。「わたしには、あなたを見つめているだけで十分なのです、師父よ」。〔主題別17-5〕
28 人々の言うところでは、老師たちの一人が、師父たちに会わせてくださるようにと神に願った。すると、師父アントーニオスを除いて、その姿が見えた。そこで、示してくださった当の方に言う、「師父アントーニオスはどこにおられるのですか」。すると、その方は彼に云った、「神が在ますところ、そこに彼はいる」。
29 共住修道院に住む兄弟が、淫行の廉で誹謗され、立って師父アントーニオスのもとにやって来た。ところが兄弟たちも、これを癒して連れ戻そうと、共住修道院からやって来た。そして、かくかくしかじかのことを為した吟味し始めた。しかし相手は、そのようなことは何もしていない、と弁明した。僥倖にもそこには修道院長である師父パプヌゥティオスがおり、次のような譬え話を云った。「わたしは川岸で、その膝まで泥につかっている者を見た。すると、数人がやって来て彼に手をかけ、首まで沈めてしまった」。すると師父アントーニオスが、師父パプヌゥティオスについて彼ら〔弟子たち〕に言う、「見よ、これこそ真実の人、諸々の魂を癒し救うことのできる人である」。そこで、〔兄弟たちは〕老師やちの言葉に刺し貫かれ、かの兄弟に痛悔の念を表した。そして、師父たちに励まされて、その兄弟を修道院へと迎え入れたのだった。
30 ある人たちが師父アントーニオスについて言ったところでは、彼は聖霊を担う者となったが、人間どものために喋ろうとはしなかった。というのも、世に起こったこと、将来起こるはずのことを漏らしたのだという。
31 あるとき、師父アントーニオスは皇帝コーンスタンティオス[003]から、「コーンスタンティヌゥポリスに来るように」との手紙を受け取った。そこで〔アントーニオスは〕どうしようかと考察した。そこで、弟子の師父パウロスに言う、「わたしは行くべきか」。するとこれに言う、「あなたが行けば、〔人はあなたを〕アントーニオスと呼び、行かなければ、師父アントーニオスと呼ぶでしょう」。
32 師父アントーニオスは云った。「わたしはもはや神を恐れず、これを歓愛する。『歓愛は恐れを締め出す』〔1Epi.Jo 4:18〕からだ」。〔主題別17-1〕
33 同じ人が云った。「眼前にいつも神への畏れを持て。殺し、また生かす方を想起せよ〔1King 2:6〕。俗世と、そこにあるすべてのものを憎め。すべての肉的な安楽を憎め。神に依り頼んで生きるために、この生に別れを告げよ。何を神と約束したのかを思い起こせ。なぜなら、神は審きの日にそれをあなたがたに問い尋ねるだろう。飢え、渇け、裸でいよ、眠るな、悲しめ、泣け、そなたたちの心において呻け。神に相応しいものであるかどうか吟味せよ。肉を軽蔑せよ、そなたたちの魂を救うために」。〔主題別3+1〕
34 あるとき、師父アントーニオスは、師父アムーンとニトリア[004]の山地に寄り合い、出会った後、師父アムーンが彼に言う、「あなたの祈りのおかげで、兄弟たちが増え、その中には、静寂を保つために、離れた場所に修屋を建てようとしている者たちがいます。造られる修屋がここから離れているためにどれくらいの距離をお命じになりますか」。すると彼が云った、「わたしたちは第九時の食事を摂ろう、そして出かけて、砂漠をちょっと移動して、その場所を調べよう」。そこで、太陽が沈まんとする時まで砂漠を歩いた後、師父アントーニオスが彼に言う、「祈りを捧げて、ここに十字架を立てよう。造ることを望む者たちがここに造れるように。また、この者たちと寄り合う場合に、自分たちの第九時課[005]に軽い食事をした後で同様に寄り合い、またここにいる者たちが出かける場合も同じことをして、互いに寄り合う中で、気を散らされたり邪魔されたりことがないよう」。ところで、その距離とは12セーメイア〔18Km〕であった。
35 師父アントーニオスが云った。「鉄の塊を打つ者は、まず鎌、戦刀、斧など、自分がこれから何を作るのか、先ず思量を考察する。同様にわれわれも、無駄な骨折りをしないよう、自分がいかなる徳を追求するのかを思量すべきである」。〔主題別11-3〕
36 彼はさらに云った。「自制を伴った聴従は、獣を従わせる」。〔主題別14-1〕
37 さらに云った。「数多くの労苦の後に、己れのわざに希望をいだいたために、心の呆然自失に陥って躓いてしまった修道者たちを、わたしは知っている。彼らは、『あなたの父に問え。そうすれば、あなたに告げるであろう」〔De 32:7〕と云った方の誡めを誤解したのである」。〔主題別11-1〕
38 さらに云った。「隠修士は、できれば、踏み出した1歩や、自分の修屋で飲む1滴についてすらも、それらにおいてもしや蹟いているのではないかと、老師たちを信頼すべきである」。〔主題別11-2〕
88."26t"
師父アルセニオスについて
88.27
1 師父アルセニオスは、まだ宮廷にいた頃、神に祈った、いわく。「主よ、どうすれば救われるか、わたしをお導きください」。すると、彼に次のように言う声が聞こえた。「アルセニオスよ、人間どもを避けよ。そうすれば救われよう」。
2 同じ人が、隠修士の生活に隠遁し、同じ言葉を云って、再び祈った。すると声が彼にこう言うのを聞いた。「アルセニオスよ、避けよ、沈黙せよ、静寂を守れ。これらこそが、罪を犯さぬ根本なのだ」。〔主題別2-3〕
3 あるとき、修屋で、ダイモーンたちが師父アルセニオスに襲いかかり、彼を潰そうとした。さて、彼の奉仕者たちが訪れて、修屋の外に立っていると、彼が神に大声で呼びかけ、こう言うのを聞いた。「神よ、わたしを見捨てないでください。わたしはあなたの面前で何一つ善いことをしてきませんでしたが、どうかあなたの仁慈によって、開始することをお許しください」。〔主題別2-4、15-5〕
4 彼について人々の言ったのには、宮廷の誰一人、彼よりも善い衣服を着た者はいなかった。そのように、教会においてさえ、彼ほど安っぽい身なりをしている者はいないと。〔主題別15-6〕
5 ある人が浄福なアルセニオスに云った。「どうしてわれわれは、これほどの教育と知恵とから得るものは何もないのに、農夫たちやアイギュプトス人たちは、これほど多くの徳を所有しているのですか」。これに師父アルセニオスは言う、「われわれは世俗の教育から何も得ない。これに反し、これらの農夫たちやアイギュプトス人たちは、自らの労苦によって、諸々の徳を所有しているのだ」。〔主題別10-7〕
6 あるとき、師父アルセニオスが、アイギュプトスの老人に、自分の想念について尋ねたとき、別の人がこれを見て云った。「師父アルセニオスよ、あなたはそれほどローマとギリシアの教養を知識していながら、どうしてこんな農夫に、あなたの想念について尋ねたりなさるのですか」。すると彼はこれ向かって云った。「ローマとギリシアの教養は知識している。だが、この農夫のアルファベットすらまだ学んではいないのだ」。〔主題別15-7〕
7 あるとき、浄福なる大主教テオピロスが、ある長官とともに、師父アルセニオスのもとに寄り合った。そこで老師に、彼の言葉を聞かせてもらいたいと頼んだ。すると、しばし沈黙した後、老師は応えた。「いったい、あなたがたに何か云えば、守るのか」。すると彼らは守ると同意した。そこで彼らに老師は云った。「どこであれ、アルセニオスを耳にしたら、そこには近づくな」。
89.22
8 他のときに、またもや、大主教が彼のところに寄り合うことを相談し、先ず、老師が開けてくれるかどうか知るため、ひとを遣った。すると、これに明言した、いわく。「おいでになるなら、あなたのために開けよう。しかし、あなたのために開けるならば、すべての人に聞くことになる。しかしそのときには、わたしはここには住持することはあるまい」。これを聞いて大主教は云った。「彼を追い出すために出かけることになるのなら、もはやわたしは彼のところに行くまい」。
9 兄弟が、師父アルセニオスに、彼からお言葉をいただきたいと頼んだ。そこでこれに老師が云った。「あなたに備わるかぎりの力で格闘しなさい、あなたの内面の働きが神の御旨にかなうよう、そうして、外面の情念に勝利するよう」。〔主題別11-4〕
10 さらに云った。「もしわれわれが神を探し求めるならば、われわれに姿を現したもう。また、もし彼〔神〕に固執するなら、われわれのもとに留まってくださる」。〔主題別11-5〕
89.36
11 ある人が師父アルセニオスに云った。「わたしの想念が、このように言ってわたしをいびるのです。『おまえは断食することも働くこともできない。しかし病者を見舞うことはできる。そしてそれこそが愛なのだ』と」。しかし老師は、ダイモーンたちの播種を知って、彼に言う。「下がれ、喰え、飲め、眠れ、そして働くな。ただ、修屋から離れる」。というのは彼は知っていたのだ、修屋に住持することこそが、隠修士を自らの持ち場に連れ行くことを。
12 師父アルセニオスは言った、「異邦人たる隠修士をして、余所者の地の中央にあらしめるな、さすれば安らげよう」。〔主題別10-8〕
92.1
13 師父マルコスが師父アルセニオスに云った。「なぜわたしたちを避けるのですか」。これに老師が言う。「神は、わたしがそなたたちを愛していることを知っておられる。だが、わたしは、神と人間たちと両方とともにあることはできない。上界にある数千、数万のものたちは、一つの意志を持っているが、人間たちは数多くの意志を持つ。だから、わたしは神を捨てて人間どもとともに行くことはできないのだよ」。
14 師父ダニエールが師父アルセニオスについて言った、「彼は一晩中眠らずに過ごすのがつねであった。そして、明け方、自然に眠気がさしてくると、眠気に対して、『さあ来い、悪い奴隷よ』と言った。そして、座ったまま、わずかな時間を掠めた後、すぐに目覚めるのがつねだった」。
92.14
15 師父アルセニオスが言った、「隠修士は、闘士であるのなら、1刻〔1時間〕眠るだけで充分である」。
92.17
