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back.gif砂漠の師父の言葉(Γ)

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata)1

砂漠の師父の言葉(Δ)
(4/24)



153."18t"
字母Δの初め。
153."19t"
師父ダニエールについて

153.20
1 師父ダニエールについて言い伝えられている、— 蛮族がスケーティスに侵入したとき、師父たちは逃げた。しかし老師が言う。「わしのが配慮してくださらなければ、いったいどうして生きてゆけようか」。そして蛮族の中を通り過ぎたが、彼らには彼が見えなかった。このとき、自分自身に言う。「見よ、わしのが配慮してくださったので、わしは死ななかった、さればそなたも人間らしいことを行え、そうして師父たちのように逃げよ」。〔主題別10-21〕

2 兄弟が、師父ダニエールに尋ねた、いわく。「どうかわたしに一つの掟をお与えください、そうすればそれを守ります」。そこでこれに言う。「女といっしょにそなたの手を皿に延ばして、彼女といっしょに喰っては断じてならぬ。そうすれば、邪淫のダイモーンから辛うじて逃れられよう」。

3 師父ダニエールが云った、— バビュローンに、上流階級出身で、ダイモーンに憑かれた処女がいた。ところで彼女の父親は、ある修道者を愛する者としてもっていた。するとこれ〔修道者〕が彼に言う。「あなたの娘を癒やすことは誰にもできない、わたしの知っている隠修者たち以外には。ところが彼らに頼んでも、謙虚さからそれの実修を承知しないだろう。しかし、こうしよう。つまり、彼らが市場に来たとき、品物を買おうとする素振りを見せて、その代金を受け取ろうとするときに、祈祷をしてくれるよう彼らに言うのです、そうすれば治ると信じます」。そこで彼らが市場に行くと、老師たちひとりの弟子が、彼らの品物を売るために座っているのを見つけた。そこで、いくつかの籠を持って、その代金を受け取るよう、彼を連れて行った。さて、この修道者が家に着いたとき、ダイモーンに憑かれた娘が出て来て、彼に平手打ちをくらわせた。相手はもう一方の頬をも向けた、主の掟にしたがったのだ〔マタイ5:39〕。するとダイモーンが拷問されて、叫んだ、いわく。「何という暴力だ! イエースゥスのイ掟が俺を追い出す」。すると、たちまち女は清められた。そうして老師たちがやって来たとき、何が起こったかを彼らに報告した。そこで彼らはを栄化し、云った。「クリストスの掟の謙遜によって倒れる、それが悪霊の倣慢の倣い」。〔主題別15-15〕

4 師父ダニエールはまた言った、— 身体が元気盛んになればなるほど、魂はかよわくなる。また、身体がかよわくなればなるほど、魂は元気盛んとなる」。〔主題別10-22〕

5 あるとき、師父ダニエールと師父アムモーエースとが旅をしていた。すると師父アムモーエースが言う。「いつ、わたしたちも修屋に坐れるのでしょうか」。これに師父ダニエールが言う。「今、いったい誰がわれわれからを奪い取れようか。は修屋の中にいまし、また外にも、は在ます」。〔主題別10-46、11-16〕

6 師父ダニエールが話していた、— 師父アルセニオスがスケーティスにいたとき、そこに老師たちのものを盗む修道者がいた。そこで師父アルセニオスは、彼に徳を得させて、老師たちを安心させようとして、彼を自分の修屋に連れて来て、これに言う。「何であれそなたの望むものは、わしがそなたにやろう。ただ、盗みだけはするな」。そして、彼に金貨、小銭、衣服、彼の必要とするものすべてを与えた。かくて彼は戻ったが、また盗むのであった。そこで老師たちは、彼がやめないのを見て、彼を追放した、いわく。「兄弟が欠点の弱さを有しているのを見出しても、彼に耐えなければならない。だが、盗みを止めないならば、彼を追放せよ。彼は自分の魂をさえ損ない、また、その場にいる人たち全員をさえ乱すからである」。〔主題別10-23〕

