砂漠の師父の言葉(Γ)
153."18t" 153.20 2 兄弟が、師父ダニエールに尋ねた、いわく。「どうかわたしに一つの掟をお与えください、そうすればそれを守ります」。そこでこれに言う。「女といっしょにそなたの手を皿に延ばして、彼女といっしょに喰っては断じてならぬ。そうすれば、邪淫のダイモーンから辛うじて逃れられよう」。 3 師父ダニエールが云った、 バビュローンに、上流階級出身で、ダイモーンに憑かれた処女がいた。ところで彼女の父親は、ある修道者を愛する者としてもっていた。するとこれ〔修道者〕が彼に言う。「あなたの娘を癒やすことは誰にもできない、わたしの知っている隠修者たち以外には。ところが彼らに頼んでも、謙虚さからそれの実修を承知しないだろう。しかし、こうしよう。つまり、彼らが市場に来たとき、品物を買おうとする素振りを見せて、その代金を受け取ろうとするときに、祈祷をしてくれるよう彼らに言うのです、そうすれば治ると信じます」。そこで彼らが市場に行くと、老師たちひとりの弟子が、彼らの品物を売るために座っているのを見つけた。そこで、いくつかの籠を持って、その代金を受け取るよう、彼を連れて行った。さて、この修道者が家に着いたとき、ダイモーンに憑かれた娘が出て来て、彼に平手打ちをくらわせた。相手はもう一方の頬をも向けた、主の掟にしたがったのだ〔マタイ5:39〕。するとダイモーンが拷問されて、叫んだ、いわく。「何という暴力だ! イエースゥスのイ掟が俺を追い出す」。すると、たちまち女は清められた。そうして老師たちがやって来たとき、何が起こったかを彼らに報告した。そこで彼らは神を栄化し、云った。「クリストスの掟の謙遜によって倒れる、それが悪霊の倣慢の倣い」。〔主題別15-15〕 4 師父ダニエールはまた言った、 身体が元気盛んになればなるほど、魂はかよわくなる。また、身体がかよわくなればなるほど、魂は元気盛んとなる」。〔主題別10-22〕 5 あるとき、師父ダニエールと師父アムモーエースとが旅をしていた。すると師父アムモーエースが言う。「いつ、わたしたちも修屋に坐れるのでしょうか」。これに師父ダニエールが言う。「今、いったい誰がわれわれから神を奪い取れようか。神は修屋の中にいまし、また外にも、神は在ます」。〔主題別10-46、11-16〕 6 師父ダニエールが話していた、 師父アルセニオスがスケーティスにいたとき、そこに老師たちのものを盗む修道者がいた。そこで師父アルセニオスは、彼に徳を得させて、老師たちを安心させようとして、彼を自分の修屋に連れて来て、これに言う。「何であれそなたの望むものは、わしがそなたにやろう。ただ、盗みだけはするな」。そして、彼に金貨、小銭、衣服、彼の必要とするものすべてを与えた。かくて彼は戻ったが、また盗むのであった。そこで老師たちは、彼がやめないのを見て、彼を追放した、いわく。「兄弟が欠点の弱さを有しているのを見出しても、彼に耐えなければならない。だが、盗みを止めないならば、彼を追放せよ。彼は自分の魂をさえ損ない、また、その場にいる人たち全員をさえ乱すからである」。〔主題別10-23〕
7 パラン人である師父ダニエールが語り伝えている、 われわれの父、師父アルセニオスが、あるスケーティス人について云った、 彼は偉大な実修者であったが、信仰においては小賢しかった。そして素人ゆえに躓いた。それで言うを常とした。「われわれがいただくパンは、自然本性としてクリストスの身体ではなく、象徴である」。彼がこんな言を言っていると二人の老師が聞いて、彼が生き方の点で偉大な者であるのを知っていたので、悪意のない小賢しさから言っているのだと思量し、彼のもとに赴き、これに言う。 8 同じ師父ダニエールが、アイギュプトスの下流地域に住持していた別のある偉大な老師について語り伝えている、 彼は小賢しくも、メルキセデクは神の子であると言っていた。そこで、アレクサンドレイアの主教である浄福なるキュリロスに彼のことを告げた。そこで彼のもとにひとを遣った。そして、この長老が奇蹟のしるしを現す者であり、彼が神に何かを尋ねると、神が啓示すること、そして彼が先のように語ったのは彼の単純さによるということを知り、知恵を働かせて、長老にこう言った。「師父よ、あなたにお願いがあります。わたしの想念が、メルキセデクは神の子であると言い、また別の想念が、そうではなく人間であって、神の大祭司であると言うのです。そのために、そのことでわたしは猜疑し、あなたのもとに遣わされたのです、このことに関してあなたに啓示してくださるようあなたが神にお願いするために」。すると老師は自分の行住坐臥に勇んで、気易く(meta; parjrJhsivaV)云った。「わたしに3日間猶予してください。わたしもまた、このことについて神に尋ね、これがどういうことなのかをあなたに告げましょう」。かくして彼は立ち去り、この説話(rJh:ma)について神に請い願った。そして3日後やって来て、浄福なるキュリロスに言う、 メルキセデクは人間である、と。すると大主教は彼に云った。「どうしてそれが分かるのですか、師父よ」。相手が云った。「神がわたしの、アダムからメルキセデクまですべての太祖あらわにされたのです。そして、このとおりであると元気づけられたのです」。こういう次第で〔老師は〕立ち去り、メルキセデクは人間であると自ら布令たのであった。もちろん浄福なるキュリロスは大いに喜んだ。〔主題別18-5〕 160."36t" 160.37 160.46 3 師父デイオスコロスが云った、 われわれがわれわれの天の着物を着るならば、われわれが裸と見られることはない。しかし、その着物を着ていないのが見られたら、どうしたらよいだろうか、兄弟たちよ。というのも、われわれはこういう声を聞くからである。「この者を外の闇に放り出せ。そこには嘆きと歯がみがあるであろう」〔マタイ22:13〕。今や、兄弟たちよ、われわれが長年〔修道者の〕身なりですごした後、必要なときに婚礼の服を着ていないならば、われわれにとって大いなる恥であろう。ああ、どれほどの悔恨がわれわれを見舞うことか! ああ、どれほどの闇がわれわれに襲いかかることか、師父たちやわれわれの兄弟たちの前で、懲罰の天使たちによって罰せられるわたしたちを彼らが見守るなかで!。
161."26t" 161.27 2 彼はさらに云った。「多衆との関係を断ち切れ、理性をめぐるそなたの闘いが、危機に瀕したり、静寂の在り方を乱したりしないようにじゃ」。〔主題別2-14〕 2016.01.14. |