16 老師たちの言うには、あるときスケーテイスで、わずかな乾し無花果が配られた、が、つまらないものだったので、失礼にならぬようにと、師父アルセニオスには持っていかなかった。すると老師はこれを聞いて、次のように言って集会に行かなかった。「神が兄弟たちに送ってくださった祝福をわたしに与えることをあなたがたは拒んだ。わたしはこれを受けるにあたいしなかったのだ」。そこで皆はこれを聞き、老師の謙虚さに益された。そこで、長老が出かけて、彼に乾し無花果を持ってゆき、喜びのうちに彼を集会に連れてきたのであった。〔主題別15-8〕
17 師父ダニエールが言った。「〔師父アルセニオスが〕わたしたちのもとに留まっておられるこれほどの歳月、わたしたちは1年1籠の穀物のみをあの方に渡していた。そして、わたしたちが彼のもとを訪れるときには、わたしたちがそれを食べるのだった」。〔主題別4-4〕
18 彼が師父アルセニオス当人についてさらに言ったところでは、〔師父は〕ナツメヤシの枝の水を1年に1度しか変えず、〔水を〕加えるだけであった。というのは、彼は第6時課[006]まで縄を編み、編物をしていたからである。そこで老師たちは彼に勧めた、いわく。「なぜナツメヤシの枝の水を変えないのですか、匂っているのに」。すると彼らに言った。「わたしは、世間で享受していた薫香や香料の代わりに、この悪臭を受け入れねばならないのだ」。〔主題別4-5〕
92.40
19 さらに云った。あらゆる種類の果物が熟した聞いて、自分から「それをわたしのところに持って来なさい」と言った。そして、すべての中で小さなのを一度だけ、神に感謝しつつ味わうことにしていた、と。〔主題別4-6〕
20 あるとき、師父アルセニオスはスケーティスで病気になったが、亜麻布1枚さえ事欠くありさまであった。購入する場所がなかったので、或る者から愛餐を受け、云った。「主よ、御身に感謝します。あなたの御名において、わたしを愛餐を受けるにふさわしい者としてくださったことを」。
93.4
21 彼について言われているところでは、彼の修屋は32ミリア〔約48キロメートル〕離れたところにあったが、おいそれと出かけることはなかった。他の人々が彼に奉仕していたからである、と。だがスケーティスが〔蛮族に〕荒らされたとき、アルセニオスは泣きながら出て行き、こう言った。「世界はローマを失い、隠修士たちはスケーテイスを〔失った〕」[007]。
93.10
22 師父マルコスが師父アルセニオスに尋ねて言った。「修屋の中に自分の慰め(paravklhsiV)を何も持たないのは美しいことでしょうか。というのは、ある兄弟がわずかな野菜を持っていながら、これを根こそぎにしているのを見たからです」。そこでアルセニオスは云った。「美しいことではあるが、しかし、人間の性情に応じてのことだ。というのは、もしそのような仕方に力をもっていないなら、彼は再び別なものを植えるであろう」。〔主題別10-9〕
23 師父アルセニオスの弟子である師父ダニエールが話した、いわく。「あるときわたしは師父アレクサンドロスの近くにいた。そして労苦が彼を圧倒し、労苦のために仰向いたまま卒倒した。たまたま、浄福なる〔=故〕アルセニオスが、彼〔アレクサンドロス〕と話をするためにやって来た。そして、彼が倒れているのを見た。やがて口を利いたので、これに言う。「わたしがここで見た世俗の人は、いったい誰だったのか」。師父アレクサンドロスが彼に言う。「どこでその者を御覧になったのですか」。そこで云った。「山から下るとき、ここの洞窟に近づくと、仰向いて倒れている人を見たのだ」。そこで、悔い改めの意を表して、こうを言った。「お赦しください、わたしだったのです。労苦がわたしを捉えたものですから」。すると老師は彼に言う。「するとそなただったのか。美しい。世俗の者だとわたしは思ったので、それで尋ねたのだ」。
93.32
24 他のときに、師父アルセニオスが師父アレクサンドロスに言った。「そなたのナツメヤシの枝を刈ってしまったら、わたしとともに食事をするために来なさい。だがもし客人があれば、彼らとともに食事をしなさい、と。そこで師父アレクサンドロスは、きちんと仕事をした。そうして、刻限になったが、まだ枝が残っていた。そこで、老師の言葉を守ろうとして、枝をすっかり刈り終えるまで留まった。そこで、師父アルセニオスは、彼が遅くなったのを知って、食事を摂った。恐らく客があったのだろうと思量したからである。師父アレクサンドロスの方は、夕方になって仕事を終え、立ち去った。そこで老師が彼に「客人があったのか」と言う。彼が言う、「いいえ」。そこで彼に云った、「なぜ来なかったのか」。96.1 すると相手が言う、「おまえの枝を刈り取ってから来いとわたしに云われたので、あなたの言葉を守って、わたしは来ませんでした、さきほど刈り終えたからです」。すると老師は彼の律儀さ(ajkrivbeia)に驚嘆し、彼に言う。「そなたの聖務時祷をもするために、早く断食を終え、そなたの水を飲みなさい。さもないと、そなたの体はすぐに弱ってしまう」。〔主題別14-2〕
96.9
25 あるとき、師父アルセニオスがとある所に行くと、そこには葦が生えており、風にそよいでいた。そこで老師が兄弟たちに言う。「あの揺れているものは何か」。そこで彼らが言う。「葦です」。すると老師が彼らに言う。「ひとが静寂のうちに座していても、小雀の声を聞くと、心が同じ静寂を保てないのが自然本性である。まして、これらの葦のそよぎを聞くそなたたちは、なおさらのことである」。
26 師父ダニエールが言った、ある兄弟たちが亜麻布のためにテーバイスに行こうとして、言う、「口実にして、師父アルセニオスにも会おう」。そこで、師父アレクサンドロスが入っていって、老師に云った。「兄弟たちがアレクサンドレイアから来て、あなたに会おうとしています」。老師が言う、「何のために来るのか、彼らから聞き知れ」。そうして、亜麻布のためにテーバイスに下るのだと聞き知って、老師に報告した。彼自身も言う、「当然、アルセニオスの顔を見ることはない、わたしのために来るのではなく、自分たちの用事のためにやって来たのだから。彼らを休ませ、老師はお会いできないと云って、平安のうちに送り帰しなさい」。
27 ある兄弟が、スケーティスにある師父アルセニオスの修屋を訪ねてきて、扉を通してのぞいてみて、老師が全身火のようになっているのをまのあたりにした。その兄弟は、見るにふさわしい人物だった。そうして戸を叩くと、老師が出てきて、びっくりしているらしい兄弟を見た。そうして彼に言う、「長い間戸を叩いていたのか。ここで何か見たのではないか」。彼は云った、「いいえ」。すると話をしたうえで、これを帰したのだった。〔主題別18-2〕
28 かつて師父アルセニオスがカノーポスに坐っていたとき、元老院議員の家柄で、非常に裕福で、しかも神を恐れる乙女が、彼に会うためローマからやって来た。大主教テオピロスが彼女を迎えた。すると、老師〔アルセニオス〕を説得して、自分を迎えてくれるよう懇願した。そこで彼のところに赴いて、懇願した、いわく。「高貴な元老院議員である家柄の乙女がローマからやって来て、あなたに会うことを望んでいます」。しかし老師は彼女と会うことを承知しなかった。そこで、それを彼女に告げると、彼女は畜獣に鞍を置くように命じた、いわく。「わたしはあの方に会えると神を信じています。なぜなら、わたしは人間に会いに来たのではないからです。人間なら、わたしたちの町に大勢います。しかし、わたしは預言者に会いに来たのです」。
さて、彼女が老師の修屋に着いたとき、神の摂理により、彼は修屋の外でくつろいでいた。すると彼を見て、その足元に身を投げ出した。しかし、相手は怒って彼女を引き起こした。そして彼女を見つめた、いわく。「わしの顔を見たければ、見よ、見るがよい」。しかし、乙女は恥じらいから、彼の顔をまともに見ることができなかった。そこでこれに老師が言う。「そなたはわたしのわざのことを聞かなかったのか。それらを見つめる必要がある。そなたはなぜこのような航海を敢行したのか。そなたは女であること、どこへもよその地には出かけてはならないのを知らぬのか。それとも、ローマに帰り、わたしはアルセニオスを見た、と他の女たちに言いふらそうとでもいうのか。そんなことになれば、女たちがわたしのところにやってこようとして、海を自分たちの道にしてしまうだろう」。そこで彼女が云った。「主の御旨ならば、わたしは誰もここには来させません。けれども、わたしのために祈り、絶えずわたしのことを心に留めていてください」。しかし相手は答えて彼女に云った。「わしは、そなたの思い出をわしの心から拭い去ってくれるよう、神に祈ろう」。これを開いて、心をかき乱されて立ち去った。
町に戻ると、彼女は悲しみの余りに高熱を出した。そこで浄福なる大主教テオピロスに、病気であると告げさせた。そこで彼女のもとにやってきて、何があったのか教えるよう頼んだ。彼女がこれに云った。「わたしはここに来ないほうがよかったのです。なぜなら、老師に云ったのです。『わたしのことを思い出してください』。するとわたしに云われたのです。『そなたの思い出をわしの心から拭い去ってくれるよう、神に祈る』。それで、見よ、わたしは悲しみのあまり死んでゆくのです」。すると大主教が彼女に言う。「そなたは自分が女であり、かの敵が女たちを通して聖人たちに闘いを挑むことを知らないのか。そのために、老師はあのように言われたのだ。事実、彼はそなたの魂のために絶えず祈っておられる」。こうして、彼女の想念は癒され、喜びをもって自国に帰っていった。〔主題別2-10〕
97.28
29 師父ダニエールが師父アルセニオスについて語った、 あるとき執政官がやって来た、彼〔アルセニオス〕の親族の元老院議員の遺言状を彼のために携え、それは彼に莫大な遺産をのこしたものだった。しかし彼〔アルセニオス〕はこれを取って破ろうとした。すると執政官は、彼の足元に身を投げ出した、いわく。「あなたにお願いです、それを破らないでください。わたしの首が飛びますから」。そこでこれに師父アルセニオスが言う。「わたしはとうの昔に死んでいる。しかし、当人はいま死んだばかりだ」。そうして、何も受けとらずに、それ〔遺言状〕を付き返したのであった。〔主題別6-2〕
