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back.gif砂漠の師父の言葉(Β)

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata)1

砂漠の師父の言葉
(Γ)

(3/24)



145."18t"
字母Γの初め。
145."19t"
-言論者である師父グレーゴリオスについて

145.20
1 師父グレーゴリオスが云った、— が洗礼を受けたすべての人に要求するのは次の3つである。魂からのまっすぐな信仰、舌の真実さ、そして身体の慎み。〔Anomy3、主題別1-3〕

2 彼はさらに云った。「人間の一生は、渇望に病む人々にとっては、ただの一日にすぎない」。


145."27t"
師父ゲラシオスについて

145.28
1 師父ゲラシオスについて言い伝えられている、— 彼は金貨18枚の価値がある羊皮紙の〔聖〕書を持っていた。145.30 そこには、旧・新約のすべてが記されており、兄弟たちのうち望む者が読めるよう、教会に置かれていた。さて、兄弟たちのうち客のひとりが、老師を訪ねてきたが、それを見るや、それが欲しくなり、盗んで出て行った。しかし老師は、気づいていたけれども、彼をつかまえるためその後を追いかけることをしなかった。そういう次第でくだんの兄弟は町に行き、それを売るべく探した。そして、買いたいという者を見つけて、金貨16枚を要求した。すると、買おうとした者が彼に言う。「先ずわたしに渡せ、それを吟味しよう、そのうえであんたに代価を渡そう」。そこでそれを渡した。相手は受け取ると、これを吟味すべく師父ゲラシオスのところへ持って行った、売り手も言った値を彼に述べてである。すると老師が言う。「これを買うがよい、美しいものであり、そなたが述べた値段にあたいする」。そこでその人は戻って売り手に別様に云った、つまり老師が云った通りにではなく、こう言った。「見よ、これを師父ゲラシオスにお見せした、するとわしに、『高い、そなたの述べるだけの値打ちはない』と云われた」。聞いてくだんの者が彼に言う。「老師はあんたにほかに何も云われなかったのか?」。これに言う。「何も」。そのとき言う。「これを売るのはもうやめだ」。そして仰天し、老師のもとに行った、悔い改め、これを受け取ってくれるよう彼に願って。だが老師は受け取ろうとしなかった。そのとき兄弟は彼に言う、— あなたがこれを受け取ってくださらないと、わたしは安らぎを得られません、と。これに老師が言う。「そなたが安らぎを得られないのであれば、見よ、これを受け取ろう」。かくてこの兄弟は、老師のわざに益されて、死ぬまでそこに留まったのである。〔主題別16-2〕

2 この師父ゲラシオスに、あるとき、ある老人から、修屋とその周りの地所を遺贈されたことがある。その人物も修道者で、ニコポリスに住まいを持っていたのである。ところが、かつてパライスティネーにあるニコポリスの総督であったバカトス人のある農夫が、永眠した老人の親戚として、同じバカトスにやって来て、その同じ地所を自分の手に入れることを要求した。法律上は自分に帰属すべきものとして。この者は(たしかに乱暴者であった)、その地所を手ずから師父ゲラシオスから取得しようと企てた。だが、修道者の修屋が世俗の者に渡されるのを望まず、同じ師父ゲラシオスは譲歩しなかった。
 そこで、バカトスは、師父ゲラシオスの家畜が、彼に遺贈された地所のオリーヴ油を移送するのを監視していて、力ずくでこれを引っ張り込み、オリーブ油は自分の屋敷に奪い、生き物は彼らの家畜ともども無法にも放逐した。しかし浄福なる師父は、果実の方は全く返還要求しなかったが、地所の所有権の方は、前述の理由から、譲歩しなかった。このことにバカトス人は苛立ち、他にも必要な件で彼を提訴するため(彼は訴訟好きであった)、コーンスタンティヌゥポリスに向かって出発した。徒歩で旅をしていて、アンテイオケイアに到着すると、当時、聖シュメオーン[016]が偉大な光として輝いていたが、彼のこと(たしかに彼は人間以上の者であった)を耳にして、キリスト教徒として、その聖人を観たいと思った。
148.30
 で、聖シュメオーンは、彼がまっすぐ修道院に入るのを、柱の上から見て、尋ねた。「そなたはどこから来て、どこへ行くのか」。相手が謂う。「わたしはパレスティネー出身で、コーンスタンティヌゥポリスに行きます」。相手が彼に向かって、「いったい何のためか?」。これにバカトス人が言う。「多く必要性からです。ただわたしの望みは、あなたの聖性の祈りによって立ち帰り、あなたの聖なる足元に拝することです」。するとこれに聖シュメオーンが言う。「そなたは、人間どもの中の希望なき者よ、の人に対抗して上ろうとしている云うことを拒んでおる。いや、そなたに首尾はよからず、もはやそなたの家を目にすることもあるまい。されば、もしわしの忠告に従う気があるならば、ここからすぐに彼のもとに帰るために出発し、彼の前で悔い改めるがよい、ただし、生きているうちにその場所に到着できればの話だが」。すると、すぐに熱病に取り憑かれ、知己たちによって輿に乗せられ、聖シュメオーンの言葉どおりに故郷に帰り、師父ゲラシオスのもとで悔改めることができるよう、急ぎに急いだ。しかし、ベーリュトスに着いたとき、聖人の預言どおり、自分の家を観ることなく命終した。これは、彼の息子(これもバカトス人と言われる)が、自分の父親の死後聞いて、多くの信頼できる人々に話したことである。