7 パラン人である師父ダニエールが語り伝えている、— われわれの父、師父アルセニオスが、あるスケーティス人について云った、— 彼は偉大な実修者であったが、信仰においては小賢しかった。そして素人ゆえに躓いた。それで言うを常とした。「われわれがいただくパンは、自然本性としてクリストスの身体ではなく、象徴である」。彼がこんな言を言っていると二人の老師が聞いて、彼が生き方の点で偉大な者であるのを知っていたので、悪意のない小賢しさから言っているのだと思量し、彼のもとに赴き、これに言う。
 「師父よ、わたしたちはある人について不信心な言葉を聞きました、— われわれがいただくパンは、自然本性としてはクリストスの身体ではなく、象徴だと言っているというのです。老師が言う。「そう言っているのはわたしです」。そこで、彼らは彼を戒めた、いわく。「そのように捉えてはなりません、師父よ、普遍なる教会が伝えているように〔捉えなさい〕。というのは、われわれは信じているのです、— パンそのものがクリストスの身体であり、飲み物そのものが真実クリストスの血であり、象徴ではないのだ〔ルカ22:19-20〕、と。いや、初めに大地から塵を取って、御自分の似姿に即して人間を創造なさった〔創世記1:26〕、だから何びともの似像ではないとは言い得ないのです、たとえ把握しがたかろうとも。そのように、パンは、わたしの身体であると云われたのであり、そのように、真実クリストスの身体だとわたしたちは信じているのです」。しかし相手の老師は謂った。「わたしは事実そのものによって説得されない限り、満足しない」。そこで、彼らは彼に言った。「この1週間、この秘;についてにお願いしましょう、そうすれば、がわたしたちに啓示してくださると信じます」。老師はこの言葉を喜んで受け入れた。そしてにお願いした、いわく。「主よ、わたしが悪意によって不信心なのでないことは、あなたがご存じです。むしろ、わたしが無知の中に迷うことにないよう、どうかわたしに啓示をお与えください、主、イエースゥスのクリストスよ」。
 老師たちの方は、それぞれの修屋に戻り、彼らもに願った、いわく。「主、イエースゥスのクリストよ、彼が信じるように、この啓示を老師にお与えください、そして、彼の労苦を無駄にしないようにさせてください」。するとは両者に耳を傾けられた。その週が終わると、彼らは主の日に教会に赴き、かの長老を真中にして、三人だけが一つの敷物の上に立った。と、彼らの目が開かれた。パンが聖なる食卓に置かれると、彼ら三人だけに、幼児として現れた。そして司祭がパンを割くために手を伸ばすと、見よ、戦刀を持った主の使いが天から下って、その子を供犠し、その血を杯に注いだ。また、司祭がパンを小さな部分に割くと、天使も幼児を細かく切った。そうして彼らが聖なるものを拝領するために近づくと、かの老師にのみ、血のしたたる肉が与えられた。これを見た彼は、恐れ、叫んだ、いわく。「信じます、主よ、パンがあなたの身体であり、飲み物があなたの血であることを」。すると、たちまち彼の手の中の肉が、秘によってパンとなった。彼は、に感謝しつつそれを拝領した。そのとき、老師たちが彼に言う。「は、生の肉を食べることができないという人間の本性を知っておられ、だからこそ、信仰において拝領する人々のために、身体をパンに、血を葡萄酒に作り変えるのです」。彼らは、老師について、彼の労苦が無駄になることをお許しにならなかったならなかったことをに感謝し、そうして三人は、喜ぴをもって自分たちの修屋に戻っていったのである。〔主題別18-4〕