30 彼についてさらに言い伝えられている、 土曜日の晩から主の日の夜明けまで、太陽にその背を向け、祈りつつその両手を天に差し伸べた、再び太陽が彼の顔を照らすまで。そういうふうにして彼は坐るのであった。 〔主題別12-1〕
31 師父アルセニオスとペルメーの師父テオドーロスについて言い伝えられている、 何にもまして彼らは人間どもの名声を憎んでいた。それゆえ、師父アルセニオスは容易に人に会わなかった。師父テオドーロスの方は、会いはするものの、その剣のようであった。〔主題別8-3〕
32 かつて師父アルセニオスが〔ナイル河の〕下流地方に坐っていたとき、そこの群集に悩まされたために、自分の修屋を後にするのがよいと思われた。そこで彼は何も持たず、そうやってパラーン人の弟子のアレクサンドロスとゾーイロスのもとへ行った。そこで、彼はアレクサンドロスに云った。「立って、舟で川を遡れ」。そこで彼はその通りにした。ゾーイロスにも云った。「わしとともに川まで来い。そしてわたしのためにアレクサンドリア[008]に下る舟を探せ。そして、そなたも兄弟を追って、川を遡るがよい」。しかしゾーイロスは、その言葉に混乱させれて、黙っていた。こうして彼らはお互いに別れた。さて、老師はアレクサンドリア地方に下ったが、重い病気にかかってしまった。そこでこの人の奉仕者たちは、互いに云いあった。「われわれの誰かが老師を苦しめたので、そのために老師はわれわれのもとを離れてしまわれたのか」。しかし彼らは自分たちの中に何の原因も見出せず、またかつて彼に逆らったこともなかった。
さて、健康になると老師が云った。「わしの師父たちのところに行こう」。そして川を上り、自分の奉仕者たちがいるぺトラに着いた。彼が川のほとりにいると、アイティオピアの下女がやって来て、彼の羊皮衣に触れた。そこで老師が彼女を叱った。るすると下女が彼に云った。「あんたが修道者なら、山へお行きなさい」。老師はその言葉に胸を打たれ、自らに言った。「アルセニオスよ、おまえが修道者ならば、山へ行け」。その後、アレクサンドロスとゾーイロスは、彼に出会った。そのとき、彼らは彼の足元にひれ伏し、老師も身を投げだした。そして両者ともども泣いた。さて、老師が云った。「そなたたちは、わしが病気になったと聞かなかったのか」。するとこれに彼らが云った。「いいえ、聞きました」。すると老師が言う。「では、なぜわしに会いに来なかったのか」。すると師父アレクサンドロスが言う、 あなたがわたしたちのもとを離れた理由が、納得できず、多くの人たちも、彼らが老師に逆らうことがなければ、彼らから別れることはなかったろう、と言うからです、と。彼らに言う。「では、人々は今度はこう言うようになるだろう、 鳩はその足をとめて休息する場を見出せなかったので、ノアのもとに戻ってきた〔(創世記8章〕、と。こうして彼らは心が癒された。そうしてアルセニオスはその命終の時まで彼らのもとに留まったのであった。〔主題別15-9〕
33 師父ダニエールが云った、 師父アルセニオスは、誰か他の人のことであるかのように、わたしたちに語ったことがあるが、おそらくは自分のことだったのであろう。 ある老師が自分の修屋に坐っていると、こう言う声が彼にきこえた。「こちらへ、そうすれば、そなたに人間たちのわざを見せよう」。そこで彼は立ち上がって出て行った。すると彼をとある場所へ連れて行き、アイティオピア人が木を伐り、大きな荷を作っているのを示した。で、それを持ち上げようとしたが、できなかった。しかし、それから取り去るのではなく、さらに木を伐って、その荷に加えた。そして何度もそれをした。さらに少し進むと、今度は湖のほとりに佇み、そこから水を汲み、壊れた容器に移し替えるのだが、同じ水が湖に流れ出ているのだった。そしてさらに彼に言う。「こちらへ、そなたに別のを示そう」。そして、神殿と、馬に騎乗した二人の男を観る、彼らは一人が一人の前に、樹木を斜めに抱えていた。そして門から中に入ろうとしたが、できなかった、木が斜めだったからである。しかし、丸太をまっすぐにして運ぶよう、一人が別の者の後ろにへりくだろうとしなかった。そのため彼らは門の外にとどまっていた。
「これらの者は」と〔声が〕謂う、「正義の軛のように傲りをもって運ぶ連中で、自らをまっすぐにし、クリストスの謙遜の道を歩むべくへりくだることがない。それゆえにまた神の王国の外にとどまる。で、樹木を伐っている人間は、多くの罪の中にいる。そうして、悔い改める代わりに、自分の罪の上に、他の不法を加算しているのだ。また、水を汲んでいる人間は、確かに美しい業をなしてはいるのだが、そこに悪しき混合をもったが故に、自分の美しき業さえも滅ぼしてしまった。されば、あらゆる人間は、虚しい労苦を為すことがないように、自分のわざに対して素面でいなければならないのだ。〔主題別18-3〕
34 同じ人が語っている、 あるとき、師父たちの何人かが、アレクサンドリアから師父アルセニオスに会いにやって来た。そのうちの一人は、アレクサンドリアの古い大主教、無所有者と言われたティモテオスの叔父で、自分の甥の一人を連れてきていた。しかし、そのときアルセニオスは病気であったので、彼らに会うことを拒んだ、他の人たちがやって来て自分をわずらわせることがないためである。当時、彼はトローエーのぺトラにいた。彼らは悲しみつつ引き返した。
さて、蛮族の侵入が起こり、決心して下流地方にとどまった。それを聞いて〔先の師父たちは〕改めて彼に会いにやってきた。彼は喜びをもって彼らを迎えた。そこで、彼らと一緒にいた兄弟が彼に言う。「あなたは御存知ないのですか、師父よ、あなたに会いにトローエーに行ったとき、わたしたちを迎えてくださらなかったことを」。するとこれに老師が言う。「そなたたちはパンを味わい、水を飲んだ。だがわしはまこと、我が子よ、パンも水も味わうことなく、坐することもしなかったのじゃ、自分自身を懲らしめてな、そなたたちがそなたたちの場に辿り着いたと思われるときまで。わしのせいで、そなたたちまでが難儀をこうむったからじゃ。いや、わしを赦してくだされ、兄弟たちよ」。すると彼らは慰めを与えられ、立ち去って行ったのである。
101.35
35 同じ人が言った、 ある日、師父アルセニオスがわたしを呼んで、わたしに言う。「そなたの父親を安心させよ、〔父親が〕主のもとに逝去したとき、そなたのために執り成してくれ、そなたにとってよいことが起こるように」。〔主題別11-6〕
36 師父アルセニオスについて言い伝えられている、彼がスケーティスで病気になったとき、司祭がやって来て、彼を教会へ連れて行き、そして彼を布団に寝かせて、小さな枕を彼の頭にあてがった。すると見よ、老師たちの一人が彼を見舞うためやって来て、彼が布団の上に寝、その舌に枕をあてているのを見て、気を悪くした、いわく。「これが師父アルセニオスですか。あんなものの上なぞに横になるのですか」。そこで、その人を自分のところに招き寄せて、これに言う。「そなたの村でのそなたの仕事は何だったのか?」。相手が云った。「羊飼いでした」。「それでは」と彼〔司祭〕が謂う、「そなたの生活は、どんなふうだったのか?」。相手が謂った。「大変苦労して生活していました」。するとこれに言う。「それでは、今の修屋での暮らしどうか?」。相手が謂った。「大変くつろいでいます」。
そこでこれに言う。「そなたは、この師父アルセニオスがわかってているのか? 俗世では、皇帝たちの父としてあり、数千の下僕が黄金の帯をつけ、皆が首飾りと絹ずくめとをまとって彼の傍に控えていた。彼の足元には高価な敷物が敷かれていた。ところがそなたはといえば、羊飼いであったので、俗世にあっては今もっている安らぎをもってはいなかった。この人も、俗世でもっていた賛沢を、ここではしていない。されば、見よ、そなたは安らぎ、あのひとは苦しんでいるのだ」。相手はこれを聞いて、仰天し、跪いた、いわく。「どうかわたしをお赦しください、師父よ、わたしは罪を犯しました。真実これこそが真実の道です、 この方は謙虚さに、わたしは安楽に辿り着いたということこそが」。そうして、益を受けて、老師は帰っていった。
37 師父たちの一人が、師父アルセニオスのところへやって来た。そうして戸を叩くと、老師が開けた、自分の奉仕者だと思ったからである。しかし、それが別人であるのを見るや、突っ伏してしまった。相手がこれに言う。「立ってください、師父よ、あなたに挨拶するために」。するとこれに老師が謂った。「そたたが立ち去らねば、わしは起き上がらない」。そうして、何度も懇願されたにもかかわらず、立ち去るまでは起き上がらなかった。
104.20
38 師父アルセニオスに会いにスケーティスにやって来たある兄弟について言い伝えられている、 教会に行き、師父アルセニオスに会わせしてくれるよう執事たちに願った。するとこれに彼らが言った。「少し休みなさい、兄弟よ、それから彼に会うとよい」。相手が謂った。「老師にお会いしないうちは、何も食べません」。そこで、彼を案内するために兄弟を遣わした、彼〔アルセニオス〕の修屋は遠かったからである。
さて、彼らは戸を叩き、中に入って、老師に挨拶したうえで、黙って座った。そこで、教会から遣わされた兄弟が云った。「わたしは帰ります。わたしのために祈ってください」。しかし客の兄弟の方は、老師を前に、気易くできずにいたので(mh; euJrw;n parjrJhsivan)、その兄弟に云った。「わたしもあなたとともに帰ります」。そうして彼らは出て行った。ところが〔案内役の〕兄弟に頼んだ、いわく。「盗賊出身の師父モーセースのところにも連れていってください」。そこで彼らが彼のところへ行くと、喜んで彼らを迎え、心を込めて彼らをもてなした上で、送り帰した。さて、彼を案内した兄弟が彼に言う。「見よ、わたしはあなたを、外国人〔アルセニオス〕とアイギュプトス人〔モーセース〕のところに案内しました。二人のうちどちらがあなたの気に入りましたか」。相手が答えて云った。「もちろんわたしにはアイギュプトス人が気に入りました」。これを聞いて、師父たちの一人が神に祈った、いわく。「主よ、このことの意味をわたしにお示しください。一方はあなたの御名のゆえに人を避け、また一方はあなたの御名のゆえに両手を広げて人を迎えるのです」。すると、見よ、川に二艘の大きな船が彼に示され、一方には師父アルセニオスと神の霊が静寂さのうちに進んでおり、また他方には、師父モーセースと神の天使たちとが、進み、天使たちが蜂巣で彼を養っていたのだった。