3 これもまた、彼の弟子たちの多くが話していたことである、— あるとき、彼らのところに魚がもたらされ、これを調理人がフライパンで揚げ、食料品保管係のところに運びこんだ。だが、食料品保管係に急用ができたので、地面にある器に魚を置いたまま、戻ってくるまでしばらくそれを見張っておくよう、浄福なるゲラシオスの小さな里子に言いつけたうえで、食糧品保管室から出て行った。ところが、幼児は粉微塵にされ、容赦なく魚にかぶりついた。で、食糧品保管係が入ってきて、その食べ物を見て、地面に坐っている子どもに腹を立て、何の予防処置もなく子どもを突きとばした。すると、何らかの活動で、致命的な箇所を打たれて、卒倒して死んでしまった。食料品保管係は怖れにとらわれ、その子を自分の寝台に横たえ、覆いをしたうえで、彼に事のいきさつを報告した。すると相手は、他の誰にも云わないよう彼に言いつけたうえで、夜、皆が静寂を保ったあと、それを補祭室に運び、祭壇の前に安置して立ち去るよう彼に命じた。そうして老師は補祭室に入り、祈りのために立ち上がった。そして、夜の詩編朗唱の時刻に兄弟たちが集まったとき、老師は当の少年を従えて出て来た。彼の命終の時まで、彼と食料品保管係以外は、誰も事の次第を知る者はなかった。

4 師父ゲラシオスについて、彼の弟子たちだけでなく、頻繁に彼を訪問した人たちの多くもが話していたことである、— カルケードーンにおける全地公会議のとき、ディオスコロス[017]分派のパライスティネーにおける先導者テオドシオスは、各自の教会に戻るつもりの司教たちに先んじて(というのは、いつも混乱を惹き起こすことを好む者として自分の祖国から追放されて、自分もコーンスタンティヌゥポリスにいたからであるが)、自分の修道院にいる師父ゲラシオスのもとへと出発した。公会議について、これがネストリオス[018]の教説を認可したかのように言い、それによって、聖人をたぶらかして、自分の不謹慎と、自分にしたがう分派との共犯者に仕向けられると考えたのである。しかし相手は、この男の態度から、またから自分に授けられた洞察力によって、その教説の危険性をわきまえていたので、当時ほとんどの人々とは異なり、その背教に同調しなかったばかりか、正当にも相手をけなして送り帰した。というのは、死人の中から甦らせた里子を中央に連れてきて、おごそかに次のように言ったのである。「そなたが信仰について対話したいのであれば、この者にそなたのいうことを聞かせ、そなたと話をさせるがよい。わしにはそなたのいうことを聞いている暇はない」。
 かかる事態に当惑し、聖都へと出発し、的な熱心さを装って、修道者身分全体を魅了した。さらには当時在位したアウグゥスタをも魅了した。このようにして共犯者を手に入れ、ヒエロソリュマの司祭座を力ずくで占領した。これを奪うに先立っては、諸々の人殺しや、その他にも諸々の違法行為や、諸々の教会法違反行為を遂行したのであるが、それらは今に至るも多衆が記憶しているところである。まさにその当時は、権力者となり、目的を達し、非常に多くの司教たちを挙手票決し、まだ戻っていなかった司教たちの座につかせたうえで、師父ゲラシオスをも召還した。そして至聖所で強請した、罠にかけると同時に脅すためである。さて、至聖所に入った彼にテオドシオスが言った。「イウゥベナリオス[019]を破門せよ」。しかし相手は少しも驚かず、「余人は知らぬ」と謂う、「ヒエロソリュマの司教として、イウゥベナリオス以外には」。テオドシオスはといえば、他の人々までが彼の敬虔な熱意を真似ることがないよう、彼が稟性よろしく?教会の外に追放されるよう命じた。しかし彼の一派の連中が彼を捕え、柴の束で囲んだ、彼を火刑に処すると脅すためである。しかし、彼が少しも屈せず、ひるまないのを見て、またこの人物が令名が高かった(これはすべて上なる摂理によるものであった)ので、民衆の覚醒を用心して、自らのすべてをクリストスに捧げていたこの殉教者を、傷つけることなく釈放したのであった。

