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back.gif砂漠の師父の言葉(Ζ)

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata)1

砂漠の師父の言葉(Η)
(7/24)



180."44t"
字母Ηの初め。
180."45t"
ヘーサイアースについて

180.46
1 師父ヘーサイアースが云った、— 侮辱ほど修練者にとって有益なものはない。例えば、樹木が毎日水を与えられるように、修練者も侮辱され、耐え忍んでゆくのである。

2 彼はさらに、美しく始め、聖なる師父たちに従う人々に言った、— 最初の染色は、紫の染色のように、色褪せることがない。また、— 若枝が容易に曲げられ、向きを変えられるように、従順に生きる修練者たちも同様である。

181.10
3 彼がさらに言った、— 修道院から修道院へと渡り歩く修練者は、絞首台のくびり縄の下であちらこちらと揺すぶられる動物に似ている。

181.14
4 彼がさらに云った、— ベールゥシオンの司祭は、愛餐が執り行われ、教会の兄弟たちが食べたり、互いに話したりしているとき、誡めて彼らに云った。「静かにせよ、兄弟たちよ。そなたたちとともに食べ、そなたたちと同じように杯で飲んでいる兄弟を見たことがあるが、彼の祈りは、の御前に火のように立ち昇っている」。〔主題別12-8〕

5 師父ヘーサイアースについて言い伝えられている、— あるとき、彼はしゅろの龍を取って、麦打ち場に行き、農夫に言う。「どうかわしに麦をくだされ」。するとこれに言う。「あんたも刈り入れをしなさったのですかい、師父よ」。彼が言う。「いいや」。するとこれに農夫が言う。「そんなら、どうして麦を手に入れようとなさる、刈り入れをしてないのに」。するとこれに老師が言う。「では、刈り入れをしなければ、報酬をもらえないのですか?」。農夫が言う。「そうです」。実にこういうふうにして老師は引き返してきた。そこで兄弟たちが、何をしたのかを見て、彼の前に跪いた、なぜそのようなことをしたのか教えて欲しいと願って。これに老師が言う。「まさに手本を見せたのじゃ、働かない者は、からの報酬をいただけないという」。

181.34
6 同じ師父ヘーサイアースは兄弟の一人を呼ぴ、彼の足を洗い、それから一つかみのレンズマメを鍋に入れ、それが煮立ち始めると、これ〔鍋〕を持って行った。すると兄弟が彼に言う。「まだ煮えていません、師父よ」。するとこれに言う。「そなたは明かり見ただけでは不十分なのか。それこそが大いなる慰めである」。

181.40
7 彼がさらに言った、— が魂を憐れもうとしておられるのに、後者の方があらがい、我慢せず、自分の意志を通すならば、それ〔魂〕がのぞまぬことを受苦することをお許しになる、そうやって彼が捜し求めるようになるために。

8 彼がさらに云った、— 誰かが悪に悪を報いることを望むときには、首を振るだけで、兄弟の良心を傷つけることができる。

9 同じ師父ヘーサイアースが、金銭欲とは何かと尋ねられ、答えた。「それは、そなたに配慮してくださることを信じず、の諸々の約束に失望して、富を愛することである」。〔主題別21-1〕

10 さらに、中傷とは何かと尋ねられて、答えた。「の栄光を知らぬこと、つまり、隣人に対する妬みじゃ」。〔主題別21-2〕

11 さらに、怒りとは何かと問われて、答えた。「争い、偽り、無知」。〔主題別21-3〕


184."9t"
師父エーリアースについて

184.10
1 師父エーリアースが云った。「わしは三つの事柄を恐れている。わしの魂が身体から出て行こうとするとき、に対面せんとするとき、そうして、わしに判決が下されようとするときじゃ」。〔主題別3-6〕

2 老師たちは、師父アガトーンについて、アイギュプトスにいる師父エーリアースに、「彼は美しい師父です」と言うを常とした。すると、エーリアースは彼らに言う。「彼の世代にあっては美しい人じゃ」。そこで、これに彼らが言う。「昔の人々に比べるとどうなのですか」。すると答えて言う。「彼の世代にあっては美しい人じゃとわしは云うた。だが、昔の人たちに比べていえば、わしがスケーティスで見たことのある人は、まさにナウイの子イエースゥスのように〔ヨシュア1:123〕、太陽を天に止めることができた」。これを聞いて、彼らは仰天し、を栄化した。〔主題別19-5〕