39 師父ダニエールが言った、 師父アルセニオスが死に臨んだとき、われわれに頼んだ、いわく。「わしのために愛餐をしようと思うな。わしがもし自分のために愛餐をするとしたら、それは見出すことができようから」。〔主題別10-10〕
40 師父アルセニオスが死に臨んだとき、彼の弟子たちは動揺した。すると、彼らに言う。「まだその時は来ていない。刻至れば、わしがそなたたちに言う。もしそなたたちが、わしの遺体を誰かに渡すなら、わしはそなたたちとともに恐るべき法廷で裁かれることになろう」。そこで彼らが云った。「それではわたしたちはどうしたらいいのでしょうか、わたしたちは埋葬の仕方を知らないのですが」。すると彼らに老師が言う。「わしの足に縄をかけ、山に引いてゆくことも知らぬのか?」。ところで、老師のこの言葉の意味は、次のようなものであった。「アルセニオスよ、おまえが出家した所以は何か。話しをしては幾度も後悔したが、沈黙したことについては、いまだかつて後悔したことはない」。さて、命終が近づいたとき、兄弟たちは、彼が泣くのを見た。そこでそこで彼に言う。「しんじつ、あなたでさえ怖いのですか、師父よ」。すると彼らに云った。「いかにも、今このときに、わしが抱いている恐れは、修道者になったとき以来ずっとわたしとともにある」。じつにそのようにして彼は永眠したのである。〔主題別15-10〕
41 言い伝えられているところでは、彼は全生涯にわたって、自分の手仕事のために坐しているとき、懐に布切れを持っていた、自分の両眼から流れる涙のためである。で、師父ポイメーンは彼が永眠したと聞いて、涙ながらに云った。「あなたは浄福である、師父アルセニオスよ、この世でおのれ自身に涙したのだから。というのは、この世でおのれを泣かぬ者は、かの世で永遠に泣くからである」。されば、この世で自発的にせよ、あの世で吟味されてにせよ、泣かないことは不可能なのである。〔主題別3-3〕
105.50
42 師父ダニエールは、彼について物語るを常とした、 彼は、その気になれば語ることができたにもかかわらず、聖書の何らかの論点について、語ることを断じて拒んだ。いやそれどころか、書簡さえ軽々しくは書かなかった。また、たまに教会にやって来たおりには、柱の陰に座っていた、自分の顔を誰も見ぬよう、また自分も他人を見ることがないようにするためである。彼の容貌はといえば、イアコーボスのような天使的な姿であった。髪はことごとく白く、体つきは都会的であった。痩せていた。長い髭は腰に届いていた。彼の眼のまつげは泣き濡れていた。長身であったが、老齢のために背が曲がっていた。存命したのは95年。誉れあるテオドシオス大帝[009]の宮廷に40年、このうえなく神的なアルカディオスとホノーリオスとの父となった。その後、スケーティスで40年をすごした。さらに10年を上バビュローンにあるメンフィスのトロエーで〔すごした〕。さらに3年をアレクサンドリアのカノーポスで〔過ごした〕。他の2年は再びトロエーに戻り、そこで永眠した、平安と神への畏れとのうちに、自分の走路を走り終えて。命終した。 彼は善き人であり、聖霊と信仰に満ちていた〔使徒行伝11:24〕。彼はわたしに、自分の皮の上衣と白い毛の下衣とナツメヤシの葉で編んだサンダルを遺してくれた。わたしはそれを受けるに値しない者ではあるが、祝福されるよう、それらを身に付けている。〔主題別15-11〕
43 師父ダニエールが師父アルセニオスについてさらに物語った、 あるとき彼は、わたしの師父たち、つまり師父アレクサンドロスとゾーイロスとを呼んだ。そして自ら謙って彼らに云った。「ダイモーンどもがわしに戦いをしかけてくるのだが、眠っている間、わしから盗むのかどうかわからんから、今夜、わしといっしょに労苦してくれ、そうして徹宵の間に、眠るかどうかわしを見張っくれ」。そこで、一人は彼の右に、もう一人は左に坐った、宵になってから黙ったまま。そうしてわたしの師父たちは云いかわした。「わたしたちは眠ってから目覚めた、これでは、あの方が居眠りしたのを感知できない」。朝になって、(彼が眠ったとわたしたちが思うよう、故意にそうしたのか、あるいは、真実、眠りの自然が襲ったのかは、神がご存じである)彼は三度ため息をついて、すぐに起き上がった、いわく。「わしは眠った、な」。そこでわたしたちは答えた、いわく。「わかりません」。〔主題別20-21〕
44 あるとき、数人の老師たちが師父アルセニオスのところにやって来て、彼に会えるよう、幾度も頼んだ。相手は彼らのために戸を開けた。そこで、静寂を保つ人たちや誰とも会わぬ人たちについて、自分たちに言葉をくださるよう彼に頼んだ。これに老師が言う。「処女が父親の家にいるあいだは、多くの者たちが彼女に求婚しようとする。ところが先に進みはじめると、誰にとっても満足できない。或る者たちは軽んじ、他の者たちは褒めるが、隠れてしまうと、以前のように尊重されることはない。魂も同様である。広まりはじめると、誰でも満足させられるわけではない」。〔主題別2-11〕
108."48t"
師父アガトーンについて
108.49
1 師父ロートの〔弟子〕師父ペトロスが云った、 かつて師父アガトーンの修屋にいたとき、兄弟が彼のもとにやって来た、いわく。「兄弟たちと住むつもりです。彼らとどのように住むべきか、どうかわたしに云ってください」。これに老師が言う。「そなたが彼らのところにやって来た最初の日のように、そなたの生涯のすべての日々にわたり、彼らと気易くしないよう(i{na mh; parjrJhsiasq:/V)、そなたの余所者性(ceniteiva)を守るがよい」。これに師父マカリオスが言う。「いったい、気易さ(parjrJhsiva)は何を惹き起こすのですか?」。これに老師が言う。「気易さ(parjrJhsiva)とは大いなる炎暑のごとし。一旦起こるや、あらゆるものがその前から逃げ去り、樹々の果実をだめにしてしまう」。これに師父マカリオスが言う。「気易さ(parjrJhsiva)とはそれほど難儀なものなのですか」。すると師父アガトーンが云った。「気易さ(parjrJhsiva)ほど難儀な情動はない。あらゆる情動を生みの親だからじゃ。行者にとっては、たとえ修屋に独りいたとしても、気易くしない(mh; parjrJhsiavzesqai)のがふさわしい。というのはわしは知っておる、 修屋に住んで久しくすごした兄弟が、ちょっとした寝台を持っていたが、こう云ったのじゃ、 他の人がわたしに云ってくれなければ、この寝台にも気づかずに、修屋を移るところでした、と。このような人こそ、行者であり、戦士(polemisthvV)である。〔主題別10-11〕
109.20
2 師父アガトーンが云った。「修道者は、いかなる事態にあっても、自分の良心が自分を咎めるままにしておいてはならない」。〔主題別11-8〕
3 彼はさらに云った、 諸々の神的な掟を守ることなしに、ただ一つの徳においてさえ人間が進歩することはない。〔主題別11-9, 10〕
109.26
4 彼はさらに云った、 わしはいまだかつて、誰かに対して反発を抱いたままで床に就いたことはない。またわしの力の及かぎり、誰かがわしに対して反感を抱いたままで床に就くことを放置したこともない。〔主題別17-8〕
109.30
5 師父アガトーンについて言い伝えられている、 ある人たちが彼のところにやって来た、大いなる分別を持っていると聞いたからである。そして彼が怒るかどうか吟味しようとして、彼に言う。「あなたがアガトーンですか。あなたについて、邪悪で倣慢な者だと聞きました」。相手が云った。「さよう」。「おしゃべりで中傷好きですか?」。相手は云った。「わしのことじゃ」。さらに言う。「あなたは異端者のアガトーンですか?」。すると答えた。「わしは異端者ではない」。そこで、彼に頼んだ、いわく。「あなたは、わたしたちの云ったことはすべて認めさえしたのに、なぜこの言葉には耐えられなかったのですか、どうかわたしたちに云ってください」。彼らに言う。「初めの事は、わたし自身が認めるところじゃ。わしの魂にとって益となるものじゃから。しかし異端者とは、神から離反した者であって、わしは神から引き離されることを拒むのじゃ」。彼らはこれを聞いて、彼の分別に驚嘆し、教化されて立ち去ったのだった。〔主題別10-12〕
6 師父アガトーンについて語り伝えられている、 彼は自分の弟子たちとともに、十分な時間をかけて修屋を造りつづけた。そして、修屋が完成すると、以後、坐することを始めた。しかし、最初の週に、事が自分の益にならぬものを見て、自分の弟子たちに言う。「立て。ここから離れよう」。しかし弟子たちは、ひどく動揺した、いわく。「一体、移ろうとお考えだったならば、なぜ修屋を建てるのにこれほどの苦労をあえてなさったのですか。それに、人々が、『見ろ、移転をするぞ、宿なしめが』と言って、わたしたちのことで蹟くでしょう」。しかし、彼らが小心翼翼としているのを見て、彼らに言う。「顕く者もいれば、教えられて、『神のために移転し、すべてを軽視するものは幸いである』と言う者もいるだろう。とにかく、来たい者は来るがよい。わたしは行く」。そこで、弟子たちは、彼とともに旅することを許されるまで、地にひれ伏したのだった。〔主題別6-4〕
112.10
7 さらに彼について言い伝えられている、 彼は袋の中に自分の小刀だけを入れて移転することしばしばだった。〔主題別6-5〕
8 師父アガトーンが尋ねられた、「身体的な苦行と内面の見張りとは、どちらがより大きいでしょうか」。そこで老師が云った。、「人間とは樹木のようなもので、身体的な苦行は葉であり、内面の見張りは果実である。聖書に書かれているところによれば、『良い実を結ばぬ木は、みな切り倒されて、火に投げ入れられる』〔マタイ3:10〕。明らかに、すべての熱心さは果実のために、つまり理性の見張りのためにある。しかし他方、業による保護と飾りも必要であり、それがすなわち身体的な苦行のことなのだ」。〔主題別10-13〕