5 彼師について言い伝えられている、— 彼は若い頃、無所有的・隠修者的生活を送っていた。ところで、その当時、他の大多数の人たちも、同じ地方で、彼と同じ生活を享受していた。その中にひとりの老師もいて、極端までに単純で無所有で、命終するまで単住修屋に住んでいた、尤も、その老年には弟子たちを持っていたのであるが。この人物が、自分の仲間たちとともに死ぬまで修行していたのは、外衣を二枚と所有せず、また明日のことを思い煩わぬことを守ることであった。そういう次第で、師父ゲラシオスが、的な共働によって共住修道院を建設したとき、数多くの土地も彼に寄進されることになった。さらにまた、かつて的なパコーミオスに初めて共住修道院を建設すべしと託宣なさった方〔〕は、この修道院の建設全体に関して彼とともに働いたのである。ところが事情かくのごとにおりに、先述の老師は彼を見て、彼に対するまじめな愛を持ち続けていて、彼に言った。「わしは怖れているのじゃ、師父ゲラシオスよ、そなたの想念が、共住修道院の土地や自余の所有に縛られているのではないかと」。相手が彼に。「むしろ、ゲラシオスの想念が所有物に縛られている以上に、あなたの想念は、あなたが仕事に使う針に縛られていなさる」。

152.35
6 師父ゲラシオスについて言い伝えられている、— 彼は砂漠に隠遁したいという諸々の想念にたかられることしばしばであったので、ある日、自分の弟子に言う。「お願いだから、兄弟よ、わしが何をしようとも我慢して、今週中はわしに話しかけないでくれ」。152.40 そして、ナツメヤシの枝を取り、自分の道場を歩き回りだした。そして疲れると少し坐し、また再び立ち上がって、歩き回る。夕方になると、想念に言う。「砂漠を歩き回る者が食べるのはパンではなく、草だ。しかしおまえはおまえの弱さから、刻んだのを食べるがよい」。まさにそのとおりにしたうえで、再び想念に言う。「砂漠にいる者が寝るのは屋根の下ではなく、野外だ。されば、そのとおりにせよ」。そうして身を横たえ、道場で眠った。さて、三日間修道院を歩き回り、毎晩わずかのキクジシャ〔Dsc.II-160〕を食べ、夜は野外に眠ったので、疲れ果ててしまった。そこで自分にたかる想念を咎め、自分を吟味した、いわく。「砂漠の業を実行できないなら、汝の罪を泣きつつ、忍耐をもって汝の修屋に留まり、うろついてはならぬ。なぜなら、の眼は至るところで人間どもの為業をみそなわしており、それに見落とされることは何もなく、善を行う人々を御存知だからである」。


153."10t"
師父ゲロンティオスについて

153.11
 ペトラの人である師父ゲロンティオスが云った、— 多衆は身体的な諸快楽に試みられて、身体と交わるのではなく、精において姦淫する。つまり、身体の処女性を守りながら、魂において姦淫する。されば、美しいのは、愛する者たちよ、書かれていることを実行し、めいめいが『油断することなく、おのれの心を見守ること』〔箴言4:23〕じゃ」。〔主題別5-2〕

2016.01.10.

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