3 奉仕者である師父エーリアースが云った。「悔改めのあるところでは、罪にどんな力があろうか。また、倣慢があるところでは、愛のわざが何の役に立とうか」。

4 師父エーリアースが云った、— わしは、葡萄酒の入った瓢箪を自分の腋の下に抱えている人を見た。そこで、幻であることを〔暴いて〕悪霊たちに恥をかかせるため、兄弟に云った。「愛〔お恵み〕をしてくだされ、わしのためにそれを取り出してくだされ」。そして自分の外套を脱ぐと、何も持っていないことがわかった。わしがこのことを云ったのは、そなたたちが何かを眼で見たり、聞いたりしても、認めてはならぬということじゃ。ましてや、諸々の思案、評価、考え方思惟を見張らなければならない、連中がこれらのものを投げ込んだのは、魂が益なきことを思量するよう汚すため、理性をその過ちから、またから引き離すためであると知って」。

5 彼がさらに云った。「人間どもが理性をもつのは、諸々の罪に対してか、イエースゥスに対してか、あるいは人間どもに対してか、である」。

6 彼がさらに云った。「理性が身体とともに詩編を朗唱しないならば、その労苦は無駄となる。というのは、もしひとが苦患を愛するならば、彼にとって後に喜びと安らぎの中にいたるからである」。

7 彼はさらに云った、— ある老師が〔異教の〕殿に留まっていた。するとダイモーンたちがやって来た、彼にこう言いながら。「われわれの場所から立ち去れ」。そこで老師が謂った。「そなたたちは居場所をもたぬ」。すると、彼のナツメヤシの葉をあちこちにばらまき始めた。しかし老師はそれを集めつづけた。今度はダイモーンが彼の腕をつかんで、彼を外にひきずり出そうとした。しかし老師は、扉につくより早く、他方の手で扉をつかんだ、こう叫びつつ。「イエスゥスよ、どうか助けてください」。すると、すぐにダイモーンは逃げていった。すると老師が泣きだした。そこで主がこれに云った。「何を泣くのか」。そこで老師が言う。「彼らが人間をつかまえることを敢行し、こんなふうにすることをです」。するとこれに云われた。「そなたは不注意だった。そなたがわたしを求めるならば、そなたに何が起こるか、見たはずだ」。
 以上のことをわしが言うのは、多くの労苦が必要であり、労苦なくしては、自分のを得ることができる者はいないからだ。御自身が十字架にかけられたのは、われわれのせいなのだからである。〔主題別11-51〕

185.10
8 兄弟が、静寂主義者である師父エーリアースを、師父サッバースの洞窟共住修道院に訪ね、これに言う。「師父よ、どうかわたしに説話(rJh:ma)をください」。そこで老師が兄弟に言う、— われわれの師父たちの時代には、3つの徳だけが愛された、無所有、柔和、自制である。だが今や修道者たちを支配しているのは、強欲、大食、尊大さである。そなたが望むところを取るがよい。


185."19t"
師父ヘーラクレイオスについて

185.20
 兄弟が闘いを仕掛けられ、師父ヘーラクレイオスに打ち明けた。するとくだんの人は、彼を確固たるものにするために、これに言う、— ある老師が、長年にわたってよくいうことを聞いてきた弟子をもっていた。ところが、ある日、闘いを仕掛けられたので、老師の前に跪いた、いわく。「わたしを修道者にしてください」。するとこれに老師が言う。「場所を見つけよ、そうすれば、そなたのために修屋をつくってやろう」。そこで出かけて行き、1セーメイオン離れたところに見つけた。そこで彼らは出かけて行って、修屋を造った。そうして兄弟に言う。「わしがそなたに何を言おうと、それを行え。腹が空いたら、喰え、飲め、眠れ。しかし、土曜日まで、そなたの修屋を離れることだけはするな。それから、わたしのもとへ来るがよい」。そこで兄弟は、その命令に従って二日を過ごした。しかし、3日目には懈怠に陥って言う。「老師はなぜわたしにこんなことをさせたのだろう」。そこで立ち上がり、多くの詩編を朗唱した。そうして日没後に喰った。そして立ち上がり、自分の蓆に寝に行った。しかし、アイティオプス人が横たわり、自分に向かって歯ぎしりしているのを目にする。兄弟は非常に恐れ、老師のもとに走って行った。そして戸を叩いて、云った。「師父よ、わたしを憐れんでください、そして戸を開けてください」。しかし老師は、自分の説話(rJh:ma)を守らなかったと知って、明け方まで戸を開けてやらなかったが、夜明けに戸を開けると、彼が外で赦しを乞うているのを見つけた。そこで憐れに思って、彼を中に招き入れた。そのとき彼が言う。「わたしをお赦しください、師父よ。わたしが寝にゆくと、蓆の上で黒いアイティオプス人を見たのです」。相手が云った。「そんな目に遭ったのは、わしの説話(rJh:ma)を守らなかったからじゃ」。その後、可能なかぎり彼を修道の生で感化したので、次第に美しい修道者となった」。

2015.12.25.

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