9 兄弟たちがさらに彼に尋ねた、いわく。「いかなる徳でしょうか、師父よ、修道の行住坐臥にあって、より大きな努力を要する徳とは?」。彼らに言う。「どうかわしを赦してほしい。神に祈るほどの労苦は他にないとわしは思う。事実、人が祈ろうと思うとき、つねに敵どもはその者を傷つけようとする。神への祈りから遠ざけること以外に、歩みを妨げる方法はないと知っているからだ。また人間が修行する行住坐臥は、そこにおいて堅忍することで、安息を得る。しかし闘う者には、最後の息を引き取るまで、祈りが必要である」。〔主題別12-2〕
10 師父アガトーンこそは、思いにあっては知恵があり、身体的なことにあっては疲れを知らず、手仕事や衣食のことなどは、すべて自ら果たしていた。〔主題別10-14〕
11 この同じ人が、自分の弟子たちと旅していた。彼らの中の一人が、熟していない小さな豆を道で見つけ、老師に言う。「師父よ、お言いつけになるなら、これを拾いましょう」。すると老師は驚いて彼をじっと見つめ、そして言う。「それをそこに置いたのは、そなたなのか?」。兄弟が言う。「いいえ」。すると老師が言う。「そなたが置かなかったものを、なぜ拾おうとするのか?」。〔主題別4-8〕
112.45
12 兄弟が師父アガトーンのもとに赴いた、いわく。「わたしをあなたとともに生活させてください」。ところで、彼は来る途中、少しの硝石を見つけ、それを持ってきていた。そこで老師が言う。「その硝石をどこで見つけたのか」。兄弟が言う。「道中、歩いていてこれを見つけ、これを拾いました」。これに老師が言う。「わしと住むために来たのならば、そなたが置いたのではないものを、どうして拾ったのか」。そして彼に、それを拾った場所に、それを持っていかせた。
13 兄弟が老師に尋ねた、いわく。「掟がわたしのところに下り、掟のある場所で闘いがあります。そこでわたしはその掟に従って出発したいのですが、闘いが恐ろしいのです」。するとこれに老師が言う。「アガトーンならば、掟を実修し、闘いに勝つであろうのに」。〔主題別7-2〕
113.10
14 同じアガトーンが、ある事件についてスケーティスで集会が持たれ、解決策がとられたとき、彼は遅参したので、彼らに云った。「あなたがたは問題を美しく解決していない」。そこで彼らが彼に云った。「あなたは何者ですか、そんなことを言うとは?」。相手が云った。「人の子である。こう書かれているから。『人の子よ、あなたがまことに正義を語ならば、ただしく裁くだろう』〔詩編58:2〕」。〔主題別10-15〕五人・二)とあるからだ〈」
113.18
15 師父アガトーンについて言い伝えられている、 彼は沈黙を成就するまでの間、自分の口に石を含んで、三年間を過ごした。〔主題別4-6〕
16 さらに、彼と師父アムゥーンについて言い伝えられている、 彼らは品物を売るとき、一度だけ値段を言い、自分たちに与えられたものを心安らかに黙って受け取った。さらにまた、何か買おうとするときには、言いかけられた値段を黙って払い、一言も話さずに品物を受け取るのだった。
17 同じ師父アガトーンが云った、 わしは未だかつて愛餐を与えたことはない。しかし、授受はわしにとっての愛餐であった。わしの兄弟の利得は、実を結ぶ業だと思量するゆえに。〔主題別17-28〕
18 同じ人が、ものを見て、彼の想念が裁く気になるときには、自らに言った。「アガトーンよ、おまえはそうしてはならない」。すると、彼のこの想念は静寂になるのだった。
19 同じ人が云った。「怒る者は、たとい死人を甦らせたとしても、神には受け入れられない」。〔主題別10-16〕
20 かつて師父アガトーンは、二人の隠修者の弟子を個人的にもっていた。さて、ある日のこと、一人に尋ねた。「そなたは、そなたの修屋でどのように過ごしているか」。相手が謂った。「晩まで断食をして、それから周い乾パンを二つ食べます」。これに言う。「その暮らしは美しく、あまり苦しくはない」。他方の者にも言う。「そなたはどうだ」。相手が謂った。「わたしは二日間断食して、それから固い乾パンを2つ食べます」。するとこれに老師が言う。「そなたは大変苦労して、二つの闘いを担っている。なぜならば、もし或る者が、毎日食べるが、満腹しないのであれば、疲れはてる。また或る者は、二日間断食するが、満腹することを望む。しかし、そなたは、二日間断食して、しかも満腹しないからじゃ」。
116.8
21 兄弟が邪淫について師父アガトーンに尋ねた。すると、これに言う。「行って、神の前に己れの無力さを投げ出せ、そうすれば平安を得られよう」。
22 あるとき、師父アガトーンと、老師たちの他のもう一人が病気になった。彼らが修屋で横になっていると、兄弟が創世記を朗唱していて、イアコーブが次のように言うくだりにさしかかった。「イオーセープはいなくなり、シメオーンもいなくなった、そして、そなたたちは、ベニアミンをも奪い取った。年老いたわたしに黄泉における悲しみを味わわせようとしているのだ」〔創世記42:36-38〕。すると老師が答えて云った。「他の10人はあなたにとって満足でないのですか、師父イアコーブよ」。師父アガトーンが言う。「やめなさい、老師よ。もし神こそが正しい裁き手ならば、誰が人を罪することができようか」〔ローマ8:33〕。
23 師父アガトーンが云った。「もし誰かがわたしを過度に愛してくれたとしても、その者がわたしを過ちに導くと知ったならば、わたしはその者を切り捨てる」。
24 彼がさらに云った。「人間はいついかなる時でも、神の裁きに注意を向ける者であらねばならない」。
25 兄弟たちが愛について話し合っていたとき、師父イオーセープが言った、 われわれは、愛とは何であるかを知っているだろうか、と。そして、師父アガトーンについて云った、 彼は小刀を持っていたが、兄弟が彼のところにやってきて、それをほめると、彼はその小刀を〔兄弟が〕受け取るまで、彼を帰そうとしなかった。〔主題別17-7〕
26 師父アガトーンが言った、 もし癩患者病を見つけて、わしの身体を彼に与え、彼のを受け取ることがわしにできたら、わしは喜んでそうする。なぜなら、それこそ完全な愛だからだ。
27 さらに彼について言い伝えられている、 あるとき、品物を売るために町へやって来て、ある異邦人が、世話してくれる者もなく、弱って道に横たわっているのを見つけた。そこで老師は、彼のもとに留まって小屋を借りた。そして、その借り賃を自分の手仕事の収益で払い、残りの金を病人に必要なものを買うのに使った上で、病人が治るまで、四か月間そこに留まった。じつにそういうふうにして、老師は平安のうちに、自分の修屋へと引き上げたのだった。
116.47
28 師父ダニエールは言うを常とした、 師父アルセニオスが、わしの師父たちのところへやって来る前、彼らは師父アガトーンと住持していた。ところで、師父アガトーンは、師父アレクサンドロスを愛していた。彼が修行者で、注意深かったからである。ところで、彼の弟子たちが全員で、川でいぐさを洗うことがあった。師父アレクサンドロスも丁寧に洗っていた。ところが残りの兄弟たちが老師に云った。「兄弟アレクサンドロスは何もしていません」。そこで彼らを癒やそうとして、彼に云った。「兄弟アレクサンドロスよ、それを美しく洗え、亜麻布なのだから」。すると彼は聞いて、心を痛めた。するとそれに続けて、老師が彼を励ました、いわく。「そなたが美しく実行していることを、わしが知らないことがあろうか。わしが皆の前であんなことを云ったのは、そなたの従順さを見て、彼らの想念を癒すためなのじゃ、兄弟よ」。
29 師父アガトーンについて語り伝えられている、 彼はあらゆる掟を果たすことに熱心であった。小舟で川を渡るばあいでも、自分が真っ先に櫂を握るのだった。また、兄弟たちが彼のもとを訪ねるときには、祈りの心をもって、手ずから夕食の席を調えた。それというのも、彼は神の愛に満たされていたからである。そして彼が死に臨んだときには、彼は三日間、目を開いたまま動かずにいた。兄弟たちは彼を揺り動かした、いわく。「師父アガトーンよ、どうなさったのですか」。彼らに言う。「わしは、神の法廷の前にいる」。彼らが彼に言う。「あなたでも恐れるのですか、師父よ」。彼らに言う。「確かに、神の命令を守るために、わしの力を尽くしてきた。だが、わしは人間だ。わたしの業が神の御旨に適っていたかどうか、どうして分かろうか」。これに兄弟たちが言う。「ご自分の業に確信が持てないのですか、神の御旨に従ったものだと」。老師が言う。「わしは、神にまみえなければ、確信が持てない。神の判断と人間のそれとは別だからだ」。彼らが他の言葉をことを彼に尋ねようとすると、彼らに言う。「後生だから、これ以上わしに話しかけないでほしい。わしにはもはや暇がない」。そして、彼は喜びのうちに命終した。というのは、彼が自分の友たちや愛する者たちに別れを告げて、昇天するのを見たからである。彼はすべてにおいて非常に注意深く、こう言っていた。「大いに用心しなければ、人間はただ一つの徳においですら、進歩することはない」。
30 あるとき、師父アガトーンは、少しの品物を売りに町へでかけ、途中で一人の身障者を見つける。彼にその身障者が言う。「どこへ行くのか」。これに師父アガトーンが言う。「町へ、品物を売りに」。これに言う。「お願いだから、わしをそこへ連れて行ってくれ」。そこで彼を背負い、町まで連れて行った。彼〔師父〕に言う。「あんたが品物を売るところに、わしを下ろしてくれ」。そこでその通りにした。さて、品物を売ると、障害者が彼に言った。「それをいくらで売ったのか」。そこでこれこれの値段でと言った。すると彼に言った。「わしに駄菓子を買ってくれ」。と言った。そこで買ってやった。さらにまた他の品物を売った。すると言った。「それはいくらでか」。そこで言った。「これこれの値段で」。すると彼に言った。「しかじかの品をわしに買ってくれ」。そこで買ってやった。さて、すべての品物を売り切った後、帰ろうとすると、彼に身障者が言う。「帰るのか」。これに言う。はい」。すると言う。「もう一度、お願いだから、わたしを見つけた場所まで連れていってくれ」。そこで彼を背負って、もとの場所まで連れていった。すると彼に言う。「祝福あれ、アガトーンよ、天地の主によって」。彼は自分の眼を上げたが、誰も見えなかった。彼は、彼を試みるためにやって来た主の使いだったのである。