8 同じ師父ダニエールが、アイギュプトスの下流地域に住持していた別のある偉大な老師について語り伝えている、— 彼は小賢しくも、メルキセデクはの子であると言っていた。そこで、アレクサンドレイアの主教である浄福なるキュリロスに彼のことを告げた。そこで彼のもとにひとを遣った。そして、この長老が奇蹟のしるしを現す者であり、彼がに何かを尋ねると、が啓示すること、そして彼が先のように語ったのは彼の単純さによるということを知り、知恵を働かせて、長老にこう言った。「師父よ、あなたにお願いがあります。わたしの想念が、メルキセデクはの子であると言い、また別の想念が、そうではなく人間であって、の大祭司であると言うのです。そのために、そのことでわたしは猜疑し、あなたのもとに遣わされたのです、このことに関してあなたに啓示してくださるようあなたがにお願いするために」。すると老師は自分の行住坐臥に勇んで、気易く(meta; parjrJhsivaV)云った。「わたしに3日間猶予してください。わたしもまた、このことについてに尋ね、これがどういうことなのかをあなたに告げましょう」。かくして彼は立ち去り、この説話(rJh:ma)についてに請い願った。そして3日後やって来て、浄福なるキュリロスに言う、— メルキセデクは人間である、と。すると大主教は彼に云った。「どうしてそれが分かるのですか、師父よ」。相手が云った。「がわたしの、アダムからメルキセデクまですべての太祖あらわにされたのです。そして、このとおりであると元気づけられたのです」。こういう次第で〔老師は〕立ち去り、メルキセデクは人間であると自ら布令たのであった。もちろん浄福なるキュリロスは大いに喜んだ。〔主題別18-5〕


160."36t"
師父ディオスコロスについて

160.37
1 ナキアスティスの師父ディオスコロスについて語り伝えられている、— 彼のパンは大麦とレンズ豆で出来ていた。そして、毎年一つの行住坐臥を決めていた。「今年、わしは誰にも会わず、煮たものを食べず、果物も野菜も食べまい」と言うように。彼はあらゆる修行につけても、このように実行していた。そして、一つを全うすると、また他の目標に取り掛かる。そして年ごとにそれを行っていたのである。〔主題別4-13〕

160.46
2 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく — わたしの諸々の想念がわたしを混乱させ、わたしの罪をわたしから放置して、わたしの兄弟の欠点にわたしを傾注させるのです」。するとこれに老師が、師父ディオスコロスについて言う、— 彼が修屋で己れを嘆いていた。ところで彼の弟子が別の修屋に住持していた。そこで、老師を訪ね、彼が泣いているのを見て、これに言った。「師父よ、どうして泣いているのですか?」。老師が言った。「わしは自分の罪を泣いているのだ」。そこでこれに彼の弟子が言う。「あなたには罪などありません、師父よ」。すると老師が答えた。「自然本性的に、わが子よ、わしの罪を見ることができたならば、それを嘆くのにほかに三、四人いても足りないほどである」。〔主題別3-23〕

3 師父デイオスコロスが云った、— われわれがわれわれの天の着物を着るならば、われわれが裸と見られることはない。しかし、その着物を着ていないのが見られたら、どうしたらよいだろうか、兄弟たちよ。というのも、われわれはこういう声を聞くからである。「この者を外の闇に放り出せ。そこには嘆きと歯がみがあるであろう」〔マタイ22:13〕。今や、兄弟たちよ、われわれが長年〔修道者の〕身なりですごした後、必要なときに婚礼の服を着ていないならば、われわれにとって大いなる恥であろう。ああ、どれほどの悔恨がわれわれを見舞うことか! ああ、どれほどの闇がわれわれに襲いかかることか、師父たちやわれわれの兄弟たちの前で、懲罰の天使たちによって罰せられるわたしたちを彼らが見守るなかで!。

161."26t"
師父ドゥラースについて

161.27
1 師父ドゥラースが云った。「もし敵が静寂さを置き去りにするよう強制するなら、われわれは断じてやつに耳を貸してはならない。なぜなら、それと不食とに匹敵するものはないのだからじゃ。それはやつに対して共闘を組む。内的な眼に鋭い視力をそなえるからじゃ」。〔主題別1-13〕

2 彼はさらに云った。「多衆との関係を断ち切れ、理性をめぐるそなたの闘いが、危機に瀕したり、静寂の在り方を乱したりしないようにじゃ」。〔主題別2-14〕

2016.01.14.

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