120."1t"
師父アムモーナースについて
120.2
1 兄弟が師父アムモーナスに頼んだ、いわく。「わたしに説話(rJh:ma)をください」。老師は言う。「行け、そなたの想念を、番屋にいる悪行者たちのようにせよ。というのは、あの連中は嚮導者がどこにいるか、いつやって来るのかを人々に尋ね、予期して泣いている。そのように、修道者も常に注意して、こう言って自分の魂を吟味すべきだからじゃ。『悲しいかな、わたしはいかにクリストスの高壇に立ちえようか、そうしてあの方にいかに弁明できようか』。そういうふうにそなたがいつも注意するなら、救われることができよう」。〔主題別3-4〕
2 師父アムモーナースについて言い伝えられている、 彼はバシリスコスさえ殺したことがある。というのは、水溜の水を汲むために砂漠に赴き、バシリスコスを見て、うつぶせに身を投げだした、いわく。「主よ、死ぬに決まったのはわたしか、こいつです」。すると、たちまちクリストスの力によって、バシリスコスは引き裂かれたのだった。
3 師父アムモーナースが云った、 わしは14年間をスケーティスで過ごしてきた、怒りに打ち勝つ恩寵がわたしにあるよう、日夜、神に懇願しながら」。〔主題別7-3〕
4 師父たちの一人が語り伝えている、 ケッリアに労苦を厭わぬ一人の老師がいたが、彼は藺草籠を携えていた。彼はでかけて、師父アムモーナースを訪ねた。老師は彼が藺草籠を携えているのを見て、彼に言う。「それはそなたを何ら益せぬ」。すると彼に老師が尋ねた、いわく。「三つの想念がわたしに群がっています。砂漠から砂漠にさまようか、誰もわたしを見知らぬ異国に行くか、修屋に閉じこもって、誰にも会わず、二日おきに食事をする、という考えです」。これに師父アムモーナースが言う。「三つのうちのいずれもしてもそなたにとって役に立たない。それよりも、そなたの修屋に坐れ、そして毎日わずかなものを食せ。そして、絶えずあの取税人の言葉〔ルカ18:13〕をそなたの心に留めよ。そうすれば救われ得よう」。〔主題別10-20〕
5 兄弟たちに、自分たちの場所で患難が見舞い、そこを後にしようとして、師父アムモーナースのところに行った。すると、見よ、老師は小舟に乗っていたが、彼らが川岸を行くのを見て、船乗りたちに云った。「わしを陸に下ろしてくれ」。そして、兄弟たちを呼んで云った。「わしが、そなたたちが会おうとしてやって来たアムモーナースじゃ」。そうして彼らの心を慰め、彼らがもといた場所に帰した。というのは、問題は魂の損害ではなく、人間的な患難だったからである。
6 あるとき、師父アムモーナースが川を渡るためにやって来て、綺麗な渡し舟を見つけて、そこに座った。すると、見よ、別の小舟がその場にやって来て、居合わせた人々を乗せた。そこで彼に言う。「師父のあなたもこちらへ、わたしたちといっしょに渡ってください」。相手が言う。「わしは公の舟でなければ乗らない」。そしてナツメヤシの葉を持ってきており、縄を編んだり、これを解いたりしながら、渡し舟が準備できるまで座っていた。じつにこういうふうにして時は過ぎた。それゆえ、兄弟たちは彼に跪いた、いわく。「なぜこのようになさったのですか」。すると、彼らに老師が言う。「いかなるときも、想念が忙しく動き回らないためじゃ」。いや、これこそは、われわれが神の道を確固として歩むための手本となるものである。
7 あるとき、師父アムモーナースは、師父アントーニオスを訪ねるために出かけたが、道に迷ってしまった。そこで、彼は坐って少しの問眠った。そして眠りから覚めると、神に祈った、いわく。「あなたに懇願いたします、わたしの神なる主よ、あなたの被造物を滅ぼしてしまうことのないように」。すると、空中にかかった人間の手のように彼に現れ、彼に道を示した、師父アントーニオスの洞窟の前にやって来て、彼が立つまで。
8 この師父アムモーナースに、師父アントーニオスが預言した、いわく そなたは神への畏れのうちに進歩するであろう、と。そして彼を修屋の外に連れ出し、一つの石を彼に示して、彼に云った。「この石を侮辱し、これを叩け」。相手はそのとおりにした。すると、これに師父アントーニオスが言う。「石はしゃべらなかったな?」。相手が云った。「はい、しゃべりません」。するとこれに師父アントーニオスが言う。「そなたも今にこの境位に達するであろう」。そして、実際にそうなった。それというのは、師父アムモーナースは、大きな善性の満ち溢れによって、もはや悪を知らぬまでに進歩したからである。彼が司教となった時期、胎に孕んだ処女を彼のもとに連れてきて、彼に言う。「こんな恐るべきことをしでかしややつがいます。やつらを罰してください」。しかし、彼は娘の腹に十字の印をし、六枚の上質の布を彼女に与えるよう命じた,いわく。「出産のとき、彼女か赤ん坊が死に、埋葬のときに要るものが見付からないと困るだろうから」。彼女について会いに来た人々が彼に言う。「なぜこんなことをなさるのですか。連中に罰を与えてください」。相手が彼らに言う。「見よ、兄弟たちよ、死の近くにいることを。いったいわたしに何ができようか」。そして、彼女を送り帰した。老師は何びとをも敢えて断罪しなかったのである。
9 彼について言い伝えられている、 ある人々が、彼に裁いてもらおうとしてやって来た。しかし、老師は馬鹿のふりをした。すると、見よ、ひとりの女が彼の近くにいて、言った。「この老師は愚か者です」。すると老師は彼女のいうことを聞いて、彼女に声をかけて言う。「この愚かさを得るために、どれだけ砂漠で苦労したことだろう。そして、今日、そなたのせいでわしはそれを失ってしまった!」。〔主題別15-13〕
10 あるとき、師父アムモーナースが食事をする場所にやって来たとき、そこに悪い噂の或る者がいた。そしてたまたま女がやって来て、その悪い噂のある兄弟の修屋に入っていった。その場所の住人たちは、それを知って動揺し、集まって、彼を修屋から追い出そうとした。その場所に司教アムモーナースがいることを知り、やって来て、自分たちに同行してくれるよう頼んだ。ところがかの兄弟はそれを知って、女を抱きかかえ、大きな甕の中に隠した。さて、大衆がやってきたとき、師父アムモーナースは出来事を見たが、神のために事実を隠した。そして、中に入って、甕の上に坐り、修屋を探すよう命じた。そこで探索したが、女を見つけられなかったので、師父アムモーナースは云った。「これはどうしたことだ。神がそなたたちをお赦しくださるように」。そうして彼は祈り、全員に引き上げさせた。それからかの兄弟の手を握って、これに云った。「自分自身に心を注げ、兄弟よ」。そして、そう云って、彼は立ち去った。
11 師父アムモーナースが、狭く細い道とは何ですか?と尋ねられた。すると答えて云った。「狭くて細い道とはこれじゃ。おのれの諸々の想念を強制し、自分の意思を神ゆえに切り捨てること。それはすなわち、『見よ、わたしたちは一切を捨て、あなたについてまいりました』〔マルコ10:28〕ということじゃ」。〔Anony249、主題別10-116〕
124."16t"
師父アキラースについて
124.16
1 あるとき、三人の老師が師父アキラースを訪ねたが、彼らの中の一人は、悪い噂の或る者だった。で、老師たちの一人が彼に云った。「師父よ、わたしに引き網を1つ作ってください」。相手が云った。「わしは作らぬ」。他の者も云った。「愛餐をしてください、修道院であなたから鎮魂を得るために」。相手が謂った。「暇がない」。悪い噂のある他の一人が彼に言う。「どうかわたしに引き網を1つ作ってください、あなたの手仕事からわたしに得るところがあるように、師父よ」。相手はすぐに答えて彼に云った。「わしがそなたのために作ろう」。そこで二人の老師は、こっそり彼に云った。「どうして、わたしたちがあなたにお願いしたのに、わたしたちには作るのを拒否されたのに、あいつには、『わしがそなたのために作ろう』と云われたのですか?」。彼らに老師が言う。「そなたたちに『作らぬ』と云ったとき、わしに暇がないからと、そなたたちは悲しまなかった。しかし、もし彼のために作らなければ、『わたしの罪を聞き及んで、老師は作ることを拒んだのだ』と述べよう。そうなれば、われわれはただちに絆を断ち切ることになる。それゆえ、彼の魂をわしは目覚めさせたのじゃ、こういう者が、悲しみにうちひしがれることのないようにな」。〔主題別10-18〕
2 師父ベーティメースが云った、 あるとき、わしがスケーティスに下向するとき、或る者たちが少しの果物をわたに託した、師父たちに捧げるためである。そこで、師父アキラースの修康の戸を叩いた、彼に捧げるためである。。だが彼が謂った。「まこと、兄弟よ、たといそれがマンナであろうと、今後わしの戸を叩くことを断る。また、他の修屋に行ってもならぬ」。そこで、わしはわしの修屋に戻り、これを教会に寄進したのだった。
3 あるとき、師父アキラースは、スケーティスの師父ヘーサイアスの修屋に赴いたところ、彼が食事をしているのを見た。で、皿に塩と水とを入れていたのである。で、老師〔アキラース〕は、彼がナツメヤシの葉の編み物後ろにそれを隠したのを見て、彼に言う。「わしに云ってくれ、何を食べていたのか」。相手が云った、「どうかわたしをお赦しください、師父よ、ナツメヤシの葉を伐り、登ってきましたので、わたしのパン切れに塩をつけてわたしの口に入れました。しかし、わたしの喉は暑さのためにかわいて、パン切れが喉を通りません。そのため、食べることができるようにと、やむなく塩の中に水を少し入れたのです。しかし、どうかわたしをお赦しください」。すると老師が言う。「さあ、ヘーサイアースがスケーティスでブロスを飲むのを見るがよい。もしブロスが飲みたければ、アイギュプトスに行け」。〔主題別4-10〕
125.1
4 老師たちのひとりが師父アキッラスを訪ねたところ、彼がその口から血を吐いているのを目撃した。そこで彼に尋ねた。「それは何ですか、師父よ」。すると老師がこう云った、 わしを悩ませている兄弟の言葉じゃ、わしは彼に告げないよう戦い、わしから取り除かれるよう神にお願いしたところ、その言葉がわしの口の中で血となった、そこでこれを吐き出し、わしは安らかになり、悩みを忘れたのじゃ。〔アキラース4〕
125.10
5 師父アムモーエースが言った、 わたしと師父ベーティメースが、師父アキラースを訪ね、『怖れるな、イアコーブよ、アイギュプトスに下ることを』〔創世記46:5〕)という言葉を重視している彼から聞こうとした。実際、彼はその言葉を何度も何度も繰り返していたのだ。さて、われわれが戸を叩くと、われわれに戸を開け、尋ねた。「どこから来たのか?」。しかしわれわれは「ケッリアから」と云うのを恐れて[010]、云った、「ニトリアの山から」。すると言う。「そなたたちは遠くから来たのに、わしがそなたたちに何ができようか」。そしてわれわれを中に入れてくれた。そして、夜の問中、彼がたくさんの縄をなうのを見出し、われわれに言葉を云ってくれるよう彼に尋ねた。相手が云った。「わしは昨夜から今までずっと、20オルグュイア[011]を編んだが、実はその必要はない。しかし、神が怒って、『働けたのになぜ働かなかったのか』と言ってわしを責めないように、わしの力の限り実行するのじゃ」。われわれは益を受けて戻ってきた。
6 また他のとき、偉大な老師がテーベから師父アキラースを訪ねて来て、彼に言う。「師父よ、わたしはあなたを敵視しています」。相手が彼に言う。「さあ、御老師、ほんとうにわたしを敵視なさっているのですか?」。すると老師は謙虚さゆえに云った。「はい、師父よ」。ところで、戸のそばに、盲目で足萎えの老師が坐っていた。そこで、かの老師が彼〔アキラース〕に言う。「わしは数日間腰を据えるつもりでしたが、この老師がいるために、腰を据えられなくなりました」。すると師父アキラースが聞いて、その老師の謙虚さに驚嘆し、言った。「それはあなたの邪まな思いではなく、邪悪なダイモーンたちの妬みなのです」。
125."38t"
師父アムモーエースについて
125.39
1 師父アムモーエースについて言い伝えられている、 彼は教会に行くとき、自分の弟子が自分のそばを歩くのを許さず、遠ざけた。そして、諸々の想念について尋ね始めようものなら、これに答えのみを言って、こう言ってすぐにこれを追い返してしまうのだった。「われわれが益となることについて話しているときに、余計な会話が入り込まないためである。このため、わしはわしのそばにそなたが来るのを許さないのじゃ」。〔主題別11-11〕
2 師父アムモーエースが師父ヘーサイアースに先ず尋ねた。「今わしはどのように見えるか?」。これに言う。「天使のようです、詩父よ」。さらに後に、彼に言った。「今わしはどのように見えるか?」。相手が言った。「サターンのようです。わたしに善い言葉お話になっても、それは剣のようです」。〔主題別11-12〕
3 師父アムモーエースについて言い伝えられている、 彼は病気で長年床に就いていたが、自分の外なる修屋で何が起こっているか見るために、自分の想念を注ぐことは決してなかった。というのは、病気だというので多くのものを彼に運んでくれたからである。また、自分の弟子イオーアンネースが出入りするときにも、眼を閉じたままであった。というのは、信実の修道者であることを知っていたからである。〔主題別4-11〕
4 師父ポイメーンは言うを常とした、 兄弟が師父アムモーエースを訪ねた、彼から言葉を乞うためである。そして、彼とともに7日間留まったが、老師は彼に何も答えることなく、彼を送り出しながら彼に云った。「去れ、みずからに傾注せよ。わしに関して言うならば、諸々の罪がわしと神との間の闇の壁となっている〔イザヤ59:2〕」。
5 師父アムモーエースを由因として言い伝えられている、 いつか必要なときのために、小麦50アルタベー[012]を作り、日にさらしていた。しかし、それが美しく乾く前に、その場所の事態が自分を益しないのを見た。そこで自分の童僕たちに言う。「ここを立ち去ろう」。相手はすこぶる悲しんだ。だが、彼らが悲しむのを見て、彼らに言う。「パンのために悲しんでいるのか。まこと、わしは、漆喰で白く塗った戸を開け放したまま、羊皮紙の書を持って逃げる連中を見た。彼らは戸を閉めもせず、これを開け放したまま去ったのじゃ」。
128."24t"
ニトリアの人、師父アムムゥンについて
128.25
1 ニトリアの人、師父アムムゥンが師父アントーニオスを訪ね、彼に言う、 わたしはあなたよりも多くの苦労をしているのに、なぜあなたの名のほうが、わたしよりも人々の間で偉大なものとされるのでしょうか」。これに師父アントーニオスが言う。「わしがそなたよりも神を愛しているからじゃ」。〔主題別17-3〕
128.30
2 師父アムムゥンについて言い伝えられている、 彼はごく少量の大麦で二か月も過ごした。で、当人が師父ポイメーンを訪ね、彼にこう言う。「もしわたしが隣人の修屋に行ったり、あるいは彼が何かの必要のためにわたしを訪たりすれば、何か余計な会話が頭をもたげないよう、お互いに会話するのを用心します」。これに老師が言う。「それは美しい。というのは、若者には見張りが必要だからじゃ」。これに師父アムムゥンが言う。「では、老師たちはどうなさるのですか」。するとこれに云った。「老師たちは進歩しているので、彼らにあっては別物のようなものとか、口に余計なものをもたぬ、それを話すにしても」。「では、やむを得ず」と彼が謂う、「〔聖〕書においてとか、老師たちの言葉においてとか、隣人と話さねばならない場合は?」。老師が言う。「そなたが沈黙を保ち得ないなら、老師たちの言葉についての方が美しい、そして〔聖〕書については〔話す〕な。危険が少ないからじゃ」。〔主題別11-56〕
3 兄弟がスケーティスから師父アムムゥンを訪ね、彼に言う。「わたしの師父が、わたしを奉仕者に遣わしましたが、わたしは邪淫を恐れています」。これに老師が言う。「誘惑がそなたを襲うような刻、こう云うがよい。128.50『諸々の力能の神よ、わたしの父の祈りによってわたしを救い出してください』と」。さて、日々のある日、処女が兄弟の面前で戸を閉めた。そこで、大声で叫んで云った。「わたしの父なる神よ、わたしを救い出してください」。すると、はっと気付くとスケーティスへの道にいたのだった。
129."1t"
師父アヌゥブについて
129.2
1 師父イオーアンネースが語り伝えている、 師父アヌゥブと師父ポイメーン、そして一つ胎から生まれ、スケーティスで修道者となった彼らの自余の兄弟たちは、マジク族が来襲し、最初にこれ〔スケーティス〕を荒らしたとき、彼らはそこを立ち去り、テレヌゥティスと呼ばれるところにやって来た、それまで、彼らはいかに住持すべきか探していたのである。そして数日、そこの古い神殿に留まった。さて、師父アヌゥブが師父ポイメーンに云った。「頼みがある。そなたとそなたの兄弟は、各々静寂のうちに住まい、この一週間は互いに会わぬことにしよう」。すると師父ポイメーンが云った。「お望みのようにしましょう」。彼らはそのとおりにした。
ところで、そこには当の神殿に一つの石像があった。そして老師である師父アヌゥブは、朝毎に起きあがり、像の顔に石を投げつけ、夕毎にこれに言った。「どうぞわたしをお赦しください」。そして、彼は一週間ずっと、そのようにし続けた。さて、土曜日に彼らは互いに会ったが、師父ポイメーンが師父アヌゥブに云った。「あなたを見ました、師父よ、この1週間、あなたが像の顔に石を投げつけ、それからこれに悔い改めをするのを。信実な人間が、そんなことをするのですか」。すると老師が答えた。「そんなことをしたのは、まさにそなたたちのためじゃ。わしが像の顔に石を投げつけるのを見たというが、〔像は〕しゃべったり怒ったりしなかったか」。すると師父ポイメーンが云った。「しません」。さらにまた、 わしがそれに対して悔い改めたが、動揺したり、「赦さない」と云ったりせなんだな? すると師父ポイメーンが云った。「しません」。すると老師が云った。「されば、われわれとて7人の兄弟である。もしお互いいっしょにとどまる気なら、侮辱されようが栄化されようが、動じることのない、この像のようになろう。しかし、もしそのようになることを望まないならば、見よ、この神殿には四つの門がある。めいめい好きな所へと去るがよい」。すると彼らは師父アヌゥブにこう言って、地に身を投げ出した。「あなたの望むとおりに、師父よ、わたしたちはしましょう、そしてあなたがわれわれに言われるとおりに聞き入れます」。
また、師父ポイメーンが云った、 われわれはわれわれの全時間、お互いいっしょに住持した、老師がわれわれに言った言葉に従って働いて。彼はわれわれのうちの一人を家令に任じた。われわれはわれわれに備えられたものは何でも食べた。だから、われわれのうちの誰も、「何か別のものをわれわれに持ってこい」とか、「こんなものは食べる気がしない」などと云うことはできなかった。こうして、われわれはすべての時を安らぎと平和のうちに過ごしたのである。〔主題別15-12〕
129.46
2 師父アヌゥブが云った。「クリストスの御名がわしから発せられて以来、嘘がわしの口から出たことはない。〔主題別11-7〕
129."49t"
師父アブラアームについて
129.50
1 ある老師について言い伝えられている、 彼はめったにパンも食べず、葡萄酒も飲まず、50年を過ごした。そして言った、 わしは淫欲、金銭欲、そして虚栄心を殺した、と。すると師父アブラアームが彼のところにやって来た、そう言っていると聞いたからであるが、彼に言う。「これこれの言葉を言ったのはあなたか?」。すると言う。「はい」。すると師父アブラアームが云った。「見よ、あなたの修屋に入ると、あなたの蓆の上に一人の女を見つけたとする、それが女でないと想うことができようか?」。彼が言う。「できません。しかし、わたしは想念と闘います、彼女に触れぬよう」。そこで、師父アブラアームが言う。「見よ、殺したわけではなく、情動は生きている、縛られてはいるが。今度は、あなたが散策しているとき、石と陶器の破片と、それらの間に金を見つけたとする、あなたの精神は、それ〔金〕をそれら〔石や陶片〕のように思量することができるか?」。彼が言う。「できません。しかしそれを手に入れないよう想念と闘います」。すると老師が言う。「見よ、〔情動は〕生きている。縛られているだけだ」。さらに師父アブラアームは言う。見よ、そなたは二人の兄弟について聞いている、 一人はあなたを愛し、他はあなたを憎み、あなたの悪口をいっている、と。もし彼らがあなたのところにやって来たとしたら、二人を等しく愛せるか?」。彼が言う。「いいえ。しかし、わたしは想念と闘います、わたしを愛する者に対するように、わたしを憎む者に対して善行をするように」。これに師父アブラアームが言う。「では、情動はやはり生きている、ただ、聖人たち〔の祈りの力〕によって縛られているだけだ」。〔主題別10-19〕
132.20
2 兄弟が師父アブラアームに、こう言って尋ねた。「もしわたしがしばしば喰うことになったら、どうなるでしょうか」。すると老師が答えて云った。「何を言い出すのか、兄弟よ。そんなに食べるのか。それとも、そなたは、穀物倉にでも来たと思っているのか」。
132.25
3 スケーティスのある人について、師父アブラアームが言った、 その人は写字生で、パンを食べなかった。さて、兄弟が、自分のために書写してくれるよう彼に頼むためにやって来た。ところが、その老師は、自分の理性を観想に向けていたので、数行を落として書き、しかも句読点を打たなかった。兄弟の方は、受け取って句読点を打とうとし、言葉が抜けているのに気付いた。そこで、彼に老師が言う。「数行が落ちています、師父よ」。これに老師が言う。「行って、まず書かれていることを実行せよ。そうして戻って来たら、そなたに残りを写してやろう」。
132."35t"
師父アレースについて
132.36
師父アブラアームが師父アレースを訪ねた。そして彼らが坐していると、兄弟が老師のところにやって来て、これに言う。「どうかわたしに云ってください、救われるためには何を為すべきか」。相手がこれに言う。「行け、夜毎、パンと塩を食べて今年を過ごし、もう一度ここへ、そうすれば、そなたに話してやろう」。そこで彼は立ち去り、その通りにした。さて、1年が満了したので、兄弟は再び師父アレースのところにやってきた。そのとき、好都合にも師父アブラアームも来ていた。すると、老師は再び兄弟に云った。「行け、今年は二日に一度断食せよ」。そこで、兄弟が去ったとき、師父アブラアームが師父アレースに言う。「あなたはどの兄弟にも軽い軛を言いつけるのに、この兄弟にはこんな重荷を負わせるのはなぜですか?」。これに老師が言う。「兄弟たちは、ただ求めに来ては、また去ってゆく。133.1 この者だけは、神のために言葉を聞きにやって来る。というのは、彼は勤勉です。彼に何かを云ったならば、熱心に果たします。それゆえ、わたしも彼に神の言葉を話すのです」。〔主題別14-3〕
133."5t"
師父アローニオスについて
133.6
1 アローニオスが云った。「人が自分の心のうちで、 この世にはわたし一人と神だけがいる、と言わなければ、安らぎを得ることはないだろう」。〔主題別11-13〕
2 彼はさらに云った。「すべてを破壊しなかったならば、自分自身を建てることはできない」。
3 彼はさらに云った、 もし人が朝から晩まで乗り気なら、神的な境位に達するだろう。
4 あるとき、師父アガトーンが師父アローニオスに尋ねた、いわく。「どうすれば、嘘をつかないように、わたしの舌を制する気になるのででしょうか」。するとこれに師父アローニオス言う。「嘘をつかなければ、もっと多くの罪を犯そうとするだろう」。相手が云った。「どういうふうにですか」。するとこれに老師が言う。「見よ、二人の人がそなたの前で人殺しをし、一人がそなたの修屋に逃げ込んだとするが。そして見よ、役人が彼を探し、そなたに尋ねる、いわく。『おまえの前で殺人が起こったのか?』。もしそなたが嘘をつかなければ、その男を死に引き渡すことになる。捕まえることなく、神の御前に彼を委ねよ。あの方こそ、すべてをご存じだからだ」。
133."25t"
師父アップについて
133.26
その名を師父アップという、オクシュリュンコスの司教について語り伝えられている。 彼が修道者であったとき、多くの難業を実修した。で、司教になったとき、世間においても同じく熱心に難業に従事するつもりだったが、その力がなかった。そこで、彼は神の面前に、身を投げだしてた、いわく。「いったい、司教職のために、恩寵がわたしから遠ざかったのですか」。すると、彼に答えがあった、 否、そうではない。かつては砂漠で、人間がいなかったので、神が支えたのだ。しかし今は、世間があり、人々がそなたを支える、と。〔主題別15-14〕
133."36t"
師父アポッロースについて
133.37
1 ケッリアに、名をアポッロースという老師がいた。ひとがやって来て、どんな仕事でも彼に頼むと、喜んで赴いた、いわく。「クリストスとともに、今日、わたしの魂のために働くことができる。というのは、この方こそその〔魂の〕報酬なのだから」。
2 スケーティスにいる師父アポッロースなる者について言い伝えられている、 彼は粗野な羊飼いであった。そして、胎に孕んだ女を野原で見て、悪霊に衝きうごかされて云った。「胎児が彼女の胎の中でどうしているのか見たいものだ」。そこで女を切り裂き、胎児を見た。すると、途端に彼の心が彼を打ちのめした。悔恨の念に打たれ、スケーティスにやって来て、師父たちに自分のしたことを告白した。そして、彼らが詩編を唱えているのを聞いた。「我らの齢の日々は、齢にして70年。健やかであっても80年。その多くは骨折りと悩み」〔詩篇90:10〕。そこで、彼らに云った。「わたしは40歳にもなる今まで、一度も祈ったことがありません。もしあと40年生きるなら、神がわたしの罪を赦してくれるよう、絶えず神に祈ります」。事実、彼は手仕事さえやめて、つねに神に祈った、いわく。「人としてわたしは罪を犯しました。神よ、わたしを憐み給え」。この祈りは日夜、彼の勤めとなった。さて、兄弟が彼とともに生活していて、彼が次のようにいうのを耳にした。「主よ、わたしはあなたを悩ませましたが、わたしに少し安らぎをお与えください」。そして彼は、神が自分のすべての罪と女殺しとを赦してくださったことを確信するに到ったが、子供については確信がもてなかった。そこで、老師たちの一人が彼に云った、 神は子についてもそなたを赦した。だが、そなたを苦しみに委ねているのは、そなたの魂に益となるからじゃ、と。〔主題別11-18〕
3 同じ人が兄弟たちのもてなしについて云った、 やって来る兄弟たちを拝さなければならない。なぜなら、われわれは兄弟たちをではなく、神を礼拝することになるからだ。「あなたの兄弟を見たとき」と〔聖書は〕謂う、「あなたの神なる主を見たのだ」〔創世記33:10〕。しかも、と彼は謂う、われわれはアブラアームから学んだ。あなたがこれを受け入れるならば、安らぎへと導かれることになろう。そしてこれは事実、天使たちをもてなすロートからも学んだことである〔創世記19:1-3〕。
136."25t"
師父アンドレアースについて
136.26
師父アンドレアースが云った。「修道者にふさわしいのは以下の三つ。世を捨てること、物乞い、そして忍耐をもっての沈黙」。
136."29t"
師父アイオーについて
136.30
テーベの師父アンティアーノスなる老師について言い伝えられている、 彼は自分の若い頃多くの行住坐臥を行っていたが、その老年には病気になり、また盲目になって、兄弟たちは彼の病気のために、多くの慰めを与え、彼の口に食物をあてがった。このことについて師父アイオーに尋ねた。「このような多くの慰めによって、どんなことが起こるのでしょうか」。すると彼らに言う。「そなたたちに言っておく、 彼の心がそれを欲し、喜んで食べるならば、神は彼の労苦を甲斐のないものにする。しかし、もし彼がそれに同意せず、いやいや取るのであれば、神は彼の労苦を健やかなものとして守る。なぜなら、自ら欲することなく、強いられただけだからだ。また、兄弟たちもよき報いを受けるだろう」。
136."44t"
師父アムモーナタースについて
136.45
あるとき、ある長官がペールゥシオンに赴き、俗世の者たちと同様、修道者からも人頭税を徴収するためにやって来た。そこで兄弟たちはこぞって、その件に関して師父アムモーナタースのところに集まり、師父たちの幾人かが皇帝のもとに上行することに票決した。すると彼らに師父アムモーナタースが言う。「そんな難儀は必要ではない。むしろ、そなたたち修屋に静寂を保ち、二週間断食せよ、そうすれば、クリストスの恩寵によって、わし一人でこの問題に対処しよう」。そこで、兄弟たちは各々の修屋に戻った。老師も自分の修屋で静寂を保った。こうして、二週間後の期日が来たとき、兄弟たちは老師のことで嘆いた、彼が動くのを少しも見なかったからで、彼らは言った。「老師はわれわれの問題を放っておかれたのだ」。さて、15日目に兄弟たちは決められた通りに集まった。すると老師が、皇帝によって捺印された勅書を持って、彼らのところにやって来た。それを見て兄弟たちは、驚いた、いわく。「いつそれを持って来られたのですか、師父よ」。すると老師が言う。「わしを信じよ、兄弟たちよ、わしは昨夜皇帝のもとへ行き、〔皇帝が〕この勅書を書いた。そこでわしはアレクサンドレイアに赴き、長官たちからこれに署名をもらった。まさにこうして、そなたたちのところにやって来たのだ」。これを聞いて彼らは恐れ、彼の前に跪いた。そして彼らの問題が片付いたので、役人が彼らを苦しめることはなかった。
2016.01.09.
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